【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第30回 なぜ日本の音楽は世界で勝てないのか?日米の音楽・アニメの橋渡しをした30年の軌跡からみる日本の音楽業界の特殊性

森川さんは中山のブシロード時代の同僚である。世界大手3社の2つ、ソニーミュージックとユニバーサルに所属していた経験をもち、そこに日本独立最大手のエイベックス、さらにはアニプレックス、バンダイナムコとブシロードとアニメ系では勢いのある3社にも在籍していたこともある。かつそれが北米×音楽×法務という組み合わせまで考えると、業界広しといえどもここまで経験値の広い人はいないのではないか、、、そもそも日本の音楽著作権ってどこが問題なのか、、、というのをきちんと議論してみたかった。今回は結構真剣に日本音楽業界の課題について語っていただこう!ということでインタビューを行った。 

 

  

■90年代日本ソニーミュージックの「海外法務」の黎明期からアニプレックスへ

――:自己紹介からお願いいたします。

森川浩と申します。ソニーミュージック(SME)でキャリアをスタートし、その後、ルーセントピクチャーズ、ユニバーサルミュージック(UMG)、バンダイナムコ、エイベックスを経て、現在ブシロードミュージックの社長をしております。


――:個人的には、森川さんほど音楽業界を網羅して御覧になった方はいないのでは(転職が多かったとも言いますが笑)と思っており、ぜひそのヒストリーをお聞きしたいと思ってインタビューさせていただきました。幼少時代に海外にいらっしゃったんですよね?

父の仕事の関係で、3歳から10歳までイギリスにいました。その1970年代のイギリスは、ビートルズの喧騒がまだ残っていて、ローリングストーンズなど音楽業界の絶頂期のような活気があって、それ以来日本に戻ってからも洋楽が好きでしたし、バンドをやったりしてました。現在にいたるまでの音楽キャリアは、あの時代にイギリスにいたからこそ、とも思います。

 


――:大学卒業されてSMEに入社されるんですよね。

はい、1991年に入社しました。英語ができたので、最初から国際部に配属されました。その当時の先輩には、前ソニーグループ社長の平井一夫さんもいらっしゃいましたし、その後キャスターに転身されるジョン・カビラさんもいらした部門でした。お二人は大学も同じ国際基督教大学で仲良かった印象がありますね。


――:ちょっとSMEの「国際部」というところが興味あるんですよね。SMEは、ユニバーサルミュージック(UMG)、ワーナーミュージック(WMG)とならぶ世界3大音楽レーベルの一つですが、米国に元CBSのグループ会社もあり、韓国もマレーシアもシンガポールも世界各国でSMEグループの会社がありました。そうした中で日本SMEの国際部の役割はどういったことをされるのでしょうか?

おっしゃるとおり、それぞれのグループ会社の縄張りがあって、日本SMEは厳密に言うと日本市場でしかビジネスはできないんですよ。アウトバウンドで外にアーティストをもっていくときはグループの現地SME系列が独占的ライセンスを持っていることから、基本的にはそこが現地でリリースして売っていく間接的な形になります。反対にで欧米の現地SME系列会社のアーティストについては日本SMEが独占的ライセンスを持っていて日本市場でのリリースやマーケティング展開するときの支援をします。これはUMGもワーナーミュージック(WMG)も同じです。


――:そうなるとエイベックスやアミューズ、LDHなど日本発の音楽レーベル・事務所のほうが海外には積極的にもっていきやすい構図になるんですね。それでもSMEから北米に展開されるアーティストはいらっしゃいますよね。

松田聖子さん(1990年にSEIKOで全米デビュー)や、レベッカのNOKKOさん(1992~93年海外展開)、久保田利伸さん(1995年からToshi Kubota名義で米国デビュー)、Puffy AmiYumiやL'Arc〜en〜Cielのhyde(1998年にアジア6カ国でCDリリース、04年に米国でのライブ活動を開始し、12年には日本人ミュージシャンとして初めてとなるマディソン・スクウェア・ガーデンでの単独公演を行う)などはプッシュしていき、日本SMEとして北米展開を支援してきました。

ただレーベルとして仕掛けて望むようなビジネス上の成功をした事例というのはあまり多くないかもしれません。一方で、ジャンルはメインストリームではありませんが、鼓動(Kodo - 佐渡島を拠点とする和太鼓のグループ)の音楽性は欧米で評価が高く、映画やCM使用の引き合いもあったり、頻繁にツアーをしていました。最近ですとアミューズのBABYMETALやONE OKROCKなどのほうが、米国で数字としてはちゃんとたてられているかもしれませんが、それはK-POPやアニメの成功でアジア系のアーティストに対する見方が当時と違うことも影響しているように思います。


――:そうした中での国際部のお仕事というのはどんなものになるのでしょうか?森川さんは法務として専門性を確立されていくんですよね。

ソニー本体がレーザーディスクの工場を欧州で作るときの日本側からの支援だったり、米国SMEの輸入盤を日本市場にもってきたり、音楽出版の窓口業務などですね。実は、当時SMEはまだ英語ができる方もそれほど多くはなく、、、海外系の契約法務業務は当時の法務部ではわからないからやらないと、国際部が担当していたりしました。そうした中で90年代に入って海外系の契約・法務や音楽出版といった知財に関する意識が高まり、体制がちょっとずつ整っていったように思います。海外のグループ法人のみならずサードパーティーとの取引もかなりの頻度でありましたので、それはそれでみな忙しく働いておりました。

世界大手とはいってもグループ横断でのカバー範囲が広いので、日本法人はどこも英語人材や契約法務などの特化した人材は不足している、というのは正直現在まで続いていると思います。


――:なんと!1968年からCBSとのジョイントベンチャーで始まったSMEですが、、、まだまだ海外ビジネスへの苦手意識はあるものなんですね。逆にそこから現在のポジションまで上りつめていることを考えると逆に勇気をもらえる話でもあります笑!その後、アニプレックスも担当されてますよね。いまや『鬼滅の刃』に始まり、アニメからゲームからカードゲームまで手掛ける総合エンタメ企業となりましたが、当時はまだまだアニメで苦しかった時代と聞きます。

そうですね。2000年代前半は(2003年に名称変更する前だったのでソニービジュアルワークスという名前でしたが)アニプレックス自体は決して調子がよかった時代ではないんです。私自身は『千と千尋の神隠し』のような世界で受賞するような作品も出てきたり、レコード業界が違法配信でどんどん凋落していく時代でもあったので、アニメ×音楽に可能性があるのではということで契約業務を担当させていただきました。

アニプレックスでいうと『鋼の錬金術師』が大きかったです。あの世界的ヒットがあったことで、その後アニメ業界でそれなりのプレゼンスをつくりあげていきますが、1990年代までは(かつて音楽業界・ゲーム業界でそうであったように)異業種のソニーがアニメ業界に入っていくときの難しさは十分に感じていたと思います。


――:当たる当たらないの目利きは一朝一夕ではないですし、アニメ制作会社と関係性を深めていくのも時間かけないと難しいですよね。ソニー内部でもソニービジュアルワークスの売却話があったとも聞きますが、そのくらい苦しい時代があってこその現在なんだと思うと「経営者の胆力」の重要性を実感します。実際にプレイステーションのソニーインタラクティブも、アニメのアニプレックスも、ソニーミュージックから生まれたことを考えると、この1968年に“遅れて音楽業界に参入した"この組織がいかにいまグループに大きな影響を及ぼしているかを実感します。

 

■裁量が大きすぎた世界大手ユニバーサル、独禁法対応で血尿が出るほど働いた

――:森川さんはその後バンダイやブシロードなど、音楽業界の人でありながら、同時にアニメ業界にも片足を突っ込み続けてますよね。アニメが大きくなってくると、そもそも音楽の作り方なんかも変わるものなのでしょうか?

やっぱりアニメもゲームも、制作コストは音楽の比になりません。アニメが売れるからと言って音楽を売るためにアニメを作るというのは短尺のMVなどを除いては本末転倒な気はします。

ただ逆にアニメ側が(ゲームもそうかもしれませんが)よりよい音楽にアクセスするようになっていったというのはあると思います。たとえば機動戦士ガンダムなどロボットアニメで強かったサンライズも最初は音楽から何から全部自社制作だったんですよね。でも次第に市場調査しているうちに、いい点・悪い点でヒアリングしていくと「音楽がイマイチ」という声がちらほら出てくるようになる。そのあたりで、SMEをいれて世界観にあう有力アーティストによる本気の音楽を作るようになっていった。アニメの前(オープニング)と後(エンディング)に世界観とマッチする音楽をはめていくようになる。


――:なるほど徐々に音楽が「付加価値」として認められるようになり、アニメやゲームなど映像主体のコンテンツ側から音楽に寄ってきた感じなのですね。森川さんはその後、2008年に17年勤めたSMEグループを退職して、Lucent Picturesに転職します。こちらはどういう会社だったですか?

アニメ製作と当時黎明期になった、立体変換技術に対するベンチャーです。アニプレックスの鎌形英一さんが中心となって、フィールズ出資のなかで在籍時は『ベルセルク 黄金時代篇』を作ってました。私はSVP(シニアヴァイスプレジデント)ということで入社し、契約関連業務や海外営業を担当しました。立体変換サービスはハリウッド作品)の仕事も取れ始めていてこれからというときに残念でしたがリーマンショックもあって、急激にファイナンスが厳しくなってしまいます。タイミングが悪かったですね。


――:そこで2011年に入ったのがUniversal Music Group(UMG)ですね。僕からすると羨ましいばかりのキャリアですが…やはり社風はSMEと全然違うんですか?

どちらがいい、悪いということではありませんが、面白いくらい違いました。日本SMEは人も組織もかっちりしていて、とにかく人材の層が厚かった。その分、各部署で専門家が多いので、狭く深い仕事をきっちりしている。UMGはとにかくスピードが速くて、中途入社も多い。裁量が大きくて自由にやれる反面、予実管理が厳しく、本当に仕事量が膨大でも人が増えないので、プレッシャーで人が入れ替わることが多かったと思います。


――:外資らしいですよね。本社からヘッドカウント(社員数)で握られているから、もうそのポジションに適した人材を入れるかどうか、というところありますよね。給与は高いけど、だからといってアシスタント1人雇うのも自由が利かない。

しかも急激な業界再編のタイミングでした。ちょうどEMIが分解されて、音楽出版部門をSMEが、レーベル部分をUniversalが買収する、という世界4大レコードが3大に集約される時期だったんです。


――:2012年ですよね。現在の3大体制になるまで、90年代末から00年代にかけて世界音楽業界は再編につぐ再編で、その仕上げがEMIの統合でした。当然「独占禁止法」の適用対象になりますよね。こういうのはどういうプロセスを踏むのでしょうか?

UMGの日本支社で契約法務部門の本部長だったので、世界的統合のなかでの日本市場の統合は当然私の職責範囲となりました。機密性も高いので、そんなにスタッフや周囲の人間に仕事を割り振ることもできない。激務も激務で、私のキャリアのなかで一番過酷だったのはこの時期だったように思います。

当然UMGがあまりに独占的な地位にならないかを各国の競争当局に審査をされるんですが、当時のUMGは世界トップのレーベルで、ただでさえシェア40%と言われていた。その世界100カ国以上にわたる寡占度のチェックと統合ですからね。そうした中で日本は他テリトリーに比べるとシェアが全然低い市場でもあります。そこにEMIを足しても日本市場ではそこまで大きくなかったんです。だから本来は米国や欧州に比べるとずいぶん楽に審査が通るはずなんです。

しかし…日本の公正取引委員会としては、もし一番最初に許可を出してあとから問題を言われると責任追及の種になりますからね。そうした「体質」の問題として、なかなかウンと言ってくれない。毎週のように公正取引委員会から資料請求がきて、その都度現場資料をかき集めて、イギリス側の法務チームと対応を協議していかに買収が競争を阻害しないこを示していくわけです。それが半年以上続きました。


――:結果的には日本はどのタイミングで出すんですか?

たしかオーストラリアかニュージーランドが最初でしたね。日本は結果的には二番手で通過した。当然ながら本当に寡占性の高い米国は遅いほうで、欧州が最も熾烈でしたね。最終的には欧州当局がそのままでの買収を認めず、ビートルズ・カタログを除いたParlophoneやEMI Classicsなどいくつかのレーベルを売却しなければならなくなりました。しかもそれは誰かやってくれるわけじゃなくて、買収をした自分たち自身で探さなければならず、最終的にはライバルのWMGに売却されました。そんなこんなで世界で4位のレコード会社・1位の音楽出版社のEMIグループが分解されて、残るメジャー3社に統合されていくんです。


――:UMGという会社自体が、これまでの歴史でも買収が頻繁だった会社ですよね。

そうですね、親会社の方のM&Aも関係したりしますが、日本で最初に展開したポリドールから日本フォノグラム、キティ・ミュージック、MCAビクター、トーラス等を吸収して、日本法人も “フランケンシュタイン"みたいな会社でした。そういう意味でもSMEとは対照的な会社でしたね。


――:UMGで統合作業のほかに、どんな仕事をされたんですか?

アニメです。そもそも入社の経緯は、当時の日本市場をみてUMGとしてもアニメに着手したがっていたところで、私のアニプレックスやLucentでのアニメ×音楽の経験も買われたんだと思います。KONAMIゲーム原作のアニメ『戦国コレクション』などに製作出資をしたんですが、投資規模もレコードビジネスより大きく、失敗時のマイナスも目立ってしまい、中長期的に取り組むべき事業としての理解を得られず、早々に撤退をしました。


――:あれ、そもそもユニバーサルNBCさんってアニメ結構出資してますし、規模も大きいですよね?

よく間違われるんですが、映画・映像としてのユニバーサルNBCと、音楽のUMGは別会社なんです。どちらも「ユニバーサル」という"globe logo"のブランドは残しているのですが、Universal PicturesとUniversal Musicの両方を所有していた仏ヴィヴェンティが映画会社の方を米国の3大テレビ・ネットワークの一つのNBCに売却をしました。ですので、NBC「じゃないほう」のUMGは音楽以外の映像事業ではその名前を使えずに「ポリドール映像販売」という名前も使っていました。


――:ああー-なるほど、そうでしたね!!ワーナーグループも似たようなところありますが、複雑ですよね。アニメ事業がうまくいかなかったこともあって退職されたんですか?

いやいや、アニメ事業というよりは、ただでさえ忙しいなかで合併のプロセスが重なりストレスフルすぎましたね。健康診断で尿に血液が混じっているといわれ、このままではまずいと思い、次の仕事に移ります。

 

 

■アメリカ駐在でバンダイアメリカのパワレン契約とエイベックスアメリカの事業整理

――:次がバンダイですよね。中山が在籍していた時代と森川さん、すごくかぶってるんですよ。2013年末から16年の秋までバンダイナムコスタジオにいました。所属はバンクーバーで北米グループ会社の一部でしたし、16年からシンガポールだったので、ほぼ海外所属だったんですが。

ちょうど入れ替わりのようですね。私は2014年からバンダイ本社にいて、そのままアメリカ事業のために2016年からがバンダイアメリカへの駐在になります。実は幼少時代は海外におりましたが、この時に社会人になってはじめての駐在なんです。音楽業界は輸出産業ではありませんでしたので、そのような機会はあまりありませんでした。


――:14~15年は結構バンダイのアメリカ事業も分岐点でしたね。しばらく赤字が続いていて、ボーイズトイで大成功していた日本のやり手の役員を派遣して、再立ち上げするか撤退するかといった状況でした。

2014年に英語ができる法務ということで入社しています。パワーレンジャーズのライセンス契約がちょうど更新されるタイミングで、うまくいかなければバンダイアメリカも撤退せざるをえないのでは、というほど迫られている時期でした。中山さんもご存じのように、1994年にパワーレンジャーズは米国で大成功をおさめますが、2001年に米国で権利保有者だったSabanがマスターライツをDisneyに売却し、(あまりDisneyがうまく活用できなかったこともあり)2010年にふたたびSabanが買い戻しています。この玩具商品化権を、最初の開発元ではあるバンダイアメリカがライセンス契約して、玩具を展開しているという状態でした。


――:リスクをとっていた現地の商社のような会社がマスターライセンスで日本キャラクターの版権もっちゃっていて、現地展開を自分たちでやれていない事例が多かったですよね。遊戯王しかり。逆にポケモンはよく自分たちでやり続けているなと思います。

マクロスなんかも海外権利を売ってしまって、日本ではコントロールできない状態になってしまってましたね。私がバンダイにいたときは、もうSaban自身も手放そうとしている段階でしたので、契約更新といいながら条件面でずいぶんぐずついていました。最終的には米国玩具最大手のHasbroが2018年に5.2億ドルで買収します。その時点で映像化権やテレビシリーズだけでなく、商品化権も全部もっていかれてしまってバンダイアメリカとしての売上の大半をもっていたパワーレンジャーズもなくなってしまいました。


――:「パワーレンジャー御殿」と言われた、トーランスの巨大自社ビルもその時に売却されてますよね。日本キャラクターが米国トップブランドになった稀有な実例でしたが、、、残念でしたね。あの後にBluefinを買収したのはどういう背景だったんですか?

あれは日本のコレクティブル玩具での最大手の輸入業者なんですよ。なので日本関連グッズを日本から米国に卸す部分を握って、米国での事業を確保した感じです。ただ現在もアメリカでの自社開発というのは、やめている認識ですね。


――:その後2017年にエイベックスアメリカに入社されてます。そのままロサンゼルスでの転職ですよね。それも私も似ていて、2016年9月にバンダイナムコスタジオシンガポールからブシロードインターナショナルに、駐在から駐在で転職しています。森川さんも同じ感じですかね?

はい、バンダイアメリカからエイベックスアメリカへの転職でした。その時はちょうどエイベックスが現地法人をロサンゼルスに立ち上げるタイミングで、米国展開を画策されてたんですよね。そこにしばらくしてから、バンダイアメリカでの帰国辞令がでていたこともあって、子供の教育環境のことなどを考えエイベックスアメリカに転じて米国に残る道を選びます。


――:エイベックスアメリカはどうだったのでしょうか?

ローカルの人間がトップでしたが、短期間に多くのことに手を出し過ぎたように思いました。また、日本の本社側も米国のエンタメビジネスの知識・経験が浅く、個々の案件の投資額も日本と比べて大きいことから、感覚的に耐えられなくなったように感じました。

私は日本の音楽出版部門との兼務で日本から契約をしていた米国作家とのリレーションをケアしていたこともあり、音楽出版の業務が中心になりましたが、有力なローカルスタッフもおり、良い作家も契約もいくつかできてましたので、とても残念ではありました。

さきほど述べましたようにメジャー系のレーベルは日本支社から海外に進出するのはテリトリー制によりやりにくさはありますが、エイベックスはそのような体制になく、日本主導で事業を展開しやすいので簡単にあきらめずにがんばってもらいたいですね。体力的にも欧米メジャーを除いては日本の音楽業界のなかで欧米・海外に挑戦できるのは現状エイベックスくらいしかないようにも思います。


――:韓国のBTSを擁するHYBEが2021年にアリアナ・グランデやジャスティン・ビーバーのマネジメントを行うIthacaを10億ドルで買収しています。彼らと日本最大手のエイベックス、何が違ったのでしょうか?

SMエンターテイメントも、10年以上前からアメリカに展開していました。わりと接点もあったので間近に見てましたが、本当にコミットの仕方がすごいんですよ。

SMは米国法人社長のドミニクは毎週韓国本社のCEO(イ・スマン)も参加する制作会議にリモートで出席して米国側の契約作家やビジネスパートナーから集めて楽曲デモ等をプレゼンしたり韓国側のA&Rと蜜な関係を築いていましたし、韓国側も世界市場を見据えた楽曲作りをしているので米国からのクリエイティブ・インプットは重視しているようでした。しかもCEO自身も頻繁に現地にやってくる。英語も話せるので直接現地職員やパートナーともやりとりする。そうした努力を通じてローカルの業界関係者としっかり関係を築いていて、こうした経営者自身が海外事業を推進する動きが、日本の音楽会社とは根本的に違っていた気がします。


――:日本の音楽系ですと、英語の課題はありますが、そもそも経営陣で海外居住経験者がほとんどおりません。

世代も大きかったかもしれません。K-POPの経営者は皆30~40代でひとまわり若かった。逆に歴史が長く市場も大きい日本だとトップでの関係性を築ける芸能関係者が多くて、ビジネス型の経営者は少ないように思います。かつ現地でのコミュニティの多さという意味でも中国も韓国も、在米日本人と比べると桁が違うほどローカルコミュニティが大きく若い世代が多いんですよね。そうしたハブとなる移民人材のボリュームも差を広げた一因かと思います。

あとここは聞いた話で確証がとれてませんが、韓国政府が音楽ベンチャーが米国法人設立コストをもってくれたという話も聞きました。SM、YG、JYP、HYBEこういった会社が日本を一足飛びに、米国展開も本気でやっているという熱量の違いは、日系音楽会社にいた自分としては悔しい思いも感じながら見ておりました。

 

 

■日米欧の音楽著作権の壁

――:ちょっと森川さんのヒストリーが面白すぎて、本題を忘れるところでした笑。最初は、音楽業界における国際的な契約法務のエキスパートということで、日本と北米の楽曲権利の課題と今後の発展方法についてお伺いしようとインタビューしたのでしたwここからちょっと専門的になります。

はい、そうですよね。私のキャリアとしては音楽業界での契約法務業務がメインではありますので笑。一言でいうとJASRACは便利でなんでもやってくれる反面、「選択肢の幅が少ない」というところが課題かと思っております。


――:JASRACは「信託」で著作権の形式的な移転が行われるよう、楽曲を丸ごと預かりますし、楽譜から映画・ライブに至るまで全部取り扱ってくれます。それぞれのシーンで利用された割合にそって、規定金額を徴収してくれる。そこから手数料を抜いて、信託した楽曲権利者には自動的に配分してくれるわけですよね?

そうですね。いわゆる仲介業務法ができた1939年以来現行の仕組みが基本的には続いているので、利用者からするとありがたいのかもしれませんが、この全支分権を丸ごとJASRACが取り扱う形式の弊害としては「権利者・利用者とも権利に鈍感になってしまう」というのを北米や欧州の楽曲管理の仕組みと比較して感じます。

そもそも音楽著作物の管理も米国がマーケットリーダーということもあり、影響力は大きいですが、米国のスタンダートが必ずしもグローバルスタンダードということはなくて、米国と欧州だって違いますし、日本は著作権法自体も大陸法の流れを汲むもので、集中管理の仕組みも欧州の流れを汲んでいるけど独自性も高い、という状態なんです。そのような違いを認識せずにJASRAC(≒日本スタンダード)をあてはめて楽曲の利用をグローバルレベルで展開をしようとする際に、さすがに最近は減ってきていると思いますが、漏れが起きたり海外の取引先などと話が通じなくなったりします。


――:JASRACは音楽著作物のいわゆる財産権のほぼすべての管理を行っていて、やってないのは客体が異なりますが、いわゆる原盤権(著作隣接権)くらい、という感じかと認識してます。かたや、米国はPublic Performance RightsはASCAP、BMI、SESACなどの管理団体がおり、Mechanical Rightsも、Harry Fox AgencyやMLC(デジタルのみ)が管理し、Sychronization Rightsについてそれぞれの出版者が自身で管理する・・・という具合で「全部一括で信託してくれている団体が存在しない」という認識です。

そうですね、しかも日本のJASRACは「信託」という形式での管理委託ですが、米国の団体への管理委託の形式はそもそも「非独占的ライセンス」であるため、団体に預けたとしても、それとは別ルートで権利者が自身で直接利用者と交渉してライセンスもできてしまうんです。


――:でもそれってデメリットじゃないんですか?面倒だから預けて全部お願いしている。YouTube配信はどうするんだ、テレビで放送されたものはどうするんだ、ASCAPがせっかくルールを決めても、「あ、権利者が今回のだけ無料でいいっていったんで」と適用外になっていたりする。個別でやっていると、申請しているほうも受けているほうも、企業法務が何人いても足りない。だから全部預けて安心というのがJASRACの肝だったかと思います。

柔軟性がないんですよ。権利者である我々自身も信託してしまうと、自分たちでもその楽曲は勝手には使えない。規定されたやり方にそって他のライセンシーと同じように申請して使わせてもらう。また、適用する規定が明確でない、規定をそのまま適用したくない例外的な状況等においても、使用者・権利者間で任意に条件を決めて進めることができます。

そもそもコマーシャルや映画でのシンクロ使用も基本的には一回ポッキリの金銭のやり取りで済むようなもので、ライセンスの手間はそれほど大変でもありませんので権利者自身が直接許諾をすれば良いようなものもありますし、集中管理の必要はありません。現に多くの国では出版権(出版物での楽曲使用)と同様に管理団体が扱っていません。日本でも現在は管理委託の方法も利用区分毎に自己管理を選択できるようになっていますが、事業部を別に用意して、移管する楽曲情報等を届け出をする等の煩雑な手続が必要で、依然として利便性が低いんです。


――:米国版JASRACといっていいかわかりませんが、ASCAPの利用許諾が裁判沙汰になったりしてますよね。

米国の映画業界が、優越的地位にあるという理由で映画の劇場上映における楽曲の演奏利用ついてはASCAPが利用許諾をしてはならいとの裁判所命令を勝ち取っており、このことで音楽出版者がシンクロとあわせて劇場上映の許諾を出すことが業界のスタンダードになっていきます。これはある意味影響力のある団体が自分の都合の良いように制度を変えたと見ることもできると思いますが、一方でつい先日デジタルおよびフィジカルの法定メカニカル・レート(statutory mechanical royalty rate)の大幅な引き上げを作家や音楽出版社側が勝ち取っており、利用者・権利者ともに自らの利益や権利に対する意識の違いを感じます。

これは、音楽ビジネスの歴史の違いにもよるものだと思いますが、中世ヨーロッパの楽譜レンタルを起源とする音楽出版ビジネスから始まり、その後の楽譜販売に発展し、楽譜が普及するとコンサート・飲食店等で演奏される機会が増えたことにより演奏権を創設を進めてその集中管理のしくみを作り、次にラジオ放送が始まるとそちらもカバーしていき、そして蓄音機が発明されレコードビジネスが発展すると録音権の集中管理制度を作っていきます。その後レコード会社が音楽ビジネスの中心となっていきますが、音楽出版も成熟したビジネスとして音楽業界内での一定の役割や地位を保持し、その発展に寄与していきます。

そのような過程を経ることなく、近代化・欧米列強との不平等条約の改善を目指すにあたり欧米列強からの求めに応じて導入した著作権制度や官製の集中管理制度からはじまった日本は異なる発展をして来たように思います。


――:なんか携帯料金のパケット払いか、月額定額課金かみたいな感じですかね。包括契約でほぼ意識せずに使い放題の日本の放送局が後者で、米国は前者なので皆データ容量に敏感だしその価値を認識してる。日本だと「JASRACの網掛け」の範囲からはずれた新しい利用方法(アプリゲームの中に入れて、無料ベースのゲームだけど世界中に配布する、みたいな)になった瞬間、誰も判断できず、“置き去りにされる"感じがありますが。

はい、そんな感じでしょうか。そして米国のASCAPやBMIといった演奏権団体は独占的・優越的な地位にありますので米国司法局(DOJ)のレビューを定期的受けているんですよ、料率が適当か、放送のブラケットライセンスの内容が妥当か等を放送局等の利用者団体からヒアリングをしながら審査をする。当然に毎回厳しい意見が出ます。前述の権利者から直接ライセンスを取得できる道筋を残すこととなったのもそのような審査プロセスにおいて管理団体のみから演奏権のライセンスを得られないとすることを競争当局が問題視したことによると聞いています。

話がそれちゃいましたが、つまりは日本は制度的にAll or Nothingで全てを任せるか否かの2択しかない状況が長く続いてしてしまったことが課題だと思いますが、それは上述の音楽ビジネスの歴史やJASRACの実質的な独占が70年以上ずっと続いてきたことによる弊害だと思います。2000年代に入って著作権等管理事業法が仲介業務法に替わる形で導入され、JASRAC以外の団体も参入できる環境になって新規参入は現在ほぼNextoneに集約されましたが、いまだに市場シェアの9割以上を握るJASRACに比べると差が大きすぎて、機能的にもサイズ的にもまだまだ競争原理が十分働くに至ってないように思います。このあたりは市場占有率では米国のASCAP、BMIの比ではありませんので行政側のより積極的な監視や競争を促す働きかけはあってもよいように思います。


――:いずれにせよ「日本は70年間銀行にあずけっぱなしにして運用してこなかった」みたいな状態というのはすごく理解できます。そのなかでレーベルやテレビ局が、ちょっと比較優位で使ってきたところもあって、そろそろ個々人が自分の権利に気づいて、運用できるように仕組みを変えていかないとね、というフェーズだと思います。

そうですね、欧米礼賛というつもりではないのですが、音楽ビジネスということではやはり歴史も違いますし、規模もグローバルで多くの資本と優秀な方々が集まりビジネスの手法も洗練されています。日本は依然世界2位のレコード市場であり、機能している知財関連法規と管理制度がありますので、その取引慣行や制度も国際的なハーモナイゼーションを進めて海外の投資家・事業家から投資先として魅力的に見えるような市場になって行って欲しいです。

かつてはメジャーの一角でありましたドイツBMGが、SMEによる2008年の買収後に再出発をしていまは準メジャーというところまで来てますが、一度、本社側のエグゼクティブと日本への進出の可能性について話をしたことがありました。アーティスト契約する上で日本に拠点を有していることは重要と考えているとのことでしたが、市場の特殊性・成長性等を鑑み中国・インド・ブラジル・アフリカといったいわゆるemerging marketsを優先しているとのことで、世界2位のマーケットなのにちょっとショックでしたね。ただ、これは音楽業界に限った問題でなく、日本全体の問題なのかもしれません。

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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