【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第52回 リソース集中の達人-内閣総理大臣賞・東大卒のセミ研究者が24歳で5千名上場企業で“頭脳"になれたワケ

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
/

矢口氏は以前特集した早川尚吾氏が所属する孫正義育英財団の出身者である。さすが早川氏が強く推薦するだけあって、その経歴は異色も異色。小中高と夏休み自由研究で「セミの研究」を続け、内閣総理大臣賞の受賞と世界大会への参加をし、東大に推薦合格をすると孫正義育英財団の財団生となる。現在は社会人2年目でDVDレンタルで一世を風靡したゲオHDの社長室において特命担当として科学的アプローチ推進の仕事をする彼の、なぜこうした華々しい経歴を獲得しえたのかを聞いた。実態としてみえてくるのは極端な能力の高さというよりは、徹底した自己認識とリソースの効率的な集中、そして営業力・人間力。ビジネス業界における天才の生かし方、をぜひ考えてみたい内容だ。

 

24歳でゲオHDの社長室秘書課 特命担当。会社初の新卒東大生が「科学」をもたらす
7年間のセミ研究が実り、高2で内閣総理大臣賞・世界大会進出。リソース集中投下で東大推薦獲得
生活の糧を辿り、孫正義財団へ。目標は富岡製紙所のお雇い外国人。
地域史上初の東大生が、新たな東大生5人を生む奇跡。優秀人材が分散化する社会のパレート最適 

 

■24歳でゲオHDの社長室秘書課 特命担当。会社初の新卒東大生が「科学」をもたらす

――:自己紹介からお願いいたします。

東京大学大学院 修士課程の矢口太一と申します。ゲオHDでは新卒2年目の現在、社長室秘書課 特命担当として、科学的なアプローチ推進をミッションに仕事をしています。

  

――:ゲオって「レンタルという消えゆく文化」のなかでかなり厳しい成熟産業で戦っているイメージでした。調べたら、普通に “成長企業"なんですよね。

みなさんご存じの『GEO』は“メディア系(DVD・CD・コミック・ゲーム・携帯)"の「レンタル」だけでなく「リユース(中古)」や「新品」の割合を増やすことで成長を維持してきました。そこに最近一気に伸びてきたのが、“衣料服飾・ブランド品・趣味用品・家具・家電・ゴルフ"などの中古品を扱う『セカンドストリート』という業態です。

今GEOが日本全国約1000店舗ありますが、セカンドストリートが約790店舗(どちらも約9割は直営)、他のものも含めるとゲオHDとしては日本全国で約2000店舗を展開しています。


――:リユースへの転換が非常にダイナミックですね。メディア系のGEOが285店舗(2000)⇒1316店舗(2013)と急激に伸ばして、TSUTAYAと100円レンタルで覇を競っていた時代から一幅。現在は1100店舗まで微減させ、安定しています。逆にこの10年はリユース系の店舗が236店舗(2008)⇒1000店舗規模まで増やしており、こちらが明確に成長原資となっている感じです。

毎年50~60店舗出しているような状況です。これまでは通常の小売店舗の出店と同様に、出店判断時にはどうしても担当者の経験と勘に多くを頼らざるを得なかったところ、いかにデータを入れてさらに失敗率の低い出店判断ができるか。1店舗あたり土日・繁忙期のなかで何人でまわすのが最適解なのか。売上最大化のための商品の買取・適正在庫はどのくらいなのか。こういったあらゆる局面のデータを解析して、数理モデルをつくり、次のステップに生かすというのが僕の役割になります。

 

――:日本の映像・音楽のレンタル市場って2007~08年の3500億円を頂点にして、もう2022年で719億円なんですよね。まさかの市場8割減の衰退産業で、PIVOTによって売上増を続けている。このリユース系1000店舗開発の投資判断を、矢口さんの分析をもとに行っているということですね?

あくまで、私のモデルは出店の意思決定時の"補助ツール"でしかありません。最終的な意思決定の主体はやはり「人」ですから。ただ、リユース出店の意思決定フローの中で「売買予測モデル」をしっかり活用いただける段階に進んできました。

小売業って「立地が全て」みたいなところがあると思っています。成功・失敗の寄与度でいうと8割方どこに店舗を構えるかの立地戦略で決まって、あとは店舗オペレーションで2割上方・下方修正していくというのが一般論として言えるのではないかと。だからこそ、人の経験と勘だけではカバーしきれない部分をしっかりと予測モデルで補って成功確率をあげていくことが重要です。

  

 

――:非常に重責ですね。驚きなのはなぜ新卒2年目の矢口さんが、24歳の若さでその仕事をしているのか、そしてゲオHDに東大卒のスキルを入れようとしているのかが知りたいところです。昨年入社されて、同期はどのくらいいらっしゃったんですか?

2021年4月の同期入社は約250人ですね。僕も1年目は店舗配属になって、佐賀県のセカンドストリート店舗で働いていました。5か月間の店舗勤務を経て、本部へ移動。現在はこの仕事について1年弱たったところです。

 

――:超抜擢ですね。そんな短サイクルでも「役に立つデータモデル」がつくれるものなのでしょうか? また、こういうのって“政治力"のほうが重要だったりしますよね。モデルをつくっても誰も動かなかったり。

私自身がいかに良いモデルを作ることができるか、はもちろん大切ですが、社内各部署のキーマンに科学的なアプローチに対して賛同いただいていることが一番大きいです。こうした科学的アプローチを「文系企業」で活かすには、"聡明な意思決定者がいるか"次第だと思っています。その結果として、武器として活用いただける範囲が少しずつ増えてきて…だから今メチャクチャ面白いです。

 

――:現場経験も短いですし、もしかして最初からこういったポジションありきで採用されたんですか?

代表取締役社長の遠藤結蔵さんとは大学時代からすでにお話はしていて、「ゲオで科学する」ことを期待されて入社させていただいた、という経緯があります。

 

――:なるほど、ねらって入ったというところもあるんですね。確かセミの研究をされてたんですよね?

はい。その小中高と夏休みの自由研究で「セミ」をやってきて、その延長線上で大学では「感性設計」という人間の感性を追求する分野を研究していました。人がどのくらいの商品レベルから「汚れている」と認識したり、逆に愛着が湧くかといった臨界点を分析し、感性と商品価値の関係性を明らかにしようとしています。

 

――:こういうケースを何度か見たことはあるのですが、普通は「本当に研究者肌の人」が実業への影響度がみえにくい基礎研究をやっているケースのほうが多かったイメージです。でも実は矢口さんにお会いすると(良い意味で)どう儲けるかとか、誰に話をするのが最適か、とか営業マインドがかなり強めな研究「外」のところも強い印象です。名刺アタックの記事を拝見し、めちゃくちゃビジネス事業開発的な動きをしているな、と。

東大新聞の記事ですよね(笑)。自分の名刺つくって、講演会で一番前に座って、質問して、終わったら直接話に行け、という話をさせていただきました。このときは衆議院議員や県知事、上場起業家など色々な方にこうしてお話を伺っていました。

 

――:じゃあゲオの遠藤さんにも同じように・・・

はい(笑)。講演会ではなかったですが、まさに「名刺アタック」で、ゲオの現状と自分が何ができるかのアピールをした上で、だったらゲオで科学してみないかというお話を頂いた次第です。

 

――:営業ができる研究者、最強ですね笑。

 

■7年間のセミ研究が実り、高2で内閣総理大臣賞・世界大会進出。リソース集中投下で東大推薦獲得

――:家庭環境や兄弟関係お聞きしてもよいですか?勉強に熱心な家庭だったんでしょうか?

三重県の伊勢出身で、弟と妹の3人兄弟です。両親ともに高卒です。父親は昔国体に出ていたような自転車選手で社会人になってからも続けていたんですが、ある時起業して町工場を始めたんです。母親からも「勉強しろ」みたいなことは一度も言われずに育ちましたね。僕が東大に入った時も、「まさか我が家から大学出がでるとは・・・」という驚きがでるようなもので、自分でもまあよく入れたなと思います。両親ともに高卒のいわゆる“ファーストジェネレーション"です。

 

――:小学生のころからの生粋の「セミの研究者」ということですが、夏の自由研究でいつごろからスタートしたのですか?

小学5年生のときにやった自由研究で、セミの抜け殻を集める研究をしたのが最初でした。その時は数十匹のセミの抜け殻を集めて、羽化の時期を比べただけの研究だったんですが、クラスで選ばれて伊勢市の自由研究展で科学賞みたいなものを頂きました。

 

――:驚いたのは、それから毎年ずっとセミの研究だけをやり続けるんですよね?

はい、6年生のときは羽の大きさと体重を分析して、父親がPCとコピー機を使って手伝ってくれてセミの面積と大きさをはかりました。父親の理解とサポートが大きかったですね。中学生になるともっと進化させて、セミの羽を切ってスキャンしながら、本格的な研究に入ります。もう夏休みは部活の時間以外は1か月間まるまる自由研究だけに費やすようになっていましたね。獲るセミの量も100匹超えで。

 

――:とんでもない量ですね。普通、夏休みって部活もあるし、友達と遊んで、最後数日で自由研究を仕上げる、みたいなもんですよね?

部活も続けてはいました。小学校のときから陸上はやっていて、中学では陸上100mで東海大会の三重県代表に選ばれたりもしていたのですが、中学2年の自由研究で伊勢を飛び越えて三重県で1番になりました。もう陸上よりもセミのほうが全国狙えるなというのがあって、高校に入ったら部活もやめて完全にセミ研究に振り切ったんです。

 

――:しかしなぜ飽きずにセミだけを研究したんですか?普通は毎回新しいことをやりたくなるものかと。

自由研究で全国大会があって、優勝すると「内閣総理大臣賞」など大臣賞が受賞できる、その先には世界大会があると知っていたのでそれを目指していました。すでに最初で賞をもらっていたし、他に同テーマを研究している人もいないのはわかっていたので、セミを極めて世界大会を狙うのが一番おもしろいと思ったんです。純粋にセミが面白かったのももちろん大きいです。

 

――:陸上もやっていたし、そのなかで自由研究に全ぶりしたんですね。そもそも最初から勉強はできるほうだったのですか?

とびぬけて、ではなかったです。三重県だとやはり津とか四日市とか北のほうが進学率も高い。伊勢高校のなかではトップの2番や3番をうろうろしているけど、小中高通して誰もが言う「あいつが1番」という感じではなかったですね。

 

――:得意教科は?

数学と理科ですかね。あと実は古典も好きで、古今和歌集や李白とか読んだりしてました。今もよく古典は好きで読んでいますね(笑)。英語は実はあんまり得意じゃなかったり。塾は一度もいってないです。

 

――:勉強もできるほうですし、陸上も選抜、そうした中でどうして「セミの研究」に集中させたんですか?

僕はGiftedなタイプの天才じゃないんですよ。だから「どこにリソースを投下したら一番がとれるか」だけを常に突き詰めてきました。小4まではほんとに何か特別に秀でたところがあるわけじゃなかったんですが、小5の伊勢の科学賞をきっかけに「ここだ!」というのがあって、小6、中1でも伊勢市の科学賞、中2で三重県で一番になった。中3のときにはそのまま全国でベスト16位くらいにまでいったんです。だから、東大に入ったり、よい進学先を選ぶにも大好きな研究を突き詰めること、その結果として世界大会出場や大臣賞を得ること、を経由することが一番よい手にみえたんです。

 

――:小中高8年間ずっとセミ研究で日本一目指すんですね。甲子園のようだ笑。「自由研究」がそんなに奥深いことを知りませんでした。そもそも全国大会って、あったんですね笑。

先ほど言ったように世界大会もあるんですよ笑。高校生で、8つの研究が世界大会代表に選ばれて(最高賞が内閣総理大臣賞)、そのまま翌年世界大会にいくんです。アメリカで当時はインテルが協賛していたこともあり、インテルゆかりの土地(参加した年はアリゾナ)に全世界から自由研究の猛者たちが集まります。ここでいい成果を収めるとアイビーリーグ(ハーバードやイエールなどの米国トップ大学)など各国有名大学にもつながったり。賞金総額も6億円とかですよ?

 

――:えええ!?まるでeスポーツの大会ですね。まったく知らない世界だ・・・

世界77か国から1000人くらい、各国10名前後ですがアメリカだけはもっと多くの選出者がいて、そことの競争になるんです。残念ながら世界大会では受賞できなかったですが・・・

 

――:しかし地方の高校生がどうやって「価値ある研究」をできるようになるんですか?普通業界の先行研究論文をみながらでないと「新しい発見ができそうか」が見えにくいですよね。

世界大会にいったものは「セミの飛翔研究」で前翅と後翅で、どの部分を切ると離陸飛行ができなくなるかという飛翔研究だったんです。もちろん研究論文を完璧に読み込んでいるわけじゃない学生には限界がありますよね。しかも、多くの研究者や企業が取り組んでいるテーマに高校生の「天才」が挑んでも勝ち目はない。要はテーマ選びと、適切なヒントを得られるか、が重要なわけです。

地方にいた僕の場合、父のサポート以外に受けられる支援は何一つなかった。そこで思い立って、東大で昆虫の飛翔研究をしている先生をGoogle検索でみつけて、高校のときにメールを送って、一人で新幹線に乗って話を聞きに行ったんです。

 

――:高校生で? すごい。そして正しいと思います。何が最先端かは一番それに近い人に教えてもらうのが一番ですよね。

はい、その時に先生に教えてもらった英語論文を辞書片手に読み込んで、それでなんとかキャッチアップしてました。そうした行動もあって、内閣総理大臣賞まで獲得できた感じです。

 

――:その時全国でた人たちってその後、どうなってるんですか?

孫正義育英財団にも何人もいますよ!増井真那さんという後輩がいるんですが、彼は変形菌を研究しています。(5歳で変形菌に出会い、小1から研究を開始し、高1で単著『世界は変形菌でいっぱいだ』(朝日出版社)を上梓し、「自己拡張モデル」を提唱している)

他にも、財団生ではないですが、「うちわ」を研究していた僕の3つ下の方がいて、夏に東京であったイベントで発表しているところを聞きに行って、セミの名刺を渡して話していたら意気投合し、“一緒に世界大会までいこうな"と約束して、彼が中学の部で内閣総理大臣賞、僕が高校の部で内閣総理大臣賞を受賞し、一緒にアリゾナに行きました。

 

――:それこそ甲子園のようですね笑。『キャプテン翼』の翼くんと岬くんのようだ。

  

■生活の糧を辿り、孫正義財団へ。目標は富岡製紙所のお雇い外国人。

――:自由研究にここまで費やしていたのに、どうやって東大入るんですか?並行して勉強で高得点撮り続けるって至難の業ですよね?

内閣総理大臣賞などの経歴と活動実績が推薦で認められた形です。ある程度のセンター試験の点数が必要ではありますが。

 

――:え、東大推薦枠なんかあったんですね!?(注:2016年~各学部が数名程度ずつ募集、全体で毎年100名程度)。学費問題があって、孫正義育英財団にはいったと聞きました。

はい、うちが貧しかったので奨学金を申請していたんです。学費は最初から払えないとわかっていたので、まあ奨学金でなんとかなると思ったらまさかの落選。書類上だともっと経済事情が悪い人がけっこうな数がいた、ということですよね。一括で30万円頂けるものは通ったんですが、それだけだと難しいですよね。親もこれで精いっぱいだと旅費とか学費とか生活費を一括で100万円だけ渡されて(奨学金が決まった年に全額親に返した)、それをもって東京に降り立ちました。仕送りは一切ありませんでした。

 

――:桃鉄の初期値のようなスタートですね!?それだとほぼ学費やら最初の家決めたあたりでお金が尽きますよね?

強烈な体験でしたね。奨学金落ちた段階で、あと何か月で生活費なくなるから地元に戻るかもなと思っていました。そこで探しまわったあげくに見つけたのが「孫正義育英財団」で、学部1年の4月に面接で、7月に通りました。本当に危なかったんです。振り込みが始まるまで、時差もありますし。

 

――:大学に入ってからもセミ研究は続くんですか?

財団の支援金を原資に、前々から相談をしていた東大の昆虫研究の先生と研究を続けていました。ただ高性能のカメラなどでデータがとれるようになると、大量の計測データのなかで、解析作業に一人ではこなしきれないような膨大な工数がかかってしまうようになりました。学部時代はセミ研究では挫折を経験しました。

サークルやバイトなどはやらずに財団に入り浸ったり、様々な友人のネットワークを広げていきました。

 

――:普通に考えるとそのまま大学院にあがって研究者になる道、というのが規定路線だったんじゃないんですか?

いえ、就職しようと思っていました。大学時代に富岡製紙場(日本が生糸輸出世界一となる礎の官製工場)にいったときに、すごくインパクトを受けて。あの明治維新の時代に、はるばるフランスから辺境の日本にまできて工場設立の指導していたお雇い外国人たちって皆30歳くらいだったんですよね。その年齢で現在価値で5億円くらいの給与をもらって、バリバリ駐在していた。とんでもない予算をもって殖産興業に励んでいて、自分もこうなりたいなと思ったんです。「若くして世界一の礎を築いた」そんな生き方に感銘を受けました。

そもそも、財団の支援期間が終了予定で、働かずに大学院生活を送るお金がなかったというのも大きいですが。

 

▲いつも持ち歩いている富岡製糸場の入館カード

 

――:なるほど、キャリアはそのあたりからガクッとビジネス側に振り切るんですね。それで前述の「名刺アタック」みたいな話につながるんですね。

セミというテーマの発見が僕の人生を変えたんです。セミはちょうど昆虫の中でもスポットがあたってなくて、誰も手をつけてなかったから学生の自由研究でもあそこまでいくことができました。ビジネスの分野でもそれは同じだと思ったので、リソースの集中投下で自分が一番輝ける場所を探していました。会社四季報を全部読み込んで、どの会社だったら自分のスキルが生かせそうかを探すんです。

大学に凄い経営者や政治家がくると講演会に参加して、そこで手をあげて質問する。あとから直接声をかけにいって「あなたみたいになりたいんです、かばん持ちさせてくれませんか?」と。

 

――:ものすごい営業力ですね。東大教授に押し掛けたときもそうですが、およそ「研究者」とは思えない動きしますよね。

それが一番早いと思うんですよね。それで例えば、再生エネルギーの上場企業創業者の社長さんにかばん持ちとして同行させていただいたりしました。今も一番尊敬する方のお一人です。とにかく行動・行動・行動で。

それでゲオの遠藤結蔵社長が東大にくるという話をきいて、パーティで同じように声をかけました。それが大学2年目のときで、「きみ、面白いね」という話になり、最終的に入社のご縁につながりました。大学4年の11月のときで、その後人事面接を経て4月からゲオ入社となりました。まだ大学院に籍は残ってますし、セミ研究者の肩書もはずしてませんが、いわゆるサラリーマン正社員として2年弱前にゲオに入社した次第です。

 

――:ゲオでは東大卒ってこれまでいたんですか?

いえ、新卒では僕が初めての東大卒だと思います。

 

■地域史上初の東大生が、新たな東大生5人を生む奇跡。優秀人材が分散化する社会のパレート最適

――:35年の歴史をもつけど新卒では東大生初なんですね!たしかに小売って人気ないですし、さらに中古品というとあまり東大生の人気はないかもしれませんね。よく前例がない場所に飛び込めますよね。

実は面白い話があって。僕の出身は伊勢市立の明野小学校なんですが、当然ながら地方の小さな小学校なので東大生はこれまで知っている人で1人もいなかったんです(そもそも三重県の南部では伊勢高校から東大生が年1-2名でるかどうか)。

 

――:はい、大抵そうですよね。僕も栃木の宇都宮ですが、(おそらく)初東大生と言われました。

でも、実は僕のあと、4年間で東大生が僕以外にも4人出たんですよ。

 

――:え? その明野小学校出身者からですか??

はい。2番目が浪人した親友、3番目が僕とリレーでパートナーだった親友(後輩)、4番目がその後輩の友人、そして5番目が僕の弟です。

 

――:え、えええ!?全部矢口さんの知り合いの範囲じゃないですか??それって明らかに1例目が影響与えてますよね。

そうなのかはわかりませんが(笑)。1つの成功例がひっぱる力ってすごいんですよね。弟なんかも、親父が「太一がいけるなら、お前もいけるんじゃないか?」みたいな感じで発破かけていたんですよね。その親友は僕がいつも「一緒に東大いこうぜ!」と言い続けてたんですが、高校のクラスで数学ドベ(最下位)だったのに浪人して遂に合格までしてしまって。

 

――:いや、それすんごい事例ですよ。

地元の新聞にセミで僕が色々取り上げられていたことも大きいかもしれませんね。「成功例」として煽ってくれたのもあって。「太一がいけるなら、自分も」と。

 

――:たしかにローカルのメディアってそういう役割あるかもしれません。小さな地域でも「ローカルヒーロー」のモデルを作ってくれることで、それに追随しようという事例が生まれやすくなる。

実は伊勢高校からオープンキャンパスで東大に話を聞きに行く、というイベントをやっていたりするときに、僕が意図的にやっていることがあるんです。賢いな、という子がいたら、こそっと声をかけて1対1で話すんですよ。「君、たぶんこのままいけば東大にいけるよ。待ってるよ」って。そうして声をかけた方も今受験で受かりそうなところまできてるそうです。

 

――:おおお~1人ドラゴン桜! すごい実験やってますね。ピグマリオン効果※ってやつですよね。

はい、そして、今度ゲオHDにも2人目の東大生が入ります。東大の友人なんですけど、今年4月から入ってくる予定です。

※ピグマリオン効果:教育心理学において「教師の期待によって学習者の成績が工場する」現象で、ランダムで選ばれた生徒に「知能テストの結果が良かった、期待している」と声をかけると、それをされた生徒だけが学習テストでの点数が向上していた事例。

 

――:ゲオにとっても矢口さんを抜擢することで二例目・三例目を入れるチャンスを得たわけですね。なんか矢口さん、毎回結構「人をひっぱりこむの」が得意ですよね?

そうですかね(笑)。でも確かに、最初の一例になって、あとから二例目・三例目をつくっていくというのはよくやってきたかもしれません。

四季報には3000社の会社がのってます。それなりに売上規模があって活躍できる会社って数万社はあるんだと思うんですが、東大の人気ランキングみていてもわかるように、皆本当にごくごく一部の、東大生ばかりがいくところを対象にしている。毎年3000人の東大生が輩出されますけど、これってもっと散らばったほうがいいと思いません?

 

――:いや、ホントその通りだと思います。皆賢いはずなのに同じ選択をとることで、むしろその選択肢の中での競争によって有能な人材が疲弊していく事例はゴマンとみてきました。前例がない怖さがありますが、前例がないからこそ、自分の唯一性が生かせますよね。

若くても活躍の場があれば、必然的に成長できます。「踊る舞台」が用意されれば、年齢にかかわらず。その舞台で大けがして退場しないために、先輩たちがいるわけです。ゲオHDではそうしてサポートしてくださる先輩方がたくさんいるわけで。役員の中に私の"師匠"がいるのですが、いつも舞台から落ちそうなときに助けていただいています(笑)

若い優秀な人材を求めている組織も、「踊る舞台」を与えること、それをいじめずにサポートする先輩がいること、「適切な」対価を与えること、この3つを揃えれば、孫正義育英財団や東大の中にいる優秀な若手を呼び込むことは十分可能だと思います。私の周りにも「矢口みたいにやってみたい」っていう友人多いですよ。

 

――:矢口さんは今後どうなっていきたいというのはあるのですか?

30歳くらいまでの中期的な目標は、先ほどの「富岡製糸場のお雇い外国人」のように「若くして世界一の礎を築く」そんな挑戦をすることです。中長期的となると、まだ漠然とですけど、政治家をやってみたいなというのはあります。社会や組織は意思決定者次第なんだとゲオHDに入って改めて思いましたし、自分がそういうポジションに、と思ってます。

 

――:「セミ研究者」というニッチから入って成功した矢口さんが、中古品販売店のゲオという“新しいリソース集中"の場を見つけ、今会社でも活躍されてます。その先の政治家への夢も含めて、何か矢口さんを突き動かす原動力がどこにあるのかをお聞きしたいです。

大学進学時の経験が一番大きいですね。東京大学に合格したはいいものの、ここで自分の夢を追うためには、学ぶためには最低限のお金がいる。その最低限さえも用意できないかもしれない。東京大学という環境であったこともあり、そうした苦労をしている人が周りに極端に少なかったことも大きかったのかもしれないです。そうか、自分みたいなのが来る場所じゃないのか、とも思いました。

お金がなかったことで大学時代は苦しんだし、惨めな思いもした。諦めなくちゃいけなかったことも多かった。だからこそ、どんな経済事情に生まれても、だれもが私のように自分の人生を(孫正義育英財団に縁がなくても)全力でトライできる環境を社会として整えたい、その思いが原動力です。

 

――:お金は大事ですよね。その結果見つけたものが「リソースの集中」という手段だったんですね。

はい、孫正義育英財団には本当に救ってもらいましたし、今僕が社会人として稼げるようになってきたので今、東大3年目になる弟には留学にいったり、色々な選択肢を与えたい。僕自身は色んな制約があったので「リソースの集中」でもしないと何物にもなれなかった。

ただそうして東大まで入った人材が、漫然と人気ランキングの上位から就職しているのはあまりにもったいないと思います。これまでご縁を頂いた、若いうちから活躍する方はほぼ例外なく「活躍の場」、「踊る舞台」を得ている。若くして大きな「踊る舞台」を得ること、その舞台で先輩方のサポートを受けながら必死に踊ること、そうしてそれぞれの分野で活躍する仲間が多く生まれれば面白い。

若くして「大きな舞台で踊る」一つのロールモデルになれるよう、頑張っていきたいと思います。

 

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
企業データを見る