【JVRS Nagoya】森ビルのVRの原点は特撮だった? 都市開発本部の矢部氏が語る先端技術と街づくり


グリー株式会社と一般社団法人VRコンソーシアムが主催、日経BP社が共催するJapan VR Summit Nagoya 2017が、5月30日、名古屋の名古屋国際会議場で開催された。

同サミットは今回、初めて製造業にフォーカスし、VRの活用方法や最新トレンドなどについてキーパーソンが講演を行った。

本稿では、森ビル株式会社、都市開発本部 計画企画部 メディア企画部部長 矢部 俊男氏の公演をレポートする。
 

▲森ビル、都市開発本部 計画企画部 メディア企画部部長 矢部 俊男氏

「なぜ、森ビルがVRなのか?」。矢部氏はまず、同社の歴史を説明した。 時は1988年まで遡るが、創業者である森 泰吉郎氏の息子 森 敬 氏は慶応大学理工学部野教授を務めており、様々な新しい研究に携わっていたところから始まる。

森 泰吉郎氏が1987年に「街づくりは、人づくり」というコンセプトで、アーク都市塾という私塾を作り先端の技術を持った人達が集めたことや、1989年の米ソの冷戦が終わった後すぐ、森 敬 氏は「これからはインターネットの時代が来る」という話をし、社内では多くの先鋭的な取り組みを行っていたとのことだ。
 

その背景には森 泰吉郎氏の「今後、ハード(建物)だけを作っている不動産屋は生き残ってはいけない」という想いからきているという。

早くからビルにコンピューターを導入するなど先端的な技術を取り入れている同社だが、その視点はハード面の強化だけではなく、「それに対してのソフトは一体なんであるか?」といった事にも注目していたようだ。
 

▲今は亡きブラウザ「NETSCAPE」で表示されたCyber66 Hills。残念なことにcyber66は現在閲覧することができない。

その1つの実験として行ったプロジェクトが「Cyber66」で、同プロジェクトは六本木6丁目の再開発をインターネットを使った仮想都市を見せる実験の総称を指している。当時ITの普及などほとんどしておらず、この構想を話した際には、「インターネットは何坪の土地が必要なのか」と言った話も出ていたと矢部氏は振り返った。
 

そんな先進的な取り組みを行っていた同社ではあるが、もちろんバーチャルリアリティには目をつけていたようだ。ただ技術的な問題も有り、VRに関しては当時かなりアナログな手法で、特撮のようなものだったという。

手法としては模型に写真を貼り付けCCDカメラで撮るというシンプルなもので、それを"CAVE"という複数のスクリーンを囲むシステムを使って体験するような仕組みだったと語った。
 

▲CAVE。写っている映像は阪神淡路大震災のもので、3つのHi8カメラで撮影。天井部はカーナビの映像で、自身がどこ走っているかわかるようになっている。映像がリアルすぎて表には出さなかったとのこと。
 
2000年に六本木にヒルズ出来たくらいから、ハイビジョンモニターも普及し始め、CGでの描画も良くなってきたことから、アナログな手法からCGを使ったデジタルに移行していったと同氏は続ける。あの当時よりも更に技術が進み、VR元年と名付けられた2016年には非常に没入感の強いグラフィックをHMDを通して体験できるようになっている。

では現在の同社のVRを使うことの強みはどのようなものだろうか。矢部氏は、まずVR HMDを使うと空間の把握がしやすい事を挙げた。完成予想図を見せて、「ふきぬけがあります」と言ったところでイメージは伝わらないが、空間をまるごと体験するVRであれば、想像しやすいというものだ。

またVRを使って就職説明会を行った時に、週刊ダイヤモンドの学生が就職したいランキングで一気に急上昇したことを2点目に挙げた。これから働き手を確保するのは大変だと思うが、就職活動でのVRを活用することで画期的な企業で最先端性を学生が持ってくれたと説明した。

森ビルと車の関連だが、古くは、BMWの販売でのデモンストレーションにおいて場所の提供などを含めた様々な提携を行っており、かなりの販促になったそうだ。現在でも関係は続いているようで、HMDを使用した体験によって販売の促進を行っているのだとか。

最後に矢部氏は、違う業界で培われた技術を見ることが、次の都市を考えるときの答えになるのではないか、色々な大学や企業と街作りがしたいと締めくくった。