【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第20回 中国で一番有名な日本人、山下智博がクリエイター&プロデューサー&アーティストとして中国でブレークした理由
これまで中東で一番有名な日本人、インドで一番有名な日本人を取材してきた。ここまでくると世界で最も多くの人口を集める「中国で一番有名な日本人」を取材したくなるというのがシリーズの醍醐味でもある。2012年に裸一貫で中国にわたったアーティスト山下智博氏は現在中国版YouTubeであるBilibili動画を含めたチャンネル総合650万人登録者(ほぼすべて中国人)、累積14億回の再生を誇り、間違いなく中国で最も有名な日本人の1人である。
■札幌にフラッシュモブを普及させた公務員が、縁もゆかりもない中国大陸に降り立つ
――:自己紹介からお願いします。
山下智博と申します。2012年から中国に渡り、Bilibili動画を中心に活動しておりまして、コロナの後に日本に住み始めまして、いまはテレビ番組のプロデュースなどをやっております。
――:もともと芸術系の方だとは存じてませんでした。
高校までは北海道・小樽で育ちまして、そこから大阪芸術大学に進学して、4年間大阪におりました。大学にいる間に芸術祭や地方の美術館に行くのが好きになった感じです。
――:大阪芸大は芸術系の中では名門なのでしょうか?
いえ、「芸大」で皆さんがイメージするのは東京藝大、武蔵野美術大学、多摩美術大学などありますが、大阪だけはちょっと違いますね。。。私立というのもありますが、アーティストというよりはヤンキー気質で、たまーにすごいアーティストを輩出するみたいな、飛び道具系の芸術大学のような気もします。庵野秀明さんや中島らもさん、年代が近いところでは映画監督の石井裕也さん、ヤバTさんやミルクボーイさんが大阪芸大です。
私自身もデザイン描けたりするわけではなく、「藝術計画学科」という、いわゆるプロデュース側を専門とする学科で勉強していました。最初キュレーターになりたかったんですよね。
――:卒業後は普通にサラリーマンもされてるんですね?
公務員でしたね。なかなかキュレーターの仕事って競争率が高くて、とにかく落ちまくって、もう次ダメだったらいったんイギリス留学しようと思っていたところでした。ぎりぎりのところで最後の最後に札幌市芸術文化財団の教育文化会館に内定を頂いて、ようやく定職を確保した感じです。
▲教育文化会館時代の山下氏
――:どんなお仕事をされてたんですか?
私は日本の伝統文化の担当でしたので能・狂言・歌舞伎・オペラなどの展示を担当して、まさにその裏方のプロデュースをやっていました。そうした中で「演劇フェスティバル」というものがあって、演劇はなかなか敷居が高いと。どうやって演劇を見たこともない人たちに接続していくかを考えました。それでインスタントな面白さと驚きで人を集められる「フラッシュモブ」にたどり着いて、なにかハプニング的なイベントをできないかと個人的に企画しました。
最初のプロジェクトは街中の一般市民を集めて「食パンくわえながら遅刻遅刻~と改札に飛び込む」いうマンガ的な展開を、実際に40人集めてやってみました。芸大にいたのでこうしたフラッシュモブは歴史も含めて色々勉強していて、それこそ寺山修司さんの天井桟敷※なども参考にしながら、企画を練りました。ほかにも映画『卒業』にちなんで花嫁を連れ去られる様子を実演してみたり、もうそのころには札幌にフラッシュモブの文化を浸透させてやろう!という気概でやってました。
▲教育文化会館時代に山下氏が手がけたフラッシュモブ
※天井桟敷:1960~70年代に小劇場ブームを巻き起こした前衛芸術集団。30時間市街劇『ノック』は杉並区一帯を劇場として同時多発的に街角のあちらこちらで演劇を始めるという実験的なもので、警察が介入する事態にも陥った。
――:今につながりますけど、山下さんはアート領域といいながら、なにかサブカル的なもの、インターネット的なものがつながってますよね。
それがまさに自分のアイデンティティですね。こういうのを続けるうちに芸術祭などにも呼ばれるようになっていって、ただのサブカルくそやろうだった時代から、それなりに現代美術のなかで自分のポジションを築けるんじゃないかと思いはじめてました。
――:僕も最近Netflixで三島由紀夫と対等に論戦した思想家・劇作家の芥正彦さんの街頭演劇みたんですよ。当時はSNSもない時代で、町中でフラッシュモブのようなパフォーマンスをしても、まわりが怪訝な顔でみるばかりで。なにか凄い迫力を感じました。一体何のためにこういったことをやるんですかね?
はたから見た時に「お金のためじゃない」ということが大事なんだと思います。稼ぐためという目的になってしまうと「ああ、お金のためね」と納得されて興味を持たれなくなることが多いじゃないですか。この人は一体何の得があってこんなことを、、、と理解不能なほうが、それを解釈しようと皆のなかで疑問として残るんですよね。「意味を残す」というか。アートとビジネスでは、ベクトルが違うってこういうことだと思います。
――:なるほど、理解されないからその分、理解しようというエネルギーが働き続ける、ということなんですね。その後、山下さんは2012年一切ゆかりのない中国にわたります。これはどういった経緯だったのでしょうか?
20代のうちに海外のどこかで挑戦したいという気持ちがあったんです。英語圏は先人たちが居るので、先人のほぼ居ない、かつ経済発展がものすごくてエネルギーのある場所に行ってみたくて。ちょうどBRICSが流行っていたところで、だったら近いし中華料理美味いし中国からの旅行客も増えて来たし中国で試してみようと。
そのときがちょうど27歳で、30歳までならいくらでもやり直しがきく、と自分に言い聞かせて、3年間全力で海外で表現活動をしようと決めました。退職して退路をたって、働いて必死に貯め込んだ300万円を持って中国に飛んだんです。
――:中国語ができたわけじゃないんですよね?あと行かれてた2012年ってちょうど嫌日ブームだったんじゃ、、、
はい、中国語は全くできない状態でした。最初の1年は語学学校に通うところから始まりました。そして渡航した1週間後に尖閣諸島問題が起こりました笑。そのあと嫌日ブームが席捲するんですが、僕自身はすごく被害にあったという感じではなく、「逆にこれ以上日本人のプレゼンスが落ちない底からのスタート、上がっていくだけだ」と逆に清々しい気持ちでスタートしてましたね。
■ディャオスー(Diǎo sī)文化にラブドールとの同棲生活が刺さり、20万回再生
――:表現、ということで最初Bilibliの動画投稿から始まったんですよね。どういった動画からはじめられたんですか?
デビューというか、最初に取り上げられたのは「空気入れるタイプのお人形とのコスプレイベント参加」なんです。ちょっとわからないと思うので順を追って話しますね(笑)。
当時中国で、「負け犬」文化みたいなものがあったんです。苛烈な学歴社会のなかでもてないしお金もない「もたざるもの」がいっぱいネット世界に存在してました。中国の友人も「中国は人口が多いから、ある日突然数人居なくなってもあまり話題にならないから笑」と自虐的な冗談を言うくらい、人命がざる勘定されているような空気がありました。特に「持たざる者」に対しての風当たりは厳しいというのは、日本人としては結構衝撃的でした。言い方悪いかもですが、そんな“使い捨て"にされるような情勢もあって、皆の中に不満とか不安が大きくたまっている時代がありました。
――:そういえば当時高速鉄道の脱線事故なんてのもありましたね。
そうしたときに、場末のマーケットにいったときに大量に積まれたビニル製の安物空気人形が窓枠にびっしりこちらを向いて陳列されていたんです。その埃まみれの空気人形が「もたざるもの」を象徴しているように見えて、それで同棲生活を開始するんですよ。
▲中国の場末マーケットで陳列された埃まみれの空気人形
▲初期の山下氏のBilibili動画は常に相棒のようにこの人形がそばにありました
――:空気人形と?同棲生活!?
名前をWeiweiというんですが、Weiweiと一緒に有名になっていく物語をつくっていったんです。空気人形と同棲生活する、モテない金ない仕事ない男の物語です。当時「ディャオスー(Diǎo sī)」というネットスラングがあって、まあ恥部の毛のような意味なんですが、そのくらい社会的にはどうでもいいちっぽけな存在。このディャオスーな、さえない主人公の自分、それでもWeiweiと前向きに生きていく、そんな話をつくっていったんです。ね?全然誰からも理解されそうもないスタートですよね。笑
――:弾幕欄も色々困惑したり衝撃を受けているだろうものがどんどん流れてますね、、、笑
そのなかで急激にバズったのが、Weiweiとアニメイベントを練り歩くという企画だったんです。彼女と1週間で倦怠期になって、つり橋効果をねらって一緒にコスプレしてイベントに行こうと。私が捕まえられたピカチュウのコスプレ、Weiwei(人形)がサトシのコスプレで、一緒に会場を練り歩きました。
▲Weiweiとコスプレをしながら会場を練り歩く山下氏(ピカチュウ)。中国で強烈なインパクトを残した
――:ちょっと絵面を想像するだに恐ろしいですが、、、警察とか問題にならなかったんですか?
空気人形といってもきちんと服は着て、移動時は口にマスクもしているので、一応問題が起こらないように配慮しました。卑猥だ!という人は心が汚れている、という道理です笑。コスプレをせずに歩いている時は周囲からの冷たい目線と盗撮の音をずーっと感じていたのですが、衣装に着替えた瞬間に、面白いね君!写真とらせてくれ!みたいな感じでぶわーっと人の海が広がったんです。中国語で何言われているか全く分からなかったのですが。
――:どのくらいバズったんですか?ヤッター!という感じになるのでしょうか?
正直、最初はまずいことになったなと思いました(笑)。そんなことになるとは思ってなくて、Weiboでは僕が彼女を抱えて歩いている様子が滅茶苦茶リツイートされて、bilibiliでもトップ10に入って当時では相当多い20万回再生されてました。そこから様々な動画サイトに転載されました。私のチャンネルもどんどんそこから視聴が伸びました。
――:でもそれだけ有名になるとアンチというか反感みたいなものは受けなかったですか?
すごく受け入れてくれましたね。コメントもほとんど炎上らしい炎上もなく、「お前みたいなHentaiを待っていたんだ、おれたちは!」とか「マジで狂ってやがるw」とか「次は何のコスプレをするんだ!?」とか。本当に温かかったですね、反応が。たぶんまだマスユーザーも入っていないくらいBilibiliも小さなコミュニティだったというのもあったかと思います。
あとずっとコアファンが自分を守ってくれましたね。余計なチャチャをいれるユーザーもその後出てきたりするのですが、昔からの古参がそういうときに中国人同士でやりあって自分を守ってくれる、みたいなケースもありました。
▲メイのコスプレをするWeiweiと、トトロに扮して歌にあわせて木のまわりで踊る山下氏
――:それ、日本の2ちゃんねるとかニコ動の文化みたいですよね。黎明期に「一緒に新しいプラットフォームを大きくしていった仲間」のような意識が育つんですかね。その後、広告収入とか協賛売上とかとれるようになるんですか?
正直、まだまだ利益なんかでるような状態じゃなかったです。ただ「お前の動画を見て救われた」「もっとリアルな日本のことを教えてくれ」という声が多くて、とにかくみんな日本の情報を欲しているんだと分かったんです。そこからは採算無視で、僕を受け入れてくれたみんなに楽しんでもらいたい一心で、毎日毎日いろんな動画を上げ続けました。
最初は1-2万人の登録者で14年末から毎日更新を始めて、15年夏には数十万人になってましたね。ちょうど2015年秋が、最初に決めた中国滞在の3年間の期限だったんです。3年間やりきって、数十万人のチャンネルもできた。それなりに自分の表現も受け入れられた。これは中国で覚悟をきめてやっていこうと思えました。
――:有言実行ですね!
自分がWeiweiを通して伝えたかった真意をメッセージするためにWebドラマも作りました。主演オレ、監督オレ、脚本オレ、という企画です笑。これもBilibiliが買ってくれて配信されました。
▲山下氏セルフプロデュースのWebドラマ
■中国に「自虐文化」をもたらした男、Bilibiliトップ8の1人に唯一外国人で選ばれる
――:配信だけで生活できるようになってくるのはいつごろなんですか?
2015~16年ごろですかね。動画に広告を入れるようになって、ようやく収入が入ってくるようになりました。日本ではYouTuberブームでしたが、まだ動画アップしていく人って中国では多くなかったんですよ。中国で配信者が増えるのは2017~18年くらいですかね。ですので私がBilibili第一世代だったと思います。
――:2010年代に入って、中国はこれから来ると言われてましたし、2015年ごろって「もう過当競争で、今から中国参入は遅い」みたいなことも言われてましたが。実はそれからの5年のほうがよっぽど成長したんですよね。
そのころは毎日1万人とかいう勢いで増えてましたね。2015年に10万人突破の銀の盾をもらい、2016年に100万人突破のクリスタルの盾(その後で「金の盾」になったので、後から送られてきた。クリスタルの盾は逆に当時のトップ配信者しかもっていない貴重なもの)を頂きました。ここらへんでBilibiliも認知度を獲得してきて、今のYouTubeのように誰もが見ているプラットフォームになっていきます。
▲山下さんが渡航した2012年、動画がバズった13~14年はBilibiliの売上がほとんどゼロに近かった。年間数億円の広告収益が急激に成長するのは2017年以降の話。
――:そして栄誉ある賞を受けるんですね。
2018年にBilibli10周年のタイミングで「百大Up主」という記念すべき第一回目のトップクリエイター100選に選ばれたのと、あと大きかったのは8名のクリエイターに送られた「10周年特別賞」で、そこで日本人というか外国人として唯一受賞しました。
――:加えてNewsWeekでも2019年「世界が尊敬する日本人100」に選ばれました。ホント唯一無二のポジショニングですよね。これまでを総合すると、山下さんが中国でウケたのってなぜなんですかね?何が勝因だったんですかね?
「自虐」というものを中国にもたらしたのが大きかったと思います。もともとメンツを気にする文化なので自分を下げることが得意ではなかったんですよね。僕の場合「中国史上初めてイジってOKな日本人」という認知を得たことが大きかったですね。そしてみんなに見下げられたり罵られたりしているのに、楽しそうに毎日動画を更新している。そんなところで「こいつは底がしれねえ」「マジ何考えてるかわからねえ」みたいなものが波及していって、アホも振り切れば心地よいんだな、みたいなことが伝わったんだと思います。
あと振り切ったのは大きかったですね。もう女の子に好かれようとか1ミリも思ってませんでしたから。あくまで自分は「キワモノ」だったので、それを受け入れた「特定の男子たち」が沢山いて、彼らに導かれるようにコンテンツを出し続けてました。
――:このくらいの位置づけになってくると、あげる動画も変わってくるんですか?
20代はどちらかというと「ファンの見たいものを!」という一心で動画を作っていました。僕も中国で人気出たことへの恩返しを第一に考えていましたので。でも30代になってからは「自分が伝えたいことをアップする」「日本的で上質なコンテンツを作る」という感じにちょっとずつ変わってきました。
▲日本のゲームなどの録音が行われるスタジオのお仕事を紹介した際の動画。日本の業界人しか立ち入ることの出来ないバックヤードの情報は中国での希少価値が高い。
そもそも最初にバズったのは自分の力だと全く思ってません。中国にずっと根付いていた「日本文化好き」のカルチャーがあって、そこで先人のサブカルアセットをこねくりまわして、たまたま僕が取り上げられただけなので。当時は生きるために必死で頭が回っていなかったのですが、僕のやっていたことはともすれば「日本のネガキャン」みたいに見られてしまったのではと、罪の意識をずっと感じています。日本の文化を揶揄してしまったような。
そこへの償いとして、私が率先して日本のポジティブなイメージを伝えていくべきだと思っています。今の600万人のフォロワーに対して、過去の自分がやってきたこと以上にインパクトのある日本のよさが伝わるコンテンツをもっと生み出していきたいんです。
■弁護士とクリエイターが創業した株式会社ぬるぬる。日中共同制作事業の推進
――:2019年に株式会社ぬるぬるを立ち上げます。日中文化をローションのように「ぬるぬる」と浸透させる、というなんとも特徴的な企業名ですね。こちらはどのようにスタートしたんですか?
上海で分部悠介(ぬるぬるの共同創業者)と会って、彼も弁護士として日本IPの中国展開・海賊版対策を長いことやってきた経緯があって、同じ課題意識で意気投合したんです。徐々に中国国産で質のよいアニメ・ゲームが占めるようになって、日本のIPの価値も弱くなってきている。なんとかそれをもちあげていかなければならない。
中国企業から見ても、盗むから買う、買うから一緒に作る、というふうに日本のクリエイティブとの付き合い方も変わってきています。日本の作り手の力がきちんと中国でも評価され、日本IPのプレゼンスを上げるために、なんとか日中の共同制作事業を増やし、それが失敗しないように自分もノウハウを提供して、ということをビジネスでやっていこうと思ってます。
――:共同創業者でCEOの分部さんも、東大在学中に司法試験合格して、電通や経産省でコンテンツ輸出の仕事をしながら2009年にIP Forwardを立ち上げられて、本当に中国展開をビジネスで着手されて長いですよね。山下さんは、コロナをきっかけに日本に戻られてるんですよね?
はい、結婚したのもあるのですが2年前から日本で生活をしています。今も自分のチャンネルで中国向けの動画は変わらず配信し続けてますが、それとは別に日本企業と組んで中国にとどける映像制作など取り組みの幅を増やしました。
去年は1年間テレビ朝日さんの『ブイ子のバズっちゃいな!』という番組で中国文化を取り入れて紹介するものを、バイきんぐの小峠さんと一緒に出演しつつ、プロデューサー的な立ち回りもやらせてもらっておりました。こちらは弊社がBilibiliの運用を担当できたので、中国側にも配信して毎回数十万人の視聴者を獲得していました。バラエティ番組の日中ほぼ同時配信という画期的な取り組みで、相当成功した部類に入るかと思います。
――:でもゲームでも版号問題があったり、映画もアニメもコンテンツのクオリティとは全く違う理由でブロックされてしまったり、難しさはありますよね。
はい、中国はそういった点ではリスクがつきものの国です。私が初期にやっていた空気人形との動画も2013~14年だったからよかったものの、今やったらネットにアップすることすらできないでしょうし、実際に私の作ったドラマは現に強制削除されている回もあります。そのくらい数年で環境は変わりました。逆に中国のネットが成熟するにつれて、AIやビッグデータを始めとするマーケティングや広告ツールが整ってきて、ビジネスはどんどんやりやすくなっていくのではないかと思います。
――:最近はどんなことをされているんですか?
中国向けに商品や地域を紹介するような広告映像や、芸能人やアニメIPの中国展開サポート、企業アカウントの運営などが会社の業務です。コンテンツ広告と呼んだりするのですが、面白いコンテンツを見ていたら気になる商品が出て来た、というような、そういった映像を、日本の優れたクリエイターさん達と作るのが楽しいです。
▲22年2月には故郷の小樽市を舞台としたウェブドラマ「情緒」の主演と総合監修を務めてビリビリだけで140万回再生のヒットを記録。
たとえばこちらの「情緒」というドラマは、小樽の福島工務店という企業のブランデッドムービーなんです。企業さんのこだわりやストーリーと同時に、小樽の魅力や美しい風景を発信する観光促進PR動画にもなっています。中国でバズる秘訣を分析して織り込むことで、しっかり再生数を勝ち取れた好例です。こういった動画で「中国人にとって小樽を聖地にする」といった動画を作ったりしています。
――:山下さんとしては今後どういったことをやっていきたいですか?
私ならではの能力としては「日本にいながら中国でウケる動画を一緒に創れる」ということだと思っています。中国向けに何か仕掛ける時に、映像や広告、マーケティング方面で声をかけていただければと思います。そうしたときにクリエイターとしても中国人と向き合ってきた自分がノウハウだけでもきちんと伝えて、うまく成功できるようにもっていけたらなと思います。
あとは本当に日本の良いものを自信が勉強して体験して、しっかりそれを映像にして中国のみならずアジアの方に伝えていけるようなプロデューサーになりたいです。そういう意味では越境ECセレクトショップとかも新しいコンセプトで始めてみたいですね。
日本の良いものを中国へ、ということはもちろんですが、最近YouTuberのむいむいやヤンチャン、李姉妹とも仲が良いので、協力して「中国の良いものを日本へ」という逆パターンの文化発信も日本でやって行けたらと思います。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場