【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第25回 「創る/表現する/教える」―“推し”続けた結果、いつのまにか世界一クラフトゲームで日本第一人者になっていた男

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
/

「プロマインクラフター」、毎回説明を要するこの呼称が誰の目にも当たり前になるときがタツナミさんのゴールかもしれない。日本で唯一無二、マイクラで生活しているタツナミシュウイチさんが、どのような葛藤や苦悩をここに至っているのか、その笑顔からは想像しがたかった、そこに“生きづらさ”があっただろうことを想像せずにはいられないインタビューだった。マイクラもYouTubeもユーザーが個人で自由に発信できる場所は、人によってはカオスや雑音だが、人によっては唯一の生きる救いにもなる。マイクラの創業者にも会い、マイクラの第一人者となり、研究・教育・創作いずれの場でも大活躍のタツナミさんの生き方に私自身も勇気づけられた。


■「なんでも我流」―尖りすぎて壮絶なイジメ、「好き」を言えなかった中高時代

――:自己紹介からお願いいたします。

プロマインクラフターのタツナミシュウイチです。日本初の「プロマインクラフト」(Minecraftで飯をくっている専門家)で、奈良の学習塾を運営する株式会社KEC Mirizの執行役員、ほかにMinecraftの研究として明治大学のサービス創新研究所の研究員と、慶應義塾大学SFC研究所の所員もやっております。


――:タツナミさんはNewspicksのOFFRECOで一緒に出演させていただいて、大変興味深く、お声かけさせていただきました。情熱大陸も拝見しましたが、あれはどうやって声がかかるんですか?

いや、ホントHP経由のメールに突然連絡くるんですよ。驚きましたね。嘘だろ~、たぶん詐欺メールだから反応しないほうがいいとか思いましたが、その話をその前に出演していた『マツコの知らない世界』のプロデューサーに聞いてみたら「あ、それ聞いてますよ」って言われて。マツコのTBSと情熱大陸のMBSで同じ系列だったので。


――:じゃあホントに一本釣りで、この人!みたいにダイレクトにくるんですね。

教育特集で何人も候補いたみたいなんですけど、ディレクターがたくさん候補をもってきて、そのなかでプロデューサーのお子さんがたまたまマイクラにハマっていたようなんですよね。そこで、「じゃあこのマイクラの人にしよう」が決まったみたいで。僕がプレイしていたのがマイクラじゃなかったら出演はありえなかったでしょうね。人生ホントにマイクラに助けられっぱなしです。


――:へええーー面白いですね!そうそう、タツナミさんの経歴が不明すぎて、改めてお伺いしたかったんです。マイクラに出会う2009年までどんなことをされてきたのかを知りたいです。

出身は青森ですけど、高校出てから専門学校で札幌に出てきた1995年から、東京に出てくる2010年まで、およそ15年超暮らしてました。芝居をやったり、音楽をやったり、声優をやったり、色々なことをしていて今も「第二の故郷といえば札幌」というくらい、札幌に思い入れがあります。


――:じゃあ「就職」というよりは、フリーで様々な趣味・受託をやっている感じなんですね。教師もされてましたよね?

北海道藝術高等学校とヒューマンアカデミーで教えてました。でも教員免許は持っていないので、講師で特別教員という枠です。シナリオとか物語を作るのが好きだったので、文章読解とかスタジオ実習の授業などもやってました。国語の授業で、どうやって台本を作っていくのか、とか。


――:色んなお仕事されてますが、どなたかメンターみたいな方がいらっしゃったんですか?

芝居もエンジニアリングも先生は何人かいるんですが、僕って「なにをするにも我流」なんですよ。声優養成所なんかもいったんですが、いろいろ自分で調べてかみ砕いて、自分なりの解釈でやってしまう。先生からも「違う、そうじゃない」と散々叱られながら、結局クセつよめな我流の芝居をしちゃうんですよね。


――:職人気質ですね~。昔から、工作が得意だったりとか?

それはありますね。小学校のときに、自由研究で材木屋からきれっぱしの木材集めて、超本格的な「からくり貯金箱」を作ってまわりに驚かれました。ちゃんと手順を踏まないと開かないやつです。(木製なので)とんでもない重さで、とても小学生が作ったものとは思えないレベルの工作を1人だけ作成してるような小学生でしたね。


――:絵もかかれるんですよね?

そうですね。絵の構図がどうにも嫌で、自分が見えている世界を全部絵にとじこめたいなと思って、ぎゅぎゅー-っと広角レンズのように圧縮した絵をかいたりしてましたね。その絵は特賞をとりました。


――:やっぱり最初から「アーティスト」なんだと思うんですよね、タツナミさん。常に決められた形式を逸脱してきたような。昔から絵とか工作で受賞され続けたんじゃないですか?

うーん、ちやほやされたのもの小学校くらいまででしょうか。その後は暗黒時代で、中学に入ると「変な奴」になってしまうんですよ。尖りすぎていて、凄いイジメにもあいました。ジャージ燃やされたり、教科書引き裂かれたり。だから「好きなことを隠して、生きる」が身についてしまって、発言・表現しなくなりました。友達もほとんどいなかったですね。


――:中学って社会化の分岐点ですよね。先輩後輩や教師生徒など、過剰なまでにルールを徹底する傾向があって。特に海外に住んで思ったのは「日本の中学校」って世界随一のレベルで同調圧力が強いと思うんです。あらかた個性をはく奪されて「村社会の掟」を叩きこむのって広告よりも中学じゃないですか?それだと、中学・高校はかなりつらい時代でしたね。

その分、だから札幌時代が最高だったんですよ。北海道にいってから「好きなこと、ちゃんと言ってもいいんだ!」と認められた気がして。

経済的事業もあったので大学ではなく専門学校を選択したんですが、その後に藝術高校などで教える機会があったときに、ハッと気づくんですよ。「あ、僕って伝えることが好きだったんだ」って。ずっと中・高時代に押し込めてた気持ちが、昔皆に理科の実験の結果伝えたりするのがすごく楽しかった思い出がフラッシュバックして。教えることで自分ができたときのうれしさをもう一度体験できる。そこから「教育」というのは自分の人生のテーマになりましたね。


――:2010年の上京のときに、ブシロードともお仕事されてたんですよね?

はい、そうです!34歳のときに札幌ではどうしても食えなくなってきて東京にきました。直前に出張で来ていたときに飲み会でブシロードの奥村圭作さん(現ブシロードメディア副社長)に出会って、ミルキイホームズに声優として誘っていただいて『ミルキイホームズ』の家庭用ゲームに所長役として出演していました。

つい先ほど感動の再会を果たした(※このインタビュー直前に約10年ぶりに偶然再会した)岡田太郎さんもプロジェクトにいらっしゃって、その時に三森すずこさん、そらまる(徳井青空)さん、もうお一人の声優さんと4人でラジオ番組をやってたんですよ。あの時は仕事頂けて、すごく助けられた記憶があります。


――:それもあって、タツナミさんからぜひにということで、本日インタビューの場所もブシロード中野坂上を指定いただきました(笑)。岡田君とも偶然会えて本当に良かった。


■マイクラ開発「神」のマルクスと出会って10年、日本唯一無二の「プロマインクラフター」

――:私が驚くのは、タツナミさんが2009年からマイクラをやってたという事実です。当時はまだマイクラって数万人もプレイしていない段階でした。日本人でホントによく、そこに気づいたなと思います。
 

<Minecraftの簡易年表>
2009年4月 米国開発『Infini Minor』リリース
2009年5月 上記に影響を受けたMarkus Persson氏がクローンとして『Mine Craft』を開発
2010年5月 Mojang設立
2010年7月で累計2万本販売(売上2-3千万円)
2010年8月 MarkusがSteamのVALVEから招待を受け、渡米。入社するか、会社を売るか逡巡し、独自でやり続けることを決める
2010年9月 「毎日」2万本売れるようになり、急激なブームに。
2011年1月 累計100万本到達
2011年3月 米国GDC(ゲームディベロッパーカンファレンス)で最優秀イノベーション賞含め5つの賞を総ナメ
2011年4月 累計200万本到達、YouTubeに月35000本の関連動画があがるほど人気
2011年9月 Mojang1期目決算、85百万ドル(約100億円)売上
2014年11月 Microsoftが25億ドルでMojangを買収


東京にくる直前ですよね。もともと僕自身がゲーム実況などをしていたのですが、超ゲーマーだった義兄が面白いやつみつけたよと紹介してくれたんですよ。なんだこれは!これ、永遠にできるレゴブロックじゃん!と思って、最初からのめり込みました。

クラシック版から入ってその後、当時10ユーロだったα版のアカウントでのめりこみ、日本人が100人くらいしか入っていないときに入ってるので、皆さん、有料で買って入っているアカウントだと思いますが、たぶん相当珍しい「αの10ユーロアカウントから移行したアカウント」でいまも遊んでいます。

――:SAO(ソードアートオンライン)のビーターみたいですね!!

いや、まさにビーターですね!創業者のノッチさん(Markus Perssonの愛称)にもお会いしたことありますよ。


――:え、マイクラの創業者ですか!?まさに「神との邂逅」ですね。

ホントに神でした。「いつもプレイしてくれてありがとう」って言われて、「えーー神様にありがとうって言われちゃったーー、我々がありがとう言わないといけないのにーー」と衝撃的でした。初めての来日で2013年の幕張のカンファレンスの合間に、ノッチさんが日本のコミュニティと話したい!ということで時間を作ってくれて、皆で幕張の公園でノッチさんを囲む会をしたんです。40人くらいが集まりましたね。


――:え、少なっ!日本だとそのあたりでもまだ黎明期だったんですね。2011年3月の米国GDCだと、彼が動くだけで人だかりが動くほどで、欧米ではすでに超有名人になっていましたが…。タツナミさんはその後も、マイクラはマイクラで続けながら、お仕事はされてるんですね。

声優やってPCエンジニアしたり、作詞とかショートムービー制作して、絵をかいたり、ロゴつくったり、イラストレーターなんかもやってましたね。

東京来てから結婚もして、初めて「就職」という形でドワンゴに入社もしました。ニコ動で活動していたら声かけられて、そのまま「ニコ動のマイクラ担当者」という感じで、公式生放送のプロデューサーからディレクターまでやってました。ニコニコ超会議では普通にステージつくったりもしましたよ!


――:当時のドワンゴって度量が広いというかなんというか、ホントに色んな人を受け入れてましたよね。

そうですね、実況者あがりの社員も、タレントだった人なども社内そこらここらにいて、かなり面白い職場環境でした。


――:ちょっと謎なのは「プロマインクラフター」ってどうやって生活の糧を得られるのかと思いました。タツナミさん、睦月城、天空の城、ナスカ地上絵、厳島神社から姫路城までとんでもないクオリティで創ってますね。あれは売れるんですか? 

タツナミさんのマイクラ内製作物


2018年ごろからマイクラ内でユーザーが開発したものを売れるマーケットプレイスが出来たんですが、あくまで認められた人だけなんです。日本だと現時点で40人くらいでしょうか、、、出版社のインプレスさんがパブリッシャー権限をもっているので、インプレスさんを通じて、マイクラ上で商品を販売します。

本質的にはマイクラはゲーム内で商売を新たに生み出そうとはしておらず、限られたセミプロユーザーが、出品ごとに厳正な審査も通過した上で、公式ストアに置くことが許されます。数千円しか売れないものもあれば、数十万円売れるものもある。


――:どのくらい手間をかけて製作されるんですか?上記の感じですと、それで生活をするというのは厳しそうですよね。

思っているほど時間かけてるわけじゃないですよ。結構コピー&ペーストの技術など、なれてくるとうまく使えますし、1カ月とかで作ってしまいます。しかも売ろうと思ってつくっているわけではなく、研究プロジェクトの一環だったり、本当に自分の興味で創ったりしているので、1案件ごとの採算をとっていたりするものではないですね。

今までで一番時間かけたのはEdo-Bon-Danceですかね。マイクラ内で1つのアドベンチャーゲームを1年くらい使って創りました。ストーリーもあるし、1人1人の村人もセリフがあって、謎解きしていったり、ゲームアクションがあったり。

 
――:集団で製作するわけじゃないんですか? 制作者集団も組織されてますよね?

Japan Crafters Union(ジャパンクラフターズユニオン)ですね。あれ、別に会社じゃないんですよ。自分たちで作っている人たちの集まりで、たまたま僕が代表をしている。給与も発生させないし、ワイワイ皆でそれぞれのものを作りながら、アドバイスしあったりする組織です。

僕もそんなにチームに割り振ってマネジメントするタイプじゃないので、結局自分の手でゼロイチで作っちゃいますね。それが楽しいですし。


――:そのなかで、マイクラを「専業」にしている人は?

…今のところ、僕だけですね(笑)。あとは、皆副業で会社員の仕事終わってくる人とか、専業主婦とか、中学生とか。なので10代から40代までいろんな方がユニオンには関わっています。

 
■教育化するマイクラ、メタバース化への可能性

――:正直、2014年にMicrosoft(MS)さんによる買収の話はどう思われたんですか?

最初はちょっとショックもありましたね。ただマイクラにとっては実はその後どんどんメジャーになりましたし、教育分野に進んだり、結果的には良くなったことが多いのではないかと思います。ノッチさんが売却して退職された、その一点だけを除けば。


――:マイクラが教育へ展開していくのはいつごろだったんですか?

2015年末ごろだったと思います。実は個人的には「ようやくオフィシャルが追い付いてきたぞ」という感想だったんです。僕自身は電子計算機をマイクラの中でつくっていたり、コマンドブロックを論理演算でやっていて、その前から「マイクラは十分に教育コンテンツとして機能する」と自分なりに取り組んでいたんです。

MSはWord、Excelなどのオフィスの販売をしているから、文教チームがあるんですよね。マイクラ買収後に、その文教チームが教育とつなぎこむ一つの手段としてマイクラのEducation Editionを展開するんです。それを見て、僕もこれだ!と思って、単身MS品川の門をたたいて、一緒に自分もお手伝いさせてもらえないかと話にいったんです。


――:さすがの行動力ですね!MSの方も驚いたんじゃないですか?同じ方向性で可能性をすでに追求している人がいた、と。

そうですね。それで色々お手伝いしていったこともあって、「MIEE(Microsoft Innovative Educator Expert)」でアワードに2年連続で選んでいただき、その後はシアトルのMS本社から)から「Microsoft Innovative Educator FELLOW」の名誉ある称号を頂きました。日本全国で300人くらいExpertのうち現在は9人しかいない中の7番目です。横を見ると文科省とか名誉教授とか偉い人がいっぱいいるなかで、「会社にも大学にも所属していない1フリーランサーのタツナミ」がいることの違和感をビシバシ感じましたね(笑)。


――:ただすでにマイクラって認知を十分獲得している気もしておりますが、こういった教育展開への活動は必要なものなのでしょうか?

マイクラは自発的に子供の創作意欲をみちびきだすプラットフォームなんです。すでに世界で2億人もの登録者がいて、世界最大です。ただ、それでも親御さんとお話すると「でもマイクラってゲームですよね?」という、まだ否定的な意見は少なくないんです。商業的に大ヒットしている方向軸と、教育できちんと信用を得てそれを公共のツール化していく軸は別の方向です。僕としてはそれを一致させていくということがミッションですね。


――:私も最近色々調べている領域なんですが、Web3やメタバースとは文脈的に接合しないんでしょうか?もう2億人がいる空間というだけで、かなりポテンシャルはありそうな気はしますが。

一点、マイクラが違うのは、先ほどの「有料で買ってくれたユーザーさんにはそれ以上のお金を払わせず、おもいっきり自由に遊んでもらいたい」という思想なんですよ。ブロックチェーンゲームにしてお金を呼び込むというのは、そういったポリシーとはだいぶ違う気がしています。

また、マイクラってサーバー単位で全然文化が違うんですよ。それこそSAOでいう茅場明彦がいっぱいいる感じで、このサーバーは無制限公開でどんどんサバイバルでつぶしあうけど、このサーバーは会員限定でしか入れなくて、協力して皆で世界遺産のようなものを作る、とか。“アインクラッド城”が数百個あるようなもので、サーバーによってはお金とって皆でコミュニティマネジャーをやとって、すごく秩序だって平和な組織運営をしていたりする。


――:なるほど!じゃあ公式のMS社が統括してマイクラの世界をコントロールしているわけじゃないんですね?

公式としては自治が働くのを助けて、荒らしの対策やデータが壊れた時の復旧などはアドバイスしてくれますが、基本はユーザー同士で作りあうコミュニティの良さをそのまま生かしていこうとされてますね。
そもそもマイクラって新しいブロックやキャラクター、ギミックを投入するときは「投票」もあるんですよ。そこで選択されなかったものは、MS側がどれだけいいと思っていてもリリースしない。そのくらい、現在の2億人の“民意”によって動いているので、勝手にメタバース化してNFTを売り出したなんていったら大変なことになります。


――:そうなんですね。そうであればこそ、2億人が集まったということですもんね。

一つの派生先としてそういったものもできる、というのはありえると思いますよ。マイクラもマイクラDungeonsとか派生した全然違う商品もありますし。マイクラVerseみたいなものも出てくるとは思います。


■地球8個分の世界が無数にある「原初の地球」マイクラがリアルと融合する未来

――:お伺いしていて思いましたが、タツナミさんっていろんなことをやってきている様で実は、ブレてないんですよね。「創ること」「表現をすること」「教えること」、この3つだけはずー-っと軸はぶらざす、ただ芝居とか声優とか脚本とか「形式」だけ変わっている。

よく言っていただきました!そうなんです、情熱大陸でも一点だけ違和感があったのは「色々なことをやってきた。だが、どれも長続きはしなかった」というナレーションだったんですよ。いやいや、僕、声優やめたつもりはないんですよ。今もマイクラが多めになってきてますが、全然現役で芝居もデザインも脚本もやりますし、全部続けているんですよ。

やりたいことは今でもいっぱいあります。今日もこのあと、映画っぽいシネマ的な写真をとりたいなと思って、ほら、こういうレンズを買い替えようかと思って(…とゴソゴソと大砲のようなカメラを取り出す)


――:ホントに伝わってきます。そうやって色んなものを手掛けてきて、そして出会ったのがマイクラで、あとは13年間マイクラを推して、推して、推し続けた。その結果が、「日本唯一の専業プロマインクラフター」で、正直経済圏も先行者もいないところで、タツナミさんだから生きられている世界ができた。そんなタツナミさんを応援しようという人たちが“民意”によってこの1人分のプロの職業スペースを作り出している、そんな印象を受けました。

そうですね、ホント変わってきたのはここ最近なんですよ。『マツコの知らない世界』(2020年12月15日放送回)や『情熱大陸』(2021年5月23日放送回)に出るようになってから、急にお声かけていただくことが増えました。それまではホント1人のゲーマーとしてコツコツ、ただマイクラ内で建築物を作っているだけだったんですよ。

それがいつのまにか明治大学や慶應大学のような立派な場所で一緒に共同研究させていただくようになったり、僕自身のライフワークでもある「教育」という方向にマイクラ自身が近づいてきてくれて、このマイクラの経験が全く意図していなかったのにそのまま教師になる道につながっていて、、、本当に感謝しかありません。


――:10年後マイクラはどんな世界になっていると思いますか?

リアルな世界と融合してほしいなと思います。Wearableをかざすと世界が全部マイクラのBox化したイメージで見えたりですとか。マイクラってワールド(サーバー)ごとにどのくらいの広さかご存じですか?


――:え、考えたことないですね。かなり広いですよね??

地球8個分なんです。1サーバーごとに地球8個分、その空間が何万個ってあるんですよ。それだけ際限ない空間が広がっていて、どれだけ作っても作っても際限がない。だからこそ僕は13年間生きられているです。「本当の自然」に近いですよね。


――:なるほど、それを考えるとなおのこと、「制限を設けて、希少性によってデジタル所有物に交換可能性・市場性のなかで投資を呼び込む」ようなNFT世界化とは相いれないのかもしれませんね。そして「本当の自然」というのはよくわかります。15世紀の大航海時代ってまさにこんな感じだったんじゃないですかね。今の我々にとって「地球8個分の世界が何万個とある」というくらい、途方もなくて誰が何をしても文句言えないような未知のなかで、人の営為が予想もしない世界を切り開いていく。

人間ではどうこうならない、本当に際限ないものだと思います。「経済活動しまーす」と誰かが線引きしても、それは都市の一部だけの話で、その城壁の外には膨大な荒野がある。そういう人間の原初に近い体験が、いまのマイクラでは出来ており、それによって何らかの人間社会の写し鏡になっているのかもしれません。

これからも私はずっとプロマインクラフターであり続けると思いますし、より多くの仲間をこの自由すぎるプラットフォームのなかで育てて、そして「創ること」「表現すること」「教えること」を続けていきたいと思います。

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
企業データを見る