【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第50回 【マレーシア編】アニメ会社経営のR&D-OLMアジアが見せる海外子会社ポテンシャル

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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今回のマレーシア特集は大手アニメ制作会社オーエルエム(OLM)のマレーシア子会社OLM Asiaである。OLMAsiaは海外への技術移転が難しいとされる手書き2Dアニメのアートを中心に、Webtoonまで手掛ける異色の海外アニメスタジオである。設立2017年と比較的新しいこのスタジオが5年でなぜ100名規模の大型サイズになり、こうした多様な展開をするのに至ったのか。47歳で初めての海外赴任というチャレンジ幅の大きかった北嶋社長に話を聞いた。

 

  

■外注比率7割にもなるマレーシアの2Dアニメ制作会社。47歳初赴任で100名スタジオを創り上げる

――:自己紹介からお願いいたします。

OLMの北嶋秀彦(きたじま ひでひこ)と申します。アニメ制作会社OLMの取締役と、こちら2017年に設立しましたマレーシアのOLM Asiaの代表取締役をしております。

――:OLM Asiaは設立5年で100名を超えるアニメ制作会社になり、驚くべき成長速度です。前回、ポリゴン・ピクチュアズ・マレーシアの安宅さんにも取材しましたが、OLM Asiaの増え方について驚かれていました。

いやいや、なんとか突貫工事でやってきました。実はちょっと急いで増やしすぎたところもあり、一時期は140人規模にまでいったのですが、仕事の需給バランスやスキルも考慮して現在は100人というサイズで落ち着いています。日本本社のOLMが200名、CGなど手掛けるOLM Digitalが150名なので、マレーシアも合わせて500名近いグループになってきていますね。


――:OLMは1994年に創業された、キッズアニメの金字塔のような会社ですよね。

1997年からの『ポケットモンスター』シリーズはテレビアニメ版と劇場版をずっと手掛けていて、『イナズマイレブン』(2008~11)、『ベイブレードバーストバースト』(2016~19)などを手掛けてきました。中山さんのいらっしゃったブシロードの作品も制作させて頂いてますよね。


――:『フューチャーカード バディファイト』(2014~19)と『カードファイト!!ヴァンガードG』(2016~)ですよね。『BanG Dream!』の1期を制作したXEBECさんもOLMさんからのご紹介で始まりました。こちらのマレーシアではどんな作品を取り扱われていますか?グループ内のお仕事が多いのでしょうか?

最近ですと、名前は出しづらいのですが、大型の劇場版や、人気シリーズのロボットアニメなどの一部を担当しておりますね。外販比率(OLMグループ以外から売上を得ている割合)は7割ですね。本来は外販3割:内販7割くらいが安定性としては理想的だと思うんですが。


――:え!それは凄いですね!100名サイズで外販7割って相当だと思いますよ。海外子会社系ではゲームでもアニメでもそこまで外販が高いスタジオってあんまりないんじゃないですかね。以前あったFLYスタジオ(円谷フィールズグループのデジタルフロンティアのマレーシア子会社だったが現在は売却)も、そのくらいだったと記憶してます。

グループ会社だからって必ずしも優先されるわけではないですよね。本社も本社で色々な外注先との付き合いもあって、しかも中国のオフショア会社だと「24時間仕上げ」といってぴったり1日以内に依頼モノを戻す体制が出来ていて、そことの競争にもなりますしね。


――:24時間仕上げ、、、まあリテイクも何度もあるでしょうし、「完全な完成品まで24時間」ではないと思いますが。

人口って凄いなと思いますね。そういった会社は最終的には力業で仕上げてしまう。でも我々も我々で、コストに合う限りはクオリティを上げ続けていて、例えば先述したロボットアニメの案件では「外注先の中ではOLM Asiaのクオリティが最高です」と評価をいただいています。ロボットものって書き込みの量が多くて難易度が高いのですが、それをなるべくリテイク少ないプロセスで仕上げています。結構チェッカーのポジションをうまく入れたことがきちんと機能していますね。


――:アニメのコスト構造改革とか海外オフショアって日本のアニメ業界自体にとっても結構重要な問題で、こうして日系の外注先が育っていくことを、もっと日本のアニメ村であたたかく守っていくんだ!という感じもあるかと思ってたんですが・・・そういうのは無いのでしょうか?

村は村としての性質はありますが、「あたたかい」感じかどうかはわかりませんね笑。やっぱりコストが一番なので、日系だから優遇されるということはなく、人海戦術でやってくる他アジア系の企業には敵いようがないですし。アニメの依頼って結構先の案件が多くて、米国映像会社が2026年に向けてアニメ制作をやるときいて、そのピッチをしにいったりですとか、結構中長期的な案件を獲得して、少しずつ発注量を増やしてもらう、といった繰り返し、しかないですね。


――:しかし、マレーシアでよく2D主体のアニメスタジオ作れましたね。バンダイナムコスタジオマレーシアはゲーム向けアニメ、ポリゴン・ピクチュアズ・マレーシアは3DCGアニメで、確かにそれらはマレーシアの学校でも教えられてますし、スキルにはいける気がします。でも2Dアートって完全に日本文化で、あまり海外でいけている事例をみたことがないのですが。

そうなんですよ。他社もほとんどが3D、マレーシアの学校で教えているのもそちらが主体です。2D主体のスタジオはウチくらいで、あと中小のベンチャーが幾つかやっているくらい。だから2Dで描けるアニメーターは弊社内で育てるしかないんです。どう具体的に育成しているかはのちほど現場赤字江に聞いていただけると。


――:そして、そもそもどうしてマレーシアでスタジオ設立することにしたのでしょうか?

OLM社長の奥野と私の中で危機感が強かったんです。日本は人口減のなかでアニメ制作費も限られ、待遇がなかなか上げられない。スキルあるアニメーターがなかなか残らない状況になってきている。苦しいなかで「ジャパニメーションを残すのは、もう海外にいくしかないんじゃないか」とずっと思っていたんです。

それで言語(英語主体であること)、制度(Mdecなどの法人税優遇措置があること)、成熟度(GDPも高く、それなりの人材が育つ余剰があること)の3点でマレーシアに決めました。マレーシアって3400万人のうち、「富裕層」と言われる人々が2割いるのでそれだけで600万人。シンガポールよりボリュームは大きいのに、なぜかアピール下手なところがあるのか、タイやインドネシアの注目に挟まれて目立ちにくいんですよね。


――:確かにGDPとその富裕層ボリュームに比すると、なぜか「目立たない」ですよねえ。北嶋さんは海外暮らしというのはこれまでも経験されたきたんですか?

実は、2017年の47歳で初めての海外赴任でした笑。もう2名、システムとスタッフ管理を任せているあげむらと、櫻沢という現場の若手。これに加えて、イマジカからマレーシアをよく知るスタッフに、出向できてもらいました。このメンバーで赴任して一から作ってきました。何の仕組みもなかったので、もうマレーシア政府との交渉から、会社を作って人事ハンドブックづくりまで、なんでもやってきました。


■独立した立ち上げた広告代理店ビラコチャ、ポケモン案件で成長しOLMグループ入り

――:北嶋さんは、もともとは広告宣伝マンだったんですよね?

はい、代理店で車載音響機器「クラリオン」のテレビCMやメディア広告制作に携わってました。アゼストというオーディオ機器を売ってました。その前もアパレルメーカーで衣服をデザインする何千万円ものシステムを売っていたので、営業・広告畑の経験が長いです。


――:アニメとはもともと関係があったわけじゃないんですね。

1997年に創業した会社「ビラコチャ」が、2006年にOLMグループに入ったことがアニメ業界に入ったきっかけですね。代理店時代に天才デザイナーに会うんですよ。彼が会社を辞めると言い出して、僕はどうしても彼と仕事がしたかった。ちょっと待ってくれ、と。ただ彼から一緒に会社をつくってやるんだったら乗ってもいいけど、次もあるし半年しか待てないと言われたんです。もともと起業なんて一切考えてなかったんですが、そこで半年の猶予のなかで急展開で会社やめて新しい広告代理店を設立するんです。


――:1人のデザイナーのために、自分も会社を辞めるんですね!?

皆に失敗する失敗すると言われましたね。結果、彼と(その後亡くなる)最後まで一緒に仕事することができました。10名くらいの小さな代理店ではありましたが、当時想像していた以上に色々な大きな仕事ができました。


――:ビラコチャはポケモン劇場版のポスターやWeb制作などの仕事で有名ですよね。これはどうやって始まったんですか?

彼が「ポケモンの仕事がしたい」って言うんですよ。その天才デザイナーの希望を叶えるのが僕の役割だったんです笑。ちょうどポケモンが初めての映画を作っている時期と重なって、そんな中に足しげく通って、最初におはスタのロゴとポスターの仕事を頂いたところから始まってます。


――:ポケモンのゲームボーイ版の発売が1996年2月、ビラコチャ設立が97年3月、テレビアニメシリーズがその直後の97年4月から。ゲームとアニメの大ブームも受けて、小学館の久保雅一さん発案で始まったのが97年10月のテレビ東京の朝7時の『おはスタ -THE SUPER KIDS STATION-』ですね。そして劇場版アニメは98年7月。思ってみたら、絶妙な時期に独立し、絶妙にポケモンの仕事をすることになりましたね。

そうですね、独立がもうちょっと遅かったらこの仕事をすることはなかったかもしれません。またその彼がポケモンやりたいと言い出さなかったら・・・当時、僕自身アニメ詳しかったわけじゃないですからね笑。


――:でもそれでなぜOLMグループに入ることになるんですか?

ちょっと手前味噌な言い方になりますが、奥野が僕を必要としていたんだと思います。実はグループに入って何をしてほしいと言われたことがないんですよね。買われたあともとくに合併統合したり事業シナジーを求めたりといったことがなくて、僕もずっとビラコチャをこれまでのように事業をしてきました。だからOLMのことをあまり知らなかったんですよ笑、取締役会では色々経営側として動きは追っていますけどね。

最近部門別制度ができて、2020年に入ってから初めてOLMのなかでクリエイティブ部門の役員になったので、それがはじめてOLMの業務に入ってのポジションができたくらいです。


――:じゃあアニメ会社に詳しくなって、そのノウハウをもってマレーシアでも会社をつくるぞ、といった順番ではないんですね。

そうなんです。OLMとしては実はマレーシアの前にもいろいろ海外進出してきたんですよ。15年前には一度ベトナムにスタジオを作ろうとして、奥野と二人で視察に行ったのですが、送り込む人材が探せずにとん挫しています。2009年には米国ロサンゼルスにある3DCGのSprite Animation Studio(2002年にスクウェアUSAを手掛けていた榊原幹典によるスタジオ)を買収しています。


――:かの有名なフルCG映画版『Final Fantasy』のスクウェアチームがハワイでつくっていたスタジオですよね!(1997設立、2002にハワイからは撤退)

 

■日本とマレーシアで本質的な差はない。初任給7千円、野宿暮らしからマレーシアに飛んだデザインリードがみたアニメ制作の差。

――:今回、現場作業における違いをお聞きしたくて、Lead Designerの桜沢さんと制作進行のタンドリーさんをアサイン頂きました。櫻沢さんは日本からの赴任ですが、OLM入社以前から業界にいらっしゃったんですよね?

櫻沢:もともとはアニメ制作会社に5年ほど所属していて、カードゲームのアニメなどを制作していました。実はOLMに入社と同時にマレーシアに来たんです。面接で「君、海外とかいける?」って言われて、二つ返事で行けます!と言い切ったことがよかったのか、即採用になりました。


――:思い切りがいいですね!英語が話せたとか?

櫻沢:いや、全く海外経験はなく、英語もゼロでした笑。Google翻訳使いながら、毎日スタッフとご飯行っているうちに、カタコトで話したり、リテイクの指示出しとかは英語でできるようになっていきました。北嶋さんに「毎月5~10人ペースで増やすぞ」と言われてたので、どんどん採用して育成して、トラブル起こしたら間に入って、というのを繰り返してきました。だからLead Designerっていってもデザインはリードしてない何でも屋です。もともと動画検査(アニメが上手くできているか、線と動きのチェックをする動画班のリーダーポジション)の出身ですし。


――:5年間はどういうキャリアを歩まれているんですか?

櫻沢:動画マンでした。普通は月400~500枚を描きあげるんですが、自分は月1000枚とかとにかく量を描きまくるタイプで。でも激務で体調を崩してしまったんですよ。休みなく描き続けてたら、倒れてしまって。


――:アニメーターの職業は激務ですよね。待遇面も含めて色々話題になりがちです。

櫻沢:給与は安いですよね。僕は最初の2年が中小のアニメスタジオだったのですが、初任給が「月給」7600円でした。


――:え、7千?月給??日給じゃなくて!?

櫻沢:はい、出来高だということもあるんでしょうけど、マジです。それがちょっとずつ上がっていくんですよね。初月7600円で、3か月したところで月2万円にあがって。先ほど言ったように人の2倍描くタイプだったんですが、1000枚描いてようやく月12万円。ちょうど1枚150円ですかね笑。動画マンって平均的には月6万円くらいなんですよね。


――:か、過酷すぎませんか?まず一人暮らしができないです。

櫻沢:まあ1社目の中小が激安すぎたので、3年目に転職した先に入るとその2倍になりましたけどね。最初の会社のときは、一時期実家にいづらくなっちゃったときに野宿暮らしだったんですよ。


――:え、えええ??家がないんですか?公園で寝るんですか?

櫻沢:はい、段ボールハウスでしたね笑。シャワー代がなかったので100円のシャワーを同僚と半分こして30秒ずつで体を洗って毎日会社に行ってました笑。


――:ちょっと想像を絶します。そういうのからするとマレーシア暮らしなんて屁でもなさそうですね。

櫻沢:まあ僕の場合は過剰に適応力があるので、それでも楽しくやってましたし、今のマレーシアは天国みたいなもんですね笑


――:そんな状態だと親御さんも反対しますよね。

櫻沢:アニメの専門学校にいこうとしたら全力で止められましたね。「そんなの仕事でもなんでもねえ!!」って怒られて。それで実家に帰れなかったんで、先ほどの野宿暮らしになった状態です。机もあるし、家にも帰れるって最高ですよ!!


――:先ほどからドン引きしまくっているタンドリーさんにもお聞きしたいです。マレーシアでもアニメーターの職種ってこういう性質あるのでしょうか?

タンドリー:いや、、、結構、やばいですね(絶句)。櫻沢さんみたいな事例は聞いたことはないのですが、普通家はあります笑。まあ中国でもマレーシアでも、イメージとしては高くはない職種ではありますね。


――:タンドリーさんはなぜOLMに入ったんですか?

タンドリー:僕はインドネシア出身で、そこから中国・広州の大学に留学していたんです。それで戻るときにアニメの仕事に興味があったんですが、インドネシアだと西洋系アニメがほとんどで日系が少ないんですよね。色々応募した中でOLMに採用してもらったんです。確か2019年でまだ3人目の社員でした。


――:どういう基準で皆さんOLMAsiaに入りたいと思うんですか?

タンドリー:『ポケモン』や『ベイブレード』のアニメが作れるというのはアピールでしたね。そのほかもCMなど見ているとOLM Asiaのテロップが載っていたりする。そういうのをみて、この会社で働きたい!と応募してくれる人が増えます。だからやっぱり人気になるアニメ作品のクレジットが大事ですよね。


――:タンドリーさんは制作進行なのでちょっと違うかもしれませんが、櫻沢さんは現場アニメーターをどのくらいのスパンで育てるものなんですか?

櫻沢:だいたい合計8~9か月くらいですね。ただ教える側もこれを効率化していっています。例えば「動画」(原画でキャラクターの1枚絵を描いてある状態で、その間を埋める前の構図を動かす間の絵を描く)を教えるのには65タスクあって、これを3か月フォーマットで教えていたのですが、最近ですと教える側も慣れてきていて、いまは2カ月で全員がこなせるようになっていきます。
日本のように枚数出来高ベースではないので、残業すればするほどコストもかさみます。だからこそ効率化して、より短納期で一人前になり、工程を効率化するメリットもあります。


――:3D系と違って、2Dでいうとマンガ描いてた人とか、イラストレーターとか、結構違う職種からのコンバートもあるのかなと思うのですが、どうなのでしょうか?

櫻沢:よく聞かれるんですけど、個人的には結構違うと思っていて、やっぱりキャラクターや絵を好きな人はマンガにいきますけど、動画やる人って「動きに興味がある人」なんですよ。アニメって「時間」が非常にセンシティブで、原画の2枚の間に、その秒数の間にどうキャラクターとストーリーを動かすかが大事なんです。こう手のひらを開く過程で、何枚で割って、どの指から動かすか、この「動かし方」に絶対的なセンスの違いが出ているし、よくモノをみてるかどうかも表れます。だから動画はアニメ業界の登竜門みたいに言われますけど、動画と原画で発想方法って結構違うんですよね。
 

▲左からOLMAsiaの制作進行Tandri氏とLead Designer櫻沢翔吾氏


――:描き方も違いますよね。アニメは動画になる前提なので、あまり「個性」を出しすぎる線は量産が難しい。

櫻沢:アニメとマンガの線は絶対的に違いますよね。アニメって量産のために「均質な細い線」なので、単体でみるとインパクトが弱いんです。それに対してマンガはダイナミックな線を描けます。ただ1アニメーターがマンガっぽい線を描いてしまうと、それは他のチームにも迷惑をかける「禁忌を犯す」みたいな感じがあります。動画・原画・背景って皆同時並行でバラバラの作業してますからね。

――:原画は日本で、動画は海外で、というふうになっていくのでしょうか?

櫻沢:もう動画だけで食べていくのは絶滅危惧種みたいなものですね。このマレーシアスタジオのように動画はどんどん海外オフショアに出ている状態で、日本のスタジオだと原画が足りないので半年もさせたらすぐに動画から原画に上げてしまいます。ただ海外は海外で、「自動仕上げ」みたいな形でAIによる動画生成などもできる時代に入っていて、最終的には動画検査としてチェック人材部分だけは残っていくので、そうしたAI技術による追い上げも一番食らいやすい職種です。

――:逆にアニメからマンガに、という人も結構いらっしゃるんでしょうか?OLMAsiaではWebtoonの制作も開始されていると聞きました。

100名いるスタジオでも希望者を募ったら3人しか手があがりませんでした。これがアニメとマンガの差だなと感じました。アニメーターからマンガにするのも、また全然違いますよね。だから基本的にセクション移動はそんなにさせてないです。


――:日本とマレーシア、2つの国でアニメ人材の違いや差ってどのくらいあるのでしょうか?

櫻沢:あんまりないです。一点、新卒で入ってきたときの差があるとすれば、「わからないことがわからない状態」のところだけです。日本は少なくともアニメ文化があって、たっぷり見てきた後に専門学校で学ぶ機会もあるので、就職するときには「わからないことはわかる」状態なんです。このマレーシアでも最初に教える一番重要なところは、全体プロセスをみせて、その状態にもっていくことなんです。

逆にいうと、ここまでの違いでしかありません。わからないことが分かったマレーシアスタッフはその後でいうと成長曲線は日本スタッフと同じです。むしろ熱意があって、日本アニメーターが顔負けになるような技術を習得するスタッフもいます。

 

■アニメ業界に「経営」を持ち込む。“外の知"を使ったタピオカ経営

――:北嶋さんに再びお伺いできればと思っています。広告代理店も経営されていた立場からみると、アニメ会社の経営ってどうなんでしょうか?

これは東宝出身の人間が言っていたんですが、「アニメ会社は経営というには介入ポイントが長すぎる」という話があります。広告だと2~3か月単位で仕事を取り続けないとどんどん売上が不安定になるんですが、アニメって年単位でラインが埋まればあとはずっとそのままいけちゃうんですよね。だから1案件を取ることがクリティカルではあるのだけれど、1度とってしまえば上の人間はやることはなくなる、と。まあマネジメント問題はしょっちゅう起こるので暇になるというわけではないのですが、他産業に比べると経営が担っている役割は小さいのかもしれません。


――:個人的には「アニメ会社の経営改革事例」をもっともっとピックアップしていきたいんですよ。アニメ会社で北嶋さんのような外部人材入れていったり、うまくV字回復させたり“経営としての"成功事例ってあるものなんでしょうか?

確かにそれはあまり聞かないですね。アニメってビジネスやろうと思ってアニメ制作会社立ち上げる人ほとんどいないんですよね。ほとんどは現場からあがっていって、チームをまとめてるうちに社長になる。若手時代に恵まれていなかったから、経営者で自分の裁量で経費使うようになると、急に自分の給与をあげたり、六本木で飲み歩いたりしてしまう。アニメは国策とか言われますけど、やっている企業一つ一つは「中小企業」の枠から脱せていないんですよね。


――:「アニメ制作をやっていなかった」ということもアドバンテージになるんだと思うんですよ。僕自身、版権処理のやり方から、ゲーム開発の手法まで、日本の優秀な人材が持ち込むものより、海外現場で突貫工事でつくったもののなかで「発明」を見ることも多かった。

一度櫻沢とも喧嘩になったことがありましたね。マレーシアで職種を再定義するときに、動画と仕上げを一緒にやって、その分収入を倍にしてあげればいいじゃないか、と僕が言ったんです。無理に分業しているから貧すれば鈍する状況になっていると言っても、彼が「北嶋さんはアニメのことは分かってない!アニメってのは・・・」とグチグチ言うので、もう帰れと。日本のものそのまま持ってくる人間は必要ない、といって空港で追い返そうとしたこともありました。

そんな彼もマレーシアに来て、これまでと違うやり方でも色々通用することを学んで切れたと思っています。


――:それで結果、動画と仕上げって、一緒には・・・

できちゃいました笑。そういうことだと思うんです。場所も人も変えてやってみたときに、意外に今までの「思い込み」が解けることもある。マレーシアで会社を作った利点は、そういう日本ではできないR&Dをいっぱいすることだと思うんです。ここでWebtoon作っている話もそうですよね。


――:それは驚きました。アニメ制作会社でWebtoon作っているところって、あるんですか?

弊社以外だとあまり聞かないですね笑。これも、僕がアニメ屋じゃないから出来たんだと思います。相談があったのでまずはやりたい人間でやってみよう、と部署を立ち上げました。

アニメ制作会社って結構“作品"を作り続けてきたから、プライドが育ってしまっている面もありますよね。国内でじゃあいきなりWebtoonやるかというと、まず着手するところに敷居があるんです。「いまタピオカが流行ってるんだから、我々もタピオカ作るんだ。タピオカつくるつもりでやれ!」みたいな感じです。手をぬいて作れって意味じゃないですよ?

――:お聞きしてると、北嶋さんと櫻沢さんの組み合わせもよかったんでしょうし、やっぱり「日本本社」でやれることと、「海外子会社」でやれること、レベルが高ければ高いだけ守るものもできてしまうなかで、R&Dができる場所も人も別種の組織がグループにあることの強さみたなものを感じます。

それはありますね。CGをインドに外注したことがあって、意外にやってみるとクオリティもいいんですよね。マレーシアスタッフが英語だからすぐそういうこともできるのですが、日本からですと相当にハードルが高い。こういうことの積み重ねで、会社がグループとしてよりサステイナブルで成長機会を逃さないものになると良いな、と思いますね。

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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