新年のご挨拶(株式会社ビジプル 長谷部 潤)



「ソーシャルゲームインフォ」の長谷部です。いつも当メディアサービスをご覧いただきありがとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
 
平成31年を迎えました。いよいよ本年5月には新元号へと切り替わり、平成時代は終わりを告げます。この31年の長きにわたる平成の世は、「ゲームの31年」と言っても良いかと思えるほどに、ゲーム業界が勃興・興隆し、そして大きく変化していった時代でした。

 
平成のゲーム史を10年ごとに区切る
このゲーム31年史は、実にシンプルに10年ごと――平成元年~10年(平成前期)・平成11年~20年(平成中期)・平成21年~31年(平成後期)――に区切ることが出来ると私は考えています。つまりは・・・
 
■平成前期(西暦1989年~1998年)~据置型ゲーム機の時代(性能重視)
■平成中期(同1999年~2008年)~モバイルの時代(簡便さ重視)
■平成後期(同2009年~2019年)~スマートフォンの時代(性能も簡便さもスマホ一つで!)
 
・・・といった感じです。今回はこの31年にもわたる「平成ゲーム史」を三つの10年に分け、それぞれお話してゆこうかと思っています。ゲームメーカーが何に注力しゲームが進化し、ユーザーがその都度何をゲームに求めゲームの潮流がどう変化したのか。過去を改めて振り返るとある意味『必然の連続』で今が成り立っていることが分かるかと思います。その必然の連続の「次」として、新元号が始まる本年以降、どうゲーム市場が変わってゆくのかを皆様と考えていければ、と思っています。
 

 
 
■平成前期(平成元年~10年)~据置型ゲーム機の時代~

ソフトウェアの重要性~スーパーマリオの登場がファミコンの地位を確立させた~
平成前期は、まだまだハードウェアの性能が低く、据置型でなければそれなりのゲームを楽しむことは難しい時代でした。そのためハードウェアメーカー各社は如何にしてゲーム機の性能を上げられるかに集中し、その上でソフトウェアメーカーを囲い込んで、よりゲーム機の性能を活かせられるゲームソフトウェアを作ってもらえるか、が重要と考えられていました。
 
「売れるソフトウェア」が如何にハードウェア、つまりゲーム機にとって重要かについては、昭和58年(83年)に登場した任天堂の「ファミリーコンピュータ(ファミコン)」の年次国内出荷台数を見ると分かりやすいかと思います。登場年の昭和58年は夏に登場したこともあり45万台。翌昭和59年(84年)には165万台。そしてその翌年の昭和60年(85年)には一気に374万台にまで年次出荷台数の伸びが加速します。当時の世帯数が3,800万ですから昭和60年の急伸で「キャズム(=普及率16%)」である累計600万台にほぼ近い数字となっています。
 
はっきり言って登場翌年までは、ファミコンはまだ「際物」といって良い存在でした。当時、私は高校三年生でしたが、唯一保有している友人の家に入り浸ったものです。ところが昭和60年にそれが大きく変わります。きっかけは一本のゲームソフトでした。同年9月に登場した「スーパーマリオブラザーズ」です。ファミコンという8ビットマシンの性能を骨の髄までしゃぶりつくした圧倒的ゲームクオリティにより、ハードウェアの出荷台数をも飛躍的に伸ばしたのです。そして翌昭和61年(86年)にエニックス(当時)から画期的RPGが登場します。そう、皆さんご存じの「ドラゴンクエスト」です。昭和61年のファミコンの年次出荷台数は390万台と急伸した前年をも上回り、家庭用ゲーム機=ファミコン、の地位を確立することになります。
 
少し、昭和の話が長くなり過ぎました。つまりはハードウェアの性能をとことん引き出せる面白いゲームソフト――それこそが、ハードウェアの販売においても必須である、という大前提そのままに、平成時代が始まったということです。

 
PlayStationはなぜ次世代ゲーム機戦争に勝てたのか?
昭和時代に圧倒的ポジションを確立した任天堂=ファミコンですが、平成2年(90年)にその後継機となる「スーパーファミコン(SFC)」を発売。これに対し各社から様々な対抗機が発売されます。「ネオジオ」「3DO」「PC-FX」「ピピンアットマーク」などなど。より大容量で低コストなCD-ROMを採用したり、ネットワーク接続を可能としたり、SFCにない様々なハードウェア的付加価値を加えた機器が多かったものです。
 
そうした中で平成6年(94年)から平成8年(96年)にかけて、三つのゲーム機が発売されます。平成6年11月にセガ(当時)から「セガサターン」、同年12月にソニー・コンピュータエンタテインメント(当時)から「PlayStation(プレステ)」、そして平成8年6月に任天堂から「Nintendo64(N64)」――この三つです。この三機種の戦い(当時は「次世代機戦争」と呼ばれました)に勝利したのは、ご存じのようにプレステとなります。累計売上台数を国内だけで見ますとプレステの1,900万台、セガサターンの580万台、N64の554万台と、プレステが他を圧倒する結果となったのです。
 
勝因は色々言われていますが、大きなところではやはり人気RPGタイトルのプレステ移行があげられると思います。N64が発売された平成8年6月を挟んで、二つの大きなRPGタイトルが任天堂陣営からSCE陣営への移行を発表したのです。平成8年年初にスクウェアが「ファイナルファンタジーVII」が、翌平成9年(97年)の年初にはエニックスが「ドラゴンクエストVII」を同じくプレステで発売することを発表。これで一気にプレステ人気が高まりました。
 
もちろん、単純に人気タイトルが移行しただけが理由ではなく、その移行のきっかけ・素地として思い切った3Dグラフィクスへの移行(かつ、その必要性を各ゲームソフトメーカーに理解させたこと)、ゲーム開発者に対しスピーディで合理的な開発環境を整え提供できたこと、など多くの勝因があるかと思います。

 
ハードウェアにおける「大艦巨砲主義」の終演
その後の他2機種ですが、セガは平成前期最後の年となる平成10年(98年)に起死回生の「ドリームキャスト(ドリキャス)」を発売しますが、湯川専務の自虐CMとともにフェードアウトしてゆきます。N64はCPUが16ビットからようやく32ビットへという時代に一気に64ビットまで引き上げ、ハードウェア性能の上では他を圧倒することが出来たものの、開発のハードルも性能同様に引き上がってしまいました。一方で開発環境の大きな改革が見られなかったため(64DDも大きく遅延)、N64への参入に難色を示すゲームメーカーが増え、致命的なタイトル数不足へと陥ってゆきます(個人的にはN64時代のレア社のタイトル群が全時代を通じて一番好きですが・・・)。
 
このように平成前期は、ハードウェア、特に据置型ゲーム機の性能を追求する時代でした。ハードウェアの性能を上げて、ハードウェアの限界を理解して、その上で開発環境をより良いものにして、各社が据置型ゲームを軸に戦っていった時代でした。そしてプレステの勝利は、そのまま平成12年(00年)、プレステのソフトウェア遺産を引き継ぎ、かつ当時高価でなかなか手の出なかったDVDの再生機能をも組み込んだ「PlayStation 2(PS2)」の登場によって決定的なものとなってゆくのです。この時代の終わりに突出した性能を追求したドリキャスとN64が「敗者」となってしまった――そのこと自体が、この時代の終わりを告げているように私は思えてなりません。
 
また、これまで伸び続けていた日本の家庭用ゲーム市場ですが、N64登場の翌年である平成9年(97年)をピークに下降トレンドを描くようになります。ソフトウェア市場でいうと平成9年に5,800億円規模だったものが、平成17年(05年)には3,100億円規模にまで縮小するのです。ハードウェアにおける性能の追求が、ゲーム開発における過度な高度化を招きました。結果、新作投入サイクルの長期化や、ゲームの難易度アップにつながり、一般ユーザーのゲーム離れへとつながっていったのです。
 

 
■平成中期(平成11年~20年)~モバイルの時代~

もしもしだけの電話機からゲームも出来る電話機へ
平成11年(1999年)、画期的な「発明」がありました。技術的にはそれほど目新しいものではありません。簡単に言えば――携帯電話をインターネットにつなげられるようにした――というだけの発明です。その名は「iモード」。NTTドコモから発表された世界初の携帯電話によるIP接続サービスです。
 
iモードは、既存のコミュニケーションサービス(SMSや10円メールなど)に比べて安価かつ利便性も高かったこともあり一気に普及しました。その普及の中で、ゲーム業界にとって大きなポイントとなったのが、Javaプログラムが動く「iアプリ」の登場です。平成13年(01年)に登場した「503iシリーズ」は初めてJavaアプリケーションであるiアプリが実行できる機能を搭載。翌々年の平成15年(03年)には、より容量と機能を拡充した「iアプリDX」を実装した「505iシリーズ」が登場。携帯電話でのゲーム利用が一気に広がってゆきます。
 
505iシリーズでは上述したiアプリDXの実装に加え、ハードウェアの性能も一気に高まりました。画面はQVGAと当時PCでは一般的であったVGAの丁度4分の1の解像度にまで引きあがり、液晶もSTNからTFTへと進化。音もサラウンド対応のステレオスピーカーと、まるで携帯電話でゲームをするために大幅刷新したのではないか、とさえ思えるほどの大変革でした。

 
ゲーム提供者もゲーム利用者も「簡便さ」を求めていた
開発面のみならずビジネス面でもiモードは多くの優れた部分がありました。例えば、多くのゲーム提供事業者は、課金とその回収についてとても悩んでいました(クレジットカード利用はまだまだ一般的ではなかったのです)。これに対し、携帯電話会社が運営する「キャリアポータル」に登録された「公式サイト」であれば、電話料金とセットでユーザーからゲーム利用料を回収するという方式により、(課金代行手数料が10%前後取られるものの)その問題点の多くは解消したのです。
 
以上のことから多くの人が携帯電話でゲームを楽しむようになります。世界的に大ヒットした「テトリス」やファミコン向けに大ヒットした往年の名作が続々と携帯電話向けに展開されるようになりました。ちょうど据置型ゲーム機が高度化し過ぎて、一般の人にはとっつきにくくなってしまった時期とも重なったことも利用を後押ししました。通勤通学や就寝前のちょっとした時間に「ファミコンやゲーセンで楽しんだあのゲームがケータイで出来る!」ということで、「ケータイでゲーム」が急激に一般化したのです。
 
キャリアポータルにおける多くのケータイゲームは月額課金制を採用していましたので、市場規模としてはそれほど大きなものにはならず、ピークの平成19年~21年(07年~09年)において年間800億円台で推移するなど、同時期の家庭用ゲーム機向けソフトウェア市場規模の概ね4分の1程度にとどまりました。それでもある日突然登場し、僅か数年で800億円の市場規模にまで育ったわけですから、「ケータイでゲーム」について多くの関係者がそのポテンシャルについて考えるようになります。特に単なる過去ゲーム資産の「焼き直し」ではなく、「ケータイに特化したゲームもアリなのでは?」と考えるようになったのです。

 
グリーとモバゲーの登場~年1,000億円市場のソーシャルゲームの誕生~
この携帯電話向けゲーム市場規模が劇的に変化するのが、平成19年(07年)、グリーによる「釣り★スタ」に始まる「ソーシャルゲーム」の携帯電話での登場となります。ソーシャルネットワーク(SNS)上で展開されるゲームは、同じく平成19年、米国のFacebookを中心に一気に広まりました。ただ米国はPCを主体としていたのに対し、日本は携帯電話が主体となりました。
 
当時のソーシャルゲームプラットフォーム(PF)の双璧となるディー・エヌ・エー(DeNA)がアイテム課金制のゲームコンテンツを自社SNSである「モバゲータウン(現Mobage)」に展開し始めたのが平成20年(08年)となります(モバゲータウン自体は平成18年開始)。その少し前に証券アナリストだった私は南場社長(当時)に取材をしているのですが、その時の彼女の言葉がとても印象的でした。「長谷部さん、うち(=DeNA)のポケットアフィリエイト、とても効果が高いって、特にゲーム会社さんから評判なんです。なので思ったのよ。自社のアフィリエイトを活用してうち自身がゲームをやれば良いんじゃないってね」と。

 
勝手サイトならではの自由闊達なゲーム作り・利用の広がり
そして平成も後期となる翌平成21年(09年)10月にあのミラクルヒットとなった「怪盗ロワイヤル」へとつながってゆきます。怪盗ロワイヤルリリースの翌年、日本のソーシャルゲーム市場は、携帯電話(=フィーチャーフォン)ゲーム時代にどうしても超えられなかった年次売上1,000億円を軽々と超えてゆくようになるのです。
 
グリー、モバゲー、いずれもいわゆる「勝手サイト」と呼ばれるものです。勝手サイトとは、前述した携帯電話会社が運営するキャリアポータルには属さない、文字通りキャリアに対しては「勝手に」サイト運営を行っているサービスとなります。両者が登場するまでは勝手サイトは(出会い系サイトなど)「公式になれないサービス」といったある種日陰者的な印象がありました。
 
両者の利用の広がりを機にそうした印象は払拭され、むしろ公式サイトが持つマンネリについて目が向くようになったのです。というのも、公式サイトは登録者数など利用状況によって表示順位が決まっていました。多くの新規ユーザーは表示順位の上位から新規登録をする傾向があったため、順位の高いサイトはますます強くなるという循環に陥り、ランキングの固定化が進んでしまったのです。結果、何も新しいサイトが入ってこない(ように見える)状況になってしまったのです。
 
こうしたマンネリはユーザーによる公式サイト離れを進めさせ、携帯電話における「何か新しいサービス」を渇望させる空気感を醸成させるきっかけとなりました。そうした中、グリー、モバゲーが生まれたのです。頭の固いキャリアが仕切るのではなく、自由闊達な一般企業が仕切るサービス、さらにはベースがSNSであるためユーザー自身もイニシアティブがとれ、ユーザー同士がつながるサービス――そうした空気感の中、日本のソーシャルゲームが生まれたのです。

 
据置型向けゲームに疲れた一般ユーザーをマルッと取り込んだモバイルゲーム
このように平成中期は、携帯電話の飛躍的進化発展により、「いつでもどこでも簡便に遊びたい」というゲームニーズに応える時代でした。今では考えられないほどの機能の低い端末、気が遠くなるような遅い回線など、必ずしもゲーム開発やゲーム利用をするには好ましい時期ではなかったことは確かです。それでも「もしもし」と通話のためのみに存在していた「電話機」が「ゲーム機」にもなる『新鮮な驚き』を、この時代の誰もが感じ、より良いゲーム創りに邁進したフロンティア精神溢れる時代がこの平成中期だったのかもしれません。
 
ゲーム専用機においても平成13年(01年)に任天堂より「ゲームボーイアドバンス(GBA)」が発売。翌平成14年(02年)にGBA向けに「ポケットモンスター ルビー・サファイア」が発売され500万本を超える大ヒットとなりました。友達とケーブルを使って通信機能を楽しんでいる子供たちを見て、私はずいぶんと「未来」を感じたものです。当時小学生高学年だった子供たちも17年後の今、もう30歳手前です。あの頃の「ワクワク」を今も胸に抱き、「起業しました!」などという人も多いのかもしれません。
 
平成16年(04年)には同じく任天堂から「ニンテンドーDS」が登場。翌平成17年(05年)の年末には、東北大学川島隆太教授監修の「もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング」がリリースされ、国内だけで500万本を超える記録的大ヒットとなり、大人がゲーム市場に回帰するきっかけを作ります(高齢の両親のために買いました!という人も多かったですよね)。「脳トレ」がまだまだ品薄だった翌平成18年(06年)の3月にはよりブラッシュアップされた「ニンテンドーDS Lite」が登場。据置型ゲーム機さえ凌駕しかねないほどに携帯用ゲーム専用機として一時代を築くことになるのです。
 
グリーとモバゲーの公式サイトといった縛りのない自由闊達なサービススピリットや、任天堂GBAやDSといった画期的な携帯型ゲーム専用機の登場により、次の10年である平成後期――スマホの時代――へとつながってゆくのです。
 

 
■平成後期(平成21年~31年)~スマートフォンの時代~

ハードの性能向上+モバイルの簡便さ=スマートフォン
平成前期、まともなゲームをやるには、それなりの大きさのゲーム機という「箱」が必要であり、それとは別にゲームを表示するテレビやモニタも必要であり、そうした物理的制約の中、とにかく「ハードウェアの性能向上」に力を入れていた時代でした。
 
平成中期、据置型ゲーム機がある意味進化し過ぎ、一般の人々はゲーム疲れとも言うべき状況に陥っていました。そのさなか、簡単にゲームが入手でき、かついつでもどこでもゲームも出来てしまう携帯電話向けゲームが登場しました。ゲーム疲れのない「簡便なゲーム」が主体です。その後、徐々に「皆がネットワークでつながっている」というモバイルの根幹とも言うべき状況を利用し、SNS上にゲームを展開するようになります。平成中期は、皆が求めていた「簡便さ」が、「皆とつながってゲームをする」という新しいゲームの遊び方を生み出した、とも言えるかもしれません。
 
そしていよいよ平成後期。スマートフォンの登場です。平成前期にあれだけ注力していたハードウェアの性能ですが、現在のスマホは一昔前の大型コンピュータ並とさえ言われるほど高性能なものになっています。回線も光ファイバーが100Mb/sで驚いていた頃が懐かしいほどに、現在の4Gでさえほぼ同等のスピードを実現しています。いつでもどこでも簡便にゲームが入手でき、皆とつながっていることが前提の遊び方も、むしろそれが当然のものとして今では存在しています。
 
このように平成前期に追い求めていたもの、平成中期に追い求めていたもの、そして、その二つが綺麗にマージされたものがスマートフォンなのです。現在のスマホゲームの興隆については、平成の初めから(さらに言えば昭和の頃から)のゲーム市場の潮流を鑑みれば、自然と「そりゃそうした流れになるよなぁ」と言わざるを得ないほどに、自然な推移であったとも言えます。

 
平成後期は怒濤のスマホリリースラッシュで始まる
日本にApple社の「iPhone」が入ってきたのは、平成中期の最終年である平成20年(08年)の7月です。最初に世界的大ヒットとなった3GSは平成後期の初年である平成21年(09年)に日本導入となりました。当初はソフトバンクのみの取り扱いで、KDDI、そしてNTTドコモも取り扱いようになるのは平成25年(13年)からとなります。iPhoneの日本発売直後、アナリストだった私は、テレビ東京系の経済番組に生出演し、当機種へのコメントを求められ、「絵文字も赤外線もありませんので、当面は流行りませんね!」と言い切ったことは、今でも甘酸っぱい思い出です…。Android搭載の日本の最初の機種はHT-03Aで同じく平成後期の初年である平成21年に登場。当機種は私も購入しましたが、トラックボールはユニークながら全く使えなった記憶があります。
 
このように平成後期の幕開けは、怒濤のスマートフォンリリースラッシュで始まりました。一方でゲームは、と言えば、前述したモバゲーの怪盗ロワイヤルなど携帯電話向けソーシャルゲームが大きく興隆し始めた時期となります。スマートフォン向けには「対応」はしていたものの、本当の意味でのスマートフォンゲーム――ネイティブアプリ――のローンチにはもう少し待たなくてはなりません。

 
ネイティブアプリの登場~スマホの良さをきちんと活かしたゲームの広がり~
平成23年(11年)、早過ぎた名作が世に出ます。DeNAからリリースされたネイティブアプリ「忍者ロワイヤル」です。怪盗ロワイヤルでまさにイケイケのDeNAの次代を睨んだ意欲作でした。しかしながら当タイトルは失敗し2年後にはサービス終了となってしまいます。スマートフォンの普及率がまだまだ低かったこの時期、ネイティブアプリは早過ぎたのかもしれません。
 
翌平成24年(12年)、ゲーム市場を一変させる名作がリリースされます。「パズル&ドラゴンズ(パズドラ)」です。オンラインゲームで有名なガンホーからリリースされたこのゲームは、ヌルヌルとしたネイティブアプリ特有のスマホ操作を武器に、また忍者ロワイヤルの頃と比べると、キャズム超えをしたスマホ普及率を決定的な追い風とし、まさにミラクルヒットとなってゆきます。ネイティブアプリの月間売上2位が一桁億円前半だった時代に、当タイトルのみで月間100億円を超えていたわけですから、まさにネイティブアプリ=パズドラ、という一つの時代を築いたのです。
 
その後、平成25年(13年)に「引っ張り」というこれもスマホ特有の操作性を活かし、マルチ協力プレイを積極的に導入したミクシィ(XFLAG)からリリースされた「モンスターストライク(モンスト)が登場。平成26年(14年)には、スマホでは操作性の問題からパズル以外のジャンルはゲーム端末としては難しい、とまで言われていた当時、画期的UIによってその問題をクリアし、本格的アクションRPGとしてリリースされたコロプラの「白猫プロジェクト」など、数多くのヒットタイトルが世に出るようになりました。

 
ついにオンラインゲーム市場は年1兆円超えへ!
これらスマートフォン向けネイティブアプリゲームの興隆により、市場規模はかつてないほどに拡大します。平成中期の最後の年である平成20年(08年)、PCオンラインゲーム、フィーチャーフォン向けゲーム、そしてスマートフォンゲームの三つを合わせた「オンラインゲーム」の市場規模は、これら三つ合わせても2,000億円に届かない水準でした。家庭用ゲーム機がハードウェアとソフトウェアを合わせて6,000億円程度だった頃です。これが9年後の平成29年(17年)には、1兆1千億円台にも達しているのです。一方で家庭用ゲーム機は、「Nintendo Switch」の大ヒットがあり、若干の盛り返しはあったもののハードウェア・ソフトウェア合わせて4,000億円程度にとどまっています。携帯電話で「テトリス」が動いて感動した頃から考えると、まさに隔世の感ですね。
 
オンラインゲームは、その特性上、リリースして終わりではなく、その後も継続して運営してゆきます。そのため、機会さえあれば「他IP」とコラボレーションを行うことがとても容易です。ゲームそれ自体が一種のプラットフォームとなり、アニメやコミック、さらには他社のゲームキャラクターまで巻き込んで、全体としてコンテンツが成長してゆくような流れを産み出しています。これはこれまでの売切り型ゲームソフトでは見られなかったことで、オンラインゲームの特徴・強みをよく表してものと言えるでしょう。

 
スマホゲームの事業モデル(=遊び方)の限界
このように平成後期は、スマートフォンという画期的情報端末の普及により、ゲーム市場が根本から変ってゆきました。「インターネットも出来る携帯電話サービス」がフィーチャーフォンだったとすると、「電話もできる携帯型PC」がスマートフォンであると私は考えています。
 
かつてないほどの市場規模にまで膨れあがったスマホゲーム市場ですが、平成30年(18年)、いよいよピークを迎えたのでは?と思えるようなデータが散見されるようになります。著名なスマホゲーム市場調査会社データによると、これまでの国内スマホゲーム市場規模は、平成29年(17年)までは例外なく前年同月比でプラスでした。それが平成30年に入ると、ポツポツとマイナスの月が散見されるようになったのです。
 
平成の終わりが近づくにつれ、スマホゲームの遊び方が、ゲームのストーリーや世界観を楽しむこと以上に、如何にレアキャラを出せるか、へと軸足が移ってしまったように思えています。「ガチャ」を主体とした現モデルへの「飽き」が顕在化してきているのは間違いなく、「新しい遊び方の提案」が強く求められていると私は考えています。
 
 
 
■新元号(新元号元年~)~これからのゲーム市場について~

平成中期の据置型ゲーム停滞期に近い状況になってはいないだろうか?
本年4月1日に新元号が発表され、5月1日の現皇太子殿下の天皇即位により、いよいよ新しい時代が始まります。新元号がスタートする新時代の幕開けに当たり、ゲーム市場はどういう動きになるのでしょうか。一つ言えることは、平成後期のスマホゲーム全盛の流れの中、「そのスマホに変わるゲーム端末が未だ現れない」という事実です。
 
現在のゲーム市場の状況は、一旦ピークアウトして携帯電話によるゲーム利用やDSの登場までの平成10年~17年(98年~05年)までの間を彷彿させるものがあります。ハードウェアは高度化したものの、それがゲームの面白さにはつながらない――これまでのハードの性能向上=ソフトの面白さ向上、という図式から離れる状況が生まれた時期です。ハードウェアが高度化し過ぎて、ゲーム開発にお金も時間もかかるようになり、その上やっと出てきた新作ゲームは難しすぎて一般の人は遊べない・・・。最近のスマホゲームもこうしたパラドクスに陥ってないか、検証する必要があると強く感じています。

 
再度のゲーム市場興隆のために
日本のゲーム市場が再び成長軌道を描くには、三つの軸が考えられると思っています。
 
① 一般ユーザーが楽しめるちょうど良いゲームの投入
② スマホながら、これまでにない新しい遊び方の提案
③ 全く新しい端末の登場
 
私の好きなテレビ番組に「孤独のグルメ」というドラマがあります。そこで主人公の井之頭五郎はこう呟きます――「ほーいいじゃないか。こういうのでいいんだよ。こういうので」と。まさに今、「こういのでいいんだよ」と思わず呟いてしまうような普通のユーザーが楽しめるようなゲームが求められていると思います。
 
「でも、それでは売上が上がらないのでは?」とおっしゃる方もいるかもしれません。確かにその通りです。ただ現状のポイントは、ゲーム専用機ではないスマホという端末において、コミックや動画などゲーム以外の強いコンテンツが山のように存在し、同じ条件で競い合っているという事実です。プレステやDS、Switchの中の戦いに勝てばOKという時代はとっくに終わっているのです。まずは、数多くの普通のユーザーに「ゲームを楽しんでもらう」という習慣を再度身につけてもらうことが第一であると私は考えています。そのためにも「こういうのでいいんだよ」というゲームの登場が待たれるところです。
 
一方でこれまでにないスマホゲームの遊び方の提案も必要です。昨年平成30年(18年)のソーシャルゲームインフォの閲覧上位記事の一つに「荒野行動」関連が数多くランクインしました。バトルロイヤルゲームと呼ばれる「生き残った最後の一人」を目指すゲームで、考え方そのものは昔からありましたが、一昨年くらいから同ジャンルは大きく人気化しました。他にも「Vtuber」の広がりや、「TikTok」の人気化など、エンタテイメントという目線での新たな潮流は各方面で起きており、それをどうゲームとむすびつけるか、もポイントになってくると考えています。
 
全く新しい端末については、VRのHMDなど「候補」はありますが、いずれも決定打には乏しいものばかりです。とはいえ、iPhoneが出たての頃、アナリスト仲間と「将来、これが携帯ゲーム機に取って代わったりして(ぷぷぷ)」などと無駄話をしていたことを思い出すにつけ、より高機能CPUで高精細画面で5G環境におけるスマホならばVRさえ「酔い」を克服した手軽なゲームが提供できるのでは・・・などと思ったりもします。つまりは、今妄想として話をしている内容が、もしかしたら数年後にはゲームの主力になっているかもしれない、ということです。その意味でもVRについては、まだ期待を持ち続けているところです。

 
新たな時代の幕開けによって新たなゲームの潮流の始まりを期待
平成の31年間で、日本のゲーム市場は途方もなく大きく飛躍することができました。一方で行き着くところまで行き着いたスマホの性能や、各種データを見るにつけ、今はもしかしたら一旦「しゃがむ時期」に差し掛かっているのかもしれない、とも思っています。それでもゲームという有史以来人類とともに歩んできた娯楽がなくなるわけもなく、再度新たな成長ストーリーを見つけ出すことは間違いないと思っています。2019年、新元号、新時代の幕開けによって、そうした新しい潮流が生まれることを祈念してやみません。
 
ソーシャルゲームインフォは、本年も良質なコンテンツを皆様にご提供してゆきたいと考えています。引き続いてのご愛顧のほど、よろしくお願い申し上げます。


 
 
ソーシャルゲームインフォ
主筆  長谷部 潤