【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第48回 無数の『花より団子』を生み出すファンコミュニティアプリFanicon、「熱量の非対称性」を是正する10年計画

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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2021年12月、ファンコミュニティ運営と、インフルエンサーマーケティングを提供THECOO株式会社が上場した。Faniconという彼らのサービスを知る人はまだ多くないかもしれない。私自身、2020年音楽や舞台演劇を行うべき劇場が完全にストップしたとき、何か手段はないかと様々なライブ配信、ファンアプリなどを探していた時期にTHECOOに出会い、話したことがあった。あれから1年ほどして上場したTHECOOは、その後も多くのアーティスト・ファンを集め、逆に「共感の時代」「クリエイターエコノミー」など時代が少しずつ追いついてきた感がある。今上場して1年のFaniconから見えるアーティストとファンの関係性、その未来形について話を聞いてみた。

 

■"共感の型"を生み出す、無数の小規模ファンコミュニティ経済圏Fanicon。1人100人未満の「あなたの街の花より団子」を目指す

――:自己紹介からお願いいたします。

平良真人と申します。会員制ファンコミュニティアプリ「Fanicon(ファニコン)」とインフルエンサーマーケティングの2事業を展開しているTHECOOの代表取締役をしております。


――:2021年末に上場されました。会社名の由来は?

「色即是空・空即是色」を由来にしています。物質的な現象にはすべて実体がない、実態がないということは物質的現象である、という意味ですね。


――:般若心経ですね。物質的なものに頓着せずあるがままに、という、コーポレートの名称由来としては珍しいですね。Faniconさんは現在約2500組のタレント・ユニットのファンコミュニティを運営し、20万人規模のファンを集めています。

中山さんがMirrativ赤川さん、Gaudiy石川さんと話していた記事を事前に拝見しました、とても面白かったです。Web2.5というのは僕もよく言っているんですよ。我々のサービスFaniconは、それぞれのアイコン(Faniconを利用するアーティストやタレント)にファンが100人弱という小規模なもの、そのファンとアイコンとの関係性には極力ノイズは入れたくない。我々はファンコミュニティを作る手助けをして、アイコンはファンとの向き合い方を深める。ファンが色々な機能を使うために課金し、その課金金額から決済手数料を除いた額をアイコンと我々でレベニューシェアする、というのが基本的なビジネスモデルです。


――:事業としては広告運用やマーケティングの手伝いとなる「法人セールス」と、先ほどの「Fanicon」が主力事業ですね。

『花より団子』の世界を作りたいんです。あの学校にF4(Flower4)っていうイケてる4人組がでてくるじゃないですか。あのF4のように、どんな街のどんな学校や会社にでも、実は小さな“花より団子の世界"があるんじゃないかと思うんです。どんな小さなコミュニティでも自然とアイコンは作られ、Closedな場所で推されている人々がいるはずなんです。

これまで一般的にファンクラブって2,000人程度のファン数がいないと月額課金でも採算がとれないといわれてきたんです。それくらいの規模の課金するファンを抱えることってなかなか難しいですよね。でもFaniconなら数十名のファン数でもコミュニティが作れます。


――:なぜ、少人数のファンクラブができるようになったのでしょうか?

従来のファンクラブは、ファンがコンサートチケットの優先権を得るために便宜的に入るもので、その仕組みを各社ごとにシステム開発コスト・運営コストを払ってやっていました。でもアプリでFanicon内につくるのは簡単で、大規模コンサートを展開したり、限定グッズをつくるほどの規模でなくても、特定のファンとグループチャットができたり、メニューも自由に決められる。1コミュニティ当たりの開発コストも運営コストも低いんです。小規模のファンベースをもつユニットやバンドでも手軽に始められます。


――:Faniconはかなりマイナーな人も含めて大量のコミュニティがありますよね。効率だけ考えるとユーザーを呼び込むために有名なアーティストやレーベルと契約して専属のカスタマイズしたものを作ったりもしないのですか?

そこが弊社のこだわっているところです。大手芸能事務所の仲介役ではなく、あくまでファンとアイコンのつながりを作りたいんです。だからたとえばACIDMANの大木さんがそうなんですが、所属グループのファンクラブは別に存在していて、個人のコミュニティとしてFaniconを使っている、といったケースも多いですね。

コンテンツに関心があるか、人に関心があるかの違いで、ファンクラブやコンサートが前者だとすれば、Faniconはあくまで後者です。アーティスト個人の人間性やパーソナルな表現のためにあるようなサービスなんです。


――:そうなると交じりっ気のないタレントの個性とファンの間のものだから、ユーザーが回遊して新たに誰かを探してファンクラブに入る、みたいなプラットフォームでもないんですね?

はい、サイロになっていて、今のところ横に移動することはあまり多くはありません。Aさん1人についたファン100人がそのままAさんとのコミュニケーションのために使うものであり、AさんのファンがBさんに流れるのを誘導するような設計には今のところなっていないです。そもそもアイコンとそのコアファンにとって使いやすいツールを提供するサービスですから。


――:その積み上げで20万人というのはホントすごいですね。以前取材したTuneCoreさんのクリエイターエコノミーにも通じるものがありますね 。

ですから「ファンクラブアプリ」ではなく「会員制ファンコミュニティアプリ」という呼び方をしています。普通の人がどういうプロセスでファン化するんだろうということに関心がありますね。共感の型をつくっている要素が何なのか。

 

 

■非ロジカルな“意識低い系学生"、ロックンローラーか哲学者にという選択の末、伊藤忠商事に入社

――:平良さんはどんな学生だったんですか?過去のインタビューから勉強で苦労されていた話は拝見しています。

そうですね、中高一貫校である神奈川県の逗子開成の「中学」に進学しました。この学校がとても特殊で、昔中等部が廃止されて(1973年)以来、八方尾根遭難事故があって(1980年12月に山岳部5名と顧問教師が遭難、半年後に全員遺体で発見された。学校許可をとらない旅行であったため損害賠償の帰責をめぐって裁判)学校経営がゴタゴタしたところを、徳間康快さんが買い取って、改革の一環で中等部を再開した1年目だったんです。

 

――:おおーあの徳間書店の!?スタジオジブリを作った方ですよね。でも「開成」ってきくくらいだからすごいんじゃないかと

いや、偏差値はあまり高くないんですよ。6年制の中高一貫のなかで上2つの学年が無くて、高校生に囲まれた中学1年生という感じでした。


――:やっぱり徳間さんならではの、特別な教育があったりとか。

IT投資してPCも早めに導入したり、あと校風としてたくましく育てという考えがあり、ヨットの授業や海洋教育等もありました。


――:何度か海難事故とか遭難事故起こしている学校なのに、わりとそういうところは挑戦的に続けるんですね。

そうですね。そういうことも含めて自由さが際立った学校でした。


――:でも「一期生」ってすごい人多くないんですか?僕も昔APU(立命館アジア太平洋大学)の1期生の社会的ステータスをインタビューしたことありましたが、学歴じゃないサバイバル能力として1期で入ってくる人って職業的にも出世としてもすごくなっている人多かったですよ。

バラエティは豊かな学校でしたね。東大に入った人もいれば、職人になった人もいます。起業家はあんまり多くないですが。当時、僕はずっとロックンローラーか哲学者になりたいと考えていました。


――:そちらも他インタビュー記事で拝見したんですけど、なぜ??という組み合わせですよね。楽器は、やってたわけじゃないんですよね??

はい。大学で軽音部に入ろうとしたら「楽器弾けないのにロックなんてダメだ」と言われて笑。聞くのが好きだったので、レディオヘッドはよく聞いていました。あと映画も好きでしたね。ツインピークスのデヴィット・リンチ監督の作品は穴あくほど見ています。


――:「ロック」という概念自体に魅力を覚えていたんですね。そして哲学者というのは?

それも若気の至りというか、ロックンローラーになれないならと、哲学書を読み込んでいました。浅田彰さんの本とか、もう現代哲学ですね。大学のころですが、当時はとにかくサラリーマンになることがカッコ悪いと思っていました。いかに世俗から離れようか、ということを考えていた結果としての「ロックンローラーか哲学者」だったんだと思います。


――:一橋大学に進学されます。大学が1994~98年ということで、まだバブルを振り返る時代だったから、そういったものを敬遠されてたんですかね。就職活動はどんなところを希望したんですか?

言語学のゼミに入ったのですが、そこで「自分は勉強に向いていない」ということにも気づきました。ロックでも哲学でも食えないよねという当然の結論にたどり着いて、就職活動をすることになるのですが、それであれば「稼げる仕事をしよう」と思いました。それで海外にいける商社か、エンタメが好きだったのでマスコミをと思い、受けましたが、ほぼ全滅でした。就活は苦労しました。


――:何か思いはあふれるけど、何か秀でた学生体験をできたわけでもない、就職活動でもうまくいかなくて、というのは僕も全く同じで色々共感します笑。大学時代って部活とかバイトはやってなかったんですか?

放送研究会に入ってラジオドラマつくったり、ディスクジョッキーとかをやってましたね。でも自分はいわゆるホントに「意識が低い学生」だったなと今は思います。でも、そんな状態でも拾ってくれたのが伊藤忠商事なんですよね。


――:おお!いまや大人気企業ですけどね。商社冬の時代のちょっと前だからそれでもだいぶ競争率が高い超優良企業だったと思いますけど。

伊藤忠で後から聞いた話だと「体育会系ばっかりを偏って採用してしまいがちだけど、『ちょっと面白そうだよね』という人を採ってもいいんじゃない」という考えから僕が採用されたようです。実はもう1社NTTデータも内定いただいたんですが、その人事にも直接言われたのが「君みたいな人も、時には必要だよね」と。


――:1998年入社した伊藤忠商事ではどんなお仕事をされるんですか?

スカパーなど情報通信を希望していましたが、配属は鉄鋼部門です。保守本流の部署ですけど、意外に鉄ってIT・システムと関連性が深かったんですよね。


――:新日鉄ソリューションズとか、鉄鋼から生まれた優良システム会社多いですもんね。

高炉を24時間コントロールしなければならない仕事ですから、堅牢かつ精度の高いシステム開発が進む産業なんです。カルロス・ゴーン氏の日産改革もその点に注目していて、当時日産車は、エンジニア主導でだいぶハイスペックな鉄をつかってたいたのですが、それが少し高かったんです。そのコストは、知らないうちにユーザーが買う価格に転化されているわけです。そのような商慣習の中で商社の価値を提供していくために、ユーザーと生産者を直接繋げ、生産工程にジャストインタイムで原材料・部品等を納品できる仕組み作りに携わることができました。一方でITの世界では、ユーザー自身が自分でスペックを選んで、DELLのPCのようにクオリティとバランスを決められるようになっていたと。情報が価値をもって、“世界をフラットにしていく"。そんな世界を夢想して、どんどんIT・システムの世界にチャレンジしたくなっていったんです。


――:2001年にそれでドコモAOLに転職されます。商社の中だとなかなか部署異動も難しいですもんね。

Yahoo!やアマゾンなどIT業界の企業を受けて、ドコモAOLに転職しました。2年間ADSLのプロダクトマーケティングをし、先輩もいない先例もない状態で、どの地域にどんな販促をかけていくか、自分の頭で考えて、自分でリードしていく仕事を担当しました。


――:2003年にはソニー入社されます。これもネット系で、ISPの海外展開ですよね。

はい、今度はネットで海外の仕事もできる!最高だ!ということでソニーに転職し、2年香港にいて、その後は台湾に展開する仕事をしました。香港時代は駐在ではなく出張ベースで大変でしたが、英語でどんどんビジネスを進めねばならなかったので底力を養うことができました。その後香港ISP事業は売却し、今台湾だけはソネット台湾が残っています。


――:そして2006年からGoogleですよね、これはかなり画期的な時期に入られましたね。

六本木のセルリアンタワーにあって100名ちょっとの社員しかいなかった時期です。


――:当時のGoogle入った人ってやっぱりその後活躍されている人多いですよね?逆に残っている人って?

いや、ほとんど残っていないですね。外資のカントリーヘッドなどになった人が多く、基本的にはこの15年ぐらいでほとんど、外に出ているのではないでしょうか。Googleもホント面白くて色んなことやらせてもらいました。サーチ・検索連動広告のパートナー営業としてBizDev改革したり、辻野社長のもとで経営企画をやったり、SMB(中小企業)向けのビジネスの立ち上げメンバーとして入ったり。そこで今THECOOの創業を一緒にした下川 弘樹(現THECOO取締役COO)とも出会っています。


――:しかし10年の間に伊藤忠⇒ドコモAOL⇒ソネット⇒Googleとなかなか目まぐるしく転職されましたね。

いつでも「ちょっと背伸びしているくらいの仕事」を求めてきたので、チャレンジが収束してくるタイミングで次の職場に移っていった感じです。


 

■THECOO立ち上げ、コトでなくヒトで始まり、集まった5人で考えた新規事業

――:それで起業はどのように始まったのですか?

Googleで7年弱働いていたので、社内でもそれなりに仕事がしやすくなるなかで、転職のお誘いなども声がかかるようになっていました。でも大概同じような外資系のよりよいポジションで、待遇は上がるけど、同じことの繰り返しになるのではと。何か新しくチャレンジできることを探していたタイミングで、下川から「だったら一緒に起業しません?」と言われて。それまで一切考えてこなかったんですが、こんな優秀な下川(東大法学部出身でGoogle時代もとにかく優秀だったという平良評)が僕とやろうといってくれているなら、何かそれに応えないと、と思ったんですよね。


――:そういう起業の仕方もあるんですね。そのころはファンコミュニティのアイデアもインフルエンサーもなかったんですよね。

だからTHECOOって今もそういう社内文化があるのですが、何をやるかという「コト」ベースより、誰と働くかを大事にしています。とにかく一緒に起業してみたいという5人で起業したんです。このメンバーで働けるなら、というスタートで2014年に設立し(当初社名はルビー・マーケティングだった)、もともとGoogleで培ってきた広告運用のコンサルティング事業から始まっています。これが現在も「デジタルマーケティングマーケティング事業(旧:法人セールス事業)」として、会社の2つある柱の1本になっています。


――:ちょうど2014年だったこともあり、インフルエンサーマーケティングですね。

最初は運用型広告・SNS運用のコンサルティングをしていたのですが、ちょうどUUUMさんが成長しているタイミングで、インフルエンサーを使ったマーケティングが始まっていたんですよね。創業直後の14年夏に、とあるゲーム会社からYouTuberを使ってプロモーションしたいとの依頼がありました。実はお恥ずかしながら僕はその時「YouTuber」を知らなかったんです。あとでこっそり下川に聞いて、やってみようと即決しました。


――:たしかにまだまだ怪しい時期で、そんな広告、効果あるのか?って感じですよね。どうやってインフルエンサー探すんですか?

Googleにいたコネを生かして、YouTubeチームにイケてるYouTuberを紹介してもらいました。最初から英語で海外YouTuberなどとも契約していたので、日本のなかでは海外インフルエンサーまでそろえた最初の会社だったんじゃないかと思います。


――:かなり偶然の事業発端だったんですね。その後ファンクラブ事業でもあるFaniconを展開されます。こちらはどうやって始まったんですか?

ちょうどコスメ系YouTuber5人くらいのオフ会をやったとき、オフ会終了後、彼女たちにそれぞれ50人くらいの人だかりができて驚いたんですよ。ファンは彼女たちのことを知っているけど、YouTuberの彼女たち自身は、当たり前ですがそのファンのことを一切知らなくて。この“熱量の非対称性"を埋めるものが何かできないかというアイディアを、THECOOメンバーの星川が思いついて、形にしたのがFaniconです。


――:なるほど、インフルエンサー事業からそこにつながるんですね!平良さん社長ですけど、わりとアレですね。事業進めたり、アイデア出したりは、他のメンバーがやっているような・・・

僕ひとりに依存していないのがTHECOOの絶対的な強みですね!僕が中心に思いついたものはBLACKBOX³(ブラックボックス:THECOOが新宿に所有する撮影・配信スタジオ)くらいかと思っています。僕は、一般的に言われるような社長タイプではないんです。だから、せめて皆がなんでも思いつき言いやすい雰囲気をつくって、しかもそれを「作ってみたら?」と言える環境を整えて、仲間みんなでサービスをつくっていくような、そういう組織を目指しています。先ほどお伝えしたように何をするかではなく、誰と働くかが一番大事な会社なんです。


――:経営哲学ありますね。なにかそういう原体験あったりするんでしょうか?

自分1人では何もできない、という思いは昔も今もずっとありますね。そうそう、小学校の時に学級委員長に立候補したことがあって。背が低いから難しいよな、、、と思ってて、それでガム配ってました。賄賂ですよね笑


――:ガム笑!それは効果を奏したのでしょうか?

落選しましたけど、書記にはなれました。昔から簡単には手が届かないものをいつも目指して、足りない部分を、仲間と共に、頭とアイデアで補う、というところは、何か今にもつながっているのかもしれませんね。負けん気は強いほうなので。


――:ただ有名大学から有名企業を渡り歩いているのは「華麗なる転身」という感じもしますけどね。順当に経験値をもって起業されていたり。「自分はこの領域に関しては!」というものがあったりはしないんですか?

僕は自分がデキる人間だと思ったことが無いです。常に「身の丈にあっていないチャレンジをしたい」という気持ちだけで、転職してきたので、Googleで少し偉くなっていったときは、少し居心地の悪さを感じていたんです。タイプ的には、僕がいなくても続くシステムを作る、ということの方に興味があって、会社にとっての大事さでいったら、今でも僕よりも下川のほうが重要だと思うこともあります。

とんとん拍子にみえるかもしれないですが、毎度毎度キツイことはたくさんありました。ベトナムに運用型広告をソーシングする事業なんかも撤退していますし、現在に至るまで失敗も何度もしています。


――:そうした中で上場というのはどう決められたのでしょうか?

最初5人でうまくやっていましたし、そんなに多額の資金調達もしてこなかったんですよね。Faniconのときに初めてファンドレイズしましたが、その時もバリュエーション(時価総額)だけではなく、僕という人間やTHECOOの会社文化を尊重してくれる出資先とともにやってきました。

上場については、チームと会社をどうしていきたいか話し合ううちに、Faniconの知名度向上や、今後の人材採用、従業員の士気向上などを目的として、IPOに挑戦することは、とても意義のあることなのではないかと考えるようになりました。

  

■Google発の“水道哲学"、中小コミュニティの多様性を吸収して圧倒的シェアに賭けるFanicon事業

――:Faniconはそれまでのインフルエンサーマーケティングのアセットをベースとして2017年12月に開始されます。

タイミングもよかったんですよ。創業3年強で、そろそろBtoBではなくBtoCでスケールできるものを考えようというフェーズでした。当時はまだ社員20人、エンジニアも2人しかいない組織でしたけどそれでもFaniconを開発していきました。


――:そのまま順調に伸びたのですか?

そんなことは全然なくて、とても苦労しました。というのもインフルエンサー広告の会社だったのですから。芸能事務所だったりコンテンツ業界の人からすると信用されるブランドもなくて、最初の2年はまともに話も聞いてもらえなかったです。ほんとに泥臭く営業していって、少しずつアイコンが入ってくるようになりました。

伸びたのにはやはりコロナが一部影響していると思います。リアルのイベントができなくなったので代わりのツールをということでFaniconに入ってくれるようになりました。でもそれでも爆発的に、というよりは粛々と淡々と増えてきた感じです。


――:何かどこかの事務所や特定のジャンルに偏っているわけでもないですよね。

最初から全方位でした。これって実はGoogleのときの経験が強いんです。プラットフォームを狙うなら、それは必ずロングテールから始めるべきだと考えています。大手企業のヘッドからPMF(プロダクトマーケットフィット、サービスを市場に合わせていく作業)していくと過大なカスタマイズ要求がきてしまうんです。それをやりすぎるとtoCじゃなくてtoBのエンタープライズサービスになってしまいます。

Googleのアドセンスも最初の日本のお客さんってはんこ屋さんなんですよ。SMB(中小企業)が一番ニーズをフラットに出してくるから、最初は小さいところが皆フラットに使いやすいようにやっていくべき、という考え方があるんです。


――:効率はわるいけど、それが最終的には広がる方法ということですね。

はい、今のFaniconのユーザー数約20万人もちょっと成長が早すぎるくらいと感じています。10年くらいで考えていく話だと思っています。ガスや水道を、たくさん使ってくれるからって1つの企業だけに優先的に供給できないですよね?僕はずっとSMBビジネスをGoogleでやっていたので、サービスがSMBの多様性を吸収しながらよくなっていった実感があったんです。なるべくファンベースの小規模なアイコンから始めるべきだ、というのはポリシーとしてありました。


――:FanplusやSKIYAKIなどのファンクラブサービスとは違うのでしょうか?

はい、我々としては、FanplusさんやSKIYAKIさんのサービスを「ファンクラブ運営」だと認識していて、どちらかというとFaniconは「ファンコミュニティ」なんですよね。


――:「ファンコミュニティ」のなかでは、やはり一般的なアーティストの認知度・人気度とその実態って結構異なるものなんでしょうか?

いわゆる「コンテンツ売りしている人」だとファンは意外に少ないんですよね。やはりアーティストの人としての素、キャラクターとしてファンがついているかどうか、というところがFaniconとの相性だなと思います。僕もロックのファンですけど「曲として好き」というのがあっても、実はそのバンドのファンクラブには入っていないんですよね。

こういうこともふくめてFaniconを通して日々実験しています。「一般の人がどういうプロセスでファン化するのか」ということに日々向き合っています。共感がないとファンにならないけど、そもそも何があれば共感するのか。「共感の型」は定式化できるものなのか。


――:確かに「コミュニティの時代」といわれるなかで、いままで収入の多元化のように扱われてきたファンクラブ事業はもう一度見直されるべきタイミングなのかもしれません。

弊社ではカスタマーサクセスチームをつくっていて、その「共感の型」を作ろうとしています。例えばあるベテランアーティストのコミュニティは熱量がすごいんですよ。何十年も活躍されている方なのですが、常に熱心なファンに囲まれていて、本人も楽しんでいるのがすごい伝わってくる。実際のイベント会場にもなるべく足を運ぶようにしています。どんなファンがいて、どんな交流をしているのか肌で感じられるので。


――:チケットやグッズといった商売から逆算したファンクラブ運営というよりは、タレントとタレントに大きく影響を受けたファンがどんどん共感性を高めて深まっていくプロセスに伴走し、そのプロセスを支援できるようにサービスも多様さに耐えられるようにカスタマイズしていく。それは結果的に「儲け」かもしれないけれど、いまは「深さ」をずっと注視している、というふうに解釈しました。

そうなんです。テクノロジーはゴールではなくてあくまで手段なんです。そのため、「ファンを盛り上げるために使えるか」というところでYesにはならなかったNFTは、まだFaniconでは導入していません。ユニークな会員番号などは分かりやすかったですが、決定的なのは「Faniconはファンにヒエラルキーをつくらない」というポリシーがあり、それとバッティングがあったんですよね。NFTを導入したとすると、どうしてもファンのなかにヒエラルキーができてしまうところがあります。トライアンドエラーして、NFTをもっていることでファンが楽しめて、アイコン自身も楽しめる、そういう絵がみえたときに導入しようと思っています。


――:今後もできっこないに挑み続ける企業としては様々なチャレンジを続けていくことを期待しています。

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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