【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第61回 MD大淘汰時代の幕開け―カプセルトイ業界の雄ブシロードクリエイティブが仕掛ける新フィギュアブランド

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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コロナ禍は思わぬアニメブームを世界的に巻き起こし、そこにカードゲームやデジタルゲーム、マンガ配信などかなり好調に業績を伸ばしていった日本コンテンツ。相対的にMD事業というのは元来ドメスティックで、アジア向けに今気焔を吐いているガンプラやフィギュアを抜きにすれば、今かなり厳しい状況にある。ロックダウンによるイベント中止、原油高・エネルギー高、なにより未曽有の円安ドル高は海外生産をメインとする玩具・MD業界にいま大きなインパクトをもたらしている。そうした中、ブシロードクリエイティブがこのタイミングでフィギュアの新ブランドをつくる、という話を聞き、MD業界の現在地と将来のポテンシャルについて話を伺った。

 

  

■1,000円価格帯の“手乗りフィギュア":価格と棚の差別化でフィギュア界革命児になるか

――:自己紹介からお願いいたします。

成田耕祐(なりたこうゆう)と申します。ブシロード<7803>グループでMD管掌役員、ブシロードクリエイティブ(BCR)の代表取締役社長をしております。

 

――:成田さんとは5年間ブシロード時代、毎朝役員会で顔合わせておりましたので、なかなかこうしてインタビューの形式で改めて会うと気恥ずかしい感じもありますね笑

中山さんも2年前ですかね、ブシロード辞められてからも色々ご活躍されてますよね!

 

――:ありがとうございます。今回はついに新製品としてのフィギュア展開をされるということでインタビューさせていただくことになりました。

PalVerse(パルバース)といって『手のひらサイズの世界』というニュアンスをいれたデフォルメ型のフィギュアブランドをつくりました。ブシロードとしては初めてのフィギュアブランドです。店頭に並ぶようになるのはこの2023年8月になる予定です。

 

▲「僕のヒーローアカデミア」のキャラクターが並ぶPalVerse Palé.シリーズ

 

――:フィギュアってMDのなかでは結構難しい領域ですよね。バンダイやタカラトミーといった老舗が並び、Good Smile Company(グッスマ)が2006年「ねんどろいど」で鮮烈デビューしたり、バンダイが2014年から「Q Posket」をプライズ(ゲームセンター景品)で始めたりしますが、基本的には1万円価格帯で高単価、あまり新興でメーカーがでてこない領域です。金型をつくって100万円単位で投資が必要、参入障壁の高いMD領域というイメージでした。

 

そうですね、BCRはもともとカプセルトイを主な生業として2016年にはじめた会社で200~300円の低単価品がメインでした。高単価品への参入は確かにチャレンジなんですが、今回は普通のフィギュアとも違うんです。こちらブラインドパッケージ(何が出るかわからない仕様)の1000円価格帯か、こちらの1点もので買えるPalVerse Pale.が2,500円付近の価格帯ですね。

 

――:フィギュアにしたらかなり安い価格帯で攻めてますね!ブシロードでも以前一度展開してましたよね。2019年にちょっと試験的にバンドリ!ガルパの湊友希那フィギュア1.5万円 とか。あれはあれで、アメリカのAnime Expoでかなりの数量が売れてビックリしましたけど。

まさにあれがゴリゴリの「スケールフィギュア」のジャンルです。やっぱり単価も違えば制作体制も違うので、当時のBCRの商売の仕方には合わなかったんです。それにあのときはとある理由で限定的に商品化したスポット案件だったので。

今回はもともとの得意技である低価格帯に近いフィギュアジャンルを開拓して「ライトホビー」という形で1,000~3,000円帯のフィギュア市場をつくるべく、こうして商品展開しています。

 

――:これまで、アゾンインターナショナルの8,000円価格帯で100億円ドール市場コトブキヤ<7809>の6,500円という体価格帯美少女プラモで展開した450億円プラモ市場のインタビューもしてきました。それらも“低価格帯"モデルではありましたが、本来1万円前後が通常のなかでこの価格帯でのフィギュアというのはあまりなかった領域ですよね。

我々は新興なので、やはり価格と量産で差別化するというのが一番でした。プライズ(ゲームセンターでUFOキャッチャーを使って獲るモノ)だとどうしても技術的な差もあって10回以上トライして2,000~3,000円がかかり、この原価800円くらいのものを獲得するケースが多いんです。それ以上のクオリティを求めると通常の物販流通でアニメ専門店だったり、家電量販店のホビーコーナーなどで購入する1万円モノなんです。「お客様が2-3千円でも高クオリティのフィギュアを買える」ために今回色々“発明"が必要でした。

 

 

――:なるほど、通常の物販流通でありながら、1,000~3,000円のフィギュアを獲得する、ということ自体が、現状市場が満たせていないニーズというわけですね。「価格の差別化」と同時に「面の差別化」もある、というのは面白いです。ただ他社がこれまでやってこなかったということは、コストと在庫管理で特別なことをしているということですよね?

はい、企業秘密な面が多いのですが、言える範囲ですと、まず原型師というフィギュアの設計図をつくる部隊を内製化しているんです。このオフィス(中野坂上)の近くにマンションオフィス借りて(オンボロでこないだも雨漏り修理してきたところなんですが笑)、3Dモデリングを行う社員がスピーディーに作ります。PalVerse以外にも既存事業のカプセルトイでもミニフィギュアはたくさん作っていますので、外注するよりも内製化したほうがコスト面でもメリットが出てきたのです。

 

――:フィギュアって原型師が調達できないのが一番のボトルネックと聞きます。

そうなんです。これは最近の有名イラストレーターと同じで依頼すると1年待ち、もし監修などで修正依頼があるとそのエディットだけでまた3か月待ち、など「原型師待ち」の時間が長く発生してしまいます。ただ今回我々が目指している価格帯のフィギュアであれば、3DCG技術をもっている社員が高いクオリティが出せるようになってきている。チェック用の3Dプリンターなど機材投資も必要です。

要はそこのバランスで、スピーディかつフレキシブルに原型を作れる、ということで差別化している状態ですね。例えば「突然作品Aがアニメで盛り上がった!」ときに制作優先度を柔軟に変更させ、ありえないスピード感で原型制作を行い版権元に監修提出することも可能です。版権元さんからの修正希望を反映したものを数時間後には即再提出もしています。あまりの速さに「どういうことですか?」と言われることもあります。小型のフィギュアでここまで開発を内製化している会社はあまりないと思います。

これを統括してくれてるのが、中山さんもよくご存じの江崎くん(前職から成田さんと命運をともにしてきた職人型の江崎徹哉制作部長)です。彼を中心とした制作陣やプランナー・デザイナーがいるおかげで、私は全体のビジョン出しとそれを叶える流通戦略や具体的な交渉に時間を費やすことができます。

 

▲愛されキャラの江崎部長、よくマンガキャラとしても登場する

 

――:あとこの図でいうと「コンビニ」も画期的ですよね。いわゆる「マス流通」と言われ、コンビニって面は広いんですけど、逆に卸価格(店舗で引き取ってくれる料率)が低かったり、独自のルールが多数存在したり、宣伝力はあってもメーカー的には結構厳しい条件が多いです。

そうなんです。だからこそ普通のフィギュアはほとんどコンビニには入れなくて。玩具菓子としてのフィギュアやカプセルトイの転用商品に留まっています。だからこの価格帯で、物販流通やコンビニ流通に入れたということで競争優位性があるのでは、と思ってます。まだ夏になるまでどこのコンビニに導入されるか、というのは言えないんですが各社で採用いただいております。

 

――:そしてそのブランド第一作が世界中で愛されている「僕のヒーローアカデミア」ですね。ということは「海外」もみてるわけですよね。以前からTCG(トレーディングカード)やモバイルゲーム、プロレスなどは海外にも流通・展開ルートがありましたが、このMD領域だけは国境をまたぐのが大変でしたよね。

はい、まさにご明察の通り、このPalVerseは海外展開を意識したブランドなんです。

 

――:カプセルトイでは海外は厳しかったんですか?

やっぱりカプセルトイってカジュアルなユーザーさんが数百円でパッと衝動買いするものなんですよ。それを実現させるためにコストバランス面において良くも悪くも割り切りが必要です。これはこれでプロの仕事だと思っていますし大きな需要に応え続けたいと思っています。しかしその基本姿勢で作られた薄利多売商品は各国への輸送費をまかなえるほどの粗利もなかなか生み出せませんし、そもそも治安の問題もあり販売する筐体そのものを設置できる国が少ないので市場が一部のアジア以外ほぼありません。

海外ファンは価格が高いとしても高品質なものを欲しいというニーズが強い。このPalVerseはすでに各国の問屋から発注もきてますし、今の感じですと早いうちに日本での売上を越えてきそうな反応が出てきています。

 

▲左端がカプセルトイ(3~4cm)、真ん中がPalverse(9~10cm)、右手がPalVersePale.(13cm)

 

――:おおお、それは凄いですね!「形あるモノを海外に送って商売にしていく」というここ数年間の課題に対して、PalVerseはソリューションになりそうなんですね!

この1,000~3,000円ベースの小売価格で、ようやく海外に出していってそれなりに利益も確保できるモデルが組めそう、ということで、個人的には今回の取り組みは初めての本格的な海外挑戦なんです。

 

■東京藝大時代の自主制作映画で気づいた営業力、メディアファクトリー

――:成田さんはメディアファクトリー出身で、同じリクルートグループ出身者ということでブシロード時代からウマがあってました。できればBCRをつくるまでの経緯、どのような学生時代だったかも改めて伺えますか?

青森出身で埼玉大学に進学しました。当時は高校時代の彼女が進学するというだけの理由で追いかけて教育学部に入ったので、いわゆる「意識低い系」大学生だったと思います。なんなら、大学1年の5月でフラれてるので、入学1か月目にしてその大学にいる意味を失ったという、、、笑

 

――:そんな始まりだったんですね笑。悲しすぎる。。。大学時代、何かクリエイティブに関わることってやってたんですか?

映画の脚本家になりたかったんですよね。ただ本格的になにか作っていたかというと、ちょっとライター的なバイトをやっていた、くらいでした。卒業が近づいてきたときに、東京藝術大学大学院で「映像研究科」ができたんですよ。北野武専攻長をはじめとした教授陣には黒沢清さんや田中陽造さんとか名だたる業界クリエイター達が集まりました。この田中さんに脚本術を習いたくて、大学院受験するんです。お金も経験もなかったですが、人生をかける勢いで決断しました。

※黒沢清:『スウィートホーム』でメジャーデビュー後、テレビドラマ・Vシネマで活躍した映画監督。『CURE』『カリスマ』『回路』(カンヌ国際映画祭の国際映画批評家連盟賞受賞)など。
※田中陽造:『殺しの烙印』『肉体の門』など日活ロマンポルノの全盛期を支え、その後『セーラー服と機関銃』の脚本を担当。『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』では日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞。

 

――:学部もそうですが東京藝大って東大よりも受験が難しいと噂ですよね・・・?

音楽や美術の学部のほうはそのイメージ通りかなとは思います。とはいえ映像研究科も当時はホントに競争倍率ヤバくて。僕も学部時代に特別なことをしてきたわけじゃないので、もう記念受験のノリでしたね。国立大で映画を学べるということも人気の理由なんだと思います。TOEICとかも何故か必要で、数週間勉強して受けた程度だったので600点。こんな平凡な点数でムリじゃね・・・?と思ってたら、なんか受験のときに書いた映画脚本が良かったみたいで奇跡的に受かりましたね。新設学部の第二期生でした。

 

――:なるほど、じゃあ「ちょっと脚本家になりたくてちょこちょこ書いていた大学生」が、突然「東京藝大の映像研究科の大学院生」になるわけですね!それってすごい自信になりそうですね。

いやでも入学早々、脚本家諦めまして笑。まわりに入学する奴らのレベルが凄すぎました。同期で濱口竜介監督がいるんですけど、後に映画『ドライブ・マイ・カー』が第94回アカデミー賞国際長編映画賞を受賞した世界レベルの映画監督ですからね(日本人としては勅使河原宏、黒澤明に次いで3人目)。当時の同世代はプロの世界で活躍している人が多いです。僕の記憶が正しければ、卒業後にサラリーマンになったのは僕を含めて3名しかいませんでした。

 

――:個人的には成田さんはとにかく「企画力&営業力」が物凄いなといつも見てました。ただこの2006年頃はまだ脚本家になろうと、クリエイティブでもがいていた時期なんですね。

僕が営業がわりと得意なんだなと気づいたのはまさにこの東京藝大の経験なんです。皆で映画つくるんですけど、学内で教授に講評されるだけじゃものたりなさすぎると。ちゃんと配給かけたいと思って、みんなで外にどんどん売り込みにいったわけです。同期に行動力のあるプロデューサーがいたので引っ張ってもらえました。

その時に、渋谷の映画館「ユーロスペース」に携わっている人が教授でもあったので場所はおさえられた。ただ学生映画とはいえ商業映画にするには数千万円出資集めるくらいのちゃんとした映画ではないとダメだと言われ、制作陣みんなで映画関係各社に営業するわけですが、やはりどこからも断られるわけです。その後新卒入社することになるメディアファクトリーにも笑。そんな中、出資を決めてくれたのがジェネオン・エンタテインメント(旧パイオニアグループ、2008年にNBCユニバーサルグループに入って2016年に商号消滅)だったんです。

 

――:それは学生からするとすごい成功体験ですね。脚本は成田さんではないんですか?

もうガッツリ営業と制作しかしてません。このロケにおける僕の役割はロケ車の運転と役者陣のアテンドがメインでした。一ヶ月ほどハイエースのグランドキャビンが自宅みたいになっていました。脚本家になるという夢は、もうその頃には潰えてましたね。パブリックドメインになっていた川端康成の『夕映え少女』を学内の4人の監督をたてて、まだ若手だった吉高由里子さんや波瑠さんを起用して、オムニバス映画のような形で仕上げました。ジェネオンからDVDも出ています。

 

――:かなり本格的ですね!ちゃんとDVDにもなって、実際映画の製作費はペイしたんですか?

赤字だったはずです。でも当時は、もう採算もなにもみてないんですよね。映画館は役者さんの舞台挨拶の回だけ満杯でしたけど、その後はガラガラで。僕自身は上映にこぎつけただけで「やりきった!」と燃え尽きていて、PLがどうなったとかそういうのはもう全くみてなかったですね。今思うと無責任極まりないのですが。それでも「外部に売り込みに行って企画を実現していくのって面白い」という手ごたえだけは残ったんです。「好きなこと」と「得意なこと」って違うんだなと強く感じました。その後「得意なこと」が「好きなこと」に進化したので今の仕事を続けていますね。それを叶えてくれた各企業、役者さんたちには今でも心から感謝しています。あのときの経験のおかげで今の私があります。

 

■メディアファクトリーからKADOKAWA、ブシロードグループへ

――:それでメディアファクトリー(1986年にリクルート出版から始まり、2011年にKADOKAWAの子会社化)に入社するんですね。どんな仕事をしていたんですか?

2008年メディアファクトリー(MF)に入社したときは映像部門の営業部から始まり、その後MDプランナーをやって、ライトノベル編集もやって、一通り経験させてもらいました。当時の社長にも「お前は一人メディアミックスを目指すプロデューサー人材だ、どんどん異動させるぞ」と言ってもらい、育ててもらったなという感覚があります。

 

――:いや、ホント面白い会社でしたよね。2011年の新海誠作品『星を追う子供』にも出資していたり、ライトノベル(MF文庫、2002~)でも成功していたり。

レベルファイブさん原作のアニメ『ダンボール戦記』や『妖怪ウォッチ』にも出資していたんですよ。

 

――:そんなところまでやってたんですか!?成田さん、当時も何か事業部立ち上げてましたよね?

ハイターゲット向けマーチャンダイジング部門をつくりました。江崎くんはこのころから一緒にやってるんですよ。『緋弾のアリア』や『僕は友達が少ない』などの自社作品のアニメ化に合わせたグッズを開発してました。いまでこそ全盛ですけど、当時はこういったニッチなアニメのグッズってコミケぐらいでしか手に入らなかった時代なんです。まわりにも「成田と江崎が隅っこで2人、ニヤニヤしながら何かを作ってる」と言われてました。いや、ホントに面白かったんですけどね。自分の好きな作品でこだわり抜いて物作りしてましたし。

 

――:他社IPの商品化もそのころから?

ライセンスインはそのころ初めて覚えたんですよ。自社で委員会入っていたり番組提供しているIPをずっと商品化していたから、あれ、制作に関わりのない作品でも使えるの?それなら人気作品の版権管理元に営業かければいいんじゃないか?と。それでMFと関係のない色んなIP版権をとりにいって、商品化しはじめたんです。当時だと『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない。』だったり。

 

――:その後編集にも異動してるんですよね?

はい、“ラノベ王子"と呼ばれていたMF文庫J編集部の庄司智さん(現:講談社ラノベ文庫副編集長)が転職してしまって。その穴を埋めろ、というのでいきなり編集に起用されました。短い期間でしたが作家さんとともに作品を作っていくことでゼロイチを生み出す苦しみを知れたことは、長いライセンシービジネスをやっている身としては貴重な機会となりました。

 

――:あ、庄司さん、大学の学部時代の先輩なんですよ。一個上で。

え、そうなんですか!?庄司さん、そういえば東大でしたよね。あのビジュアルは異彩を放っていたのでは笑

 

――:当時から目立ってましたね。では成田さんが編集になって、2011年突然KADOKAWAグループになるわけですよね。

電車での移動中に携帯電話のニュースでリクルートから売却されてKADOKAWAグループに入ることを知りました。衝撃でした。しっかり一般社員にまったく気づかれないまま公表に至った当時の経営陣を尊敬しています。

 

 

――:結構このあたり順序関係がわかってないんですよね。香山哲さんがリクルートグループでこうしたエンタメ領域を一手にまとめているなかで、90年代末に一斉にメディアファクトリーから株式会社ポケモンに移っていったり、2011年でKADOKAWAにいったグループもあり、起業したメンバーもいたり。

もともと独立心が強かったリクルートグループの社風もあったんでしょうけど、ずっと大手競合に追いつけ追い越せで頑張ってきた人たちだったから、突然その相手が親会社になるというので、あえて人生の岐路に自ら立ってみた人もいたのではないかと思います。

ポケモンカードが1996年にメディアファクトリーで開発されて大成功になりましたけど、1998年の株式会社ポケモン設立でそのまま転職したグループもいました。00年代にポケモン関係の業務は徐々に株ポケに移行して、メディアファクトリーもそれだけでは食えなくなっていった。それで映像出資やラノベ、コミック事業などどんどん作っていくことで多様化していき、メディアファクトリーが新時代に突入していく感覚はあったんです。そんな矢先に買収されたことはショックではあったのですが、KADOKAWAという大企業の一員になることで、これまでと異なるステージで仕事を出来るのではないかと期待感も早々に生まれました。僕個人としては、当時も今もKADOKAWAグループ入りしたことはメディアファクトリーにとって幸せなことだったと思っているんです。

 

――:成田さんはその頃には何屋になっているんですか?

一通り色々やったときにMDが一番性にあったんですよ。商品企画だけではなく版権獲得の営業、流通や製造などの広い知見が必要な業界ですが、気づいたら一連のお作法を身につけていました。そういうタイプのMDプロデューサーは当時世の中にあまりいなかったのです。だからKADOKAWAでも各編集チームがもっているMD部門を束ねて横軸で通すような組織づくりを目指していました。各編集部がそれぞれ片手間にMDもやっている状況に対して、MD専門部隊としてどの事業部のMDもやっていく。企画から販促まで、外注が多いものを内製でできる限りやっていく。そうした動きをしておりました。

 

――:そして3~4年ほどKADOKAWAグループで横断事業をして、2016年にブシロードに転職するんですね?

最初は独立して自分の会社作る予定だったんです。カプセルトイの会社やろうと思って出資者募ってみたのですが、なんとか集まりそうなのは数千万円くらいでした。何個か企画を走らせたらすぐに資金ショートしてしまう。やはり製造から流通まで全部からむ商売なので1個はずすとすぐに危機的な状況に陥ってしまう。僕のやりたいMD事業は小規模な借入や助成金では立ち上がることはできない。誰でも作れるリスクの小さい雑貨だけやりたいわけではない…そんな予測に対してビビってしまっている段階で、ああ、やっぱり自分の実力ってまだこんなもんなんだな、起業する才能も覚悟も無いなと思っていた時に、ブシロードと出会うんです。

 

――:ブシロードは当時執行役員だった土屋慎一さんの紹介でしたよね?MF出身で、現在はGREEグループのWFSアニメ室長です。

ブシロードでもMD部門つくろうかという気運があって、それでMF時代につき合いのあった土屋さんの紹介で木谷高明社長と面談して入社しました。当時各方面に散り散りになっていた元MF社員も数人誘って、そのままBCRの立ち上げになります。

 

――:その初期メンバー今もいるんですか?

全員残っています。ケンカもたまにしますが、もう人生のパートナーと言ってもよいレベルの付き合いの深さです。好きでも嫌いでもないですが笑。江崎君にいたっては連絡先すら知らないです。そんなメンバーとBCRを立ち上げしたわけですが、当時はブシロードはスクフェス感謝祭など自社イベントで物販するためのMDが中心で、いわゆる店舗流通などをほとんどやってなかったんですよね。もちろん利益率は自社イベントのほうがいいんですけど、それはコアファン向けのビジネス。恒常的にモノを売り続けるには、やはり流通されてどれだけ広い範囲で日常のなかでそのMDに多くの人に触れられるかが重要なわけです。その「流通させる」ということに全力を注いでいきました。イベント物販は僕がどうこうしなくても十分素晴らしい知見と経験がある会社でしたので。

 

■カプセルトイ界の革命児ブシロードクリエイティブ、コロナ×為替激動のMD大淘汰事業

――:ブシロードはもともと年商100億円のカードゲーム企業でしたが、2012年『ラブライブ』をきっかけにモバイルゲームでも後年100億円を収益化します。そこに50億の新日本プロレスもありますが、実はそれらと色合いを異にする約40億円の「MD事業」がある。これをつくってきた成田さんの功績はすごいと思います。

2016年にブシロードクリエイティブから始まり、2018年からブシロードのMD部門全体を管掌することになり、ライセンスインのMDビジネスとブシロードのプロモーション力が符合して、ちょっと自分でも驚くくらい成長しましたね。

 

――:カプセルトイ市場って当時250億円ありましたけど、BCRって3年で10億円、末端価格だと25億とか作ったわけですよね。あれは個人的にはどうやってるんだろう!?とずっと思っていたんです。

最初の初動でかなりうまくいったので、「古い業界」と言われたカプセルトイ界のなかではそれなりに注目されるくらいの爪痕は残せたかなというのはあります。BCRの初年度、2つ考えていたことがあるんですよね。

1つはKADOKAWA作品の『Re:ゼロから始める異世界生活』でメーカーデビューすること。これはブシロードも得意な客層の領域にある作品で一定のマーケットシェアをとることを意識しました。もう1つが、誰からも愛されるIPをと思って当時インスタのフォロワー国内ナンバーワンと言われた渡辺直美さんという「マスの女王」の商品化許諾を吉本興行さんからいただくために奮闘していました。

 

――:「渡辺直美」すごい売れましたよね!初動で20万個以上売れて再販も重ね、たしかあの2017年、業界トップクラスの商品になっていました。リゼロと渡辺直美が、ほぼMD界隈ではゼロスタートのBCRが業界デビューを果たしたヒット作でした。

はい、まさに「オタク&マス」の2枚覇権看板でいきなり年商1億を作れたことが、大きな弾みになりました。この戦略をものの見事に成し遂げた初期メンバーには本当に感謝しています。その勢いで徐々に売上は拡大し、2019年にカプセルトイのオリジナルブランド「TAMA-KYU」立ち上げへと繋がっていきます。

 

 

――:TAMA-KYUは成田さんの念願でしたよね。そもそも既存IPキャラじゃなくてイチ社員のアイデアだけでブランドってできるの!?と僕も衝撃でした。2017年3月のCraftEggさんとの協業タイトルのバンドリ!ガルパのアプリパワーでバンドリ!が一躍アイドル系コンテンツの一角に入り込み、BCRもイベント物販でぐんぐん伸びましたよね。1億、3億、10億みたいな感じでとんとん拍子でした。図でみるとBCRの設立とカプセルトイ市場の伸びが連動してるんですよね。

まあ弊社だけではないですけどね笑。ただ当時30社もなかったカプセルトイメーカーもたしかにこの2010年代後半に一大ブームがおきて、今は40社超えるメーカーとなりました。

 

※ブシロードMD部門の年度別売上。2023年Fは2022年7月~23年6月期のH1を単純に2倍にしている。2021年のみ決算期変更により11か月計算。市場規模は『玩具産業白書』をベースに著者作成

 

――:2018~2020はKADOKAWA時代のようにブシロードでもイベント物販から流通などを統括してまとめあげていきました。

ブシロードはトレーディングカードのトーナメントからラブライブ!のスクフェス感謝祭、バンドリ!の音楽ライブから、海外でのキャラエキスポまでイベントとしての「面」もたくさんもっていたので、イベント物販:物販流通が5:5の状態のまま、全体で40億円規模までどんどん伸びていきました。

でもコロナ後、この3年はその反動でホントにきつかったです。音楽ライブなどにあわせて作ったグッズが開催中止になってそのまま在庫化。2022年は急激なドル高円安がはじまります。半年〜一年程度のサイクルで作るMD商品は、受注確定後に製造発注した段階では黒字設計でも、実際に製造フェーズになってドル建て取引でめっちゃくちゃ原価があがってしまったんです。もともとが薄利多売なのに、1ドル110円計算で設計した原価が売上計上の時にはいきなり150円ですからね。売れれば売れるほど赤字が膨らむので、受注をキャンセルしたほうがまだマシという状況になりました。お客さんのことを考えると流石にそんな判断は出来ませんでしたが、この一年間は眠れないことも多く、ずっと水中で息を止めている感覚でした。

 

――:玩具・グッズはほぼ海外製造ですもんね。これ、競合各社はいまどんな状況なんですか?

直近はだいぶ落ち着いてきましたが、2022年下半期だけで見ると凄惨、の一言です調子がいい会社は「海外で売れている」MDメーカーだけです。この10年、日本のMD需要が盤石だったので「海外でつくって日本で売る」という会社が何百社というレベルで増えていったわけです。

2020年はイベントがない&製造ができないでダメージを食らい、2021年はようやく販売面が回復し始めたところ、2022年に入って為替で大ダメージ。すでに撤退しているメーカーもいくつかあります。ただ日本で成形している「刷りもの・ヒラもの」はまだダメージが限定的だったんですが、実はウクライナ戦争後のエネルギー価格高騰により、23年4月から商社仕入れの部材系も物によっては昨対比100%上げ(価格2倍)とかなんです。小売価格への転換だけでどうこうなる状況ではありません。今はコロナ明けの雰囲気もあり、イベントなども増えてきて売上を戻してきている会社も多いと思いますが、これらの原価増で2023年はMD業界とって恐慌状態、もう大淘汰時代がはじまると思います。

 

――:なんと・・・この3年のロックダウンでアニメ配信からゲームからマンガからだいぶ調子はいいのに、MDではまったく環境が違っているんですね!?

先程も申し上げたとおり、一部大手の海外マーケットで爆発的に伸びているジャンルが目立ってはいますが、勝ち負けがハッキリしてきています。ただ一概に悪いことだけではなく、新たな気づきを得られた地獄期だったとも感じていますね。コロナショックと為替ショックのダブルパンチがなかったら、PalVerseをやろうという発想は無かったんです。もう企画力とスピードだけを勝負に、売れているIPのMD展開を国内向けにやっているだけでは生存できない。「商品」か「面」か「地域(円安状況でも売上を保てる海外市場)」か、いずれかで差別化しないと、どんどん淘汰される時代にはいると思います。

 

――:そうか、今回のBCRは「商品(低単価フィギュア)」と「面(物販流通・コンビニ流通)」と「地域(海外)」すべてで差別化できる、この危機がゆえに対応したチャレンジということなんですね。

これまで許諾がもらえなかったIPでも、PalVerseのコンセプトや目指している方向性が他社との差別化に貢献し、商品化許諾へ繋がっている実感があります。

海外でもMDは安かろう悪かろうじゃもうお店が扱ってくれなくなります。グローバル視点では「量」で圧倒してきたコロナ禍を経て、今後は確実に「質」の時代です。もっというと「質と小売価格のバランス」が最重要です。世間が思っているほど海外の人の可処分所得は多くありません。PalVerseはこれらの今後の需要予測に対応していける商品を目指していますが、ブランドとして認知されないと広がらない、と思ってます。売れた売れないで一喜一憂をせず、堂々とブランディングしていくと覚悟を決めています。

 

――:今後のラインナップも重要ですよね。IPとしては今後どのようなものが予定されてますか?

実はかなり仕込んでいます。『ラブライブ!スーパースター』『進撃の巨人』『NIJISANJI EN』『五等分の花嫁』『チェンソーマン』『Re:ゼロから始める異世界生活』と、未発表のものも含めると10数個が進行しています。今後の状況次第ですが、社内の開発体制を拡大して、1つ1つ丁寧に実現していきたいと考えています。

 

――:全部海外向けIPですね!?海外向けMDは多くの版元にとってもいま渇望しているところです。ぜひ成功させて、日本MD業界に新しい風を吹かせてほしいです。

 

株式会社ブシロード
http://bushiroad.com/
IPディベロッパー、それはIPに翼を授けること。 オンラインサービス充実へ
IPディベロッパー、それはIPに翼を授けること。 オンラインサービス充実へ

会社情報

会社名
株式会社ブシロード
設立
2007年5月
代表者
代表取締役社長 木谷 高明
決算期
6月
直近業績
売上高487億9900万円、営業利益33億8500万円、経常利益45億300万円、最終利益20億5000万円(2023年6月期)
上場区分
東証グロース
証券コード
7803
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会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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