【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第81回 アニメ・タイアップ第一世代のロックバンドFLOW、『NARUTO』と共に目指した海外ライブ

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
/

FLOWは日本音楽産業がピークにあった1998年に産声を上げたミクスチャーロックバンドだ。だがその軌跡は異色で2004年にアニメ『NARUTO』とのタイアップ曲でヒットを飛ばすと、2006年から黎明期の北米アニメイベントに呼ばれ、それ以来約60回もの海外公演を繰り返してきた。なぜロックバンドがアニメ・タイアップを志向したのか。海外でのライブを年間5回も10回も続けてきたのか。今回は「アニメ・タイアップからみるアニメ周辺業界の確変」について、FLOWのギタリストTAKE氏にインタビューを行った。

  

  

■デビュー20周年、全世界19ヶ国約60回公演、目指すは世界5大陸ライブ制覇

――:自己紹介からお願いいたします。

ミクスチャーロックバンドFLOWのギター担当TAKEです。1998年に結成して、2003年にメジャーデビューしてからもう20年になりました。

 

▲左からIWASAKI(ドラム)、GOT'S(ベース)、KEIGO(ボーカル)、KOHSHI(ボーカル)、そして一番右がTAKE(ギター)

 

――:FLOWといえば、『NARUTO-ナルト-』のオープニングテーマ「GO!!!」に乗せて全世界にアニソンを届けていった第一世代と認識しています。そんなお話を聞けるのを楽しみにしておりました。

「GO!!!」はデビューの翌年の2004年に出しています。ナルトが世界的に人気になって、最初の海外公演に呼ばれたのが2006年。そこからしばらく間が空いて2010年代に実に様々な海外イベントでライブを行ってきました。全世界で19ヶ国、合計62公演ですかね。この11月にシンガポールと香港で2公演予定されているので、今年中に63公演になる予定です。

――:中東まで行かれてましたよね?

2022年でリヤド(サウジアラビア首都)は3回目でしたね。2019年に始まった「リヤドシーズン」というイベントで、これからは脱石油でコンテンツを創るのだという“ビジョン2030"が示され、世界のエンタメコンテンツを誘致しての日本からはアニメイベントが開催されるようになったんです。皇太子が全面的にバックアップしているから他国のアニメイベントとはけた違いのお金がかけられていて、本当に凄かったです。招待される側として用意されている待遇も文字通り、桁違いでしたね。

 

▲サウジアラビアの砂漠の真ん中に設立された9,740平方メートルの鏡で覆われたコンサートホール。コンサート、没入型劇場、インタラクティブな展示会、その他のイベントの文化とエンターテイメントの中心地とされている。

 

――:あの砂漠で現れた鏡張りの施設なんかもありましたよね。

中東のイベントって本当砂漠に大きな施設を作るんですけど、最後は壊しちゃうんですよ。勿体ないですよね。地元の雇用創出の一環で、作っては壊し、作っては壊し。毎年とんでもないお金がかかっていると聞きます。

――:FLOWはナルトを皮切りに『コードギアス反逆のルルーシュ』オープニングテーマ「COLORS」、『テイルズ オブ ゼスティリア ザ クロス』オープニング主題歌「風ノ唄」など、どんどんアニメ・タイアップ曲を増やしていきます。その総数は32曲、これまでの40曲シングルの8割がアニメ系となりました。日本のロックバンドとしては、これは比率としての絶対数としても最大級ですよね?

一般的なロックバンドとしてはおそらく一番アニメとタイアップしているバンドですよね。逆にアニソン専業でいうとJAM Project先輩※とか、アニソン界のアベンジャーズのようなバンドもいらっしゃいます。
※JAM Projet:2000年結成で影山ヒロノブ氏、遠藤正明氏、きただにひろし氏、奥井雅美氏、福山芳樹氏からなるアニメタル・ユニット

――:日本のアニメ史も凄いですが、個人的にはFLOWの歴史≒日本アニソン海外展開史だと思っています。2021年ではSpotify「海外で最も再生されたアーティスト」で10位に輝きました。LiSAとかRADWIMPS、米津玄師、久石譲さんらと並んでランキングに入っています。

いやーありがたいですよね。アニメにもナルトにも足を向けては寝られません笑。

――:配信で一番再生されている曲はどれなんですか?

実は「GO!!!」(2023年9月14日時点で7000万回)よりも「NARUTO -ナルト- 疾風伝」OPの「Sign」(同時点で1億回)のほうが再生されてますね。

――:FLOWとしては、今後どういうところをめざしているのですが?

五大陸制覇したいんですよ。北米・南米・ユーラシアとアニソンライブをやってきたので、あとオセアニア大陸とアフリカ大陸でライブをやったら五大陸なんです。そうなると日本人ロックバンドとしては唯一無二になれるのではないかと。

以前スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)さんもそれに近いくらいやっていると聞いたことがあって。あれもインストルメントですからね。アニメと同じで日本の独自性で呼ばれやすいジャンルだったのではないかと。

――:日本人アーティストのライブ件数みると、米(1846件)・英(528件)・独(312件)・仏(199件)・オーストラリア(147件)ですからね(Setlist.fmより)。全体でみると半分が北米、4割が欧州です。もはや「欧米以外でライブしている」だけで1割のような世界の中で、特に南米でガシガシとライブをやっているFLOWの特異さがありますね。

  

■中3デビュー、モテたい一心で高校学園祭ライブの利益誘導。高校生でhideと1万人会場で共演

――:そもそもどうやってミュージシャンを目指したんですか?

楽器を始めたのは中学3年のときです。中学のときがちょうどJリーグ元年でブームだったのでサッカー部にも入っていたんですが、小学校から音楽は好きだったんですよ。アニメのオープニング曲をラジカセでテープに録音して聞いていたり、中学校に入るとMAX松浦さんの貸レコード店「友&愛」にもよく通ってました

――:あれって町田だけじゃなかったんですか?

当時は結構精力的に店舗展開していて、僕の地元の与野にも「友&愛」があったんですよ。それで音楽を聴くようになって、ちょうどカラオケ全盛期というのもありましたし、なによりバンドやっているとモテるしな、と思って音楽を始めるんです。

――:サッカー部とバンドときたら、確かに「モテたい」なんだろうなと思いました笑。記事で拝見したんですが、お兄さんに勝手にギターを買われたとか。

はい、『BANDやろうぜ』の通販ページみてたときに兄(KOHSHI、現FLOWボーカル)から「弾くとしたらどのギター?」って聞かれて指をさしたら、突然1週間後に届きました。あとで気づいたんですがプレゼントじゃなくて、お年玉を貯金してた口座からがっつり5万円引かれてたんです笑。

でもまあ思春期の兄弟なんで喧嘩ばかりになるところを、一緒にギターやっていたお陰で兄とも仲良くなれて、趣味も共有できたので結果オーライでしたけどね。X Japanのコピーバンドとしてやっていました。

――:どこかスクールにいったりしないんですか?

僕らは本当に独学でしたね。高校もアメフト部に入るんですが、練習終わって帰ると今度はバンドの練習ですよ。高校1年のときにコピーバンドとして南浦和のライブハウスで初めてデビューするんですけど、当時はバンドメンバーを探す手段が本当に少なくて。兄がバイトをしていたライブハウスでメンバー募集のビラを貼って、下に切り取り線で電話番号を持ち帰れるようにとやったりしてました。

僕らは団地住まいだったんですけど、隣でドラム叩いている音がしたんで、直接訪問したりとかもしたんですよ。

――:え!?隣でドラム聞こえただけで、訪問するんですか?

そのくらい「音楽やっている奴とつながりたい」という気持ちが強くても、手段が限られてたんです。扉を開けたら4-5歳上のお兄さんでBOØWYのコピーバンドやっていた人で、「YOSHIKIの曲なら、聴いたらすぐ叩けるよ」とか言うので滅茶苦茶盛り上がったんですよ。こりゃすごい人が入るぞ!と加入してもらったら、実は全然できなかったりとか笑。そんなこんなで、色々なメンバーと組みながら、埼玉のライブハウスをまわって演奏するなかで高校時代が過ぎていきます。

――:実際音楽もやってアメフト部だと、モテたんですか?

いや、男子校ですからね笑。学園祭で女子が来校してくれる瞬間に命をかけるしかなかったんですよ。『東京ストリートニュース!』でもイケてる男子ランキングで上位にくるような学校で(川越東高校)、これは学園祭バンドでカッコいいところみせて彼女作らないと!と燃えてました。

でもその時のライブって、離れにある体育館でやらされるんです。そこだと人が呼び込めないからステージの場所を変えないと、と高2で学園祭の実行委員にもなります。校舎の真ん中にステージを置くようにして、目立てるようにマッチョのダンサーもチームに引き込んで完璧の布陣で臨みました。Dragon Ashも出てくる前でしたし、前面にダンサーをおいたバンドって今思うと画期的だったと思います。

――:完全なる利益誘導笑。実行力がハンパないですね!

モテたい一心でした笑。Mr. ChildrenとかTHE YELLOW MONKEYとかLUNA SEAとかのコピーをやってました。実際人がバンバン通っている校舎と体育館のど真ん中のスペースだったので、超目立ちましたね。

実際そこでポケベルで番号交換した子がいたんですが・・・初日のデート後に、連絡が途絶えました。たぶん当時の自分の私服のファッションに大きな課題があったんじゃないかと思います。デート時は学生服じゃなかったから・・・

――:青春ですね笑。でも高校時代にすごい体験されてますよね?Hideのステージにあがったことがあるとか。

あれはホント凄い体験でしたよ。もともと毎年年末は東京ドームでX JapanのライブにいってXジャンプで年を越す習慣があったんです。そうした中で、兄は大学一年で僕が高校三年の時に、代々木第一体育館でhideのソロコンサートがあったんです。たまたま花道の目の前の最前線の席になりました。

そこでたぶんノリノリで騒いでいたのがよかったのかもしれませんね。スタートする前にスーツのお兄さんがきて、怒られるのかなと思ったら「hideとステージで踊りませんか?」と言うわけですよ。僕は最初嫌だったんですが兄がやりますといって、ステージにあげてもらいました。

――:ええ、何千人の前で一高校生がステージで踊るんですか?すごい緊張しません!?

いや、逆に興奮しちゃって。1万人近い群衆の真ん中で、近くにhideがいて、みんなが俺のことみてると勘違いしちゃって。一カメもいただきました。

――:普通の高校生にして、それはあまりにスペシャルな機会ですよね。それが今にもつながっているんですか?

たしかにミュージシャンの道というのを意識し始めたのはあの経験がきっかけでしたね。

 

■大学でオリジナル曲バンドのFLOW結成。就職の道を断ってメジャーデビューへ

――:中3から高校3年間、そして大学4年間と音楽活動をやっていくわけですよね。どのタイミングで、自分の曲を作りはじめるんですか?

オリジナルは大学に入ってからですね。技術的な進化も大きくて、ちょうどYAMAHAのMDレコーダーでMD8がでてきた時期なんです。それまではラジカセ2つつなげて録音するんで、ダビングする度にテープが伸びてチューニングも下がっちゃって。

最初の半年で一気に13曲くらい作って、ちゃんと弾ける人たちを集めようとオリジナル用のバンドを組んでいきました。このときに兄と2人でFLOWというバンド名にしています。

――:メンバーはどうやって集まっていったんですか?

ボーカルのけいごくん(KEIGO)は兄の高校の同級生で、当時からノリが良かったですね。ベースのごっちゃん(GOT'S)は兄がバイトしていた渋谷クラブクアトロで働いていて。当時2つのバンドを掛け持ちしていたんで、二番手だったこっちのバンドは偽名でやっていたんですが・・・逆にそのままこっちが生きたのでGOT'Sで通すようになっちゃいましたね笑。2人が入ったのが1999年です。

最後に入ったのがドラムのいわちゃん(IWASAKI)で、京香っていう弁当屋の店長だったんですよ。僕の9歳上なので当時もう30近くて。彼が入った2000年に今のFLOWが完成してます。

――:どうやって最初のCDデビューになるんですか?

大宮のライブハウスで声をかけられるんですよね。ビクターのA&R担当に、一緒にやらないか?と。その時はインディーズの育成期間にすぎないので、レコーディング費用だけ出してもらうとかまだまだアマチュアな感じなんですが。

2001年にマキシシングル『FLOW#0』は出しました。渋谷のタワーレコードが全国展開のハブになるのでそこで売れると全国に広がっていくんです。渋谷で100枚売るぞと友人かき集めて買い上げてもらっていたのに、結果的には何もしていない新宿店のほうが売れたりとか。一応それなりに話題になっているくらいのインディーズデビューにはなってましたね。

――:なんか中学校から始めるし、高校のhideステージもあるし、大学でレーベルに声をかけられるし、順調すぎるようなスター街道に見えます。

やっぱりメジャーにいけるかどうかで悶々としている時期は苦しかったですよ。育成期間にライブとかCDとか色々やっていっても、そのまま事務所とレーベルが決まらないとお払い箱になっちゃうんです。卒業も迫ってくるので、もう就職すべきかどうかも迷っていました。いわちゃんも年齢的には最後のチャンスだ!というのでかなり真剣に取り組んでましたね。

――:たしかにご家族もよく了承しましたよね。「フリーター」などが流行した就職氷河期とはいえ、ミュージシャンを目指すリスキーな道よりは就職しろと言われそうです。

ひと悶着ありましたよ。すでに兄が卒業しちゃってバイトな身分なわけです。メンバーも弁当屋の専業があったいわちゃん以外は皆バイト。親からは就活中に、「あんただけなんだから、ちゃんと就職してね?」とプレッシャーもかかりました。

だいぶ悩みましたね。ホテルとか英会話学校とかでの就職面接いったあとに、ビクターでの面接があったりするから、僕だけ完全にリクルートカットにスーツなわけですよ。それで「君、その恰好は?」って言われて。でも就活と並行してるとやる気がないと思われるから「御社のためにきちんとした格好してきました!」って笑。

――:いや、明らかに就活してますよねソレ笑。それで音楽のほうをとるんですか?

はい、途中で岐路にたたされたけど、全部面接を途中で断っちゃって、その後に親にも言いました。「音楽で挑戦してみたい」と。泣かれましたけど。

だからといってメジャーデビューの保障はないんです。渋谷のルイードでお披露目ライブをしたら、肝心のビクターのメジャーレーベル部門が手をあげてくれないんですよ。インディーズが見つけてきて育てたとしても、そこは分断しているんです。事務所は幾つかあってアミューズになるんですが、レーベルが決まらなくて。最後の最後にKi/oon Music(ソニーミュージックのレーベル)が手をあげてくれたので、2003年7月に「ブラスター」でデビューしました。

――:同時期にデビューしたのは他にどんなバンドですか?

ORANGE RANGEとかSOUL'd OUTとかスキマスイッチですね。もう20年やってると完全に中堅バンドですね。

――:しかしこんなに20年間メンツが一切変わらないロックバンドってあるものなんですか?なんか1990年代までのロックのイメージって・・・

二極化してますよね。我々以上にサザン先輩とか皆もっと長い人たちもいます。ただ僕らの前の時代まで、ロックバンドなんてバチバチやってる方が格好いいという風潮ありましたよね。

――:BOØWYとかなんか競争的な雰囲気が出てて、視聴者側でもなんかハラハラ感がありました笑。なんかパンクというか尖りまくった反社会性というか・・・

そうそう、だから20世紀のロックバンドは誰かが離反したとかトップの2人が反目しているとかが普通で、5年も続いてたら長いと言われてました。東京ドームまでいったら解散、とかね。

でもGLAY先輩が出たあたりですかね。バンドが安定しているとファンも安定する。悪戯に内紛を見せたりとかバンドの中のギスギスを見せることがプラスにならなくなった。

  

■NARUTOから始まったアニソンタイアップ、2010年代黎明期のアニメシフト

――:ナルトとのタイアップはどうやって決まったんですか?

ソニーさんからコンペがあるんだけど出してみない?と声かけられるんですよね。

――:NARUTOは好きだったんですか?

実は読んでませんでした。『ドラゴンボール』や『キャプテン翼』『北斗の拳』『スラムダンク』などは現役で当時読んでました。その後『ONE PIECE』や『NARUTO』、『BLEACH』あたりが次世代の三大トップタイトルとしてその時のジャンプをひっぱっている、という事は知っていましたが。タイアップのお話をいただき当時発売されていた全巻を買って一気読みして、世界観を踏襲させた上で楽曲を作らせていただきました。

――:よく、真面目に取り組みましたね?なんかアニメのタイアップってミュージシャンからすると邪道というか亜流というか、あまり力を入れられていない時代だったように思います。

そうですね、まだ「アニメなんて」という意見が所見されていたと思います。一般アーティストがアニメの曲を担当するようになるのは1990年代に入ってからの動きで、そのときもすでにできた楽曲を当て込みではめるようなものでしたよね。アニソンはアニソンシンガーだけがやるもの、歌の最後にタイトルを叫ぶようなやつでしょ、とちょっと下にみていた風潮はありましたよね。

だからちょうどその2004年の過渡期の時期から、僕らのような一般的なバンドもアニメにあわせて楽曲を作りこんでいくようになっていきますね。

――:そういうときの作曲ってTAKEさんがやるんですか?

作曲は僕が、作詞はKOHSHI、というのが多いですね。バンド結成初期は3人くらいがそれぞれ曲も書いてくるんですが、こういうのって長くなってくるとメンバーで徐々に役割分担が決まってくるんですよね。もう最近の楽曲は完全に僕の担当になっています。

「GO!!!」のときも、とにかくNARUTOが好きなファンに失礼のないような曲を仕上げたいと思って、作りましたね。

――:やっぱりその真摯に合わせる姿勢が伝わるんですかね。「GO!!!」「Re:member」がNARUTOアニメのOPに起用され、3度目の「SUMMER FREAK」が『NARUTO-ナルト-少年篇』のテーマソング、と言う感じで2000年代だけで怒涛のようなFLOWタイアップが決まっていきます。

本当に最初の「GO!!!」が切り拓いてくれましたね。いまとなってはNARUTOの関連楽曲が9曲にもなりました。別に前作が採用されたからって保障があるわけじゃないので、毎回ソニーさんからコンペの声掛けがあり、1曲1曲取り組んでいった結果として、これだけ多くの楽曲を採用していただきました。

――:その後はFLOWとしてはどんな感じでお仕事されていくんですか?

そこからは滅茶苦茶忙しいですよ。基本的に全方位でやっていたのでテレビにも出るし、ラジオもまわすし、その中で新曲作ってCDを出すとあとは日本全国ライブツアー。急に波のように仕事が押し寄せてきて、とにかく怒涛の仕事を乗りこなすことに必死でしたね。

――:どのタイミングからアニソン中心になっていくんですか?

アニメタイアップ曲以外のシングル売上が下がっていくんですよね。日本の音楽市場が下り坂ということもありますし、アニメが逆に伸びてきたというのもあるんですが。

そこで自分たちはアニメのタイアップをしていくロックバンド、という路線でいこうと皆で決めていったんです。『FLOW Anime Best』 を出した2011年ごろだったかと思います。それまでアニソンのCD出していた一般アーティストって西川貴教さんくらいだったので(2011年に『Animelo Summer Live 2011』にも初出演)、バンドとしてはアニメに振り切ったアルバムCDを出したのはそれが一番最初だったかもしれません。

――:FLOWが今まで一番売れた曲ってどれなんですか?

配信だと先ほどのように「Sign」なんですけど、実はCD枚数という観点でいうとメジャーデビュー直前に出した「贈る言葉」 のカバーなんですよね。2003年のこれが58万枚、長い間ずっと売れ続けてます。

 

■海賊版視聴のファン3000人が集まった2006年ダラス公演。北米アニメイベント黎明期

――:やはり音楽の時代変化をそのままなぞられているかのようです。2000年代はCDが、2010年代はライブと音楽配信ですよね。そうした中で「海外公演」を先鞭つけたのもFLOWは早かったです。どうやって始まるんですか?

2006年にダラスで(当時はSNSがなかったので)メールで問い合わせが来ました。ナルトの曲を歌ってくれないか、と。まあ前例もないので、普通にそこで事務所が断ってしまうケースが多いんでしょうけど、僕らは海外にとても興味あったので、「ぜひ行きたい!」と交渉したんですよね。

いくら出してくれるかのパッケージは決まってるから、あとは渡航費とか機材をそれでどう賄うか。会社からも「赤字にはしないでね」と言われるので、とりあえずやりくりして足が出ない形で渡航します。初めてのアメリカですし、誰も知り合いがいない状態で、ホテルの披露宴会場で特設ステージが設けられていて。100人とか集まればいいなと思ってたら、バッチリとナルトのコスプレしてた人たちが3000人集まったんです。

――:初めてのライブで3000!?すごいですね。2006年ってちょうど海賊版でCrunchyrollがはじまったくらいですよね?放送ってされてたんですか?

めちゃくちゃ大きいですよね。当時は地上波で放送されているわけじゃなかったですしYouTubeもまだ浸透してなかったですからね。VHSつかったり、黎明期のCrunchyでそのまま海賊版でみてたファンですよ。

――:衝撃ですね。

いや、衝撃でしたよ。ライブっていってもね、当時3曲しかアニメのテーマソングがない。「GO!!!」と「DAYS」と「COLORS」、どう間をもたせようかとトギマギしましたけど、もう3000人の大合唱が始まるんですよ。「Jibunwo(自分を)~」って、歌詞そのまんまアメリカのファン達が歌ってた。

――:実際には海外公演は2010年代になってから急激に増やされます。FanimeCon2010(San Jose, USA)とかAnime Central 2011(Chicago, USA)、Anime Festival Asia2011(Singapore)。大きいものだとJAPAN EXPO 2012 (Paris, France)でしょうか。とにかく2011年ごろからの10年は怒涛のように、年4-6回の海外イベントをこなしています。

1個イベントにでると、界隈がせまいのでアメリカ全州でやっているアニメのオーガナイザー同士がつながっていて、じゃあ次はウチに、となったんです。わざわざアメリカでアニソンのライブをしにいくバンド、いませんでしたからね。

 

――:でも基本的にコストも上がるし、日本の演奏環境とは全然違いますよね?僕もライブをアメリカでやったときは、やれ楽器がおかしいとかで途中で買いに行ったり。

いや、ホントですよね。もう日本か/それ以外か、で環境を分けたほうがいいくらい、国内ライブだけはかなり確実に演奏環境が用意されますが、海外でそういったものを期待しちゃいけないんだと思います。

――:どうして続けられたんですか?どうやって工夫されてるんですか?

もう工夫していることはシンプルですよ。皆海外でやったら赤字になっちゃって翌年はいかないんです。でもFLOWは赤字にならなかった。なぜなら「最少人数でいく」からです。もう環境が違うのが当たり前なので、電源がとれないとか機材が届かないとかザラなんです。竿(ギター)だけ持って、アンプは現地で借りるんだけど、そのアンプも何度も確認したのに違うのがきてるとか。

一度シアトルのときは、ステージに大きなドラとキーボードが置いてあるんですよ。「これ、前に誰かやるの?」ってきいたら、あっちが「え?FLOWのだよ?」って。うちのバンドのどこにドラとキーボードがいるんだよ!!って。まあ一事が万事そういう感じだから、もうバンド自体の適応能力を上げていくしかなかったですね。

――:やっぱりアニメの海外市場と連動している感じがしますね。特に15年と18年は10回以上とかなり精力的です。

2015年は「FLOW WORLD TOUR 2015 極 -kiwami-」で台湾、アメリカ、ペルー、ブラジル、アルゼンチン、チリ、カナダとまわったのと、2018年は「FLOW 15th Anniversary TOUR 2018 “Anime-Shibari"-Latin America-」でアルゼンチン、チリ、ペルー、メキシコ、ブラジル諸都市をまわりましたね。

――:これ、国内ライブと海外ライブでの開催数ってどのくらい違うんですか?

どうなんでしょう、日本の公演数は毎月6回とかもありますからね。海外60回とはさすがに比較にならなくて、1000回くらいはやってるんじゃないですかね。

 

 

■2010年代、ロックも声優もボカロもアニメに進出。エージェント契約化していく日本音楽業界

――:FLOWのあとにアニメタイアップに続いていったロックバンドっていたんですか?

KANA-BOONとかいますね。彼らってずっとアジカンが好きで、彼らの「遥か彼方」(『NARUTO -ナルト-』第2期オープニングテーマ)を聞いて育ったんですよね。だからデビューすると同時に、アニメタイアップにも憧れている。BLUE ENCOUNTなんかもそうですね。
※KANA-BOON:2006年デビューのロックバンド。代表曲は「バトンロード」や「シルエット」(『BORUTO』タイアップ)、「ハグルマ」(『からくりサーカス』など)
※アジカン(ASIAN KUNG-FU GENERATION):1996年デビューのロックバンド。代表曲は「Rewrite」(『鋼の錬金術師』タイアップ)や「遥か彼方へ」など。
※BLUE ENCOUNT:2004年デビューのロックバンド。代表曲に「ポラリス」(『僕のヒーローアカデミア』タイアップ)や「FREEDOM」(『BANANA FISH』タイアップ)

――:これって1990年代はあったドラマのタイアップは逆に減ってきてるんですか?

いや、どうなんでしょうね。僕らももうドラマ系の世界にいないから分からないんですよ。2011年からはアニメだけ追いかけているから。

ただドラマのタイアップによる旨味は明らかに減ってきちゃってますよね。主題歌やったから売れる、というのはドラマじゃなくてアニメになってきています。それも国内じゃなくて海外にも届きますしね。だからアニメ楽曲をやると、海外公演の需要は上がり続けますよ。コロナがあけて、またスゴイ頻度で呼ばれるようになってきています。

――:2010年代からロックバンドとしてアニメタイアップを推進し、アニメ市場も大きくなってきました。そうした中で、例えば声優さんのライブも増えてきた中で、そうした新興勢力が脅威になってくる、という感覚はあったんですか?

脅威だったという感覚はないですね。もう別ジャンルの人たちでした。でもその声優さんたちが演技だけじゃなくて歌もライブもこなすようになってきた。むしろアニメで声をやっている声優さんたちがリアルにライブをやってくれてその親和性にファンが喜びますよね。

今の子たちって本当にうまいんですよ。もう演技と歌唱がセットになっていて。凄いですよね。僕らも実は一度声優やったことあるんですよ、『サムライフラメンコ』(2013年10月~、マングローブ制作)という作品で。でも声当てしてみたら下手すぎて、、、笑。どんなに難しいことしているのかを肌で感じましたね。

――:最近でいうとボカロP出身者のアニメソングタイアップが急激にフィーチャーされてます。

「アニメかどうか」という境目自体が、なくなりましたよね。米津玄師とかYOASOBIって「アニメタイアップ」という概念で動いてるんですかね?たぶんアニメが巨大になりすぎて、ジャンルとして一個のものではなくなった気がします。このアニソン自体が普通のポップミュージックになっていく流れって、僕の記憶ではLiSAの登場で加速したんですよ。

――:LiSAさん、2010年デビューしたときからアニメタイアップ多かったですが、2017年のSACRA MUSICでソニーがアニソン向けレーベルを切り出したあたりで完全に大御所感ありましたね。

『葬送のフリーレン』なんてオープニングがYOASOBIで、エンディングがmiletでしょ?『SPY×FAMILY』もAdoとVaundyですもんね。

今新しくバンドやる子たちって普通にアニメにも入ってくるんですよ。もう「GO!!!」が18年前ですからね。当時アニメ見ながら聞いていた子供たちが20代になってきて音楽活動をするようになってきてますね。

――:なかなかアニメタイアップも競争が激しくなっていきましたよね。SNS戦略も重要になってきました。

なんでも「バズる」が頂点の時代ですからね。運とタイミングをもってないと売れなくなりましたし、ギミック戦争みたいになってますよね。そういう中でアニメタイアップはブーストの材料としては強力なので、各バンドが皆とりにいってますよね。うちはちょっとSNSの取り組み遅かったんですが(FLOWはYouTube69万、Twitter63万、TikTok22万)。

ボカロPを代表に、皆アーティストが自分たちでDIY的にSNSをやるようになっている。半分アーティストで半分プロデューサーですよね。PC1台でできちゃうから、逆にマネジメント会社もレコード会社もプレッシャーありますよね。何のためにメジャーがあるのかという岐路に立たされているとは思います。

――:でもいろんなジャンルのサウンドが増える中で、わりとレガシーになってきているロックの位置づけはどうなんでしょうか?

ここ何年もロックサウンドって無くなってたんですよ。R&Bとかヒップホップが主流になって、K-POPもそっちにいってますしね。でも、今実はここ10年地道にタイアップで残っていたロックがひっくりかえしを始めてるんですよ。北米でもヒップホップからギターもってパンクを始めてるんですよ。Machine Gun Kellyとか。流行り廃りが一周まわってバンドサウンドがもう一回来ている感じがあって、僕らとしてはその流れに乗りたいですね。

そのためにはロックといえど、健康第一なんです。最近亡くなる方も多くて。先日凛として時雨のピエール中野さんがツイートしてましたよね。「ファンをなるべく悲しませないように」と世代問わず健康診断、人間ドックにいこう!と。もうセックス、ドラッグ、ロックンロールの時代じゃなくて、人生100年時代でいかに長くサステイナブルに音楽続けられるか、という時代に入っているなと思います。

「FLOW THE COVER ~NARUTO縛り~」

NARUTOの主題歌に縛ったFLOWによるカバーアルバムをリリース。YouTubeではMVが公開されているほか、ダウンロード/ストリーミングにて音源も配信中。

[初回生産限定盤] VVCL-2340~2 CD+BD+豪華BOX仕様¥6,600(税込)
[通常盤]CD only¥3,300(税込)

・CDの購入はこちら
https://flow.lnk.to/0830_FLOWTHECOVER

・配信はこちら
https://Flow.lnk.to/TheCover_NARUTO

 

『FLOW THE CARNIVAL 2023 ~NARUTO縛り~』開催!

<ツアー公演詳細>
【公演】『FLOW THE CARNIVAL 2023 ~NARUTO縛り~』
【日程】2023年12月6日(水)
【会場】大阪・Zepp Osaka Bayside
【開場/開演】18:00/19:00
【日程】2023年12月13日(水)
【会場】神奈川・KT Zepp Yokohama
【開場/開演】18:00/19:00
【日程】2023年12月14日(木)
【会場】神奈川・KT Zepp Yokohama
【開場/開演】18:00/19:00
【URL】https://l-tike.com/flow/
【チケット料金】
整理番号付(自由):7,610円(税込)
※未成年は保護者の同意を得て来場してほしい。
※車椅子等で来場する場合は、チケット当選・入金後、事前に各公演の問い合わせ先に連絡してほしい。
※チケットの転売、譲渡は一切禁止となる。また、主催者が判断した場合を除き、チケットの払い戻しは行わない。
【お問い合わせ】
YUMEBANCHI(大阪):06-6341-3525 <平日12:00~17:00>
キョードー横浜:045-671-9911(月~金11:00~15:00)

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
企業データを見る