小学館コロコロDX:YouTube戦略の成功による200万登録、月1億回再生…中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第87回

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
/

『コロコロコミック』は1977年に創刊以来、小学生男子に向けた流行の中心にいた。ドラえもん、ミニ四駆、ゲームボーイ、ハイパーヨーヨー、ドッヂボール。2023年現在も「BEYBLADE X」「デュエル・マスターズWIN」などの玩具のみならず、おなじみ「スーパーマリオくん」に「マインクラフト」「フォートナイト」「にゃんこ大戦争」「ダダサバイバー」「スプラトゥーンバンカラ!」「ニンジャラ」など流行ゲーム作品の派生マンガが目白押しだ。「まいぜんシスターズ」「にじさんじ」や「脱獄ごっこ」などYouTuber・VTuber・TV番組とのタイアップマンガもある。月刊マンガ誌を購入するという消費習慣自体は衰えを隠せないが、今もまだ“子供の遊びの中心にある"コロコロが、これだけ子供がYouTubeやスマホに熱中しているなかで、どのようにDX(デジタルトランスフォーメーション)にキャッチアップしているのか。コロコロのDXについてインタビューを行った。

  

   

■出版界随一のDXを成功させた小学館コロコロ、1+1=10にする編集術

――:自己紹介からお願いいたします。

小林浩一です。コロコロコミックスの副編集長をしています。

――:いま小学館のDXがスゴイ!YouTubeがめっちゃ伸びている、ということで取材をさせていただきました。こうしてみるとかなりチャンネルがあるんですね。

はい、YouTubeアナリティクスのデータ全部は見せられないですけど笑。小学館のYouTubeチャンネルは、ようやく今月「月間1億再生」を突破したんです。登録者数もコロコロコミック運営の全チャンネルをあわせて「200万人登録」です。小学館全体の8割以上(8200万再生)がコロコロ関連なので、コロコロ編集部のDXが全体を主導しています。

 

 

――:確かに!これでみると、特に2020年代に入って急激に多チャンネルがとなり、全てが伸びてますね。

はい、2015~19年はコロコロチャンネルが単体で純増していたんです、そこでだいたい40万登録、月間1000万回再生といった水準でした。分岐点は「協業でのYouTube運営」なんですよ。中山さんも社外取締役をされているPlottさんや、ケイコンテンツさん、LuaaZさん、ソラジマさんといったベンチャー企業に短尺アニメと実写動画のYouTubeを運営してもらって伸びてきました

2020年にバーティカルにIP別のチャンネルを運営して、どんどん並行で伸ばしていくのがコツだと掴んだんですよ。この中だと特に目立っているのはPlott運営の「ブラックチャンネル」(55万登録、月間2700万再生)や「ドラゴン娘」(10万登録、月間3500万回再生)や、ケイコンテンツ運営の「運命の巻戻士」(16万登録、月間2000万回再生)、LuaaaZさんの「デュエチューブ」(10万登録、月間250万回再生)でしょうか。

――:これはやっぱり複数の会社と複数のチャンネルを組みあわせるのがよいのでしょうか?

そうですね。それぞれの会社の得手不得手もありますし、やっぱり各社のエース級の人材をあてて、チャンネルの最大化を狙ってほしいんですよね。うちの担当編集者もエース級の編集者が担当していますし。

IP別に盛り上げていく協業チャンネルも増えてきました。タカラトミーさんとの共同事業で「ベイブレード」をプロモーションしていく『ベイチューブ』(2023年3月~)や、「デュエル・マスターズ」のための『デュエチューブ』(2021年1月~)、最近は3本目として『ドラゴン娘になりたくないっ!』(2023年9月~)をリリースしました。これはデュエル・マスターズの派生タイトルで、一部クリーチャーを擬人化した「神アート 五人祭でドラゴン♡サマー」をベースに、『ドラゴン娘達』をアニメ化して、コロコロでも『ドラゴン娘のどこでもないゾーン』を連載してきたメディアミックス展開作品です。

――:はい、こちらPlott側でもみておりました。4カ月で11万登録、月間3000万再生越えはスゴイですよね。

さすがですよね。ベンチャー連携のコロコロYouTube施策も4年目になり、会員登録数も総合チャンネル数も再生数も大きく伸びて、部数としては減少傾向にあった「コロコロコミック」を補完して余りある結果になってきています。

――:よくベンチャー企業を引き入れましたよね。

それこそ「編集」の仕事ですよ。正直1+1=2にしているのって単なる情報処理ですよね。何をもってきてどう組み合わせれば1+1=10になるのか。僕がずっとベンチャーとの連携など外向きの動きをやってきたので、どこまでコロコロらしさを保ちながら、どこまで外の力を借りて1+1を10や100といった相乗効果にしてくのか、日々、試行錯誤しています。

結構最近はこのYouTubeの取り組みが少しずつ知られるようになってきて、同業者からも「いま出版社で一番YouTubeがうまくいっているのってコロコロだよね?」といっていただけるようになってきました。

――:そうですよね。そして外部とのコラボといえば、そもそもコロコロのお家芸でもあります。

ミニ四駆、ポケモン、スーパーヨーヨー、ベイブレード、ムシキング、デュエマ、妖怪ウォッチ。コロコロ起点で広がっていった遊びって数えきれないんです。創刊からコロコロは「日本一アライアンスがうまい雑誌」だったと思っていて、そうした文化そのものが今回のYouTubeの成果にもつながっていると思います。

 


▲各チャンネルの銀の盾(10万登録以上に贈られる)

 

■小説と教育に興味があった学生時代、競争率1000倍の難関小学館に入社

――:もともと小林さんはなぜ出版社に入社したんですか?

僕は作家になりたかったんですよ。家は完全な「銀行員一家」で、祖父母は東京銀行、両親は都市銀行。一番いまの仕事に近かった親族は母親と叔母です。母が銀行をやめてから絵本を作っていた、叔母が通訳として仕事していていたり。叔母はDavid BowieやQUEEN、オリバー・ストーン、ディカプリオなどの日本来日のときに同時通訳として同行していた人でしたね。

――:芸能の仕事に憧れはあったんですか?

いや、叔母だけ固い銀行一族の中で異端でした笑。僕もかっちりと育てられてきた中で、作家への憧れだけがあって高校時代から執筆していました。高校のOBである江藤淳や石原慎太郎の著作を背伸びして読んでいました。大学は慶應SFCだったので、まあまわりは変な人ばっかりでした笑。その時に福田和也先生(文芸評論家)のゼミに出ていたんですよ。

――:福田和也さん!保守論客で有名な方ですよね。僕は『ゴーマニズム宣言』でしか読んでませんでしたが笑。

福田先生は当時、三島由紀夫賞の選考委員もしていて、ゼミでも同じ基準で学生の小説を評価するんですよ。それで「私がAをつけたら、もうそれはプロになれる可能性があるということだから」とおっしゃっていて、僕の執筆したものも見ていただいた上で、当時は最高評価だったB+++をとったんですよ。

――:すごい!すでに才能があったんですね。そのゼミからプロになった人はいるんですか?

佐藤和歌子さん(1980~、『悶々ホルモン』)とかですね。在学中に『間取りの手帳』で10万部とか売れていました。学年はかぶっていませんが、鈴木涼美さんもゼミ出身者です。歌手の一青窈さんも出身者ですね。

――:小林さんはどんな小説が好きだったんですか?

『蠅の王』(1954、ウィルアム・ゴールディング)はインパクトが大きかったですね。あれって『漂流教室』(1972、楳図かずお)のルーツともいえますし、その後の『ドラゴンヘッド』(1994、望月峯太郎)とか『自殺島』(2008、森恒二)にもつながっていくものですよね。物語にはルーツがあると考えています。大友克洋さんのマンガや鳥山明さんのマンガが岸本斉史さんのマンガ(『NARUTO』)につながっていたり。自分たちが強く影響を受けたものを単なる受け売りでなく、新しい才能を持った方と一緒に次世代に繋げていけたら最高の仕事だと思っています。

――:それで小学館にいくんですか?

最初は迷っていて、親の影響で都市銀行の人事部長の方にもお会いするんですが、僕が小説の話ばかりしていて「うん、これは銀行じゃないね」という感じになるんですよ笑。出版とかいったらどうなの、というふうになりました。

小学館は芸中心の会社ではありません。新潮社とか文芸春秋、講談社が文芸に力を入れていて、小学館は当時、「新・文芸」っていって、読みやすくてとっつきやすい文芸路線を作っていました。でも僕は教育にも興味があって、学生時代は『めぞん一刻』の五代くんに憧れて保父さんもいいな~とか、。湘南台のプラネタリウムのある子ども向けの触れる科学館である「こども館」でバイトしていたりもしたので、だんだん教育×出版の組み合わせとして小学館を強く志望するようになりました。

――:小林さんが小学館に入社された2002年あたりは就職氷河期の真っ最中です。個人的にはあのあたりで出版社に就職された方は無条件で優秀だったと思います。

いえいえ、そんなことはないですよ笑。ただ競争倍率はエグかったですね。1万人が応募して、最終的に同期入社は10人、とかの時代ですね。

 

 

■出版社最速でソシャゲに張りに行った2012年、DeNA・サイゲームス・LINE・サイバーと協業推進

――:小林さん色々やってるなーという印象なんですが、いままで約20年で異動はどのくらいあったんですか?

3回ですよ、2002年に「てれびくん」配属でゴジラとかトランスフォーマーとかの担当編集をやって、2005年に広告企画担当をやっていたときに、『DIME』とか『Domani』とかの広告企画を考える担当でした。雑誌の広告が驚くほど調子がよかった時代です。

――:意外に少ないんですね!?

まあ3回目がホントに色んなことしてますからね笑。広告企画、結構いまにつながる勉強になったんですよ。雑誌ごとにお客さんが違うから、そのペルソナにあわせたマーケティングを考える癖がつくんですよね。『DIME』は理系読者が多くて郊外に住むサラリーマンがよく読んでるから、通勤に使う自動車は何が良いかとか、ライフスタイル系の企画でどんな新しいニーズがあるだろうと。『Domani』だと新宿の伊勢丹に通い詰めて、化粧品とかハイブランドを研究したりとか。そこで5年やってましたね。

――:あ、そっかそっか。2010年代に新規事業系になって、そのなかでベンチャー担当したりコロコロにいったり、かなり動いた感じなんですね?

はい、2010年に社内の新規事業の公募に企画書を提案しました。(中山さんもDeNAにいらっしゃった時代に)ソーシャルゲームの会社を小学館で新規に作りたいという企画を出したんですよ。編集、広告企画などそれまでの経験が全て繋がった新しい提案になりました。

――:早かったですね?まだコナミさんとバンナムさんがちょっと出始めて、出版社系IPが出てくるのもその後ですよ?

たぶん出版社系では一番早かったくらいだと思うんですよね。家庭用ゲームの世界的に有名な会社の作品よりもmobageの「怪盗ロワイヤル」や GREEの「クリノッペ」がどんどん人を集めていて、ゲームチェンジのにおいがしたんです。「これはパンクなゲーム市場が出てくるぞ!?」と。音楽で言えば、キング・クリムゾンが音楽要素を多く取り入れた作品で支持を集めた後に、「楽器が弾けない人間が一番偉い!」というパンクバンドが反動で大きな人気を得たようにゲームチェンジャーがでてきたんじゃないかって。

※キング・クリムゾン(1968~):英国におけるプログレッシブ・ロックを創り、当時はバンド史上最も実験性(エクスペリメンタル)に富んでいたと言われていた。

――:そんな縁もゆかりもないところで、いきなり小学館でゲームなんて作れるんですか?

当然そう思いますよね。『事業計画の作り方』みたいなのを勉強し始めて、資生堂の経理担当だった先輩に話を聞きにいったりしながら、「小学館でソシャゲの会社を創るんだ!」って一人意気込んで事業計画を創りました。

まあでもちょっと若気の至り、みたいな事業計画で、担当役員からも「お前、会社のこと全く分かってないよね?ぶっ飛びすぎてて、これはさすがに小学館でやっていける事業じゃないよ?」みたいに言われて。ただタダでは転ばず、だったら小林はネットの勉強をしなさいということでデジタル事業部への配属になるんですよ。そこからソシャゲの会社さんといろんな協業、コラボをやっていきます。

――:それでDeNAの友人が多いんですね(元DeNAである中山と小林さんの共通の友人は非常に多い)。

そうそう、渡辺圭吾さん(現DeNA取締役)とか赤川隼一さん(当時最年少執行役員、現Mirrativ創業者)とか。DeNAがサイゲームスに出資するタイミングより早い段階、まだサイゲームスがサムザップの一室を借りて創業していた時代をみていたので、本当に「成長産業ってこういうことか」を目の当たりにしました。彼らと「進撃のバハムート」の側替えで「烈火の炎 BURNING EVOLUTION」(2012年7月)を作ったり、ファッション誌の「CanCam」でDeNAと「Cancam Style for Mobage」(2012年4月)を作ったり。サイバーエージェントのアメーバピグには「AneCanStyle」のアバター販売専門店を入れてみたり(2012年12月)。

――:ゲーム以外もやるんですね?

コロコロコミック発の名作「おぼっちゃまくん」のLINEスタンプとかもやりましたよ!もう「SPA!」にうつっちゃっていた小林よしのり先生に会いにいって。先生にLINEスタンプの将来性と重要性を30分くらい力説したら、最後に「でも、わしガラケーなんだよね?」って言われたんです笑それで「ダメかな?」と思ったら、OKをいただき、たった1種類のスタンプで1億円の売上があがりました。

――:2014年のものですね!スタンプで1億円ってスゴイ!

まだ黎明期だったからライバルも少なくて。『カノジョは嘘を愛しすぎて』(2009~2017、小学館『Cheese!』で連載、2013年に実写映画化、2017年に韓国ドラマ化)のスタンプもよく売れました。小学館のエース編集者の畑中雅美さんがつくっていた作品ですね。こうやってスタンプとかゲームとかの事業をやると横で社内の編集者と繋がれるのでどんどん仕事もしやすくなるんですよ。

――:確かにそれはありますよね。しかし出版って意外に自由ですよね。以前『クマのプー太郎』の中川いさみさんも取材したんですよ。あの方も不条理ギャグやっていた後、音楽バンド組んで、小学館の編集者と音楽でメジャーデビューしてたり。

『ストラト!』(2010)ですよね。江上英樹さんと。出版社ってそういうの考えると色々できるんですよね。だんだんネット業界やゲーム業界に詳しくなっていたんで「小林さん、どこから小学館に転職されたんですか?」ってよく聞かれて。プロパーには見られないくらいになっていました。

――:実際のゲーム開発まではいかなくてもIP転用とかコラボとか色々広がっていくわけですね。

そう、だんだん人が人を呼んでくれるようになって、外向きのネットワークが広がっていくんです。僕もそこから10年以上ずっと外向きの仕事ばかりしていて原点はソシャゲだったんです。

ただデジタル事業局は壮大な実験の場でもあったんですが、コミックスの電子化の調子が良くなっていくと次第に「あえてリスクマネーを張るのか?」という空気になるんですよ。500円のコミックがそのまま電子でも500円で粗利の高い状態で売れていく中で、デジタル事業局部は電子コミック化に全振りしていくので、むしろゲーム化やネット系との連携した動きは主力じゃなくなっていくんですよ。

――:分かります。そこが「本業」ですもんね。逆に本業の好調が、新規事業を退潮させるってこともよくあります。でもよく伝統ある出版社でその時の小林さんのような動きを許してましたよね?

面白いことを考えているから、上司が小林にはちょっと自由に動かせてるかという感じだったと聞きます。

――:あーそれは他の大手出版社にも感じる特徴です。オーナー経営というのもあるんでしょうけど、わりと受け皿ひろくて、面白い企画には張る文化がありますよね。

 

■MERY出向の挫折経験からのコロコロ副編集長でDX担当にコンバート

――:2010年ごろからずっとアライアンス・広告といった外向きの立ち回りをされてきましたが、その後転機はあるのでしょうか?

1996年に2.6兆円だった出版産業は、そのあとずっと下り坂で20年かけて1兆円が消失していくんですよ。そうした中で隣の芝生をみると毎年数十%成長、みたいな業界があって、ソシャゲとかLINEとかに首をつっこんでいた自分としては「これからは動画だ」というのを感じてたんですよ。

それも2017年くらいだったと思うんですが、小学館に持ち込みの話があったのが「MERY」です。そこに1年出向したんです。

※MERY:2012年に中川綾太郎氏が立ち上げ、2014年に「iemo」創業の村田マリ氏の紹介でDeNAに売却(35億円相当と言われている)。2016年には月間ユニーク2000万人を超える女性向けメディアとなっていたが、DeNAのキュレーションサイト「WELQ」が記事盗用・無断転載の疑いなどが社会問題となり、2017年3月に中川氏が引責辞任。2017年8月に小学館とDeNAが共同出資で株式会社MERYを設立し、現在まで運営している

――:出向経験はどうだったんですか?

正直・・・役に立てなかったんです。50-60人のベンチャーでM&Aした後の会社のPMI(Post Merger Integration)状態に分け入って入るのは、とても難易度が高かった。人の出入りも激しくて、小学館から行った3-4人は皆同じ感じでしたが、誰も何か教えてくれるような状態じゃない。現場にいっても「動画とか作れるんすか?」と言われて一蹴されるし。デジタル部門にはいたけどベンチャービジネスそのものを知っているわけじゃないし、経営企画的なことをするには計算もロジックも分からない。IRR(Investment Return Rate)とかNPV(Net Present Value)とか必死に勉強したのもこの頃でしたし、組織を作るには、とミッション・バリューとかそういったものも勉強したり。

リアルにベンチャーに入ったら自分がどうなるかも経験できたし、すごい経験はさせていただいたんですが、その分心残りとか挫折感みたいなものもありました。この頃が自分のキャリアで一番「立ち止まって」いた時期ですね。

――:たしかに。小学館とでは対極的な産業・カルチャーですよね。

もう資金もあるし成熟している小学館と、完全な野武士集団で場当たり的にノウハウを獲得していかないといけないMERYで、対極的でしたね。それでデジタル部門に戻っても、もはやそこも電子コミック化で盛況まっさかり。自分にやれることは何かあるのかな・・・と悶々としていたときに声をかけてくれたのがコロコロコミックの前編集長の和田誠さん※だったんです。

※和田誠:1994年小学館入社、2005年『コロコロコミック』配属、2015~19年に第9代目編集長。

――:どうやってひっぱられるんですか?

デジタル事業局って中途が多いんですよね。そうした中ではプロパーで社内のことも詳しいし、コンテンツに対しての愛情もあるし、デジタルも詳しい、という評価も頂いてて「動画詳しいの誰?」って和田さんが探しに来た時に社内の何人かから名前が挙げられたのが僕だったんですよね。一年ほどサポートした後に、もっとコロコロのサポートしてよと言われて、兼任になってさらに手伝うのかなくらいに思っていたら「兼務じゃないよ!専属に決まってるだろ!」ともう完全にコロコロ編集部に所属してコロコロのDX化をやることになりました。

――:でもMERYいった後で自信も喪失していた時期ですよね?

まさにそれで、結構不安いっぱいの異動でした。本当に自分は活躍できるんだろうか。行って、1年で使えないでまた戻されたらカッコ悪いな、と。その時、集英社の現マーガレット編集長にも相談してて、「1年で戻ってくるかもしれない・・・」と愚痴をこぼしてたら、「そしたら今度は1年後、俺に食事を奢ってよ」と言われて、なんかそれがスッと気持ちが楽になったんですよね。通用しなくても、別に良いじゃないかと。反省して出直せば良いのだから。「あんなに知恵をつかっている雑誌、コロコロの他にないから絶対勉強になるよ」、とも後押しされて。

――:金上さん、素晴らしいメンターですね!(他社だけど笑)

 

■129.3cmの視点から世界を捉え直す。コロコロ文化を起点に広がるコラボレーション

――:いや、こうやって数字でグラフにしてみると圧巻ですね。コロコロ総合でみると、雑誌部数の落ちとは真逆にYouTubeでユーザーの視聴数をずっとあげてきたんですね。

そうですね。紙媒体としては人口減と書店減というアゲインストの要因はあります。特にコロナになった後、下げ幅が大きくなってきました。まだ子供層向けのコロコロはかなり良いほうで、ほかのマンガ週刊誌はダメージが大きいです。そうした中でYouTubeのチャンネル別戦略でこれだけ視聴数が担保できているのは、大きい成果だと思っています。

ただこれはあくまで3カ月ごとの数字で、こうした記事にも出ているように、最近でもコロコロコミックの雑誌の部数が100万部突破した、というケースもあるんですよ。令和の時代の100万部雑誌というのは奇跡的な存在だと思います。

 

 

――:それがこの2022年1~3月でぴょこんと“平均"40万部強になっている数字のロジックですね。この時代に100万部ってもうジャンプとコロコロしか存在しないですよね・・・!?全体的に雑誌主導じゃなくなることで、収益化の方法も違ってくるんですね。

はい、コロコロは今まで「雑誌」に「商品」と「イベント」をあわせた三位一体でブームを引き起こしてきました。それがYouTubeで最初の接点をもってもらい、その後に雑誌とコミックスを買ってもらう。ゲームや商品にも展開してもらうという新しい形がうまれてきており、実際小学館の他の部署と比べてもコロコロはYouTube戦略の効果もあってコミックス売上はだいぶ調子がいいんです。

――:YouTube運営は外にお任せ、というわけではないんですか?

内製の動画チームも15人いるんですよ。自分たちの雑誌のYouTubeのCMを自分たちで作る。自分たちのゲームの動画を自分たちで作る、などのマーケティング用の動画制作をメイン業務としています。たぶん出版社でこれだけ動画づくり自体をにコミットしているところは他にないハズです。もちろんバズらせるロジックは専業の協業先のほうが強いので、小学館内部はIPを創りこみ、外部の力でバズらせる、という両輪で動かしています。

――:実際こうやってDX戦略で推進していると、売れてくる作品も違うんですか?最近はコロコロ知らないんですが、どういうものが売れてます?

例えば今一押しは『ぷにるはかわいいスライム』ですね。22年春から連載がはじまり、すぐにアニメ化などの話もいただきました。こういう"初恋以前の感情"を刺激できる漫画もまた、コロコロ以外だとほとんど対象にしている漫画雑誌自体が存在しないです。いまこうした記事を見る方々は、コロコロを“卒業"されている方ばかりだと思いますが、いまも80~90年代と変わらず、コンスタントに小学生・中学生にヒットするマンガは定期的に出せているんです。そうそう、最近『炎の闘球児 ドッジ弾平』(1989~1995)のリバイバル『炎の闘球女 ドッジ弾子』も人気ありますよ!

 

 

――:なるほど。今、こうやって聞いたタイトルを、「コロコロオンライン」でパッと読めるし、それをYouTubeなどで視聴もして、その後になって雑誌・コミックスでもいけるんですね。たしかにこれは昔にはなかったユーザーの導線ラインが作れてますね。

はい、たぶんコロコロは現在のポテンシャルに対して「児童向けマンガ誌」というイメージが強すぎて、ちょっと低めに見積もられる傾向にあると思います。本当はコロコロの真価はこうした外に開かれた力にあって、どんどんタイアップやアライアンスでIPもできるし違うものを創っていけるんです。そして何より、この小学生をターゲットにした漫画雑誌で競合がいないという点も大きいです。

――:確かに、講談社のライバル誌『コミックボンボン』は2007年で廃刊になって以来は独走してますよね。あと今回聞き切れなかったものもあるんですが、小林さんマンガ以外も「コロコロ」の名前で色々やってますよね?

そうなんです。『カブトクワガタ』で念願のコロコロ初のゲーム開発をやっています。ツッコミどころ満載で(「読み上げボイスがヒドイ」とか「(CMも中身もゲーム)全てがおかしい」とか、「昆虫の交尾こんなに見せていいのか!?」とか笑)、Switchでけっこう売れてます。ニンテンドーeショップダウンロードランキングでも最高3位にいったり。初めての小学館パブリッシュの家庭用ゲームで数万本いっているので結果としては上々だと思います。ダウンロード版が好評だったので、任天堂販売さんからパッケージ版が発売され、今も売上本数が伸びています。最近、追加生産が決まりましたし。

ほかにも茨城県歴史博物館とコラボ企画をやっていたり、ふるさと納税withコロコロコミックで返礼品にコロコロ×その地域由来のコト消費のメニューを考えたり。子供の目線に立って何が面白いのかを考え直す、というプロセスが本当に面白いです。僕は「129.3cmの視点から世界を見つめ直す」と表現しています。

 

 

――:129.3cm、というのは・・・?

ドラえもんの身長なんですけど、実は藤子・F・不二雄先生がドラえもんを描き始めた当時の小学校4年生の平均身長なんですよ。まさにドラえもん≒小学4年生の視点、を大人になっても忘れずに、彼らの感じていることに伴走し続けるという姿勢そのものがコロコロの文化なんです。

――:なるほどー!!なんてステキな表現なんだ。DX戦略もまさに129.3cmの人びとが今何をみているかからの逆算ですよね。

「コロコロ」をベースとしたコラボはどんどん広がっていて、実は今回も中山さんにそれを取材してもらおうと思ったのに・・・まさかのDXの話だけで2時間が経ってしまった笑。

――:いや、最初の取材のテーマをこんなに逸脱して、しかも取材せず終わっちゃったのは初めてです。大変失礼しました笑。取材者失格です。

いえいえ、もう一回来て新たにインタビューしてもらえばいいだけなので笑。よろしくお願いしますね? こういう地方創生プロデュースやっております。

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
企業データを見る