【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第51回 アート人材グローバル獲得競争の交差点マレーシア―“日本のピクサー"ポリゴン・ピクチュアズが辿り着いた境地

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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マレーシア特集第2弾、前回は2DアートスタジオであるOLM Asiaだったが、今回はPetaling Jayaに位置するCGアートスタジオのポリゴン・ピクチュアズ・マレーシアである。100名規模を誇り、すでに10年もの歴史をもつ老舗である。日系企業のアニメ・CG・ゲーム会社進出がまだ少なかったこの時代に、なぜポリゴン・ピクチュアズはマレーシアという場所でアートスタジオを設立するに至ったのか。今回は創立当初から海外事業を牽引していた日本法人副社長、同時にマレーシアスタジオの社長である安宅さんに話を聞いた。

   


■日本最古参のCG会社ポリゴン・ピクチュアズ、2013年に日系初のマレーシア・CGアート会社を設立

――:自己紹介からお願いいたします。

ポリゴン・ピクチュアズの取締役副社長で、マレーシアの子会社であるポリゴン・ピクチュアズ・マレーシア(Polygon Pictures Malaysia)の社長をしております安宅洋一(あたかよういち)と申します。

――:安宅さんはアニメ制作会社経営者としては珍しいコンサルティング会社出身ですよね。

2006年に入社する前は日本能率協会コンサルティング(JMAC)、その後A.T.カーニーにいました。


――:しかもマレーシアでアニメ制作会社とは!珍しいキャリアの重ね合わせですが、ポリゴン・ピクチュアズ・マレーシアさんは私自身がバンダイナムコスタジオ・マレーシア(2016年設立)の仕事していたときから色々お聞きしていました。組んだ先の企業も老舗ですが、おそらく日系では一番最初にマレーシア進出されたと認識しています。

そうですね、JV(ジョイントベンチャー)を組んだSilver Antは私の知る限り、最も古くからあるマレーシアのCGアニメーション・スタジオです(1999年設立、常に「第二ポジション」から謙虚にトップを目指すという意味でSilverを用い、働き者でチームワークを大切にするAntを用いた会社名)。そことポリゴン・ピクチュアズでJVを作ったのが2013年ですね。当時からずっとSILVER ANT PPIという会社名でやってきましたが、昨年2022年末からポリゴンの名前を冠する形に変えております。

――:もう10年なんですね。最初から安宅さんがマレーシアに赴任されていたんですか?

最初は出張ベースだったんですよ。月に1週間程度現地で管理、状況確認をするような進め方でした。ただ現地スタッフ中心の現場は、平常時においては問題なくまわるのですが、非常時の対応、意思決定が遅れる、とわかってきて2016年に出向してKL(首都クアラルンプール)に住居ベースを移しました。ですので、KL暮らしとしては6年が過ぎた状況でしょうか。
 


――:「老舗」でいうと、そもそも1983年に設立された日本本社のCGスタジオ、ポリゴン・ピクチュアズさん自体が相当な黎明期に創業されてますよね。

まさにピクサーと時代を同じくして「これからCGの時代がくる」という未来を見据えて、UCLAでも学んだ河原敏文氏が立ち上げた会社です。ですのでアニメ会社というよりCGの会社と呼んだほうがしっくりきますね。

ただ創業者河原が『ジュラシックパーク』(1990、ユニバーサル・ピクチャーズ)を観て衝撃を受けたらしいんですよ。ハリウッドには敵わない、資本力が違いすぎる、と。CG映像の品質・規模で戦っている限りは米国企業との差を縮めるのは難しいのであれば、キャラクターに特化しよう、となったと聞いています。

そのころCM制作でCGキャラクターをバーチャルな俳優的に出演料をいただく提案を通したと聞いています。資生堂のイワトビペンギンとか(1995~97、資生堂の整髪料Super Hardで出てきたロッキー×ホッパー)。

――:たしかに「バザールでござーる」とか「NOVAうさぎ」とか90年代はCMで結構キャラクターモノ多かったですよね。当時はまるまる一作品をポリゴンで作るというのはそんなにやってなかったんですか?

CG制作は高額なので費用潤沢なCMでの短尺、ゲームトレーラー、遊技機映像くらいしかCGの高コストに耐えられなかったようです。あとテレビ・映画の世界って敷居が高く、一本任されるポジションになかなか入れなかったというのもあります。アニメCGに振ってきたのもホントこの10年くらいで、2010年代に入ってからだったと思います。


――:ピクサーも1979年のルーカスフィルムの特殊効果部門が発祥、86年にアップルを追い出されたスティーブ・ジョブズが買い取って始めたのが正式な設立で1995年に『トイ・ストーリー』を当てるまでは10年以上赤字続きでした。制作単価の高い米国でもその状況なのに、ポリゴンはよく日本で40年も続いてきましたね!?

いや、ずっと厳しかったことは否めません。正直ずっとギリギリのキャッシュフローなかで続けつつ、CGに未来を託すエンジェル投資家が継続的につなぎ資金を入れてくださったことで存続できていたような恰好です。アドバンテッジパートナーズといったベンチャーキャピタルや個人投資家からの支援に始まり、その後も色々あって、2011年には広告ビジュアル制作のアマナ、2014年には講談社系列の音楽レコード会社、キングレコードに一部株式を引き受けてもらったりと、資本投資のみならず、シナジーを模索しながら経営することで今に至っています。

ひと昔前は、ポリゴン・ピクチュアズ(1983年)に白組(1973年、東映アニメーションにいた島村達雄が設立)、デジタルフロンティア(1993年、TYO資本)もあわせて日本の3大CGスタジオとも言われていました。


――:実際関連会社ともそうした取り組みのなかから革新的なものもうまれてますよね※。その後になってアニマ(1997)、神風動画(2003)、マーザアニメーションプラネット(2005)、サンジゲン(2006)など3DCGの会社も規模をつけ、メジャーシーンでてくるようになります。こうしてみるとCG会社って実写やCMから始まって、ここ15年のアニメブームのなかで、初めてCGアニメとして入ってきたんですね。

そうなんです。トゥーンシェード(光の反射まで入れてリアルにみえる“Photorealistic Shading"に対して、トーンを落として手書きアニメのように陰影を反映させる“Toon Shading"で2000年代に入ってから浸透)が定着してきてから、CGを使ってアニメっぽい表現ができるようになりました。

Disneyの『トロン』(1982、世界で初めてCGを入れた映画、興行は3.3千万ドルで失敗したがファミリー向けイメージが強かったディズニーで転換期を象徴するタイトルであった)でCGによるエンターテインメント映像の歴史が始まり、その後ハリウッドのみならず、弊社をはじめ多くの日系スタジオが取り入れはじめていったところですね。

※講談社とポリゴン・ピクチュアズは2017年に「講談社VRラボ」を立ち上げ、VRアニメーションでヴェネチア国際映画祭でもVR部門でも受賞ノミネートされる成果を出している

――:日本ではKONAMIの『ときめきメモリアル3 〜約束のあの場所で〜』(2001)あたりから普及してきました。日米でこのアニメCGの取り扱いは違うものなのでしょうか?

日米でのトゥーンシェードへのアプローチで大きく違う点のひとつは輪郭線があるかないか、ですかね。日本でのトゥーンシェードの活用は当時Autodesk Max対応だった「日の丸シェーダー」が先陣だったと思います。ポリゴン・ピクチュアズは自社独自のトゥーンシェーダーを開発して使っています。

――:米国ではPixarとその後のDreamWorksが先端企業ですが、その辺が米国CGアニメと、ポリゴンさんを代表とする日本CGアニメの違いなんですね。

弊社副社長の守屋がもともとゴンゾ(1992設立)出身で弊社が手掛けたテレビシリーズの『トロン:ライジング』をみたとき、「日本のアニメに合うように作れるのでは?」と考え、出来上がったのが『シドニアの騎士』(第一期2014年、初期にNetflixで世界配信された作品)でした。


――:ゴンゾの属するGDHグループのトップは元コンサルでBCG(ボストンコンサルティング)出身の石川真一郎さんですね。しかし『シドニア』って、最初のNetflixの基幹アニメ作品でしたよね。当時の反応ってどうだったんですか?

賛否両論ありましたね。ロボットやSFものはCGが映えるのでそこが刺さって高く評価してくださる方が多くいた一方、従来の2Dアニメファンの一部の方からは「ヌルヌル動く。コレジャナイ。」ってバッシングされました笑。。


――:CGアニメは難しいですよね。直近も『SLUM DANK』が最初の場面写公開したときはずいぶん風評被害にあってましたね。いざはじまってみたら全然好意的に受け入れられてますが。シドニアの前にはCGアニメやってなかったのですか?

『デジタル所さん』(2000~01)とか『げんき げんき ノンタン』(2002~)などをやってましたが、そのほかは一部作業として担当ケースが多かったかと思います。日本ではシドニアを皮切りに一作まるまるを請け負うケースも増えてきて、その後の『亜人』(アニメ1期2016)などに繋がりました。


――:こうした中で、どうしてポリゴンがマレーシアでCGスタジオを作ろうという話がでてくるんですか?

SilverAntとは2010年ころからお付き合いがあって外注先パートナーとして発注していました。彼らも当時から70人くらいの人員を抱えるマレーシア最大のCGスタジオで、創業者のGoh Aun Hoe社長も日本電子専門学校でCGを学んできたこともあり、日本的仕事の考え方・仕方への理解も深かった。マレーシア初のCGアニメ映画『SeeFood』(2011、アルジャジーラ・キッズ・チャンネル)はSilver Antの作品です。

塩田も僕も海外での経歴が長かったこともあり、2007~08年ごろからコスト面でも人材採用面でも日本内だけのモノづくりでは早晩限界がくると思っていました。中国や台湾など国外での開発拠点を模索していたところで、実は一度シンガポールの学校と提携して中国の成都にスタジオを立ち上げる計画があり、実行の最終段階まで行っていました。ところが途中でその学校の中国における教育ライセンスが取り消されてしまって、この計画はとん挫してしまいました。どうしようかと考えていたところで、外注先でもあったSilverAntが手を上げてくれたんです。


――:それで約半分ずつ出資して、一緒に合弁会社を作る、という形に2012年になったんですね。

はい。SilverAntも約半分出資したジョイントベンチャーという形で立ち上げました。操業を垂直立ち上げするために、最初の30人のスタッフはSilverAntから移籍もらっています。それくらい、Silver Ant及びGoh社長がいなかったら実現が難しく、遅れていただろう事業です。

すでに『シドニアの騎士』の制作は決まっていましたので、その一部をこの合弁会社に発注しながら、ポリゴン・ピクチュアズのスタッフを日本からも派遣してマレーシアの人材を育成していきました。

 

■日本初の経営コンサル企業でメーカーの海外戦略、戦略コンサルが本気でアニメ会社のSCMをやってみた結果

――:そもそも、以前コンサルだった安宅さんが、どういう経緯でポリゴンに関わるようになっていったのですか?

代表の塩田周三と幼馴染なんですよ。2人ともサンフランシスコ界隈で育ったのですが、ちょうど中学校時代の補習校(海外の子供たちは日本語を忘れないために平日現地校、土曜日は日本行政が用意してくれる補習校で日本語で勉強を学ぶのが一般的)でクラスメイトでした。


――:なんと!そんな古い時代からの付き合いなんですね!?

塩田は中3で日本に戻り、私は高校までアメリカだったのですが、そのままアメリカで進学してしまうともう日本には戻れないなと思って、早稲田大学に進学しました。卒業後は、父親がメーカーだったこともあって、製造業のコンサルティングを得意とする日本能率協会コンサルティングに興味を持ち入社しました。

日本能率協会(1942年設立)って実は相当歴史があり、戦時中に日本の軍需製造における生産性を上げるために工場生産性や品質管理のノウハウを注入したところから始まったと聞いています。日本の大手製造業のほとんどにコンサルティング支援してきた歴史ある会社なので、じゃあそういう「地に足のついた」コンサルをやれればと思い、と入社しました。

ただ入社した途端、英語力買われて日本能率協会コンサルティングのアメリカオフィスの立ち上げの仕事を任されるので、生活の場としてはまた米国に戻って8年間米国にいたのですが。


――:JMACは1980年に日本能率協会から分社化した「日本初の経営コンサルティング会社」ですよね。外資だとBCG(ボストンコンサルティング)が1966年と最も早い日本支社で、ちょっと遅れてMckinsey&Company(マッキンゼー)が1971年に日本支社設立。大前研一さんが72年に入社されて、経営コンサルを日本で80年代に広めた立役者ですよね。続くATカーニーも72年。日本能率協会コンサルティングは結構人数も多かったと記憶してますが、その後転職されるATカーニーはいわゆる少数精鋭の「戦略系」のキラキラ外資系コンサルですね。

JMACが400人程度でしたけど、私が新卒で入社した当時は外資系コンサルって会計系以外はまだそんなに知名度も高くなかったと認識してます。私が帰国した2002年頃になると、外資戦略系コンサルティングファームも日本市場での地位を確立しており、ATカーニーも70人くらいの規模だったと記憶しています。A.T.カーニーの当時の評価は、「戦略のみならず現場に近いところで成果を出す戦略コンサル」としてMcKinseyやBCGとの差別化がされていたのではと思います。

私もJMACを一度休職してMBA(イエール大学)で学んでいたので、そのまま転職した形でした。


――:塩田さんからは、その時期にお誘いがあったんですか?

日本に戻ってからも付き合いは続いていて、大学時代は一緒にバンドも組んだりしていたんですよ笑。彼ももともとは新日鉄のコンピューター部門にいたのですが、その後独立してコンサルタントとして入っていたのがポリゴン・ピクチュアズでした。その後、ナムコとソニーコンピュータとポリゴン・ピクチュアズで作っていたドリーム・ピクチュア・スタジオ(DPS)の立ち上げから閉鎖まで深く関与し、DPSの遺産をポリゴン・ピクチュアズで引き受けて、のち社長に就任したと聞いています。

塩田がポリゴン・ピクチュアズの社長の任命される前から時々相談というか会社の話しは聞かされていたのですが、カーニーでしばらくやっていたころ、社長に任命されて間もない塩田から「COOポジションで来ない?」という誘いを受けました。多少迷いもあり、企業としての盤石性を調べてみよう、と。中山さんもご存じのようにコンサルって会社サーベイかけられるじゃないですか?

――:いろんなリサーチ企業と提携してますもんね?就職先考えるときには重宝してました笑

それで当然ながらポリゴン・ピクチュアズも調べるわけですよ。そしたら、複数年間業績不振が続いていて。しかもちょっと見たことのない低い信用度ランクで、これはなかなか厳しい状況なのだなと思った次第です。一方、CG映像制作会社、アニメ制作会社産業全体はどうなのだろうと調べてみると、意外にちゃんと儲かっている会社もあったんです。

それで塩田社長の経営にジョイン しようと決めました。産業自体がダメなわけじゃなく、ポリゴン・ピクチュアズの業務プロセスなどやり方を変えれば、いける産業なんだ。だったら塩田新社長体制であれば自分が入って改善できる余地も大きいのではないかと思って。

――:さすがコンサル、逆の発想ですね!!普通は低いからやめますけど、高いベンチマーク企業があってそのなかで低いならむしろ自分の関与価値が高い、と捉えるわけですね。

そうですね笑。やっぱり自分で経営してみたかったんですよね。なにより自分が得意としてきた生産技術の改善とCG制作が相性がいいという確信がありました。


――:確かに2Dアニメに比べて3Dは工程も多く、製造業的な特性強いですよね。

そうなんです。CGアーティストは覚えるべきスキルが膨大で、モデルを作り、ボーンを入れて、動きをつけるアニメーションがあり、更にライティングもエフェクトもあるし、全部一気通貫で1人が高い品質を保つのが極めて難しいんです。得意分野が限られる場合のほうが一般的なので、それぞれがスキルを特化させていくことが大事。そうなると、逆に生産工程の効率的な分業化とタスク進捗の調整が大事になっていきます。


――:SCM(サプライチェーンマネジメント)ですね!

私が入社する前から、ポリゴン・ピクチュアズは極めてシステマチックに業務を進める会社でした。もともと分業化はされていて、それをどう管理していくかをパイプライン設計のスタッフ達と一緒に考えていきました。現在取り組んでいる仕掛けの例は「在庫の見える化」で、CGアニメでも一つの工程でどう詰まっているかを可視化すれば、他のラインが止まらないアクションが明確になります。モデリングとリグ工程の合間で、どのくらい在庫が溜まっていれば適正なのか、その停滞率や欠品率なども定量的に計ることで、全行程が最大限のパフォーマンスを出せるように作っていけたらと考えています。


――:ホントKAIZENやKANBANみたいな生産技術のSCMですね。やってみた結果どうなったんですか?

それだけが回復の理由ではないですが、最初の1年で黒字化するようになって、その後はコスト管理のレベルは向上していきました。また同時期に塩田が長年営業をかけてきたディズニー社との案件が身を結んでくるんです。当時1話2000万円に全く届かない国内アニメ制作の予算では、3DCGが参入できる見込みはありませんでした。バジェットがある北米市場から仕事をもらわないと生きていけない、という塩田の思いがあって2005年『プーさんといっしょ』の受注に始まり、どんどん北米の大型CGテレビ・アニメーションの制作受注をするようになっていきました。


――:それが『超ロボット生命体 トランスフォーマー プライム』(原題:Transformers Prime、2010〜)などにつながってくるわけですね。ポリゴンさんの案件はがっつり北米ハリウッド企業のものも多いですが、それもここ10年に結果がでてきたものなんですね。『Star Wars: The Clone Wars』(2011~13)であのスターウォーズの案件もされてます。

 

■コロナ期にリアル・グローバル人材獲得競争へ。QOLを整えることが企業の競争力につながる

――:アニメCGがこの10年で普及してきた理由というのは改めて、何なのでしょうか?

大きく2点あると思います。日本市場におけるCGアニメの普及の理由1点目は前述のようにToon shadeという技術が普及したこと。市販でもこうしたプラグインソフトが買えるようになりました。2点目はストリーミングサービスの台頭かと思います。NetflixやDisney+のような動画配信が一般化したことで、アニメ制作の市場価値が大きくあがりました。もはや8年前になる『シドニア』は大きな実験でしたが、だんだんCGアニメをつくっても価格が合うようになってきました。


――:東南アジアの外注だと、「クオリティが出せない」問題はおこりませんか?資本関係があっても(親会社、という立ち位置で資本関係あるほうがもっと強い反応がくることも多い)、日本の現場からNoが出ることがしばしばとも聞きますが。

それはあります。シドニアの際も最初の半年間は日本のスーパーバイザー級のスタッフに定期的に来てもらって日本アニメ特有のスキルを教えていました。結果的に、「半分のコストで日本の8割のクオリティが出せる」ができれば一般的にはまずは合格点なのだと思います。でも現場としては8割だと不足している2割ばかりに目がいきがちなのは仕方ないですし、現地としては10を目指すことを止めてはいけないと思います。

弊社のなかではコスト構造が今のままなら「海外と一緒に作る以外に、選択肢はない」と理解してもらっています。それでも時には「マレーシアだと8割クオリティだけどタイの外注先スタジオなら9割まで出るから、そちらを使いたい」など現場からの意見が出ることはあります。それでもコスト、技術流出リスク、クオリティリスクなど優先順位をつけて、育成をとってマレーシアにするのか、スピードをとってタイでやるのか、ということを決めるのはもう経営判断の領域です。

でもモノによっては日本よりもむしろうまかったりしますよ。英語のリップシンク(声にあわせてアニメの口パクをうまく動かす)などは英語を普通にしゃべる国だからこちらのほうが上手かったりします。

――:最初30名スタートでしたが、現在は何名くらいで運営されてるんですか?駐在員の数ですとか、外販比率などはいかがでしょうか?

現在は90名程度ですね。駐在は3名で、私と制作管理、システムの管理ポジションにそれぞれ1名ずついます。現場がまわせるスーパーバイザークラスのスタッフは日本本社でも枯渇しているので、なかなかマレーシアにすぐに送れる感じではないです。基本的にはマレーシアからの外販はなく、ポリゴン・ピクチュアズの仕事をメインにやっています。

弊社は10年たってここまでやってきましたのでBNSMさんやOLMさんがここ5年程度の短期間で100人以上のスタジオをつくったというのは本当に凄いなと思います。


――:KLのアートスタジオ業界的には大規模スタジオですよね。

Lemon Skyの400名規模は別格としても、Passion Republic含めてほとんどがこの100~150名規模ですよね。

景気の波にも大きく左右されがちで急速に大きくするのはリスクも伴います。以前『ナルニア国物語』(2005~)などのCGをやっていたRhthym and Hues Studioは4年間やって数百名規模になってましたが、2013年にチャプター11で再建型の倒産処理したり。最近もアベンジャーズ作品などやっていたBaseFX(2003年設立の500名規模の中国企業、2018年に初の海外スタジオをマレーシアに設立)が200人規模にすると一気呵成に採用していたのですが、100人超いたスタッフをコロナかで急激に1/4くらいに縮小したり、シンガポールのVHQ Media(1987年設立)もマレーシア支社閉鎖と聞いてます。

サステイナブルに増やしつつ、案件数をコントロールしながらクオリティを上げて、というバランスが大事ですよね。

――:アートスタジオやアニメスタジオの経営の難しさは「経営人材」だなと感じます。そもそも一級品のアーティストがそうした「経営」をやりたいかというとそれも別ですよね。さらに「海外」という軸まで入ると、一体どうやったらいいかわからないという声をよく聞きます。よくポリゴンさんはこれだけアグレッシブに海外やられてますよね。

塩田という日本という縛りのない人材がトップにいることが大きいと思います。私も含めて彼のビジョンに魅かれた海外でも活躍出来る人材が集まってきますので。

やっぱり現場でアーティストとして活躍していた人間が経営に参画したとしてもじゃあいきなりマレーシアでスタジオ立ち上げましょうと発言する人材がいるかというと、それは稀ですよ。無理に経営を任せても本人も苦痛なばかりでしょうし。じゃあ財務会計などコーポレートだけやっていた人間を送ればいいかというと、それはそれでカルチャーフィットの面で難しい場合もあります。そちら側だと“批評家"になってしまってスタジオをドライブさせられなかったり、と。

結局は「自分事で考えられる人間」かどうか、が社内にいるかどうか。いなければ外からひっぱってくるしかないのですけどね。


――:いまはどんなステータスなのでしょうか?ポリゴングループとして全体の人数ですとか。

今のマレーシアは人の取り合いフェーズにちょっと入ってしまっていますね。成長しているスタジオも増えてきたので、給与水準も上がってきていますし。その割にはまだシニアな人材が育ってきていないと感じています。需要が先行しています。

ポリゴングループとしては日本300名、マレーシア90名、インド10名で世界400名程度の体制になっています。実はインドにも2021年に新しい開発スタジオを作っています。日本本社で働いていたインド人スタッフで、このマレーシアでも役員やっていた信頼できる人材が自分の地元で立ち上げたいというので、彼に主導してもらって。実は日本人が一度も現地にいかずに現地支社がスタートしたという初めての事例です。

――:えええ!それは凄いですね!商社でもなかなかないんじゃないですか、そんな事例。リモート時代を先駆けてますね。

だんだんそういうスピード感でビジネスしていることが求められている気がします。 CGアーティストは今世界中で取り合いですよ。コロナのあとに急激にモビリティがあがっています。

弊社でもこの3、4か月でインドネシアからの応募者が物凄く増えています。それで面接をしているとよく出てくる志望動機は「コロナが収まってオフィスに戻れという会社側からの圧力があって、リモートで働ける場所を探している」。もしくは移住するにしてもQuality of Lifeが高い国にどんどん人が流れている傾向を感じます。ほら、ジャカルタって通勤渋滞がやばいじゃないですか?

――:ジャカルタの渋滞は世界ワーストのトップ3くらいに入りますよね。空港から都心にいくのに10kmなのにタクシーで2時間かかったりして。ちょうど徒歩と同じ速度ですよね笑

そうなんです。あそこって「平均」通勤時間が2時間、みたいな都市だったんですよね。コロナで効率的な仕事を覚えたジャカルタの優秀人材は、現地企業で毎日出社を強要されるよりもむしろ出社日が週1日でいいのであれば海外(マレーシアKL)の企業に転職することを拒まない時代になってしまった。


――:いやはや。まさに、2007~08年に塩田さんと安宅さんで話されていたような時代がきていますね。そうしたなかで“日本が取り残されている"感が強い。

日本の中だと引き抜きだったり、直接海外人材のハンティング機会も少ないので、気づかないでしょうね。「英語が話せる」という条件だけはMUSTですが、ASEANでは所在地に寄らずに、ガンガン海外での仕事をみつけてくるモードに入っている。より人材をRetain(保留)することが難しくなっている。弊社は今後も当面はオフィス出社日を週1日程度、出社強制でない日でもの状況応じて2割程度のスタッフが出社する状況を想定して体制を整えようと思っています。

 

▲リモート勤務8割のオフィスで確かにスタッフはまばらに勤務

――:これ、アーティストってPCのGPUスペックめちゃくちゃ高いから、リモートに向かないという問題があったかと思うんですが、その辺どうなのでしょうか?

そこもテクノロジーの進化です。「リモートデスクトップ技術」で、自分のノートPCからリモートで会社PCを立ち上げて、会社のPCのCPU/GPUを使えるんです。会社ではずっとPCをオンにして駆動していないといけないのですが、通信速度やデータ圧縮技術の進化でここまでできるようになりました。誰もいない真っ暗なオフィスでPCだけ立ち上がって動いている風景はそれはそれで異様ですが笑。最近、オフィススペースを全部潰してサーバールームのようにPCだけ並べている企業もでてきているようです。


――:ディストピアですね!それでも貴社はちゃんと座席は残してますし、パントリー(飲み食いできるキッチンスペース)も確保されてますね。

迷うところですよね。効率だけ求めると完全リモートで済ませちゃいますが、会社や同僚との繋がりを何で担保していくか。マネジメントの効率性のためだけなら100%出社しろ!ですけど、逆に0%にして社員がハッピーかというとそれはそれで仕事しづらくなる。マレーシアと日本で人の行き来もコロナの終息に合わせて再開したいのですが、じゃあ日本に出張したとしても日本本社で出社しているスタッフが2割程度なので出張先オフィスでポツンと1人になってしまいますよね笑。

個人的にはこの3年間って以前からの「つながりの貯金」を取り崩して、なんとかうまくやれていたと思ってます。コロナ前に積み上げていた信頼関係の残余で成立していましたが、直接顔合わせした経験の少ない新しいスタッフも増えてきた。今度はリモートの中でも信頼を積み上げる方法が必要になっている。だからマレーシアでは週1の月曜出社だけはマストにして、朝食もフリーでサーブしたり、間食用スナックやドリンクを常備したりして出社インセンティブが上がるよう、できるだけ演出を心掛けています。


――:個人的には日本は人の出入りは少なく「鎖国性の強さ」は課題ですが、逆に大量リストラがなかったり、QOLに関しては比較的いい企業も多いですし、そこは競争力の源泉になる気がしています。

それはありますね。いきなり人を切ったり増やしたりしている外資系に比べると、そういう「信用」は日本企業の強みかもしれません。コロナ禍にあちこちの外資系企業で見られた閉鎖やリストラ、給与支払い遅延から、日本企業の良さが再認識された面はあると思ってます。弊社は全グループ社員の2~3割は外国人になってきているなかで経営陣に「海外アレルギーがない」という意味では、わるくないポジションはとれている気がします。

また、インドやインドネシアのほうがコスト的には安いですが、クオリティも含めるとマレーシアは悪くないポジションにありますし、タイほど賃金は上がっていない。そうした中でどう人を育てて、Retainして、バランスよく大きくしていけるか、というところが問われています。マレーシアは親日で英語を第2外国語としてしゃべれる強みがあるほか、日本のアニメを見て育った世代が働き手になっているのもメリットのひとつです。

なので、今後本社と同等の品質を担保できるスーパーバイザークラスが育てばマレーシアを拠点とした他国への発注ハブとなりえると認識しており、いかに早くそこにたどり着けるかが課題だと思ってます。

――:日本で40年、マレーシアで10年、インドで1年。ぜひこれからも日本CGアートの「フロンティア」で追随できるようなモデルケースを作り続けて頂きたいな!と思っております。

 

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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