女子プロバスケ選手兼起業家:馬瓜エブリンによるアスリートのパラレルキャリアモデル 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第122回
1995年生まれのZ世代。女子プロバスケットボール選手としてトヨタなどに所属。2021年には東京オリンピックで準優勝選手である馬瓜エブリンは、その直後に1年間の休業を発表し、所属していたトヨタも退団。その期間に自ら起業家として資金調達し、スポーツ選手のToCビジネスを開拓すべく会社を立ち上げ、2023年にアイシンに所属するプロバスケ選手として復帰しながらも、現在も事業経営を継続する「アスリート兼起業家」である。なぜ起業をしたのか、アスリートの苛烈なスケジュールのなかで、起業というさらにいばらの道を、どうやって両立させているのか。インタビューを行った。
■異例の高身長ガーナ家庭で生まれ育ち、バスケでは小中まで無名選手。「ポテンシャル」しかなかった幼少期
――:自己紹介からお願いします
馬瓜(まうり)エブリンです。1995年生まれ、女子プロバスケットボールの選手兼起業家です。Back Dooor株式会社というアスリート動画コンテンツ事業を経営しています。
100%の純粋ガーナ人で、父親がエンジニアの仕事を得るために静岡の大学に留学したことをきっかけに一緒についてきた同じくガーナ人の母のもとで日本で生まれ育ちました。
――:純粋なアフリカ人なのに、あまりに流ちょうな日本語でビビります笑
生まれ育ちが日本ですからね。ガーナは2歳のときに1度、あとは高校卒業してからと大学1年の夏休みに初めて1人で行ったくらいで、住んだことはありません。両親は英語で私に話しかけて、私が日本語で返す。ステファニー(妹)とは日本語会話なので、逆にガーナ語は全くしゃべれないんです笑。
でも両親は日本語ゼロの状態で留学したところから生活をスタートさせているので、すごく苦労したと思います。
――:外国人であることの難しさは感じてましたか?「アフリカ人であること」は日本社会ではあまりに珍しすぎる存在です。
途中で愛知県の豊橋に引っ越したんですが、そこは幸い海外から人がたくさん働きにきていたので30人くらいのクラスがあると数人は外国人がいるような環境でした。と言ってもアフリカ系というのはとても珍しくて、小学校低学年のころにはちょっと差別ひどかった経験もありました。子供って素直に思ったことを口に出すので。
でも…なんか個人的には「お蔭様で、ずいぶん目立ったなあ」というのが感想なんですよ。黒人×バスケ選手、という2つの特徴を手に入れたことで、そのあとはずっといいことばかり。ガーナ人でバスケやってて、マジでラッキーだったなと思います。
――:アフリカ人って日本に2万人くらいしかいないんですが、実はナイジェリア4千人、ガーナ3千人、エジプト2千人とこの3か国がトップ3なんですよね。小国のガーナ出身者が日本に多いのってなぜなんですか?
ガーナには野口英世記念館があるんですよ。それもあって父は日本を選んだのでしょうし、親日国なんですよ。いまでこそアフリカは中国企業がどんどん進出してアジアといえば中国みたいになっていますが、30年前のことなので当時は日本くらいしか選択肢がなかったころだと思います。
――:遺伝があったと思いますが、身体的に恵まれたということも幸運でしたね。
ガーナ人は身長は高くはないので、逆に私の両親が例外なんです。父親が193cm、母親が176cmなので、ガーナにいっても2人はすごく目立つんですね。それで180cmの私と妹がプロバスケ選手になったという形です(女子のプロバスケ選手の中では決して高い身長ではないのですが)
ガーナ人はみんなサッカー選手を目指すので、バスケが有名なところってわけでもないですね。
――:バスケはいつ始めたんですか?
結構遅くて小学校4年生、かな。それまでは水泳とかピアノとか。NBAも家でちらちら見ていて興味ないわけではなかったですが、実際に身長は小学校入るころには周りと比べても抜きん出いていたので、たぶん将来バスケやるんだろうなとは思っていましたね。
――:影響したのは『スラムダンク』ですか?
1995年生まれなので実はスラムダンクは大人になってから読んだだけで、むしろ世代的には『あひるの空』(週刊少年マガジン連載、2004~)の影響を受けてますね。あと『黒子のバスケ』(週刊少年ジャンプ連載、2009~14)とか。
――:しかし、意外ですね。プロバスケ選手、日本代表になるような選手って親がもう英才教育していて幼少からずっとやっているものかと思いました。
親はバスケやったことないんですよ。私自身、小学校も中学校も大した成績を残しているわけじゃないんです。ホントに地区予選大会1回戦負けしちゃったりするくらいの。冬になると部活も長時間できないから1日30分だけ練習する、とかそんなもんです。
「楽しくやるバスケ」だけをしていて、勝ちに行くよりも礼儀作法を覚えるためにスポーツやっていたところはあって。
――:逆に何が特別な存在になる分岐点だったんですか?
小学校5年のときに桜花高校の井上眞一先生※に声をかけられたんですよね。「高校になったらウチにこないか?」って。その高校のことも知らなかったくらいなんですが、有名な人に声かけられたくらいだしと意識するようになりましたね。
※井上眞一(1946-2024)名古屋市立守山中学校女子バスケットボール部で1980年より全中8連覇のうち6連覇まで導いた。1986年、当時既に全国大会で上位に進出していた名古屋短期大学付属高校(現:桜花学園高校)の監督にプロコーチとして就任。1年目でインターハイ初優勝となり、以来インターハイ25回、ウインターカップ24回、国体22回の計71回の優勝を決めている。また、1988年から2001年までは、全日本ジュニア(現U-18)のヘッドコーチ。2023年、日本バスケットボール殿堂に表彰。
――:井上先生は何がスカウトのポイントだったのでしょう?エブリンさん、当時は地区大会1回戦負けですよね!?
「ポテンシャルがあると思った」としか言われてないですね。中学校でも全国優勝なんかしてないですし。逆に私が中学校まであまりに普通に生活していて時間を無駄にしたと思ったのか、妹のステファニー※は若水中学っていう全国優勝するような強豪校にいきました。反面教師になっちゃうくらい、中学校まで私のバスケはパッとしなかった笑。
あ、でも一応中学2年のときにU-16というカテゴリーが新たにできて、そこで14歳で最年少で代表入りはしましたね。身長が高い、という理由だけで。このとき準優勝はしたんですが、私はベンチ要員で試合には出ていません笑。
※馬瓜ステファニー(1998-):エブリン氏の妹。桜花学園高校では3年時に主将を任され2年ぶりの高校三冠。2017年にトヨタ自動車アンテロープスに加入。姉・エブリンもアイシンAWから移籍してチームメイトになった。2018年、女子日本代表候補に選出され、ジャカルタで開催されたアジア競技大会に出場し、銅メダルを獲得。2023年、トヨタを退団。スペインリーグのエストゥディアンデスに移籍
――:ガーナ人で高身長のエブリンさんがベンチにいるだけで「秘密兵器」感ありますね笑
圧倒的、秘密兵器感…笑。最後まで試合に出なかったので確かに本当に秘密兵器でしたね。日本代表選手になるのには日本人である必要があったので、この14歳のときに帰化して日本人になりました。
――:日本国籍、帰化というのは10年以上住んだエブリンさんにはどのくらいハードルがあるのでしょうか?
ハードル高かったですよ!個人での取得が認められていないので一家全員での日本帰化なんです。両親が日本語の読み書きできないといけないんですよ、それが本当に厳しくて。しゃべれはしますけど、読み書きは本当にハードルがあって、たぶん協会のバックアップなどなかったら難しかったと思います。

■「勝つバスケ」半分がプロになるエリート学校を生み出す愛知のトヨタ・ヒエラルキーシステム
――:桜花ってハンドボール部でもすごい有名なところですよね。厳しい高校だときいておりましたが・・・
確かに中学までの「楽しむバスケ」から、高校で一転して「勝つバスケ」に方向転換したことは大きい変化でした。小中時代はずっと1番の高身長でしたが、桜花ではもっと高い先輩がいて「お前らは小さいし、下手くそだし」と言われるようにもなって。練習も確かに厳しくはあって、何度か学校を脱走して連れ戻されています。
でもそんな事件になるようなことはなかったですし、先輩も優しくて、私としては桜花のバスケ部にそこまで嫌な思い出がないんですよね。全国から寮生活ではいってくる生徒もいましたが、結構地元から普通に通学している子もいたくらいで。
――:全然違いますね。ブラックな部活って感じじゃないんですかね?
まあ、普通に比べると際どいほどに練習をさせてた部分があったことは否定できないですが笑。でも井上先生とは人と人としてのキズナがあったんですよね。体育館を一歩でるとタメ口OKなんですよ。非常にフラットな関係性を築いていました。



▲2025年1月2日、恩師井上氏の逝去にあたってエブリン氏の追悼ツイート
――:部活の人数はどのくらいなんですか?
結構少なくて毎年10名くらい、だから合計30名くらいで少数精鋭をみっちり鍛えるような感じでしたね。
――:そんなに多くないんですね。「地元のちょっと強い部活の高校」みたいですね・・・井上先生がよほどに優秀なのか。
たしかに30名の半分くらいはプロバスケ選手になっていたり日本代表選手になってますからね・・・女子バスケの人口が少ない、ということもあるのかもしれませんが。
でもちょっと特別なのは、東海って桜花を中心としたバスケのピラミッドみたいなものがあるんですよ。桜花にいれるために中学校が強豪化していっており、その桜花を出てからトヨタ自動車アンテロープスなどトップチームにつながっていく(注:Wリーグの現15チームの構成のなかで、東京2チームよりも、愛知5チーム・静岡1チームと東海が女子バスケの中心地と言ってよい)。中学・高校の時期からプロバスケチームに人材供給をしていく強豪高校があって、皆が皆、選手づくりを目標にしていたんです。たぶんそういう「東海アドバンテージ」があって、私も女子プロバスケの選手になれたのではないかと思います。
――:それは面白いですね。以前ミャンマーのサッカー文化を取材したときがあり< 、同じことを言われました。サッカーの練習時間だけは豊富なミャンマーも、甲子園などの身近な目標、代表選手・国際リーグのような最終目標がないから、実はサッカーが強くない、と。延々と練習して激しい生活するよりも、「優秀な選手の多い集団にいれて、効率的に練習し、なによりも目標となるステップがきちんとあること」がプロをつくるものなのだと思います。
それはホントにそう思います。私は中学、高校ともう体格という1点だけで代表になったり桜花に呼ばれたりしていて。オリンピック準優勝したあとに井上先生のところに遊びに行ったら、「お前、本当に上手くなったなあ。高校時代、へったくそだったもんなあ」と言われて。なんで推薦枠にいれたんだ笑と思いましたけど。
――:プロを意識したのも高校に入ってからですか?
はい、ちょうど2013年9月に東京オリンピックが決まったじゃないですか?私は当時高校3年生で、2020年に私もそこに出たい。プロバスケの選手になろう、とその時にはじめて明確な目標ができましたね。
高校卒業後に推薦でアイシン・エィ・ダブリュウィングスでプロバスケ選手になります。キャリアとしてはアイシンで3年間→トヨタで5年間→1年休業したあとにデンソーアイリスで2年間、2025年からはENEOSサンフラワーズ(千葉県柏市)ですね。
――:プロバスケ選手としてのエブリンさんはどういう位置づけなんですか?センターで日本人にはできないようなプレイをするような・・・
ポジションはセンターなんですけど、身長はそこまでとびぬけてなくて、プレイスタイルとしては流川楓と桜木花道を足して2で割ったような感じ。センターらしからぬスピードやドリブルでうまくカバーしつつ、でもやっぱり下手な部分も結構あって、という選手ですね笑。ダンクは夢のまた夢、193cmある渡嘉敷来夢さんとかのレベルにならないとダンクは難しいです。
――:最初にアイシンでプロ入りするのは、期待していたキャリアだったんですか?
ホントは大学もいきたかったんですよね。勉強も嫌いじゃなくて、米国の大学にいけるかもなという可能性もあって。でも家計のこともあってやっぱり留学になるとトンデモナイお金がかかる。スラムダンク奨学生※がある!と聞いてワクワクして電話したんですが、「女性はやっていません」で一蹴されてしまって。
アイシン精機は実はそんなに強いチームじゃないんですよ。でも早めに試合しながら成績残して、東京オリンピックへの道を捨てたくなかったというのもあり、就職しました。トヨタのチームに入りたかったという気持ちもあったのですが、実力不足で・・・。この3年間にはあまり成績らしい成績は残せていないです。
※スラムダンク奨学金:漫画家の井上雄彦が創設した奨学金制度。高校卒業後も競技を続けることを希望する高校生を対象とし、奨学生はアメリカの大学へ進学することを目的としたプレップスクールに派遣される(高校卒業年の3月から翌年5月までおよそ14か月間)。2008年から始まり、現在まで全18回選出されている。
――:意外に遅咲きだったんですね。
でもそれもラッキーだったんですが、2018年に女子バスケでもチーム間の移籍が可能になるんです。そのルール改正のタイミングで手をあげて、トヨタに入ります。さすが日本一のチームで米国人のコーチもいて、「自分でプロとして考えて動け」という自由な指導スタイルもフィットしてこの時代が自分としては一番伸びたのかもしれません(アイシン時代も韓国人の優秀なコーチだったんですが、その厳しいスタイルが自分には合わなかった)。他の選手がすごく優秀だったのでその刺激も大きかったです。
――:どのくらいの練習量なんですか?
アイシン時代は午前・午後で2.5時間ずつという感じでしたが、トヨタのときはそれが1時間ずつですね。でもたった1時間でもその練習強度がとんでもなくて、それだけでヘトヘトになるような感じですが。

■コロナで休んだらむしろ上がったパフォーマンス。休業して起業家を始めたプロアスリート
――:常勝のトヨタ・アンテロープスに所属し、2021年は東京オリンピックで準優勝。プロとして大成を遂げていたエブリンさんが、なぜその絶頂期でもあった2022年に「バスケを休業」という選択肢を選んだのでしょうか?
コロナが大きかったですね。オリンピック延期も決まったあのロックダウンは、多くのアスリートを影響を与えました。私にとっても「不本意に」休みに入った時期ですが、あのときに将来何をしていくのか色々考えたんです。東京オリンピック終わったら、結果はどうあれ、1年間は起業準備でバスケはやめよう、と決めてました。
――:「起業家」というのは唐突な選択肢にも思えます。
プロバスケ選手になりたいという気持ちとともに、実は実業家として成功したいという気持ちがどこかに眠っていたんです。小学校のときからの幼馴染でアメリカ人のHillさんという友達がいて、彼女の家にいったときにあまりの大豪邸で衝撃を受けたんですよ。あまり裕福ではなかった自分と比べて、ホントに「金持ち父さんと貧乏父さん」みたいな。お父さん何をしている人なの?と聞いたら、その時はよくわからなかったけど後で知るとShop Japanの社長をしていた方でした(1993年にオークローンマーケティングを立ち上げたHarry Hill氏)。社長ってスゲー!と思いました。
それと同時に自分が小さいころから何をやりたかったか、といったときに実は私って何か自分でイベントを起こして、人に試してもらったり遊んでもらうのがすごく好きだったんですよ。生命保険屋さんごっこ、とか銀行ごっこみたいなことをしていて。それらをコロナの色々考えられるタイミングになったときに思い返して、それで「おカネを稼げる起業家になろう」と思ったんです。
――:でも起業家に必要なスキルセットはそろえられるものなのでしょうか?桜花高校時代からプロバスケ選手を目指すとほとんど勉強する時間もなかったのでは、と思いますが。
それがトヨタ入団後の良さでしたね。練習時間が1日2時間になって、あとは休息・自由時間ですからね。その空いた時間にPCでプログラミングの勉強をし始めたんです。
高校時代も勉強はそれなりにやるほうだったと思います。得意なのは「現代社会」と(数学は苦手なんですが)「化学・理科」ですかね。たぶん静岡大学の父親の方針で学研をとっていたのが影響あったんじゃないかと思いますが。PC・ガジェットが好きで、テックはよく慣れ親しんでいました。
――:オリンピックで銀メダルまでとったトップ選手、むしろバスケで高みを目指すべき、という話はなかったのでしょうか?
コロナがなかったらそんな発想にはならなかったでしょうね。トヨタも辞めないといけなかったですし、それなりに失うモノもありました。反対もされました。
それはそれで困難な起業家の道に進みます。最初1社はじめたときは洗濯ネットの代替になるような商品を売るような仕事から始めます。ちょうど日本代表のみんながこの商品いいよね、といっていたものを製造・販売してました。それはあまりスケールするイメージもなくて事業を畳み、2社目にスポーツ領域がいいよなと思って、アスリートに相談すると動画がGoogle Meetsでアドバイスがかえってくるようなサービスを立ち上げました。

――:起業といえば人材と資金ですよね。
ほぼ1人起業で、オフショアのエンジニアに何人かに手伝ってもらって作りました。お金はエンジェル投資で集めています。事業プランはちょうど、500 Global(2010年設立のVC・アクセレレーター)と愛知県が起業家育成プログラムの応募をはじめていて、そこに採択されました。
チャレンジがあったのは、サービスそのものじゃないんですよね。1年間トヨタ時代にプログラミングしていたので予約ページつくったりとかそういうのは結構できちゃってました。むしろ未知だったのはお金集めのために事業プランをつくって、ゴールにむけた成長カーブを順序だてて設計し、事業を具体化させていくところ。そこは本当にやったこともないし、難しかったですね。起業家のアクセレレーションはバスケ以上に“スパルタ"でした笑。
――:サービス作るのは好きでもやっぱり投資家プレゼントかファイナンスまわりは結構苦労しますよね。
まさにファイナンスでトラブルがあって、その2社目もつぶしています。どういう人にお金をいれてもらうのがいいのか、ということも大変勉強になりましたね。エンジェル投資家とVCの違いとか、シード・シリーズAなどサイズによる違いとか。2社試行錯誤してつぶし、3社目のBackDoorで現在にいたるまでの形がつくられた、というのが1年間の休業期間の使い道でした。
――:3度目の正直で、現在はどんな事業を進められているのでしょうか?
試合後にアスリートが自分自身の試合をライブで解説するPocochaのようなモデルです。通常の試合解説ってやっている本人からすると違和感があるものが多いんですよ、「気持ちが強い方が勝ちましたね~」みたいな。人によっては話すのが苦手だけどやっている本人たちだから技術論ふくめた解説やなぜあのときにそう判断したかということが説明できます。自分の試合を本人が解説するのであればうまくいくという手ごたえを感じました。
いろんな競技の日本代表クラスのアスリートたちに声をかけて11名が登録してくれました。サッカーの稲垣さんとか。月2回以上の配信をお願いしていて、収録型でだんだん試合だけじゃなくて人柄やパーソナリティを表現する動画が増えてきますね。お酒のみながら配信できるというのも結構よくて。課金は投げ銭が中心です。
2024年にβ版を出して、ざっと4000人くらいがダウンロードしてくれました。まだマーケは踏んでいない(有償で広告費で人集めをしていない)ので、いったん集まった人たちの反応をみながらUIUXを強化し、段階的に多くのスポーツファンの方に知ってもらえたらと思います!
――:何人くらいで作っているのですか?
チームが現在6人です。SNS担当1人、営業1人、デザイナー1人にエンジニア2人でそのうちの1人は500 Globalのメンターをやってくれていたスーパーエンジニアでそのまま口説いて入ってもらいました。いまやアプリでAIつかって自動的にクリップも作れますし、小規模チームでよいサービスが作れるようになりました。
――:今回のファンドレイズはどんな状況ですか?
2回していてどちらもまだエンジェルですが、東海エリアで有名なベンチャー支援の篠原佑太郎、宮本さんなどが出してくれていますね。ここは前回の失敗を乗り越えて、うまくやれている部分かと思います。
――:生まれ育った日本で、というのはあるかと思いますが、海外も視野にいれられていたりしますか?
ガーナにはなにかしたい、いまは軸としてはスポーツ起業ですが、ガーナに何か恩返ししたい。ガーナで事業してみたい、というのはありますね。
――:ガーナといえばチョコですが・・・
チョコは絶対日本のほうが美味いです!ガーナのチョコ、超固いんすよ笑。

■休業も起業も、アスリートを「より強くする」。俯瞰視点を与えてくれたパラレルキャリアのすゝめ
――:1年間休業した後、バスケはどうなったのですか?
2023年に復帰しました。もともと休業するときにどれだけうまくいっていても「必ずバスケ選手としては復帰する」というのを決めていました。起業家として成功しても失敗しても、そういう事例を一度はつくることが必要だと思っていました。実際に私が1年休業した結果として「実は私もあれをみて、休みました」という人もいたくらいなので、ムーブメントを作る意味でも自分が休業・起業・復帰までは絶対ワンセットでみせようと思っていました。
――:10年以上バスケに集中していたアスリートが1年完全に休むと、どのくらいスキル的には衰えるものなのでしょうか?
それはもちろん衰えてましたね笑。デンソーに入団することになるんですが、その前の3か月で集中的にトレーニングをして、現役時代に戻しました。
ただ、2023年はチームがベスト4にもなりましたし、1年休業したことで私自身はパフォーマンスがむしろよくなったとすら言えるんです、本当に。立ち止まってバスケを視聴する時間や解説を聞いたりする時間が増えたことで、バスケコートを「上からみるイメージ」が出来たんですよね。あと面白いのは、余計な筋力が減ったこと。筋肉量が適正になったことで逆にシュート打ちやすくなったりもするんですよね。これはビックリしました笑。
――:それはめちゃくちゃ面白い話ですね。アスリートの兼業起業家事例って他にもあったりするのでしょうか?
まだまだ少ないです。女子バスケでいうとデンソーアイリスの髙田真希さんが現役しながらイベント会社を立ち上げられていたり(2020年に現役選手を継続しながらイベント企画・運営会社のTRUE HOPEを起業)。あと妹のステファニーは不動産が好きなので、宅建をとって不動産ベンチャー立ち上げてます。私とは全然違う領域ですが、そうやってアスリートでありながら起業する事例はちょっとずつ出てきてますね。
――:アスリートのパラレルキャリア/アフターキャリアで海外であれば成功例は多いのでしょうか?
これは北米が特に強いですが、アスリートの知名度を生かして周辺ビジネスを育てようというエージェントが多いんですよね。Devin Durrant(1988-:現ヒューストンロケッツ選手。2007年ドラフト後、NBAで優勝・MVP受賞する輝かしいキャリアと並行し、2017年からビジネスパートナーと投資会社35Vを立ち上げ投資事業も行っている)やLeBron James(1984-:現ロサンゼルスレイカーズ選手、彼もNBA優勝・MVP受賞など総なめにしながら、現役選手として累計10億ドル収入を到達した初の選手、リバプールFC共同経営者でブランドアンバサダーのみならず株主となっての経営も行う)も複数社経営していますよね。
こういうのって能力の問題というより、そもそものマインドセットでできていないだけという問題だと思ってます。日本はスポーツを教育に振りすぎてきました。北米でうまくいっているアスリートのパラレルキャリアの日本版が作りたいんです。
――:忙しい選手時代にパラレルでやったほうがよいのでしょうか?選手時代は成果に集中し、あくまで「アフターキャリア」を考えた方が効率的な気もします。
私は絶対に現役で活動している間にパラレルで違うキャリアを考えるべきだと思います。アスリートって勝負をしている現役の間が、本当に特別なほど集客力があって、みなが注目しているそのタイミングにこそ何かをリリースすべきなのだと思います。その意味でスポーツビジネスには強くポテンシャルを感じるのですが、他ジャンルよりもマネタイズが難しく、VCなどからもまだあまり適正な評価を受けてない。toCビジネスというのはまだほとんど事例がないといってよいです。

――:アスリートと起業家、エブリンさんは毎日どんなスケジュールで過ごされているのでしょうか?
バスケは基本的に午前中に1日2時間練習しています。それ以外の時間はほとんど事業にエネルギーを注いでいるので、ほかの起業家よりも時間的にビハインドということはないかと思います。
――:時間的にはマネジメントできても、結局は「マインドセット」で何か起業しようという発想はとても遠いです。普通のサラリーマンでも相当な難易度ですから。そんな中でエブリンさんがいまそれを実現できたのはなぜなのでしょうか?
どうなんでしょうね、私が特別だとは思わないんですが、ここが強みという意味では「何かアイデアを考えてサービスを出すこと自体が好き」というところでしょうね。トヨタの選手していたときもホームゲームでキッチンカーを出店してみたらどうだろう、とか何かいままでと違うものを提案して出していくことが好きなんですよ。
――:女子バスケのポテンシャルはどう感じてますか?バスケ全体でみればBリーグというのはNPBとJリーグのいいところ/わるいところを取捨選択して、うまくリーグ化と市場化をバランスして成功させた事例だと思います。
みてもらう面白さを追求したことがBリーグの成功ですよね。市場は伸びてますけど、Bリーグって男子だけなんですよ。ほんとうはWBリーグも一緒になったほうがいいんでしょうけど、bjリーグとNBLが一緒になったときのような「差し迫った締め切り」(2008年にFIBAから日本で2リーグが統合できないなら国際試合出場資格を取り消すという通達があって2016年に統合が実現)がないんですよね。だからあまり動かなくて。
ただ国際的な「強さ」だけでいうと、本当はポテンシャルは女子バスケのほうが上なんですよ。日本の女子代表ってずっと8,9位とかで、リオのオリンピックでは8位、東京オリンピックでも準優勝ですし(パリは予選敗退しちゃったんですが…)。
――:選手は「食える」給与はもらえているんですか?
女子プロバスケ選手は、チームにもよりますけどちょっといいサラリーマンくらいの年収はあって、食べてはいける状態にあります。でもストイックにバスケだけやっているから、その後の選択肢が多いわけじゃないんです。
27-28歳あたりで辞めていく人が多いのですが、教育者になって女子バスケのエコシステムの中で生きていくか、お世話になっていた実業団の会社員になる人も多い。でもあなた自動車好きじゃなかったよね!?というような時もあって、アフターキャリアでしんどい思いをしている先輩もみています。やっぱり寿命が短いアスリート時代に、もっと選択肢を広げる手段が必要です。
――:エブリンさんを最初に拝見したのは「Forbes」でした。メディア活動は今後も積極的にされていくのでしょういか?
この6-7月はNewsZeroでコメンテーターやってました。けどメディアはそこそこで、私としてはいまプロダクトを出していくBack Dooorのほうに集中したいですね。
――:スポーツビジネスの将来についてメッセージをお願いします。
スポーツコンテンツはアスリートの目線ばかりが重視されすぎています。ちょっと目をはなしてみてみると、自分たちの一挙手一投足の技やパフォーマンスから驚くほど多くの人を感動させたり、心動かしていたりします。とても誇りをもてる仕事です。でもビジネスでちょっとやってみたりすると「私、そんな有名じゃないんで…」と遠慮されるアスリートがとても多いんですよ。ストイックに勝利という一点だけに邁進しているから、パフォーマンスやその影響範囲に対して盲目になってしまうというか。
だから現役でいる間に、その影響範囲を広げたり深めたりすることにも少し目を向けてほしいなと思います。私は起業をして、スポーツに特化したライブ配信アプリを立ち上げましたが、こうした応援アプリだけじゃない形でスポーツビジネスはまだまだ広がります。スポーツは古代ローマ時代から続く人間にとって最も馴染み深いエンタメだと思っています。AIやなどデジタルで溢れかえる時代だからこそ、人はリアルやドラマを求める。アクションを起こそうというアスリート兼起業家がふえていけば、アニメやゲームのような広がりも持てると思うんです。今後もしっかりと採用とマーケティングに力を入れて行きます!

会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場