【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第16回 「創作」の民主化―Web1.0世代が築き上げたまぐまぐ、2ちゃんねる、ガジェット通信

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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Web3という言葉がメディアを席捲する今日、すでに30年近い歴史をもつWebビジネスがどのように成立してきたのか。まさにWeb1.0を作り上げた「メルマガの父」深水英一郎氏が、『ロッキン・オン』『ポンプ』創刊者の橘川幸夫氏の助言を受けてどうサービスをつくり、その後『2ちゃんねる』創設者のひろゆき氏らとどのようにビジネスをつくってきたのか。創業者でありながら常に1エンジニアとしてネットビジネスの最前線に立ってきた「歴史の生き証人」から話を聞いた。

■創業3年で登録者2000万人の日本最大のメルマガ「まぐまぐ」創業秘話
■史上最速の上場企業、KPI至上主義の罠でメルマガから離れられなくなる
■未来検索ブラジルで2ちゃんねるの運営&「ダークソウル」実況で230万人視聴
■論破王ひろゆきとの裁判、ニコニコ賠償金が支払われた経緯
■Web3時代という時代の大きな節目。取り残されないための方策

 

■創業3年で登録者2000万人の日本最大のメルマガ「まぐまぐ」創業秘話

――:自己紹介をお願いいたします。

深水英一郎と申します。メルマガプラットフォームの「まぐまぐ」を個人で開発したため「メルマガの父」と呼称いただいてます。1996年に日本で最初のメルマガプラットフォーム「まぐまぐ」を開発し、その後いくつかベンチャー経営をしながらガジェット通信を創刊したり、2ちゃんねるの検索機能を開発運営する未来検索ブラジルの代表などをしておりました。現在はツクレルというスタートアップの取締役をやっております。

――:すごいご経歴ですね。深水さんのヒストリーがそのままネットの歴史をたどるかのようでした。

盛っていただいてありがとうございます(笑)まぁ結局僕はWeb1.0の人間ですからね(笑)かれこれ20年以上インターネットがWeb2.0、最近のWeb3まで進化する過程をそれぞれ違うサービスをやりながら拝見してきました。


――:いつごろからエンジニアとして目覚められたのでしょうか?

1992年にCSKに入社するまでは実は「趣味でPCをやっている」人間でしかなかったんです。大学も国文学部で、教育実習にいくまでは真面目に国語の先生になろうと思って勉強してましたし。

ただ中学生の時からマイコン(小型のホビーコンピューター)をやっていて、当時のPC雑誌(『マイコンBASICマガジン』電波新聞社1982~2003、『LOGiN』アスキー1983〜2008)にテープで投稿とかは続けておりました。熊本出身なのですが、周りに同じ趣味の人はまったくいなかったです。なんか哀しい過去の話みたくなってませんか、これ?

――:「雑誌」に「テープ」で投稿する!?んですね。すごい時代です。

当時はPCの記録媒体がテープだったんですよ。音楽テープと同じ、あの磁気テープに記録されるものですね。PCにセットするとひとまず読み込みに10分、書き込みに10分かかるような時代で、そこに自分のコードを吹き込んで雑誌に送ると、「これは面白い!」というものを雑誌で取り上げていただけるんですよ。

プログラムがそのまま紙の雑誌に印刷されるんです。信じられないかもしれませんが、読者はその紙に印刷されたプログラムを見ながら自分のPCに入力して遊ぶんです。入力に1週間とかかかってましたね。だから瞬時で書き込み・読み込みできるフロッピーディスクが出たときは本当に革新的に思えました。さぁ!ゲームやろうぜ、って言って10分間ピーピーガーガー言うテープからゲームのロードを正座で待って、そこからやっとゲームスタート、という世界から、カツン、と音がして1秒で読み込みが終わってゲームができる世界。まるで紙のすごろくから急にPS5になったぐらいの衝撃です。ちょっと例えの振り幅が大きすぎて頭にはいってこないかもしれませんが。

 

――:まさにPC黎明期に、国語教師になる道を思い直して、CSKに入るわけですね。その後、すぐにベンチャーで起業されてますよね。

CSKでは3年くらいプログラマとして働いていたんです。その時、ちょうどWindows95が出たタイミングで、インターネットを通して海外のサーバーから瞬時でファイルを入手できるのが衝撃でした。今となってはそんなの当たり前だろうと小学生にも言われるレベルかもしれませんが、当時は黒船を見た坂本龍馬のごとく「新しい時代がくるぜよー!」と大興奮でした。そのCSKから退職したメンバーで起業したベンチャーに参画します。ミドルウェアの開発や受託などをおこなっていたデジタルデザインという会社で、私は今で言うECサイトのプラットフォーム開発をしていました。その後2000年にナスダック・ジャパンに上場しました。

当時は転職なんてご法度の時代でしたので、全員がバラバラに違う理由をいって退職してましたね。僕の場合は九州の実家の仕事を継ぐ、という名目でした。父親は公務員なので、継ぐことなんてできないのですが。

――:そうするとメルマガもそのデジタルデザインで開発されるんですか?

いや、それが当事の社長には興味ないと言われてしまって。インターネット利用者が増え「電子メール」も普及しはじめていた時期です。メールマガジンもポツポツと生まれていたのですが、メールマガジンの発行者さんは皆さん手作業で登録を受け付けて、配信日にはBCCにメアドをはりつけて配信してました。これって、ミスも起こるし、あまりに不便だったんですよね。

そこでWeb上でユーザーがアドレス登録すると自動的に配信されるメール配信・アドレス管理できるサービスのプロトタイプを創ったんですよ。ただ、それを上司にプレゼンしたところ、まぁ、今では笑い話ですが「メールがメディアになんてなるわけないじゃない」と言われてしまい、会社ではやらないということになってしまったんです。

それで個人でやることにしました。今振り返ると当時はCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)なんて考え方もない、プラットフォームビジネスも、フリーミアムという発想も存在しない時代でしたので、「無料プラットフォームで人を集めてビジネスにするんです」と言っても、ヤバい人の妄想にしかきこえなかったと思います。先行事例がまったくないわけですから。なので、社長の判断もしょうがなかったのかなと思います。

――:なるほど、副業で個人事業主のサービスとしてはじめるわけですね。よく確証をもってサービスローンチまでもっていきましたね。

いや、不安でしたよ。今ではあたりまえの考え方も全く存在しません。開発のためのライブラリも、スタートアップのためのノウハウ本もない。前例としての成功モデルもない時代です。今だったら「起業の科学」を読んで、「それやっちゃまずいんだ、気をつけよう」ってのができるけどそんな本はまだない。開発に関しても欲しいライブラリがない。フレームワークもない。ちなみに最初のバージョンはC言語で書きました。ないから全部自分で作るしかないです。簡単なことでも時間がかかってしまう。

不安しかない状態でした。それで相談していたのが、ニフティサーブのメディアフォーラムでつながりのあった音楽誌『ロッキン・オン』の創刊メンバー橘川幸夫さんです。橘川さんには「これは絶対面白い!死んでもやれ!」と激励していただきました。橘川さんは『ロッキン・オン』創刊の後、革新的な完全投稿制の紙媒体『ポンプ』を1978年に創刊されています。紙のソーシャルメディアといってもいい仕組みの雑誌です。

『ポンプ』に投稿した過去があり後に著名人となった方を調べると、岡崎京子、尾崎豊、熊谷達也、下関マグロ、デーモン小暮、吉田美和といった錚々たる表現者の方々の名前がでてきます。今なら著名人がSNSを使うのは当たり前ですが当時紙媒体でそういう人たちの表現と交流の場を作ったということになんとも凄みがありますね。そういう媒体の創刊者に太鼓判をいただき、強く背中を押されてやっと安心して開発に没頭できました。

当時開発用のサーバーもなかったので橘川さんからPCを送っていただいて、それで開発を進めました。まぐまぐは1997年1月にサービス開始するんですが、幸いあっというまにメールマガジン発行者が集まってきて、その時やっと「発行者と読者の出会いの場になる」という強い可能性を感じました。

※雑誌『おしゃべりマガジン ポンプ!』は橘川幸夫が1978年創刊し、1985年に廃刊となっている。現在のSNSの原型になるような雑誌であり、「紙のインターネット」「紙のSNS」として再評価されている。

――:実際にはどのように利用するサービスなのでしょうか?

メルマガを発行したい人が「まぐまぐ」に登録します。発行も送信も完全に無料です。そして登録されたメルマガの内容に対して、その配信を受けたいユーザー側も「ニュース」「マルチメディア」「アート・文芸」などカテゴリーごとに読みたいものに自分のメールアドレスを打ち込む。こちらも無料です。発信したい人と受信したい人をフリーでつなぎ、その送受信を支援するプラットフォームですね。

…なんか数行で説明が終わってしまったのですが、良いサービスなんです。ちなみにサービススタート時のタイトルは「インターネットの本屋さん『まぐまぐ』」でした。本や雑誌のように書き、それを読者のもとに届ける、ネットの本屋さんを作る、というのが最初のコンセプトです。

――:どんなメルマガが人気だったんでしょうか?

エンタメ系・ニュース系が多かったですが、「懸賞系」「メールフレンド募集系」「プレゼント系」「コンピューターニュース系」「ゲーム系」あたりが王道でしょうか。一応審査を行って、適切でないものは新規登録時に弾いていました。エロ系ですとか、暴力団系ですとか。

――:暴力団!?何のためにメールマガジン発行するんですかね?舎弟募集?

なんだったんでしょうかね(笑)。一度リジェクトしたことに腹をたてて、会社に殴り込みにこられました。「メルマガ発行させんかい!」「編集長を出せや!」とか。ヤクザがメルマガ出したくてここまでやるんか、というのが可笑しくて笑っちゃったのですが、こちらが動じずに丁寧に対応してたら、最後は「なかなか肚が据わっとるやないけ、見直したわ!このへんで勘弁したる」といって帰っていきました。

新喜劇の池乃めだかみたいに。まぁそのくらい、ヤクザでもやりたいぐらい、誰もがメルマガを発行して誰かに伝えたい、ということですよね。インターネットの原初期のユーザー心理をとらえていたのだと思います。今でいうと、noteを始めるとか、Twitterでつぶやくとか、そういうノリで、みなさんメルマガ開設をしていましたね。

――:どうやって収益はたてていたのでしょうか?最初サーバー代など諸々かかりますよね。

あっというまにメルマガ登録者数が増え、メルマガ発行者がどんどんメルマガを配信するようになると、それにあわせて回線料がみるみるうちに膨らんでいくんですよ。個人運営だったので、自分のお小遣いでそれをまかなってたんですが、これは大変なことになるぞ、と。当時プロバイダーさんに直接自分で作ったサーバーを持ちこんで置かせてもらっていたのですが月10万円とかコストがかかるようになってしまって、このままだとあっという間に当時の月収超えるというのが見えてきました。

直接交渉してプロバイダに費用を下げてもらったり、もっと低コストでサーバーを置かせてもらえるたいへん優しいプロバイダーさんに移ったりしました。デジタルデザインも半年ほどで辞めて、まぐまぐ専業になりましたので、それもまた不安ではありました。

サーバー増強や回線費用を考えると単月で100~200万円という運営費がかかっているなかで1997年はずっと赤字。損益分岐を越えたのが1998年2月ごろで、売上がやっと月300万円を超えました(登録者が150万人時点)。そのあとはきちんと利益が出るようになってきました。

――:売上は完全に広告費ですか?

最初は広告費ですね。メールマガジンに広告を掲載する場所を作って、それを売ってました。当時はまだ広告ネットワークなどありませんから、ひとつずつ広告を売るんです。ただ数百万から1千万人と登録者が増えると、もらうべき広告費も単価もあがってしまうので、15万人程度に都度ランダム分割して、それごとに1バナー15万円ほどで販売してました。初期の頃は価格コムさんなども広告のせてくれていた記憶があります。その後、有料メルマガもスタートしました。月額200〜300円程度のサブスクリプションではじめるところが多かったですね。

――:こちらがリリース後3年間の推移ですね(図1)。1年たって黒字化、2年で7000誌、750万人登録と、だいたい1誌平均で1万人くらいの登録者ですね。それが3年たった2000年前後には2000万人まで累乗で増えていっている。まさにインターネットの爆発期の動きです。こちら、当時から続いているメルマガもあるのでしょうか?
 

※数字は当時の1998~2000年の雑誌・新聞特集記事より復元

懸賞サイトなどですかね。現在も続いている「チャンスイット」さんは1998年3月にまぐまぐの人気メールマガジンランキング1位も獲得したところから、現在まで続いているサービスです(当時は「Chance it!」という名前)。

メルマガは大きくわけると2つの種類のものがあって、

1.コンテンツを配信するためのメルマガ
2.マーケティングのためにショップや企業が配信するメルマガ

があるんです。まぐまぐではどちらも配信できるのですが、2の方は、その後ECサイトの機能の中に取り込まれたり、メールマーケティング機能つきの配信サービスに移行していきました。

2の為のツールも開発しようと議題にもあげたりしてたんですが、結局まぐまぐではそこまでできませんでした。商売として堅いのは、マーケティングメールの方だと思ってたので、同時にやりたかったのですが。この場合は二兎を追うのが正解だったんじゃないかと思います。

ただ、1のタイプのコンテンツメルマガを配信するだけでもてんやわんやだったのは事実で、常にシステムの増強が必要でした。最初は1日2万通くらいでしたが、半年後には20万通、98年にはいってからは1日200万通送れるようにどんどんシステムもチューンナップしていきました。当時は社員3名、アルバイト4名の7名でまわしてましたね。そしてとても親切なプロバイダーさんの中に、めちゃめちゃイケてる技術者さん達がいて、非常に助けていただきました。

――:こちら、今となっては当たり前の「メルマガ」、なぜ大手が参入することなく、深水さんしか手掛けられなかったのでしょうか?

2つの思い込みがあったと思います。1つめは「そこから商売にはならない」という思い込み。まだ誰もがビジネス化する方法を知らず、フリーミアムやCGM(コンシューマー・ジェネレイテッド・メディア)といった言葉すらなかった時代で、手探りでした。プラットフォームという概念もなかったので、そこでコンテンツがユーザーによって作られ、大量に集客していくなかで広告費や有料コンテンツ化してくる、という成功例がでてくるのもそこからしばらく経ってからです。

2つ目は「プロしかコンテンツは作れない」という思い込み。アマチュアが発行するメルマガに誰も興味なんてもたないだろうという思い込みは、その後のブログやYouTube、SNSで人気になるこれまでのいわゆるプロとしてのトレーニングを受けていない情報発信者やインフルエンサーがたくさん現れてくる状況をみれば間違いであったことがわかりますよね。
その後、サイバーエージェントの「メルマ!」が競合として出てきたり、ソニーの「pubzine」など大手企業も参入してきたのですが、上記の思い込みがあって参入が遅れたり、本気度が低かった。その前にまぐまぐがポジションを確立した、ということなんだと思います。

――:このへんは現在のメタバースの文脈でも大いに参考になりそうな話ですね。

ツールの発展により、あらゆる人の発信能力、表現能力が高くなってきています。ツールの進化はわたしたちの表現をよりリッチにするという恩恵をもたらしています。

Web2.0では表現者の数が大きく増えて誰でも発信することができるようになった。わたしたちの表現能力もアップしましたよね。ただ、仕組み上の限界で、あれよあれよと言う間に中央集権化し、富も極端に偏ってしまった。

Web3の考え方は、表現者にとってプラスになるものだと思います。まちがいなく新しい表現の形がそこで生まれる。そのための心地よいツールや環境もできあがっていくと思います。

メタバースプラットフォームに関しては、ビジネス、ゲーム、コミュニケーションに分化してそれぞれ発展していくんじゃないかなと思います。それぞれにヒーローが登場すると思います。


■史上最速の上場企業、KPI至上主義の罠でメルマガから離れられなくなる

――:まぐまぐはなぜずっと単独だったのでしょうか?どこか大手とアライアンスを結んだりといったことは検討されなかったんですか?

そうですね、実はサイバーエージェントの藤田晋さんからも提携のお電話いただいてたんですよ。目の前で営業担当が「お宅にお願いしなくても、僕らで営業できますからっ!」って怒って電話切っていて、何かと思ったら藤田さんからの営業提携の申し込みだった。あれ、僕に直接連絡くれてたらおそらく一緒にやってたんですけどね……それは今でも悔やまれます。

結果サイバーさんは堀江貴文さんのオンザエッジ(その後のライブドア)と組んで「メルマ!」というサービスを始めて、競合になってしまうんですよ。わざわざ競合を生み出してしまうなんて、大きなミスだと思います。サイバーエージェントさんと組んでいたら、まぐまぐの未来は大きく変わっていたと思います。僕も渋谷ではたらく大人になっていたに違いありません。

※「メルマ!」はその後順調に伸びて、3年後の2000年に300万人登録となった。創業2年で史上最年少上場が注目を浴びたサイバーエージェントが売上30億円、営業赤字16億、倒産の危機に瀕していた時期でもある。まぐまぐはすでに登録者2000万人でライバルを大きく引き離していた。

――:藤田さんの電話をガチャ切り…なんと勿体ない!その後、開発者である深水さん自身が退職されます。これはどういった経緯だったんですか?

「まぐまぐ」自体は個人で権利を持って運営し、営業を株式会社まぐまぐにお願いしていました。その後GMO(当時インターキュー)が、まぐまぐ専業の営業会社として「まぐクリック」という電子メール広告の営業会社を作ります。その「まぐクリック」が日本史上最短の創業後364日で2000年にナスダックジャパンに上場します。ですが上場も果たしたその前後、だんだん雰囲気が変わってしまうんですよ。

メルマガに自動的に広告を入れて、1クリック20円で広告収益を発行者に支払う仕組みが普及し、かなり多くの広告主が集まります。会社もそうなるといかに多くの無料アカウントを登録してもらうかという「アカウント数至上主義」になっていき、またページとしてのランキングなども収益化しやすい有料メルマガばかりがトップに並ぶようになっていきます。そうなると自分が求めていた「誰もが創作し、情報発信ができて、ユーザーと出会える場所」というコンセプトからどんどんずれるようになってきたのです。

――:すごくわかります。上場すると成功も「型」にはめてしまって、あとは人海戦術でパターンを繰り返すんですよね。そうなると、短期的に正しくても中長期的には誤った道に進んでしまったりする。

実にくだらないと思うんですが、企業の論理としてはそれが正解なんですよ。私はメルマガだけだとすぐ限界が訪れると思ってたのですが、企業としては「メールアドレスの数」を追いかけるのが正義、という形に変化してしまいました。

当時はメルマガがプッシュメディア、Webがプルメディアと言われていました。情報を能動的に届けるのでプッシュ、というわけなんですが、プッシュで見てられる数にも限界があるわけで、だんだんプッシュも飽和します。

なので、プルもやろう、そして今でいうBlogサービスやSNSのようなものを作ろうと主張してたんです。でも「Webメディアの新しいサービスやってもメールアドレスは集められないよね」と言われましてね。まぐまぐではやらないという判断になってしまうんです。

「メールアドレスを集める」って、どういう企業ビジョンなんだろう、という話ですよね。何の魅力も感じられませんし、将来性がない。ビジネス的にもすぐ限界が訪れる。当初まぐまぐは、「表現者のための場を作る」というコンセプトを立てて私が個人で始めたものですが、巨大化したサービスにさまざまな思惑を持った人が集まり、莫大な金額のお金も動くようになったことで、当初の目標が失われて、単なるメールアドレス集めの機械になってしまいました。ビジョンは失われ、中身は空っぽになってしまったんです。虚しいことです。

まぐまぐの現在の事業をみるとわかります。今の7億円の事業の中で、メルマガの後に最近始めたのがライブ配信です。20年間のネット世界の栄枯盛衰である、ブログやSNS、ECなど全部ぽっかりスキップされ、空いてしまっている。「メルマガNo.1」だけのポジションに執着して、「メールアドレスを集めること」のみを見るようになってしまった結果です。メルマガなど、やるべきことの一部だったにも関わらず、です。

――:当時、どのくらい現在あるサービスは予見できていたのでしょうか?

だいたい予想できていたものが、予想を上回る速度で普及しました。それはみなさんある程度予見できていたと思いますが、メルマガのあとはBlogがきて、SNS、そこから写真共有・動画共有ときて、ライブ配信。そういった未来はあるだろうと想像して、将来のサービスイメージとして公表したり、社内でも話をしていました。しかしながら「ユーザーが表現したい場をつくる」という本質的に追及しなければいけない方向性が欠落したまま突っ走ってしまったんです。

結果的に2000年5月に自分が退任したあたりがピークで、そのあと、まぐまぐは表現の場として成長がとまっていきます。


 
■未来検索ブラジルで2ちゃんねるの運営&「ダークソウル」実況で230万人視聴

――:その後、2006年に未来検索ブラジルで社長をされてますね。2ちゃんねる創始者の西村博之(ひろゆき)さんも役員に名を連ねる有名な会社です。

1985年のSF映画『未来世紀ブラジル』にあやかって未来世紀ブラジルという会社を作っていたんですよ。その創業社長の竹中直純さんが当時タワーレコードの役員をやることになり兼務ができないというので人を探していて、当時暇していた僕が未来検索ブラジル社の社長をやることになりました。

2ちゃんねる自体はひろゆき個人の所有物で、運営もボランティアベースでやっていました。その側面支援的な意味合いで2ちゃんねるの検索エンジンを作ったのが未来検索ブラジルです。2ちゃんねるはまだ当時「怪しいもの」だと思われていたんですね。

僕の思いとして、未来検索ブラジル社はつっこみどころなくきちんと経営したいなと思ってました。直接関係はないとはいえ、未来検索ブラジルが怪しく、つっこみどころがある会社だと、2ちゃんねるも怪しく見られてしまうので、それは避けたかったんです。そして、日本語圏では最大級の掲示板の印象が少しでもよくなればこれまでとはまた違ったさまざな人が参加してくれるようになるはずです。

――:運営はどんな感じで進んだのですか?

とはいえ、最初はまったくうまくいきませんでした。2ちゃんねるや、2ちゃんねる検索の広告枠興味ないでしょうか、と広告代理店にプレゼンしにいっても、代理店の人にバカにされて失笑されてたんですよ。「2ちゃんねるに広告無理っしょ、プププ」て。まぁ、そらそうだけど、笑うな、って感じですね。

そんなこんなで、なかなか大変でした。2ちゃんねるに関連ある企業というだけで相手にしてもらえないわけです。これを打開するにはどうしたらいいんだろう、というのは常に考えてましたね。膨大なアクセスはあるけど、いってみたらマイナススタートなわけなので、そこからどうプラスに持っていくのか、というのは課題でした。

――:確かにそういう位置づけの会社でしたよね。よく“一般化"していったなと思います。

ちょっと辛気臭い話になったので、少し話を変えますと、当時、個人的に、2ちゃんねるのトップ絵コンテストなんかもやってました。2ちゃんねるってずっと怪しい雰囲気のトップページだったんですが、ひろゆきにOKもらってトップページをすっきりした形にリニューアルして、ユーザー参加型でイラストを投稿してもらって、優れたイラストを2ちゃんねるのトップに掲載させてもらってました。

カオスだった2ちゃんねるの雰囲気もそれで少しは変わったんじゃないかなと思います。一時期かわいいイラストが掲載されていたのを覚えている方もいらっしゃるのではないでしょうか。2ちゃんねるの中に関しては意識してノータッチの立場をとっていたんですが、そういう、入り口部分は匿名のボランティアで楽しみながらやらせてもらってましたね。

未来検索ブラジルの話に戻ると、この会社には森大二郎さんという日本を代表するレベルのすごい検索エンジン開発者がいて、竹中さんも当時としては新しいポイントシステムを作って実装しており、「新しいものを手作りで構築していく」面白さがあって日々非常に楽しかったです。優れた人たちに囲まれて刺激的でした。未来検索ブラジル社はその後、ニコニコ大百科の開発なども手掛けます。

――:未来検索ブラジルの中で2009年ガジェット通信を立ち上げられます。メディア事業は初めてですよね?

ガジェット通信を立ち上げた理由ですが、大きく2つあります。ひとつは、2ちゃんねるに依存している事業だけだとリスクが高くて企業として脆弱なので、なにか他の事業も立ち上げたいと考えていた、というものです。私自身、メディアプラットフォームを立ち上げた経験があって、その中でオウンドメディアを作るということもやっていたのと、未来検索ブラジルの役員は皆メディア事業に明るく、それぞれ関連する経験も持っていた、ということ。なのでメディア事業を立ち上げられないか、というアイデアを持ち出すタイミングを狙っていました。

もうひとつは、上記の、2ちゃんねるのイメージを背負った企業だったので、メディアを持つことによってそれが払拭できないかと考えてました。メディアって芽が出るまでには時間がかかるのですが、根気よくコツコツ続ければ最終的にはブランドとして残る。なので、やるならばはやいほうがよい、と考えて、外部でニュースサイトの立ち上げに関わっていた友人に相談などして立ち上げ機会をうかがっていました。

――:社内的にはすんなり新しいメディア立ち上げよう!となるんですか?

未来検索ブラジル社内でプレゼンしたのは、ガジェット通信という名前もドメインも決めた後でした。当時ひろゆきが一眼レフにはまっていて「一石二鳥」みたいなこと、1つやったら2度おいしい、みたいなことが好きだったので、「ガジェット系メディアをやると、自分のメディアを持って情報発信できて、そこから収益を得られるだけじゃなく、カメラメーカーから最新のボディやレンズを無料で借りることができるよ!」という説明をしたら、いい感じで役員全員ノリノリになってくれました。こう言うと、簡単に企画が通ったようにきこえるかもしれませんが、結構ブレストの段階でアイデアが潰れることが多かったので、企画を通すのって難しかったんです。この企画の事前準備は、かなり慎重に進めました。

ただ、あとで気づいたんですが、カメラメーカーさんってなかなかカメラを貸出してくれないんですよね。われわれのような下心を持つ人が多いのかもしれません。結局貸し出してくれるまでに5年ぐらいかかったんじゃないでしょうか。最初は取材も大変でした。そのままの社名「未来検索ブラジル」だと取材に応じてもらえないんです。誰も知らないし、そもそもメディア企業にみえない。というので取材用の固い名前として東京産業新聞という子会社を作り、その名前で連絡をするようにしました。すぐに取材できるようになりましたね。そういう謎な苦労はしました。

――:確かにその名前は秀逸ですね、誰も2ちゃんねるの会社とは絶対に思わない(笑)。その後ガジェット通信はどのように発展していったんですか?

ニュースメディアとしても順調に成長していくと共に、ひろゆきがニコニコ動画に関わっていたというのもあって、非常に身近なところに動画やライブ配信がありました。そんなわけで、ガジェット通信でも早い段階で取り組んでいました。また、ライブ配信に特化した部門をつくってニコニコ生放送のライブ番組の制作などもやらせてもらってました。

ただ、当時は一般ユーザーに関しては公式に許諾をもらってゲーム実況をしているという人が少ない時代で。公式に許諾もらったとしても範囲は限られていました。今だったら当たり前に発売されたばかりゲームを実況したり、RPGを最初から最後まで実況したりといったことがおこなわれてますが、当時はそうじゃなかったんですよね。そんな中、たまたま思いつきで、『ダークソウル』の全編ゲーム実況できたら面白いだろうなと思って、ダメ元でフロムソフトウェア(現在はKADOKAWAグループ)さんに直接連絡したらあっさり許可を頂けてしまって。

――:すごいですね!僕もちょうど海外行き始めてたころで北米人気の肌感をばっちり感じてましたが、いきなりダークソウルの実況から始めるって、、、

びっくりしました。当時人気絶頂のRPG作品の全編ゲーム実況ですよ。こんな、ゲーム実況の世界がひっくり返るようなことなのに、めちゃめちゃあっさりOKいただいて。時代の変換点って意外とあっさり来るんだなと思いました。

そこからはガジェット通信のひげおやじさんやひろゆきが企画の骨子をつくり当時人気のあったゲーム実況者の皆さんに出演OKいただくなどトントン拍子に話が進んで、2012年のお正月に『ダークソウル』の60時間ぶっ通しプレイ配信をやりました。ニコニコ生放送で230万人視聴者が集まり、コメントも360万までいきました。

10年前の話ですからすごい数字です。ゲーム実況の勢いを肌で感じ、手応えを感じる出来事でした。その後RPGをクリアまでぶっ続けで実況するというライブフォーマットは、しばらくやらせていただいて、その後、YouTube公式のゲーム実況番組もやらせてもらうことになりました。

<ガジェット通信による『ダークソウル』配信記事>
●60時間ぶっ通し!ゲーム『ダークソウル』を全部クリアするまでお正月は終わらないぞ生放送!(ニコニコ生放送)
https://live.nicovideo.jp/watch/lv74938554
●「230万人突破!「新しいゲームの楽しみ方」を創りだしたゲーム実況『ダークソウル』生放送」
https://getnews.jp/archives/161026
●「231万人が熱狂! 「『ダークソウル』60時間生放送」の裏側を聞いた」
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1201/07/news012.html

――:ガジェット通信は、単なるメディアじゃなくて動画制作やゲーム実況までやってたんですね!?

そこが他のニュースサイトとの大きな違いです。今はライブ配信に積極的な媒体もありますが、ガジェット通信は先駆けてやってました。あと、実はMCN(マルチチャンネルネットワーク)としてYouTuber、Vtuberに登録いただいていて、そちらでも大手なんですよ。UUUMさんと同じタイミングで日本初のMCNをスタートしました。私達はUUUMさんとは逆に、当初静かにクリエイターさんをサポートする形でやってました。現在も「ガジェクリ」という名前で続いています。

 

■論破王ひろゆきとの裁判、ニコニコ賠償金が支払われた経緯

――:そろそろ深水さんの特性がわかってきたのですが…「面白いモノづくり」ができなくなるころに転身されますよね。未来検索ブラジルを2016年に退職されるのも?

飽きっぽいんですよね。ものづくりの最初のフェーズは面白いんですが、軌道に乗ってくるとだんだん興味がなくなっちゃいます。ほんとはもっと粘ったほうが人としては正解だは思うんですが。それに加えて、ちょっとした出来事がありまして。

メディアも一定の規模に成長し、YouTuber/VTuberのMCN事業もできたところで、実は2ちゃんねるの乗っ取り事件が起きました。それをきっかけに、新しいことをやろうということが言い出しにくくなって、僕の中で勢いがしぼんじゃったんですよね。それで外に出ようかな、ということになったんです。

――:2ちゃんねる規模のサイトが乗っ取られることってありえるんですね!たしかにその時期に2ちゃんねるまわりの色んな裁判の記事を拝見したような。現在も名前変わってますもんね。

2014年2月ですね。ひろゆきと仲良くやってたはずのジム・ワトキンス氏がサーバー代が払われなかったという理由で2ちゃんねるサーバー群のパスワードなど変えてしまって、ひろゆきがサーバーに入れなくなってしまうんです。そのままひろゆき含め削除人など関係者を全員排除、2ちゃんねるがジムの支配下に置かれたんです。

そのあとしばらくして、ひろゆきが日本で「2ch」「2ちゃんねる」の商標を取得。ジム側は2017年にサイト名を「5ちゃんねる」に名称変更することになるのですが、結局元の2ちゃんねる(今の5ちゃんねる)は、ジム側のものとなったままでひろゆきは取り返せていないようです。

――:もしお話できるようなら、深水さんとひろゆきさんとの訴訟の話もお伺いできますか?

退職してしばらくしてからの話ですが、2019年4月にニコニコ超会議で酔っ払いながらひろゆきが「深水が会社の資産を横流ししていた」みたいな話をしたんです。その時は何の件かわからなくて、ただ放っておいたのですが、あとから当時のお客さんがその発言を聞いて私が関わる企業との仕事を打ち切るみたいな事態に発展しました。そこで、そんなことはやってませんよ、ということを、きちんと証明するために裁判を起こさざるをえませんでした。そもそも酔っ払ったひろゆきの話を真に受けるなんてどうなの、という気はしますが、影響力が凄いので、思わぬ波紋が起きましたね。

――:「横流し」というのはどういった件だったんでしょうか?

裁判でのひろゆきからの答弁書を見て思い出したんですけど、以前にガジェット通信と協力関係にあった媒体に、広告掲載してもらう代わりに、写真素材を提供していたことがあったんです。それを当時、役員会でひろゆきが「深水が媒体に素材を提供してるが、見返りでお金をもらっているんじゃないか」と騒ぎ立てたことがあって。

――:メディア同士の写真の無償掲載をしあっていたということですね。確かにそれ自体はほかでもありそうな話ではありますよね。

社内に論破王がいるってホント大変なんですよ。こちらが説明してもその場その場の屁理屈で反論されて、「見返りをもらっていない証明を明日の朝までに持ってきてください」と根拠もないのに言ってきたり、感情的に怒りがおさまらない様子でした。ほかの役員のとりなしもあって、その時は場がおさまったので解決したと僕は思っていたのですが、本人は感情の奥底でモヤモヤしてたんでしょうね。

退職して関係も途切れて何年もたったところで、酔っ払ってあの発言が飛び出した、ということだと思います。今後イベント主催者や番組企画者は、お酒が入ったまましゃべらないようにチェックすべきだと思います。酔ったひろゆきの話を真に受ける人がいて困ったことになるので。

――:でも深水さんとしては、そんなに対立しているという感じではなさそうですね?

実害があったので訴訟をしただけで、基本的にはすごい人でしたし、リスペクトはしています。何か新しいものを発掘してくる嗅覚が凄くて、先を読む能力がある人だと思います。
ただ彼が一度反対のスタンスを固めてしまうと、なかなかその独自の理屈を覆して話を通すのは難しく、苦労した思い出がありますね。「論破王」は、エンタメとして外からみてる分には面白いんですが、社内で決裁者になると本当に大変ですよ(笑)

「あぶないよ身内に置くな論破王」ですね。そもそも未来検索ブラジルの代表ってだけでハイリスクなのに終いにはこんないわれのない悪口を言われて、ほんと僕、かわいそうだなと思います。

――:でもその論破王からの賠償金は話題になりましたね。2ちゃんねるで日本全国から「スレッドの削除要求」で訴えられても30億円の賠償金を踏み倒してきたと言われるひろゆきさんが、深水さんの裁判では賠償金を払った!と。

裁判でひろゆきの言う横流しなるものは存在せず、それはひろゆきの妄想だったということが証明され、私は完全勝訴となっております。裁判では45万円の損害賠償金+遅延損害金となっていたのですが、ひろゆきから口座に振り込まれていた額をみると、602,525円。

最後が「2525(ニコニコ)」になっていました(笑)内輪向けの暗号が仕込んである感じですね。そのへんの経緯はこちらでもお話しております(https://www.youtube.com/watch?v=zJUMXC-9dP0&t=31s)。


■Web3時代という時代の大きな節目。取り残されないための方策

――:メルマガと聞くと古い印象受けますが、実は北米でこの数年Substackが流行って有料メルマガが市場になってきています。25年前におこったまぐまぐの動きも形を変えて、現在進行形でも広がっていたりするんですよね。

デバイスが本→テレビ→スマホ→スマートグラス、コンテンツもテキスト→音→映像→VR、UIもCUI→GUI→VUI、WebもWeb1.0→Web2.0→Web3と進んできました。そうした過程で、「個人が大勢に向けて一斉配信をすること」のハードルがどんどん取り払われて、メディアをもたない個人もメディアを作れるという時代になってきました。

僕自身、まったくメルマガ読んでない時期もありましたが、指定した人から必要なだけのテキストが適切に編集されて届くというのはやっぱり便利なので、最近は有料・無料含め厳選していくつかメルマガ読んでます。

これは体感なのですが、テクノロジーだけじゃなくて、それを使いこなす人たちのコンテンツ制作能力の平均値も確実にあがっていると感じます。適切なメルマガを購読すると、短い時間で情報収集ができ、ストレスがありません。無料のもので一つ紹介すると、現代歌人の方が詠んだ短歌がときどき送られてくるメルマガがあるんですが、めっちゃえぇです。ふわっと、ふいに、歌人から新作の短歌が送られてるんです。不思議な感覚です。

たやすみなさい通信(岡野大嗣)
https://tayasuminasai.theletter.jp/


メルマガ配信プラットフォームを今のやり方で再構築すれば、その時代にマッチした新しいよいものができると思います。スマホで購読、閲覧しやすい。登録解除、課金がスムーズなものがあれば使いやすいですよね。そう考えると、これからはそもそもメルマガだと意識させない、気づかせないものが最もよいメルマガなのかもしれません。

――:ここまでWeb1.0時代からずっと最前線で見られていて、「これは本当だったら自分が立ち上げられたのに」という悔しかったサービスって何かあったりしますか?

悔しかったサービス…確かにありますね。Web黎明期はオンラインショッピングの仕組みも作っていたので、その後続けていれば楽天のようなECのプラットフォームになったかもしれない…とか?

まぐまぐと同時期に「PressNet」というプレスリリース配信サイトもやっていたんですよ。当時は企業がリリースをネットクリエイターに流す発想もなかった。プレスリリースを見せて欲しいとWebライターやメルマガ作者が言っても拒否されてたんですよ。そこでPR文化の普及のためにそのサイトをはじめて、各社が定常的にニュースリリースを流すようになったところで、役目は終えたと閉じちゃったんですよ。

今思うと、そこにPR費を出して出稿する文化は生まれていましたし、現在はPRTimesが各社のPR発表の場としてお金を払ってでも載せてもらうのが当たり前の時代になっていますね。
まぐまぐはメルマガで売上10億円といったところで分岐点を迎えてしまいましたが、BlogやSNS、動画、ライブ配信という表現者を支援する機能を時代の要請に合わせて追加していくということを淡々とやっていくだけでもさらに大きくなれたと思います。

例えば、企業や個々のクリエイターごとにチャンネル単位でマネジメントできるニコニコチャンネルは60-70億円くらいの成長市場になっていたりします。ニコニコチャンネルは、メルマガからBlog、動画、ライブ、チケット販売などなどの機能がすべて揃っていますよね。栄枯盛衰はあるとしても、きちんと表現する人を支援するという一本筋が通ったサービス群を作っていけば、市場の成長トレンドに乗れるんですよね。

――:深水さんが面白いのは、思いのほか「シリコンバレーカルチャー」には染まってないですよね。こういった領域の方はだいたい米国事例を“タイムマシン経営"のようにもってきます。

そうですね、ドメドメでやってきたので結局サンフランシスコや西海岸的な話や、最近の中国の深セン事情だったり「海外のものを持ってくる」みたいなことはしていないですね。今までやってきたことはゼロイチで考えて工夫したことばかりです。

――:深水さんとしては今後どんなことをやっていきたいですか?

現在ツクレル(以前はXSHELLという社名)という会社をお手伝いしています。オンラインでエンジニア教育をやっている会社で、ここでは自分が最初に志していた教育の分野にチャレンジしてみたいと思って参画しました。

また、Web3の流れで一個人が表現者として価値をみとめられやすい社会に向かってきています。そういった新しい表現領域でももっと新しいことができないかアンテナを張って、支援していきたいと思ってます。

――:日本の今後のWebサービスに一言お願いします!

色々やってきて思うのは、実際に成功するまでには時間がかかることがある、ということです。思っていたとおりのタイミングで好機が訪れるとは限らない。ですから好機が訪れるまで定石通り粘り強くやる。そのための体制を作る、ということがひとつ大事なことかなと思います。

そして、サービスは時代の流れを読んで、既存のサービスがいかにうまくいってるように見えても進化することを怠ってはいけないと強く思います。たとえばなぜヤフオクはメルカリになれなかったのか。なぜニュースポータルはスマートニュースになれなかったのか。時代の節目で取り残されないように、自分だったらどうするのか想像力を常に働かせて、その時にうまく対応できるようにしなければならないと思います。なぜなら今、大きな時代の節目にさしかかっているからです。

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