【インタビュー】モバイルゲーム開発の雄 アールフォース・エンターテインメントの軌跡 横山氏と木村氏が設立からCAグループ入り、今後の展開を語る
アールフォース・エンターテインメント(以下、アールフォース)といえば、モバイルゲーム業界でも老舗とも言えるディベロッパーだ。フィーチャーフォン時代から数々のゲームの開発を手がけ、モバイルゲーム業界では知る人ぞ知る存在だが、2012年2月、サイバーエージェントグループに入り、現在、Cygamesと共同で大ヒット中のパズルRPG『三国志パズル大戦』を展開している。
今回、インタビューをお願いしたのは、代表取締役社長の横山裕一氏(写真左)と、専務取締役の木村信行氏(写真右)である。『三国志パズル大戦』について聞くのもひとつの考えといえるが、会社設立の経緯やこれまでの事業展開、CAグループ入り、今後の展開について話を聞いてみた。
この記事を読まれた方は、アールフォース社の歩みと今後、そして魅力がわかるだけでなく、iモードから始まった、10年以上にわたる日本のモバイルゲームの歴史も振り返ることができるのではないかと思う。
―――: よろしくお願いします。会社を設立されたのは1999年ですよね。横山さんはどこかのゲーム会社から独立されたのですか。
横山氏: いえ。私は、会社を作る以前は、ずっとフリーターで喫茶店でコック等の仕事をしていました。飲食業は楽しくて仕方がなかったんですが、ゲーム開発の夢が諦めきれませんでした。ゲーム開発に携わったのは、友人のゲームのインディーズサークルを手伝いはじめたことがきっかけです。はじめはマニュアルづくりから参加しましたが、ゲームの作り方が分からない中、プログラマーが私の作ったマニュアルを見ながらゲームを作るような状態でした。その後、ゲーム作りを任せてもらえることになり、PC98向けのソフトを4本制作しました。当時は売り方がわからず、日本橋や秋葉原の電気店に売り込みに行って委託販売を行ったり、手売りや通信販売などを駆使してさばきました。しばらくして残念ながらサークルは解散してしまったのですが。
―――: フリーター生活に戻ったわけですか。
横山氏: そうです。ただ、このままではいけないと思い、ある軍需企業の契約社員になりました。その会社は、軍需から民需に転換しようとしており、その一環としてゲームを作ろうとしていました。しかし、当時の私は経験が不足しており、その会社でゲームをリリースできませんでした。急に給料を手に入れて毎日飲み歩いていたという事情もありますが(笑)。ちょうどその頃、あるゲーム専門学校でゲームシナリオの講師を依頼され、そこでプログラミングの講師をしていた木村と出会いました。
―――: 意外なところで知り合ったんですね
木村氏: はい。初めは仲のいい友だちという付き合いで、しばらくしてゲーム絡みで一緒に仕事をするようになりました。仲間と「ドリームキャスト」の『北へ。フォトメモリーズ』というゲームの制作の請け負っていて、シナリオの仕事を彼に依頼したんです。途中、ディレクターが逃げてしまい、プロジェクトが頓挫しかけましたが、横山がプロジェクトを取り仕切って完成させました。横山は、仕様書やシナリオ作成はもちろん、音声の収録なども行いました。最後は北海道で缶詰でしたね。
横山氏: 確か納品1週間前だったと思いますが、「ドリームキャスト」の新機能に関する仕様書を見て、ネット経由でビジュアルメモリーに追加コンテンツをダウンロードする機能が実装予定だということを発見しました。「これは使える!」と思い、木村に新機能を提案したら、いまさら何を言い出すんだと激怒されました(笑)。結局、うまくいいくるめて作ることになり、発注元のディレクターも「上には内緒で」と許可してくれました。納品前の容量は100M程度でしたが、前日には800M以上と5倍以上に増え、品質保証の方がびっくりしていたのを覚えています。
木村氏: うまくいいくるめられました(笑)。彼が考えていたのは、ROMにあらかじめ隠しデータを仕込んでおいて、シナリオデータをインターネットからダウンロードすると、プログラムとリンクして追加コンテンツが楽しめる、というものです。アフターサービスとして考えたものでした。ハドソンのディレクターと、横山、私の3人で作業しましたが、ほんとうに楽しかったですね。
横山氏: で、無事完成し、納品日にプロデューサーとお会いして、そのことを話したら、「そんな機能、誰が頼んだんだ!」とえらい怒られました。ただ、その機能を使うにはWEBサイトが必要で、それも受託できました。ただし、WEB制作を受託するためには会社を作って欲しいと言われ、設立したのが当社です。社名の由来は、私の関わったサークル名からです。
―――: モバイルゲームがスタートかと思っていたのですが、意外にもドリームキャストだったんですね。
木村氏: モバイルは、1999年8月に会社を設立した後になります。設立した年の年末に、ハドソンの柴田真人さん(現PUMO代表取締役社長)から「iモードを使ったゲームを作ってほしい」というお話をいただきました。
横山氏: 柴田さんのアイディアは、メールを使ったゲームでした。私の方からは、3カ月間メールで女の子とやりとりをする、やり直しのきかないアドベンチャーゲームを提案しました。柴田さんにも気に入っていただき、1999年12月にマンションの1室を借りて作り始めました。
木村氏: その時、開発したのは『メールドラマ 北へ。』というゲームで、こちらも驚くほどの人気になりました。その年のハドソンさんのiモードのゲームでは1位になったのを覚えています。スタートした翌日にサーバーがアクセス過多でダウンし、急遽、サーバーを倍に増設しましたね。
―――: どういったゲームだったんでしょうか?
横山氏: 登録すると北海道に住む女の子から毎日2~4通のメールが届き、それに答えるゲームです。例えば、夕方に「今日の晩御飯、何にする?」というメールが来るんですが、ハンバーグやカレーなどと選択でき、選んで返信すると翌日に女の子から「あなたのいうようにカレーを作ったよ」と返事が帰ってきてストーリーが進行します。
―――: 好感度の下がる返事をしたり、放置したりするとどうなるんですか。
横山氏: そういった回答が続くと、例えば、女の子から「いまお店に怖い人が借金の取り立てに来てて大変です。この携帯を解約しなくちゃいけない、さようなら」というメールが来て終わります(笑)。選択肢で分岐もするし、一定時間返信しないとストーリーが進んでしまう。「興味がない」という返答になってしまうんです。リアルタイム性も意識したゲームでした。
木村氏: 当時の携帯電話は、いまとはだいぶ違うものでしたが、メールとWEBだけは使えました。横山は、ゲームに登録するとサーバーからメールが届いて、そこに貼ってあるリンクからWEBに移動して、選択肢を選ぶ…というループを考えたわけですが、初めはアイディアを聞いてもちんぷんかんぷんで、仕様書ができて理解できました。
―――: お聞きしていると、いまでも斬新なゲームですよね。
木村氏: 売れるかどうかはともかく、いまでも斬新かもしれないですね。『メールドラマ 北へ。』がドコモの栗田さん(現バンダイナムコゲームスの栗田穣崇氏)の目についてすごく褒めていただきました。
―――: アプリがでたのはその後でしたか。
横山氏: そうです。その後、Javaが登場しました。いわゆるiアプリです。ローンチ時から本格的に参入しました。当時の容量はわずか10キロバイトだったんです。WEB制作を請け負ったハドソンのプロデューサーから呼ばれて、Javaの仕事を依頼されました。5本を100万円でやってほしいといわれましてね、5本で100万で、ですよ! しかし、Javaの面白さと可能性に興奮して、ついつい請け負ってしまいました。冷静になってみると、どう考えても採算が合わない!(笑) 作ったのは、花札、麻雀、ビリヤード、ブロック崩し、超兄貴の縄跳びゲームですね。
―――: いわゆる定番ゲームが多いですね。
横山氏: 当時、ジー・モードさんが定番ゲームをたくさん作っていましたので、同じように作っても面白くないと思いまして、一工夫、加えました。ブロック崩しだと、反対側にCPUがいて打ち返してくるとか(笑)、花札はシナリオを入れたり、麻雀は世界観を入れたり。ハドソンさんも気に入ってくれてどんどん発注していただけるようになりました。その結果、栗田さんからアールフォースのアプリ制作能力は日本でも5本の指に入るといっていただき、自称営業部長としていろいろな会社を紹介していただきました。バンダイネットワークスさんやソネットさん、イマジニアさん、セガさんなどとお付き合いしました。一番作った年は、社員が10人いない状態で50本作りました。毎週リリース、毎週デバッグでした。
―――: 思い出に残るゲームはありますか。
横山氏: 『仁義なきテニス』でしょうか。文字通りのテニスゲームなのですが、起動すると「昨夜ウインブルドンで親父(オヤジ)が殺られた」というテキストが流れます(笑)。そして、スーツを着たヤクザ2人が登場して、「ラケット抜け!コラァ!!」等と言ってテニスするというゲームでした。当時のiアプリは、スクラッチパッドに追加データをダウンロードしていましたが、通信環境のため、10キロバイトといえども結構時間がかかりました。ダウンロードしている間、何%ダウンロードという表示が出て待たせるのが嫌で、一定容量をダウンロードするごとにテキストでシナリオを表示させたり、シナリオや画像、音声データをHTTP通信で取ってきてオープニングが見られるようにしたりしました。これはちょっとした発明だと思っています。
木村氏: あとゲーム自体が、少ないキー操作で楽しめるようにもしていました。iアプリがリリースされた当初、コンソールゲームを開発していた人がiアプリを開発していましたので、携帯電話のキーをフル活用させるゲームが多かったんです。当たり判定も緩めにして、例えばテニスでは多少、適当なタイミングでボタンを押してもラケットにボールが当たるようにしていました。
横山氏: 超兄貴の縄跳びもすごかったですね。版権元から超兄貴の利用許諾は得たのですが、うみにんやイダテンの版権は使えず、イダテンのオプションで付いてくる「サムソン」と「アドン」だけが使えますよと言われました。めちゃくちゃだったんです。どうしようかと悩んで渋谷の歩道橋を歩いている時に、マッチョの兄貴達が大縄跳びするというアイディアが浮かびゲームにしました。これが実に受けました。
―――: どういったゲームだったんですか?
横山氏: ゲーム開始時には、3人の超兄貴がいて、大縄の動きに合わせてジャンプすると細胞分裂するんです。前の兄貴と次の兄貴の間に1フレーム間隔があって、ジャンプするとウェーブ状になります。人数が増えると難易度も上がります。兄貴は最大11人まで増え、先頭と最後方の兄貴のジャンプする間隔は最大10フレーム(1秒)となります。途中、声援が飛んできて、ポーズを取ると「白身は良いけど黄身はダメ」といったマッスルなTIPSが出てきます。
木村氏: あとは、麻雀ゲームを開発した時、10キロバイトで麻雀のアルゴリズムをつくるのは不可能だと言われていたんです。その当時麻雀アプリはありませんでした。なのでやろうとなったのですが、フルの麻雀はどうやっても無理で、条件を絞ろうということになりまして、2人打ちならなんとかなるんじゃないかとか、ソーズを抜けば大丈夫じゃないかとか、色々と試行錯誤して何とかできました。ピンズとマンズだけの麻雀でしたが、楽しんでくれた方が多かったようです。
―――: 初期は、カジュアルゲームが多かったんですが、コンソールゲームの移植も手がけておられましたよね。
横山氏: ええ。一番初めに手がけたのは、『イースI』の完全移植です。J-PHONE(現在のソフトバンクモバイル)向けで50キロバイトで作りました。当時、コンソールゲームを携帯電話向けに完全移植した事例はなかったんですが、イースは僕自身学生時代に遊び倒した思い入れの強いゲームだったので、何とかしたいと思い、サーバーからゲームデータを動的に入れ替えるという手法で容量制限の問題をクリアしました。
木村氏: その後、『ドラゴンクエスト』をはじめ、携帯電話にコンソールゲームの移植ブームが到来しました。幸い『イースI』の移植が評判になって、このほかの『イース』シリーズをはじめ、『ヴァリス』、『サーク』などコンソールゲームの仕事がたくさん舞い込んできました。そんな中、2005年にセガさんから『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の移植の打診が来ました。
横山氏: 内心作るのは無理だろうと思ったのですが、社員にサンプルプログラムの制作を指示したら、しっかり作ってくれたんです(笑)。動作が少々遅かったものの、これはチューニング次第でなんとかなると思いました。問題は容量でしたが、開発スタッフが頑張ってくれて、何とか30キロバイト版も作り上げました。これは全世界で配信されました。
―――: 覚えています。ソニックが携帯電話で出るとは思いませんでしたから。
横山氏: 業界内でも注目されたようですね。これをきっかけに、後日、あのエレクトロニック・アーツ(EA)の副社長さん(多分アメリカ人)が会いに来てくれたんですが、「こんなものを移植するなんてお前ら馬鹿じゃないのか」といわれました(笑)。そして、当社の技術力をすごく評価してくれたんですが、ビジネスのやり方がもったいない、もっとチャレンジしないとダメだと叱られました。で、そこまでいうなら何かしてくれるのかと思い、「EAさんは仕事くれるんですか?」と聞いたら、「それとこれとは別だ」というんですよ(笑)。もう訳が分からなかった。
―――: お話を聞いていると、端末の性能や容量の問題をいかにクリアするかがほんとうに大変だったんですね。
横山氏: はい。こんなこというと社員に怒られるかもしれませんが、うちはS級プログラマーはいないかわりに、努力して複数人数でビルドアップしていく能力は他社には負けないです。できないとは絶対に言わず、本当に粘り強いですよ。
―――: これ以外にもニンテンドーDSやPSP向けのゲームも開発されましたよね。
横山氏: ええ。実は採用面接で、かなりの割合で「コンソールゲームを開発したい」といってくるので、「いいよ! やらせてあげるよ!」と約束していました。嘘をつく訳にはいかないですからね。そんなに多くはないのですが、コンソールゲームの受託も行っていました。これ以外にもブラウザソーシャルゲームもいくつか手がけました。
―――: なるほど。コンシューマーゲームの受託をメイン事業にするという選択もありえたと思いますが、携帯電話のゲームをメインにしようと考えたのでしょうか。
横山氏: 設立時からネットワークを使って、日常生活の中で楽しめるゲームを作りたいと考えていたことが大きいですね。1997年のある雑誌で、ドコモの社長さんが「通話料で稼ぐ時代は終わり、通話以外の目的で電話を売らなければいけない」と話した記事を読んで、ぼんやりとメールなどのデータ通信をイメージしていましたが、実際に出てきたのはiモードで驚きました。余計なものをそぎ落とすだけそぎ落としたコンパクトHTMLには震えました。人類が有史以来、高機能なコンピュータが常に手元にある時代が到来し、その先には高性能なサーバーがつながっている。携帯電話向けのゲームに完全にコミットしていくと決心しました。
―――: その後、iPhoneアプリがでて、2011年にリリースされた『CoinFalls忍』は話題になりましたね。
横山氏: 僕はiPhoneが発売された当初から、iPhoneアプリは作りたくて仕方がなかったんです。でも、社員の反応もいまひとつですし、得意先にプレゼンしても芳しい反応が得られませんでした。そこで自分たちで開発したのが『CoinFalls忍』です。当時、『Coin Dozer』が大流行していたのですが、僕が遊びたいコインゲームでは無かったですし、画面にコインが50枚出ると10フレームも出ないことが不満でした。世界で通用するコインゲームを作ろう、そのためには忍者だ! と(笑) コインを投げる気持よさが感じられて、ゲームセンターのようなジャラジャラ感を出すには、画面にコインは200~250枚必要なことがわかりました。250枚で10フレーム、100枚で30フレーム出ていればいいと思ったので、プログラマーには250枚で30フレームで作ってと指示しました(笑)。
木村氏: はじめは既存の物理エンジンを使って作ったのですが、どうやっても『Coin Dozer』と同じになってしまうので、独自に物理エンジンをつくって開発しました。担当プログラマーが「250枚で30フレームは無理でした…しかし、150枚でなら30フレームが実現できます…」といってきたので、横山が「よし!それでいこう!」となりました。
―――: 既存のゲームに比べて高性能のゲームができたわけですね。
木村氏: 10倍以上の速度ですね。データも工夫していました。開発するに従って、フレームレートが落ちていくわけですが、これに対応するため、シェーダーを自前にしました。「OpenGL」に転送するデータや描画のボトルネックを徹底的に調べて、このデータはいらないから切る、処理が重くなったら使用するテクスチャを粗くするなどしてチューンナップしていきました。
横山氏: 結局、製品版はiPhone3GSでもコインを100枚表示しても30フレームでていました。リリースしたら、App Storeの無料ゲームランキング1位を獲得し、アメリカでも3位に入り、さらに64カ国でベスト3に入りました。課金要素が十分ではなかったので、ほとんど儲からなかったんですが…とにかくびっくりしました。今思うともったいなかった。ですが、この『CoinFalls忍』を持ってサンフランシスコに売り込みに行くことができました。そこでサイバーエージェントさんのパーティに偶然行って、『CoinFalls忍』のサンプルを見せたところ、大変好評でした。知り合いの社長に「このゲーム、面白い!」とサクラで騒いでくれと言っていたんですが、その必要がなかったかもしれません(苦笑)。そこで出会ったのが、サイバーエージェント・アメリカの当時、CEOだった西條晋一さん、サイバーエージェント副社長の日高祐介さんです。西條さんから今後やりたいことや何がほしいかと聞かれたので、「とりあえずお金がほしいです」と話したら(笑)、帰国後、サイバーエージェント・ベンチャーズにプレゼンする機会をいただき、出資していただけることになりました。
木村氏: その当時、私たちは、このまま自社パブリッシングで行くか、クライアントを見つけて引き続き受託でするか、迷っていたのですが、自分たちの技術を使って、受託とは違う形の開発をしたいと考えていました。サンフランシスコに出かけたのはそういった理由からだったのですが、とても良い機会になったと思います。2011年に「東京ゲームショウ」に出展し、本格的に自社パブリッシングも行いました。記事にしていただいたところですね(関連記事)。そこで自社の課題として気づいたのは、課金関係とマーケティング、プロモーションでノウハウが少ないことです。
横山氏: 課題の解決策を模索していたんですが、そうしたなか、西條さんからご連絡をいただき、「横山さん、世界の一人でも多くのお客様にゲームを届けたい、任天堂を超えたいとおっしゃってましたよね。サイバーエージェントの力を使ってそれをやるのはどうでしょう?」といわれ、「それって買収っすか?」と聞くと、「まぁそうです、オモシロ投資です」と言われました。当時、サイバーエージェントグループからも受託していたのですが、クオリティやバグが少ないことを評価していただいたそうです。私もサイバーエージェントは突破力のある会社だと思っていました。会社の目標は、お客さんの払っていただいた金額以上の喜びや価値を提供すること、そして任天堂を越えることなんです。当時の僕達が独立したままでは、それを果たせないなと思ったのです。
―――: そういう経緯だったのですか。ゲームショウの時、木村さんからサイバーエージェントさんと協力関係にあるというお話をお聞きしていましたので、それほど驚かなかったのですが。今後の展開を教えてください。
横山氏: スマートフォンのネイティブアプリに100%コミットしていきます。Cygamesさんと『三国志パズル大戦』を出させて頂きましたし、年明けには、さらに大型のタイトルを出しますよ。今は言えないんですが、これは本当にすごいです。見た人が「わわわっ」っと驚いてくれるはずです。期待して欲しいですね。
―――: それは気になりますね。グループに入ったことで開発体制にはなにか変化はありましたか。
横山氏: CAグループに入る前までは基本的には全て内製で行っていましたが、グループ入りして以来、グラフィックスやアート関係、課金要素、マーケティングに関しては、Cygamesさんを中心とするサイバーエージェントグループと密接に協力するようになっています。当社で足りない部分についてはグループの力を借りていますが、現在では独自でアートデザインのクオリティアップにも取り組んでいます。C++のエンジニアやサーバーエンジニアと並行して、世界観をしっかりと表現できるグラフィックデザイナーを探しています。
―――: 変なことを聞きますが、開発者は社員が多いのですか?
横山氏: ええ。従業員に占める正社員の比率も高いですし、新卒から入った社員も多いです。新卒から入った社員が7割を占めています。中途採用も、最近はCAグループに入ったことで良い人が来てくれるようになりましたが、以前は、中途と言えば勤め先が給料未払いで転職活動している奴や、コンソールゲームよりも楽ができると思って携帯ゲームの会社に来た奴が殆どでした(笑)。それでも、一緒に面白いゲームを作ろう! と気持ちを一つにやってきましたね。
―――: 新卒から入る方が多いんですね。
木村氏: ええ。あと、ごくごく当たり前なんですが、創業時から社会保険もきちんと入れていますし、育児手当もあるんです。ゲーム専門学校で講師をしていた時、教え子の就職先であるゲーム業界の労働環境はひどいもので、年金や医療保険、雇用保険がないという会社がザラでしたし、そういう状況を変えたいと思ったのです。会社を設立した時、社会保険をちゃんと整備すると講師仲間に話したら、「そんなことをしたら、すぐにつぶれるよ」と注意されたものです。社員が仕事にコミットするには、社会保険など将来に対して安心できる環境が必要不可欠だと考えています。
―――: いまでも社会保険の整っていない会社はありますよね。
横山氏: かもしれません。しかも、うちは基本給が年功賃金なんです。1年経過すると自動的に昇給します。1年仕事すれば、当然、これだけ成長するし、給料を上げましょうと。それと成果報酬部分、マネジメント給があり、両者のいいとこ取りを狙いました(笑)。会社と社員はいわば人生の大切な時間を売り渡す契約だと思っています。社員が会社に人生を売り渡してもいいと思える会社にしたいんです。
―――: 年功賃金ですか。驚きました。
横山氏:もうひとつ、当社の特徴は、労働組合とは少し違いますが、従業員で構成する社員会というものがあり、定期的に経営陣と会社のことを話し合っています。私たちは、客良し、役者良し、舞台良しをモットーにしていて、お客さんが本当に喜んでくれるものを作れれば、自ずと儲かると考えています。その状態をつくるにはクリエイターが100%以上能力を発揮できるモノ創りの場を作る必要があり、それには会社がきちんと利益を上げていく必要があります。そういった好循環を作るため、社員会と話しているのです。
―――: 先ほど目標で「任天堂を超える」とおっしゃってましたが、どういうことでしょうか。
横山氏: 別に任天堂さんよりも売上・利益を出したいとか、世界一のハードを作りたいとか、そういうことではありません。任天堂さんの作るゲームは、世界中の人々から尊敬を集めていて、そのブランド力は圧倒的です。ゲームに対する好き・嫌いは、人によってもちろんあるでしょうが、しっかりと作り込まれた作品であると誰もが認めています。そして好きな人にとっては外れがありません。本当にすばらしいですよね。私たちもお客さんが払っていただいた金額以上の喜びや価値のあるゲームを提供し、アールフォースのゲームはいつもしっかりと作り込まれている、そして面白い――そうお客さんからいってもらえるようにすることが目標なんです。
―――: ありがとうございました。
■関連サイト
アールフォース・エンターテインメント公式サイト
今回、インタビューをお願いしたのは、代表取締役社長の横山裕一氏(写真左)と、専務取締役の木村信行氏(写真右)である。『三国志パズル大戦』について聞くのもひとつの考えといえるが、会社設立の経緯やこれまでの事業展開、CAグループ入り、今後の展開について話を聞いてみた。
この記事を読まれた方は、アールフォース社の歩みと今後、そして魅力がわかるだけでなく、iモードから始まった、10年以上にわたる日本のモバイルゲームの歴史も振り返ることができるのではないかと思う。
■会社設立はドリームキャスト向けゲーム
―――: よろしくお願いします。会社を設立されたのは1999年ですよね。横山さんはどこかのゲーム会社から独立されたのですか。
横山氏: いえ。私は、会社を作る以前は、ずっとフリーターで喫茶店でコック等の仕事をしていました。飲食業は楽しくて仕方がなかったんですが、ゲーム開発の夢が諦めきれませんでした。ゲーム開発に携わったのは、友人のゲームのインディーズサークルを手伝いはじめたことがきっかけです。はじめはマニュアルづくりから参加しましたが、ゲームの作り方が分からない中、プログラマーが私の作ったマニュアルを見ながらゲームを作るような状態でした。その後、ゲーム作りを任せてもらえることになり、PC98向けのソフトを4本制作しました。当時は売り方がわからず、日本橋や秋葉原の電気店に売り込みに行って委託販売を行ったり、手売りや通信販売などを駆使してさばきました。しばらくして残念ながらサークルは解散してしまったのですが。
―――: フリーター生活に戻ったわけですか。
横山氏: そうです。ただ、このままではいけないと思い、ある軍需企業の契約社員になりました。その会社は、軍需から民需に転換しようとしており、その一環としてゲームを作ろうとしていました。しかし、当時の私は経験が不足しており、その会社でゲームをリリースできませんでした。急に給料を手に入れて毎日飲み歩いていたという事情もありますが(笑)。ちょうどその頃、あるゲーム専門学校でゲームシナリオの講師を依頼され、そこでプログラミングの講師をしていた木村と出会いました。
―――: 意外なところで知り合ったんですね
木村氏: はい。初めは仲のいい友だちという付き合いで、しばらくしてゲーム絡みで一緒に仕事をするようになりました。仲間と「ドリームキャスト」の『北へ。フォトメモリーズ』というゲームの制作の請け負っていて、シナリオの仕事を彼に依頼したんです。途中、ディレクターが逃げてしまい、プロジェクトが頓挫しかけましたが、横山がプロジェクトを取り仕切って完成させました。横山は、仕様書やシナリオ作成はもちろん、音声の収録なども行いました。最後は北海道で缶詰でしたね。
横山氏: 確か納品1週間前だったと思いますが、「ドリームキャスト」の新機能に関する仕様書を見て、ネット経由でビジュアルメモリーに追加コンテンツをダウンロードする機能が実装予定だということを発見しました。「これは使える!」と思い、木村に新機能を提案したら、いまさら何を言い出すんだと激怒されました(笑)。結局、うまくいいくるめて作ることになり、発注元のディレクターも「上には内緒で」と許可してくれました。納品前の容量は100M程度でしたが、前日には800M以上と5倍以上に増え、品質保証の方がびっくりしていたのを覚えています。
木村氏: うまくいいくるめられました(笑)。彼が考えていたのは、ROMにあらかじめ隠しデータを仕込んでおいて、シナリオデータをインターネットからダウンロードすると、プログラムとリンクして追加コンテンツが楽しめる、というものです。アフターサービスとして考えたものでした。ハドソンのディレクターと、横山、私の3人で作業しましたが、ほんとうに楽しかったですね。
横山氏: で、無事完成し、納品日にプロデューサーとお会いして、そのことを話したら、「そんな機能、誰が頼んだんだ!」とえらい怒られました。ただ、その機能を使うにはWEBサイトが必要で、それも受託できました。ただし、WEB制作を受託するためには会社を作って欲しいと言われ、設立したのが当社です。社名の由来は、私の関わったサークル名からです。
■iモード向けゲームに参入
―――: モバイルゲームがスタートかと思っていたのですが、意外にもドリームキャストだったんですね。
木村氏: モバイルは、1999年8月に会社を設立した後になります。設立した年の年末に、ハドソンの柴田真人さん(現PUMO代表取締役社長)から「iモードを使ったゲームを作ってほしい」というお話をいただきました。
横山氏: 柴田さんのアイディアは、メールを使ったゲームでした。私の方からは、3カ月間メールで女の子とやりとりをする、やり直しのきかないアドベンチャーゲームを提案しました。柴田さんにも気に入っていただき、1999年12月にマンションの1室を借りて作り始めました。
木村氏: その時、開発したのは『メールドラマ 北へ。』というゲームで、こちらも驚くほどの人気になりました。その年のハドソンさんのiモードのゲームでは1位になったのを覚えています。スタートした翌日にサーバーがアクセス過多でダウンし、急遽、サーバーを倍に増設しましたね。
―――: どういったゲームだったんでしょうか?
横山氏: 登録すると北海道に住む女の子から毎日2~4通のメールが届き、それに答えるゲームです。例えば、夕方に「今日の晩御飯、何にする?」というメールが来るんですが、ハンバーグやカレーなどと選択でき、選んで返信すると翌日に女の子から「あなたのいうようにカレーを作ったよ」と返事が帰ってきてストーリーが進行します。
―――: 好感度の下がる返事をしたり、放置したりするとどうなるんですか。
横山氏: そういった回答が続くと、例えば、女の子から「いまお店に怖い人が借金の取り立てに来てて大変です。この携帯を解約しなくちゃいけない、さようなら」というメールが来て終わります(笑)。選択肢で分岐もするし、一定時間返信しないとストーリーが進んでしまう。「興味がない」という返答になってしまうんです。リアルタイム性も意識したゲームでした。
木村氏: 当時の携帯電話は、いまとはだいぶ違うものでしたが、メールとWEBだけは使えました。横山は、ゲームに登録するとサーバーからメールが届いて、そこに貼ってあるリンクからWEBに移動して、選択肢を選ぶ…というループを考えたわけですが、初めはアイディアを聞いてもちんぷんかんぷんで、仕様書ができて理解できました。
―――: お聞きしていると、いまでも斬新なゲームですよね。
木村氏: 売れるかどうかはともかく、いまでも斬新かもしれないですね。『メールドラマ 北へ。』がドコモの栗田さん(現バンダイナムコゲームスの栗田穣崇氏)の目についてすごく褒めていただきました。
■iアプリ開発に参入 独自要素を組み込んだアプリが好評
―――: アプリがでたのはその後でしたか。
横山氏: そうです。その後、Javaが登場しました。いわゆるiアプリです。ローンチ時から本格的に参入しました。当時の容量はわずか10キロバイトだったんです。WEB制作を請け負ったハドソンのプロデューサーから呼ばれて、Javaの仕事を依頼されました。5本を100万円でやってほしいといわれましてね、5本で100万で、ですよ! しかし、Javaの面白さと可能性に興奮して、ついつい請け負ってしまいました。冷静になってみると、どう考えても採算が合わない!(笑) 作ったのは、花札、麻雀、ビリヤード、ブロック崩し、超兄貴の縄跳びゲームですね。
―――: いわゆる定番ゲームが多いですね。
横山氏: 当時、ジー・モードさんが定番ゲームをたくさん作っていましたので、同じように作っても面白くないと思いまして、一工夫、加えました。ブロック崩しだと、反対側にCPUがいて打ち返してくるとか(笑)、花札はシナリオを入れたり、麻雀は世界観を入れたり。ハドソンさんも気に入ってくれてどんどん発注していただけるようになりました。その結果、栗田さんからアールフォースのアプリ制作能力は日本でも5本の指に入るといっていただき、自称営業部長としていろいろな会社を紹介していただきました。バンダイネットワークスさんやソネットさん、イマジニアさん、セガさんなどとお付き合いしました。一番作った年は、社員が10人いない状態で50本作りました。毎週リリース、毎週デバッグでした。
―――: 思い出に残るゲームはありますか。
横山氏: 『仁義なきテニス』でしょうか。文字通りのテニスゲームなのですが、起動すると「昨夜ウインブルドンで親父(オヤジ)が殺られた」というテキストが流れます(笑)。そして、スーツを着たヤクザ2人が登場して、「ラケット抜け!コラァ!!」等と言ってテニスするというゲームでした。当時のiアプリは、スクラッチパッドに追加データをダウンロードしていましたが、通信環境のため、10キロバイトといえども結構時間がかかりました。ダウンロードしている間、何%ダウンロードという表示が出て待たせるのが嫌で、一定容量をダウンロードするごとにテキストでシナリオを表示させたり、シナリオや画像、音声データをHTTP通信で取ってきてオープニングが見られるようにしたりしました。これはちょっとした発明だと思っています。
【仁義なきテニス】
木村氏: あとゲーム自体が、少ないキー操作で楽しめるようにもしていました。iアプリがリリースされた当初、コンソールゲームを開発していた人がiアプリを開発していましたので、携帯電話のキーをフル活用させるゲームが多かったんです。当たり判定も緩めにして、例えばテニスでは多少、適当なタイミングでボタンを押してもラケットにボールが当たるようにしていました。
横山氏: 超兄貴の縄跳びもすごかったですね。版権元から超兄貴の利用許諾は得たのですが、うみにんやイダテンの版権は使えず、イダテンのオプションで付いてくる「サムソン」と「アドン」だけが使えますよと言われました。めちゃくちゃだったんです。どうしようかと悩んで渋谷の歩道橋を歩いている時に、マッチョの兄貴達が大縄跳びするというアイディアが浮かびゲームにしました。これが実に受けました。
―――: どういったゲームだったんですか?
横山氏: ゲーム開始時には、3人の超兄貴がいて、大縄の動きに合わせてジャンプすると細胞分裂するんです。前の兄貴と次の兄貴の間に1フレーム間隔があって、ジャンプするとウェーブ状になります。人数が増えると難易度も上がります。兄貴は最大11人まで増え、先頭と最後方の兄貴のジャンプする間隔は最大10フレーム(1秒)となります。途中、声援が飛んできて、ポーズを取ると「白身は良いけど黄身はダメ」といったマッスルなTIPSが出てきます。
【愛(i)超兄貴】
木村氏: あとは、麻雀ゲームを開発した時、10キロバイトで麻雀のアルゴリズムをつくるのは不可能だと言われていたんです。その当時麻雀アプリはありませんでした。なのでやろうとなったのですが、フルの麻雀はどうやっても無理で、条件を絞ろうということになりまして、2人打ちならなんとかなるんじゃないかとか、ソーズを抜けば大丈夫じゃないかとか、色々と試行錯誤して何とかできました。ピンズとマンズだけの麻雀でしたが、楽しんでくれた方が多かったようです。
■コンソールゲームの移植にも着手
―――: 初期は、カジュアルゲームが多かったんですが、コンソールゲームの移植も手がけておられましたよね。
横山氏: ええ。一番初めに手がけたのは、『イースI』の完全移植です。J-PHONE(現在のソフトバンクモバイル)向けで50キロバイトで作りました。当時、コンソールゲームを携帯電話向けに完全移植した事例はなかったんですが、イースは僕自身学生時代に遊び倒した思い入れの強いゲームだったので、何とかしたいと思い、サーバーからゲームデータを動的に入れ替えるという手法で容量制限の問題をクリアしました。
木村氏: その後、『ドラゴンクエスト』をはじめ、携帯電話にコンソールゲームの移植ブームが到来しました。幸い『イースI』の移植が評判になって、このほかの『イース』シリーズをはじめ、『ヴァリス』、『サーク』などコンソールゲームの仕事がたくさん舞い込んできました。そんな中、2005年にセガさんから『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』の移植の打診が来ました。
横山氏: 内心作るのは無理だろうと思ったのですが、社員にサンプルプログラムの制作を指示したら、しっかり作ってくれたんです(笑)。動作が少々遅かったものの、これはチューニング次第でなんとかなると思いました。問題は容量でしたが、開発スタッフが頑張ってくれて、何とか30キロバイト版も作り上げました。これは全世界で配信されました。
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―――: 覚えています。ソニックが携帯電話で出るとは思いませんでしたから。
横山氏: 業界内でも注目されたようですね。これをきっかけに、後日、あのエレクトロニック・アーツ(EA)の副社長さん(多分アメリカ人)が会いに来てくれたんですが、「こんなものを移植するなんてお前ら馬鹿じゃないのか」といわれました(笑)。そして、当社の技術力をすごく評価してくれたんですが、ビジネスのやり方がもったいない、もっとチャレンジしないとダメだと叱られました。で、そこまでいうなら何かしてくれるのかと思い、「EAさんは仕事くれるんですか?」と聞いたら、「それとこれとは別だ」というんですよ(笑)。もう訳が分からなかった。
―――: お話を聞いていると、端末の性能や容量の問題をいかにクリアするかがほんとうに大変だったんですね。
横山氏: はい。こんなこというと社員に怒られるかもしれませんが、うちはS級プログラマーはいないかわりに、努力して複数人数でビルドアップしていく能力は他社には負けないです。できないとは絶対に言わず、本当に粘り強いですよ。
―――: これ以外にもニンテンドーDSやPSP向けのゲームも開発されましたよね。
横山氏: ええ。実は採用面接で、かなりの割合で「コンソールゲームを開発したい」といってくるので、「いいよ! やらせてあげるよ!」と約束していました。嘘をつく訳にはいかないですからね。そんなに多くはないのですが、コンソールゲームの受託も行っていました。これ以外にもブラウザソーシャルゲームもいくつか手がけました。
―――: なるほど。コンシューマーゲームの受託をメイン事業にするという選択もありえたと思いますが、携帯電話のゲームをメインにしようと考えたのでしょうか。
横山氏: 設立時からネットワークを使って、日常生活の中で楽しめるゲームを作りたいと考えていたことが大きいですね。1997年のある雑誌で、ドコモの社長さんが「通話料で稼ぐ時代は終わり、通話以外の目的で電話を売らなければいけない」と話した記事を読んで、ぼんやりとメールなどのデータ通信をイメージしていましたが、実際に出てきたのはiモードで驚きました。余計なものをそぎ落とすだけそぎ落としたコンパクトHTMLには震えました。人類が有史以来、高機能なコンピュータが常に手元にある時代が到来し、その先には高性能なサーバーがつながっている。携帯電話向けのゲームに完全にコミットしていくと決心しました。
■iPhone『CoinFalls忍』が世界ヒットとCAグループ入り
―――: その後、iPhoneアプリがでて、2011年にリリースされた『CoinFalls忍』は話題になりましたね。
横山氏: 僕はiPhoneが発売された当初から、iPhoneアプリは作りたくて仕方がなかったんです。でも、社員の反応もいまひとつですし、得意先にプレゼンしても芳しい反応が得られませんでした。そこで自分たちで開発したのが『CoinFalls忍』です。当時、『Coin Dozer』が大流行していたのですが、僕が遊びたいコインゲームでは無かったですし、画面にコインが50枚出ると10フレームも出ないことが不満でした。世界で通用するコインゲームを作ろう、そのためには忍者だ! と(笑) コインを投げる気持よさが感じられて、ゲームセンターのようなジャラジャラ感を出すには、画面にコインは200~250枚必要なことがわかりました。250枚で10フレーム、100枚で30フレーム出ていればいいと思ったので、プログラマーには250枚で30フレームで作ってと指示しました(笑)。
木村氏: はじめは既存の物理エンジンを使って作ったのですが、どうやっても『Coin Dozer』と同じになってしまうので、独自に物理エンジンをつくって開発しました。担当プログラマーが「250枚で30フレームは無理でした…しかし、150枚でなら30フレームが実現できます…」といってきたので、横山が「よし!それでいこう!」となりました。
―――: 既存のゲームに比べて高性能のゲームができたわけですね。
木村氏: 10倍以上の速度ですね。データも工夫していました。開発するに従って、フレームレートが落ちていくわけですが、これに対応するため、シェーダーを自前にしました。「OpenGL」に転送するデータや描画のボトルネックを徹底的に調べて、このデータはいらないから切る、処理が重くなったら使用するテクスチャを粗くするなどしてチューンナップしていきました。
横山氏: 結局、製品版はiPhone3GSでもコインを100枚表示しても30フレームでていました。リリースしたら、App Storeの無料ゲームランキング1位を獲得し、アメリカでも3位に入り、さらに64カ国でベスト3に入りました。課金要素が十分ではなかったので、ほとんど儲からなかったんですが…とにかくびっくりしました。今思うともったいなかった。ですが、この『CoinFalls忍』を持ってサンフランシスコに売り込みに行くことができました。そこでサイバーエージェントさんのパーティに偶然行って、『CoinFalls忍』のサンプルを見せたところ、大変好評でした。知り合いの社長に「このゲーム、面白い!」とサクラで騒いでくれと言っていたんですが、その必要がなかったかもしれません(苦笑)。そこで出会ったのが、サイバーエージェント・アメリカの当時、CEOだった西條晋一さん、サイバーエージェント副社長の日高祐介さんです。西條さんから今後やりたいことや何がほしいかと聞かれたので、「とりあえずお金がほしいです」と話したら(笑)、帰国後、サイバーエージェント・ベンチャーズにプレゼンする機会をいただき、出資していただけることになりました。
【CoinFalls忍】
木村氏: その当時、私たちは、このまま自社パブリッシングで行くか、クライアントを見つけて引き続き受託でするか、迷っていたのですが、自分たちの技術を使って、受託とは違う形の開発をしたいと考えていました。サンフランシスコに出かけたのはそういった理由からだったのですが、とても良い機会になったと思います。2011年に「東京ゲームショウ」に出展し、本格的に自社パブリッシングも行いました。記事にしていただいたところですね(関連記事)。そこで自社の課題として気づいたのは、課金関係とマーケティング、プロモーションでノウハウが少ないことです。
横山氏: 課題の解決策を模索していたんですが、そうしたなか、西條さんからご連絡をいただき、「横山さん、世界の一人でも多くのお客様にゲームを届けたい、任天堂を超えたいとおっしゃってましたよね。サイバーエージェントの力を使ってそれをやるのはどうでしょう?」といわれ、「それって買収っすか?」と聞くと、「まぁそうです、オモシロ投資です」と言われました。当時、サイバーエージェントグループからも受託していたのですが、クオリティやバグが少ないことを評価していただいたそうです。私もサイバーエージェントは突破力のある会社だと思っていました。会社の目標は、お客さんの払っていただいた金額以上の喜びや価値を提供すること、そして任天堂を越えることなんです。当時の僕達が独立したままでは、それを果たせないなと思ったのです。
―――: そういう経緯だったのですか。ゲームショウの時、木村さんからサイバーエージェントさんと協力関係にあるというお話をお聞きしていましたので、それほど驚かなかったのですが。今後の展開を教えてください。
横山氏: スマートフォンのネイティブアプリに100%コミットしていきます。Cygamesさんと『三国志パズル大戦』を出させて頂きましたし、年明けには、さらに大型のタイトルを出しますよ。今は言えないんですが、これは本当にすごいです。見た人が「わわわっ」っと驚いてくれるはずです。期待して欲しいですね。
―――: それは気になりますね。グループに入ったことで開発体制にはなにか変化はありましたか。
横山氏: CAグループに入る前までは基本的には全て内製で行っていましたが、グループ入りして以来、グラフィックスやアート関係、課金要素、マーケティングに関しては、Cygamesさんを中心とするサイバーエージェントグループと密接に協力するようになっています。当社で足りない部分についてはグループの力を借りていますが、現在では独自でアートデザインのクオリティアップにも取り組んでいます。C++のエンジニアやサーバーエンジニアと並行して、世界観をしっかりと表現できるグラフィックデザイナーを探しています。
―――: 変なことを聞きますが、開発者は社員が多いのですか?
横山氏: ええ。従業員に占める正社員の比率も高いですし、新卒から入った社員も多いです。新卒から入った社員が7割を占めています。中途採用も、最近はCAグループに入ったことで良い人が来てくれるようになりましたが、以前は、中途と言えば勤め先が給料未払いで転職活動している奴や、コンソールゲームよりも楽ができると思って携帯ゲームの会社に来た奴が殆どでした(笑)。それでも、一緒に面白いゲームを作ろう! と気持ちを一つにやってきましたね。
―――: 新卒から入る方が多いんですね。
木村氏: ええ。あと、ごくごく当たり前なんですが、創業時から社会保険もきちんと入れていますし、育児手当もあるんです。ゲーム専門学校で講師をしていた時、教え子の就職先であるゲーム業界の労働環境はひどいもので、年金や医療保険、雇用保険がないという会社がザラでしたし、そういう状況を変えたいと思ったのです。会社を設立した時、社会保険をちゃんと整備すると講師仲間に話したら、「そんなことをしたら、すぐにつぶれるよ」と注意されたものです。社員が仕事にコミットするには、社会保険など将来に対して安心できる環境が必要不可欠だと考えています。
―――: いまでも社会保険の整っていない会社はありますよね。
横山氏: かもしれません。しかも、うちは基本給が年功賃金なんです。1年経過すると自動的に昇給します。1年仕事すれば、当然、これだけ成長するし、給料を上げましょうと。それと成果報酬部分、マネジメント給があり、両者のいいとこ取りを狙いました(笑)。会社と社員はいわば人生の大切な時間を売り渡す契約だと思っています。社員が会社に人生を売り渡してもいいと思える会社にしたいんです。
―――: 年功賃金ですか。驚きました。
横山氏:もうひとつ、当社の特徴は、労働組合とは少し違いますが、従業員で構成する社員会というものがあり、定期的に経営陣と会社のことを話し合っています。私たちは、客良し、役者良し、舞台良しをモットーにしていて、お客さんが本当に喜んでくれるものを作れれば、自ずと儲かると考えています。その状態をつくるにはクリエイターが100%以上能力を発揮できるモノ創りの場を作る必要があり、それには会社がきちんと利益を上げていく必要があります。そういった好循環を作るため、社員会と話しているのです。
―――: 先ほど目標で「任天堂を超える」とおっしゃってましたが、どういうことでしょうか。
横山氏: 別に任天堂さんよりも売上・利益を出したいとか、世界一のハードを作りたいとか、そういうことではありません。任天堂さんの作るゲームは、世界中の人々から尊敬を集めていて、そのブランド力は圧倒的です。ゲームに対する好き・嫌いは、人によってもちろんあるでしょうが、しっかりと作り込まれた作品であると誰もが認めています。そして好きな人にとっては外れがありません。本当にすばらしいですよね。私たちもお客さんが払っていただいた金額以上の喜びや価値のあるゲームを提供し、アールフォースのゲームはいつもしっかりと作り込まれている、そして面白い――そうお客さんからいってもらえるようにすることが目標なんです。
―――: ありがとうございました。
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