第2のPIXARとなりうるか?渡辺裕介率いるIP創出に挑むクリエイティブファームCHOCOLATE 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第113回
博報堂出身者によるクリエイティブファーム、と聞くと、「よくある感じ」かもしれない。チーフコンテンツオフィサーに栗林和明氏を擁し、CM制作を手掛け、「広告代理店出身者が目標にするゴール」に一番近い形と言える。ただバブル期からそうしたクリエイティブファームは数十名単位で売上数億円、エッジが立ったクリエイティブで様々なクライアントワークで賞を獲得していく、というパターンは何社も見てきて、「多すぎる」ようにすら感じた。なぜクリエイティブファームはスケールしないのか。そこに回答を持っているのが100名を超えるCHOCOLATE Inc.の成長にあるのではないか。それは「クリエイティブ」だけにとどまらず、「ディストリビューション」や「ファイナンス」を考え、何よりPIXARのように自社IP開発への挑戦を絶え間なく続ける「ビジョン」がある。今回はCHOCOLATEを創業した渡辺氏にインタビューを行った。
【目次】
■アニメも実写映画もキャラクターも手掛けるクリエイティブファーム、チョコレイト
■小中高大、ずっとスポーツに明け暮れる。一橋、博報堂で第一志望だけに受かり続けた
■6年間の博報堂「おんぶにだっこ」を感じて自ら起業
■博報堂時代のスター栗林和明の突然入社表明「チョコレイトがPIXARを超えるために」
■才能ある新人にいきなりチームをリードさせる文化。ブランドプロデュースとライセンスプロデュースの2軸が生まれた組織戦略
■アニメも実写映画もキャラクターも手掛けるクリエイティブファーム、チョコレイト
――:自己紹介からお願いします。
株式会社チョコレイト(CHOCOLATE Inc.)代表取締役の渡辺裕介です。博報堂を経て2017年に創業しています。
――:チョコレイトといえば栗林和明さんを擁するトップ級クリエイティブカンパニーです。
栗林和明がチーフコンテンツオフィサーを務めて、彼のクリエイティブを中心に成長してきた企業といえます。当初はナショナルクライアントのSNSで話題になるクリエイティブのプロデュースや、他社コンテンツの企画展示のプロデュースなどをやってきましたが、ここ数年は劇場映画を作ったり(『14歳の栞』:アジアン・アメリカン国際映画祭2021最優秀撮影賞、『MONDAYS/このタイムループ、上司に気づかせないと終わらない』:第32回日本映画批評家大賞 新人監督賞・編集賞)、あと力を入れているのは自社のキャラクターIPの開発などですね。
――:社員規模はどのくらいなんですか?
正社員で110名、そこに業務委託で20人くらいの固定給のクリエイターもいますね。一つのプロジェクトを任せるクリエイティブディレクタークラスでいうとグラデーションはありますがだいたい10名くらいでしょうか。
――:もう一大クリエイティブファームですね。しかし普通“博報堂出身者同士の起業"というと妥当にCM製作の受託などをやっている会社が多いイメージなんですが、なぜチョコレイトさんはこんなに色々展開されているんですか?
実写映画、音楽、アニメ、キャラクターなど、「エンタメコンテンツを創りたい」というクリエイターが集まってくれているのが特長かもしれません。その幅にはあまりフォーマットに制限をかけたくなくて。ある程度資金的な余裕がたってきた2021年ごろから少しずつ広げて、さまざまなコンテンツづくりをやっている中で、最近発表したものはこのKILLTUBEですね。こちらは劇場アニメとして制作しており、2026年公開を目標に進行中です。
――:メインとしては何の事業なんですか?事業ごとのスキルセットの違いはどうカバーしているのでしょうか?
1つはクライアントの広告プロデュースを行う事業、もう1つは自社でIPをプロデュースする事業で、こちらはキャラクターとアニメと実写映画、この3つを手掛けています。
スキルセットはそれぞれを専門のクリエイターがやっているというよりは、クリエイターそれぞれが時に広告を、時にIPをアニメを、時に実写を、とやっているんですよね。クリエイターって本来はいろんなモノづくりをしたい人が多いんじゃないかと思います。会社としてはむしろ広くやっていることが魅力で、それによって優秀なクリエイターが入ってくるという好循環が生まれている気がします。
■小中高大、ずっとスポーツに明け暮れる。一橋、博報堂で第一志望だけに受かり続けた
――:渡辺さん自身についてお伺いしていきます。もともと小さい頃からクリエイティブまわりの趣味をもたれてたんですか?
いえ、運動ばかりでした。小学校が野球、中学校がテニス、高校はラグビー、大学なんてアメフトをやっていて、こんな会社を作るとは夢にも思いませんでしたね。大学は一橋だったんですけど、入学した2004年当時、週刊少年ジャンプで連載中だった『アイシールド21』が面白くてアメフトもいいなあ、と。一橋も一部リーグで戦えていた体育会系ってラクロスとアメフトだけだったんですよ。
――:でも大学アメフト部って“屈指の体育会系"ですよね。よくサクッと入りましたね。
合格発表の時に胴上げしてくれたのがアメフト部でした。僕は岐阜からでてきた田舎者で、東京に一切知り合いがいない心細い気持ちの中で受験前日の下宿先の下見の付き添いで大学生活に関する情報を教えてくれたり、合格発表時には胴上げもしてくれて、とても親切にしてもらいました。ただ、そこに罠があって笑、胴上げ写真を撮って送るから住所教えて、という一連のプロセスから、上京したころには入学式前の体験会にも参加して、新歓で食事もご馳走してくれて、東京で最初の知り合い・・・となったころにはもう逃げられなくなっているんですよね笑。
――:あれって写真送るシステムだったんですか!?個人情報そこで仕入れるんですね。
合格発表はアメフト部にとって一番の“狩場"ですよ笑。ガタイのよさそうな新入生を狙ってるんですよね。
憧れの大学に入ったからこっちは盛り上がってるじゃないですか。ぜひ胴上げして!って。その術中にまんまとはまり、僕はそこで4年間アメフトを全うしました。ラグビーやってたこともあって、1年目からスタメンに入れたのですが、当時やっぱり強かったのは法政、早稲田、日大。国立だと一橋と東大と横国が一部リーグになんとか入ってました。
頑張って頑張って、最後の4年生のときには遂に一部リーグで無敵の王者だった法政と全勝同士で対決するんですよ。負けちゃったんですが、「一橋が法政に伍するとは」と歴史的快挙で2007年当時ずいぶん話題になってました。このあいだその取材受けたんですよ、16年ぶりに笑。Web記事で「あの時は・・・」といわれるくらい。そんな一橋アメフト部で燃え尽きるまでやっていました。
――:めっちゃくちゃフィジカルエリートですね!でも、アメフトって留年率高いですよね?
そうなんですよ、スポーツ選手でもないのにもう勉強そっちのけ。僕は寮生活だから友人関係もみなアメフトでかなり閉ざされた環境。しかも4年生の12月ギリギリまで試合があるので皆、就職活動すらするヒマがないんです。当時のアメフト部のメンバーの大半はその4年の全部終わった最後の1-3月で就活して、1年留年して就職、なんですよね。一留がストレート、みたいな世界なんですが、僕は留年が嫌で3年生の最後の1-3月で電通・博報堂だけ受けちゃったんですよね。そうしたらたまたま博報堂にご縁がありました。
――:なんか、渡辺さん、泥臭い事やっているようで、物凄いストレートに歩んでますね。
博報堂には終身雇用のつもりでの就職でしたね。テレビにも興味は持ったんですけど、テレビ局はテレビ番組しか作れないな、と。でも広告代理店なら雑誌もあるし、テレビもあるし、クリエイティブなことになんでも携われる。そこにビジネスの要素もある、と思ってすごく理想的だったんですよ。
■6年間の博報堂「おんぶにだっこ」を感じて自ら起業
――:1年目の配属はどこになるんですか?
2008年4月入社時にはTBWA/HAKUHODOという外資系クライアントの取り扱いをする子会社で日産の担当になりました。最初はクライアント営業で、TVCMやWebサイトなど会社ごとのニーズにあわせて広告を制作したり、メディアを提案していく仕事です。そこで僕の場合は日産自動車さんが提供していたラジオ番組でTOKYO FMの「NISSAN あ、安部礼司〜beyond the average」という番組づくりに携わりました。
それで代理店にいながら完全にコンテンツ側に近いスタンスでラジオプロデューサーや脚本家と一緒になって、番組づくりを肌で感じさせていただきました。余計な事を考えずに、純粋に作り手とリスナーとだけの矢印をつないでいけばよかった。だから大変刺激的なプロジェクトでした。これは僕の原体験で、「純度の高い作り方をすればコンテンツは面白くなる」という成功体験ができました。
――:よくわかります。何年そこにいらっしゃるんですか?
3年半いました。次に博報堂DYメディアパートナーズに異動し、今度は雑誌局のメディア営業として、出版社の持っている雑誌の広告を売る仕事をしていました。3年間日産のブランドと向き合うことが仕事だったのに、今度は広告出稿のクライアントはどこでもいいからとにかく出版社のアセットを活用して広告を売るという仕事に変わります。
出版社はコンテンツの上流にいて、作家や編集者など、クリエイターがたくさんいる。だから面白いことができるんじゃないかという期待もあったんですが、僕がまだまだ未熟だったこともあり、出版社のアセットを使って何かしようなんてほとんどできなかったんですよね。
――:代理店は四マス(新聞、テレビ、ラジオ、雑誌)で長い歴史もありますし、歴史ある業界ほど若手には難しい部分も多いですよね。
そこで自分はなんだかビジネスモデルにおんぶにだっこだったなあと思ったんですよ。テレビや雑誌のようなすでにビジネスが回っている世界に僕はただのっかっているだけ。そこで少しずつ「事業つくってみたいな」と考えるようになりました。ちょうど2011年はSNSも黎明期で、スタートアップも増えてきたタイミングで、同じくらいの年齢の起業家が夢を追っているのをうらやましいな、と。
大学時代にアメフト部で過ごした4年間の充実感がハンパじゃなかったんです。日本一になるために頑張ろう!って。まわりもその目的に一丸となって努力していて、そういう一体感や充実感をもう一度味わいたいと思ったんです。それで3年周期にくる次の部署異動の前のタイミングで辞めました。
――:あ、アッサリ!?なんかわりとスッキリ動きますよね笑。もっと迷いそうなもんですけど。
結婚してそろそろ子供もって思っていたのですが、子供が生まれてからでは辞められなくなるかもしれないと思い、30歳目前に退職しました。
退職後はどんな事業に取り組もうかと考えながら、まずはひとり広告プロデューサーとして働きました。当時のSNSの広告はTVCMをそのまま流用するようなものが中心でしたが、スキップされない「コンテンツ要素のある広告作り」が必要だという機運がありました。博報堂でコンテンツと広告の仕事を経験してクライアント側もコンテンツ側も肌感があったので、まずそこからやってみようと思って、2016年いっぱいまで広告プロデューサーをしていました。
――:2016年はYouTuberブームでもありましたよね。
はい、日本ではYouTuberの隆盛で、個人がメディアになる時代でしたが、アメリカはすでにその先に進んでいました。それの代表がVICE Mediaや awesomeness TVで、YouTubeチャンネル上に番組などのコンテンツを作り、そこからメディアミックスの展開などが生まれつつあった。まさにハリウッドスタジオのデジタル版だと思い、これを日本発でできないかと考えていました。
※Vice Media:アリックス・ローランが1994年に設立したカナダのデジタルメディアで初期は雑誌『Vice』を発行していたが、2006年からデジタルビデオに進出。2012年にYouTubeチャンネルを通じてテクノロジーやカルチャーなどオルタナティブ領域を報じるメディアとなる中で、ルパート・マードック率いる21世紀FOXが7000憶ドルで2013年に5%株式取得。ユニコーンとなったメディアだったが、2018年ごろから変調。2023年には破産法適用となった。
※Awesomeness TV:2012年設立の子供向け番組などをつくっており、同盟のYoutubeチャンネルを作ってMCNも運営していたが2013年にドリームワークスが買収。2016年に25%をVerizonが1.6億ドルで買収、その後はViacom Digital Studio傘下。
■博報堂時代のスター栗林和明の突然入社表明「チョコレイトがPIXARを超えるために」
――:いまのチョコレイトのような形になるのはいつごろですか?
2017年です。そんなアメリカの状況を見て、日本発でいろんなコンテンツを生み出す会社を立ち上げようと思い、チョコレイトを創業しました。ただ、コンテンツ作りってとにかくお金がかかるじゃないですか?出資を集めてもせいぜい2,3億。それを切り崩して1本数百万円〜1千万円じゃ質の高いコンテンツもなかなか作れないと思って。コンテンツの会社を作るときに大事だと考えたのが3つで「クリエイター」がいて、それを「ディストリビューション」する手段があり、そこに「チャレンジする資金力」があること。この3つのアセットを最速で獲得していくには・・・って考えたときに、「広告の受託」というスタートポイントが最適なのではないかと思いました。そもそもココだったんじゃないか、と。ノウハウのある広告でしっかりコンテンツを作れば、その対価でクリエイターとのネットワークもできる。クライアントのディストリビューション力にもアクセスできる。先行投資もいらない。なので2017年に「コンテンツスタジオを目指して、広告受託業を通じて3つをつくろう」と腹を据えました。
――:独立して2年強、厳しい時期だったと察します。まだその時点で1名ですか?
2017年1月にオフィスをかまえたころに博報堂の同期が1名入ってくれました。代理店は結局代理店で、映像制作そのものをしていないんですよ。それでプロダクションや監督アサインをするところから見よう見まねでやっていて、2人で食っていくことはできました。その後、チョコレイトとしては一番のターニングポイントになります。2017年8月に栗林と出会いました。
――:半年遅れての参加だったんですね。栗林さんは2011年博報堂入社でしたが、もともとつながりはあったんですか?
いや、それがなかったんですよ。僕が3つ上の先輩にあたりますが、直接は仕事したことはなくて僕が一方的に知っている状態でした。後輩だけど「憧れの存在」でしたね。
特にSNSを使った話題作りがうまくて有名だったんですよ。
――:栗林さんのキャリア、図抜けてますよね。“博報堂で手掛けた作品が話題となり、カンヌライオンズ、スパイクスアジア、メディア芸術祭、ACCなど、国内外のアワードで、60以上の受賞。JAAAクリエイターオブザイヤー最年少メダリストとなる。米誌Ad Age「40 under 40(世界で活躍する40歳以下の40人)」で、アジアから唯一選出される。"とWikiにも。
そんなスーパーな後輩が独立した、自分で会社も立ちあげた、という中で人の紹介で会ったんですよ。栗林も僕と会う前にホームページを見てたみたいで、「あーたぶんバズる広告作ってくれとか、そういう依頼されるんだろうなあ」と構えていたようです笑。
だけど話し始めたら意気投合したというか。目指しているビジョンと戦略を語ったらとても面白がってくれました。その2週間後にもう一度ランチしながら「栗林さんも自分の会社作っているからその受発注でもいいし、もしもうちょっとコミットできるなら月ぎめの業務委託でもいいし、もしチョコレイトに入ってくれたらめっちゃ嬉しいけど...」と言ったんですよ。そしたら・・・「大事な話だと思うので、ちょっと時間をいただいてもよいですか?」と。
――:ちゃんと検討してくれたんですね!?
連絡がきたのは2時間後でした。メッセがきて「入ります!」と。意味がわからなかった笑。あんなに有名なクリエイターがせっかく自分の会社を立ち上げたばかりなのに。この人、業務委託で関わることを「入る」と言っているのかな?とずっと思っていました。
ただ、もう1名の社員も紹介したいからとオフィスに呼んだら、「チョコレイトがPIXARを超えるには」という資料を持ってプレゼンしてくれて、入社してくれることを実感しました。
――:熱量半端なくないですか!?というかそれがむしろ優秀さの表れですね。
優秀なCD(Creative Director)が1人いるだけで全てが変わるんですよ。広告業界では「あの栗林がいる会社なんだ!」と直接代理店から、ときにはクライアントから指名で声がかかるようになり、「何を作るか」から考えられるようになりました。それ以降は栗林指名でいただいた案件をチョコレイトで受けることになりました。
――:苦しかった2016、17年と比べて2018年の業績はどうでしたか?
飛躍の年でした。売上もグッとあがり、3名からスタートして1年後には30名くらいの会社になるんです。ここがチョコレイトの実質的なスタートといったほうがよいかもしれません。
■才能ある新人にいきなりチームをリードさせる文化。ブランドプロデュースとライセンスプロデュースの2軸が生まれた組織戦略
――:2020年ごろから事業も多角化されていきます。
事業としてはクライアントさんとコンテンツを作る「ブランドプロデュース」と、自前の「IPプロデュース」の2つが大きなものです。2020年に「ブルーハムハム」「ラッコズ」などのキャラクターを作って展開をはじめました。
――:まさに僕は“キャラクター事業をやっているチョコレイト"のころから注目していました。
はい、2020年から少しずつ自社で始めた事業が2022年に渡辺周作が入社したことで急激に加速しました。元サンリオの彼の経験から、「ライセンスプロデュース」というビジネスが本格的に始まりました。ライセンシーさんへの営業や商品の監修など、これまでの彼の経験値がフルに生かされて、一つの事業体になっていきました。
――:中山のチョコレイトさんのつながりも周作さんが作ってくれました。ブランドプロデュース事業と使う筋肉が違いますよね?事業として。
そうですね。クリエイティブを扱うという意味では両事業とも共通ですが、似て非なるところも多々あります。「パペットスンスン」などを中心に、キャラクター事業がいまものすごい勢いで成長しています。「パペットスンスン」は、サントリーさんの広告に起用していただき、直近ではスシローさんとのコラボレーションにより、どんどん広がっている。IPはヒットのスケールの規模がすごい。ここでブランドプロデュースとIPプロデュースが両輪でまわっていくなという実感が出てきました。
――:そんな異なる事業を両立するのはなかなか難しそうですがいかがでしょうか?
同じクリエイターがどちらの部門のプロジェクトも担当していますし、みんな広告が好き、IPが好き、ということよりも「面白いことをやりたい」が上位概念で、それにそれぞれの手段をあてはめてやっているにすぎないんです。
だからいろいろな事業をやるんですよね。広告制作はもちろん、自社出資でアニメや実写映画、キャラクターを作ったりまでやっている会社はなかなかありません。だからすごい優秀なクリエイターがチョコレイトに入ろうとしてくれる、というのがあるんじゃないかと思ってます。
――:お伺いしていると「1人のこれだという人材が参画すること」のインパクトの大きさに驚きますが、むしろ大企業では(優遇されつつも)一社員にすぎなかったクリエイター気質のあるプロデューサー達にポジションや事業をまるっとまかせて、それを一つの事業にしていくというチョコレイトの度量というかビジネスシステム自体が凄いんじゃないかという気がしてきます。
最初は“栗林の会社"でしたが、そのあといろんなクリエイターが入ってきて、組織として評価していただけるようになってきました。
――:1980~00年代も電博から独立して有名な会社も結構ありましたよね?ああいったブティックっぽい形に栗林さんを中心にならなかったのはなぜなのでしょうか?
1人のクリエイターを中心とした会社にしたくない、1人に依存させないクリエイティブを、ということは栗林自身が推進してきました。なるべくチョコレイトという箱に魅力を感じていただき、チームで作るということは2018年からずっと意識してきたことです。
あと、実際に新卒・インターンで面白そうな人が本当に入ってくるようになりました。ナショナルクライアントやトップIPから「チョコレイトにお願いしたい」という直接ご指名をいただけるような会社になると、僕のように10年前に「とりあえず広告代理店に入れれば色々やれそうだから」とふわっとした動機を持っていた人が、今では「とりあえずチョコレイトに入れれば色々やれそうだから」と、「選んでもらえる」状況になってきているのかなと思います。
――:チーム作りでチョコレイトがやっている特別なことってあったりしますか?
若手メンバーに「早くからCD(Creative Director)を経験させる」ということをしています。CD(Creative Director)にインターン生や新卒の若手を起用し、栗林や経験豊富なクリエイターがサポートすることで、早くからクリエイティブに責任を持つ経験をさせています。
特にチョコレイトが得意としているジャンルはYouTube、TikTokまわりの新しいメディアも多いので若いメンバーに権限移譲しやすいんです。彼ら自身が一番触れていますからね。
――:なるほど、そのあたりのプロジェクトの作り方、チームの作り方・任せ方、好きなことやらせてくれそうな事業の幅広さあたり、チョコレイトさんが特別なポジションを築いてきた背景にあるんだなというのを強く実感してます。でもそれは渡辺さんの人徳もあると思うんですけど、なぜ栗林さんをはじめ、初期に「なにもなかった」状態でクリエイターに選ばれたんでしょうか。
「大義があること」だと思ってます。組織の器って大義の大きさに準じると思っていて。「みんながわくわくして、たのしみな気持ちになるコンテンツをつくる」「世界一たのしみな会社になる」そういった大義が掲げられてきて、人だけでなく大義のもとにクリエイターが集まって、そして彼らが創るカルチャーがさらに人を惹きつける。それが好循環で心地よく回って、少しずつ大きくなってきたのかなと思っています。
――:思えば1995年11月にToy Storyで成功するまでのPIXARで売上って6億円(1994)→12億(1995)→35億(1996)なんですよね。しかも94年まではずっと赤字。「トイストーリー」1作でその後世界のエンタメを代表する企業になっていくことを考えると、PIXARとチョコレイトの差は実はそこまでなかったりしそうです。
チョコレイトよりも新しい会社がどんどん大きくなっていくことに、もどかしさを感じる時期もあったのですが、その頃友人から「市場によって川の幅が全然違うから比べるのなんて意味がないよ。チョコレイトはIPで頑張っているんだし、IPはいまは狭くてもすぐに急にどんと広くなるから大丈夫。」と言われました。
その通りなんだよなあ、と思いました。こんなに優秀なクリエイターが集まっていて、少なくともいまの日本でチョコレイト以上にIPをゼロイチで創ろうとここまで本気でチャレンジしている会社はおそらく他にいないという自負だけはあります。1作の大成功で急に経営数字の桁が変わる、というのはまさにPIXARがみせた「実績」でもあるので、まだ栗林のPIXAR越え計画が実現できてないのはもどかしいのですが、ここ数年でもっていきたいですね!
――:今後会社で期待される事業としてはどんなものがあるのでしょうか?
劇場アニメ「KILLTUBE」が2026年にリリース予定です。これももともとはとあるアニメプロデューサーの方が面白がってくれて、栗林に「アニメの監督、やってみない?」と声をかけていただいたことから始まったんですよね。当時、「KILLTUBE」を漫画の企画として考えていたタイミングでお声がけをいただくことができ、じゃあ劇場アニメ化を目指そう、と。でも形がないとパートナーも集まらないよねということで、約1分間のパイロットフィルムを作りました。形にできるかは不透明な中でも、たのしみなコンテンツを生み出すために必要なものには大規模な予算やリソースをベットする、そんな会社文化をこれからも大事にしていきたいです。最初のリリース反応は十分満足いくものでしたし、これを原作としてアニメ製作委員会を組成して進めているのが今のフェーズです。もう製作は始まっています。
ほかにも短編アニメ『パンの赤ちゃん』も作りました。こちらもアニメ化を見据え、2024年12月にYouTubeとXで1話目の公開が始まっています。こうやって試行錯誤しながらも色んな方とのご縁に感謝して、SNS発でキャラクターIPを生んでいきたいです。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場