【フランス編・後編】日本IPの欧州展開のイマ。Japan Expoからみる原風景 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」
2026年7月9-12日にフランスで25周年となるJapan Expo(JX)が開催された。来場者数は22万人、昨年の23万人や2019年、22-23年の25万人にくらべると「落ち着いた数字」ではある。だがもはや欧州最大規模のJXにとっては「規模」を追うことはゴールになっていないような印象もある。チケットは高額化しており、マンガ・アニメ・ゲームのみならず、武道の稽古からインバウンド・食・果ては運動会まで日本にまつわるあらゆるものを祭り上げる「Japan」を楽しむイベントになっている。後編では、前編で取り上げた企業動向に続き、マンガ・アニメを軸に、欧州で日本IPがどのように受け止められているのかを追っていく。
■「刃牙」シリーズ板垣恵介氏インタビュー:「刹那」と「究極」を求めた唯一無二のマンガ『刃牙』
Japan Expo2026の目玉は「刃牙」シリーズの板垣恵介氏の基調講演である。今回はその現地メディアとのインタビューに臨席することができた。
板垣氏は高校時代に少林寺拳法を、その後入隊した自衛隊時代にボクシングを経験していた。自衛隊に入った理由は3年間の少林寺で体力が飛躍的に向上し、「自分ならトップを取れるんじゃないか」と思ったからだ、という。自衛隊時代には毎朝4キロのダッシュトレーニング、自衛隊としての役務を終えた夕方にはジムワークに励み、それが終わってからボクシングの練習までこなしていたというほどの武闘派である。オリンピックの要請選手すら目指していた板垣氏が、なぜ「マンガ家」という対極的な仕事を目指し始めたのか?それは血液検査で突然B型肝炎にかかり、体調もコンディションもよかったのにも関わらず入院することになったからだ。1年弱もの間、ボクシングをやれないという状態に陥り、その時に描く方に人生を一気にシフトさせた。小池一夫の「劇画村塾」へ入塾、『メイキャッパー』(1989)でデビュー後に、1991年秋田書店の週刊少年チャンピオンで連載が始まったのが格闘漫画の金字塔『グラップラー刃牙』、ちょうどK1がスタートし、PRIDEなど総合格闘技ブームが日本で始まるタイミングでもあった。
マンガに心得はあったのか?小学生6年から高校1年の4年間で一番ハマっていたのが『あしたのジョー』だった。それがもはや“古典"になってきた1980年代に、このジャンルでより優れた作品を自分なら作れると筆をとりはじめる。「でも、思い上がってたんだと思います」と本人がいうほど、ちばてつやがどんな人か、『あしたのジョー』にどれだけの技術が込められてきたかもわからない状態での発言に過ぎず、「そんなところから勝てると思ってた」という勘違いが今の板垣氏をこの成功まで導いたともいえる。客観的に傑作と自分の技術を見極めるようなタイプであれば、どだい最初からマンガ家を目指す野望ももっていなかったのかもしれない。

フランス人記者は板垣氏との共通点を真樹日佐夫氏と梶原一騎氏に感じるという。たしかに影響は受けており、真樹氏とは親交があり、もし梶原氏が生きていたら仲良くなったと思う、そのくらいに3人は近いものを求めている気はする、と板垣氏は答えた。同じ側面で言うと小池一夫氏の名前も挙げられるだろう。小中高でハマったマンガをみると必ずそこに「原作者・小池一夫」の名前があったという。ああ、この人の時代になったんだなと思っていた、という。
実際に小池一夫氏の劇画村塾(東京第6期生)に入っていた板垣氏は「キャラを起てる」というところで、短い時間でいかに登場キャラを魅力的にみせるかの手法を学んだ。7ページ以内、その3回ほどめくるうちにそのキャラが魅力的になっている。そんな魔法のような「魅せ方」が劇画村塾にいた半年のなかで習ったという。同期で60名ほどの生徒が学んでいた。皆が自信満々のなかで、遅れてマンガ家を目指した板垣氏は年齢でいうともう一番上から2番目の最年長者の領域だった。それでも「すごい自信があった」という。すでにその時点で担当編集ついており、読切も描いていたのでその60数名の中でも一つ頭抜けた存在ではあった。
海外のプロのボディービルダーなども参考資料として取り入れた。日本ではあまり人気の競技ではないので、わざわざラスベガスの大会はに行って何度も勉強した。処女作となった『メイキャッパー』(1989~91、小池書院『ヤング・シュート』連載)はメイクアップアーティストという全く得意じゃないジャンルで勝負した。バトルはいつでもかけるし、すぐに売れるようになるだろうと思っていた、という。だからこそ苦手ジャンルで腕試しをした。今振り返ると全部書き直したい出来だが、と苦笑いする板垣氏。そうした中で新しい作品を描いてくれないかと話を持ち込んだのが秋田書店の沢孝史氏だった(現:秋田書店常務取締役編集局長、取材にも同席していた)。もうメイキャッパーはやりたくない、やるんだったらこういう企画はどうかといったのが『グラップラー刃牙』になった。
この1990年代はプロレスから派生しての総合格闘技ブームの真っ最中だった。「だが、総合をそのまま描いても面白くない。むしろプロレスのように、お互いの持ち味を出し合う・魅せ合うほうがエンタメになる」として、格闘技だがプロレス興行のような見せ方でストーリーがはじまる。結果的に「売り物」としてのマンガとしてはこれが正解だった。
板垣氏は当初から範馬勇次郎、愚地独歩、花山薫などの「モンスター」達はうまく描けていたという。だが課題は「きれいな顔」だった。それがうまく描けずに模索している中で出会ったのがおおた慶文氏(1951~、画家・イラストレーター)の画集ポスターだった。その模写で描いた女の子の顔に、少しずつ男っぽさを加え、そこから生まれたのが「範馬刃牙」になった。
『燃えよドラゴン』にも大きなショックを受けた、という。それをみたときの感動そのものは描けないけど、人々にその感動を与えられるものが作れたらいいなとも思う。実際にその美しい肢体やスポーティなブルース・リーはそのまま刃牙にも投影されている。ブルース・リーを真似した平のデトロイトスタイル、そこから現在の刃牙のスタイルが生まれている。
現在もどのくらい格闘技に触れ、写真・動画などの素材を参考にして描いているのだろうか?もちろん格闘技は全般的に見ている、という。相撲も柔道もレスリングも全部みるし、特にあえて好きなものは、と問われるとプロボクシングと答えている。だが若いころとの大きな違いは「正直、写真も動画も、いまは参考程度にしか使っていない」という。むしろ現実をみることで、本当はここまでの熟慮と幾千もの努力の結集であったならと「一つの打撃」に込められた膨大なる修練を描くような板垣漫画だ。現実を現実のまま描写していたら、あそこまでのものにはならないだろう。板垣氏は今ではほとんど取材という形では試合をみることがなくなっている、という。「もう取材は、し終わっているんだと思う」という彼の言葉は、むしろこれまでの40年にいかに多くの“現場"や“仕合い"を凝視してきたかを反証しているようにも感じた。
板垣氏のマンガを芸術たらしめているものは何か。それは「一瞬を極大まで拡張させようという試み」である。手塚治虫氏が「1万年もの時間軸を、マンガの数十ページに込める」作家だとすると、板垣氏は真逆である。「1秒でおこったことを、いかに数十ページに広げるか」を追求してきた、という。「一枚の絵でみたら写真や動画より、俺の絵のほうが力強いと思う」という言葉はまさにそのとおりだろう。マンガというのは一つの事象の誇張表現である。
「刹那」「究極」「美しさ」「強さ」、板垣氏の格闘マンガは「超人的な頑張りをする人間の魅力」を極大にまで広げようとした結果の現われである。気絶するまで練習を続けていた、みたいな伝説的な逸話をよく聞いてきたという。東京ドームの真ん中で衆人環視のなかで切腹したらどうなるんだろう、関ヶ原の戦いのど真ん中で試合をしたらどうなるんだろう、そういった妄想をしながら、作品を描いている。
実はフランスには「BAKI」と名乗る格闘家がいる。欧州にも多くの刃牙ファンがおり、それが格闘家への道を決意させるきっかけになっている例も珍しくない。板垣氏は「その彼が決して強くなくても、人気がなかったとしても、刃牙の影響でそうしてくれたことは本当にありがたいこと」と語っている。
最後にメディアの質問で「理想的な格闘家はいるか?」という問いがあった。板垣氏はすこし考えて、間をおくと、こう答えた。「それを探す旅をしてるようなもの、だと思う。これから先もずっと探し続けるんだと思う」と。最後に40年最前線で唯一無二のマンガを描き続ける板垣氏に、人生の糧になっている言葉はあるかという質問が向けられる。答えは「心配事は準備ができたら楽しみに変わる」、その言葉にいままでずっと助けられてきた、という。

■アニメ「神の雫」、フランスにおける伝説となった原作の今
『神の雫』のインタビューは、フランスのメディアを対象に行われた。登場したのは糸曽賢志監督と、主人公・神咲雫役を務めた亀梨和也氏だ。本作はCrunchyroll発のアニメで、同社が悲願としてアニメ化を実現したものだ。2004~2014年に講談社「モーニング」で連載されたマンガ作品で、2009年には日本テレビでドラマ化された。その際に主人公・神咲雫を演じたのが亀梨和也氏だった。その後、原作は日仏米共同製作の国際連続ドラマ『神の雫/Drops of God』として映像化され、2023年にシーズン1が配信。2024年には国際エミー賞「連続ドラマ部門(Drama Series)」を受賞した。2026年には第2シーズンが配信されている。
通常はマンガ→アニメ→国内ドラマ→海外実写化、といった流れを想像しがちだが、『神の雫』に関してはマンガ→国内ドラマ→海外ドラマ→日本アニメ化と、まるで逆輸入のような状況だ。ただ、先行する映像作品があること自体が、今回のアニメ化における大きな制約になったわけではないという。「ワインを知らない人が見ても、『ワインを飲むとこんな不思議な世界が広がるのか』と思ってもらえるように作った」と糸曽監督は語る。
原作が2004年に始まった作品であるため、当時と現在ではワインを取り巻く価値観や状況も変化している。ここで「十二使徒」として扱われるものが“懐かしい"と感じられてはいけない。
ハイライトは、ワインを飲んだ瞬間に広がる「景色」だろう。ワインを口にした瞬間の感覚や記憶、香り、情景をどう可視化するか。実写とは異なるアニメーションならではの表現が可能であり、そこが本作最大の見せ場であると同時に、一番の挑戦でもあったという。
国際エミー賞を受賞したドラマ版『神の雫』の後にアニメを手掛けることに、プレッシャーはなかったのか。そう聞くと、糸曽氏は「実は……1話だけしか見ていないんです」と答えた。ただし、それは作品への関心がなかったからではない。「先行する映像作品の解釈に自分が引っ張られないよう、意図的に第1話で視聴を止めた」のだという。実写ドラマ版では、原作の神咲雫にあたるポジションに女性主人公カミーユを据えるなど、大胆な再構築が行われている。樹林氏からも「好きなようにやっていいよ」と言われていたので、自分は自分なりの『神の雫』にしようと集中して創りこんでいった。
自身も当初はワインに詳しいわけではなかった。そこで原作の膨大なエピソードを洗い出し、どの物語をアニメの何話に配置するのか、フォーマットの違いに合わせて再構成していった。もともとマンガ・アニメの素材のなかでも「ワインもの」というのはニッチな部類だが、上記のような話運びもあって、『神の雫』は唯一無二ともいえるユニークさのある作品だ。なにせワインを見つけるためにマッターホルンに登ったりする話だからだ。1~7話は比較的シリアスな人間ドラマとして進むが、その後、ライバルの一青が「新しいワインを求めて」砂漠へ行ったり、遊園地を貸し切ったりするなど、物語のスケールは次第に大胆さを増していく。 そうした原作ならではのダイナミズムやユーモアも含めながら、ワインと人生を描き、アートアニメ的な表現も取り入れた作品になっているという。
最初に迷ったのは人間ドラマにするか、ワインの蘊蓄を語るものにするか、という点だったという。当初はワインを主役とした展開にしていたが、実際に仮収録を行い、声にして作品を検証してみたところ、知識を前面に出し過ぎる構成ではドラマとして十分に機能しないことが見えてきた。 そこで、アニメというフォーマットでは知識を詰め込み過ぎるのではなく、思い切って人間ドラマへ軸足を戻すことにした。端折らないといけない部分も多かった。だがあらすじでストーリーを進めてしまうと視聴者も物語のなかにイマイチ入り込めない。Crunchyrollの協力も得ながら、ロケハンとしてフランスのワイナリーを巡った。時間をかけてシナリオを作りこんでいった。
『神の雫』を筆者なりにあえて親しみやすく表現するなら、「品のいい『ミスター味っ子』」といえるかもしれない。アニメのなかでもアート寄りで、歴史やワイン知識がふんだんで、その原作の中身をどこまで限られたアニメの尺にいれられるかは難易度の高い試みだった。「音と色と光のハーモニーで味を表現する。そこに一番こだわった」という。商業アニメとして多くの視聴者に届けることを前提としながら、アートアニメの持つ自由な表現も積極的に取り入れ、その中間地点を目指した作品だ。
商業アニメの世界にいるとアートアニメの作家と会うことがほとんどない。だが『神の雫』という作風にあわせて糸曽氏は、Xでダイレクトメッセージを送り、アートアニメの作家にも手伝ってもらった。第2クールのエンディング映像には村松怜那氏、第1クールの特殊オープニング映像と第2クールのオープニング映像には大谷たらふ氏を起用。作品を見て「この人にお願いしたい」と思った作家に、糸曽監督自身が直接声をかけていった。既存のテレビアニメ制作の枠内だけでスタッフを探すのではなく、作品に必要な表現から逆算して人材を探し、自らチームを組成していった形だ。アートアニメといえば山村浩二監督の『頭山』(2002、アヌシー・グランプリ賞)や『カフカ田舎医者』(2007、オタワ映画祭グランプリ賞)などの領域だ。本作が商業アニメとしてだけでなく、そうした異なる視点からどのように受け止められるのかも興味深い。
そうした中で一番の疑問は、どうして俳優である亀梨氏を声優として起用したのか、というところだろう。もともと原作アニメだけでなくドラマも素材として勉強している中で、頭の中で主人公の雫=亀梨和也で自然と一致してしまった、と糸曽氏はいう。さらに、実写版で同じ主人公を演じた俳優が、17年後にアニメーションでも同じ役を演じること自体が非常にユニークな試みになると考えた。声優初挑戦となる亀梨氏の状況も、「初めてワインの世界に飛び込んでいく」雫というキャラクターと重なる。そこで糸曽監督自身が強く希望し、出演を依頼したという。
亀梨和也氏自身も2009年以来、約17年ぶりとなる今回の配役で、しかも声優は初挑戦である。オファーがあったときには「驚きました。まさか(ドラマと)同じ役で、(アニメという)形の違うものでやるとは思わなかった」という亀梨氏。アニメ声優は完全に初めての挑戦で、右も左もわからず、ゼロ地点から台本の読み方なども学んだという。先ほどまで泣いていたと思ったら、次には「おはようございまーす!」という快活な声を出したり、場面ごとに切り替える感情表現の難しさはドラマとは違ったものがあったという。アフレコはマイク4-5本で、時には20人で一斉に収録するという場面もあり、楽しかった、と答えた。
今回のアニメは2クール24話。原作『神の雫』は全44巻に及ぶため、すべてをそのまま映像化することはできない。膨大なエピソードの中から何を残し、何を組み替えるのかがシリーズ構成上の大きなポイントになった。「続けられるのであれば、最後まで描きたい」と糸曽氏は話す。2クール24話でいかにワインの十二使徒の話を集約していくか。どこで構成をゆっくりにして人間ドラマを深く見せ、どこで早いパターンでストーリーを流すか、などを調整していったという。
Japan Expoが開催された7月はまだ放送期間中であり、制作も終盤を迎える非常にタイトな時期だった。それでも本作とフランスとの深いつながりを考え、「Japan Expoには参加したい」と以前から予定を確保していたという。制作の最終局面と海外イベントへの参加が重なる中での、慌ただしい渡航となった。
本件とは別だが、糸曽賢志監督といえばスタジオジブリが1998年に開催した「東小金井村塾2」の合格生であり(高畑勲監督を塾長とする第一回と宮崎駿監督を塾長とする第二回があった)、公募であつめられた生徒たちは高畑勲・宮崎駿両監督の直接指導を受けたことで有名だ。高畑勲監督、押井守監督、庵野秀明監督もゲスト講師として各々一度ずつ参加している。
そこで有名なのが、糸曽氏と宮崎氏との面接でのやりとりである。糸曽氏の記憶によれば、宮崎氏が面接中、『となりのトトロ』について「トトロはかわいいだけの生き物ではない」という趣旨の話をした。多くの受験生がその話を聞く中、糸曽氏は「トトロは肉食ではないと思う。臼歯ですし、草食動物ですよね?」と質問を返したという。結果、そのグループから糸曽氏は合格した。
その真偽を問うてみると、「実話です」とのこと。スタジオジブリが珍しいことにその時期だけ後継者育成の採用をしており、複数のグループワークのテーブルに分かれて、ちょうどそこで面接官としてついていたのが宮崎駿氏だった、という。一方通行の受け答えが多い中で、「自分はもうちょっとみなさんと対話のような形で話したいんです」という宮崎氏の言葉に、自分もちょっと賭けのようにエッジのきいた回答を返したことが功を奏した、とのこと。もともと動物が好きだったからこそ、とっさに出た疑問だったという。結果として、相手の言葉をそのまま受け取らず、自分の知識と感覚から問い返したことが印象に残ったのかもしれない。
当時の応募者や参加者の中には、その後アニメ業界の第一線で活躍することになる人材も多くいた。同期で入塾したのは『青の祓魔師 ―劇場版―』の高橋敦史氏、ジブリ入社を経て『EUREKA/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション』などを手掛けた奥村正志氏、『千と千尋の神隠し』助監督を経て『亡念のザムド』を手掛けた宮地昌幸氏など。この約30年前の学びが、現在の『神の雫』に続いていると思うと感慨深い。
もともと他の人がやらないようなことをずっとやってきたという糸曽監督。学生時代には決して目立った存在ではなく、「皆が真正面から剣で戦うなか、影からブーメランとか投げているようなタイプだった」という。正面から皆と同じ競争をするというより、少し違う角度から自分の勝負どころを探すタイプだった、という意味だ。そうしたユニークなポジションに身を置き続けてきたことが、現在の独自のキャリアにもつながっている。
ジブリで学んだ後、マッドハウスの丸山正雄氏に声をかけられ、今敏監督の『夢みる機械』に演出として参画したり、SMAPの全国ツアー映像監督をしたり、と糸曽氏の活動の幅は広い。 映像制作と並行して教育活動にも携わり、2012年に大阪成蹊大学芸術学部教授に就任。2019年からは同学部の学部長を務め、現在も映像制作の現場と高等教育の双方に関わり続けている。
よく考えている命題は、「忘れられるけどその時売れるモノ」と「その時は売れていないが忘れられないモノ」どちらが優先されるべきか、というものだ。若い頃は「生きている間に売れなければ意味がない」と考えていた。しかしキャリアを重ねる中で、短期的な数字だけではなく、何年経っても誰かの記憶に残る作品をつくることの価値も強く意識するようになったという。もちろん商業作品である以上、多くの人に届けること、結果を出すことは重要だ。その一方で、作り手自身が「この作品を作ってよかった」と長く思えるものを残す。『神の雫』は、その両方を目指した作品の一つになった、と答えている。

■アニメイト海外35店舗、日本IPの海外展開インフラ
アニメイトCEOの外川明宏氏は前職のトーハン時代に日本企業をJXに誘致する仕事もしていた。ちょうどJXがAXを上回る「世界最大のアニメイベント」とうたわれていた時期である。日本企業の出展ピークは2010年ごろ、当時は120社ちかくも出展社がおり、その半分近くを5つのホールどこに出していくかという窓口業務、輸入や販売代行、企画のコーディネートまで行っていたという。政府が販促助成を出すJLOXを活用していた会社も100社に広げるような時代だったため、それもまた活況に輪をかけていた。今回もJX内にある「マンガフェスティバル」は前職から関係しており、現在は角川メディアハウスのプロデューサー鳥山竜宏氏がとりまとめている。IP360の助成金も適用になり、出版社17社が共同で展開する300平米のかなり大々的なスペースに多くのトップ作家たちの原画やサインが所狭しと飾られている。


ちょうど中国→韓国→北米→と周遊してフランスにわたってきたという外川氏。韓国はすでに4店舗目(Suwon)が着手されており、2か月ほどのPOPUPで検証された「市場」にむけて、出店計画が精緻化される。7月は日本には2日間しかいないほどの多忙な「フェスティバルシーズン」である。ここからもそのまま東南アジアにも足を運んでいく予定だという。米国でも2023年9月にロサンゼルスで米国1店舗目を出しているが、現在はサンフランシスコでPOPUPで2店舗目の検証中である。リスクの高い店舗展開は、通常2か月程度のPOPUPで市場の温度感、現地のファンダムの濃さ、売れ行きをチェックしながら、3年ほど不定期にPOPUP展開を繰り返す。認知を広げる動きと現地の需要マーケティングを並行して行い、着実な手応えとともに常設店を展開する。
売れるものは「定番+ノヴェルティ(新しさ)の掛け合わせ」だ。『鬼滅の刃』というブームが起こってから『呪術廻戦』『ダンダダン』『葬送のフリーレン』などトップ作品は順繰り入れ替わりながら、現在も『NARUTO』や『ONE PIECE』などの定番作品は堅調である。5-10年続けばそれが新たな定番となって、需要が安定的になっていく。その重ね塗りの結果として「日本IPファン」が地層のように重なっていくのだ。その意味では韓国発の『エイリアンステージ』などもそのノヴェルティのエッセンスとなっているのだろう。米国アニメイトでもフランスアニメイトでも同作の人気を肌で感じた。
アニメイトの海外店舗展開はコロナのロックダウン影響が収束した2023年ごろからの3-4年で急激に進んでいる。動画配信バブルでアニメの需要増えており、「ちゃんとやったら、まあまあ売れるな」という感覚で、米国も韓国・アジアに展開してきた。中国6店舗、台湾3店舗(POPUP含めで5店舗)、タイ2店舗、香港・マレーシアで1店舗ずつ、直近ではベトナムとフィリピンでもスタートする予定である。

アニメイトは日本のアニメ・ゲーム・キャラクターの版元にとってもライセンシーにとっても「インフラ」である。アニメイトが法人として展開している市場は、代行してグッズを一括仕入れをしたり、イベント物販で売れ残った商品の在庫販売を店舗で行うなど協力を調達できる。以前2025年10月にマレーシア公式第1店舗目を誘致した三井不動産ららぽーとの安田氏に話を聞いた際にも「アニメイトは“日本アニメ業界のルイ・ヴィトン"である」といった発言があった 。アニメイトがアニメに興味をもつローカルファンダムを最初に集めることでその周辺に日本好きの経済圏ができあがるのだ。アニメイベント×アニメイトというのが一つのインフラとなって、各社が海外展開にでていくときの「ハブ」になっているのだ。だからこそ現在のアニメイトの海外店舗の最前線≒日本IPの海外需要の“回収率"をあげる意味では国策性すら帯びるようになってきている。
アニメイトにとっての強敵は、中国・韓国のリテーラーである。彼らはアニメイトの出展を待ち構えており、自分たちが興した需要をその周辺に5店舗、10店舗と並行で彼らがでてそのニーズを取り切ってしまう。安田氏の取材でも出てきたように、アニメイトが出展すると、半年もしないうちに「アニメイト包囲網」が出来上がっている。韓国のAKビルもタイのMBKセンターも私の見てきた限り、同じ現象が起きている。
だが例えばPOPMARTのような2024~25年の怒涛の出店トレンドが2026年に若干陰りがみられはじめている。そういった場所で「店舗入れ替え」のオファーがいまになってき始めている。広州でも一等地にあったスターバックスのかわりにアニメイトを、という話もでているようだ。安売りせずに「アニメイト」というブランドを維持してきたことで、最近になってからずっと狙ってきたいいポジションでの出店オファーがきているようだ。現在は国内125店舗に対して、コロナ前には20足らずだった海外店舗がいまや35を数えるところまできている。このままいけば、海外50店舗も射程圏内である、という。

▲アニメイト@Paris開店待ちに並ぶ長蛇の列
日本企業の海外展開は北米中心になりがちで、また近年ではイベント出店コストなども含めると東アジア・東南アジアでの展開のほうが目立つ。15年前にはトレンドと化していた「欧州市場」をどう考えるべきかと聞くと「欧州の優先度を下げちゃダメだと思います」という外川氏。現在パリとロンドンではPOPUPを展開しており、2026年末には悲願の欧州常設店がロンドンで開始される予定だ。来年はスペインのマドリッドでのPOPUPも計画している、という。
■パリ市街に進出する日本アニメグッズ、「商業の開祖」の街に日本IPは受け入れられるのか
今回はフランスのJapan Expoについて数多くの日本企業の参加、板垣氏や糸曽氏などのクリエイターのインタビュー、そしてインフラとしてのアニメイトの海外展開について話を伺ってきた。最後に、実はフランス・パリの市街においても日系IPがどんどん進出している状況をレポートしたい。
商業施設Westfield Forum de Hallesでも『原神』や『ONE PIECEカードゲーム』のPOPUPがあったり、任天堂も大型店舗が展開されている。POPMARTもあり、トレンドの中心地としてまずはここに向かう観光客が多いようだ。






また驚いたのは37 Rue de Rivoilのシテ島近くにあるガシャポンPOPUP Storeである。1回€20~25(4-5千円)という値段も驚きだが、ほぼミニフィギュアの自動販売機のような様相でユーザーも沸いていた。店内には大型ディスプレイでアニメやダンス・音楽も鳴り響き「盛り場」としての機能は十分。ついにガチャはパリをも制する時代に入ったか…とオシャレなカフェに囲まれたこの中心地で「ガシャポン」の文字が目立っている。


Boulevard Voltaire(ヴォルテール通り)には昔から「オタク通り」と呼ばれるフィギュア専門店街がある。1990年代からレトロゲームショップの発生地で、ゲームソフトを扱うTrader GamesやSat Elite Gamesなどの独立系ショップが相次いで出店。そうしたストリートが日本の地上波アニメとして『ドラゴンボール』『聖闘士星矢』『美少女戦士セーラームーン』などの大ヒットとともに、2000年代に入ってそうした青年期をむかえたアニメ好きの子供達にむけてアニメDVDやフィギュアがおかれるようになった経緯は日本の秋葉原とさほど変わらない。現在に至るような本格的なポップカルチャーメガストア街になっていったのは2010年代も後半になってからの動きである。この成長はまさにJapan Expo自体の成長を軌を一つにしている。










フランスといえば日本のデパートの目指す原点にもなっている聖地Le Bon Marcheがある。1838年に始まり、1852年から「百貨店」という業態そのものを発明した店舗でもある。こうした商業の始祖のような街中で、ガシャポンショップやフィギュアショップを見かけるようになった、というのは明らかに2020年代の画期的な変化である。前述のようなヴォルテール通りのような“オタクの囲まれたストリート"ではない。れっきとしたファッションや宝飾品、モバイルショップとともに、マスに受け入れられた日本アニメグッズが並ぶ日はそう遠くない、と感じたフランス出張の日々であった。



会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場