【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第35回 本を売るより著者を売る、出版社が模索するビジネスモデルの確変

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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本は本屋に置けば売れるわけではない。内容がよければ売れるともいわれるが、そもそも最初のハードルが高い(内容・著者への関心、大量すぎる新本の供給、購入、読書時間)「本」という商品にとって、まず関心をもってもらうという最初の関門で99%の商品は弾かれている。私自身は過去6冊の書籍を出版してきたが、「出版社によるプロモーション」を実感できる機会は少なかった。なぜなら著者にとって大事なのは伴走して作るまでの「編集者」であり、その後がどんなルートでどんな風に売れているかを顧みることが少なかったからだ。だが『推しエコノミー』で初めてついた「プロモーション担当:東城」氏との仕事は非常に目が開かれる経験だった。そう、ゲームやアニメのように「出版」もまた、リリース後に“運用していく"時代に入ったことを実感している。そんな東城氏の類まれなる仕事術についてインタビューを行った。

 

■ビジネス系最大手の日経BP。半世紀で初となる親会社への転籍事例

――:自己紹介からお願いいたします。

東城宏実と申します。出版社の日経BPでプロモーション戦略部に所属しております。業界的には「スーパーぽにょ」でも通っておりましてFacebookTwitter Tiktok などはだいたいこの名前で通しております。


――:最初「スーパーぽにょ」からフレンド申請がきたときは新手の詐欺か何かかと思いましたよwなんで日経BPの人がこの名前でやってるのかと???という感じでした。

10年以上前にFacebookの浸透初期で使い始めたときに実名でないといけないのを知らなくて、姪っ子との会話のためにつけた名前がそのままロックされてしまって、後から変えられなくなってしまったんです。Facebookに申請したり四苦八苦したのですが結局ずっとそのままになって、いつのまにか通り名になって使い続けております。。。まさかこんなに自分のSNSアカウントを使って、著者のプロモーションをやることになるとは想像もしてませんでした。


――:東城さんは私の著書の『推しエコノミー』もプロモ担当をしていただいて、ちょっとこれまで接してきた出版社の機能とあまりに違うので、ぜひいま出版社がどんなことを考えているのかをお聞きしたくてインタビューいたしました。

そうですね、今の日経BPのなかで「プロモーション戦略部」はまだ出来て3年、部署としても専任は私1人なので会社のなかではだいぶ特殊な立ち位置だと思います。

本を売るにあたって、地上波テレビ・配信動画メディア・他社Webメディアから新聞・雑誌・ラジオまで、メディアの登場機会を増やして本の販促・著者のPR活動を支援している部署です。Twitterや、苦労しましたが最近はTikTok動画を自分で撮影・音入れ・編集までして週3本くらいアップしております。だいたい数千人の方には定常的にみていただけるようになりました。バズる動画も出せるようになってきました!

▲TV局の出入りも多い東城氏はいつも局のキャラクターを持ち歩き、販促本と一緒にTwitter・TikTok用の写真を撮影している


――:普通は出版社は、編集・校了して全国の書店に配本、電子書籍化されたら終了で、あとは販売部数が伸びるのを待つだけでした。重版がかかったときだけ編集者から連絡はくるものの、「売るために何かしている」という面が見えにくかったんです。でも東城さんは発売後になって紹介されて、テレビ、Web、雑誌などの出演機会をとってきたり、そこに同行して僕の動画を加工してTikTokにあげたり、いわゆる「作家自身のプロモーション」として芸能事務所のような活動をされています。これは業界的には相当珍しいのでは?

はい、私が自分で必要なのかなと思って始めていることで、それが結果的に会社の仕事になったんですよね。あの、私、実はもともと日経BPの社員じゃないんです


――:え、そうだったんですか!?別会社所属だったお話はちらっと聞いてましたが、、、

日経BPグループでは、日経BPの「直販」事業と区別して、書店ルートでの販売を「市販」事業と呼んでいます。その市販機能を担っていたのが日経BP出版センター(2010年の経営統合で日経BPマーケティングとなる)で、販売会社や書店ルート(書店・コンビニエンスストア・駅売店など)への営業をしていました。

私もその日経BP出版センターにアルバイトから入って(2003年)、契約社員となって(2005年)、最終的に日経BPマーケティングで2015年に正社員になりました。そうした中で、東城がやっていた販促・PR的な動きを本社もやっていこうと、親会社に転籍となって(2019年)今に至る、という感じです。


――:めっちゃくちゃ「たたき上げ」感のあるキャリアですね。なるほど、じゃあ子会社・別機能でやっていたことを吸い上げようとしたのがプロモーション戦略部なんですね。子会社から親会社への転籍、というのはよくあることなのでしょうか?

同タイミングで日経BPコンサルティングからも1人転籍しましたが、転籍自体は稀だと聞いてます。これを機にメディアプロモーションに専念できる機会が与えられたことは、私にとって転機でした。


――:そして2020年に日経BPと日本経済新聞出版が統合されるわけですね。直販型と市販型で併存していたとはいえ、これだけ長い歴史で併存してきた出版部門の統合はなかなか大事だったんじゃないかと思います※。

そうですね、大きな組織統合なので最初は戸惑いもありましたが、メディアプロモーションの立ち位置からも統合効果に貢献できているように思います。

※解説:日経BPの前身は1969年4月に日本経済新聞社と米マグロウヒル社との合弁会社として誕生した日経マグロウヒル社だ。88年7月に日経100%出資となり、日経BPに社名変更。紙媒体を中心に成長してきた。90年代後半からはインターネット普及に伴い、ネットメディアも手掛け成長を加速。メディア環境激変の中、08年7月に日経ホーム出版社(日本経済新聞社・ショッピング室を母体として82年3月に誕生)と経営統合し新生・日経BPとして再スタート。さらに20年4月に日本経済新聞出版社と経営統合し、社員約800名の巨大出版社となった。ビジネス系の出版社の多くが200~300名規模であることを考えると、ビジネスモデルの違いを加味してもそれらをとびぬいて、小学館・集英社・講談社といった大手総合出版社と並ぶ規模になったといえる。

 

■編集者になりたすぎた新人時代。面接全落ちで、出版営業でバイト⇒契約⇒正社員のたたき上げ

――:今のキャリアにつながるお話を聞きたいと思います。大学時代はどんなことをされてたんですか?

祖父が歌人だったんですよ。斎藤茂吉の弟子みたいなことをしていて、でもそれだけじゃ生活できなかったので小学校の校長もやってました。それで家族の中では誰かしら「文学・文芸」に近いところにいってほしいという話があって、私がそのゆかりがある二松学舎大学の文学部国文学科に入りました。


――:夏目漱石も学んだ伝統ある大学ですよね。

はい、そうなんです。それで、実は出版社というよりはずっと「編集者」になりたかったんですよ。大学時代にエニックスさんの出版部門でずっとバイトしていた体験がとても影響が大きかったんです。


――:90年代末のエニックスの出版、すごかったですよね!?確かにそれは面白いフェーズの会社にいましたね。ドラクエ好景気を追い風に出版部門を立ち上げて、『月刊少年ガンガン』から様々な作品を生みます。『魔法陣グルグル』はむしろ流行りすぎて、逆転でゲーム化したり。のちの2003年『鋼の錬金術師』はこの出版社から生まれたスゴイ作品ですよね。

めちゃくちゃ面白かったんですよ。ドラクエ攻略本とかドラクエ4コママンガが凄く売れていたんですが(累計500万部)、通常の出版事業だけでなくアスキーと横のつながりがあってイベントを一緒にやっていたり(当時の記憶)、エイベックスの松浦勝人さんとも当時の出版事業部門のトップが仲良くて一緒にアニメ化展開もしてたりと、多面展開の勢いがすごかったんです。それに魅了されて、自分も「編集者になりたい」という夢に取りつかれるんですよ。


――:それで編集者にはなれたのですか?

いまだになってません笑。就職は氷河期だったこともあり、出版社の面接は全滅。小さな商社に入ったんですが、朝から晩まで土日も仕事して体調を崩し、1.5年くらいで辞めることになります。 そのあとも転職活動としては続けていながら、とりあえず何もしないのもよくないので、アルバイトで日経BP出版センターに入り、事務のバイトから始めました。


――:それが現在まで続く日経BPとの関わりなんですね。2003年ですよね。最初は営業じゃなくて事務だったんですね?

まさに社として(直販ではない)市販事業に力を入れ始めていたタイミングで、全国の書店・取次から、1日200件とか大量に受注の電話が来るんです。当時は受注センターとしての役割も担っており「宇都宮の〇〇書店ですが、Aを1冊、Bを10冊でお願いします。番線は・・・」とか、販売会社経由じゃなくて書店からもダイレクトにコールがどんどん鳴ります。その受発注作業とか売上の計算を主にやってました。常に電話は3コール以内にとってましたね。


――:それはすごい東城さんらしいですね笑。いまの営業マインドは最初の出版センター仕込みだったんだなと納得です。そこからどうして営業にコンバートされたんですか?

当時の出版センターの社長が「きみは営業のほうが向いているんじゃない?」となって契約社員に登用してくださったんです。そこからは販売会社・書店向けの営業が始まりました。


――:なるほど、そのあたりが2005ですね。ようやく念願の出版社に入れて、じゃあこの道でいこう、と思えるんですか?

いえ、めちゃくちゃ転職活動してました笑。採用されたとはいっても契約社員ですし、本当は営業には向いていないと思っていたのでやりたくなかったんですよ。やっぱり出版の花形は編集、自分は編集をやりたい、という思いを捨てきれずにいました。幸い(?)、どこも受からなかったんですけれども笑。


――:今の東城さんみてると、営業は天職ですけどね。俊敏さも思い切りの良さも、関係性の構築も。

そうですね。後から知ることになりますが、編集には向いてなかったんですよね、私。

編集って、何もないところから「時代のテーマは~が求められている」「これを書くなら〇〇さんにお願いするのが…」みたいに企画をつくっていくんですよね。これが全然ダメで、何のアイデアも出てこなかったんです。それで、やりたいことと、求められていることは違うんだ。私はこの道で行こう、と思えるようになったのは・・・正社員になった2015年くらいですね。


――:だいーぶ長いことかかったんですね笑。なんと、じゃあ7-8年前までは虎視眈々と編集者ねらいで、転職活動は続けてたんですね。

長い長い就職活動でした笑。社内で営業から編集って、まったくコースがなかったので転職するしかない!とは思ってたんですけど、逆に就職活動が失敗し続けてたから、今があるのかもしれません。

  

■「手弁当」と「空中戦」から見えたメディアプロモーションの必要性

――:ここらへんから本格的に出版社の営業の話についてお聞きしたいです。『重版出来!』でも出てきますが、書店まわりの営業って他の商材と比べてもハードなほうに入るのではないかと感じます。僕も近所の書店で時々出版社の営業の方を見かけますが、バタバタと多忙な書店員をつかまえて話そうとしても「ちょっと待ってて!」と数十分立たされ、お客さんがそばにいる中でコソコソと数分間だけ遠慮しながら市況とか売れ行きを聞いている。

そこはちょっと書店営業の辛いところですよね。書店には多くのお客様がいらっしゃるので、接客の合間に5分で終了というパターンもありましたね。エリア、書店、書店員の傾向を頭にいれておいて、この人はこういう話が刺さるからとフックをもって、市況のチェックから売れ筋まで確認し、なるべく自社の本・雑誌をたくさん置いてもらうように営業をかけていきます。


――:結局は書店が「メディア機能」をもっているので、各出版社の取り合いになるわけですよね。コンビニや量販店と同じように。ただ問題は系列店があるわけでもないですし、委託販売で返品もできちゃうので、「棚の安定的な確保」ができない。そもそも出版社のなかでの営業担当って人数はそんなに多くないですよね?

日経BPの全体800人でも半分近くは記者や編集など「創る側」ですね。ほかに「販売」など新聞の広告枠をとったり、戦略的なことをする部署もありますが、私のいた「市販営業」という枠ですと10~20名といった人数規模ですね。私が担当していたのは千代田区、中央区、神奈川県、東海エリア、ネット書店、TRC(図書館流通センター)、それから海外書店…


――:え、え、ちょっと待ってください。そんなに広いんですか!?区から県になって、あと「海外」って1人で兼任でまとめるとか、ちょっとありえないエリアの広さですね。

さすがに海外書店に営業に行くことはできませんでしたが、当時は未開拓だったので実売を上げるチャンスだと思いました。台湾の誠品書店のバイヤーに、輸出入事業を手掛ける日販アイ・ピー・エスを通して交渉して実売を上げたり、新たな販路の拡大はやり甲斐がありました。


――:それにしてもその人数、そのエリア区域ですとやれることは限られますよね。そんな多忙ななかでよく「書店まわり」とかできますね。

特約店といって、お得意様である店舗もありますし、これまで上司や先輩方が築いてきた関係性や実績、情報を引き継ぎながら、直近の出版POSで実売データを見て「どの書店から伺うべきか、どの本をご紹介するか」など戦略的に書店営業をしていました。特に地方営業は、2~3日でいかに多くの書店を訪問できるか、時間配分を考えて営業していましたね。


――:典型的な「ルートセールス」ですね。しかも取次・書店は委託販売なので全出版社の本を自由に取り扱える。そのなかで個々人にあわせた超マイクロカスタマイズ、これは仕事の際限がなくなりますね。営業としては何で成績を評価されるものなんですか?

担当エリアの前年比売上ですね。営業の目標は高いですし、それをどうクリアするかは永遠の課題でした。棚の稼働アイテム数を増やしながら、平積みシェアを拡大し、フェアも展開していただく。そして「それぞれの書店のニッチなニーズに合致した既刊書を発掘して仕掛けて話題にする」など、思いつくことは何でもしていました。
そのためにも、書店員の方々との関係性構築・関係性維持は非常に重要でした。これはどの出版社の営業も共通しているのではないかと思います。


――:僕のみてきた中だと「コピー機の営業」も近いんですよね。なにもしなくても売上(≒トナーと紙の使用量)は変わらないんですが、数年に1回のリース入れ替え時期などを読みながら、基本的には他社商品も含めて「関係性構築・関係性維持」がミッションになる。たまにくる大波(新商品)が福音でもあり、時にはそれが地獄の始まりでもあったりするという、、、ただ月々の行動が即収益に跳ね返らないので、概して「なまけようと思えばいくらでもなまけられる」状況には陥りがちですね。

私のやり方が正しいかは結局わからないままでしたけど、こんなものを作ったりしていました。販促フリーペーパーで、テーマにあわせてお勧めの本を紹介してます。編集者からコメントをもらったり、テーマにあえば他社の本もいれて、書店のフェア台に置いて、お客様に自由にお持ち帰りいただくんです。こういうのをきっかけに、お客様から「本」を発見してもらって、書店が潤って、結果的に日経BPにもリターンがくればと思ってやっていました。 

▲東城氏お手製の販促フリーペーパー。書店で無料配布するために、著者・編集者インタビューや有名ブロガーの書評などが掲載されている


――:おおーすごいですね!それだけの広域エリアで曖昧な成果目標の特性のなかで、こういうモノを自分の意志で作っているだけで凄いですよ!でもこういうのってほかの出版社の営業もマネしますよね?

特にはマネされなかったですね。当時、書店員特製のフリーペーパーは流行っていた記憶がありますが、出版社営業主導のものは、私が知る限りなかったと記憶しています。日常の多忙な作業の合間に編集者にインタビューしなきゃならなかったり、一般の書評ブロガーのコメントもいただかなくてはならないしで、作成に予想以上に時間を要するんです。先ほどのような営業特性もあるので、明確に結果が出るわけでもなく、「よくやるよなあ」という反応が多かった気はします。

私自身もこれは業務時間外にやってましたし、最初は別に予算もないので自分でコピーしてホチキス止めしてました。


――:完全な手弁当ですね笑。僕も人材派遣営業時代には似たようなことをやってました。しかし、、“よくやりますよねえ"。

途中から上司が見かねて外部の印刷所に発注していいよと許可もくれました。こういうのを通して「この営業は日経BPの商品だけじゃなくて、読者・書店のことを考えてくれる」という認識をもってもらって、結局書籍売上につながったかどうかは明確じゃないんですけど、書店のフェア受注率はかなり高かったと思います。そしてフリーペーパーは好評で、累計で1万部以上捌けました。


――:よく書店でフェアはやってますよね!紀伊國屋のホラーフェア、とかそういうやつですよね。あれは出版社にとってメリット大きいんでしょうか?

はい、書店フェアって、例えば100種類の書籍×10冊ずつとかで1000冊とか出るんですよ。そのうち半分でも販売されれば、なかなかの売上になりますよね。あとは横展開。〇〇書店の横浜店で成果が出たから、それをもって今度は恵比寿店に営業してみて銘柄を一部変えながら「同じフェアをやってみませんか?」みたいなことを繰り返して、この販促フリーペーパーとセットでいろいろなフェアをやってきました。

「地上戦」としての書店営業だけよりも、「空中戦」としてのこうした販促フリーペーパー付きフェア企画のほうが手応えは見えやすいかもしれませんね。あと、こうした営業発の企画をやることで、編集者とも仲良くなるし、協力関係になっていくんですよね。


――:確かに東城さん、仲良い編集の方も多いですよね。これ10年前のフリーペーパーですけど、中川ヒロミさん(日経BOOKSユニット ユニット長補佐:『HARD THINGS』や『ジェフ・ベゾス果てなき野望』などシリコンバレー発ヒット作を手掛ける)、この当時からテック系かなりやってたんですね。

編集者もやっぱり得意分野、専門分野が明確になってきますよね。中川さんはその後もシリコンバレー系の書籍を中心にガンガンヒットを飛ばしていて、『FACTFULNESS』ではとうとうミリオンセラー編集者となりました!こうした偉大な編集者とも、いつもコメントをもらっているうちにどんどん仲良くなりますし、編集と一丸となって販促を仕掛けていくこともできます。

さらに、私に早くからSNSをやってみるようアドバイスを下さったのも中川さんなんです。2010年頃から地道に始めたことが、今となっては大きな基盤となっています。感謝してもしきれません。


――:東城さんのTikTokで、もう「番組」化しているのは駄言課長の小田舞子さん(日経xwomanの副編集長。TikTokでは『駄言辞典』のプロモーターとして1人3役で駄言をつぶやくダメな上司役を演じている)ですよね。ぜひ皆さんにも見てほしいです。編集者とは思えない、テレビのバラエティ番組のような、「IP化しそうなキャラクター」ですよね笑。

最初はあんなに作り込んでキャラを演じるつもりなかったんですが、小田さんが昔、友達と自作の寸劇をやっていたとかで、想像をはるかに超える振り切り方をしてくれました。マイオ(駄言ばかり言っている男性の駄言課長)役と、ステキ部長や'駄言は駄目クリステル'(駄言を指摘する正しい部長・アナウンサー役)と1人3役でドラマ仕立てみたいになって、今現在もどんどんエスカレートしております笑。私も毎回撮影のたびに爆笑が止まらないんです!

TikTokって明確に年齢層が違うんですよ。あれをみて、10代の学生さんがレポートを書きたいって連絡をくれるようになってきていて、明確にメディアごとに違う層に刺さっているのを実感します。

▲東城さんが運営するプロモーション用Tiktok


――:書店営業時代に話を戻しますが、フリーペーパーやフェアなど「空中戦」をやっていたことは、社内的に大々的に評価されたり、会社あげて仕掛けにいったりはしないものなのでしょうか?相当優秀な営業だったと思いますが、、、

営業各自でのやり方もありますし、私はこういうスタンドプレーが多かったタイプなので後輩のお手本になるような優秀な営業ではありませんでした。自覚はあります(笑)!裏でこそっと、「よく頑張ってるじゃないか」って言われたくらいでしょうか。

周りからの印象とは恐らく真逆で、実は私は自己肯定感が低いので、いつまでたっても「今のままじゃダメだ」という思いが強いんですよ。2015年ごろに正社員にしていただいて、そのころには編集じゃなくて営業でやっていこうとは思ってたんですけど、(今も思ってますが)「このまま外の世界に出ても営業として自分は生き残っていけない」という不安のほうが強くて、何かやらなきゃ何かやらなきゃと焦っていたような気がします。だから色々動いてトライしていても、緻密な戦略ではなく、半分焦りと半分編集者・著者への思い入れからくるものですね。


――:リクルート系だと考えられないですね~。こういう営業の仕方1つとって、会社のノウハウにしていこう、と皆の前で表彰してマネをさせる仕掛けをするんですよね。それもこれも「商品力が大きくて、成果に営業力の寄与度が見えにくい」とか、確かに業界特性による違いといえば仕方ないのかもしれませんが、、、いままでこうしたもので「売ったな」という営業力を確信できる作品ってどんなものがありますか?

うーん、強いていうなら、営業として何か貢献できたと思ったのは、先ほどの中川さんが編集した『スティーブジョブズ驚異のプレゼン』が30万部強、『フェイスブック 若き天才の野望』が10万部強で、増売に貢献できたかなと思います。あとは『全盲の僕が弁護士になった理由』でこちらは出た瞬間はあまり数字が伸びなかったのですがTBSで単発ドラマ化したことを契機に、著者の出身地・静岡にあやかって中日新聞と静岡新聞に取材して欲しいと営業して実現し、東海エリアでの店頭展開と実売が明らかに伸びました。


――:東城さんがこういうゴリゴリの書店営業を空中戦でもやられてて、次第にPR的なブランディング、TVや配信などメディア向けのプロモーションになっていくのはどういう経緯があるんですか?

書店でも、メディアでの取り上げられ方には非常に敏感ですし、影響力が大きいんですよね。「これってドラマ化・アニメ化決まってたりするんですか?」とか書籍がどう二次展開されるかによって書店での取り扱いも変わってくる。だったら出版社がこういう放送・配信メディアへの仕掛けがあってもいいんじゃないか?と思ったんです。

▲東城氏が書店営業の経験からメディアプロモーションに強く興味をもった時のプレゼン資料。営業タイプがよく表れている。

 

■映像とブランディングとプロモーション:本にも「運営」が必要な時代

――:しかし日本語版の台湾売り込み、書店フリーペーパー、新聞社への営業とか、常にプラスアルファの営業をされてます。僕が東城さん半端ないなと衝撃を受けたのは、『推しエコノミー』のプロモでも使っていただいたTikTokの使い方をちゃんと学びたい!ということで約10万のコンサル料を自腹で学びにいっていたときでした。

当時はまだ、TikTokの展開が会社としては決まっていなかったんです。でも、私はショート動画の時代がどっくに来ている、今徹底的に勉強するしかない!と実感がありました。

でも結局最後は、直属の上司が経費にしてくれましたので金銭的な面だけでなく、応援してくださっている気持ちがありがたかったです。あのときは中山さんにもご紹介をお願いして、大変お世話になりました。


――:いや、勉強のために10万を自腹切れる営業って、それだけで「生き残っていける」証だと僕は思いますけどね。でも、いつもどうしてこうやって「新しいこと」を開拓できているんですかね?

ひとつきっかけになった本はありますね。みうらじゅんさんの『「ない仕事」の作り方』です。存在しないなら仕事をつくってしまえばいいんだ!という話に強く共感して、その後はそういうことを意識して、(個人)TwitterやTikTokでバンバンプロモーションしてしまって、成果がでてきたら後から会社公式が立ち上がって、というのを繰り返してきました。

▲TikTokで動画撮影はいつもこんな具合に1人で撮影・照明をして、数時間の編集作業ののちに、秀逸な動画が公開される。


――:でもこうやってプロモーションしないといけない担当書籍もどんどん増えるわけですよね?それなのにすでに10か月もたつ『推しエコノミー』の営業もやってくれていて、、、

メディアプロモーション案件は常時40冊以上あり、毎月そこに重点商品(主に新刊)が足されていきます。そして社会情勢によって状況は日々変わるため、過去の書籍もいつでも提案できるよう、ある程度の戦略は常に練っています。そういう書籍も含めると数百冊を担当していることになりますね・・・。


――:そうそう、そんな感じですよね?そうなると21年10月に出た『推しエコノミー』から考えると、もうあれから100冊くらいは「新しくプロモ対象」が増えたわけですし、何十人という「新しい」著者との向き合いも、全部専属の東城さんが1人でやっているわけですよね??

たまにいっぱいいっぱいになるタイミングはきますね。上司や先輩に「探さないでください」とチャットをしたい衝動に駆られます。冗談ですけど笑。

毎月でてくる数十人くらいの著者の方とは、ゲラや本はなるべく読みますし、お一人お一人ともなるべくお会いするようにしていますが、たしかに私のキャパの限界もあるので、重点的なものにだけ、となることも仕方ないのかなとは思います。ただ、こういった後工程の部分にももっと人材や資源を配置していく時代なのかもなとも思いますし、それができる会社はより強くなるのではないかと感じています。


――:19年に書店営業からはずれて、日経BP所属となって正式にメディアプロモーション専属になったとき、どうやって「ない仕事をつくる」をやっていったんですか?

メディアって人脈なんですよね。私はどのテレビ局とも接点がないし、誰かプロデューサーを知るわけではない。他の出版社はメディアに詳しいフリーのメディア営業に外注していたりもしますが、弊社はそういったノウハウも経験もなかったんです。

なので、SNSで情報収集をし、DM(ダイレクトメッセージ)やメッセンジャーでアポを取るか、直接電話してアポを取ることから始めました。とにかく地道に。2010年から始めていたSNSがここで大活躍したというわけです。この基盤がなければ、恐らく今の人脈は出来ていないと断言できます。


――:えっと、それはどうやって電話するんですか?

本を番組で取り上げていただきたい、といって例えばテレビ局の代表電話から電話しました。ほとんどが梨のつぶてなんですが、たまに現場につながって話を聞いていただいたりしたんです。その最初が、TBSラジオの長谷川裕氏(現:事業創造センター長)です。長谷川さんにはDMアタックで繋がりました。本来簡単に会っていただけるような方じゃないのですが(後に知ることとなる)、ほぼ飛び込みで行った私の話を聞いてくださって、そのあと、著者出演の機会もいただきました。長谷川さんに会っていなかったら、今の私は確実に存在していない、まさに大恩人なんです!


――:あ、そのつながりで僕が「伊集院光とらじおと。」で出演させていたんですね。終わってしまう間近でしたが、あれは大変面白い機会をいただきました。

そうなんです。そうやって中山さんが出ていただいて活躍すると、次の著者・本にもつながりますし、徐々にメディアと関係を構築して日本テレビ「世界一受けたい授業」とか TBSテレビ「news23」でも本の特集を組んでもらう機会が増えていきました。私、ちょっと髪型とか派手なので「キャバ嬢が営業に来たのか?」とか番組内では言われてたみたいですけど笑


――:テレビ東京の豊島晋作さんとの「テレ東経済ニュースアカデミー」も東城さんに紹介いただいて、とても反響ありました。

豊島キャスターも大変尊敬しております。ご自身でもキャスターとしてずば抜けた解説力がありますが、それに加えて大変な読書家で、早い段階で話題書を原著で読んでいらっしゃいますし、それをすぐにご自身で動画解説され、YouTuberとしても大人気なんです。著者とも直接ご自分ですり合わせされて台本構成も抜群で、終わった映像の編集も場合によってはご自身でやったりするんですよね。私がTikTokを始めたのも、豊島キャスターに触発された部分が大きいですね。自分でコンテンツを作ることで、より強い責任感を持ちながら、情報を発信しマーケティングしていこうと即行動に移しました。


――:ドブ板で自分がゼロイチで開拓してきたネットワークなんですね。

もちろん自社の書籍だけを押せ押せでやっていると信頼をなくします。その番組にとって、この書籍・この著者がタイムリーだし、取り上げることで番組にも視聴者にとっても価値がある、そのためにプロデューサー・ディレクターと日々接して、どんなジャンル・どんな著者を欲しているかを探るようにしています。

そして私が取り組んでいることの一つに、メディアプロモーションのコンサルティング化があります。これは、有名な著者や伸びしろのある新人著者のブランディング、メディア獲得、出演時の現場同行からメンタル面でのサポートまで一連を行う取り組みです。つまり、メディアプロモーションを通じて著者の信頼をさらに掴み、弊社から次作を出していただけるような働きかけを行っているということです。他社さんにはない強みだと思っております。


――:それってまさに書店で営業していたときのスタンスそのままですよね!それが映像となって放送・配信にいま移行しているんだなと思います。

書店営業時代は見えにくかったですが、SNSとメディアってその後に効果がみえやすいんですよ。ほら、この『推しエコノミー』もメディアに出た直後ってこのくらい数字が跳ねるんですよ!

 ▲佐渡島チャンネル、伊集院とらじお。と出演タイミングなどで平常日の2~5倍の跳ねがあり、一度跳ねが作れるとその後数日は効果維持できる傾向がある


よくよく振り返ってみると日経BPという「専門書」の分野から入ったのがよかったのかもしれません。慣れない医学書や建築書、様々なジャンルのビジネス書でも、とにかく肝をつかんで誰もがわかりやすいように伝えて、メディアで取り上げやすいようにしていく。もともとこのジャンルは、メディアと特別に相性がいいというわけでなく、逆に営業がプッシュしていくことで着実に成果につながりやすい。そういうのが性に合うようになりましたね。

 


――:これからどんなことに力入れていきたいですか?

メディア営業だけではなく、様々な媒体・著者さんに信頼され、パフォーマンスを高め、次の仕事に繋げる仕組みを最強にしていきます!

例えば「①社会現象としてコンテンツを広めていきたい、その結果書籍実売に寄与する」「②映像化作品を増やし、実売寄与に貢献する」「③TikTokやYouTubeなどのショート動画で、ファンの獲得とコンテンツの魅力を発信」「④社内でメディア営業の後継者を育てたい」といったことですね。

また、今年4/21にローンチした「日経BOOKプラス」という新しい書籍系デジタルメディアのプロモーションも攻めていきたいです。当サイトでは、日経の本以外も紹介しています。経営・経済、技術系で書籍情報が集まるサイトは他にはないですし、時事テーマもフォローしています。しかも全記事無料、登録無しで読めることが魅力です。ぜひ一度覗いてみてくださいね。

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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