VTuberは次なる “Sushi" になりえるか!?連続起業家 大湯俊介が挑むVTuber作成・配信アプリ「Avvy」中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第138回
いまさらVTuber?という声もあるかもしれない。もはやAnycolor/COVER二強といわれるこのジャンルでも、実はBraveやウタイテなど第二・第三波といえる企業群が興ってきており、その一角をなすのがAnotherBall社である。2025年末にリリースされたAvvyは2Dアバターを提供するが、それは「自分のもの」としてYouTubeやTikTokでも使えるようになる。世界中のアニメイベントで20~30年かけて皆がコスプレを覚えていったように、次の数十年後には誰もがVTuberになることが日本コンテンツを広めるインフラになるかもしれない。そういう意味では「VTuberをSushiにする」という野望あふれる大湯氏が、もともとTech業界で2度もEXITとした有名シリアルアントレプレナーとして今3回目の挑戦をどうとらえているか、いままさに聞くべき時が来た!と感じている。
■世界中でVTuberを爆増させるアプリ「Avvy」がローンチ成功。2Dアバターが肝
――:自己紹介からお願いします。
エンタメ×グローバルというテーマでAnotherBallというスタートアップを経営しております大湯俊介(おおゆ しゅんすけ)と申します。本日は宜しくお願いします。
――:Avvyがリリースされ、しばらく経ちました。今はどんな状況ですか?
結論から言うと、めちゃくちゃ好調です。2025年半ばに体験版をリリースした際はあっというまに数十万ダウンロードを突破、それ以降も成長が続いています。年末にはPMF(プロダクトマーケットフィット)したなという手応えがあり、アクセルを踏むタイミングだなと考え、この度商工中金、三菱UFJ銀行、三井住友銀行、みずほ銀行さま四行から25億円のデットファイナンスでの資金調達を実施しました。これをもって有難いことにAnotherBallとして調達資金は、累計で47億円となりました。

――:すごいメンツですね!まさに“オールジャパンファイナンス"。「アバターでのライブ配信」というのは決して目新しくないものになってきていると思うんです。2010年代の後半に「自分自身がライブ配信」するアプリが続々とでるなかでも「顔出し無しでライブ配信できる」をウリにMirrativやRealityが2018年、IRIAMが2020年、BIGO Liveも2021年から搭載しています。それらとAvvyは何が違うのでしょうか?
一言で言えば「圧倒的な簡単さにもかかわらず、非常に高いクオリティでVTuberになれる」ということに尽きると思います。VTuberになるにはまずアバターが必要なわけですが、それを作るには「お金」「時間」「人的ネットワーク」の3つが障壁になります。まずは絵師さんにオリジナルのイラストを発注、その後にイラストを動かすためのリギング(モデリング)が必要です。数十万円(よいものを作るなら数百万円にも及ぶ)ものお金とおおよそ半年強という時間が必要になります。またいざライブ配信を始めた後も、自分で目標設定などを考えて活動していくのは一筋縄ではいきません。
弊社が提供する「Avvy」ではそれらの問題を解決し、かつAvvyで作成したアバターを用いて他のプラットフォームで活動しても良いとするなど、「VTuberの民主化」というテーマを意識しながら運営しています。
――:そうか!ユーザーを自社PFに囲い込む、だけではなく「VTuber文化自体を育てる」ことにも主眼を置いているんですね?
はい、Avvyは「なりたい人がVTuberになれない」という問題を解決するという部分に焦点をあててリリースしました。
言い換えれば、Avvyの特異点は「2Dでのアバターカスタマイズ」に特化している部分だとも言えます。2022年末に生成AIが勃興して以来、VTuber業界も例外なくその議論が盛んになっていました。私たちはそんなさなか思い切って「クリエイターの創る2Dアバター」に振り切ってAvvyを開発しました。この意思決定は相当ユニークだったんじゃないかなと思います。
――:あのアバターはAIで自動生成しているわけじゃないんですか?
はい、Avvyでは手描きで作られたパーツを組み合わせ、自分だけの配信アバターを作るという仕組みになっています。ざっと計算するだけでも1000万通り以上の組み合わせがあり、フェイストラッキングもできる。またYouTube・TikTok・Twitchといった外部のプラットフォームで配信することも許容しています。いわば「日本のアニメ調のキャラクターになれるよ」という点が、国外でウケた点なのかなと思います。グローバル展開という観点では、米国を筆頭に様々な国でご利用頂いています。
――:マネタイズはどうするんですか?会社は今どのくらいの規模になったのでしょうか?
基本はアバターの衣装をガチャとして提供している他、アプリ内でのイベントを起点とした投げ銭が収益源になり継続的な成長ができてています。
社員は少数精鋭のまだ数十名にも満たないサイズなのですが、海外にもエンティティがあり様々なバックグラウンドの人が活躍してくれています。またメンバーの三分の一ほどがCxO経験者、というのも他のスタートアップにはないユニークな部分かなと思います。
――:AnotherBallといえば、僕は2023年の“シードラウンド"19億円調達が衝撃でした。どうやって世界トップ級の投資家を集めたんですか?
正直なかなか「これをすればいいんです」という答えはないかなと思います。ただ、一つ言えることは「実は日本にポテンシャルを感じている投資家は多い」ということなのかなと思います。私は今の会社が三社目の起業なのですが、二社目の売却が決まった後、思い立ってすぐに海外に引っ越しました。それ自体は勢いで実行したものの、その行動が世界で活躍する様々な起業家・投資家の方々との縁を紡ぐきっかけになりました。振り返れば、シードラウンドについては、それらが結実したものだったのかなと思います。
――:まさに日本生まれ、日本育ちの大湯さんがどうしてこんなにグローバルサービスに挑戦する起業家に「仕上がったのか」というところから聞いていきたいと思います。

■熱血ハチマキでの高校受験が“楽しかった"学生時代。競争に染まれる力の原点
――:生まれ育ちはどんな感じですか?
1988年に兵庫生まれ、両親はが生命保険会社に勤務しており、いわゆる転勤族でした。幼稚園の頃から小学校4年生までは神奈川県川崎市に、それ以降は埼玉県に住んでいました。親の方針で物心ついたときには公文式に通っており、そのおかげもあり勉強は好きな方だったんですが、中学時代に通っていた塾のチューターに大きな影響を受けて高校受験をすることを決意したのを覚えています。
――:あ、高校受験組なんですね!高校・大学と慶應ですもんね。
当時は埼玉県の熊谷市に住んでいたんですが、通っていた塾にハギワラさんという先生がいたんです。その人は思想強めの先生で、「おまえ達はなんのために勉強するんだと思う?」とか問いかけてくるような人だったんです笑。私が普通に「え、志望校に合格するためですか?」と答えたら…「違う、感謝だ。支えてくれた人に感謝するために、勉強するんだ」って笑。先生っていっても、当時現役高校生のお兄さんですよ?自分たちより数年しか長く生きてない人から出てくる言葉じゃないですよね、そんな言葉。
その塾では年2回、遠方で合宿をするんですけど集まった100-200人の中学生が一斉に“わんこそば形式のテスト"で早い順・出来た順に席がどんどん入れ替わるんですよ。左前にいるやつがこの中で1番!というルールで、次々にテストがでてきて「できました!」と手を上げ満点だったら次のテストを渡される。元々ゲームが好きだったのもありますが、なんかそういった「ゲームをとにかく徹底的にやり込んでクリアする」という才能はその塾の時代に開花したのかもしれません。その合宿では渡されたハチマキを頭に巻いて、テストの合間にある休憩時間には皆で声出しをするんですよ。「がんばるぞーー!!絶対合格するぞーー!!」って。こうやって、片足前にしてお腹から声を出す感じです。笑

――:そういう「競争に染まれる」のは、一種の才能ですよね。
どんなことでも本気でやると感動する瞬間ってありますよね。「絶対に合格するんだ!」という思いで本気で勉強をして、そして声を出しているとなんだか自然と涙が出てくる瞬間があって。一種のトランス状態なのかもしれないんですが、自分が最後一歩頑張れる原体験はもしかしたらこの時期に育まれたものかもしれません笑。
先程の早熟なチューターの先生が慶應義塾志木高校出身でした。結果的にその先生が通っていた学校に入りたいなと受験勉強を頑張って、同じ学校に入学しました。
――:高校ではどんな学生だったんですか?
Let's Noteを買ってもらい、他の生徒がみんな紙でノートを取る中一人だけノートパソコンでメモを取り、ボイスレコーダーで全ての授業を録音しているような変わった学生でした。当然勉強もしっかりしていたので、大学の学部選択において、成績的には上位5-6名が毎年入る医学部をうっすらと志望していました。元々は理系なのもあり、当時はとにかく化学が好きで、自分なりにひとひねりして「追加実験したらこうなるのでは…」みたいな工夫をしてレポートはいつもA+をもらっていました。
――:それは先生からすると歯ごたえあって、めっちゃいい学生ですね!慶應医学部ってめちゃくちゃエリートじゃないですか。
でも高校2年で最終的に医学部コースを選択するか、というときに進路相談してくれた先生がまた思想強めな人で。進路について「医学部とかですかね〜」と軽いノリで相談すると、「君は、本当に人の命に興味があるのか?」と真剣な眼差しで聞かれたんです。本当の意味で命に関わるという覚悟がないなら、医学部の席は譲るべきだと言われて、うーん、確かに正直そこまでの覚悟はないぞ、と。そこでだったら、将来自分の運命に関わるかもしれないのに全く知らない領域を学んでみよう、と考えを変え、未知の領域だった法学部志望に変えていきました。
――:そのハギワラ先生を生むくらいだから、相当変わった学校なんですよね?
大学受験がない付属校って、やりたい放題なんですよ。印象的だったのは「1年間通してジブリ映画を観る」という授業があったりします。『トトロ』を半年、『千と千尋』を半年かけて鑑賞するんですけど、メイが草のトンネルを駆けた先でトトロに出会うシーンでピッと止めて「このトンネルは“産道"のメタファーである。サツキが最初トトロを見えないのは彼女が大人と子供の狭間にいるから。それをサツキも“産道"を遡って生まれる前の妖精の状態に近づくことで、はじめて精霊たる存在のトトロが視認できるようになるのだ」みたいな解説を延々と笑。一事が万事そんな調子だから1年かけてもこの2作品、見終わらなかったです。最後は「今年もやっぱり終わりませんでしたね」って笑。そりゃこんな調子なんで、思想強めな人間を量産する学校になりますよね。
英語では洋楽好きの先生が一年間歌ばかり歌ってビートルズの歌詞の穴埋めをテストに出してきたり、日本史の授業では1年間「縄文時代の沖縄」のことだけを勉強する、とか。そんなんだから、大学に入ってから「付属校の学生の学力問題」が問題視されていたんですけど、僕はその時代に大切なことを学べた気がしています「あぁ、大人でも自由でいいんだな」って笑。
――:たしかにそれはすごい人材輩出しそうですね。受験には超不利ですけど。
先輩でいうと、Newmoの青柳直樹さんやANRIの佐俣アンリさんが志木高の出身です。マンガやゲームを教室に持ち込んでも何も言われない放任主義の学校だったので、たっぷりとオタクカルチャーに浸かって青春時代を過ごすことができました。
――:それで高校時代にオタクに目覚めた感じなんですね。
そうです、もともとスポーツしたりビジネス志向も強かったんですけど、ちょうど高校がニコニコ動画が始まったタイミングで、しかも「男子校だった」というのはすごく大きいと思います。女の子を意識してカッコつけなくていい、というのは大きくて。周りも偏見がないから、普通にアニメやゲームのマニアックなやつも交換し合って、遊んでました。もともとウィンドウズ95の時代で家にPCがあったので、ちょっとHTML/CSSで自作ウェブサイトつくるとかはやっていたので抵抗はなかったですけど、オタクってほどではなかったと思います。
――:当時衝撃を受けた作品は?
『涼宮ハルヒの憂鬱』ですね。友人が勧めてきて、それを読んだ瞬間に一気に何かが目醒め得てしまった感じです。文化祭でハルヒがバンドしているシーンを見て、「俺もバンドやりたい!」って思ってしまって。それで2ch発祥のファン交流掲示板でオタクバンドの埼玉支部を立ち上げたりしていました。楽器なんて演奏したことないのに「当方ギター希望(歴0年)」と書いてバンドメンバー募集をしました。今思えば痛すぎるんですが、なぜか楽器経験の長いメンバーが集まってくれて、最終的には実際に100人くらい集めていくつかのバンドでライブやるところまでいきましたし。
そのあとにライブシーンがぐっと来るアニメで言えば「けいおん!」(2009)、「ぼざろ(ぼっち・ざ・ろっく!))」(2022)につながっていきましたけど、僕がいわゆるオタクカルチャーに没頭できたのは、そういうのがカッコ悪いとか偏見も一切ない男子校だったから、というのは大いにあったと思います。

■孫泰蔵氏の若手起業家育成。戦略コンサルに就職の予定が、一気に起業ルートへ
――:慶應大学では法学部なんですよね?
はい、法学部の法律学科に進学しました。大学1-2年までは弁護士になるぞ、と思ってたんですけどね笑。自分の世代でちょうどロースクールの仕組みが始まってしまって、「あと2年も余計にアカデミアにいたら、社会に取り残される」と思ったんです。それで学外の金融勉強サークル入ったり、政財界の有識者を呼んで勉強するサークルに入ったり、成田修造さんや松本恭攝さん(ラクスル社長)も所属していたビジネスサークル「OVAL」などにも参加していました。言うなれば、いわゆる「意識高い系」の学生をしていました。当時は知らないことを学んで、社会と接続した中で生きていきたい!という気持ちが強かったですね。
――:めちゃくちゃ意識高い!
はい、「めちゃくちゃ意識高い学生」をしていた自負があります笑。当時の日課は外務省のページをリロードして色んな国際系のイベントを見つけては参加することでした。当時は、日中の交流事業、ロシア学生の日本受け入れ、G8 Youth Summitという現在のG20首脳会議を模した学生会議にも参加したりしていました。OVALのときは日・中・韓からそれぞれ集まり3人で1チームだったんですが、英語が話せなかったので、すごい大変でした。
その時思ったのが、やる気のある人たちの集まりって単純にそれだけで楽しいなということでした。それで皆がその後外資系投資銀行とか戦略コンサルティングに就職したり、官僚になっていく。自分もその中で揉まれてみたいな!と。そうやってゲーム的に競争をするのは中学・高校の時から嫌いじゃなかった。それで2010年の就職活動時にADLやBCGの内定をいただいて、そこに就職するつもりでした。

――:塾もオタクも外銀・コンサルも「いったんやってみる」時のドライブが半端ない!
基本的に好奇心ドリブンなんですよね。全部ひとまず楽しそうならやってみる、というのが根幹にあるんだと思います。そんな性格なので眼の前に課題がないと暇になっちゃうタイプでした。大学3年時に内定をもらった後も、翌年卒業を控えた段階で大学の単位もとり終えてしまっていたので何もやることがなくなってしまった。それもあってか「半年間入社遅らせてほしい」という交渉をして、2011年10月入社という前提で、1年間アメリカに交換留学することにしました。その時の将来プランは、戦略コンサルで3年働いたら次はハーバードかスタンフォードにMBA留学だ!と思ってました。その時まで一人暮らしもしたことなくて、英語もまったく話せないようなレベルだったにも関わらず笑。
――:どんな留学だったんですか?
ここでも「知らないことを学んでみたい」と思い、カリフォルニアの大学では宗教学を専攻することにしました。まさに『イン・ザ・メガチャーチ』の世界を味わって、みんなで手をつないで歌って、泣き出す人とかもいて。ああ、宗教的な体験というのはこういうことなんだなと。その他には学内で起業の真似事をしてみたり、最後の3,4か月はワシントンDC近くでインターンをするというプログラムに応募して米政府系のファンドで投資案件のDDを手伝ったりしていました。それはそれで面白く、あっという間に帰国して就職まで残り数か月…という段になって。偶然昔からの友人に紹介され、後に一緒に起業することになるCTOの島田達朗と出会うことになりました。
――:起業、いきなりですね??
そうです、それまで起業なんて考えたこともなかったんですが、島田と出会った折にそのタイミングでMOVIDA JAPAN※の1期生(2011年末〜2012年初頭実施)にノリで応募してしまって。就職前に最後の数カ月の休みがあり、かなり暇だったこともあり笑。しかしやるとなれば本気でやる方なので、そこで資料を作ってピッチをしたら孫泰蔵さんに拾っていただきました。そこで彼からこんな提案を受けることになったんです、「500万出資します、会社たてますか?yes or no」と。
※連続起業家の孫泰蔵氏が設立した、シード段階のスタートアップを育成・投資するアクセラレーター。3-6ケ月間のメンタリングのなかで若手の起業家を生んでいく。孫泰蔵さんが若者を起業させるということで2011年の初回で参加した企業はnana music「nana music」、Grow「Grow!」、trippiece「trippiece」、アフター・ザ・ゴールドラッシュ「iemog」、コネヒト「Creatty」、HHHUNGRY「hhhungry」、cocoa motors「Type X」の7社。
――:就職を留学で半年間遅らせて、直前でアクセレレータープログラムで受かったからそのまま起業の未知に飛び込むとは、なかなかブッちぎってますね笑
直観で「こっちのがおもしろいかも」と感じてしまったんです。コンサルに一度入って高給をもらったら自分はもう起業はしないだろう、一方で起業して失敗しても、その経験を糧にすれば社会には復帰できるだろうなと。自分にとっては起業の方が不可逆な選択肢に見えたんです。
まあ、でも当然会社には怒られました。「ちょっとお話が…」って電話して、空気で察したのか「今日何時だったら来れるの?」と。その時はもう起業の準備が始まっていたので「もう深夜になっちゃいます」と伝えたんですが、それでもそのあと来てよとなって0時過ぎにオフィスに。しっかり謝り倒し、最終的には「まあ他のコンサルにいくんじゃないなら、仕方ないね。応援するよ」と言っていただけました。2011年9月に大学卒業、そのまま島田と2012年1月に設立したのがコネヒト株式会社でした。

■「なんとなくの起業」で地獄をみた2年間、完全無給・無休で7回のピボット
――:コネヒトってどういう会社だったんですか?
起業当初はクリエイターがつくったものをネットにあげて、ものづくりを世界に発信できる、オンラインギャラリーサービス「Creatty」を開発していました。

――:Creama(2010年開始の日本最大級のハンドメイドマーケットプレイス)っぽい感じですね。
はい、まさに「売ることができないCreama」ですね。インスタグラムのクリエイター版、と言ってました。当時はまだメルカリも、なんならApple pay自体も生まれる前だったので、正直ビジネスモデルを構築できずじまいでした。
――:なぜ孫泰蔵さんのMOVIDAでは合格できたのでしょうか?
正直、勢いとしか考えられなかったです笑。「Day1からグローバルに挑戦します!(ドヤァ!)」という感じでカマしてたら、孫泰蔵さんも「君たち、いいねえ」と気に入ってくれて。その500万円でまずは10組ほどが選ばれ、そこからデモを完成させて3か月後に見せて、となって。必死にプレゼンまでもっていきました。
我々は正直言ってドベの評価でした。全然ダメだったんです。でも実は最初の10組の中で、未だに会社が残っているのは当時評価が全然だった側だったりするので、人生ってわからないもんですよね。
――:しかし、500万円なんて数か月でもう溶けちゃうお金ですよね?
いや、それで2年間もたせました。2012~13年で、僕と島田は完全に無給でしたし、あとは友人に月5万円を払って手伝ってもらっていました。それで月20万円を切り崩しながら、本当に24か月それだけでギリギリまで500万円でやりくりしました。自分の生活費はそれまでの貯金を切り崩して生きてましたね笑。
――:500万で2年、それは壮絶にHardshipな時代ですね。オフィスはどうしてたんですか?
Voyageグループが提供するスタートアップ向けのシェアオフィスですし詰めで働いたり、KDDIのムゲンラボに合格し3か月無料でオフィスを貸してもらったりしていました。その2012年7月にムゲンラボの最終ピッチではなぜか優勝して、当時の社長にトロフィーまで頂いていたりします。
――:Creattyはどこまで続いたんですか?
ANRI(2012年設立)の佐俣アンリさんが泰蔵さんのMOVIDAを手伝っていた際にお会いしており、その後出資を決めてくれたんです。彼からアドバイスを受けて、確かになと思ったのは「安くていいからオフィス借りたほうがいい。自分たちの空間を作らないと、カルチャーができない」と。
確かにそれはそうだ、と不動産屋にいって「渋谷で最も安い家賃のオフィスを探してほしい」とお願いしました。それで出てきたのがセルリアンタワーの裏手、月8,000円のおんぼろオフィスでした。もうこの5-6人でいっぱいいっぱいで、女性もいるのに奥の扉を開けたらそこにトイレがある、みたいなかなり劣悪な環境のオフィスでした。

――:佐俣さんが「目のつけどころは悪くないが、この事業はうまく進まなかった…ユーザーがまるで増えなかった」と述懐してます。彼が投資を決めたのは「大湯が突如『健康をテーマにしたブログサイト』を始めると言ってきたときのことだった…僕が投資した理由は、大湯が『健康』を事業に選んだからではない。彼らがピボットを決意し、次の打席に立とうと行動したからだった」(佐俣アンリ『僕は君の「熱」に投資しよう』2020)といってます。
最初は僕も突っ張ってました。いや全然いけるでしょ!みたいな感じでピボットを拒んでいました。他にも4000万円出してくれるっていうVCが現れたんですが、最後は「ビジネスモデルが弱い」と断られてしまって。そこから6-7回ピボットしてます。
Creattyで粘り過ぎたこともあり、完全に自分を見失ってました。7chat(7秒で消えるSnapchatクローン)、LunchbleUpon(ランチ場所探し)、Horenso(日報ツール)、面白系キュレーションメディア、健康生活ラボ(ヘルスケアメディア)など、そこからは堰を切ったように色々なサービスを開発したものの、橋にも棒にもかからない事業を作っては壊していました。

――:まさに「自分たちが命がけで起業して、最初につくった事業、というある種の事業への“愛"が、スタートアップ本来の目的である事業の成長を拒んでいたのだ」という佐俣さんの言葉をかみしめますね。このとき、「戦略コンサルいっときゃよかった」みたいな気持ちはよぎらなかったんですか?
そういった思いをふりはらって仕事に没頭してました。慶應出て、それこそ金融やコンサル、商社にいった友人から誘いがあるんですよ、「今日パーティあるんだけど?」と。
でもその2年間は僕も島田も給与はゼロ。貯金を切り崩しながら、毎日290円の牛丼を小分けにして食べたりして生きていました。這いつくばって生きている僕らが就職した同期と話があうはずもないし、それ以上に当時の僕は「劣等感のカタマリ」でした。メンバーも次々にやめていく中で、僕と島田は「ここで諦めたら、負けだ」としがみついている。ここまで賭けてきて、「やっぱりもう一回就職活動します」はありえない選択肢でした。根が、負けず嫌いなんですよね。
――:当時、同じように起業していた仲間で突き抜けていった事例はあるんですか?
それこそMERYの中川綾太郎さん(1988~、2012年にANRIの出資もうけてペロリ創業、2014年に約35億円といわれる時価総額でDeNAに事業売却)とかですね。彼らのサービスもちょうど伸び始めていて、センスフルでクリエイティブな起業家の代表例になってました。彼らの背中みながら、なにくそと思って仕事をしていました。
――:そうして2013年にピボットの嵐を経て、2013年12月に2年間粘ったCreattyをサービス停止。そして2014年1月に始めたのがママ向け情報メディア「mamari(ママリ)」ですね。
■7度目の正直、突き当たったママリで“初めての成功"、KDDIグループ傘下で快進撃
――:それまでの6つのサービスとmamariでは初動から反応の違いがありましたか?
明確にちがいましたね、最初から。
――:でも当時ってこの領域はベネッセがジャイアントですよね?
おっしゃるとおりです。ベネッセさんのウィメンズパークというサービスが覇権をとっていました。しかし一方で彼らのKGI(最終目標値)は、たまひよとかこどもちゃれんじに入会させることだった、そのためには自宅にカタログを送る必要があるので、ユーザーの登録時に住所入力を強制していたんです。そこを一点突破してサービスを開発しました。「部屋番号までいれないと利用できないウェブサービス、これは結構な数が途中で離脱しているはずだ」と。
2014年というアプリ元年ともいえるタイミングで我々はとにかくニックネームだけで使えます、コメントかぶりも全く問題ないです、という「やさしいQAサイト」をつくっていったんです。SEOも激変期だったので、記事も増やしていくことでサイトのアクセスは破竹の勢いで伸びていきました。
――:いわゆるキュレーションメディアの勃興期ですよね。2014~15年で最初の2年がウソのような快進撃を飛ばします。
当時は最大で月間数億PVはあったと思います。ママリのアプリに関しても最終的には「毎年新しくお母さんになる人」の3人に1人が利用してくれてるようなサイズになりました。媒体力という観点ではP&Gさんや花王さんといった日本を代表するような企業から名指しで弊社に連絡がくるのは日常茶飯事でした。
そんな勢いも相まって、2015年3月にはB Dash Venturesさんを中心に1.5億円を調達して、2016年6月にはM&Aを通じてKDDIグループにジョインすることになりました。
――:2016年6月にKDDI傘下のSupershipホールディングスがコネヒトを買収します。16年の大型買収の一つです。これはそのまま成長させてIPOなどのコースもあったのでしょうか?
当時自分は26歳、IPOについての知識がなかったですし、多くのユーザーはいるが「広告なんて張らない」みたいな謎のポリシーがあって、利益としては結構赤字だったんです。今思えばちょっと工夫すれば黒字化できたし、違う将来もあったかもしれません。
しかし当時の私にとってKDDIさんと組むのはベストな選択肢だったと思います。結果的に今でもコネヒトとサービスであるママリは存続していますし、それはKDDIさんとの相性の無せる技なのかなと思って心から感謝しています。自分の生み出したサービスが10年間を経ても世の中に残っていることって、実は意外にないことなので。

■世界一周旅行・エンジェル投資から見出した「VTuber」という発見、2度目の起業とEXIT
――:KDDIを離れた後はどうしていたんですか?
2019年6月に完全に退職して、そこから1年間無職として世界中を旅していました。幸いコロナにはぶつからず、2020年2月にナイジェリアから帰ってきたら、パンデミックになっていた、という感じです。
――:当時の写真をみていると、いわゆる観光っぽいことはしていないような笑。
そうですね、「旅行」といいながら世界中の起業家に会ってたので、はたから見るとずっとビジネスビジネスしているように見えたかもしれませんね。相方だった島田は完全に世界一周旅行をしており、僕はたまに日本に帰っては主要な都市は島田と合流して一緒にまわる、みたいな感じで1年弱日本と海外を行ったり来たりしていました。


(島田氏がオレンジ、大湯氏が緑のアイコンでいった国を指し示している)
――:次の事業は何をしようと考えていたんですか?
やりたいことは全く決まってなくて、当時はSaaSからDeeptechまで一通りなんでも見ていました。自分はエンタメ好きなオタクではあったものの、1社目でエンタメ領域で失敗しているのもあり少し逡巡していました。
しかし中国に訪れた際、Bilibiliの大きなライブコンサートにて洛天依(LUO TIANYI:2012~中国語版初音ミク)と初音ミクが一緒に歌っているのを見て自分の中で何かが生まれるのを感じたんです。当時、となりの中国人がライブ中に「ミクサン、アイシテルー!」って叫んでて。後から「日本語しゃべれるの?」って聞いたら全くしゃべれなくて。その言葉だけ覚えて来たんだ、っていうんですよね笑。こういうのをみて、日中関係が悪くなっている時代でもオタクたちは共通言語で一体となって一つのものを推している。自分にとっては地元のマイルドヤンキーよりも、世界中の言葉も通じないオタクの方が仲良くなれるんじゃないの?みたいに思って。そういう体験が下敷きになって「次はエンタメで起業しようか」と決意しました。
――:この時代に色々なエンタメ企業にエンジェル投資をしていたことも大きかったのでしょうか?
コネヒト時代の売却益があったので、スタートアップの力になりたいとエンジェル投資を始めていました。実はANYCOLORもその一社でした。当時60~70社と色々なベンチャー出資させていただく機会を得ました。その中でもVTuberの領域には、趣味も相まってより注目していました。
――:それがソニーに事業売却することになる2度目の起業につながるのですね。
はい、英語圏VTuber事務所のPRISMを2021年1月に設立しました。まだ私自身そのときは英語が苦手なままだったんですよ。それでも英語圏から応募してきたタレントをなんとか面接・採用しました。結果的に社員も英語しか話せないスタッフばかりで、日常業務から面接まで全部英語。そういう環境に自分を追い込むことで、「最初からグローバルで勝負できる環境」にキャッチアップしようとしました。「Why do you want to be a VTuber?」と「Could you say that again?」みたいな定型句をとにかく頭に叩き込んで、なんとか乗り切りました。

――:まじで進学塾のノリで筋トレみたいな起業しますよね笑。結構はやばやとソニー・ミュージックエンタテイメントに事業売却しているのは(2022年5月)どういう背景でしょうか?
開始から6ケ月経ったときには黒字化していたんですけど、海外で時差やカルチャーの断絶がある中で1人1人のタレントを積み上げていかないといけないグローバル事務所ビジネスの限界を感じてました。
それに法人のセットアップの課題感もありました。当時は100%自己資本で挑戦するというテーマで全部創業者の資金で経営していたのですが、外部からのファイナンスもせずにやっていると「アグレッシブさ(積極性)に欠ける」面が多々ありました。これは自分でやって気づいたんですけど、他人のお金の要素がないものだから、思いの外、簡単にブレーキを踏んじゃう。節約すればそれだけ長く事業できるわけだし。でもそうやってやってくと「思ったより、エンジンかからんな」となるわけです。他人資本をレバレッジし、他人からの期待を集めてやらないと、経営に緊迫感が出なかったというのは確実に一つの側面でありました。
――:なるほど!それはなんか目からうろこです。
メルカリの山田進太郎さんも近しいことをおっしゃっていたような気がしますが、自分もよりレバレッジをかけた勝負をしたいなと思い、会社のストラクチャーを変えたいなと思っていました。
株式会社ってやはり発明だな、と。ミッションを掲げて法人を作り、そのために集めたお金で目的を目指して戦う。やはり自分の限界を超えるためにはこっちの方がいいな、と思い新しい会社で起業することにしました。
■「ゲームチェンジャー」Anotherballで3度目の起業、新時代の初音ミクを創る!?
――:それでいまの起業ですよね。AnotherBallというのはどういう意味があった名づけですか?
AnotherBallを2022年5月に設立しました。自分は世界で活躍する日本人が好きなんですが、その一人である村上春樹の『1973年のピンボール』を読んでいる際にこの名前が降りてきました。その小説では2つめのピンボールが放り込まれると盤面のゲームが全然違ってくる、みたいな描写が出てくるんですよ。それでまさにゲームチャレンジャーになれる"Another Ball"のような存在であろう、ということからつけた名前です。とにかく「世界規模で成功すること」が我々の目指す基準なのでそういう願いも込められています。
――:海外で起業したのは何故なんですか?
PRISM時代に痛感したのは、で世界で外貨を稼ぐぞというミッションを日本のエンティティだけで実現することの難しさでした。例えばPRISM Projectは中規模のタレント事務所だったので、大手ゲーム会社のゲーム配信は収益化ができませんでした。それ自体は仕方のないことなのですが、ゲーム会社によっては実は海外に法人があれば許諾元が変わるので同規模の事務所でも収益化が可能だったりするんですよね。それを知って日本の本社問い合わせをしてみたんですが、「御社は日本法人なのでそういう決まりです」と言われてしまい。担当者の方も「同じ日本人で世界に向けて戦ってる起業家は応援したいんだけど、決まりは決まりなので」という返答で。それもあり、だったら海外でも挑戦してみようと考え海外でも法人を設立した背景があります。

――:そのAnotherBallは、どんな事業から始まったんですか?
IZUMOという屋号で、はニューテクノロジーとバーチャルを掛け算を模索してキャラクター事業を運営していました。当時はブロックチェーンが盛り上がりを見せた時期だったということもあり、その技術を活用しクリエイターが収益をより得られるような仕組みを作りたいなと考えて挑戦しました。ある種、新時代で初音ミクのような現象を作り直したらどうなるだろうか、といった挑戦ですね。
――:結果的にはどうだったんですか?
掲げていたミッションはかなりクリアだったこともあり、それこそ初音ミクのイラストレーターでもあるKEIさんを始めとする日本を代表する数々のクリエイターにご参加頂くことができました。結果、IZUMO自体は英語圏中心にかなり話題にはなったものの、ビジネスという観点では難しさを残す結果となりました。
当時のブロックチェーン領域にはとにかく投機筋が多く、クリエイター文化との接続というのには現実的な壁が多くありました。それも踏まえてプロジェクトをアップデートせざるを得ないな、と決断しました。

■AniliveからAvvyへの進化。世界中のオタク心を捉えたのはクリエイターの手仕事
――:次に手掛けたのは何だったんですか?
実は以前のプロジェクトにおいても、次の一手はVTuber専用の配信アプリを計画していたんです。少し方向性は変わりましたが、それを真正面からつくろうとなり、2024年2月に生まれたのが「AniLive」でした。
――:そういえばAvvyの前に前身となる事業があったんですね!?いや、本当によくピボットしますね。
基本的に起業はタイミングとマーケット、なので。ミッションが揺るがない限りは、プロダクトを投入して手応えが弱かったらどんどんピボットした方がいいと思っています。
AniLive自体は、北米に特化したVTuber配信アプリとしては先駆け的な存在になりました。当時はアメリカを始めとした英語圏のみで展開しており、日本にはリリースしていなかったため、知っている人はあまりいないんじゃないかなと思います。
――:「AniLive」はどんな形で進んだんですか?
事務所を運営していたPRISM Projectのときとは異なり、プラットフォームの提供側であるという性質上、かなり立ち回りが異なりました。プラットフォームである以上、コンテンツクリエイターだけではなく、コンテンツを享受する側のユーザーも獲得してくる必要があります。その両方をどちらも過不足なく、そして高速で集めていく、それを海を超えたアメリカで行うー 当然文字で書く以上の難易度を誇る事業でした。
当初のストリーマーに関しては自社でアバターの制作も手掛けていたため、少人数のチームで月にVTuberのアバターを数十体以上制作していました。まさにチームは火の車。当時はコロナ後の流れからフルリモートだったこともあり、チームの連携もより一層難易度が高いものでした。そんな中でも提携事務所の協力もあり、北米圏で一定の売上が立ち、配信を始めて数ヶ月目の配信者が月に数百万円近く投げ銭されるなんてこともあったりしました。
しかしまだ英語圏ではVTuber黎明期だったこともあり、やはりどうしてもスタートアップとしてのスケール感に欠ける、という考えていた矢先、「VTuberアバターをプレゼントするのでAniLiveで配信しませんか」という企画を始めたんです。それに応募者が殺到するという思わぬ出来事がありました。その時のインサイトが、後のAvvyにつながります。

――:Avvyをローンチしたときは会社としてはどういう状況だったんですか?
調達した資金はまだまだ残っていたものの、1か月で1万人という目標を立て、達成できなかったらチームごと撤退、ということをはっきり宣言していました。AniLiveからピボットするときも米国チームで頑張ってもらっていたスタッフに辞めてもらう決断もしてますし、決して順風満帆な船出というわけではありませんでした。社内としては「これをはずしたら終わりだ!」という覚悟でローンチに臨んでいました。
――:ホロライブもにじさんじもVTuber事務所としては何度も米国市場で炎上しています。そのままのモデルでは米国市場はとれない、という実感があります。
私見ですが米国の市場においては「事務所」に対する考え方が全然違うんですよね。少し大げさかもしれませんが、海外において事務所というのは“余計なもの"でクリエイターからお金を搾取していく対象と見られることもある。だからこそ、会社が存在する意味・意義、みたいなのはかなり慎重にコミュニケーションしないとすぐに火傷をする、というのが私の認識です。だからこそ、私たちも会社としてユーザーにどんな便益が返せるか、というところをより意識してサービスを作る必要があると考えていました。
――:だからこそ「クオリティの高いアバター機能」に行き着くんですね。
AniLive時代には1人1人に手作りでアバターを作っていたんですが、これはもう限界だなと思いました。どんなに作業効率を高めてもイラストの制作からLive2Dモデリングまで、数ヶ月以上は要します。これをやっている限りは、世界中でVTberになりたい人々の要望にはいつまでたっても答えきれないな、と痛感しました。手作りのイラスト感は残したまま、どうにかこのニーズに応えられないか、この一件矛盾した願いを叶える試行錯誤がAvvyの突破口に繋がりました。
最終的には「手作りしたパーツのイラストを組み合わせ、2DのVTuberが自由に作れる」というアバターシステムを完成させました。組み合わせは初期版でも実に1000万通り以上。これを恐る恐るリリースした所、10日間で数十万人を超える人々が世界中から集まって熱狂してくれました。

■VTuberを日本の6番目の国策戦略領域に。世界で勝てる稀少な日本発産業で「VTuberカリフォルニアロール」を創る
――:なんか色々ランダムにピボットしているようで、実は結構一歩一歩踏み固めたものが次につながってますね。IZUMO→AniLive→Avvyの流れは、改めてストーリーとしては一貫しているなと。
そうですね。自分として、やりたいことは一貫しています。2021年に英語圏のVTuber事務所を作った時もですが、なんなら2018年にAnyColor(当時はいちから)さんに御縁あって支援させてもらったときから、今までがつながっているなと感じています。
――:しかし、成功するためにはこだわりも大事といわれる中で、どうしてこれだけ局面・局面でピボットできるのでしょうか?
思えば、始めて作ったクリエイター向けのアプリをやっていたときに固執しすぎて、大失敗しているからかもですね笑。あの時2年ではなく、なぜもっと早く意思決定できていなかったのか、いまでもたまに思うことがあります。そもそも起業家の成功自体が確率論の産物でもある、と思っているので、そういう意味でも仮説を外したらピボットするのが大事だというのは常々反芻しています。
――:これ、全部「学習塾」から繋がってる気もします笑。受験戦争、大事ですね。AnotherBallはこれから、この業界にどんな価値をもたらしていくのでしょうか?
現在Avvyは「VTuberの入り口」として、その役割を広げていく段階にあります。20年前に初音ミクがうまれたとき、日本中のクリエイターに火がついたように、Avvyがクリエイターの糧になる。どんどんVTuberが増えていき、「みんなが自己表現できる世界」を作っていく、それを米国含めた全世界に広げていきたいですね。
そういう意味ではすでに日本発で世界の共通語になったのは寿司(Sushi)ですよね。カリフォルニアロールのように米国産の寿司もできている。VTuberを寿司にできるかどうか、といった挑戦をしているのかもしれません。去年ホロライブさんがドジャースとコラボしている際に、VTuberのコスプレーヤーを崇めてアメリカのファンがそれを詣でているのをみて、これは次の寿司になりえるなと思ったんです。

――:すごい絵ですね。コスプレイヤーさんも土下座集団もどちらもアメリカ人、しかも@ドジャーズスタジアムなんですよね。まさに「VTuberカリフォルニアロール」な写真です。しかし大湯さんはなぜここまで「世界」にこだわれるのでしょうか?
世界一周をしていた際に、言語や文化の制約をこえて世界中と同じものでつながれた、という感覚がやっぱり感動的だったんですよね。短期的な利益をあげる方針なら国内向けに振り切ればいいんですけど、でも我々としてはあくまで「世界で勝つ」ことにも拘りたいです。目線は常に「世界で使われるもの、評価されるもの」を作る、というところに置いています。
――:日本は欧米はもとより、中国や韓国など他のアジア諸国と比べても「海外展開」が苦手な人種・国です。そうした国にあって、伝えたいことはありますか?
「このタイミングで世界で戦える」というのでいうと、いまはチャンスでしかないんです。米国でそれこそ年収3億円のエンジニアと話していても、彼らは人間として次元がちがうほど優秀というわけではない。いいマーケットでいいポジションを取ると、自然とそうした待遇になってくる。すでに日本はエンタメでは世界No.1の国だと思っています。そういう国から当たり前のように「世界で戦うんだ」という会社が出てくれば、違うものが見えてくると思います。
――:IPOも難しくなってきており、2010年代に始まったVCもいまはExit待ちで決して投資環境としてはよくない状態になってきている気がします。
一昨年のスタートアップ投資が1兆円(うちVCが3500億)くらいですよね。基本的にはVCは最低でも3倍にしないといけないというのが前提です。実はそうなると500億のファンドは3倍を達成するために、ユニコーン(1500億円企業)を10%保有した状態で12,13社生み出さないといけないわけです。これはどう考えても難しい。そうなるとやはり消去法的にも「外貨を稼げて高く評価される会社」を生み出さないといけない。当然困難ですが、これが残された解法なんだと思っています。だからこそそれに挑戦したいと思って仕事をしています。

――:そういう意味では今の「エンタメを国策に」という流れにも通じます。COVER・ANYCOLOR2強でVTuber業界も3番手・4番手も出てきてますが、業界としては「政治」や「日本のマス」からはいまだ認知が弱いとも感じます。
そうなんです。日本戦略5領域(アニメ、ゲーム、マンガ、映像、音楽)と言われますけど、ここに「VTuber」が入っていないのはとても大きな機会損失だと思っています。
VTuber業界はまだ歴史が浅いこともあり、政治の世界での知名度は圧倒的に低いのが現状です。独力で外貨を稼ぐ能力があるのは素晴らしいことである一方、国策という観点ではより一丸となって活動をしていくときなのかなとも感じています。
今年は事業という軸だけではなく、日本にとってVTuberが大きな可能性を秘めている、という観点からも色々な活動をしていきたいなと考えています。

会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場




