ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN-、ディー・エヌ・エー(DeNA)に関するスマホアプリ&ソーシャルゲーム連載記事

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【連載】ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- アカデミックな世界からゲーム業界へ! 第二回「学校トーク!!」…九州大学 松隈浩之氏 × 東京工科大学 三上浩司氏 × 馬場保仁 三者鼎談【前編】

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ディー・エヌ・エー(DeNA)<2432>の馬場保仁氏が、ゲーム業界の人材・採用に関して語っていく連載記事「ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN-」。現在同氏は、DeNAのスマホアプリ開発のプロデューサーを担うほか、人事・採用担当も兼任している。開発現場・採用担当、双方の視点からゲーム業界における“人”に対してスポットをあてた連載記事。

今回は趣向を凝らした「人材」に関する対談記事として、大学でゲームに関する勉強を現役で教えている先生おふたりに、馬場氏自らが聞き手となりインタビューを実施。学校によって異なる講義内容をはじめ、未来のゲームクリエイターたちを輩出する学校側の思いを聞いた。


 

■企業人からゲームを学問に



九州大学 松隈浩之 氏(写真左)
東京工科大学 三上浩司 氏(写真右)

【聞き手】
株式会社ディー・エヌ・エー プロデューサー 兼 採用担当 馬場保仁 氏(写真中央)


――:以前このコラムでは、岩谷さんとお話させていただきました(関連記事)。そして今回は、過去にゲーム業界で働いた経験はないものの、ゲーム業界、もしくはその近い場所へ学生を送り出している大学の先生のお話を聞こうと思います。九州大学 芸術工学部の松隈先生と、東京工科大学 メディア学部の三上先生です。本日は、よろしくお願いします。では、まずは自己紹介からお願いします。

松隈浩之氏(以下、松隈):松隈浩之です。よろしくお願いします。出身は九州芸術工科大学の画像設計学科です。子どもの頃からゲームが大好きで、ファミコンだと『ゼビウス』からで、『ドラクエ』は今でも好きですね。大学ではCGを教えていた研究室が面白そうで入ったんですよ。ちょうど同じくらいのタイミングで、『バーチャファイター』のポリゴンCGに衝撃を受けたのも大きかったですね。当時は珍しかったシリコングラッフィクスのIndigoとかいうすごく高いハードをとにかく触っていました。CGをずっと作っていて、そのまま大学院にも行って、よりたくさん作るという学生生活でした。


――:シリコングラフィックスは私や三上先生の母校の慶應SFC(慶応義塾湘南藤沢キャンパス)にもありましたねぇ~(笑)。1000万くらいするんですよね。世代が近いですね。で、当時はそこからゲームの世界に入ろうとは思わなかったんですか?

松隈:もちろん行きたかった気持ちはありましたよ。ただ、当時は九州に有名なゲーム会社なんてなくて。厳密に言うと、会社はあると思うのですが、認識していなかったですね。東京に行くにしても、旅費も出ず、お金もありませんでした。まあCGが面白かったのもあるので、もう1年研究生をやっていたんです。そうしたら当時、先生と付き合いがあった凸版印刷さんからCGで色々やれる人を探している話があったんです。3Dグラフィックを力入れていきたいということで呼ばれました。

そしたらオフィスがガラス張りでもうかっこよくて。壁も赤とか緑とか。田舎から出てきた学生からしたら、そのクリエイティブな雰囲気にもう圧倒されちゃってコロッといっちゃいましたね(笑)。そこで働いて何年か、クリエイターとして車や映画、自衛隊のキャラクター制作や、とにかく色々な仕事をやりましたね。


――:オフィス環境の大切さがわかるエピソードですね(笑)。それからどうしてこちらの大学に戻られたんですか?
 

松隈:働いていて面白かったし、特に不満はなかったんですが、どこかで帰郷願望があったんだと思います。その時に大学から募集があって、かつ、母校が統合(2003年に九州芸術工科大学が、九州大学と統合された)で無くなるというタイミングでした。奥さんも九州出身でしたし、母校ということで、講師として戻りましたね。最初はアニメーションをやっていたんですが、当時は大学でゲームをやれる雰囲気ではなかったです。


――:それの「やれる」は「授業でゲームを扱う」という意味ですか。

松隈:そうですね。ゲームを学問の対象にするというのはハードルが高かったです。シリアスゲームなんていう単語も当時はなかったです。私自身ゲームが好きでしたが、ゲームを授業で扱えるとは思っていませんでした。そこで、私はCG専門でしたので、そこから派生して、アニメーションをやろうと思いました。CGも絡みますし、アートアニメーションも盛り上がった時期でもあったので。すると、アニメーションを軸に活動してから5,6年くらい経った頃でしょうか、突如「ゲーム」っていうキーワードがでてきました。


――:でてきたというのは「学術的な分野」で、ですか?

松隈:はい、アカデミックな分野でですね。九州大学の中に知的財産本部という部門があり、企業とかと色々連携する動きをとっていて、そこで色々な活動をしていたんですね。そこの国際連携の一環で、「シリアスゲーム」を扱っているオランダに行って色々とネタを探しにいかないか? という話に誘われたんですね。

おそらく、当時の私はフランスのアニメーション分野の映画際に行っていたのもあったので誘われたのだと思うのですが、最初は尻込みしてたんですよ、なんか大変そうだな~と。ただ、よくよく聞くと行き先が、オランダのユトレヒトだったんです。ここは、ミッフィーで有名なグラフィックデザイナー、ディック・ブルーナの出身地なんですよね。それを聞いてからはもう「行く!」って即答でしたね(笑)。そこからがゲームのスタートでした。私自身ゲームが大好きということもあり、シリアスゲームをやろうと考え、今に至ります。


――:ありがとうございます。松隈先生は、ルーツとして、アートクリエイターとしての気質があったんですね(笑)。それでは、つづいて、三上先生お願いします。

三上浩司氏(以下、三上):私は馬場さんと同じく慶應SFC出身なんです。慶應SFCって、今思うとゲーム業界に非常に親和性の高い教育をしていたなと思います。今までにない体験を与えようとか、未知のものを分析しようとか、今のゲーム業界に活きることが多かったと思います。

そんな中、どういう業界に行こうかって時に、当時マルチメディアって言葉がすごく流行っていたんですね。どちらかというと、私はクリエイター的なタイプではなく、ビジネス寄りの考えから就職先をさがしていて、その時に商社がなんでもできそうだなって思い日商岩井(現「双日」)に入社しました。そこで、メディア系の事業部に入って、その頃にやった案件ではカタパルト社のXBANDという案件に携わりました。


――:XBAND! 懐かしいですねぇ! セガサターンで通信やってましたよ(笑)。
 

三上:日本だとセガサターンにモデムをくっつけて通信対戦する仕組みの中で、電話回線を通じてコントロールするところに特許技術があったんですよ。そこでカタパルト社からライセンスを受けて日本で展開しました。その頃から比較的ゲーム業界の近くにいたのですが、ゲームクリエイターっていうよりも周辺機器やサービスのプロデューサー的な立ち位置でした。

ただ、社会人も2,3年過ぎた頃、自分で作る方に携わるような新しいビジネスがしたいなと思って、当時の先輩と一緒に辞めて事業を始めました。ただ、まだまだ若くて、上手くいかなかったんですよ。その特に偶然、大学の同級生から、彼女の父親がゲーム制作を手伝ってくれる人を探しているという相談がきて、それで呼ばれていったのが金子満先生のオフィスだったんですよ。

話を聞くと、海外とゲームの開発をしていて、データベース制作を依頼されたんですね。そこで金子先生に気に入っていただいて、そのまましばらく仕事をご一緒しましたね。実は、その頃まで金子先生を全然知らなくて、そこで知ったのが金子先生はCGの世界で神様みたいな人なんだなと……。


――:そうですよ! 私は授業受けてましたよ(笑)。『SF新世紀レンズマン』とか凄かったですよね~。

三上:そうなんですよ(笑)。なので、金子先生を通じてナムコの中村雅哉さんや色んな著名な方とお会いすることがままありました。そうこうしている内に、金子先生が再び大学の先生になるという話が出てきて、もし大学に興味があるなら一緒に来ない? と誘っていただいたんですよね。

当初は、まぁ1,2年くらいこういう仕事もいいかなって思って東京工科大学に行きました。そうしているうちに学校の方から教員にならないかとお誘いいただきまして。一度は断ったんですよ。当時はまだビジネスを立ち上げたいという気持ちがあったので。でも2回目になって、自分の経歴はすごく珍しくて、面白いことができるんじゃないかなと思って教員になりましたね。ただ、入ったからには、偶然教員になった「なんちゃって先生」じゃなくて、先生として認めてもらえるよう、論文とかも出すようになって、教員になった後に学位(博士号)も取得し、この4月からは教授として頑張っています。


 

■学問としてのゲーム…教育と研究


――:今のお二方の学校のゼミや教えている内容の特色を教えて頂けますか。まず人数が違うと思いますが。

松隈:研究室規模でいうと今は14人です。

三上:私のところは4年生だけで18人。それで3年生も同じくらいいます。更に大学院生が5名程度います。


――:ゼミはどのタイミングからはじまりますか。

三上:我々は3年後期では研究室(ゼミ)に配属するんですけど、1年2年の時からプロジェクトに参加して活躍する子もいますが、正式なゼミの学生という意味では、最終的に3年生になった時に希望を出してもらい、選考の結果決まります。私は結構1年生の面倒も見ていますね。そうすればゼミが始まる段階でも知った顔が増えてきてやりやすくなりますし。


――:企業の採用活動、インターンと同じですね。

三上:同じですね。元々はメディア学部の定員が300人で、最終的にゼミで18人。ただ、ゲーム教育ってすごい時間と覚悟がいるじゃないですか。メディア学部の中でゲームって一領域なんですけど、一領域で18人ほどの学生をすぐに集められるわけでもなくて。まずはゲームに興味を持った学生を全員集めてくると。これで大体、全体の1/3(つまり100人)。

まずはゲームに興味を持っている、というところからスタートするんです。そこから「遊び側から作る側への意識を変えてもらう」ことをやってもらいます。これが結構大事なので、はじめに行います。この段階ではツールもいらないし、スキルも不問で、まずは考え方。考えるのが嫌という学生は、どう足掻いてもゲームを作る側にはまわれないと思うので。


――:素晴らしい! 単なる「ゲーム好き」から、「ゲームをつくる覚悟」を持たせるということですよね? 何か特殊な演習をやるんですか?
 

三上:アナログな演習ですね。例えば、トランプとかカードを使って、全く新しい遊びを考えてもらったり、鬼ごっことか、フィジカルな遊びに新しい意見を追加してもらいますね。

その時に特徴的なのは、「プロトタイプ使って試しちゃ駄目!」というルールでやるんです。試しながら作っちゃうと、なあなあで出来上がった物を企画しちゃうじゃないですか?


――:確かに…。プロトタイプ自体は大事ですけど、この演習においては小手先感や、中途半端な満足感を与えてはいけないですからね。指摘された部分をただ修正するだけで達成感を感じる恐れがありますし…(笑)。

三上:ゲームを作る楽しさの勘違い、小さな満足を感じるという一番危険なパターンに陥りがちなので、最初はトランプを一切動かさずに頭のなかでトランプを想像しながら、人にわかるように紙にひたすら書くんですよ。チームで企画を決めて書いてもらって、その紙を別のチームに渡してプレイさせるんです。そうするとほとんど遊べなく、問題点が出てくるんですよね。

これってすごくいい経験で、物を作る時って仕様書を作るわけですけど、自分がどんなに考えたところで、全く経験のない中で作ったら、なかなか問題点って思いつかないんですよね。でも不思議と、他の人たちが作ったものを見ると、岡目八目的に、急に指摘がでてきたりして。こういう感覚を一番最初に味わって欲しくて、プログラムとか全く関係なしで、とにかく自分のアイデアを伝えること、それを設計することを時間かけてやる。プロトタイプを使えれば目の前でやって面白いでしょ、ってできるんですけど、それができない中でいかに面白いか、いかにここがポイントなのかを伝えることって難しいんですよね。


――:おっしゃる通りですね。「とりあえずつくる」でなく、「必死に考える」という、そういったシンプルなハッカソン、いやアイデアソンもあればいいですね。

三上:1年の後期では、修行みたいなんですけど、全員直打ちのプログラミングで3Dのゲームを作らせます。グラフィッカーでもサウンド志望でも。Unityなどのゲームエンジンは使わないです。1年生に実際にコードを打ってもらって、ゲーム作成のプロセスを知ってもらう

仕事を始めた時に、プログラマの仕事を知らないで、ゲーム開発するって成り立たないので、知識として持っておいてもらいたいんです。もちろん、最終的にゲームエンジンを利用するのはわかっているんですけど、そのまま使うんじゃなくてコードを書くと自由なんだってことを知っておいてほしいんです。それをチームで作業させて、後半にプロジェクトを作ってチームで1本、ゲームエンジンを使わないで動くものがなんとか出来上がりますね。


――:3年生になったら就活を意識しないとなると、その時期にゲームを1本作って経験として持っているのはいいことですね! 

三上:2年生になったら、まずは企画を考えて、その企画にあった開発環境を選んでもらいます。課外授業に近いです。2年から始まったゲーム制作は3年の東京ゲームショウ(TGS)で一回終わりにさせるんですね。3年の夏休みに一度区切りを持たせたくて。そこからは単にゲームを作るのではなく、開発技術や制作手法や表現方法の研究にシフトするという方針ですね。

これは我々が東京工科大学であるということも1つ理由があり、姉妹校には専門学校があるんですが、そこと同じ教育をしていても……というところに起因しています。なので、ゲーム開発のプロセス改善をしたり、ツールを独自開発したり、そういうことができる人材を育てたいので、クリエイターとして作るのは一旦3年秋で区切りをつけています。

3年の秋で一度区切ると、よくも悪くも作品を完成させます。完成したものは言い訳もしない自分たちの精魂込めたものになるじゃないですか。それをTGSに出してプロからのシビアな評価を受けて欲しいんですよ。その経験をすると2種類の人間に分かれていきます。「言い訳して逃げて行く人」と「悔しいからもっといいものを作りたいとか、改善した人」にですね。基本的には後者の人間しか僕のところにはこないんですよ(笑)。
 


――:そこからゼミに入るんですね。

三上:ゲームとしてはそれまでに3本くらい作っている計算になります。色んな時間をかけて学びながら作っていく中で、あの時こうすればよかったなんて考えながらも、期限までに完成させなければいけなくて、完成した作品を公の場に出して、そこでしっかり評価を受ける。そうすることで次やるときは、こうしたい、ああしたいが出てきて次のアクションがとれると思います。


――:松隈先生のところはどうでしょうか?

松隈:三上さんとは全く違いますね。1年の時は一般教養を教える段階ですからね。生徒の熱意にも差があるので、そこでの講義はとにかく生徒の興味が離れないような内容になることが多いです。普通の教室なんですが、絵を書いたり、考えたりとか、グラフィックスをやったりとか。まずはやり方を教えて魅力を伝えようとしています。


――:本格的な専門の授業はいつから始まるんですか?

松隈:専門系は2年からスタートです。芸術工学部自体は、もちろんゲームの学部ではなくて、あくまでもデザインが専門なんですよね。私はビジュアルコミュニケーションデザインという、どっちかと言うと視覚でのコミュニケーションを取り扱う画像設計。ただ、画像設計の一つで見ても3つの分野に分かれているんですね。1つはアート&デザイン、もう1つがエンジニアリング、もう1つが完全サイエンス分野なんです。

エンジニアリングは画像処理とか、フォトショプのフィルターとかをやる人たちが多くて、サイエンスは目の仕組みとか、色の認識をやる人たち。僕らは設計系でグラフィックスやったり、実写の映画を作ったりとそれぞれちょうど3分割されます。結果的には3つの分野に振り分けられますが、学生には満遍なくやって欲しいと伝えていますね。言ってしまえば、「ディレクター」の養成ですね。それで2年、3年学んで4年になってから研究室に入るというステップを取ります。

三上:アーティスト、デザイナーの場合だとやっぱり専門学校や美術系の大学と比較した時に、やっぱりそちらが本来生み出すような人材だと思っています。それを総合系の大学の中でこういうコンテンツの分野になると、やっぱりディレクションやプロデュースができるという、少し俯瞰的な視点を持ったりしないと、差別化や学部の理念が成立しなかったりしますよね。


――:私は今、全国の大学や専門学校さんを行脚しているんですが、やはり方針は学校ごとで変わってくるものなのですね。確かにカルチャーの違いや、目的の差というものは感じられます。
 

松隈:人数規模でも課題はありますよね。国立大やそれ以外でもそれぞれ大変だと思います。人数が足りないとか、足りても生徒がどこか受動的だとか。

差が出る理由として個人的に感じるのは、大学の仕組みが教育に興味を寄せるようなものになっていない気がします。教員で言うと、研究がメインになりがちで、教育では評価されづらいというか。学生も単位取得を考えがちで「学ぶ」ことに注力しづらい。芸工の昔からの特徴で、学祭とかもしっかりやるんですね。サークル活動とかでも撮影や録音といった専門性にシフトしたようなものが結構多く、そういった授業外で活動している人たちがいるっていうのもあって、それはそれでいいのかなと思います。

大学という組織に入った以上は単位を取らなければいけないシステムですが、そこだけに縛られる必要はなくて、自分のやりたいことをやりなさいと思うんです。ただ、学生も教員も学校も意識は高くないといけないですけどね。例えば3DCGをやる人が少なくなったという話が出ると、テコ入れしなきゃいけない時に教育の設備が整ってなかったり、教員間の連携ができてなかったり、そういうのがどんどん進んじゃうとどうなってしまうんだろう、というのはあります。

三上:教育と研究のバランスの問題はいつでもどこでもありますよね。もしゲーム業界とかゲームを教えている先生が教育ばかりで研究をやらなかったりすると、その先生の職位が育っていかないんですよ。そうすると、ゲームを教える教授とかも生まれてこなくて、分野としての深みが出てこないんです。そういった意味だと、遠藤雅伸さんはゲーム開発も、ゲーム会社の設立・運営もご経験されて、今は東京工芸大学で教鞭をとられる傍ら、東京工科大学大学院の後期博士過程に所属され学位の取得を目指されている、教育も研究も熱心に進めておられるのはすごいですよね。


――:遠藤さんや、中村隆之さんたちが、学位を取得され、あの人達が教えた学生たちが次に教える時代が来たら、ゲームが学問としても認められ、且つ、人材を輩出してくれそうに思いますが……あと1世代はかかるのかなとは思いますね。

三上:学校としてもゲームが教育や研究の対象になったのは、最近になってのことですからね。1999年のメディア学部開学の頃からゲームの教育を大学でやるって話はあったんですが、「ゲームは遊び」って考えがありました。当時はまた、ゲーム作りのノウハウってブラックボックスなところもあったので仕方ない面もありました。

MicroSoftなどの様々な企業が参入したおかげで、情報を持った人が独立したりして、世の中に情報が回りました。IGDA(International Game Developers Association)がカリキュラムフレームワークを2003年に作り、少しずつ体系化されてきました。2004年には文科省から「現代的ニーズに対する取り組み支援」という助成金がでるということで、ゲーム開発者育成のカリキュラムを提案したところ採択されて、機材や環境の整備をすることができました。

すると、取り組んだ翌年からゲームを学びたい学生がものすごい来るようになりました。ゲームを4年制の大学でカリキュラム化して、文科省に認められて補助金ももらったなんて過去ほとんどないですからね。面接型のAO入試7,8割がゲームやりたいって人でしたよ。未だに5割以上の人が来ていて人気があるんです。


――:看板分野になったんですね!

三上:ただ、学生がそれだけいると、教育に時間がとられて研究に手が回らないって問題が出ます。でも、そうなったら学生と一緒に研究するしかないと思いまして……。学生に厳しく研究指導して、普通だったら逃げちゃうんですけど、1年の頃から一緒にゲームを作っている学生なら多少厳しいことを言っても信頼関係もできていて、良い成果を出してくれるようになりました。

それが少しずつ積み重なって、実際にアカデミックな業績も増えました。そういう体制ができあがれば、ゼミの学生数の多い私立大学でもそれなりの論文数がでてくるのかなと。そうでないと難しいですよね。自分で研究やろうと思っても時間がなかなか取れないし、それで学生に対して疎かになるくらいなら学生と熱心にやっておいて、時間が空いた時に論文を書いたりする形がいいかなと。


――:なるほど。大学のカリキュラムについてお聞かせいただきましたが、大学院への進学率はどれくらいなのでしょうか?
 

松隈:もちろん景気にもよりますが、新卒市場が良い時はやっぱり就職にいく人が多いですね。ただ私が勧めるのもあって、結構な確率で大学院にいきますね。

三上:あまりいないですね。全体で年に15~20人、研究室で内部進学が1人いるかな? みたいな感じです。カリキュラムも4年で最適化しているところもあるので、就職する学生が多いです。むしろ、大学院でゲームそのものを教えるところってあまりないので、外部から進学してくるケースの方が多いです。

当然、大学院まで来たほうが就職でもいい成果を出しやすい。統計でも生涯賃金は上がるというデータはありますが、プラス2年で学費や生活費が数百万かかるとなると、どうしても考えますよね。最終的に職種や自分の働き方を考えた上で、そのまま就職なのか、技術力を高めるのか知識を増やすのか、決めてもらいたいですね。

大学で勉強したことだけで食べていくわけではなくて、社会に出た後、色んな問題に直面した時に、ちゃんと自分の頭で考えられて、そこでまた成長できて、結果的に会社や業界に利益をもたらす人間になってほしいので、その考え方を学んで欲しいと思います。


――:まあ、私もいろいろ遊んでいて、親には迷惑をかけましたが、就職したのは27歳ですからね(笑)、じっくり考えていいと思いますよ。

松隈:私も27歳でした(笑)。個人的には、大学のカリキュラム上1年しか一緒にいないので大学院に進んで欲しいですね。就活を考えるとゼミ生になってから1年もないですからね。だから、進学するなら、色んな人脈や知識を獲得してもらえる機会を与えるので、後悔はさせないです。教員になった際に優秀なデザイナーを育てたい! と思っていましたからね。

正直な話、論文は必要ないじゃないかとも思っていたんです最初は。会社に入って研究職でもない限り、論文は書かないじゃないですか。論文を書くなら制作した方がいいと。今は考えも変わってきてはいるんですけどね。3年の前半から就活したらもっと時間がない。だから大学院に進んで専門性深めてから外に出て行って欲しいってところもあるんです。うちは論文もありますが、作品で修士号を取得できるので、私のところは作品でも卒業してますね。


――:話を聞いてみますと、松隈さんは「クリエイター的」で、三上さんは「プロデューサー的」な立ち位置ですね。異なる立ち位置からゲーム業界にアプローチを行っているのは面白いですね。時代が時代で、今のようなスマホアプリがあって、ビジネスとクリエイティブが混ざったようなゲーム業界だったら、学生からその足で、ゲーム会社に就職していてもおかしくないですね(笑)。

三上:今だったら直接ゲーム業界に向かっていましたね。最近のスマホのゲーム業界の周辺だと、遺伝子検査ビジネスまでやっていますよね。ロボットタクシー(自動運転車を利用した旅客サービス)までありますし。ある意味で、情報商社とも言えます。

松隈:もうゲームっていう一つのキーワードでくくれない感じになっていますね。


――:コンテンツ単体ではなく事業単位での取り組みになってきていますね。そういう意味でもチャレンジしがいがあると思います。私も今、ゲーム作り以外での色んなイベントをやっていますけど、突き詰めるとゲームをプロデュースしているのと変わらないんですよね。結局は、絵を描いて座組みを作って、誰に何の喜びを与えるのか? ゲームを立案し開発、運用するのと一緒なんです。「人間」に向かう、という意味では、根っこは同じなのだと思います。ゲーム開発から学ばせてもらったものは多いと思いますね……。

後編に続く
 


■著者 : 馬場保仁
DeNA プロデューサー 兼 採用担当。過去、セガ(当時 セガ・エンタープライゼス)で『プロ野球チームをつくろう!』『Jリーグプロサッカークラブをつくろう!』など多数のゲーム開発に従事。DeNA入社後は、スマホアプリの開発にプロデューサーとして従事。現在は、プロデューサーとしてゲーム開発を行うと同時に、人事も兼任し、ゲーム業界の人材育成のためにも尽力している。著書に「ゲームの教科書」(ちくまプリマー新書)がある。


■ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- バックナンバー

第十六回「新人事始」

第十五回「就職活動にみられる地方格差」

第十四回「【思いやり】の向こう側

第十三回「仕事選び 〜成長・夢・時間〜

第十二回「本当にそれは、ゲームに必要か?」

第十一回「ハッカソンの功罪」

第十回「会社選びと成長(プロ、アマ問わず)」

「学校トーク!」 東京工芸大学 『パックマン』生みの親 岩谷徹氏に訊く【後編】(第九回)

「学校トーク!」 東京工芸大学 『パックマン』生みの親 岩谷徹氏に訊く【前編】(第八回)

第七回「学生さんにやっていただきたいこと~前編~」

第六回「学生さんにやっていただきたいこと~前編~」

「社長トーク!」第1弾 コロプラ 馬場功淳 社長【後編】(第五回)

「社長トーク!」第1弾 コロプラ 馬場功淳 社長【前編】(第四回)

第三回「若手のチャンスとキャリアパス」

第二回「企業×学校×学生」

第一回「ゲーム業界って本当に人手不足なの?」


 
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企業情報(株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA))

会社名 株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)
URL http://dena.jp/
設立 1999年3月
代表者 守安 功
決算期 3月
直近業績 売上収益1437億円、営業利益198億円、最終利益113億円(2016年3月期)
上場区分 東証一部
証券コード 2432

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