年100万人が集うダウンロード型次世代テーマパークLittle Planet。リトプラ後藤貴史氏の海外展開 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第120回

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
/

昔からショッピングモールには「プレイグラウンド」という子供を遊ばせておくスペースがある。なぜかそこに大人が群がり、スマホを手にせず一緒になって砂場を掘り起こしている光景が私には衝撃的だった。ディスプレイがあり、プロジェクションマッピングがあり、まるでチームラボのアート施設を親子向けにぎゅっとコンセプトを詰めたように見えるリトプラ(Little Planet)である。設備コストがかかるこのビジネスを、まだ設立10年弱のベンチャーが運営している。しかも黒字だという。「ダウンロード型次世代テーマパーク」のコンセプトを打ち出した同社は、コロナ後に急激に店舗数を増やした。すでに国内24ヵ所だが驚くことに、ベトナムやインドネシアといった海外にも展開している。昔ながらのゲームセンター的ビジネスの海外化で躍進しているGENDAやラウンドワンと並び、旧式ビジネスを一気にモデルチェンジしたリトプラ創業者はなんとモバイルゲーム会社をEXITしたシリアルアントレプレナーの後藤氏に直接お話を伺った。

 

■年100万人が集うダウンロード型次世代テーマパーク、世界28ヶ所の屋内施設を運営するベンチャー

――:自己紹介からお願いします。

後藤貴史(ごとうたかふみ)と申します。2016年に株式会社リトプラ(Litpla, Inc.)を創業しまして、最初は株式会社プレースホルダという社名だったんですがテーマパークのブランドだった「リトルプラネット」がのちに、そのまま会社名になりました。

――:屋内型テーマパーク事業をベンチャーがやっているということに驚きまして、取材させていただきました。社員何人くらいでやっていらっしゃるんですか?

フルタイムは50名で、店舗などのナビゲーター(パークスタッフ)も含めると現在150名です。社員の職種でいうとソフトを開発するエンジニア14名と、運営をするスーパーバイザーが11名、デザイナー4名に店舗の設計施工管理をするアーキテクトが2名。他に、メンテナンスを行うテクニカルサポート、事業開発、プロデューサー、PRマーケティング、コーポレート部門と数名ずつといった具合です。

――:エンジニア・施工・運営管理…かなり特殊な専門家集団という感じですね!事業でいうと、どんなものがあるんでしょうか?

大きくはBtoC事業とBtoB事業に分かれていまして、前者が自社「リトルプラネット」や協業の「TOYLO PARK」(イトーヨーカドーが展開する次世代おもちゃ売り場)「Muchu Planet」(トーハンが展開するショップインショップ型キッズパーク)「タカラトミープラネット」(タカラトミー玩具にXR技術を融合したパーク)といったマルチブランドのLBE事業と、会員用アプリ「PLANET PORTAL」のようなAPP事業になります。そしてBtoB事業は、アトラクションのライセンス展開や、ファミリー空間開発のソリューション事業をしています。

――:「リトルプラネット」も行かせていただきました。砂場を掘るといろんな動物が出てきたり、いわゆる「プロジェクションマッピング」をつかったフィジカルな遊びで、親が一緒になって遊んでいるのが特徴的でしたね。

弊社がメインとしているパークは300~900㎡ほどの敷地で8~15種のデジタルアトラクションをおいて、1時間約1200〜1600円などチケット収入がメインのデジタルプレイグラウンドです。2~12歳くらいの幅のお子様が遊べるだけでなく、親世代も一緒になって楽しめるコンテンツを作っています。平均滞在時間が65分、男女比も半々で、会員様が40万世帯になります。昨年度の2025年3月期が年間80万人くらいで、今年度で130万人越えられそうな状況です。

 

 

――:年間100万人!昔からプレイグラウンドってずっとあるビジネスですけど、何が刺さっているのでしょうか?

昔からの屋内プレイグラウンドって「親子一緒で遊べるものが少ない」「年齢幅が狭い」「顧客単価が低くて単独では採算とれない」「遊具を各店舗単位で購入・導入する必要がある」「中身がアップデートできないので飽きられやすい」などなど、色々課題があったんですよね。それをテクノロジーを使ってソフトで遊びを替えられるので、同じ筐体でも中身が違っていたり、親子で一緒に遊べたりという内容になっています。

――:デジタルでコンテンツが変わるのがすごいですよね。ドラえもんとの取り組みもリトプラさんでしかできないような座組でした。

映画公開にあわせて体験型デジタルアトラクション「「『映画ドラえもん のび太の絵世界物語』アートファンタジー」も全国20ヵ所で今年3~5月でオープンしました。子どもたちが紙に描いた「絵」がドラえもんの世界に“アートキャラクター"として画面に現れます。塗った色によって「ひっさつわざ」が変化するので、大好評で遊ばれてました。

たしかにこういうのも含めてテクノロジーでコンテンツが作れる強みが生かされてますね。大きなテーマパークやプレイグラウンドですと「3か月だけのアトラクション作る」というのは投資効率が合わないのでないかと思います。

 

 

――:ホント社会にとってなんと意義あるサービスなんだ!と驚きました。色々受賞されてますね。

<リトプラ受賞歴>
日本子育て支援大賞2023
日本キャラクター大賞2022リテイル賞
セブン&アイHLDS千羊会総会2022
キッズデザイン賞2017、2018、2020、2023
デジタルえほんアワード2018、2020、2024
HolonIQ 2021, 2022 EAST ASIA EDTECH150

――:ららぽーとやイオンモールの一角でゲームセンターのように「リトプラ」の施設・サービスがありますよね。こういうのってどうやって発注されて、出来上がるものなのでしょうか?

ディベロッパーさんが新しいモールを作るときに何社かに声をかけ、提案をいただいたなかで決めていくことが多いです。そうした中で弊社が一定評価いただけているのは「比較的安価に作れる」ところと、なにより「更新され続けて、中身が新しくなる」という部分ですね。デジタルを使った競合、というのは少なくて、コロナで市場環境がガラリと変わってしまったというのもあるかと思います。

私自身がポケラボというゲーム会社(2012年にGREEに買収)をつくっていたゲーム屋なのもあり、社内はゲーム会社出身のソフト開発エンジニアが多いので、この「テクノロジー」部分がリアルな場所での「遊び」と組みあわさったことが会社の強みですね。

――:いや、50~100名でこんなに運営できるのかっていうくらいの規模で増えてますよね。日本全国にどんどん広がっています。

この3年で増えましたね。コロナ前は3年かけて6施設くらいだったんですが、2020年代に入って各所でニーズが増えまして現在は28ヵ所です。ダイバーシティ東京のものが認知率も高いのですが、今年に入ってからも「MOLTI郡山」「ゆめタウン久留米」「アリオ北砂」「ららぽーと安城」「ららぽーと立川立飛」と続々と増えてます。国内24ヵ所・海外4か所です。

――:海外でテーマパークやっている、というのがホントにビックリしました。それって本当にベンチャーの仕事なの!?という。

台湾2店舗とインドネシア、ベトナムの1店舗ずつですね。ベトナム「Little Planet Vincom Mega Mall Thao Dien」はGiGO VIETNAMさんとご一緒したもので、今年の4月に初出店したものです。海外はさすがに自分達でオペレーションまでは難しいので基本的にライセンス型で、パートナ企業さんに中身を提供して、設営から運営までを弊社でサポートさせていただきロイヤリティをいただいています。

――:そもそもテーマパークやプレイグラウンドってどんなに小さくても数千万円から数億円、しかも毎日人がはりつく運営モデルで普通「ベンチャーが入らないビジネス」に見えるんですが・・・

直営はすべての店舗が黒字なんですよ。基本的にソフトウェアなど中身が全部内製なので、調達する必要があるのはハード部分になります。中身だけ入れ替えれば、ハードも無駄にならずアップデートを繰り返せます。遊びのソフトを作れるクリエイティブに強みがありますので、こうした「ダウンロード型テーマパーク」としてお客様がリピートできるというのがビジネスモデルの根幹ですね。

 

▲全世界28拠点に広がるリトプラ施設

 

 

 

■公務員家庭からクリエイティブな映像制作志望。日大芸術からは異色のTech起業

――:後藤さんはどんな家庭だったんですか?もともと起業を早いうちから考えていたのでしょうか?

出身は静岡県富士市です。祖父母、父親、妹、皆公務員みたいな家庭です。まさか起業家になるなんて発想はなかったですね。ただ小学校のころから、映像系の仕事に就きたいと思っていて、日大の藝術学部にいったのもその想いが強かったからです。

――:そうか、日芸ですよね!

大学に入ってからアルバイトで映像現場の手伝いをしていました。映像制作の会社でWeb用のCM撮影したりするなかで、現場にいらっしゃった代理店の方と出会い、「これから自分の会社作ろうと思うんだけど、手伝ってみる?」と言われて、大学3年のときのインターンで働いたことが今につながりますね。

――:いつごろのお話ですか?

2005年ですね。本当にザ・ベンチャーという感じで、最初にオフィスにいってみるとレンタルオフィスで2人座ったらそれでいっぱいになるような狭く小さなスペース。そこに社員2人と、僕も含めた3人でアフィリエイト広告を売る仕事をしてました。「いまからこのエクセルの順に電話かけて営業して」と言われて、とにかく上から順に営業です笑。僕自身IT技術は詳しくなかったですし、そもそもPCで仕事をしたこともありませんでした。

――:就職は考えなかったんですか?

起業も面白そうだなとは思いながら、一応就職活動もしていたんですよ。当時のDeNAさんやCyberAgentさんも受けていました。他にはアライドアーキテクツさんとか。こうした進路先は日藝の同期の中ではだいぶ異色だったと思います。同じ学部の仲間はみな映画会社やテレビ局、映像制作会社を受ける人が多かったので、僕が企業名を言ってもあまりピンときていない感じでした。

たしか3社くらいから内定をいただいていたんですが、もう自分で立ち上げようと起業ルートにいきました。その直前の2007年にお会いしたのが本間真彦※さんです。

※本間真彦:慶應大学卒業後ジャフコの海外投資部門に入社。その後アクセンチュアを経て三菱商事グループのワークスキャピタルでMonotaROの創業投資・IPOを経験。2007年に独立してからネット事業の創業投資に特化したコアピープルパートナーズを設立し10倍のファンドリターンを実現。2010年にインキュベイトファンドを設立

――:おお~かなり早い時期ですね!そうか、彼の独立後初期の成果がポケラボさんでもあったんですね。

はい、お会いした時はまだ本間さんがワークスキャピタルにいて、その後ベンチャーキャピタリストとして独立していくタイミングで出資してくれたんです。投資の面談で本間さんから言われたのは「面白そうだから投資してもいいけど、一つだけ条件があります。エンジニアを連れてくること」

――:たしかに、プロダクトが作れないですもんね。

だからなんとかコード打てる人を見つけなきゃ、とMixiで掲示板を立ててエンジニアを探しました。100人くらいと連絡をして会って、その中でこの人なら一緒にやってもいいなと思えた2人のうちの1人が共同創業することになる佐々木俊介です。彼はNTTコムウェア出身ですでに定給もあったから、生活に困っていなかった。

まだ出会って3か月の段階でしたけど、「マンションで会社を登記して携帯のサービスはじめるから一緒に住もう。とりあえず退職してほしい」とお願いしました。まだ何をするのかは何も決めてなかったタイミングです笑。

――:まず同棲から始まる起業、エグくないですか!?すごいゼロイチですね笑。

彼は寮暮らしだったんですが、引き払ってきてくれました。僕もアルバイトも全部やめて家からの仕送りも無くなるし、その時に自分が家の契約すらできないことに気づくんですよ。そういうのも本間さんにお願いしてなんとか借りてもらって、僕は特にお金がなくて困っていたので家賃を払える割合に応じてスペースも決めました。僕が四畳窓なし、佐々木が六畳のスペース。名前は最初からポケットラボでポケラボ、としました。

 

■2007年ポケラボ:手取4万円・4畳窓無しの極貧起業、「サムライキングダム」で脱し、セガ出資にこぎつける

――:しかし2007年前後だと「ベンチャー」「起業」そのものに、ネガティブになっていった時代ではないですか?親も反対しますよね。

ありましたねえ。ライブドアショックの直後だったので、「投資家」とか「ベンチャーキャピタル」って怪しさ満点で。。。親も大丈夫なのその人?って感じで。すべてがアンダーグラウンドのようにみられていた時代でした。

実際に仕事をはじめた2007年からの2年間は大学時代の友人に会いたくなかったですね。新卒で大企業に入って給与もちゃんともらってパリっとスーツ着ている友達もいたりしたので。こちらは四畳の部屋に手取り4万円。最初の種銭の500万円で2年間なんとかもたせようという感じで起業していたので、本当に厳しい生活してましたし、みじめにも思いました。

――:2007年から2人で始めた学生ベンチャー。「生き残れるな」と思えるタイミングまではどのくらい時間かかったんですか?

1年半くらい経ってからですね。僕もコードを書きつつ、デザインもある程度できるようになっていたので、2個くらいサービスつくってたんですよ。「はてな」のようなブックマークサービスを作ったり、ウノウさんがフォト蔵を作っているのをみて写真をサーバーにアップできるサービスを出したり。でもマネタイズが難しくて、結局儲からなかった。

2008年末時点でもう資金的にあと半年も持たない感じでした。これが最後だから年始までに自分がやりたいことを持ち寄ろうと佐々木と話し合ったのを覚えています。それで出てきたのが2案で「ECサイト」と「ゲーム」だったんです。2人とも好きなモノ、ということでゲーム、しかも佐々木が好きな戦国時代ということで出来たのが「サムライキングダム」(2009年5月、勝手サイト向け)でした。知り合いのイラストレーターさんに絵をかいてもらって2人で2か月かけて完成させたものが、月200万円みたいな売上になりました。これで生き残れる、と初めて一息つけたタイミングです。

――:サムキンだしたときって何人の社員だったんですか?

2人のままです笑。アルバイトさんもいましたが、基本は2人で作って運用して、カスタマーサポートも交代で眠りながら深夜までやっていました。その後にエンジニアやインフラに強い方にも入ってもらってかなり安定はしていたんですが、最初は結構話題になったりしていました。「サムキンのカスタマーサポートが午前2時にも返信してくる笑」みたいな2ちゃんねるのスレッドがたったくらい。最初2000~3000人という単位のユーザーさんのご意見や不具合対応を2人で全部こなしていた。

でも売上もたってきたので2009年に採用をはじめたり、マンションからオフィスビルに移ったり、ちょっとずつ会社の形になるようになっていった。そうそう、いま取締役をやっている鈴木匠太(現リトプラ取締役COO)もそのときにポケラボに入ってくれたアルバイトです。米国ハワイの映像制作の仕事が決まっていたり、今の奥さんとも当時結婚の話があった中で、とても小さい会社だったポケラボに入社してくれました。

――:その後、ポケラボ社長の前田悠太さんが2009年に入社されてますよね。僕も『戦姫絶唱シンフォギア』『アサルトリリィ』で一緒に仕事をしました。

前田悠太さん(現GREE取締役、2011年よりポケラボ代表取締役)はJAFCOさんでソーシャルゲーム会社の投資など担当されていて、本間さんの後輩ということで紹介してもらいました。当時20人くらいの開発者だけのゲーム会社でしたが、そろそろ次の資金調達や上場も視野に考えるならコーポレート部門をなんとかしないといけない!ということでCFOで入ってもらいました。我々がファイナンスのことなど何もわかっていなかったゼロの段階から。

もうカルチャーショックでしたね。出社も遅い時間だしダらっとTシャツをきている我々に対して、前田さんだけはパリっとスーツを着てくるわけですよ笑。そのあともコーポレート部隊で2人、3人と増えていくんですけど、彼のデスクの島だけみんなスーツで笑。朝礼みたいなのもしっかりやるんですよね。

――:まさに「スーツ族」ですね笑。そうやって皆大人になっていくんですよね…。2010年『サムライ戦記』『三国英雄伝』『やきゅとも!』などゲームをどんどん増やす中で、セガが出資していたのが驚きました。

『サムライキングダム』と『やきゅとも』がトップ2でしたね。数字も上がってきて上場などを見据えて安定株主が必要ということで、セガさんに出資してもらいました。当時いろいろとご相談させていただいた武市さん(元スクウェア代表取締役)からの紹介もあり、偶然米国出張に来ていた時にお会いしたのがセガの臼井社長※ですね。

※臼井興胤(1958~)千葉県印旛郡の江戸幕府天領代官であった臼井家29代目。三和銀行を経て1993年セガ入社。99年退社後にナイキ統括本部長、日本マクドナルドCOOなどを経て2007年にセガ再入社、代表取締役社長COOとして2012年まで就任。その後もコメダ社長に就任し、2025年5月まで同社シニアアドバイザー。

――:マクドナルドやコメダ珈琲を展開されたプロ経営者ですよね。あの時代にシニアな経営者なのによく黎明期のソシャゲに出資されましたね!?

臼井さんは大きな企業のトップなのに、感度がめちゃくちゃ高かったです。ちょうど2010年ごろに本間さんたちインキュベイトファンドの創設メンバーの皆さんと米国に出張していたんですよ。モバゲー(DeNAのWebゲームプラットフォーム)のアプリストアでランキング2位にも入ったり、当時業界をけん引していたKLabさんやGumiさんともよく情報交換するようになってました。

DisneyがPlaydomを買ったくらいの時期(2010年7月「Social City」「Market Street」などを作り、MAU4200万人もいたソーシャルゲームの会社をDisneyが買収)で、ZyngaがFacebookと提携したり、Rock You社(2005~19:MySpaceの開発会社で「Zoo World」などリリース)なども視察でまわりながらソーシャルゲーム業界の今後をみてまわろうと各社まわっている中でお会いした臼井さんがすぐに出資を決めてくれました。その出張ではDCM VenturesのDavid Chaoさん(リクルート、Apple、McKinsey、日本通信などを経て1997年に創業。現ソフトバンク取締役)と伊佐山元さん(東大卒日本興業銀行からDCMパートナーを経て、2013年にWiL創業)ともお会いしてプレゼンさせていただきました。当時の写真がこちらです。

 

▲左から村田祐介氏(インキュベイトファンド)、本間真彦氏(インキュベイトファンド)、Inchoul Lee氏(ポケラボ最初のエンジニア)、佐々木俊輔氏(ポケラボ)、鈴木匠太氏(ポケラボ)、後藤貴史氏、和田圭祐氏(インキュベイトファンド)

 

――:すごい時代ですね。本当にこの2010年から5-6年が「モバイルゲーム群雄割拠時代」ですし、同時にVC・ベンチャー時代でもあります。歴戦の方々がみんな入ってますね。

 

■人生初めてのサラリーマン開発者は楽しかった。VRで出会った新事業のアイデア

――:ポケラボはアプリ転換には結構、苦労されてましたよね。

ガチャのシステムはもっていたんですが、カードゲームと合成の要素をいれるのにかなり遅れました。他社はきくとARPUも4倍くらいになっていて、これはやらないといけない!と。セガさんからの出資もあって、アプリストアが伸び始めており、このままモバゲーと一蓮托生でやっていくべきか、アプリでも展開していくべきか迷っていましたタイミングでした。

結果的には最初に開発したスマートフォンアプリ2タイトルがセールスランキングに入りヒットし、その後にセガさんと共同開発した『運命のクランバトル』(2012年10月)が会社のその後の根幹になりましたね。開発者としてはガチャや合成システムに頼らず自分たちでキャラクターをつくっていきたいという想いもあったんですが・・・

――:なぜ2011年時点で後藤さんは社長をおりてるんですか?

当時で200人くらいの会社になってました。半年で50人採用しても次々に競合が引き抜きにくるような時代で、会社も業界もものすごく変化が速かったです。僕1人で何ラインもみているけど、作るほうもやりたいということで色々手を出していた。経営者としてマネジメントに徹するのか、自分自身で作りたいものをプロマネするのか、本当は決めないといけないタイミングでした。そうやって中途半端に現場にも関わるから現場のみんなにも苦労をさせてしまっていたと思います。そうしたときに前田さんから「後藤さんは何をしたいんですか?」と言われて、26歳当時の僕は「ゲーム開発をしていたい」と答えたんです。それで僕も佐々木も鈴木も役員を降りて、資本政策など含めて会社のことは前田さんに任せよう、となったんです。

――:GREEが2012年に買収します。当時138億円というバリュエーションでソーシャルゲームバブルをけん引する事例でした。その後も後藤さんは会社に残られているんですよね。

2012年の買収時で自分の持ち株も全部EXITしていて、そのあとは雇用者として残りました(当時は自分自身の持ち株が多かったわけではなく、厳しいアーンアウトも設定されていたので、いきなりお金持ちになったみたいな感じじゃまったくないんです)。まわりはなんとなく気を遣ってましたね、「創業者なのになんで残ってるの?」みたいな笑。

でも実は本音でいうと・・・めっちゃくちゃ楽しかったんですよね。そのあとの2016年までの雇用者時代が。僕の人生でこの2012年から2016年までがはじめて上司がいて定期給与ももらえる状態のいわゆるサラリーマンで、「毎日生活も保障されて好きなモノつくれるって、なんてサイコーなんだ!」と毎日会社にいくのが楽しくて楽しくて。

――:根っからのプロダクト開発者なんですね笑。

その時に社長の責任って、すごく重いんだなとはっきりと理解したんです。社長業としてやらなければいけない重要なミッションを前田さんに背負ってもらって、GREEの盤石な資本もある。報告義務はもちろんあるんですけど、基本的には採算さえあわせれば良いものを作ることだけを考えていればいい。

――:ポケラボはGREEグループ入り後、結構苦しみましたよね。『戦姫絶唱シンフォギア』(2017年6月)が当たってなければもうポケラボはなくなっていたかも…と言われていました。よく粘りましたよね。

僕が退職したタイミングが、ポケラボも『シノアリス』のリリース直前でした。僕の開発ラインでもアルファ版までいっていたゲームタイトルがあったんですが、途中で開発中止になってしまい、その責任問題もあったし、次のことをしてもよいかなと思って退職したんです。

――:結局アプリでも成功は『クラバト』から続くギルド戦のシステムだった、というのがポケラボの遺伝子として残っていて、地続きなんだなあと思います。次のリトプラの事業アイデアというのは何から考えていたんですか?

VRです。当時ポケラボのオフィスは神谷町にあったんですが、ちょうど同じビルにFacebookさんが移転してきたんですよ。Oculusを買収した時期で、FB社との交流会で接点ができてくるうちに、未来のゲームはこれなんじゃないか!と目が開かれたような思いでした。

DK1の開発キットにはじめて触れて、今からみればずいぶんチープな画像だったはずなんですが、当時は博物館の奥から恐竜が現れる!という映像に衝撃を受けて。本当に恐竜がリアルにきたんじゃないかという怖さもあって、これでビジネスできるんじゃないかと思ったんですよ。

――:WFSではVR部門が出来てましたよね?『サラと毒蛇の王冠』(2015年9月)とか『シドニーとあやつり王の墓』(2015年11月)とか荒木さん主導で事業部も立ち上げらえていて。

そう、僕もやりたかったんですよ。ただWFSとポケラボは当時あまり交流なくて、いつか自分でこの事業立ち上げたいな、と。だから2016年にポケラボを退社した後に最初にやろうとしたのはVRで、それでロケーションXR系事業に発展していくんです。

 

 

■リトプラ創業。6店舗まで成長するも、コロナショックで半年倒産の危機

――:2016年、VRに影響を受けてMyDearestのようにそのまま突っ切ってゲームを作り続けた会社もいれば、カバー谷郷さんのようにVTuberのほうにピボットしていった人もいた。そうした中で、どうして「テーマパーク」という全然違う方向になったんですか?

子どもにはHMDが使えなかったんですよね。それで子ども向けでも没入感のある体験ってどうやったら作れるんだっけというところからプロジェクションマッピングをはじめました。風営法にひっかかっちゃうゲームセンター事業はやらず、あくまでゲーミフィケーション要素をもったプレイグラウンドとしての事業ですね。

――:VRは大人向けがメインでした。なぜそこで事業化も不利な子供向けにしたのでしょうか?

創業当初は鈴木匠太がポケラボからメルカリさんに転職して働いていたんです。また何か新しくやろうよと彼を口説いていたら、ちょうど3人目の子どもが生まれていたということもあって「もう一回やるなら、せっかくだから子ども向けの事業をやりたい」と彼も言っていてそこが合体したんですよね。儲かるもの、というよりも、自分たちがやりたいことをやろう、と。最初の命名は株式会社プレースホルダ、何もない空間で仮に物をおいておくという意味です。

――:全く経験のない新規事業を、どうやって立ち上げるものなのですか?

とりあえず退職してから半年くらいは充電期間を設けて、そこで日本中のプレイグラウンドをまわりました。そこで見えてくるものがあるんです。どこのプレイグラウンドも基本的には自社で製造せずに遊具は仕入れ。それを店舗単位で買い取って減価償却しながら、ほとんどメンテナンスもすることなく入場料で稼いでいく。でも遊具も出来合いのものが多くて、なにより気になったのは大人が一緒に遊べてないんですよね。子どもをそこで遊ばせて大人はスマホをしている。これじゃダメだ、と。大人が子どもと一緒に夢中になって遊べるようなものを作りたい、と思ったんです。

そもそもプレイグラウンドってチケット代が安くて儲からない。どのモールからも集客装置くらいにしかみられていなかったんです。プレイグラウンド単体で事業として成立し、しかも内容もアップデートしながら皆が遊べるものを創ろう、ということで、最初の0号店としてららぽーと立川立飛という場所で試験事業を始めました。

 

▲Little Planet初号店の様子

 

――:施設運営など違うノウハウの仲間はどう集めていったんですか?

ららぽーと立川立飛の試験運用していたときに、当時バンダイナムコのVR事業部門にいた正垣健太さんと接点が出来て入社してくれたり、開発自体はできてもパークの運営できないといけないなと探していたらキッザニア住谷栄之資さん直下で活躍していた佐瀬昌弘さんがちょうど起業相談をしに来てくれたタイミングで。そのまま口説いて(笑)、彼がオペレーションチームに入ってきてくれたり。そうやってゲーム作りのときとは違うスキルの方々にちょっとずつ仲間に入ってもらってチームづくりしていきました。

2019年で6店舗まで増加しました。このままやっていけば再現性もって地域に展開して、そのまま広げていけるという手ごたえもありました。ただ…そこで出てきたのが2020年2月の“黒船"です。

――:コロナですよね。ロケーション系は「全滅」みたいな状況でしたよね。

このままだと2020年秋には倒産している、という試算でした。未曽有の事態で、ディベロッパー側も条件をどうしていいかはっきりしてなかった。ショッピングモール自体が休業しているため、開店できない。一方で、家賃はそのまま請求されてしまうという状態でした。さすがにこれは本当にヤバい!となって、とにかくブリッジファイナンスで急場をしのがないといけない。M&Aで事業を売るという話もありましたが、当時のあの状態でしたので売却は現実的ではない。アルバイトさんにも別の会社さんに転籍してもらったりと、本当に四苦八苦した地獄のようなタイミングでした。

そうしたらこのままじゃテナントが潰れる!ということで、ディベロッパーがテナントの救済策をはじめてくれました。全国的に家賃を減免したことで、これで弊社も息を吹き返しました。あとは「リトプラ」直営店×BtoCだけやってきた方針を変えて、他社さんとのブランドをつくっていったり、BtoBでエンタープライズ向けの空間設計サービスを開発したりと事業の幅を広げて足元の安定した資金を確保するようにしていきました。

――:それで冒頭のように6店舗→28店舗とどんどん急拡大の5年間になってきたのですね。

ありがたいことですが大きな案件も増えてきています。三菱地所さんとCLT PARK HARUMIに“公園"となるような屋内型のスペースを作ったり<>、東急不動産さんのハラカドにコンテンツ提供をさせていただいたり。

――:結構いろんなソフトを新たに開発されているんですね。

人気のトップ3みたいなものは固定してます。いままで開発したのは60種類ぐらいのデジタル×リアルの体験型アトラクションですね。アトラクションの開発、運営の改善、施設の設計設営を自社開発でやったり、他社さんとの協業でやらせていただいています。

 

■目指せディズニー。ディベロッパー連携、資本政策、YouTubeチャンネル連携で全世界60拠点に向けた事業急拡大

――:人材ってゲーム作りとはどのくらい違うものなのでしょうか?

意外に開発している中身はかなり近いです。UnityやUnreal Engineを触っていた開発者なら、そのままパークのソフトは開発できます。さすがにデザイナーだったり施工管理だったり施設運営はそれぞれ違うスキルセットになりますけど。

――:ゲームもプロデューサー/ディレクター、エンジニア/デザイナーなど視点の違いでコンフリクトありますよね。パーク事業だともっと難しいのでは?

経営課題としては設計・建築、運営、クリエイティブそれぞれにありますね。職種ごとに安全性を重視したり、新規性を重視したりとポイントが違うので、そのバランスによるすり合わせはたしかに複雑ですね。

――:ソフトとハードのハイブリッドでリトプラさんはかなり独自のポジションを築いています。競合はいるのでしょうか?

ここ!というピンポイントな競合他社さんというのはいないのですが、もっと競合が増えたほうがいいとも思っています。ただ、、そんなに簡単に利益を出せるビジネスではないですし、良い体験を提供したいという熱量の方が大事と思っています。そんな中でもこの産業自体がもっと大きくなっていくことが望ましいんです。コロナを超えてせっかく今トレンドができてきたのでこの円をどれだけ大きくできるか、ということのほうが大事だと思ってます。

――:そういえば他社さんですけど、昨年末僕もChinemaLeapの大橋哲也さんに誘われて「Horizon of Khufu」いってきたんですよ。あれも凄かったです。

おお!大橋さんのところですね。面白い会社ですよね。みなさん映画関係出身メンバーでできた会社で、そのネットワークを駆使してフランスの会社と体験エンタメを作ったんですよ。あのアソビルさんに入る交渉も実は一緒にやったんです。「うんこミュージアム」が終わっちゃったのでアソビルさんにむけてプレゼンをしにいって入ることになりました。

 

 

――:え、競合なのにお手伝いしてるんですか!?うんこもアカツキさんとカヤックさんであんなに事業としては成功していたのに、やっぱりコロナのときにアカツキさんが撤退されてますよね。

コロナでプレーヤーは本当にガラリと変わりましたね。うんこミュージアムもアカツキさんの中でやっていたチームが独立して、いまも続けています。

リトプラとしてというよりは私個人として、XR系の会社さんに投資をしたり手伝ったりしてますね。リトプラに100%コミットしているので、休日のボランティア活動です(笑)。まだ事業者が少ない業界なのでだいたい知り合いでお互いで助け合いながら、全体としてロケーションベースを盛り上げたいです。

――:確かに「ロケーションベースエンターテイメント」「ライブエンターテイメント」は今急成長ですよね。これって何が変化したんでしょうか?

建築施工や運営の専門家がスタートアップの世界に入ってくるようになったのも大きい要因だと思います。これまでスタートアップというとIT・ソフトウェアが多かったと思いますが、徐々にハードや環境をつくる人たちも入るようになってきた。

――:なるほど!それは面白い変化ですね。海外展開のポテンシャルはどうなのでしょうか?こういった日本の体験型は海外でも通用するのでしょうか。

今は国内24・海外4ですけど、正直海外のほうが引き合いが強いくらいなんですよ。アメリカや中国、サウジアラビアやUAEなどの引き合いもあるので3年で国内40-50・海外10-15くらいを割合で、2025~27年の3か年に60ヵ所にしていこうというのが弊社の目標ですね。

――:ラウンドワン社が北米で2010年に1店舗だしてから、15年かけて60店舗出していますが、ほぼ同じようなペースですね!?海外店舗も黒字化目指せるものなのでしょうか?

まだライセンス型のみなので自分たちでできることに限界はあります。GENDAさんとご一緒している台湾・ベトナムは非常に好調ですが、インドネシアは集客面で苦戦していたりもします。マレーシアはイオンファンタジーさんと一緒に展開しています。現状は日系の企業さんが多いのですが、中国では現地ディベロッパーさんと一緒に開発しています。そうした海外企業とのすり合わせのノウハウも積み上げていきたいところです。

――:資金調達も進めましたよね。ずいぶんと共感してくれる会社がふえてきていますね。

2018年にTBSさんや本間さんのインキュベイトファンド、みずほキャピタルさんにいれてもらったところから、コロナ前の2019年シリーズBでKDDIさん、OLMベンチャーズさんから調達させていただきました。直近で発表した(2025年6月)シリーズCは資金というよりも事業会社さんに入ってもらったという意味が大きなラウンドでした。GENDA GIGO Entertainmentさんやタカラトミーさんとの資本業務提携、小学館さん、トーハンさん、広島ベンチャーキャピタルさん、イオンモールのLife Design Fundさんから(関連)、エクステンション(2025年8月)でソニーイノベーションファンドさんから調達させていただきました()。

――:盤石ですね。逆にデジタル系では何か展開は感がられていますか?

YouTubeでのメディア事業も展開します。ちょうどリリースされたところですが、チャンネル登録数180万人の子ども向けYouTubeチャンネルの「サンサンキッズTV」さんに資本を入れて、持ち分法適用会社になりました。こちらでデジタルの視聴面も確保して、リアルなパーク事業とのシナジーもねらっていきます。

――:おお~、本当に好調ですね。SNS・メディアがあり、集客しながらリアルロケーションで複数ブランドの子供向けエンタテイメント。「ダウンロード型テーマパーク」で海外も十分に視野が入っている。将来的には後藤さんとしてはリトプラをどうしていきたいというのはありますか?

よく言われる目標ではありますが・・・やはりディズニーを目指したいんです。あれだけ大きなテーマパークを世界中に広げて、そのうえで映像やライセンス、メディア事業を展開している。

いまのZ世代では増えてきましたが、僕の同世代だと日本発のエンタメ×グローバルで全世界を目指しているという起業家はレアなのかもしれないと思っていまして。ぜひ実現していきたいですね。

 

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
企業データを見る