【連載】データ分析業界大激変。data.aiを飲み込むSensor Towerが起こす日本企業のマーケティング力革命……中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第93回
今一番売れているアプリは毎月いくら稼ぐのか。日本・北米・アジア各国でどのくらいダウンロードされるのか。そうした「市場データを見る」ツールとして過去10年ずっとドミナントであった(上位100社の9割が使っている)data.ai社(旧App Annie)が2024年3月にその2番手Sensor Tower社に買収された(関連記事)。デジタルマーケターであれば皆が使っているようなサービスであっただけに、界隈では衝撃とともに受け止められた「小が大を飲み込む」話でもあった。今回の買収を通じて、日本企業のデジタルマーケティングは何か変わりうるのか。ゲーム業界に長く身をおき、Sensor Towerの日本代表を務める谷内氏にインタビューを行い、「日本企業にとっての海外市場の向き合い方」を 見つめてみた。
【目次】
■世界最大のデータインテリジェンスサービス誕生
■日本になじめなかった帰国子女、任天堂初のデータ分析担当に
■5年で7社、続くゲーム転職生活で自信喪失のなか初めてライブ配信の起業
■港区サッカーチームでオーバーヘッドキック決めたら40億の起業資金。ライブ配信プラットフォームExtractor.live
■2年前の営業を覚えていて2021年日本進出の声掛け、圧倒的劣勢ななかでのSensor Tower日本立ち上げ
■Sensor Tower Japanが打ち勝った3つの勝因。ダウントレンドの日本市場でまさかの中国超え
■外資企業からみた日本市場の難しさ:人材確保、日本的意思決定、プロダクトローカライズ
■世界最大のデータインテリジェンスサービス誕生
――:自己紹介からお願いいたします。
谷内 照吾(やち しょうご)と申します。2021年2月にSensor Towerの日本オフィスを立ち上げ、それ以来チームリードをしております。
※App StoreとGoogle Playのモバイルアプリ/ゲームを中心に、ダウンロード数・(推定)収益・アクティブユーザー数など「モバイルの世界においてKPIを分析」をするために不可欠なツールを提供してきた2社
――:Sensor Towerがdata.aiを買収したというニュースは大変驚きました。モバイルアプリのデータ分析においては2010年代半ばからdata.aiは“キング"のような存在でした。それをSensor Towerが追い上げていったわけですが、すごい“ジャイアントキリング"的な買収でしたよね。谷内さんとしてはどう感じられたんですか?
実は正直な話「ちょっとショック」でもありました。まさに中山さんと私が最初に会ったのは2021年2月に日本支社を作ったばかりの頃。そこから3年かけてかなり日本市場でdata.aiを追い上げていたので、突然ライバルを失ったという意味でのショックでした。
▲Sensor Towerもdata.aiもこうしたアプリのDL数・収益推定規模などを指定した時期で地域別にまとめてくれる、モバイルサービスのマーケターには欠かせないサービスである
――:いや~当時大変失礼な話、僕は「いまから新規でですか?難しいと思いますけどね」みたいなことをお伝えしてしまっていた気がします。。。2022、23年とコンサルからゲーム会社からどんどんSensor Towerを使ってますという会社が増えていって驚いておりました。
いえいえ、みなさまそんな感じでしたよ。合併前までに日本社員は5名になり、顧客の数も数十社に及んでいましたが、それが買収によって日本全体で15名、顧客の数も数百社になりました。
――:日本で「モバイルアプリKPIのインテリジェンス」といえばこの2社でしたからね。僕のイメージはニールセンがビデオリサーチを飲み込んで、「視聴率とれるのはこの1社だけ」になるような印象です。
全世界では、今回の買収によって400名体制になりました。同業界でいうともう競合はいないと言ってくださる方もいます。ASO業界でちょっとデータも見ることができる、みたいなものもあるにはありますが、基本的にモバイルアプリのデータを見るにはdata.aiに迫っていたSensor Towerが「小が大を飲み込んで1社になった」と言える状態かもしれません。
――:中山は2013年くらいからもう10年以上使ってきましたが、とれるデータもどんどん増えていきましたよね。
はい、最近はモバイルアプリだけでなく、Webのデータもとれます。どちらも使っていた中山さんはわかると思うんですが、どういう広告クリエイティブでダウンロード数が急増しているかや、ユーザー属性(ユーザーの性別・年齢・地域別分布)までとれるようになってます。
――:そうそう、そうなんですよ。そこまで有名ではないIPのゲームアプリを出すんだけど、これ謎にインドネシアでだけかなり高めに数字でてるよね、とか、逆に他社アプリがどんな広告を出してうまくいっているのかな、とか。
そうなんです。買収によって今後システム的にも2社でマージはしていきますが、Sensor Towerの強味の1つに、表示できる対象地域が広いことが挙げられます。モバイルアプリ/ゲームのグローバル化は今後も加速すると予想しています。日本のパブリッシャーの方々が海外展開を検討されるときに、Sensor Towerをご活用いただくことで、収益やダウンロード数のみならず、広告チャネルやクリエイティブ、ユーザー属性、競合他社の戦略などあらゆる側面で各市場を分析することが可能です。これにdata.aiのデータや知見が統合されることで、より精度の高い、盤石な分析プラットフォームになると信じています。
■日本になじめなかった帰国子女、任天堂初のデータ分析担当に
――:谷内さんはいくつか外資企業も経験されています。もともと、どういう生い立ちだったんですか?
私はいわゆる“帰国子女"でフィリピン生まれ、その後ベルギーなどで幼少期を過ごしてから一度日本には帰ってきました。父が外交官だったのでとにかく色々なところを赴任していましたが、小学2年生からアメリカにいって、その後はずっと日米をいったりきたりという感じです。中学1年生のときに日本に戻った時はもう漢字もろくに書けないし、日本の社会に全然なじめなくなってました。
――:いや、そりゃそうですよね。海外で育つと、日本の漢字を身に着けるのがいかに大変なことか。しかも中学校って日本育ちにとってすら一番難しい時期ですよね。
中学でも苦労はありましたが、もっとひどかったのは高校入ってから。当時はまだ体罰もあった時代で、服装がちょっとでも乱れてたら殴られる理不尽さに耐えられなくなって、もう中退して自衛隊に行くか、海外の高校に行くかで悩んでしましたね。
そして親に断って一人でワシントンDCの全寮制の私立高校に転校しちゃったんです、耐えられなくて笑。そしたらその後に父親が偶然ロサンゼルス(LA)に転勤になったので、もう一度米国内でワシントンからLAに転校し、そのまま大学まで進学しました。
――:逆によくその後日本に帰ってきましたね?そのまま米国でずっと就職しそうなコースですが。
入学はカリフォルニア大学のサンタクルーズ校でした。いま世間をにぎやかしている水原一平さん(大谷翔平の通訳)が隣のリバーサイド校です。でも大学入ってから父がまた日本に赴任戻りになって、そうなるとアメリカ国民としての扶養枠に入らなくなるので、学費が急に倍以上になっちゃうんです。
それで経済的に難しくなって日本に戻らざるを得ず、早稲田大学に編入してそのまま卒業しました。
――:そうか、中学~高校で嫌な思い出もあった日本に、大学の途中で帰ってこざるえなかったんですね。就職はどうやって選んだのですか?
私は1社しか受けてなくて、任天堂だけだったんです。落ちたら自衛隊にいこうと思っていて。
――:なんですか、その選択肢はwエンタメに興味があったんですか?というかちょいちょい「自衛隊にいこう」と悩むのはなぜなんですか?
父が国の仕事をしていたので、憧れがあるんですよね。お金もかからないし、何か国のために働くこと自体が私には大事なことだと思っていて。もともと起業したいという志向もあるなかで、最初に受けた任天堂に拾ってもらったという感じですね。2005年4月は同期が80人と一番採用が多かった時代で、ちょうどニンテンドーDSの好況が始まる時代でしたね。
――:いや、そんな大人気の任天堂によく1社中1社で受かりましたよね。ゲームは詳しかったんですか?
人並ですよ。任天堂って当時はゲーマーすぎる人はとらない傾向があるって噂で、面接のときにも「ゲームは好きだけど、そんなにたくさんやってないです」というスタンスだったのが逆によかったと入社後に言われましたね笑。
――:最初の配属はどこだったんですか?
海外事業部ですね。最初の2年はアジア担当として韓国、香港、台湾テリトリーを担当していました。ただ英語があんまり生かせなくて、本当はダメなんですけど上司に怒られながらも当時の岩田聡社長(1959-2015、2000年以降任天堂社長)にガンガン企画を提案していたんですよ。そうしたら「なんか不思議な新人がいるね!開発にそんなに興味があるなら〜」というので企画開発部に配属してもらって、3年目にやった仕事がWiiのバーチャルコンソール(過去のゲームをネット経由でダウンロードして遊べる。2006年12月よりサービス開始)でした。
――:いまでいうNintendo Switch Onlineですよね!そうか、あれはWiiが最初の取り組みなんですね。昨日も息子と『くにおくんのドッジボールだよ全員集合!』(1993年、テクノスジャパン)をやりましたよ。
「くにおくん」は私も少し関わっていた作品ですよ!!担当者4人でほうぼうから作品を集めるんですが、くにおくんのデバッグも仕事と称して少しやってました笑。あとは『Metroid: Other M』(2010、TeamNINJA)にも関わらせてもらって、それが入社して一番大きなプロジェクトでしたね。
その後ネットワーク事業部が立ち上がって、私は任天堂Eショップ運営チームに配属され、2011年に任天堂で初めてとなる「分析チーム」が出来上がるんですよ。何が売れていてどういうニーズがあるのかという任天堂のプラットフォーム向けコンテンツを探してきたり、人気があるコンテンツを分析する仕事を行っていました。
――:なんと、社内インテリジェンス!それって、まさに今につながる仕事じゃないですか。
そうなんですよ。でも実は私はその仕事が嫌いになってしまうんです。当時はお世辞にもデジタル化されていたとは言えない仕組みで、任天堂アメリカも任天堂ヨーロッパも読むようなレポートを、日本の私1人がExcelにずらっと並べた数字を分析してレポートを作って、それを「てにをは」まで直されながら毎週社内の重役の皆様に出し続けるのが苦痛でしょうがなかったです。まず、Excelに数字を吐き出すのにパソコンで5時間以上かかってました。
――:なるほどー、意外に分析好きってわけじゃないんですね。それで転職されるんですか?
退職を決めた直接の原因は、ニンテンドー3DS(2011年2月発売)になって3Dコンテンツを扱うようになったときです。私は先天的にあれが「見えない」んですよ、物理的に。人口の2割くらいそういう人がいるらしいんですが、見えない自分がずっと担当していていいのか、と相当な葛藤がありました。
もう7年も在籍していて仕事もやりがいがあった任天堂でしたが、その時も「じゃあ今度こそ自衛隊いこうか」と「ちょっとそろそろ起業しよう。そのために知識をつけよう」というのがあって、いったん先を決めずに退職を決意しちゃいました。
■5年で7社、続くゲーム転職生活で自信喪失のなか初めてライブ配信の起業
――:しばらく短い転職を繰り返してますよね。これ、中山も全く同じ時期に同じような感じだったので非常にわかりますが、、、
基本的にそこからモバイルゲーム業界に入って行きました。まあ一番その業界の景気がよかった当時、あまりに職場が整っておらず、転職を繰り返すことになります。長男が小学校に進学して可愛い盛りに家族と過ごせないのが嫌だったんですよね。
――:2012年4月にGREE入社からですよね。「任天堂の倒し方知ってます」の時代ですよね笑(2012年12月に夕刊フジにジャーナリスト石島照代が友人が面接に受けに行ったときに若いGREEの面接官が「任天堂の倒し方、知らないでしょ?オレらはもう知ってますよ」と発言したと聞いたと記事にだしたことがきっかけで噂が広まった)。当時会社には任天堂出身者はいたんですか?
いえ、GREE史上はじめての任天堂出身者だったようです。入社した初日に朝4時まで帰れなくて、翌日出社したときに「谷内くん、顔色わるいから今日は早く帰っていいよ」と夜22時に言われたときに転職を決意していました。入社して2日目です笑。
そうした中であの「任天堂の倒し方知ってます」事件がおきるんです。私はもう恥ずかしくて恥ずかしくて街を歩けないような気分になりました。それを言ったのが谷内じゃないかという噂まで立ってしまって。本巣の同期や先輩にも顔向けできないですしね。
――:GREEでは何の仕事をされてたんですか?
ローカライズの次期リーダーでという話だったんですが、なぜかコールセンターのシステムを組む仕事に配属されてました。英語も使わないし、いったいなぜ自分がその配属なのかといろいろ悩みました。
――:共感しかないですね笑。当時のDeNA/GREEに言いたい!面接時にいっていた仕事と配属が全く違うのは大問題ですよ、ホントひどかった。
GREE10ヵ月の後のMarvelousも数ヵ月だけで、そちらも同じ理由で初日から深夜残業でした。転職3社目がDeNAで、2013年10月だからもう中山さんも辞められていたタイミングですよね。
――:しかしよくDeNA入れましたね?当時2社の競争は熾烈すぎてGREE出身者見たことなかったですよ。
DeNA初のGREE出身者だったようです笑、同時にDeNA初の任天堂出身者。そのあとDeNAにはもう1人任天堂の先輩で入社した人がいましたが。
韓国担当のプロデューサーになって、7人チームのなかでゲーム開発会社を探して日本でそのゲームをリリースする仕事でした。こちらでも深夜残業が続き、もう無理だ無理だと働いているなかで「谷内くん、あと2本お願いね」と言われて退職しています。
――:もう全部同じパターンじゃないですか!
次のGameloftもそうでしたね。深夜残業で上司から怒鳴り散らかされる。もう自分に何か問題があるんじゃないか、ゲーム業界が向いていないじゃないかと思っていたところ、2014年に入ったMoravia(チェコの会社)と続くBlueStacksは非常にホワイトで安心しました。ちゃんと働ける会社でしたし、BlueStacksでは結構成果も残せました。
※BlueStacks:特定のハードウェア・OS向けに開発されたソフトウェアを本来仕様と異なる環境で動作させる「エミュレーター」の一種で、2012年ごろからAndroidのスマホでしか遊べないゲームをBlueStacksを通してPCでプレイできるサービスを提供。2018年時点で3億DLがされ、DMM GAMESと業務提携していた。
――:僕もBlueStacksはブシロード時代に検討していましたよ。エミュレーターですよね。
そうなんです。BlueStacksでの働き方は今のSensor Towerと近いですね。日本支社に誰もいないところで、1営業担当として米国サービスを日本企業に売り込んでいく。1人でシェアオフィスのレンタルスペースで2帖くらいしかないところで働いていたんですが、年間2億円も売り上げるようになっていて。「2帖で2億」で世界で最も効率的に稼いでいる人間だといわれましたね笑。
――:エミュレータービジネスはあのあと大きくなったんですか?Googleとしては嫌がるサービスでもありましたよね。
だから大々的にサービスを展開しづらいとこもあって、ある程度で伸び悩みましたね。2016年からのVMFIVEも台湾で開発されたプレイアブル広告用のソフトを日本国内で売る仕事でした。ここを経て、2016年にようやくExtractorという自分の会社を立ち上げました。
■港区サッカーチームでオーバーヘッドキック決めたら40億の起業資金。ライブ配信プラットフォームExtractor.live
――:ついに起業ですね。任天堂の20代、転職生活の30代前半ときて、ちょうどそのタイミングで起業したのはなぜですか?
投資してくれる方が見つかったからですね。社会人チームでサッカーやっていたんですが、港区のチーム公式戦で奇跡的に人生初のオーバーヘッドキックで決勝点を決めたんですよ。そしたら「君持ってるね」と声かけてくれたのがその投資家の方で、その人に起業構想としてSHOWROOMのライブ配信的+ゲームのアイディアを出したら、「それぜったい売れるじゃん!40億円出すよ」と言ってくれて。
――:オーバーヘッドキックで40億!?ちょっとエンジェルにしては高すぎですよね!?
そのくらい気に入ってくれたんだと思います。ただ、積極的に採用して8名チームになって、5000万円ほど使ってサービス開発していたタイミングで急にその投資家の方の事業が調子悪くなってしまって、そこから自腹の苦しい日々です。起業資金も尽きるし、全部自分の給与ゼロにして、なんとかサービスリリースさせようと必死でもがいていました。
――:モイの「ツイキャス」(2010年2月)やSHOWROOM(2013年11月)で始まった業界ですが、ちょうど「17LIVE」(2015年6月)とかMirrativ(2015年8月)が出てきて盛り上がってきたタイミングですかね。
2017年8月の「Extractor.live(エクストラクター.ライブ)」というサービスだったんですが、秋葉原のノクトルナスタジオからWebブラウザベースで配信して、リアルイベントとオンラインイベントの融合というのがコンセプトでした。吉本興業さんが出資してくれて(2017年9月の東京ゲームショウで提携が発表された)、そこからLeo the football(YouTubeチャンネル登録者数28万人のサッカー情報配信者)も所属し、ある所属配信者は『はねろ!コイキング』の配信をやったら瞬間的にDL数が飛躍的に伸びたり、プロモーションはほとんどかけなくても一部の配信者は1時間で20万円稼げたりと、だんだん視聴者も増えてそれなりの成果は出せるようになってきました。
――:それはサバイバルしましたね。当時のライブ配信はホントに競争が多くて、2017年1月のPocochaが出たあたりから熾烈だった印象です。
はい、そうした中ではうまく生き残れそうなトレンドに乗っていたのですが、手元の資金ではやりたい開発が実現できず、自転車操業状態になりました。そこで吉本興業の芸人さんとのイベントもコロナなどの影響をもろに受けてしまいました。
実はその時期に「このままでは危ない」といろいろな事業ピボットを模索していて、Sensor Towerにも日本支社設立を提案していたんですよ。
■2年前の営業を覚えていて2021年日本進出の声掛け、圧倒的劣勢ななかでのSensor Tower日本立ち上げ
――:え、日本支社もまったくないときですよね!?自分の起業をしていたさなかで、新事業提案していたということですか?
そうそう、App Annieはあったんですが、サービスを見比べててこれはちょっと営業の仕方によっては勝てるんじゃないか、と。だから「私がSensor Tower Japan作るけど一緒にこの市場をやってみないか?」ってメール送ってたんですよ。
※data.ai(旧:App Annie):2010年にサンフランシスコで創業したアプリパブリッシャー上位100社の9割以上が利用するアプリ調査会社。日本は2012年にオフィス開設、その後Distimo(2014年)やModibia(2015年)など買収を続け、2017年には登録ユーザー(法人でアカウント登録する分析者の数)100万人を突破した。
※Sensor Tower:2013年創業で2020年にRiverwood Capitalから4500万ドル(約60億円)を調達。
――:大胆な提案ですねーすごい!
当時のSensor Towerはアメリカ本社で中国と韓国に進出し出したばかりの20-30人の組織で、まだ日本に注力できる余力が無かったんですよね。「日本支社に割ける工数がない」といって、その時は断られたんです。App Annieだってたった2人から始めた会社なのに、もったいないな~今チャンスがあるのに、と思ったのが2019年ですね。
――:そこからどうやって2021年2月にSensor Towerに入社するに至るんですか?
2020年5月にSensorTowerが4500万ドルを調達したんですよ。それで「あの時面白い提案してくれたよな?今が攻めるときだ!」みたいな感じで連絡をくれて。その時点では、Sensor Towerは全世界で75名くらいのサイズでした。
――:でもあちらからしたら掘り出し物ですよね。Extractorはどうしていたんですか?
当時は自分以外にこの仕事をこなせる人間はいないと自信を持っていました笑。社内に日本市場がわかる人材は皆無だし、日本支社を大々的に作って人材募集を始めるほどのお金も出せない。そこで、米国企業のゼロイチ日本展開やったことあるし、なんなら今自分で起業もしているし、しかも米国育ちの日本人、ということで2年前の私の提案にのっかるのが最善だったんだと思います。
幸いオープンな社風だったのでExtractorは続けながら、まずは業務委託で日本支社の立ち上げをコロナのロックダウンの真っ最中のところから始めました。
――:実際中に入ってみて、どうだったんですか?
中をちゃんと見るようになって、「これはかなり厳しい戦いになるな」というのが最初の印象でしたね。プラットフォームとしては一切ローカライズがされていないので営業資料もシステムも全部英語。Q&Aしてもまともに答えられる状態でもない。じゃあ採用したり陣容を広げていいかというと、そのお金も出せない、と。
――:じゃあ2021年の立ち上げはだいぶ苦労されたんじゃないですか?
大変でしたよ。最初の半年は全く売れなかったですね。だってdata.aiで大体のデータはとれてるわけで、社内もみなそれで動いている。なにも新しいサービスに乗り換えてあえて不便な思いをする必要はないですからね。
――:OSの入れ替えに近いですね。皆がGmailとChrome使っているのに、なぜいまさらOutlookとEdgeを使わないといけないんだ、と。
そうそう、そういう感じです。しかも無料の入れ替えじゃなくて、どっちも有料のものですからね。ラーニングコストも入れると、スイッチングのハードルがとても高かった。
――:何が強みで営業していくんですか?
最初は「Sensor Towerって何?」と言われるところからドアノックして、「App Annieのようなサービスでして・・・」が決まり文句でしたね。なんとかその情けない状況を変えたいと思っていました。
Sensor Towerは、開発出身者がつくった会社なんですよ。だからエンジニア主導で機能は非常にリッチ。かたやApp Annieはマーケティング出身者がつくった会社だから「売り方がうまい」んですよね。その差のところを競争力として「実は使ってみるとこっちのほうが便利だし、機能のレスポンスも実装スピードも上」という点をご理解いただいて1社、また1社とお客さんの乗り換えを図っていきましたね。
――:お客さんって普通のゲーム会社ばっかりじゃないんですか?
結構BtoBの企業も多いんですよ。メディア、金融証券、広告代理店などもこういうデータインテリジェンスを使って彼らの顧客向けにマーケットをみせていく必要があるんです。
■Sensor Tower Japanが打ち勝った3つの勝因。ダウントレンドの日本市場でまさかの中国超え
――:僕には見えていないのが、この2021年の圧倒的劣勢のなかで2022~23年の2年間でどうやって形勢が逆転していったかなんですよ。
App Annieという名前が日本市場で浸透した中で突然社名を変更し、レイオフのニュースが出たり、商品のサポート体制への不満を市場から聞く機会が増えました。日本でも大幅に人員の入れ替えについて問題視するユーザーが増えたと噂をよく耳にした時期でした。この時に形勢逆転を狙える隙が見えた気がしました。
※App AnnieはモバイルアプリのA社・B社・C社といった企業から実際のデータを拠出してもらい、そこでAppleやGoogleのランキングの背景にあるKPIのアルゴリズムを推計して「匿名化した上で」、D社・E社のサービスの数値を推計して市場全体のデータを提供してきた。だがその数値を「恣意的に推定値を変更して、取引する顧客への販売価値を高めていた(意図的に大きく見せて、実際の業績と株価の相関性を誇示したりしていた)」ことが2021年10月に発覚し、大問題となった。これらのサービスは「統計モデルに基づく『推定値』を提供する」というものが根幹になっており、A社・B社・C社とユーザーとの間にある「機密データを第三者に開示していはいけない」という約束事を破っているものになる。
――:驚きました。相当やばいことやっていたのに、なぜか日本ではあんまり報道されてませんでした。
そうなんです。日本だとあまりスポットがあたりませんでしたよね。我々もあまり敵の痛いところを突くのは本意ではないので、あまりそこに突っ込まずにフェアに営業していたんです。「Sensor Towerも調査を同様に受けたけど、問題は見つかりませんでしたよ」というのを地道に一社一社お伝えするようにしました。信じてもらえない時は本社から英文で説明文を毎回作ってもらって提出していました。
その時期から攻勢をどんどん強めて、結果的に国内のハイパーカジュアル系の会社のトップ7社が全部契約してくれました。これが二度目の転機ですね。
――:ほかにも転機はありましたか??
3つ目の転機は普通に営業としてのポリシー改善ですね。Sensor Tower Japanでは「24時間返答の徹底」を行ったんです。米国本社をまきこむので、お客様から質問があってもかなり時間がかかって回答するということが横行していたんです。そこで営業担当に無理をさせるポリシーでもあるんですが、日本オフィスだけは独自のルールとして「24時間以内に必ず返信するように」という形でやっていたんです。そういった努力が実を結んだのか代理店のお客様が「(他社では)質問しても、なかなか返ってこないんですよね…2週間とか」みたいな感じでサービスを次々とのりかえてくれるようになったんです。
――:なるほどねーーそういう仕組みで2年間でどんどんひっくりかえしていたんですね。
はい、だからこの2年間はSensor Tower Japanとしてはかなり好調だったんです。そうやって駆け上がっている途中でもあったので、いまさら「一緒になります」となったときの戸惑いはありました笑。
――:サイズとしてはやっぱりSensor Towerの中で米国が一番の市場なんですか?
当然ながら米国が1位なんですが、2位は中国と日本で競っている状態です。将来的には日本市場のほうが大きくなるかもという状態です。
――:え!?それはすごいですね!?GAFA系サービスはむしろ広告費って日本がどんどんさがっちゃって、米国に中国が迫ってて、いまや日本市場って「稼げない」市場とみなされてるんですよね。そうした中で米国>日本>中国というのはあまりほかの外資系サービスにはないくらい日本市場が頑張っていますね。
そうですね、それは我々の営業努力でもありますし、むしろ「海外に出ていかないといけない、色々なマーケットデータをとっていかないと」という日本市場の窮状の反映とも言えるかもしれません。
■外資企業からみた日本市場の難しさ:人材確保、日本的意思決定、プロダクトローカライズ
――:日本市場というのは映画や音楽の世界でもずっと大変でした。外資系としてはどうやって勝っていくんですか?
外資企業がうまくやれない理由はいくつかありますが、最大の理由の1つ目は人材確保ですね。2つ目に本社の日本の意思決定システムへの理解、3つ目がプロダクト自体のローカライズになります。順に説明しますね。
人材は今のSensor Tower Japanの5人体制を作るのも相当苦労しました。まずバイリンガルである必要がある時点で、候補者は1割以下になってしまいます。その上、本社の主要部署を含めると5~6回も面接をして、プロセスも重い。英語ネイティブで業界実績があってキラキラな人が見つかっても、6回目の最終面接でプロダクトのデモ(Sensor Towerの製品を営業マンとして売ってもらう模擬試験)をしたときに、何も知らない米国の役員が「うーん、彼は僕の質問にストレートかつロジカルに答えられなかった」とかで普通に落としたりするんですよ。それでいてベースの給与は高くなかったりする(米国企業はセールスのコミッション(目標額)があり、そこを超えてボーナスで高くする分だけ基本給が安いということがよくある)から、かなりハードルが高いんです。
――:それは逆もしかりですよね~僕は日本企業のカナダ支社・シンガポール支社で現地採用してましたが、本国の感じで採用していくと「その条件での人材出現率0.01%ですよ?」みたいな。
それでも人の採用できなくて売上伸ばせず目標に到達しないと、それは日本支社の責任になりますからね。だからまず人材採用が何よりも一番大きかった。
2つ目の本社の現地リテラシーというのは、日本企業と一度も取引したことがないような責任者にすべてを説明する必要があるんです。3ヵ月ごとに目標値を決めて、数字に到達しなかったら徹底的に詰めるような米国は、決裁者がOKと言えば1週間でも契約完了するじゃないですか。でも日本は飲みに行って仲良くなってしかも責任者がOKでも、担当者が嫌がったらダメだったり、そうかと思うと社長が気まぐれに連れてきた他社のものにさらっと決まってしまったりする。1つ1つの営業行為に対して「それはDecision Makerなのかどうか」「なぜ何度もその営業行為を行う必要があるのか」「なぜ決裁者が通ったはずなのにそこから半年もかかっているのか」みたいなことを全部説明していく必要があります。
――:すごいわかります。僕は日本企業の海外支社でしたが、「本社の意思決定による難しさ」はカナダでもシンガポールでもマレーシアでも感じてました。
本社に1人でもリテラシーがある意思決定者がいればいいんですよね。日本企業で一度でも働いたことがある人はわかってくれるんですよ。
米国と日本では、契約のスタンダードが違いすぎるんですよね。海外拠点だと1人の営業担当が40社くらい抱えるんですが、それって1社が月1回くらいしか質問してこない国のお客様だから成り立つんですよね。なぜ日本はこんなに効率が悪いのか?5人もいるなら〇社くらいはこなしてもらわないと、みたいなこと言われるのですが日本はNDAのあとにバックグランドチェックで反社チェックみたいなものがあり、契約書のサインもハンコじゃないといけない。我々は米国企業で「そもそもハンコがない」というところから例外的な契約書にしないといけない、などなどやっているうちに日本企業との契約締結は半年かかることもざらです。
「きちんとしている」ところの反面なのですが、質問もかなり多いんですよね。決裁者へのデモだけでなく現場の各担当者に向けて何回もデモで使い方を教えたりするケースもあります。ちょっと本社が驚いていたのは、条件もすべて決まったあとに「貴社の営業担当がきちんとした方かどうかを見させてもらって最終確認したい」というケースもあります。プロダクトも条件も全部問題ないけど、「誰がうちの担当なのか」ということで決済が覆ってしまったりする。
――:それはやりすぎな事例ですね笑。そういうのを考えると外資からすると日本企業って本当に難しい商慣習もってますね。
そのために我々の日本支社があるのでそれは全然かまわないんですけどね。3つ目のプロダクトのところは、やっぱり本社で米国企業向けにつくっているものなので、そこに日本企業特有のニーズをどう反映していくか。例えばX(旧:Twitter)は米国と日本だけは必要なんだけどほかの国では優先度が低かったりしますよね。
――:市場から逆算で作る経験が少ないんだと思います。日本人が日本ユーザー向けに作ってきたので阿吽の呼吸で個々の経験値をベースとしたN=1インサイトで開発することが多いんです。それはそれで全然機能しているんですが、それがユーザー知見のないほかの国になったり、まだ新しくて競合の動きをちゃんとみなければいけないものになると極端にマーケティング観点の弱さが出てくる
そうなんです。我々のようなサービスは契約で終わりではまったくなくて、なぜいつも定期的にこうやってインサイトをだしたり、年間レポートをだすかというと、結局それを活用してよいプロダクトがうまれつづけてほしいんです。本業で生かされて結果がでないと、最終的に我々の本意ではないですからね。
――:Sensor Towerとしてのゴールはどこを目指しているんですか?
これから日本市場から外に出て商売を拡大していく必要のある産業・企業はどんどん増えるはずなんです。駐在がいるわけでも支社があるわけでもない、そういう市場に向けてパイロットプロダクトをだしていくときに、どこがねらい目なのかを特定するだけでも非常に価値がだせると思います。
モバイル業界、消費者のペルソナ、デジタル広告のさまざまな側面を測定する一連の製品を開発しました。 今後もデジタルエコノミー全体におけるより幅広い指標を測定するために、製品の提供を拡大することに専念しているところです。最近だと投資観点で使われる企業さんも増えました。CVCで今東南アジアであたってきているローカルのアプリをみたい、と。それで順位をずっとみているなかでイケているものを作った会社に投資をしていくんだという使い方をされている企業さんもいます。
――:そうなんですよね。Sensor Towerを使って自分でみればそれなりにわかるのに、社内のイケてない担当者に丸投げして「なんかあれだとわかる範囲限定的だよね?」みたいに即断して、外部コンサルに数千万円かけて「全世界コンテンツ産業調査」というのやってたりする事例があって・・・いや、それもう国のやつがあるし、もう自分でたたいて具体化していくフェーズじゃないの?とか。
あるあるですね。私が任天堂にいたときからそういうものはありますが、データサービス自体の課題なのか、そのデータを抽出・分析する担当者の課題なのか、出てきたものをプロダクトにつなげられない組織間連携の課題なのか。いまの課題がサービス以前に組織的なものであることも多いのです。
ですからSensor Towerとしては社内研修からはじめたり、Q&Aにも迅速に答えながら、結果的にクライアントがマーケティング力をあげて世界で成功する、というところにコミットしたいと思っています。それはアプリだけでなく、「デジタルエコシステム全体をマーケティングするツール」としてWebも含めて分析対象にしていただきたいですし、プロダクトだけでなく広告・プロモーションも含め、地域的にも日本から世界各リージョンに向けて分析をして市場展開していくときの武器としてSensor Towerを使っていただきたいですね。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場