大ヒットゲームアプリ『パズル&ドラゴンズ』(提供:ガンホー・オンライン・エンターテイメント)登場から早5年。ソーシャルゲーム『釣り★スタ』(提供:グリー)登場から間もなく10年。これまで幾多のモバイルゲームがリリースされ、ゲーム人口、そして市場を押し上げてきたが、気付けば市場は競合ひしめき合うレッドオーシャンに。
そんなゲームアプリ市場を駆け抜けるアカツキとカヤックは、同時期にブラウザソーシャルゲームから事業を立ち上げ、その後はスムーズなネイティブシフトやヒットゲームアプリを創出している。ソーシャルゲーム黎明期から事業に携わり、現在もなおゲームアプリ市場にチャレンジし続ける両社は、どのようなビジョンを描いてこれまで歩んできたのか。
本稿では、ゲームDJ・安藤武博氏をファシリテーターとして迎え、アカツキ×カヤック 両社の経営陣による対談記事を前後編に分けて展開。
前編では、両社がゲーム開発をはじめた頃からさかのぼり、当時の開発状況や心境、一緒に働くメンバーや環境についての話題が挙がり、両社のモノづくりに対する考えが垣間見えた。
代表取締役 CEO
塩田 元規 氏
取締役 COO
香田 哲朗 氏
株式会社カヤック
代表取締役 CEO
柳澤 大輔 氏
代表取締役 CTO
貝畑 政徳 氏
株式会社シシララ
代表取締役社長 兼 ゲームDJ
安藤 武博 氏
安藤武博氏(以下、安藤):本日はよろしくお願いします。いきなり私事ではありますが、今年で僕、ゲーム作りを始めて20年目なんですよ。
一同:おぉー。
安藤:それで20年前を振り返ってみたんですけど、まさか、スクエニ出身の僕が、カヤックさん、アカツキさんという会社と、ゲームの話をする日が来るなんて思いもしていませんでした。何なら5年前ですら、そんなことは思っていなかったんですけど。
一同:(笑)
安藤:さて、今や二社ともすっかりゲームを作る会社になったと言えると思います。古参のゲーム会社とは異なるアプローチをしてきたのかもしれませんが、良い作品を作っていらっしゃいます。
塩田元規氏(以下、塩田)&柳澤大輔氏(以下、柳澤):ありがとうございます。
安藤:最初はゲームといえば古参のゲーム屋が専用機向けにつくるという流れだけでした。そこにガラケー向けのソーシャルゲームが現れて、スマホの波が来てゲーム屋以外が参入するという変遷があった。そんな中、皆さんも携帯に近い事業をしていたのでゲームを作るという夢が叶ったのか、それとも、他に色々な偶然が重なって今があるのか。まずはここについてお聞かせください。
柳澤:そうですね。カヤックは今年で設立19年目なんです。ゲームを作り始めて8年。それまでの11年間、色々な仕事をやってきましたが、ゲーム市場に参入しようと決めたとき、貝畑が、「初めてやりたい事業に巡り会えた」って言っていたのを今でも鮮明に覚えています(笑)。
安藤:やりたい事のチャンスが手元に手繰り寄せられてきたな、というタイミングは、正にスマートフォンの出現だったわけですか?
貝畑政徳氏(以下、貝畑):いえ、Mobageですね。
安藤:Mobageなんですね。オープンプラットフォームになった時点ということですか。
貝畑:その当時、カヤックではゲームの制作実績が無かったんですが、ありがたいことにモバゲーさんから、「セカンドパーティーで最初にゲームを出しませんか」と声を掛けてもらったんですよ。
安藤:はい。
貝畑:それ以前は、立ち上げたモバイル事業で年間数十個のコンテンツを次から次へと制作していました。それらの1つに『コンチ』(※1)という着せ替えのアバターゲームを作っていたんですよね。
安藤:衝撃的でしたよね。本気なのか冗談なのか、わからなかった。
※1『コンチ』
ガラケーゲーム『ポケットフレンズ コンチ』のキャラクターとして2008年に登場。スマホアプリ『LOVE LOVE KONCHI』など、CD「コンチ音頭」やアニメと幅広いジャンルに展開している。世界中に幸運をもたらしてきたという「愛のシンボル」とのこと。
貝畑:当時、ゲーム開発は未経験のメンバーばかりだったんですが、グリーさんの『クリノッペ』とかを参考にしながら作っていて、それが偶然、モバゲーさんの目に留まったみたいなんです。それで、「ゲームを出しませんか」というオファーをいただいた、というのが経緯です。その時に初めて、「あ、僕等もゲームを作っていいんだ!」ということに気付かされました。
僕たちはもともとWeb制作会社で、ファミコンとかプレイステーションのゲームを作る技術はありませんでしたから。ですが、モバイルでブラウザの技術を使ってもゲームを作れるということがわかって、これはぜひ参入しようということになりました。本当にそこからですね、ゲーム作りがスタートしたのは。
安藤:正直に言うと、その頃にコンソールのゲームを作っていた人間は、「Web屋がゲームを作るなんてムリ」と思ってましたからね。
柳澤:実は「スクール☆ウォーズ」が大好きなんです。落ちこぼれや不良と呼ばれる人材を集めていかに勝つかというストーリーが面白いと思っていて、影響を受けた僕らは、モバイル事業部に社内で選りすぐりのダメ人間たちを集結させて作りましたね(笑)。そんな始まり方だったので、『コンチ』のような作品ばかり出てきてしまいました。
貝畑:ビジュアルはおかしなものを作っていましたが、会社として演出力や技術的には自信があったので、そういった面で高く評価いただきました。ただ、普通のゲームを作り続けていても抜きん出ることはできないので、どうせ作るなら、みんなが主人公になれるゲームを作りたいと思いました。漫画や映画と違って、自分が主人公になれるのがゲームの良いところだから、自分が成長する物語の作品を作ろうって。僕は『FF』が大好きで、『FF』をベースに、要素をソーシャルゲーム向けに置き換えて、且つ、自分のやりたいことをやってみようということで、最初のゲーム『英雄になりたい』(※2)を作りました。
※2『英雄になりたい』
ユーザー同士の戦争の結果によって物語の展開や結末が変わる、新しいタイプのファンタジーRPG。ユーザーはいずれかの勢力に所属し、上司となる将軍とジョブ(職業)を選んで戦場へ出撃する。ユーザー自身によってさまざまな戦術や作戦が編み出され、戦局も様々な変化を見せた。また、戦況にあわせて個性豊かな将軍たちによって繰り広げられる物語は、ライトノベルのような感覚で人気を博した。2010年2月にMobageでリリース。
安藤:あれは『FF』がベースになってるんですね。
柳澤:その頃って、塩田さんはまだDeNAにいらっしゃったんですか?
塩田:いえ、もう退職しています。
安藤:アカツキさんが創業したのは何年ですか?
塩田:2010年です。今年で7年目になります。
安藤:奇しくも、両社はゲームを作り始めて7、8年くらいということなんですね。
柳澤:じゃあ、ホントに同じくらいの歴史なんですね。
安藤:ソーシャルゲームを作ろうとなったのは、やっぱり少人数で作れるから?
塩田:そうですね。
安藤:新興企業としてゲーム市場に入るなら、このタイミングしかないという感じだったんですか?
塩田:それもありますが、”香田くんと一緒に会社を創りたい”と思ったタイミングと重なったことが大きいです。
安藤:事業の内容はさておき、まずは二人で会社をやってみようと。
塩田:そうです。自分の中では、(就職して)3年目までに会社を辞めて、起業しようと考えていました。香田くんとは、大学時代のインターンで出会い人柄をよく知っていたこともあり、いつか起業したら取締役をお願いしようと勝手に決めていたんです(笑)。そんなことを考えながら、彼がコンサルティング会社に入社して1年くらい経った頃に久々に会ったら、もうやる気をなくしていて(笑)。
香田哲朗氏(以下、香田):また、その話になりましたね(笑)。
塩田:香田くんの闇歴史の話ね(笑)それで、一緒に何か面白いことをやりたいね、という話になったのが元々のスタートです。そして始めるなら、自分たちが情熱を持って取り組めることで、世界で一番を獲れるかもしれなくて、偉大な事業になりそうなことがいいなと思い、ゲーム事業を選びました。それにゲームは、デジタルの世界で人の心を動かすことを研究し続けた学問だと思っていて、”人の心を動かす力で、世界を幸せにしたい”という今の会社のミッションにも通じる部分があり、会社を興して開始する事業としては最適でした。
一同:ふーむ。
塩田:最初に作ったゲームは『育てて☆マイガール』(※3)という、クイズに答えながら赤ちゃんを育成するゲームでした。あれは面白いゲームだったよね?
香田:そうだね(笑)。ゲームを作ったことがない、ましてや、サービスも作ったことがない人たち3~4人で作りましたから、それはそれは大変でした。
※3『育てて☆マイガール』
クイズに答えて女の子を育てていくソーシャルゲーム。正解する問題によって女の子の性格や容姿が変わっていく。キーポイントは一緒にゲームをしている全国の「親トモ」と協力しあうこと。姉妹版として『育てて☆マイボーイ』もリリースされた。
安藤:最初にゲーム事業を始めようと決まった時、香田さんの中でもしっくりきましたか?
香田:そうですね。当時流行っていたMobageの『怪盗ロワイヤル』を実際に遊んでみたら、「あ、これはウェブサイトと同じ構造だ」と理解して、それなら作れるんじゃないかと思い、そこからは見よう見まねですね。音楽でいうところの耳コピのような感じで、ゲームをプレイしながら、データベース設計に落とし込んで開発していきました。
安藤:確かに、3DSとかPS4みたいなゲームをいきなり作れる気は全くしないですけど、Webからスタートだったら行けるんじゃないかな、という感じですね。
香田:僕は理系出身で、HSPやJavaで簡易なゲームを作ったことがあったので、作り方の基本的な概念だけは分かっていました。しかしブラウザソーシャルゲームとはどういうゲームなのか、当時、本質的にはよく分かっていなかったのかもしれません。
安藤:話はやや戻りますが、ネイティブコードでガリガリ組んでた当時の大手ゲーム会社の人たちは、Web屋の技術なんてすぐ頭打ちになって、だんだんと別のWebサービスに移行していくのかなと思っていました。ところがどっこい、両社とも、大手や古参の会社に負けないくらい、しっかりとした、携帯電話のゲームを生み出してますよね。そこでWebの技術を超えてネイティブでもゲームを作れるぞって思った瞬間と、そのために何をしてきたかということを、ぜひ聞いてみたいんです。
結論から言ってしまうと、コンソールでの経験が無くても、ロジカルな思考とゲームに対する愛情があれば、面白くて売れるゲームは作れるということを、カヤックさん、アカツキさんという両社が証明したわけです。そこまでのプロセスをお聞きしたいんですね。
柳澤:スマホという新しいハードが現れたというタイミングがありますが、やっぱり、手掛けたタイトルがヒットした経験を持っていることは何より大きいと思います。その後、6本出して全部ハズれるということになっていくんですが(笑)。
安藤:つらい絶望の谷があったんですね。
柳澤:つらかったですね。とはいえ、 “当てた”という経験から、技術的にもキャッチアップして、しつこく生き残っていけたんだと思います。
安藤:単純に、ウケたから、「これは自分たちもイケるぞ!」という自信に変わっていったと。
柳澤:あとは技術を身につけていけばいいと信じて、新しい仲間を迎えたり、各メンバーが成長して出来ることの幅が広がっていきました。とにかく、どうやったら“当たる”か、人が動くか、は掴めている感覚があったので、そのあと6本外しても、諦めませんでしたね。
貝畑:カヤックのゲームで軸となっている「甲子園」をモチーフにしたゲームを、Mobag オープンプラットフォームの上で始めてから、「もっとゲームを作りたい」という声が社内で増えたんですよ。それで、「いいじゃん、やっていこう!」って調子に乗ってやってたら、発想は良いものの、世の中の流れや流行りに対して早すぎるものが生まれてしまったんです。それが『サバイバルゲームタウン』(※4)なんですが、4vs4のマルチプレイのゲームだったんですよね。
安藤:早いですね! それ、2010年くらいですか。早い!
※4『サバイバルゲームタウン』
コミュニケーションを取りながら複数のユーザーで本格的なリアルタイム対戦ができるバトルゲーム。敵に撃たれたら即終了、撃たれる前に撃つ。リアルタイムに進行していくゲームに緊張しっぱなしのスリルが楽しめる。2010年3月リリース。
貝畑:2チームに分かれて、4vs4の戦争ゲームをやるというものだったんですが、ブラウザゲームだから自分で更新しなくてはなりませんでした。更新すると、ピコッ!と少しずつ動いて、射程に入るとFLASHで攻撃の演出が入って、というもので。でも、とにかく早すぎたんです。というのも、自分でページを更新する手間があったため、なかなか馴染んでもらえなかったんだと思います。
そこで、ちゃんと伝わるように作らなきゃダメだということに気付いて、その次は『ボーリングパラダイス』という、ボウリングの球を投げてコレクションを集めるというゲームを作りました。
安藤:なんで、そこでボウリングになったんですか!?(笑)
貝畑:分かりやすいからです。釣りとか、身近なものをモチーフにすれば当たるだろうという短絡的な思考という言い方をすればそれまでですが・・・。
柳澤:そこから、出したゲームがどんどんハズれるという歴史に繋がるわけです。それらの経験を経て、得意なものに絞って作るようになって、だんだん自信がついてきたという感じだよね。
貝畑:そうですね。テーマも「友情」に絞りました。野球でもファンタジーでも、基本的には、みんなが集まって遊ぶゲームとして、そこにこだわりを持って作るということに振り切ったんです。
柳澤:カヤックは、人を軸に事業を行っているので、人と共に事業が変わっていくというところがあるんです。そういう意味で言うと、貝畑が6本ハズして、しばらく沈んでいたときに、もう辞めちゃうのかなっていう気持ちも正直あったんです。
一方で、『ぼくらの甲子園!』シリーズ(※5)はヒットして、3シーズン目に入っていて、もう貝畑の手を離れていました。ゲーム事業は、貝畑のやりたいという意志からスタートしましたが、ユーザーさんのためにやるという認識にどこかのフェーズで社員も変わってました。実際に事業も伸びているのもそういった理由からだと思います。
※5『ぼくらの甲子園!』シリーズ
Mobageでリリースされた甲子園を目指す青春野球ゲーム。全国の高校から所属校を選び、ポジションを決めて練習に励む。同じ学校の仲間と競い合ってスタメンを勝ち取り、地方リーグを勝ち抜いて、甲子園を目指していく。2010年8月リリース。
安藤:アカツキさんはプロセスという面では、どんな感じで手応えを掴んでいったんですか。
香田:僕等のような経験不足な会社だと、どのようなエンジンを使ったら良いのか?というところから悩んで、とても苦しかったですね。コンシューマーゲームを開発してきた会社であれば、独自のエンジンを持っていたり、マルチプラットフォームの経験もあったと思います。しかしWebは、そのあたりが既に標準化された状態の世界ですから、技術的には、ネイティブへのシフトが一番大きなチャレンジだったと思います。
塩田:アカツキは、スケジュールや予算をかなり強気で見込むところがあって、創業の時も最初のタイトルを香田くんと相談していて、香田くんは「半年あれば、3本作れる」って言ったんですよ!
一同:爆笑
塩田:それって1本ギリギリの時間じゃないですか(笑)。でもネイティブの時も同じ感覚で、「ネイティブなら半年あれば作れる」って(笑)。それでスタートしてみたら、10ヶ月程度かかりまして。
安藤:かかりますよね。いや、それでも早いくらい。Webのソーシャルゲームバブルで当てた人たちは、それが今後もずっと続くという幻想を勝手に信じていたところがありました。そのせいでネイティブへの移行がだいぶ遅れた会社もありましたけど、アカツキはかなり早かったですよね。それって、決断に結構気合いがいったと思うんですけど、決め手って何だったんですか?
塩田:ブラウザゲームでは1番どころかTOP10にも入れていなかったので、その市場で戦っていても先が分からないな、とは思ってたんですね。そんな時に『パズドラ』を見て、めちゃくちゃ面白いと思い、これはネイティブに賭けた方が可能性があるなと思いました。とは言え、ネイティブにシフトして千メモ(サウザンドメモリーズ)』(※6)を開発していた時期は、かなり赤字で「これは、会社が飛ぶかもしれない」と本気で思っていました。
※6『サウザンドメモリーズ』
本作は、かわいいちびキャラを指でつなげて戦うアクションファンタジーRPG。キャラクターをリンクさせる新しいゲームシステムに加え、豪華声優陣による全キャラクター完全フルボイス化、500年の歴史を紡ぐ壮大なストーリーなど、爽快感と本格ゲームの深さを兼ね備えている。2013年11月リリース。
安藤:突然、ゲームの制作費が上がるわけですもんね。
塩田:コストが上がって、リスクが高まる状況だと、ゲームを作ることをやめる会社も多いと思いますが、僕等は、”ゲームはすごく価値あるものなんだ”という思いを会社の根幹に据えていて、人の心を動かす力を世界中に届けようと本気で考えていたので、ゲーム作りを諦めませんでした。
安藤:なるほど。
塩田:その後、『千メモ』がヒットしてくれたおかげで、ネイティブ開発の先行者としてナレッジが溜まっていきましたし、優秀な人もどんどん入社して好循環が生まれ、そこから数字も組織もぐっと伸びた感じですね。
柳澤:最初にネイティブを作るとき、経験のないメンバーはどうやって作ったのか聞かせてほしいですね。
塩田:初期は、クライアント開発は外注会社さんに入って頂いて、その傍自分たちでも採用活動をしていました。最初は外注会社さんにお任せすれば大丈夫かと思っていましたが、実際は厳しくて。最終的には自分たちで採用したエンジニアと混成チームで作っていきました。ただ混成チームを作るときの課題として、web系のエンジニアと、コンシューマーゲーム業界出身のエンジニアってコミュニケーションやカルチャーが違うんですよね。
安藤:衝突というか、水と油だったんですか。
塩田:そうですね。衝突まではいかないですが、文化の違いが当初はいくつかの課題を産んでいたと思います。
安藤:それはどうなったんですか。今は共存できてますか?
柳澤:うちは共存してますね。そもそも、そういう議論はあまり出てこないように思います。
安藤:共存に向けて何かやったこと、カヤック流、アカツキ流のメソッドがあったら聞きたいのですが、なにか生み出されたやり方ってあります?
貝畑:我々はコンシューマーゲーム開発の人と一緒に仕事することもあるんですが、合宿をします。
安藤:いいですね合宿。私もよくやります。
貝畑:プロジェクトの始まりと終盤で合宿を実施します。最初は、コンセプトの理解とか、ゲームのビジョンとか、何を目標に作るのかということを合宿で意識合わせします。
安藤:なるほど。
貝畑:カヤックは元々Web制作会社ですが、クリエイターが集まる技術の会社なので、みんな技術への興味とかモチベーションは半端じゃないんですよ。実は、Mobageさんがネイティブの話を始めた頃から、自社内ではUnityの開発をすでに始めていました。
安藤:コンシューマーゲーム出身の人はどう交流していったんですか?
貝畑:コンシューマー出身の人たちは、エンジニアに比べればプランナーのジョイン数の方が多かったです。ディレクションの面から、「ゲームってこういうふうに作るんだよ」って教え合ったりしましたね。
安藤:ポジション的に衝突もなくて、シナジーになったんですね。
貝畑:そこが良かったですね。
安藤:以前、カヤックさんの『冒険クイズキングダム』のプロデューサーである後藤さんと対談をしました。後藤さんは、4年間ほぼ一人で100万問のクイズを作った方で、『ことばのパズル もじぴったん』(発売:ナムコ - 後のバンダイナムコエンターテインメント)を作った人でもあるんですが、物凄くユニークでアイデアの塊のような方でしたね。
柳澤:100万問って尋常じゃないですよね。
安藤:『冒険クイズキングダム』が2012年のスタートだから、ネイティブの黎明期に、かなりトガったコンソール側出身のプランナーが入って、今でも楽しそうに仕事をしている。カヤックってそういう人が多いと思うんですよ。魅力があるんですね。
柳澤:そうですね。「何をするかより誰とするか」というキーワードを大切にしていて、とにかく採用にはこだわっているので、素直なメンバーばかりです。コンシューマーゲーム出身の人が入ってきても衝突するということはなくて、むしろどんどん学んでいく傾向にありますね。あとは、ブレスト文化があるので、自然に馴染んでいくというのもあると思います。
貝畑:もちろん、作り方の違いについて議論をすることもあります。手戻りがとにかく少なくなるように、スケジュールと品質をちゃんと担保できるように、ずっと開発体制を改善し続けていて、すごく真面目にやっています。
香田:うちも似ていますね。アジャイルでスクラムを組んでやるというやり方は。
安藤:アカツキさんはどんな感じで交わっていったんですか。
塩田:色々な課題に対して、打ち手を打ってきましたが、外注や派遣のエンジニアの方がプロジェクトに対して、関わり方を一線引いてしまうことががありました。本当は言いたいことがあるけれど、言ってもいいのだろうか?という迷いがあるんだと思います。そんな時僕等は輪になって、モヤモヤしていることを共有するためにモヤモヤリストをよく作ります。
安藤:モヤモヤリスト?
塩田:気になっていること、心の中でモヤモヤしていることを書き出すんです。正社員も、外注の人も、みんなで。
安藤:たとえば、どういう内容が書き出されるんですか?
塩田:何でもいいんですよ。「このゲーム、俺は面白いと思ってない」とかでもいいし、「最近、コミュニケーションが少ないから、みんなでランチに行こう」とかでもいいんです。プロジェクトの振り返りの時にやっているのですが、発言しづらいこともあるので、紙に書いて出すことにしています。リストにすれば、整理も出来るので。それで、みんなで解決したほうが良いモヤモヤを見つけて、次のアクションを決めていく。そういうことをやっていくと、「言いたいことを言ってもいいんだな」という信頼関係が生まれるので、それが融合に効いたのではないかと思っています。
安藤:前の(代官山の)オフィスに初めて伺ったとき、塩田さんが、なるべく衝突とかハレーションが起きないように設計を徹底したというお話しをされていたことを思い出しますね。土足禁止で、みんなが必ず同じプロセスを通るように、とか。
塩田:オフィス設計は全部、彼(香田氏)がやってくれています。
安藤:香田さんが考えられてたんですね。アカツキさんもカヤックさんも、オフィスがすごく特徴的で、行くのが楽しみになるんですよ。ゲームを楽しく作るためには、オフィスのデザインもとても重要だという考えが、すごい伝わってきます。アカツキさんの土足禁止の思想を持ち帰って、ウチのオフィスもそうしています。
香田:オフィスは移転しましたが、変わらないコンセプトという点で、「居心地が良くて、本音で話せる」というところがあります。本音で話せるということはチームワークにとってすごく大事で、例えばみんなが本当は「ここがつまらない」と思っていても、本音が言えないことで、面白くないプロダクト、いわゆるクソゲーが出てきてしまうと思うんですよ。リリースする前から面白くないって、みんなわかってるはずなのに。
安藤:最初からわかってるんですよね。
香田:なので、ナチュラルな自然を取り入れた雰囲気とチームで効率的に議論できる機能性の両立を大事にしています。上のフロアには、大学の講義室のように段差のある椅子に座れるスペースがあり、プロジェクターを使いながら、30人程度でミーティングが出来るスペースがあります。オフィス全体のレイアウトオフィスも変わっていて、、全体的にアーチ型になっていて、それを一定の幅で植栽が間仕切りしているので、程よく、全体感と巣作り感を両立できるようにしています。
安藤:巣作り感。
香田:そうです。前のオフィスの時、各フロアごとにかなり巣作りが進んでいたんですよね。好き勝手に自分の物を持ち込んで、共有スペースで自由にいろいろやり始めていたりして。やり過ぎはよくないですが、そういう巣作り感を大事にしようと思いまして。
安藤:むしろ、その巣作り感がいいなってことですか。
香田:はい。今回も、ある程度の巣作りができるように余地を残して、広く作っています。また、カヤックさんはブレストMTGをよく実施しているということでしたが、うちは1 on 1も大事にしているので、そのためのスペースが沢山作られています。
安藤:個室のブースのような感じなんですか。
香田:そうですね。音も遮断されています。
柳澤:1 on 1はどういう風に実施するんですか? 上司と部下でですか?
香田:基本的にはそうですね。先輩とトレーニーだったり、エンジニアであれば、プロジェクトマネージャーとエンジニアリーダーとか。
塩田:アカツキは、メンバー同士が相当話し合い、語り合っています。相手を理解し、逆に理解されることで信頼関係をつくり、いいチームを作ると考えているからです。
安藤:オフィスのデザインは得てして、頭でっかちになってしまって、せっかく作っても全然機能しないよね、ということがありますが、両社とも、そういう無駄な設計やスペースがすごく少ないなって思うんです。普通、会社にはそういうデッドスペースがあって、みんなで寛ぐために作ったけど、使われずに、いつの間にか倉庫みたいになってるとか、よくあるケースですよね。
香田:オフィスが完成した後は、人の動きとかファシリティの使われ方を観察しています。予想通りに使われていると、めちゃくちゃ嬉しいんですよね。逆に、あまり使われなそうだったり、微妙だと思ったら、すぐに「壊してください」と言う時もあります。
一同:うわー。
香田:「本当に今から壊すんですか」と驚く人もいますが、使われない物を2年、3年残しておいても仕方がないですからね。オフィスは最後の最後まで細かくこだわって、ぶっ壊したり(笑)、いろいろ変え続けています。
柳澤:思想としては、個室で集中してやるというより、みんなで交わってワイワイやっていこうという方針を採用しているんですよね。そこがブレることなくやっている印象はあります。
安藤:言える範囲でいいんですけど、鎌倉の新オフィスで、ちょっと狙ったデザインとかお聞きできますか。
柳澤:あー、まだ言えないですねー!(苦笑)移転による周囲への影響でいうと、カヤックでは、「カマコン」という、鎌倉のIT企業や個人が、鎌倉という地域を応援する活動に参加しているんです。カマコン全体の生態系を考えつつ、僕等がオフィスを移転したあと、投資した会社がまた引っ越してきて…といった良いサイクルを生み出していきたいですね。
安藤:都市デザインの領域まで踏み込んでいくわけですね。
柳澤:そのぐらいの規模で考えて、僕たちの次の人たちにとっても使いやすいように作っておきたいなと考えています。
安藤:なるほど。
香田:カヤックさんも既に感じているかもしれませんが、ハードで出来ることが、もう閾値に来てるなと思っています。たとえば、2万円の椅子と5万円の椅子があって、その差額と得られる効果を比べると、そこまでメリットを感じないな、ということがありまして。
結局大事なのは、人を含めたソフトであると考えるようになったんです。ハードとソフトがミックスされて、その要は、”そこで働いてる人”なんですよね。働く人がイケていると、ワークプレイスとしての魅力が一段と高まるので、それがまた優秀な人を惹きつける。広い意味でのワークプレイスとしては、それが一番大事な気がしていますね。
安藤:イケてる人という話が出ましたけど、カヤックさん、アカツキさんが思う、イケてる人ってどんな人ですか? 今、両社が思う、「俺たち、こんな人と一緒に仕事したいし、こういう人がイケてるぜ!」って、どういうことなのかを聞きたいんですよ。
香田:アカツキには…
※続きは後編で!
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そんなゲームアプリ市場を駆け抜けるアカツキとカヤックは、同時期にブラウザソーシャルゲームから事業を立ち上げ、その後はスムーズなネイティブシフトやヒットゲームアプリを創出している。ソーシャルゲーム黎明期から事業に携わり、現在もなおゲームアプリ市場にチャレンジし続ける両社は、どのようなビジョンを描いてこれまで歩んできたのか。
本稿では、ゲームDJ・安藤武博氏をファシリテーターとして迎え、アカツキ×カヤック 両社の経営陣による対談記事を前後編に分けて展開。
前編では、両社がゲーム開発をはじめた頃からさかのぼり、当時の開発状況や心境、一緒に働くメンバーや環境についての話題が挙がり、両社のモノづくりに対する考えが垣間見えた。
■アカツキとカヤック、ゲーム開発を始めて7~8年
▲写真左から貝畑氏、柳澤氏、塩田氏、香田氏、安藤氏
株式会社アカツキ代表取締役 CEO
塩田 元規 氏
取締役 COO
香田 哲朗 氏
株式会社カヤック
代表取締役 CEO
柳澤 大輔 氏
代表取締役 CTO
貝畑 政徳 氏
株式会社シシララ
代表取締役社長 兼 ゲームDJ
安藤 武博 氏
安藤武博氏(以下、安藤):本日はよろしくお願いします。いきなり私事ではありますが、今年で僕、ゲーム作りを始めて20年目なんですよ。
一同:おぉー。
安藤:それで20年前を振り返ってみたんですけど、まさか、スクエニ出身の僕が、カヤックさん、アカツキさんという会社と、ゲームの話をする日が来るなんて思いもしていませんでした。何なら5年前ですら、そんなことは思っていなかったんですけど。
一同:(笑)
安藤:さて、今や二社ともすっかりゲームを作る会社になったと言えると思います。古参のゲーム会社とは異なるアプローチをしてきたのかもしれませんが、良い作品を作っていらっしゃいます。
塩田元規氏(以下、塩田)&柳澤大輔氏(以下、柳澤):ありがとうございます。
安藤:最初はゲームといえば古参のゲーム屋が専用機向けにつくるという流れだけでした。そこにガラケー向けのソーシャルゲームが現れて、スマホの波が来てゲーム屋以外が参入するという変遷があった。そんな中、皆さんも携帯に近い事業をしていたのでゲームを作るという夢が叶ったのか、それとも、他に色々な偶然が重なって今があるのか。まずはここについてお聞かせください。
柳澤:そうですね。カヤックは今年で設立19年目なんです。ゲームを作り始めて8年。それまでの11年間、色々な仕事をやってきましたが、ゲーム市場に参入しようと決めたとき、貝畑が、「初めてやりたい事業に巡り会えた」って言っていたのを今でも鮮明に覚えています(笑)。
安藤:やりたい事のチャンスが手元に手繰り寄せられてきたな、というタイミングは、正にスマートフォンの出現だったわけですか?
貝畑政徳氏(以下、貝畑):いえ、Mobageですね。
安藤:Mobageなんですね。オープンプラットフォームになった時点ということですか。
貝畑:その当時、カヤックではゲームの制作実績が無かったんですが、ありがたいことにモバゲーさんから、「セカンドパーティーで最初にゲームを出しませんか」と声を掛けてもらったんですよ。
安藤:はい。
貝畑:それ以前は、立ち上げたモバイル事業で年間数十個のコンテンツを次から次へと制作していました。それらの1つに『コンチ』(※1)という着せ替えのアバターゲームを作っていたんですよね。
安藤:衝撃的でしたよね。本気なのか冗談なのか、わからなかった。
※1『コンチ』
ガラケーゲーム『ポケットフレンズ コンチ』のキャラクターとして2008年に登場。スマホアプリ『LOVE LOVE KONCHI』など、CD「コンチ音頭」やアニメと幅広いジャンルに展開している。世界中に幸運をもたらしてきたという「愛のシンボル」とのこと。
貝畑:当時、ゲーム開発は未経験のメンバーばかりだったんですが、グリーさんの『クリノッペ』とかを参考にしながら作っていて、それが偶然、モバゲーさんの目に留まったみたいなんです。それで、「ゲームを出しませんか」というオファーをいただいた、というのが経緯です。その時に初めて、「あ、僕等もゲームを作っていいんだ!」ということに気付かされました。
僕たちはもともとWeb制作会社で、ファミコンとかプレイステーションのゲームを作る技術はありませんでしたから。ですが、モバイルでブラウザの技術を使ってもゲームを作れるということがわかって、これはぜひ参入しようということになりました。本当にそこからですね、ゲーム作りがスタートしたのは。
安藤:正直に言うと、その頃にコンソールのゲームを作っていた人間は、「Web屋がゲームを作るなんてムリ」と思ってましたからね。
柳澤:実は「スクール☆ウォーズ」が大好きなんです。落ちこぼれや不良と呼ばれる人材を集めていかに勝つかというストーリーが面白いと思っていて、影響を受けた僕らは、モバイル事業部に社内で選りすぐりのダメ人間たちを集結させて作りましたね(笑)。そんな始まり方だったので、『コンチ』のような作品ばかり出てきてしまいました。
貝畑:ビジュアルはおかしなものを作っていましたが、会社として演出力や技術的には自信があったので、そういった面で高く評価いただきました。ただ、普通のゲームを作り続けていても抜きん出ることはできないので、どうせ作るなら、みんなが主人公になれるゲームを作りたいと思いました。漫画や映画と違って、自分が主人公になれるのがゲームの良いところだから、自分が成長する物語の作品を作ろうって。僕は『FF』が大好きで、『FF』をベースに、要素をソーシャルゲーム向けに置き換えて、且つ、自分のやりたいことをやってみようということで、最初のゲーム『英雄になりたい』(※2)を作りました。
※2『英雄になりたい』
ユーザー同士の戦争の結果によって物語の展開や結末が変わる、新しいタイプのファンタジーRPG。ユーザーはいずれかの勢力に所属し、上司となる将軍とジョブ(職業)を選んで戦場へ出撃する。ユーザー自身によってさまざまな戦術や作戦が編み出され、戦局も様々な変化を見せた。また、戦況にあわせて個性豊かな将軍たちによって繰り広げられる物語は、ライトノベルのような感覚で人気を博した。2010年2月にMobageでリリース。
安藤:あれは『FF』がベースになってるんですね。
柳澤:その頃って、塩田さんはまだDeNAにいらっしゃったんですか?
塩田:いえ、もう退職しています。
安藤:アカツキさんが創業したのは何年ですか?
塩田:2010年です。今年で7年目になります。
安藤:奇しくも、両社はゲームを作り始めて7、8年くらいということなんですね。
柳澤:じゃあ、ホントに同じくらいの歴史なんですね。
安藤:ソーシャルゲームを作ろうとなったのは、やっぱり少人数で作れるから?
塩田:そうですね。
安藤:新興企業としてゲーム市場に入るなら、このタイミングしかないという感じだったんですか?
塩田:それもありますが、”香田くんと一緒に会社を創りたい”と思ったタイミングと重なったことが大きいです。
安藤:事業の内容はさておき、まずは二人で会社をやってみようと。
塩田:そうです。自分の中では、(就職して)3年目までに会社を辞めて、起業しようと考えていました。香田くんとは、大学時代のインターンで出会い人柄をよく知っていたこともあり、いつか起業したら取締役をお願いしようと勝手に決めていたんです(笑)。そんなことを考えながら、彼がコンサルティング会社に入社して1年くらい経った頃に久々に会ったら、もうやる気をなくしていて(笑)。
香田哲朗氏(以下、香田):また、その話になりましたね(笑)。
塩田:香田くんの闇歴史の話ね(笑)それで、一緒に何か面白いことをやりたいね、という話になったのが元々のスタートです。そして始めるなら、自分たちが情熱を持って取り組めることで、世界で一番を獲れるかもしれなくて、偉大な事業になりそうなことがいいなと思い、ゲーム事業を選びました。それにゲームは、デジタルの世界で人の心を動かすことを研究し続けた学問だと思っていて、”人の心を動かす力で、世界を幸せにしたい”という今の会社のミッションにも通じる部分があり、会社を興して開始する事業としては最適でした。
一同:ふーむ。
塩田:最初に作ったゲームは『育てて☆マイガール』(※3)という、クイズに答えながら赤ちゃんを育成するゲームでした。あれは面白いゲームだったよね?
香田:そうだね(笑)。ゲームを作ったことがない、ましてや、サービスも作ったことがない人たち3~4人で作りましたから、それはそれは大変でした。
※3『育てて☆マイガール』
クイズに答えて女の子を育てていくソーシャルゲーム。正解する問題によって女の子の性格や容姿が変わっていく。キーポイントは一緒にゲームをしている全国の「親トモ」と協力しあうこと。姉妹版として『育てて☆マイボーイ』もリリースされた。
安藤:最初にゲーム事業を始めようと決まった時、香田さんの中でもしっくりきましたか?
香田:そうですね。当時流行っていたMobageの『怪盗ロワイヤル』を実際に遊んでみたら、「あ、これはウェブサイトと同じ構造だ」と理解して、それなら作れるんじゃないかと思い、そこからは見よう見まねですね。音楽でいうところの耳コピのような感じで、ゲームをプレイしながら、データベース設計に落とし込んで開発していきました。
安藤:確かに、3DSとかPS4みたいなゲームをいきなり作れる気は全くしないですけど、Webからスタートだったら行けるんじゃないかな、という感じですね。
香田:僕は理系出身で、HSPやJavaで簡易なゲームを作ったことがあったので、作り方の基本的な概念だけは分かっていました。しかしブラウザソーシャルゲームとはどういうゲームなのか、当時、本質的にはよく分かっていなかったのかもしれません。
安藤:話はやや戻りますが、ネイティブコードでガリガリ組んでた当時の大手ゲーム会社の人たちは、Web屋の技術なんてすぐ頭打ちになって、だんだんと別のWebサービスに移行していくのかなと思っていました。ところがどっこい、両社とも、大手や古参の会社に負けないくらい、しっかりとした、携帯電話のゲームを生み出してますよね。そこでWebの技術を超えてネイティブでもゲームを作れるぞって思った瞬間と、そのために何をしてきたかということを、ぜひ聞いてみたいんです。
結論から言ってしまうと、コンソールでの経験が無くても、ロジカルな思考とゲームに対する愛情があれば、面白くて売れるゲームは作れるということを、カヤックさん、アカツキさんという両社が証明したわけです。そこまでのプロセスをお聞きしたいんですね。
柳澤:スマホという新しいハードが現れたというタイミングがありますが、やっぱり、手掛けたタイトルがヒットした経験を持っていることは何より大きいと思います。その後、6本出して全部ハズれるということになっていくんですが(笑)。
安藤:つらい絶望の谷があったんですね。
柳澤:つらかったですね。とはいえ、 “当てた”という経験から、技術的にもキャッチアップして、しつこく生き残っていけたんだと思います。
安藤:単純に、ウケたから、「これは自分たちもイケるぞ!」という自信に変わっていったと。
柳澤:あとは技術を身につけていけばいいと信じて、新しい仲間を迎えたり、各メンバーが成長して出来ることの幅が広がっていきました。とにかく、どうやったら“当たる”か、人が動くか、は掴めている感覚があったので、そのあと6本外しても、諦めませんでしたね。
貝畑:カヤックのゲームで軸となっている「甲子園」をモチーフにしたゲームを、Mobag オープンプラットフォームの上で始めてから、「もっとゲームを作りたい」という声が社内で増えたんですよ。それで、「いいじゃん、やっていこう!」って調子に乗ってやってたら、発想は良いものの、世の中の流れや流行りに対して早すぎるものが生まれてしまったんです。それが『サバイバルゲームタウン』(※4)なんですが、4vs4のマルチプレイのゲームだったんですよね。
安藤:早いですね! それ、2010年くらいですか。早い!
※4『サバイバルゲームタウン』
コミュニケーションを取りながら複数のユーザーで本格的なリアルタイム対戦ができるバトルゲーム。敵に撃たれたら即終了、撃たれる前に撃つ。リアルタイムに進行していくゲームに緊張しっぱなしのスリルが楽しめる。2010年3月リリース。
貝畑:2チームに分かれて、4vs4の戦争ゲームをやるというものだったんですが、ブラウザゲームだから自分で更新しなくてはなりませんでした。更新すると、ピコッ!と少しずつ動いて、射程に入るとFLASHで攻撃の演出が入って、というもので。でも、とにかく早すぎたんです。というのも、自分でページを更新する手間があったため、なかなか馴染んでもらえなかったんだと思います。
そこで、ちゃんと伝わるように作らなきゃダメだということに気付いて、その次は『ボーリングパラダイス』という、ボウリングの球を投げてコレクションを集めるというゲームを作りました。
安藤:なんで、そこでボウリングになったんですか!?(笑)
貝畑:分かりやすいからです。釣りとか、身近なものをモチーフにすれば当たるだろうという短絡的な思考という言い方をすればそれまでですが・・・。
柳澤:そこから、出したゲームがどんどんハズれるという歴史に繋がるわけです。それらの経験を経て、得意なものに絞って作るようになって、だんだん自信がついてきたという感じだよね。
貝畑:そうですね。テーマも「友情」に絞りました。野球でもファンタジーでも、基本的には、みんなが集まって遊ぶゲームとして、そこにこだわりを持って作るということに振り切ったんです。
柳澤:カヤックは、人を軸に事業を行っているので、人と共に事業が変わっていくというところがあるんです。そういう意味で言うと、貝畑が6本ハズして、しばらく沈んでいたときに、もう辞めちゃうのかなっていう気持ちも正直あったんです。
一方で、『ぼくらの甲子園!』シリーズ(※5)はヒットして、3シーズン目に入っていて、もう貝畑の手を離れていました。ゲーム事業は、貝畑のやりたいという意志からスタートしましたが、ユーザーさんのためにやるという認識にどこかのフェーズで社員も変わってました。実際に事業も伸びているのもそういった理由からだと思います。
※5『ぼくらの甲子園!』シリーズ
Mobageでリリースされた甲子園を目指す青春野球ゲーム。全国の高校から所属校を選び、ポジションを決めて練習に励む。同じ学校の仲間と競い合ってスタメンを勝ち取り、地方リーグを勝ち抜いて、甲子園を目指していく。2010年8月リリース。
■WEB業界出身×コンシューマゲーム業界出身 共存するには…
安藤:アカツキさんはプロセスという面では、どんな感じで手応えを掴んでいったんですか。
香田:僕等のような経験不足な会社だと、どのようなエンジンを使ったら良いのか?というところから悩んで、とても苦しかったですね。コンシューマーゲームを開発してきた会社であれば、独自のエンジンを持っていたり、マルチプラットフォームの経験もあったと思います。しかしWebは、そのあたりが既に標準化された状態の世界ですから、技術的には、ネイティブへのシフトが一番大きなチャレンジだったと思います。
塩田:アカツキは、スケジュールや予算をかなり強気で見込むところがあって、創業の時も最初のタイトルを香田くんと相談していて、香田くんは「半年あれば、3本作れる」って言ったんですよ!
一同:爆笑
塩田:それって1本ギリギリの時間じゃないですか(笑)。でもネイティブの時も同じ感覚で、「ネイティブなら半年あれば作れる」って(笑)。それでスタートしてみたら、10ヶ月程度かかりまして。
安藤:かかりますよね。いや、それでも早いくらい。Webのソーシャルゲームバブルで当てた人たちは、それが今後もずっと続くという幻想を勝手に信じていたところがありました。そのせいでネイティブへの移行がだいぶ遅れた会社もありましたけど、アカツキはかなり早かったですよね。それって、決断に結構気合いがいったと思うんですけど、決め手って何だったんですか?
塩田:ブラウザゲームでは1番どころかTOP10にも入れていなかったので、その市場で戦っていても先が分からないな、とは思ってたんですね。そんな時に『パズドラ』を見て、めちゃくちゃ面白いと思い、これはネイティブに賭けた方が可能性があるなと思いました。とは言え、ネイティブにシフトして千メモ(サウザンドメモリーズ)』(※6)を開発していた時期は、かなり赤字で「これは、会社が飛ぶかもしれない」と本気で思っていました。
※6『サウザンドメモリーズ』
本作は、かわいいちびキャラを指でつなげて戦うアクションファンタジーRPG。キャラクターをリンクさせる新しいゲームシステムに加え、豪華声優陣による全キャラクター完全フルボイス化、500年の歴史を紡ぐ壮大なストーリーなど、爽快感と本格ゲームの深さを兼ね備えている。2013年11月リリース。
安藤:突然、ゲームの制作費が上がるわけですもんね。
塩田:コストが上がって、リスクが高まる状況だと、ゲームを作ることをやめる会社も多いと思いますが、僕等は、”ゲームはすごく価値あるものなんだ”という思いを会社の根幹に据えていて、人の心を動かす力を世界中に届けようと本気で考えていたので、ゲーム作りを諦めませんでした。
安藤:なるほど。
塩田:その後、『千メモ』がヒットしてくれたおかげで、ネイティブ開発の先行者としてナレッジが溜まっていきましたし、優秀な人もどんどん入社して好循環が生まれ、そこから数字も組織もぐっと伸びた感じですね。
柳澤:最初にネイティブを作るとき、経験のないメンバーはどうやって作ったのか聞かせてほしいですね。
塩田:初期は、クライアント開発は外注会社さんに入って頂いて、その傍自分たちでも採用活動をしていました。最初は外注会社さんにお任せすれば大丈夫かと思っていましたが、実際は厳しくて。最終的には自分たちで採用したエンジニアと混成チームで作っていきました。ただ混成チームを作るときの課題として、web系のエンジニアと、コンシューマーゲーム業界出身のエンジニアってコミュニケーションやカルチャーが違うんですよね。
安藤:衝突というか、水と油だったんですか。
塩田:そうですね。衝突まではいかないですが、文化の違いが当初はいくつかの課題を産んでいたと思います。
安藤:それはどうなったんですか。今は共存できてますか?
柳澤:うちは共存してますね。そもそも、そういう議論はあまり出てこないように思います。
安藤:共存に向けて何かやったこと、カヤック流、アカツキ流のメソッドがあったら聞きたいのですが、なにか生み出されたやり方ってあります?
貝畑:我々はコンシューマーゲーム開発の人と一緒に仕事することもあるんですが、合宿をします。
安藤:いいですね合宿。私もよくやります。
貝畑:プロジェクトの始まりと終盤で合宿を実施します。最初は、コンセプトの理解とか、ゲームのビジョンとか、何を目標に作るのかということを合宿で意識合わせします。
安藤:なるほど。
貝畑:カヤックは元々Web制作会社ですが、クリエイターが集まる技術の会社なので、みんな技術への興味とかモチベーションは半端じゃないんですよ。実は、Mobageさんがネイティブの話を始めた頃から、自社内ではUnityの開発をすでに始めていました。
安藤:コンシューマーゲーム出身の人はどう交流していったんですか?
貝畑:コンシューマー出身の人たちは、エンジニアに比べればプランナーのジョイン数の方が多かったです。ディレクションの面から、「ゲームってこういうふうに作るんだよ」って教え合ったりしましたね。
安藤:ポジション的に衝突もなくて、シナジーになったんですね。
貝畑:そこが良かったですね。
安藤:以前、カヤックさんの『冒険クイズキングダム』のプロデューサーである後藤さんと対談をしました。後藤さんは、4年間ほぼ一人で100万問のクイズを作った方で、『ことばのパズル もじぴったん』(発売:ナムコ - 後のバンダイナムコエンターテインメント)を作った人でもあるんですが、物凄くユニークでアイデアの塊のような方でしたね。
柳澤:100万問って尋常じゃないですよね。
安藤:『冒険クイズキングダム』が2012年のスタートだから、ネイティブの黎明期に、かなりトガったコンソール側出身のプランナーが入って、今でも楽しそうに仕事をしている。カヤックってそういう人が多いと思うんですよ。魅力があるんですね。
柳澤:そうですね。「何をするかより誰とするか」というキーワードを大切にしていて、とにかく採用にはこだわっているので、素直なメンバーばかりです。コンシューマーゲーム出身の人が入ってきても衝突するということはなくて、むしろどんどん学んでいく傾向にありますね。あとは、ブレスト文化があるので、自然に馴染んでいくというのもあると思います。
貝畑:もちろん、作り方の違いについて議論をすることもあります。手戻りがとにかく少なくなるように、スケジュールと品質をちゃんと担保できるように、ずっと開発体制を改善し続けていて、すごく真面目にやっています。
香田:うちも似ていますね。アジャイルでスクラムを組んでやるというやり方は。
安藤:アカツキさんはどんな感じで交わっていったんですか。
塩田:色々な課題に対して、打ち手を打ってきましたが、外注や派遣のエンジニアの方がプロジェクトに対して、関わり方を一線引いてしまうことががありました。本当は言いたいことがあるけれど、言ってもいいのだろうか?という迷いがあるんだと思います。そんな時僕等は輪になって、モヤモヤしていることを共有するためにモヤモヤリストをよく作ります。
安藤:モヤモヤリスト?
塩田:気になっていること、心の中でモヤモヤしていることを書き出すんです。正社員も、外注の人も、みんなで。
安藤:たとえば、どういう内容が書き出されるんですか?
塩田:何でもいいんですよ。「このゲーム、俺は面白いと思ってない」とかでもいいし、「最近、コミュニケーションが少ないから、みんなでランチに行こう」とかでもいいんです。プロジェクトの振り返りの時にやっているのですが、発言しづらいこともあるので、紙に書いて出すことにしています。リストにすれば、整理も出来るので。それで、みんなで解決したほうが良いモヤモヤを見つけて、次のアクションを決めていく。そういうことをやっていくと、「言いたいことを言ってもいいんだな」という信頼関係が生まれるので、それが融合に効いたのではないかと思っています。
■ときにオフィスの一部を壊す!? 両社が大切にする働く環境
安藤:前の(代官山の)オフィスに初めて伺ったとき、塩田さんが、なるべく衝突とかハレーションが起きないように設計を徹底したというお話しをされていたことを思い出しますね。土足禁止で、みんなが必ず同じプロセスを通るように、とか。
塩田:オフィス設計は全部、彼(香田氏)がやってくれています。
安藤:香田さんが考えられてたんですね。アカツキさんもカヤックさんも、オフィスがすごく特徴的で、行くのが楽しみになるんですよ。ゲームを楽しく作るためには、オフィスのデザインもとても重要だという考えが、すごい伝わってきます。アカツキさんの土足禁止の思想を持ち帰って、ウチのオフィスもそうしています。
香田:オフィスは移転しましたが、変わらないコンセプトという点で、「居心地が良くて、本音で話せる」というところがあります。本音で話せるということはチームワークにとってすごく大事で、例えばみんなが本当は「ここがつまらない」と思っていても、本音が言えないことで、面白くないプロダクト、いわゆるクソゲーが出てきてしまうと思うんですよ。リリースする前から面白くないって、みんなわかってるはずなのに。
安藤:最初からわかってるんですよね。
香田:なので、ナチュラルな自然を取り入れた雰囲気とチームで効率的に議論できる機能性の両立を大事にしています。上のフロアには、大学の講義室のように段差のある椅子に座れるスペースがあり、プロジェクターを使いながら、30人程度でミーティングが出来るスペースがあります。オフィス全体のレイアウトオフィスも変わっていて、、全体的にアーチ型になっていて、それを一定の幅で植栽が間仕切りしているので、程よく、全体感と巣作り感を両立できるようにしています。
安藤:巣作り感。
香田:そうです。前のオフィスの時、各フロアごとにかなり巣作りが進んでいたんですよね。好き勝手に自分の物を持ち込んで、共有スペースで自由にいろいろやり始めていたりして。やり過ぎはよくないですが、そういう巣作り感を大事にしようと思いまして。
安藤:むしろ、その巣作り感がいいなってことですか。
香田:はい。今回も、ある程度の巣作りができるように余地を残して、広く作っています。また、カヤックさんはブレストMTGをよく実施しているということでしたが、うちは1 on 1も大事にしているので、そのためのスペースが沢山作られています。
安藤:個室のブースのような感じなんですか。
香田:そうですね。音も遮断されています。
柳澤:1 on 1はどういう風に実施するんですか? 上司と部下でですか?
香田:基本的にはそうですね。先輩とトレーニーだったり、エンジニアであれば、プロジェクトマネージャーとエンジニアリーダーとか。
塩田:アカツキは、メンバー同士が相当話し合い、語り合っています。相手を理解し、逆に理解されることで信頼関係をつくり、いいチームを作ると考えているからです。
安藤:オフィスのデザインは得てして、頭でっかちになってしまって、せっかく作っても全然機能しないよね、ということがありますが、両社とも、そういう無駄な設計やスペースがすごく少ないなって思うんです。普通、会社にはそういうデッドスペースがあって、みんなで寛ぐために作ったけど、使われずに、いつの間にか倉庫みたいになってるとか、よくあるケースですよね。
香田:オフィスが完成した後は、人の動きとかファシリティの使われ方を観察しています。予想通りに使われていると、めちゃくちゃ嬉しいんですよね。逆に、あまり使われなそうだったり、微妙だと思ったら、すぐに「壊してください」と言う時もあります。
一同:うわー。
香田:「本当に今から壊すんですか」と驚く人もいますが、使われない物を2年、3年残しておいても仕方がないですからね。オフィスは最後の最後まで細かくこだわって、ぶっ壊したり(笑)、いろいろ変え続けています。
柳澤:思想としては、個室で集中してやるというより、みんなで交わってワイワイやっていこうという方針を採用しているんですよね。そこがブレることなくやっている印象はあります。
安藤:言える範囲でいいんですけど、鎌倉の新オフィスで、ちょっと狙ったデザインとかお聞きできますか。
柳澤:あー、まだ言えないですねー!(苦笑)移転による周囲への影響でいうと、カヤックでは、「カマコン」という、鎌倉のIT企業や個人が、鎌倉という地域を応援する活動に参加しているんです。カマコン全体の生態系を考えつつ、僕等がオフィスを移転したあと、投資した会社がまた引っ越してきて…といった良いサイクルを生み出していきたいですね。
安藤:都市デザインの領域まで踏み込んでいくわけですね。
柳澤:そのぐらいの規模で考えて、僕たちの次の人たちにとっても使いやすいように作っておきたいなと考えています。
安藤:なるほど。
香田:カヤックさんも既に感じているかもしれませんが、ハードで出来ることが、もう閾値に来てるなと思っています。たとえば、2万円の椅子と5万円の椅子があって、その差額と得られる効果を比べると、そこまでメリットを感じないな、ということがありまして。
結局大事なのは、人を含めたソフトであると考えるようになったんです。ハードとソフトがミックスされて、その要は、”そこで働いてる人”なんですよね。働く人がイケていると、ワークプレイスとしての魅力が一段と高まるので、それがまた優秀な人を惹きつける。広い意味でのワークプレイスとしては、それが一番大事な気がしていますね。
安藤:イケてる人という話が出ましたけど、カヤックさん、アカツキさんが思う、イケてる人ってどんな人ですか? 今、両社が思う、「俺たち、こんな人と一緒に仕事したいし、こういう人がイケてるぜ!」って、どういうことなのかを聞きたいんですよ。
香田:アカツキには…
※続きは後編で!
(聞き手:安藤武博<Twitter>)
(文:Pick UPs! 原孝則<Twitter>)
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会社情報
- 会社名
- 株式会社アカツキ
- 設立
- 2010年6月
- 代表者
- 代表取締役CEO 香田 哲朗
- 決算期
- 3月
- 直近業績
- 売上高239億7200万円、営業利益26億7600万円、経常利益28億3400万円、最終利益12億8800万円(2024年3月期)
- 上場区分
- 東証プライム
- 証券コード
- 3932
会社情報
- 会社名
- 株式会社カヤック
- 設立
- 2005年1月
- 代表者
- 代表取締役CEO 柳澤 大輔/代表取締役CTO 貝畑 政徳/代表取締役CBO 久場 智喜
- 決算期
- 12月
- 直近業績
- 売上高174億6700万円、営業利益10億2100万円、経常利益10億3800万円、最終利益5億1100万円(2023年12月期)
- 上場区分
- 東証グロース
- 証券コード
- 3904