【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第73回 めざすはフラットなクリエイター一揆:クリエイティブ集団として世界に名を馳せるCEKAI

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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クリエイティブカンパニーCEKAIは2000年代半ばに誕生した“美大(ムサビ)出身者の起業"に端を発し、アート系起業としては開拓者的な位置づけにある。その成果は東京オリンピックからNIKEやBMWといった世界的ブランドの映像制作にまで及び、約20年で「日本人アーティスト」のプレゼンスを確立させた立役者でもある。今回そうしたアート企業がなぜ三井不動産と「動画撮影エンターテイメント」という事業を共同出資で行うのか、アーティスト×エンタメ×ビジネスがどう成り立つのかについて創業者である加藤氏にインタビューを行った。

 

   

■トップクリエイティブ集団が手掛ける東海エリアのスマホ動画撮影スタジオ「GINGAGA」

――:自己紹介からお願いします

CEKAI共同代表の加藤晃央(かとうあきおう)と申します。

――:今回は三重県の長島ジャズドリームで三井不動産との共同事業としてGINGAGA(ギンガガ)という、撮影エンタメ施設を立ち上げられたということで、インタビューに伺っています。CEKAIさんはいわゆる「企画料もらって受託で人寄せができる空間をつくる」という受託の立ち位置ではないんですね。

はい、我々が体験設計やコンテンツプランニングなど中の部分を作りながら、三井不動産さんには場所の提供やプロモーション・PRなどを担当頂き、大日本印刷(DNP)さんのXR技術も取り入れた3社共同の事業として、一緒にチケット収入などでビジネスとしてマネタイズしていく「空間ビジネス」として、2023年9月30日から長島ジャズドリームで展開することになりました。

 

▲“撮影エンターテイメント"という言葉どおり、記者・関係者の内覧会でも笑い声や驚きの歓声が絶えなかった。場所は長島ジャズドリーム、長島スパーランドに併設するアウトレットモールのメイン施設にて2023年9月30日~24年1月14日まで限定運営

 

――:アーティスト起業は「クリエイターエコノミー」の一つとして今加熱しています。チームラボから始まり、ライゾマティクスやChocolate、Startbahnや落合陽一さんのPixie Dustなど、中山が知っているだけでもいくつも企業があります。2013年設立のCEKAI さんもこの一つとみて良いのでしょうか?

はい、テクノロジーを軸とした第一世代としてチームラボさん(2001年)やライゾマティクスさん(2006年)がありますが、私も共同代表の井口皓太も2006~08年ごろの武蔵野美術大学(ムサビ)時代に学生起業をしてきたので、ここ15年くらいのクリエイティブ集団の起業で言えばその時期に入るのかなという感じです。Startbahnさん(2014年)やChocolateさん(2017年)、Pixie Dust Technologyさん(2017年)はもうちょっと後からの時代ではないでしょうか 。

――:CEKAIさんといえば、僕が一番印象的なのは新宿アルタ隣の、あの飛び出す3Dサイネージです。

そうですね、我々のNIKEさんとの歴代のお仕事の中でもこのワークスが一番世界中に広まり、SNSを通じてより多くの方に見ていただけたものになるかもしれません。

 

▲3D OOH for NIKE AirMax Day 2022. https://vimeo.com/690822479 

 

ニューヨークタイムズスクウェアに出たこの作品も注目を集めました。BMWさんとの作品です。

 

▲2022年にBMWがファッションブランドKITHと組んで出した「BMW i4 M50」のブランドでそのプロモーションの3Dサイネージ動画をCekaiが手掛けたhttps://vimeo.com/761213892

 

――:オリンピックの映像も驚きました。動くピクトグラムと、ドローンまで手がけられて、日本のブランディングにも大きく貢献されていました。

共同代表でクリエイターである井口皓太が、オリンピックで歴史上初めてピクトグラムを動かすという大役仕事を受けました。その制作後に開会式演出の体制が色々変わっていく間に、だんだんピクトグラムの位置づけが上がり、あれだけ大々的に演出に取り上げられるようになりました。そしてさらにドローンを使ったアニメーション 演出の依頼も受けることになりました。提供元のIntelさんや委員会の方々と限られたスケジュールでアイデアを出し合って、最終的にあの約2000基のドローンを使った演出が出来上がりました。

 

▲CEKAI井口皓太制作のオリンピック史上初の「東京2020 動くスポーツピクトグラム」

 

▲急遽決まったドローン演出、再現されたオリンピックロゴや地球儀に世界が圧倒された

 

――:受託案件以外も色々やられているんですか?

テレビ東京さんの「シナぷしゅ」という子供向け番組では、マネジメントを行う清水貴栄(アートディレクター、映像作家)が番組の立ち上げから参加し、ロゴやキャラクターなどのデザインから、レギュラー放送されるコーナーの演出や監修まで全体のアートディレクションを担当しています。そこから映画化の話があり清水が監督を、CEKAIは制作を行いました。他にもテレビ朝日さんの「博士ちゃん」という番組を体験できるリアルミュージアムを演出したりと、立ち上げから共創させていただく機会が増えてきました。

――:ホントに色々やられてますね。今回のGINGAGAはどのくらい時間をかけたプロジェクトだったんですか?

とても早いです。三井不動産の粟谷さんが初めましての形で訪問をしてきたのが2023年2月ですからね。「文化・クリエイティブ」の領域で事業共創を考えられているということで、ちょうどCEKAIとしても「場所」を活用した事業構想をいくつか考えている時期だったために両社の接点を探り始めました。そして、まずはなにかやってみましょうということで、場所も決まってない中GINGAGAのコンセプトを出したのが4月、そこから考えると実質的に半年で今回のオープンまで持ってきたことになります。

――:確かに裏側でも中山もちょっと拝見してましたが、「動画がとれる美術館あったら面白いよね」という発想から、実際の撮影モジュールの企画が出てくるまでの速度やそのアイデアの幅出しに、衝撃を受けておりました。CEKAIさんとして今回のGINGAGAにはどういう思いがあるのでしょうか?

Space Movie Studio(宇宙から来た)をコンセプトとして、スマホで楽しむ動画撮影スタジオです。様々な人が自前では取れないようなダイナミックな映像をとれる場所で、有料の4つの撮影ブースで撮影しつつ(大人:1500~1800円、小学生:500~650円)、限定グッズや無料の撮影ブースもありますので、入口だけでも楽しめる設計にしています。

「創ることで繋がる場をつくる」というコンセプトどおり、動画創りの楽しさのなかで皆が繋がりあえるような設計にしております。

――:わりと長島アウトレットモールの入口付近の一等地、かなり目立つ場所にありますし、プロモーションもちょっと力入れすぎなんじゃないかと驚きました。「松田家の日常」(日本トップ級のTikToker、登録者数620万人)まで参加しているのは、ビックリしましたけど。

いや、ホントですよね笑。東海で有名なインフルエンサーの方々も来ていただいてたようですし、ぜひ皆さんにどんどん撮影の面白さを経験してほしいです。これがうまくいったら東京や大阪など他の場所でもこのコンセプトを「輸出」していきたいですね。

 

 

▲個人では到底撮影できないアングルで「動画あそび」ができる。仲良い友人とくると大爆笑ウケあいである。

 

■武蔵美1年目で経験した挫折。演劇集団から金融VCへの華麗なる転身

――:加藤さんは武蔵野美術大学(ムサビ)出身ですよね。昔からアートの道に進もうと思っていたんですか?

全く想像もしてなかったです。長野県の出身で普通の高校に通っていましたし、高校3年まではサッカーをやっていたんですよ。ただもともと写真とか映画が好きだったので、高3で部活が終わってから急に、映像系で芸大や美大に進学できないかを検討し始めました。

――:もともと絵を書いていたり受賞された経験があったりとかではないんですね?手が異様に器用だったりとか。あとこの道を選ぶと、だいたい親のブロックというのが問題になりますが・・・

それも全くなかったです。デッサンなど技術的なことはその高3で予備校に行きはじめて初めて勉強したくらいです。流石に受験には間に合わなかったので浪人1年して、それでムサビに受かったんです。両親も公務員でしたが、特に進路については自由にしていいと言われましたね。

――:そうか、予備校に行くんですね。そのあたりは『ブルーピリオド』で予習してきました。まさに受験のために目と手の技術を訓練するやつですよね。

受験のために四六時中描いていれば、それなりに描けるようにはなってきます。美大もファイン系と呼ばれるデッサンとか絵・彫刻みたいなイメージが強いですが、実際はそういった伝統的な芸術専攻ってもともと少なくて3割程度です。残りの7割はデザイン系といわれるPC使ってグラフィックデザインをしたり映像をつくったりする、わりと実際的な勉強をする学生のほうが多いです。なので試験の内容もデッサンや絵画を描く学科ばかりではなく、色面構成や物語を書くなんてものもあります。

――:実際大学を出てから加藤さんの学科で「芸術の仕事」に就ける比率ってどのくらいなのでしょう?

私の学科は美大の中でもさらに少数の「芸術学科」という美大唯一の座学が多いカリキュラムで美術史や評論を学んでいました。進路としては学芸員・キュレーター・批評家・美術史家になるというのが一番王道ですが、ほとんどなれる人はいないです。 そもそも枠が少ないですし、ほとんどの人は教員や広告代理店とか一般企業に就職していきます。

私のように起業して事業会社を立ち上げるなんて亜流も亜流です。最近になって 初めて学科の卒業生として紹介されるようになってきましたが、当初は全然違う方向にいっちゃった卒業生の1人、みたいな位置づけでしたね。

――:美大に入って挫折経験があり「脱・美大」を掲げたとお聞きしています。やはり周りの優秀な学生との比較だったんですか?

はい、入学3ヵ月でもう悟りました、自分はアートやデザインでは生きていけないなと。僕の学科でも入学当初ってとにかく色んな実技課題をやるんですよ、彫刻から油絵からファッションから。そうした課題を半年くらいで5-6個もこなしていると、もう分かってしまうんですよね。この世界は日本全国からスゴイ才能が集まってきていて、もう特別な創造性をもった一部の優れた人間だけが独占していく世界なんだと。根本的なクリエイティビティにおける、どうしようもない差を感じました。

――:かなり早いタイミングでわかってしまうんですね。なんと残酷な世界なのでしょうか。

もうそうなったらあとは防衛本能ですよね、これから逃げずにどうやって生きていくんだろう、と。僕はプライドがないタイプでズル賢いところもあり、そこから何年も課題は、才能あるやつにアドバイスもらったり、ときには描いてもらったりとかしてクリアしていきました。1年目の夏にはサークルで5人集めてお笑いチームを作ったんです。タマビにはラーメンズ(1996年卒)がいたので、ムサビのラーメンズだ、と舞台に出て演劇をやったり、コントに出たり、色々やっていました。

――:加藤さんはどういう役割なんですか?

最初はパフォーマンス側もやっているんですが、自然と裏方になっていきましたね。脚本や映像制作やデザインはすべて任せて、自分はクリエイティブ以外のスケジュール管理から何から全部プロデュース側をやっていて。

でも演劇はだれしも通る道ですが、途中で苦しくなってくるんです。例えば僕らの場合、自分たちのギャラが出るにはお客さんが1000人必要でした。100~200人の箱を5日間埋めていってちょうど1000人来てくれるくらいになって初めて黒字になる。学内ではそれなりに有名になっていったんですが、それでも400~500人が限界。やればやるほど赤字になりましたし、このまま事務所に入るのか、下北沢で演劇の世界に入っていくのか、はたまた受賞を目指して自主映画でフィルムフェスティバルを目指すのか。こう思った時に自分としては「もっと裏方の勉強しないといけないな」と思い始めるんですよ。

――:なるほど、このままだとジリ貧となると思い、次のキャリアを考えるんですね。その演劇集団はどうなったんですか?

“ONE PIECEのシャボンディ諸島"みたいなものですよね。もともと美大は4年になると卒業制作もあってそれぞれが「個としての実力」を高めないといけなかった。だから1年後に会おう!といって、半分休止させながらそれぞれの仕事に集中しだすタイミングが大学3年のときでした。私の場合はとにかく「美大を脱出しないと!」「社会に出ないと!」と思い、それが外の世界=ベンチャーキャピタルだったんです。

マネジメント力を高めるには人・モノ・金だ。まずはそのお金を理解する必要がある。でも普通の銀行は当時インターンの募集なんてしてなかったんですよね。2005~06年でちょうど村上ファンドとホリエモンのフジテレビ抗争があったようなタイミングで、どうやらファンドとかベンチャーキャピタルというものであれば学生でも金融や起業のことが学べるらしいぞ、という単純な発想でした。それで当時のネットエイジキャピタルパートナーズ(勤務先は子会社のアップステアーズ)のインターンをさせてもらえることになりました。今はユナイテッドの金子陽三さんが社長をされていた会社です 。

――:西川潔さんのネットエイジですよね。2000年代黎明期にここに影響を受けて起業した人は多いです。その時期、よく美大からVCにいきましたね?ほかに美大生っていたんですか?

まったくいませんでした笑。東大・早稲田・慶応のオンパレードで、美大生は僕1人しかいなかったのでかなり珍しがられました。面接でも「なぜ君は美大からインキュベーションに興味があるの?」と質問されて、パニックになりながら言ったんです。「クリエイティブは人・モノ・金とそこにもう一つ『デザイン』が必要だと思います。自分の美大のデザインスキルが、インキュベーションには必要ではないでしょうか」。

――:おおーデザイン経営じゃないですか!時代を先取りしてましたね。IDEOとかデザイン思考ってすでに当時から流行ってたんですか?

完全に偶然です笑。デザイン経営という言葉は当時聞いたこともありませんでした。そして当初 イメージしていた投資や金融に関わるようなことはできず、やっぱりそこは美大生だったからでしょうか、「インキュベーションオフィスの受付」を担当させてもらうことになりました。六本木の交差点にあるでっかいオフィスで100席くらいあるところに2~3人の小さいベンチャー企業が何十社と入っていて、そこで配送物振り分けたり電話番やったりの毎日でした。

 

■インキュベーションオフィス受付から、美大ネットワークを活用し「モーフィング」を学生起業

――:なるほど笑。ちょっと想像していたVCの仕事とは違いましたね。

毎日大江戸線経由で1時間かけながら通っている仕事は何なんだろう・・・と初めは目的を見失いながらやっていたんですが、思ってもみなかったことで美大生と聞いて色んな依頼が来たんですよ。ちょっと会社の営業資料デザインしてよ、Webや映像つくってよ、ロゴ作って、本の挿絵もよろしく、みたいな。1つ1つは自分の得意ジャンルじゃなくても、美大生はいっぱい知ってますからね。自分が営業としてとりまとめて仕事が欲しい美大生にどんどん紹介をしていくうちに、あっという間にメーリスは100人を越えました。

周りの美大生は、コンビニとか居酒屋とかで普通にバイトしてたんですが、1~2万円みたいな小さな仕事でも、やっぱりクリエイティブを生かせる仕事、ポートフォリオになる実績作りは需要があります。やりたい人は一杯集まりました。

――:なんと!そうか、それが2006年に学生起業した「モーフィング」につながるんですね。

はい、だんだんムサビだけじゃ足りなくなって、予備校時代で他の美大にいった仲間も集めていってメーリスは1000人くらいになりました。Mixiで「美大生ネットワーク」でコミュニティもつくりましたし、とにかく仕事がくるとそれを振り分けてやりたい人に依頼していた。ベンチャーもお金がない会社が多く、直接美大生と仕事ができるというので、どんどん口コミで広がりました。

そのうちR25がちょうど流行っていた時代なので、美大生が編集から取材からデザインまですべてをつくる美大生向けのフリーマガジンPARTNERを作るんです。全国の美大に知り合いができていたので、最終的には3万部を印刷して日本全国80校くらいの美術デザイン系の大学や専門学校に設置配布していました。そして驚くことに、AppleやAdobeといったすごい企業からも広告や協賛が取れたんです。

――:もう一大ビジネスになってますね!加藤さん、当時からもうクリエイターじゃなくて、プロデューサー・経営管理型の才能がめちゃくちゃ発揮されてますね。

他にも各大学の芸術祭(文化祭)の上位概念としてTHE SIXという全国美大展覧会 も立ち上げました。各学祭で受賞した2~3組のトップ作品を全部集めて、30~40組で日本一を作る。ラフォーレとかヒルサイドテラスとかで毎年違う場所でイベントもやっていて。美ナビという美大の就職情報サイトなんかもやってましたね。

――:そういえば、『左利きのエレン』原作者かっぴーさんともお知り合いとお聞きしました。

そうなんです。かっぴーくんもムサビの後輩で当時一緒に仕事をやっていた仲間です。当時は(漫画は全く描いてなかったです!)グラフィックデザインを選考していたので、彼に「モーフィング」の記念すべき初めてのロゴをつくってもらいました。

――:2013年にCEKAIを一緒に立ち上げることになる井口さんはTYMOTE(ティモテ)を2008年に設立されています。こちらはどういう会社だったんですか?

こちらはいわゆる少数精鋭のクリエイティブブティックで、当時美大で目立っていた実力のあるクリエイター達を彼が集めて7人で始まったものです。優秀な人ほど有名企業に就職するという時代的なフレームがいまより強くある中、初めから独立してチームでやってみようという先進的な試みでした。こちらに私はクリエイター枠じゃなくマネージャー枠でだったんですが誘われ、モーフィングをやりながら、こちらにも所属してました。

 

――:TYMOTEはどういう仕事で名前をあげていったグループなんですか?

当初からグラフィック、映像、音楽、プログラミングなど、それぞれの得意分野を活かし、多岐にわたるクリエイティブをつくっているなかで転機となったのが、2009年伊勢丹新宿店の「彩り祭」というシーズナルの店内装飾を行ったアートディレクションです。ポートレート写真が示す通り、馬の覆面を被って顔を隠した謎の若手集団がもう大手企業のすごいクリエイティブを作っている、ということで名前が知られてきました。そしてISSEY MIYAKEさんのホリデープロモーション企画の「MESSAGE」で海外の広告賞を受賞。ビジュアル、映像、ウェブ、空間演出まで一括担当した大プロジェクトでした。

営業もいないのに、紹介だけでどんどん仕事がくるようになる。メンバーは常にキャパシティーオーバーしていました。

――:普通、クリエイターだけの起業は失敗すること多いですよね。加藤さんいたからよいですが、誰も会社運営やりたくない。お金のために受託仕事ばかりだとやる気がなくなる、創りたい方向性が違ってくるとそれもバラバラになる要因です。

TYMOTEは僕がいたから経営が上手くいっていたという訳では全くないです。むしろ初めは何も役に立てなかった。いいものをつくると、それをみた人からどんどん新しい仕事が来る。そんな理想を、地でやっていたのが彼らです。たしかに経営や財務は誰もやりたがってなかったですが。そこから実力もあり実績を積み重ねたメンバーが、個々にも志向性やつくりたいものがそれぞれ違ってくるのは当然の流れで、「固定チームとしての創造」と「プロジェクトごとのベストなチーム組成」について井口と考えるようになりました。

そしてクリエイターネットワーク型のマネジメントカンパニーであるモーフィングの思想と、TYMOTEのプロフェッショナルクリエイターとしての矜持やチームでの経験を活かし、もう一度これからの時代の有機的なクリエイティブ組織をつくろうと発心し井口とCEKAIを立ち上げました

――:なるほど、CEKAIは2013年に新しくできた会社ではなく、2つの思想を継承した組織なんですね。

はい、それで共同創業者として私と井口がCEKAIというアソシエーションと世界株式会社を始めることになります。井口がクリエイティブを牽引しを、それ以外を私が引き受けるという領域分担をしています。

 

――:ちなみにこういう「起業をする」というのはムサビや芸大ではどのくらいメジャーなことなのでしょうか?

デザイン事務所を作る、クリエイターとして「独立する」は昔からありますが、事業会社を立ち上げることやベンチャーやスタートアップを志向する「起業」は、私の時代だと聞いたことなかったですね。私の場合はVCインターンのお陰で起業のハードルがめちゃくちゃ下がったんですよ。いつも目の前にいる人たちが数人で会社を立ち上げたり売却したりという風景をみてきているので、モーフィングのときも何の抵抗もなく作れました。

それ以前は「就職からの独立」の時代なんですよ。企業系にいくとしても電通・博報堂や資生堂など広告代理店やメーカーが花形だった。いきなり会社を作る、という選択肢そのものが浮上してこない時代でした。井口も学生中にTYMOTEを立ち上げましたし、我々の事例をみて2011~12年ごろから起業したいんだけどなど学生や若い人から相談がくるようになってきたなという印象です。そのころになると、大企業 にいった同期たちもこちらの動きに反応し始める。サラリーマンも6-7年目に差し掛かると、実力や実績が付き優秀な人ほど引き手数多で転職や独立を考える。そんな時に 独立している我々と接点を持ちたがってくれました。

――:一線級の代理店クリエイターと、自分たちでやってきたTYMOTEやCEKAIのクリエイターだと、ぶっちゃけどのくらい「差」ができるものなのでしょうか?

わかりません。でも、実際に担当する領域や役割は自分たちのようなベンチャーの方が幅が広く、結果としてやはり場数や実践の経験値はあるのではないかなと思います。代理店だと大きい案件はできると思うんですが、手を動かすという制作自体は自分ではやらず全部外ということが多い気がします。だからどう外のクリエイターをうまくディレクションできるかという「クリエイティブディレクター」「アートディレクター」職であり、自分たちの手で作っているという感覚が僕らの方が強いのではないでしょうか。なのでそこを求めて大企業に属しながらCEKAIにも所属や関わる人はいます。

――:これはゲーム開発やアニメ製作会社、そしてテレビ局の局ディレクターにも通じる話ですね。大きい会社で皆を動かす“スゴイ仕事"はしたいんだけれど、それはだんだんクリエイティブから、ポリティカルな動きのほうにどんどん偏ってしまう。

でもそうした仕事で給与も高かったクリエイターが、我々のようなファームも選ぶようになってきた、もしくは独立したり自分でベンチャーを起業するようになってきた、というのは本当に時代の変化ですね。給与や報酬も僕らの周りのクリエイターは企業にいるとの遜色なく、むしろその何倍も得ている人も多いです。

――:なるほど。でもアートの世界でも、意外に2006年村上ファンド事件などの影響で他のビジネスと同じタイミングで起業ブームになってきた、という歴史は面白いです。

 

■NIKEとのビジネスで世界に羽ばたいたCEKAI、一躍世界のクリエイティブファームに

――:2013年に“第二創業"のようになったCEKAIさんにとって、ターニングポイントになった作品、プロジェクトはどちらになるんでしょうか?

NIKEさんとの一連のお仕事ですね。言わずと知れたグローバルなハイブランドで、クリエイティブにも明るい。業界では有名なWieden+Kennedy(1982年設立の米国広告クリエイティブファーム。“It's Mine"などコカ・コーラのCMがエミー賞も受賞し、2011年の50 Most innovative companiesにも選出)などとクリエイティブの歴史を作ってきた。ただ米国から全世界に発信していたグローバルカンパニーが2010年代に入って、マーケティングも個別にローカライズをしなければならない時代に入っていたんです。アジアはアジアで、日本は日本でその地にあったクリエイティブやムーブメントを作っていこう、と。

2020年東京オリンピックもありましたし、その時期に向けて日本のストリートカルチャーを新しく根付かせるところから一緒につくっていけるパートナーを探してました。その時にはもうCEKAIとして仕事をし始めていて、最初は2016年ごろに「NIKELAB MA5 TKO」というモーションロゴの仕事をさせてもらうのですが、そこからAIRMAXDAY のイベントを一緒に考えようとか、どんどん規模が大きくなってチャレンジさせていただきました。そして、CEKAIのクリエイターの名を冠した 靴まで販売されることになったんですよ、「ナイキ エア ズーム MACCIU By You」という購入者が素材・デザインをカスタマイズできるシューズが日本発で世界中に向けて販売されました。

――:逆輸入ですね!自分たちが創った靴のアイデアがNIKEグローバルの商品棚に並ぶなんて壮観です。これだけやってるとWieden+Kennedyじゃないですが、どんどん世界で名前が広がるのでは?

NIKEさんと作ったクリエイティブをみて、多くの問い合わせもいただきました。クライアントさんからもCEKAIの名前を公開してもらうこともあり、欧州や中東など想像もしてなかった国からも話がくるようになりました。
例えばあの新宿の3Dの看板動画って既存技術の応用なので拡張しやすかったんですよ。1面だったサイネージを側面まで広げて曲面で繋げて2面にするだけで急に没入空間になる。裸眼で空間的に見えるというので「体験型・XR・MR」というテクノロジートレンドにのっかり、あの映像技術自体がものすごく革新的というわけじゃないんですが、一昨年から世界中で3Dサイネージ広告が流行しています。

――:あれって作るのはかなり高いのでしょうか?

詳細は言えないのですが、結構な金額をいただいています。でもショックなこともあって、北米で色んな仕事をするようになると、その価格差に驚くんです。そもそも市場規模が違いますし、最近は円安の為替差もあるんでしょうけど、単純に同じクリエイティブでも日本の数倍の金額になります。

その上で、彼らは誉め言葉なのかもしれないけど、「最高だな、お前ら。この金額で このスピードとこのクオリティかよ!」と。それは褒められているはずなのに、すごく悔しいというか複雑な思いをしました。

――:数倍から10倍!いや、衝撃ですよね。日本のテレビ局には1千万しかもらえないのに、Netflixでは1億円の配信権がもらえるアニメと全く同じ構造ですよね。

動いているお金のケタが違いすぎます。CEKAIでは売り上げや利益が最優先になることはありませんが、制作の対価としてもちろん重要なことです。日本だけで作っているとどんどん小さく、節約型になってきてしまっていることも一部で感じています。 米国やグローバル市場でやりがいと共に、数億円の仕事一発で日本の数案件の利益をドカッと作れてしまう。

――:でも単純に創り手側の論理でいうと、じゃあ北米のクライアントのためだけに作ろうってなっちゃいますよね。

そうなんですよ。ただお金を出せるクライアントのためだけにどんどん作っていくようになりたいわけでもないので、そこはメンバーそれぞれがモチベーションを感じる新しいチャレンジやつくる意義を見出しながら慎重にやっています。

――:実際にCEKAIは海外拠点も展開されています。井口さんもいま米国在住ですもんね?

米国現地法人の設立とロサンゼルスの拠点は2017年に出してますね。もともと米国で活動するメンバーがいたこともあり、グローバルブランドの企業から引き合いがくるようになって直接現地でやりとりする必要があり拠点を出しました。井口については2021年の東京オリンピックが終わった時に突然彼がNYに行く!って言い出したんですよね。オリンピックの大仕事も終わったし、直感的に、ちょっとアメリカいってくる、と。本当に何の計画や打算もなく個人で決めてました。

――:よくVISAとれましたね?コロナの中でかなり難易度が高かったのでは・・・?

そこは彼のいままで培った人脈により相当すごい方々からの協力をいただいていて、 VISAは驚くほど順調にとれましたね笑。それで彼が米国に住み始めると、CEKAIのクリエイティブの中心も当然動く感じがあって、関わるクリエイターやプロデューサーも米国側に増えてきたり、クライアントも北米に増えてきたり。

――:いまVTuber企業もそうなんですが新興の会社が海外拠点つくるのってオオゴトなんですよ。数十名のクリエイティブファームのCEKAIがそんなにひょいひょいと海外に展開するのはどうやってるんですか?

戦略や計画は一切なく、完全に裸一貫「ものつくり」によって切り開いていく野武士スタイルです。みんな刀一本でいいものをつくっていることにより、それが名刺代わりになったり、ノンバーバルでも信頼につながる。つくったものを通してのコミュニケーションが生まれる。

そうやってNYやLAの一線でやっている日本人や他の国の人とも有機的につながっていく先に、自然と場所やチームができていきました。なので、仕事やつながりができて、あとから法人ができる感じですね。その流れは米国に限らず他でも始まっています。海外は商流や企業規模よりもいいものを作っていることに価値を感じてくれるので、野武士に対しても寛容です笑。

――:米国クリエイターの質はどうなのでしょうか?給与の高さもそうですが、採用からチームの維持まで日本の組織とはノウハウが違いすぎます。

なんといってもハリウッドがありますし、市場も大きいですし、もちろんクリエイターの質は高いですよね。日本よりも分業制が確立されている感じしていて、映画に代表される集団制作の土壌が他でも広がっていると思います。そして質に加え、スピード感がハンパないみたいです。提案する内容は初めから実現性が担保されたもので、そこに精緻な見積もりもセットで、それを短時間でだしていくような。そういう有能なクリエイターとも米国で一緒にマッチングしてやるというのをやっていこうとしていますが、まだまだチャレンジ度が高いです。今のところはクリエイティブ拠点は日本が中心ですがこれから広げていきたいです。

組織運営に関してはCEKAIは自律分散型であり、もともと日本においても独立した個人の集合体として組織を設計しているので、むしろ米国での雇用や契約にあり方に近いというか、そこまで難しいと感じたことはないですね。

――:「稼ぐファーム」≠「よい作品をつくるファーム」というのも課題だと思います。チームラボも1000人もの社員を雇用できるのってBtoBのシステム案件があるからですよね。猪子さんをリーダーとするイマーシブミュージアムが商品としての「顔」にはなってますが、会社の屋台骨を支えているのは「幹」として表にでない受託仕事だったり、フツーの会社の中をまわすシステムだったりしますよね。

他社のことはわかりませんが、売り上げでいうと一般的に有名な「クリエイティブカンパニー」でも年商数十億円前半みたいなサイズが限界と言われています。どんな組織にしたいかということがあった上での適正規模の話だと思うんですが、ほとんどのチームがそもそも巨大にしていく必要性を感じないというのが本質かなと思います。もともとは皆そこから始まり、売り上げや規模が必要な事業モデルや目的ができた場合に、その課題に向き合って質と効率性や再現性とのバランスを取り、徐々にフェーズに合わせて変換していくのかなと想像します。

僕らの場合はいいものをつくることが最優先であり、利益追求のためだけに受けなければいけない仕事は一切無いので、全部を顔にできるように作品作りをしています。そして最終的には、地球規模のものつくりをすること、それを宇宙からみんなで眺めることを思い描いているので、そのためには規模やフィールドの大きさ広さは重要と思っています。宇宙から眺めれるものが作品なのかインフラなのか無形の概念なのかはわかりませんが、それを実現できるだけのパワーを自分たちで持ちたいです。そのために必要であれば大企業やスタートアップとの資本業務提携や強いパートナーシップを持つことも選択してきています。

――:そこの規模の限界はどう突破してきたですか?CEKAIのような 会社で規模も追求できるのでしょうか?

理想的で疑われるかもしれませんが、ずっとよいものつくりをし続けていることで大きな対価を得て、それが積み上がった結果として毎年売り上げという意味での規模は拡大し続けています。一応年商は数十億円規模にはなってきています。グローバル の案件は規模が大きいので、今後そちらがより伸びていくかなと思います。

――:そんなサイズになってきているのですね!もしかすると日本のクリエイティブドリブンな会社ではもはや最大規模になっているかもしれませんね。

 

■日本課題はゼネコン構造と徒弟制度。CtoC(Creator to Customer)で「クリエイター一揆」を起こす

――:不思議なんですけど、こんなにジャンルが違うのに毎回革新的なアイデアが出せるのってなぜなんですか?動画だけじゃなくて、Movie Parkもつくればキャラクターや靴までつくる。

クリエイターはもともとそういうものなんですよ。皆創りたいものがあって、その形式は本来絵だろうと空間だろうと靴だろうと、一個に囚われていないはずなんです。

ただ、仕事としては業界の「ゼネコン構造」がそれを阻害しているかなと思います。

通常の映像やデザインの仕事って、何かを創りたいクライアントが頂点にいて、その下に代理店がいて、そのまた下でプロダクションがあって、最下層に手を動かすクリエイター達がいます。メディアバイイングは別として、戦略やプランニングを代理店がやって、プロダクションがディレクションや制作ライン管理をして、クリエイターやスモールチームが実際Web、映像、空間デザインを1個ずつやっていく。そういうヒエラルキー的な縦割り構造が純度の高いクリエイティブを生み出すことや、クリエイターのモチベーションを生むことを一部阻害してきたんだと思っています。

 

――:以前ショートドラマ制作のごっこクラブさんのインタビューでも同様の指摘がありました。映像制作会社もアニメ制作会社もゲームのディベロッパーもたぶん全く同じことを感じてます。ゼネコン構造と業界の縦割りによってクリエイティブが阻害されている。みなユーザーを見ずに、クライアントを見て創る構造になってしまいがちです。

ここは日本特有の問題もあるかもしれません。クライアントが直接はクリエイティブ業界とつながらず、代理店を通して広告、アニメ、ゲーム、Webと間接的に向き合ってきた。だからなのか、必要のないコミュニケーションも作業も生まれるし費用もその分増えていく。今海外でものづくりしていると、ここはもっと役割や担当領域が明確なんですよ。契約社会であり、必要な人しかいないというか合理的というか。そしてフラットでダイレクト。つまりそこに余白やゆるさもしっかりあるんです。

――:これはCEKAIさんの仕事の取り方にも工夫があるのではないかと思います。受託型だと作品がバズっても普通は「CEKAI」の名前は出てきませんよね?

自分たちの名前が出せない仕事は基本受けないです。意識している工夫はないですが、自分たちで売り込みをする必要はなく、口コミや紹介であちらから依頼を受けることが多いからかもしれません。

あと特徴として顕著なのは「9割以上の案件が直接取引だ」というところかもしれません。間に何社か入ってしまうだけで色んな意思が入ったり、政治が生まれてしまったりするので。そうした“ゼネコン構造"になっている案件は、基本は受けないです。だからクライアントからの完全受託ではなく、発注者が僕らと一緒になって考えているモノも多いです。

――:確かにGINGAGAもすごい熱量でした。会食の合間に夜21時過ぎてから三井不動産さんから「中山さん、ちょっと緊急でチケット価格設定について今から相談したいんですけど!」というのでZoom入ってみたら三井不動産側もCEKAI側も10人近くが入っていて。この時間にこの熱量なんなん!?とビックリした記憶があります。

そうなんですよ。普通でいうと三井不動産さん側は、発注社として中身はタッチしないでお任せしがちですもんね。一緒に汗かいて、一緒にアイデア出し合って やっている。そういう最初から対等にやっていく(これはCEKAI側の社員だろうと業務委託だろうと同じ)チーム作り・環境づくりの結果がクリエイティブに表れているかもしれません。

――:なぜこんなことが実現できるのでしょうか?そうはいっても大規模プロジェクトになると細かい調整とか本質的でない伝言ゲームのような状況も必ず発生しますよね?

CEKAIはメンバーでいうと100名くらいいるんです。このCEKAIを取り囲む理想のエコシステムというのがこちらの図です。葉っぱ1つ1つが事業です。事業ごとのリーダーのまわりに数人のマネジメントと外部から多くのクリエイターが寄ってきて、それぞれで葉っぱを大きくしていくこの水域にはモーフィングのときからつながりがあったピンのクリエイターも含め何百人、何千人とつながっているので、このCEKAI Associationの水膜に面白いプロジェクトがあれば寄ってくる人がいたり、また離れたり、近い生態系で皆がビジネスをしている。クリエイターに魅力的かつ必要な養分を生み出し、綺麗な水質を保つことで、いかに“囲わず"にエコシステムを保てるかどうか、というのが肝なので、クリエイティブカンパニーとして本当に日々試行錯誤という感じです。

その中で僕がやっているのは根っこの部分に当たる経営やバックオフィスで地中からの養分を送っている下支えの役割です。この規模で10数名のバックオフィス部隊はおそらくこういうブティック系の会社のなかでは多いですし、相当完成度が高いほうだと思います。膨大なフリーランスやクリエイターとの業務委託管理や発注請求管理は大企業がいれているようなイントラのシステムを数千万円かけて導入しています。

そういうバックアップ体制があって、初めてクリエイターがクリエイティブに集中できる環境がつくれます。事業という意味でも各自、各チームが自然発生的に自分から起こしていくことを促しサポートするので、経営としては普通とは逆の、下からガバナンス方式でやっています。

 

――:クリエイターのユートピアみたいな会社ですね!どうやってこの葉っぱというかプロジェクトのリーダーを決めるんですか?

「究極の自己責任主義」です。いいもの=熱量のあるもの、と定義していて、一番熱量のある言い出しっぺがメンバーを集めてディスカッションし、コンセプトが決まったらその本人が収支計算から運用まで最後まで責任を持ちます。ある程度集団の自浄作用が働くので、自分のエゴだけで作ろうとするプロジェクトリーダーだとすぐにプロジェクトは動かなくなるんです。水が濁らないためにそれぞれの葉っぱごとの 自治のクリエイティブネットワークシステムが働くし、横をみながら競争関係も共創関係も働いています。やっていることは、クリエイター一揆なんです。

――:クリエイター一揆!?パワーワードでましたね笑

縦割りや領域分断せずに、ものづくりのネットワークで、クリエイターたちが横でつながりながら「いいものをつくる」だけに集中できる環境です。ある意味宗教といってもいいのかもしれません。「いいものつくる教」といって、ものづくりのフリーメーソンみたいに、フィロソフィーだけでつながっている。水膜の生態系もそれを表してますが、「雇用者/業務委託/バックオフィス」じゃなくて、クライアントやパートナーも含めCreator to Customerでカスタマーだけを考えたものづくりに集中し、そのプロジェクトそのものの面白さに外のクリエイターが寄ってくる。そういう環境を創りたいんです。そこで自然発生的に生まれるプロジェクトやものつくりはクリエイター一揆であると思っています。

――:あとなんだかんだで本当にすごいのは、これを「続ける」難しさですよね。一発すごいモノを出す!は、集団を集めていればそれはそれなりに可能だと思うんです。でも我儘なリーダーにあたると、際限なく予算かかったり、運営費考えるとありえないものだったり、「死の行軍」みたいなプロジェクトになります。それぞれが「制約のなかでいいものを作る」&「毎回ジャンルの違う場所・モノでいいものを作る」を実現できている、というのはアイデア一発勝負だけでなく生産技術とか調達・ファシリテーションまで考えたバランスのとれたプロジェクトリーダーがそろっているということなのだと思います。それがCEKAIの強さなんだと思います。

そうですね。それぞれが独立しながらも領域や役割に責任を持って関わっている組織は強いと思います。自分ごと化できない場合や、やらされている場合に、継続性は保てないですからね。表に出る出ないに関わらず、みんな何かの悪魔の実を食べた能力者たちが集まっています。

あと、もしかすると売上最大化・利益最大化といった資本主義とは全く別の目的 で考えている部分もプラスに作用しているのかもしれません。クリエイターの価値を社会に対して最大限発揮するには何をすべきかとか、どんな事業や機能があると水は濁らず循環するかとか、環境作りや生態系を軸に考えます。たとえばCEKAI SUMMER CAMP というプロジェクトがあって、1週間ずつ数十人ずつ小学生たちを預かり第一線で活躍するクリエイターが3種類の講座で直接ものづくりを教えている教育プログラムです 。参加者からも親御さんからも非常に評判がよく、拡張や継続性を期待されています。

――:こういうのって、企業としては儲けが難しいプロジェクトなのでは?

はい、お察しの通りです。ただこういうプロジェクトって、クリエイターの熱力が高く やりたがってくれるんです。つくること以外でも価値を発揮することの意義はとても大きいと思っていますし、彼らが教えながら色んな実験をしたり、彼ら自身が勉強になっている。クリエイターがカスタマーに向き合うために何が必要かというR&Dを、動機づけのベースからやっている。そういうものが、個の力だけでなく、文化やチームを強めるようになっていて、お互いが常に「いいものをつくる教」に深度高く入り込むことができているのではないかと思います。

――:これが理想論にならず、実際に実績をもってグローバルな知名度を得て、しかも「アート」という不安定な領域で数十億規模の会社を作れている、ということは本当に素晴らしいです。他のクリエイティブに関わる多くの企業にとっても希望になるようなお話でした。ありがとうございました!

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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