【IVS特集】gumi國光氏、DeNA小林氏、グリー荒木氏が「変革力」を語る…國光氏「大型上場」で「天下を獲る」に王手をかけるか

時代とともに劇的な変動を繰り返していくモバイルゲーム市場。
 
その中で、「ソーシャルゲーム」という新しい概念を打ち出し、新たな文化をつくってきたグリーとディー・エヌ・エー。
 
そして、「ソーシャルゲーム」での経験と自らのエンターテイメント性を活かして、新たな市場を開拓したgumi。
 
IVSのインタビュールームでは、ゲストに
  • 株式会社gumi 代表取締役社長 國光宏尚 氏
  • 株式会社ディー・エヌ・エー 取締役 マルチリージョンゲーム事業本部長 兼 事業戦略室長 小林 賢治 氏
インタビューアーに
  • グリー株式会社 取締役 執行役員 荒木 英士 氏
の3者を迎え、実際の体験談を交えながら、モバイルゲーム市場で成長し続けるべく経験してきた数々の苦労、そして、成長に繋げた彼らの大きな「変革力」を語っていただいた。
 
 

○ gumi 國光氏「ヒットコンテンツを出すことは、”打率”と”打席数”でしかない」

 
今波に乗る『ブレイブ フロンティア』をエイリムとともに率いるgumi。特に、海外版『ブレイブ フロンティア』では、gumiの海外拠点が主導となり、ローカライズから運用までを担当する。(関連記事1

日本だけでなく、海外においても、ユーザーが継続的かつ能動的にプレイしたくなるような高いエンターテイメントを生み出す同社は、どのように誕生したのだろうか。
 
もともと國光氏は前職のアットムービーで映画・テレビドラマのプロデュース及び新規事業の立ち上げを担当していた。國光氏は、当時を振り返り、「アットムービーではネット系のことでいろいろ挑戦していた」が、「新しいチャレンジができないことに嫌気がさして、新しく自分の会社をつくった」と述べ、業界ならではの古い慣習と変化が激しいインターネット業界のミスマッチを感じ、國光氏が強みとする”エンターテイメント”を活かして、新しく大胆なチャレンジで世界に挑むために、”起業”という道へ進んだと語った。
gumiは2007年に設立された会社。設立当初は、現在のようなゲームアプリではなく、モバイルオープンプラットフォームをつくっていたという。
 
2007年当時、初代iPhoneが発表されたばかりで、日本にはまだiPhoneは販売されていなかったが、國光氏は世界の市場がPCからモバイルへ大きな”変革”を遂げると確信して、モバイル向けにサービスを展開することを決めた。
 
これは、2007年の” South by Southwest(音楽祭・映画祭・インタラクティブフェスティバルなどを組み合わせた大規模カンファレンス、通称SXSW)”で初登場した”Twitter”の華々しい姿をみたことに感銘を受けたからだという。しかし、当時のTwitterは現在のようにモバイル対応をしておらず、PCのみの対応であった。そこで、國光氏は、「モバイルですれば、100%勝てるだろう。モバイル版Twitterで世界を獲ろう」と考えたという。
 
その後、”Facebook”が勢力を延ばし2008年当時のFacebookの1ヶ月あたりのユーザー数は1億4500万で、Twitterを凌ぐ勢いで拡大中であった。國光氏は、「Twitterではなく、Facebookが本命であった(笑)」と考え直し、「モバイル版Facebookをすれば、絶対に勝てる」と思い、モバイル版Facebookのオープンプラットフォームの開発へと”変革”したという。
 

 

▲ 上:2004年〜2013年のFacebookのユーザー数遷移、2008年〜2013年のSNSトレンド遷移(参照1参照2)
 
このまま順調にサービスが拡大していくかと思われたが、当時の國光氏は重大な点を見落としていた。当時のgumiは会社設立間もない頃で、ユーザーがあまり多くない状態であったことだ。國光氏は、当時を「モバイル向けにオープンプラットフォームつくったが、ユーザーがいなかった(笑)」と振り返り、同社のプラットフォーム向けにコンテンツをつくってくれる開発会社がいなかったため、自らが同社のプラットフォーム向けに、検定やクイズなどのコンテンツを開発していたと語った。しかし、プラットフォーム、そして、その上のコンテンツの両方を自社で担当するだけでは、ユーザーもサービスも思うように拡大できなかった。
 
同社が悪戦苦闘する一方で、2009年から、ミクシィが運営する「mixi」、ディー・エヌ・エーが運営する「モバゲー」のオープン化を発表。そこで、國光氏は、当時ユーザー数が多かった「mixi」にモバイルオンラインゲームを提供するという再び社運をかけた”変革”を決意した。その後、2010年には「モバゲー」、グリーが運営する「GREE」にも、モバイルオンラインゲームの提供をはじめた。
 
國光氏の先見の明が功を期して、同社が「mixi」・「モバゲー」に提供するサービスは徐々に頭角を見せはじめる。2011年には、同社のソーシャルゲーム『道』シリーズの第1弾『任侠道』を配信開始。これが、ユーザーから多くの支持を得て、gumiは瞬く間にトップディベロッパーとしての地位を確立していった。
 
その後は、各プラットフォームで培った技術やノウハウ、そして、國光氏らgumiが得意とするエンターテイメント性を活かして、次々と新作ゲームタイトルをリリースしていく。
 
2013年、gumiの子会社でモバイルコンテンツ企業への投資を推進する株式会社gumi venturesが出資するエイリムからRPGゲーム『ブレイブ フロンティア』が配信された。エイリムが日本国内のオリジナル部分、gumiが海外パブリッシャーとのアライアンスやgumiの各海外拠点でのローカライズと運用を担当した。その後、2014年には、エイリムはgumiにより連結子会社化され、現在はgumiグループの一員としてgumiとともに『ブレイブ フロンティア』を世界のユーザーへ届けている。これが、直近で最大のgumiの”変革”であろう。
 
gumiは、約7年の時を経て、國光氏の「世界を獲る」、「天下を獲る」という目標に王手をかけている。
 
世界を目指す國光氏は、「日本のためにも、日本国内での大型上場を目指している」と述べ、日本のモバイルゲーム市場を盛り上げ、世界における日本市場の存在への拡大に寄与し、さらには、日本企業で世界の大舞台で挑戦することへ熱意を語った。
 
そして、國光氏は、世界各国で大ヒット中の『ブレイブ フロンティア』につづく新規ヒットタイトルの開発について、「『ブレフロ』の次は出る」と断言し、「ヒットコンテンツを出すことは、”打率”と”打席数”でしかない。だからこそ、今の段階では打席数を最大化していく」と意気込みを語った。なお、國光氏のいう”打率”とは「優秀な人材や有名IPの獲得」のことで、”打席数”とは、「資金力」とのこと。
 
 
 

○ ディー・エヌ・エー 小林氏「お互いやっていないと、こういう速度にはならなかったと思う」

 
一方、2014年3月期第4四半期の営業利益が100億円割れの97億円となったディー・エヌ・エー。小林氏によれば、現在、ディー・エヌ・エーは、4回目の”変革”を迎えるという。(関連記事2
 
小林氏は、「DeNAの企業としてのユニークな経験でいうとするならば、これだけ収益ドライバーを変え続けてきた会社はめずらしいと思う」と述べ、時代とともに、ユーザーとともに、”変革”を遂げてきたことを強調し、今までに「大きくいうと、3回の”変革”があった」と語った。
 
 

ディー・エヌ・エーは1999年に設立された会社。同年11月、ヤフーのオークションサイト「Yahoo!オークション」の後を追うかたちで、PC向けオークションサイト「ビッダーズ」を提供開始。その後、「ビッダーズ」はショッピングモール事業にシフトして黒字化を達成するも、直接の競合となる楽天を超えられず思い悩む。
 
しかし、小林氏は、「基本的にウィナーズテイクオール事業で2番目以降の存在は非常に厳しかった」と当時について振り返り、「やはりニッチトップみたいな方面で、”次くるところを攻めていこう”ということで、みんながPC主体の中でモバイルでトップになろうとした」と語った。設立後間もない頃にローンチしたサービスを通じて苦労を経験したからこそ、時代の変化を先読み、新しい事業を仕込んでいく方向に、1回目の”変革”を遂げられたという。
 
同社は、モバイル向けの事業を強化していき、2004年には、ケータイオークションサイト「モバオク」、携帯電話向け総合ショッピングサイト「ポケットビッダーズ」、アフィリエイトネットワーク「ポケットアフィリエイト」を開始した。
 
2006年には、同社は、ケータイゲーム&ゲームサイト「モバゲータウン」をリリース。ディー・エヌ・エーが、モバイル専業へ”変革”を成し遂げ、事業を拡大していく中で、圧倒的な売上成長をみせる。
 
しかし、2008年、競合のグリーが「ソーシャルゲーム」事業をはじめる。それを機に、ディー・エヌ・エーの売上がグリーを下回る事態が生じた。当時の逆転劇を思い返し、小林氏は、グリーが「フリー・トゥー・プレイのゲームで大きく伸びて、テレビCMにも力をいれ効果を上げていた」と述べた。なお、当時の「モバゲー」はアバターと無料ゲームを中心に展開しており、「ゲームの売上がなかった」(小林氏)という。小林氏は、「やっぱり変わらなきゃいけないと思った」と述べ、競合関係にあったグリーから大きな刺激を受けことを語った。これが、同社の2回目の”変革”だ。
 
そして、2009年秋、同社はソーシャルゲーム「ホシツク」、「海賊トレジャー」、「セトルリン」、そして同社の売上の急伸と大きな”変革”に貢献した「怪盗ロワイヤル」の提供を開始した。小林氏によれば、これらのタイトルは自由な発想のもと生まれたという。
 
小林氏は、『怪盗ロワイヤル』の開発について、「もちろん当時Facebookで隆盛だった他のタイトルを”概念”として参考にしたが、モバイルでゲームデザインする時には“完全に別”のものにしていた」と述べた。
 
また、後に大ヒットとなった『怪盗ロワイヤル』の活躍ぶりについて、小林氏は、「打席に立ってみないと、わからないですよね。最初の売上集計が出た時に、みんなが”えーっ!“となったことを覚えている」とリリース直後の反響が遥かに想像を超えたものであったと語った。当時の課金ユーザーについては、「モバゲー」の初期ユーザーのアクティビティとマネタイズが非常に高かったことを明かし、モバゲーに良質なユーザーがロイヤリティの高い状態で存在していたという。
 
2006年以降のディー・エヌ・エーとグリーの売上高のグラフをみると、互いに拮抗しており、「抜きつ抜かれつ」のような関係性で、互いに売上の伸び率が著しいことがわかる。小林氏は、「お互いやっていないと、こういう速度にはならなかったと思う」と述べ、競争関係にあったグリーがいたからこそ、現在に至るまでの成長を加速化させることができたと語った。

 
 

○ グリー 荒木氏「”戦う場所”を変えなければいけなかった」

 
そして、売上反転時期を来期以降への持ち越しとしながらもコストコントロールで2014年6月期第3四半期が増益となったグリー。(関連記事3)荒木氏によれば、ディー・エヌ・エーと同様の”変革”を経験してきたという。
 
荒木氏は、同社の”変革”の時期について、「PCからモバイルへ移行した時、ソーシャルゲームをはじめた時、海外進出した時」の3回であると述べ、グリーとディー・エヌ・エーが互いに切磋琢磨しながら、時代の変化をかぎわけて、”変革”の道を歩んできたことを強調した。

 
グリーは、2003年に、社長の田中良和氏がひとりでPC向けSNS「GREE」を開発し、個人で運営していたが、2004年のサービス公開後、ユーザー数の増加に伴い、個人での運営が困難となり、会社化したことからはじまる。
  
荒木氏がいうには、個人のサービスから企業のサービスへと体制を整えるために、1年半くらいかかったという。荒木氏は、「ソーシャルネットワークの世界で、1年半遅れてしまうと、巻き返せない。そのため、戦う場所を変えなければいけなかった。そこで、”モバイルにいこう”となった」と述べ、PCからモバイルへ移行した第1の”変革”は開発体制の変化と市場の変化に伴うものであったと語った。
 
その後、2007年、同社は世界で初めてのモバイル向けソーシャルゲーム『釣り★スタ』の配信をはじめる。荒木氏は、配信直後の当時を、「今でもよく覚えているのが、当時ゲームをリリースして、たくさんのユーザーが入ってきて、盛り上がっていた。売上も今までみたことがないような積み上げ方をしていた」と振り返り、リリース直後の反響が予想を遥かに超えるものであったと語った。
 



 
○ インタビューをおえて…
 
彼らに共通するのは、”自分の戦う場所をどこにするか”という問いに対するアプローチが彼らの「変革力」に繋がったということであろう。
 
もちろん、彼らもはじめから自らの“戦う場所”を定めていたわけでもない。自ら戦いの場に身を投じて、良きライバルでもある仲間たちとともに、変革を積み重ね、自らの経験を蓄積していくことで、戦いの場を広げていった。
 
それが、強いては、彼らを先駆者とさせ、次のトレンドを生み出し、日本だけでなく世界にもムーブメントを巻き起こす力へと繋げた。
 
なお、インタビュー中は、3者とも常日頃から仲が良いようで、終始リラックスした様子で、時折笑顔をみせながら語っていた。ほぼ同時期に、同じ変化の激しい市場で、お互いに切磋琢磨しながらも、数々の苦難を乗り越えてきた3者だからこそ、共有できる熱い想い、語り合えるものがあるのだろう。
 
 
株式会社gumi
http://gu3.co.jp/

会社情報

会社名
株式会社gumi
設立
2007年6月
代表者
川本 寛之
決算期
4月
直近業績
売上高120億6600万、営業損益50億4000万円の赤字、経常損益45億1400万円の赤字、最終損益59億3400万円の赤字(2024年4月期)
上場区分
東証プライム
証券コード
3903
企業データを見る
グリー株式会社
http://www.gree.co.jp/

会社情報

会社名
グリー株式会社
設立
2004年12月
代表者
代表取締役会長兼社長 田中 良和
決算期
6月
直近業績
売上高613億900万円、営業利益59億8100万円、経常利益71億2300万円、最終利益46億3000万円(2024年6月期)
上場区分
東証プライム
証券コード
3632
企業データを見る
株式会社エイリム
http://www.a-lim.co.jp/

会社情報

会社名
株式会社エイリム
設立
2013年3月
代表者
代表取締役社長 髙橋 英士
決算期
4月
企業データを見る