中華圏デジタルマーケのパイオニアCAPSULE社、日本企業が10年で台湾広告業界トップクラスになれた理由…中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第112回
バックパッカー出身でアドウェイズの上海・台湾事業をけん引してきた埴渕修世氏は2013年に福岡で起業、その後台湾に進出するとゲーム・アニメ・VTuberのインフルエンサーマーケティングなどを中心に100名超の社員を抱える巨大な広告代理店へと成長させ、その中身たるや9割以上が外国人。台湾・日本のみならず韓国やアメリカにも拠点があり、これほど軽快に海外事業を展開している会社は相当に珍しい。その秘密は「台湾」にあった。今回は台湾市場からみる日本のエンタメのポテンシャルについて話を伺った。
■日本人が10年前に作った福岡の広告代理店が今台湾市場でトップレベルになっている理由
――:埴渕さんの自己紹介と、CAPSULE社の紹介をお願いできますか?
埴渕修世(はにぶち しゅうせい)です。2013年に福岡で広告代理店のCAPSULE社を立ち上げまして、現在台湾子会社で110名、福岡本社10名で、あとはアメリカのロサンゼルスとフランスのパリに1名ずつ社員がいる、全体で120名強の会社(インターン生込)になりました。
台湾人が一番多いですが、日本人やタイ人などそれ以外もちらほら、という感じです。一応福岡本社の会社ではあるので、その視点からすると外国人社員割合が9割以上です。他にもZ世代割合が約50%%、そしてマルチリンガル以上の社員割合は30%は(中国語+日本語or英語が多いですが)という感じです。
――:台湾にも進出している日系マーケティング会社、という印象はあったんですが、思ったより全然グローバルですね!?まだできて10年というわりに、どうやってここに至ったんですか?これM&Aとかもしてます?
ほとんどオーガニックに成長した組織ではありますが、一応M&Aもやってます。2023年に台湾アドウェイズ時代の同僚がやっていたショート動画などに強い会社を買収しました。現在も実はグッズ系の会社さんと一緒にやろうか、みたいな話もありますね。
――:めちゃめちゃ現地に根付いてますね。
台湾は好きですし、台湾人ももちろん優秀なんですけど、別に台湾だけにこだわっているわけじゃないんです。2010年代でいうと実は「(福岡よりも)台湾のほうが単純にコスパがよかった」からどんどん採用していったんですよね。
日本人幹部がいた時代もないことはないんですが、あまり日本/台湾/その他みたいな国ごとの社員分けみたいなことはせず、純粋に英語/中国語/日本語ベースで横に並べて優秀な人をとっています。10年前って台湾での平均月給が10万円くらいの時代でそのときにドバっと優秀な新卒・第二新卒みたいな学生たちを採用していって、ここ最近でいうともう台湾が月給15~20万円くらいになってきていてギリギリ日本のほうがちょっと高いかな、という形。だから徐々に福岡で日本人を採用する割合も増えてきてますね。
――:ちょうど中山の台湾出張でも九州大学のインターン生にいろいろ案内してもらいました、、、!!事業規模と事業内容ってどんな感じなのでしょうか?
現在年商は数十億円規模です。事業は2つに分かれていて、「コンテンツマーケティング」として台湾・中華圏での最大規模のインフルエンサーが所属しているのでかれらを使ったプロモーション事業があり、もう一つが「コマース」でVTuberやアニメIPのグッズ販売をしたりコラボカフェを展開しています。コマースが今急激に伸びていて、3年で売上の半分近くを占めるまでに成長しました。
お客さんも多様になっていて、台湾企業のお客さんがメインで通信会社から飲食・美容の会社があり、日本企業もVTuberやゲーム系から始まり、観光・小売・飲食から金融まで幅広くやってますね。市場としては台湾市場向けが9割なんですが、それでも年間1000件以上の案件をやっているので今台湾の同カテゴリーの広告代理店の中ではトップ3に入る規模になってますね。
――:中山はエンタメ領域でCAPSULEさんのお話を聞くことが多いのですが、そちらではどんなことをされていますか?
カバー社さんのVTuberをテーマに「hololive Cheerup」でランニングイベント、「hololive Lantan Fes」で台湾のランタン祭りコラボイベントを開催したり、LINE Webtoonのポップアップストアを運営したり。今回中山さんにも訪問してもらった「僕のヒーローアカデミア」のテーマカフェも自前で場所を借りて展開しています。テーマカフェは今までも「クレヨンしんちゃんCAFE」「NIJISANJI EN CAFE」と様々なIPとコラボしていますね。
VTuberもそうですが、アニメって実は米国と中国よりも「契約数」が一番多いのが台湾なんですよね。そのくらいローカルまで商品化が根付いていて、日本で流行ったアニメが「海外市場」としては台湾が一番に発火する。だから台湾支社はなくても、弊社と組んで台湾市場に展開する企業様が結構多いんじゃないかと思います。
参考)2023アニメ産業レポート
――:なぜ日本人の埴渕さんが海外で広告代理店をつくって、現地のトップクラスになれたのでしょうか?
やっぱり台湾市場って日本コンテンツの親和性が高い中で、「コンテンツ理解」が重要なんだと思います。マーケティングします、プロモーションしますという会社は台湾の中でもざっと100社くらいはあるんですが、じゃあその中でVTuberについて詳しくてしかもそこのユーザーから支持されているインフルエンサーとつながってますか?というともうウチふくめて2社くらいしかないんですよ。
広告代理店ってどうしてもメディア側(テレビや雑誌、OHなど枠がとれる)に寄っているか、クライアント側(特定企業の人事・組織まで詳しく、広告予算がとれる)に寄っているかになりがちなんですが、なんだかんだユーザー側(どんなものを見て、だれが発言すると一番動くのか)に詳しく、コンテンツそのものをその市場のユーザーにあわせてローカライズしていく力が一番大事なんです。そこでCAPSULEが台湾市場においては優位性をもてている根源で、この「コンテンツ・ユーザー理解×クロスボーダー(日本と中華圏)」が会社が大きくなった一番の理由ですね。
■世界中を旅した大学時代。手っ取り早く上海行けるアドウェイズに入社し2年目赴任
――:埴渕さんはどういう生まれ育ちなんですか?
東京出身なんですが転勤族でいろいろなところを転々としていて、途中で親が離婚したことで高校時代は富山にいました。最初は大学に行く気もなかったんですが、手に職はつけておけと言われていたので看護師か教員免許くらいはとっておこうと愛知の大学に行ったんです。父親が1980年代に(悪い意味で)一世を風靡した商社にいて、倒産した事件も目の当たりにしていて、「教職だけとっておけばどこでも食えるかな」みたいな打算もありました。
――:これだけ海外に根付いているのもあり、やっぱり早い時期から海外経験があるんですか?
高校時代からバンドをやっていてイギリスの雰囲気が好きだったんですよね。それで2002年に大学入学した後に初めての英国留学をしたんです。その時、部屋のオーナーがイラク人で、ちょうどイラク戦争が始まったタイミングで本当に不穏な雰囲気でしたね。
「ザルー(イラク語でBabyの意味、僕をそう呼んでいました)、今ロンドンで自爆テロするんだったらどこでやるのが一番インパクトあると思う?」みたいなドッキリするようなこと聞かれて。そのオーナーの影響をモロにうけて、世界は戦争ばかりでトンデモないところだ、いろいろ見て回らないとと思って、半年で帰った最初の留学のあとはバイトしてお金をためては旅をしました。
――:とんでもない家主ですね笑。そのあとはバックパッカーですか?
エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、パレスチナと中東をまわって、現地で働いている日本人に話を聞いて回りました。シリアで水道をつくってる日本人に感化されて、水道工事の勉強するのもありだな、とか。とにかく「この世の中から戦争を減らすために自分はなにができるんだろう」みたいな壮大な夢を掲げながら、中東からアフリカからアジアからいけるところにはどこにもいきました。
――:Adways入社前にもずいぶん黎明期の時代の中国にも行ってましたよね?
2006年に上海に留学するんですけど、上海で働く人がすごく刺激的でした。ここだったら色々できそうだなと思って、ちょうど就職活動のときにリクナビで「上海勤務」っていれたらアドウェイズがでてきたんですよ。そのときは知らない会社でした笑。
――:そっか、じゃあバックパッカー学生がとりあえず海外に早くいかせてくれるところ、でAdwaysに入社したんですね。
2008年4月に入社して、最初の配属はガラケー(ガラパゴスケータイ)のアフィリエイトネットワークでクライアント営業していました。ブログなどでその広告に誘導する「アフィリエイト広告」を張り付けて、そこをテレビのCM枠のようにして売っていく立場なんですが、ひとまず広告費を出してくださいというメーカー企業などの営業をしていました。
当時はドワンゴなどが強かったんですが、着メロの広告を出して1人のユーザーをつれてくるのに500円かかる。でもそのユーザーが月300円のプランに加入してくれたら2か月で元が取れる、みたいな感じですね。CPA(1人あたりの獲得コスト)が無料サービスで100円くらいの時代でしたね。
――:僕も2011年にDeNA側からかかわったんですが、アドウェイズは超営業型の組織でとんでもない勢いでした。2001年設立、ベンチャーなのに04年には中国進出、05年に岡村陽久さんは26歳の(当時)最年少上場。上場時90名くらいの会社が、どんどん増員して埴渕さん入るときには300名を超えています。
2007年入社の新卒は(上場直後というのもありますが)100名規模でした。取りすぎちゃったみたいで僕の2008年入社同期は20名くらいに減ってましたね。半分がエンジニアで僕はもう半分の営業のほうでとられてたんですが、たしかにめちゃくちゃイケイケの時代で、当時一番のお客さんは信販ローンなどで金融系のお客さんが一番広告出してましたね。
――:埴渕さんは中国にはいつ赴任ですか?
2年目の2009年です。そもそも1年で何回かある異動希望のタイミングで、3つある枠に僕は全部「上海/上海/上海」しか書かなかったんです笑。そうやって切望していたら、2年目にあっという間に赴任させてくれました。同期20名いましたけど、正直そんなに海外いきたい人間多くなかったのもあって、めちゃくちゃラッキーでした。
――:すご!当時から中国語話せたり、現地で起業する考えもあったんですか?
中国語は当時しゃべれなかったんです笑、行きたいという気持ちだけでした。起業は何となく頭にありましたけどまさか現地ですることになるとは全く思ってなかったです。30歳くらいには起業します!といって入社してまして、当時のアドウェイズはそんなに起業志向者が多いわけじゃなかったんですよね。
ただ2009年の中国市場は今と全然違いますよ。ガラケーのモバイル市場がくるんじゃないか?とは言われ始めてましたが、ちょうどアリババなどのECが盛り上がってきたくらいで日本に10年遅れていた印象です。日本みたいにケータイでゲームに課金するなんてとてもありえなかった時代です。もっとプリミティブに「必需品をモバイルのECでも購入してみようか」くらいの話で。日系企業はネット大手がちょっとずつ中国進出していたタイミングで、ZOZOさんとか資生堂さんとお仕事させてもらってましたね。「マーケティングといわれるものだったらなんでもやりますよ!」という感じで、いろいろな経験をさせてもらいました。
■中国3年、台湾3年。30歳目前に福岡で起業、すべてはアドウェイズから始まった
――:台湾とはどうやって接点がつながるんですか?
中国事業も、3年くらいやっていたら僕もすっかり疲弊してしまってました。勝手に自費でベトナムとか台湾にいって調査レポート書いて「こんなポテンシャルあるから支社つくらせてくれ!」みたいにやってました。会社としても中国事業は成長していたし、香港や台湾市場なども見始めていた。そうした中、埴渕のレポートもみてなのか、台湾はアリかもねとなってそのまま台湾支社の立ち上げに参画することになりました。
――:疲弊・・・中国は当時は横領とか賄賂も多かったですし、ちょうど2008年の夏季オリンピックの時代は空気も水もかなり生活しづらい時代でしたよね。
そうそう、お金まわりだったり、そもそも生活の一つ一つが「すり減る」感じだったんですよ。タクシーはおつりごまかされるし、注意してないとすぐに遠回りしたり。そういう警戒心バリバリで生きる3年間の上海生活の中で台湾いったら・・・、めっちゃみんな優しいんですよね。一発で台湾が好きになりました。
そもそも中国語も優しい感じなんですよね。婉曲表現もよく使われるんですよね、「もしかしたら」とか「かもしれない」とか。たいしたことじゃないのに、そんなしゃべりかた一つに感動するくらい、当時の上海3年間はキツかったんです笑。
――:とても分かります笑。しかしまだ新卒そこそこなのにスゴい経験ですね。
当時のアドウェイズって伊藤忠さんが20%以上の株主だったんですけどそのネットワークなども使いながら、JS Mediaというリワードネットワーク(アプリをダウンロードしたり有料月額課金するなどのアクションをすると割引・無料でそのサービスの報酬を受け取れるもの)などを取り扱うネット広告代理店の台湾企業をマジョリティでM&Aするところから事業がスタートしました。
2011年当時入社3-4年目にすぎない僕でしたが、中国支社での肩書はマーケ部長になってました。だから黎明期の会社の黎明期の海外支社という道を選んだことで、広告のことはひととおりわかるし、M&Aや新設会社の取締役になって「経営」の勉強までさせてもらえたんです。
参考)IRより中山作成
――:こうしてみると埴渕さんの赴任時期が海外売上4→30億円と、アドウェイズの海外事業が“はじまった"タイミングでもあるんですね。そして埴渕さん自身の起業にもつながるんですね。
2009年から上海3年、2011年から台湾3年。そこで「30歳で起業」という選択肢がどんどん現実味を帯びてきたんです。
名古屋や東京に戻るという選択肢もあったんですが、これまでのしがらみなく完全に縁もゆかりもないところでゼロイチでやってみたかったんです。それで台湾からも近いし、住んだことのない「福岡」を選んだんですよ。一人は同期のエンジニアと、もう一人台湾人のデザイナーにはわざわざ引っ越してもらって、3人で福岡で一緒に会社を立ち上げました。ちょうどアドウェイズの持株会で含み益が出ていてそれを元手に300万円で会社設立です。その後アドウェイズにはカプセルにも出資してもらっています。
――:しかし、埴渕さん、アドウェイズのネットワークをフルで使ってますね笑。
はい、2年目で上海赴任させてもらったのも、台湾支社をゼロイチで経営の勉強させてもらったのも、起業した資金も、共同経営者も、出資も、実は妻までアドウェイズの同僚なんです。僕のキャリア・人生は、ほぼほぼすべてアドウェイズで出来上がってます。経験もスキルも人脈も資金も、全部アドウェイズが創ってくれたので、もう感謝してもしきれません。
■2014年アプリゲーム台湾展開ブーム、インフルエンサーマーケティングにのせてアドウェイズ・UUUM・ポニーキャニオンから出資
――:どんな事業をはじめたんですか?
実は最初の1年でブレークしてます笑。Facebookみたいなメディアサービスを作ろうと1年くらい悶々と作っていたんですが、その同期とどういうものを作っていこうかの方向性が揃わなくてずっと平行線だったんですよね。このままだと埒があかないからそれぞれでやったほうがいいんじゃないか?で(彼もその後自分の会社立ち上げてEXITしてます)、2014年からは僕が会社を引き取って、そのデザイナーと台湾で何人かのエンジニアに外注しながらサービスを作りはじめました。
――:2014年台湾支社で展開されたときはどういう情勢でしたか?
日系企業はちょうど尖閣諸島問題があってどんどん中国から撤退するムーブもあるなかで、台湾は変わらず安定的でした。現在も登記上は福岡の会社なんですが、もうその2014年から実質的に僕も社員もオフィスも台湾で稼働しはじめちゃってそこが大きくなり続けた(台湾から引っ越してもらったデザイナーにはもう一度台湾に戻ってもらって、だいぶ迷惑かけました笑)、というのが正直なところです。
――:第二創業みたいな感じですね。2014年からはどんな事業をされていたんですか?
Gamewith(2013年設立の国内最大級ゲーム情報メディア、2017年上場)みたいなゲーム攻略サイトですね。ちょうど「モンスト(Monster Strike)」(2013年10月Mixiがスタートさせたひっぱりアクションゲーム、繁体字版2014年4月から)が流行りだしたタイミングで、その公式攻略アプリの台湾版をつくるところからはじまったんです。当時は日本のモバイルアプリゲームのグローバル展開の波がすごく来ていた時代で、その攻略アプリをやりながら台湾版のプロモーション・マーケティングの手伝いを始めます。
――:凄い勢いでしたよね。中山もちょうどバンダイナムコやブシロードで台湾企業・中国企業からびっくりする金額でオファーをもらい、ローカライズしてアジア展開するブームを経験していました。
そうしていくうちに、モンストの次は「白猫プロジェクト」(2014年コロプラからリリース、繁体字版が2015年2月より)とか「Fate/Grand Order」(2015年アニプレックスからリリース、繁体字版が2017年5月より)とか次々に台湾に進出してきていて。当時の台湾は日本よりも早くインフルエンサーマーケティング・KOL(Key Opinion Leader)の波がきていたので、コスプレさせてユーザーに投票してもらったりとかいろいろイベント的な取り組みもやっていました。
今もCAPSULEとして続いているお客さんのサービスでいうと「プリンセスコネクト!Re:Dive」(2018年Cygamesからリリース、繁体字版がSo-netから2018年8月から)と「この素晴らしい世界に祝福を!ファンタスティックデイズ」(2020年サムザップからリリース、繁体字版がワンダープラネットから2020年9月より)ですかね。はじめは全然違うことをやりたくて自前でサービスも作ってたんですが、この時期は「ちゃんと儲けなきゃ!」というのでどんどん広告の仕事を受けていました。
――:CAPSULEは出資を受けたことあるんですか?
3回くらいタイミングがあります。最初アドウェイズに出資してもらったのは、2015年には西門町(日本の渋谷のような街)で「SHIRYOUKO Studio」ってインフルエンサーの街頭スタジオまでつくるにあたって資金が必要になりました。動画でみていたインフルエンサーたちは直接はファンと接点もなかったから「あの人に会える!」というので結構配信をしているスタジオに人が詰めかけたりとか。
2018年にUUUMさんからも出資を受けています。彼らも海外展開を模索している中で、ちょうどCAPSULEの社員数も30-40名規模にまで成長していましたし、当時飛ぶ鳥落とす勢いでYouTuberマネジメントで近い業態だったUUUMさんから学びたくてお金をいれてもらい、そこでいろいろと協業をしながらコロナ前には70名規模まで増やしていきましたね。この2017~19年がインフルエンサーのマネジメントが事業主体だった時期です。
3回目はフジ・メディア・ホールディングスさんとポニーキャニオンさんで、2019年にボカロのプロモーションをお手伝いしているときに、彼らもいくつかの事業が台湾にあったりで協業シナジーもありそうだよねということで出資いただきました。
■2度の転換点を経て気づいた自らのマネジメント力。生存者1割の有名インターン制度に台湾の学生が殺到
――:CAPSULEの転換点って今振り返るとどのタイミングだったんですか?
1回目はまさにアプリゲームのマーケティングやKOLプロモーションをやりはじめた2014年です。KOL黎明期の当時にやっている人はみんな学生だったりして、もう大学でハンティングとかしながら企業の問い合わせに対応してまるでYouTuber事務所のような仕事をやってました。
2回目の分岐点がVTuberやアニメIPのコマースなんです。はじめは「アリスフィクション」(2022年ワンダープラネットからリリース)の米国市場へのプロモーションでhololiveさんのVTuberとの繋がりができ、タイアップのお手伝いをしている中で、グッズを台湾でも販売してみよう、ライセンスフィーを払って実際にコラボカフェもやってみよう、みたいな動きになるんです。
――:あとエンタメ系だけじゃなくて、普通の家電や化粧品などのナショナルクライアントの仕事もやられてますよね?
これは決して卑下する言い方ではないんですが、「ナショナルクライアントはデジタルの5年後にくる」というのが我々の感覚値なんです。2010年代前半にデジタルのみのアプリゲームが手掛けていたことが5年ほどやり方も成熟してきたころに、実際に店舗でモノを売るクライアントさんがそれを取り入れ始める。だからアプリゲームでいろいろ試行錯誤していたことが生きてくるのも、この2020年以降なんです。
――:なるほど、マーケ会社としてどんどん事業が変わってきたんですね。2014~17年のマーケティング受託、2018~22年のインフルエンサーマーケティングでマネジメント事務所化、そして2023年ごろからコマースを初めていまや売り上げの半分近くがコマースになっています。順調な10年間に見えますが、逆に苦しかった時代ってあるのでしょうか?
最初の最初は売上伸びずに自分が外でコンサルをして稼いできた、というのはありますけれど、実はわりとずっと順調に伸びてきていて、マネジメントクライシスみたいなものもあんまりないんですよね。チームがドバっとやめたりとか。
ずっと新卒文化で、ほとんど大学出たての人材を採用しているのが大きいのかもしれません。今のコマース事業担当の副社長も2018年に入社したプロパーの子が、どんどん頼れるマネジャーになっていってます。
――:よい人材入れているというのもありますけど、埴渕さんのマネジメントが相当うまいんだと思いますよ。日本人としては本当に珍しい事例だと思います。どうしても言葉が通じる、コンテキストが共通している日本人を重宝しがちです。
うちは駐在とかないですしね笑。たしかにあまりビジョンをもってひっぱるみたいなタイプじゃないんですがマネジメントはわりと得意なのかもしれません。オープンに提案を受け付けて、「じゃあそれやってみたらいいんじゃない?」と人を引き上げるような部分が自分の強みなんだと10年経営してきて初めて最近気づきました笑。
日本人はヒエラルキーを重んじる傾向が強くて、忖度のコミュニケーションが多いんですよね。それで新卒で長い事一つの組織にいると「一つの文化にカブレ過ぎる」ところがあって。僕個人のタイプとしても、もうちょっとさっぱりしている台湾人的な組織と個人のあり方のほうが好きなのかもしれません。
――:先ほどインターンの子に聞いたら、台湾の有名大学でも「マイクロソフトかCAPSULEか」みたいな有名インターンだと聞いてます。
今100名くらいのオフィスですが、常にインターンは15~20名が働いています。彼らは毎月評価がつけられて、S/A/B/Cと評価がつけられるんですがCになると自動的に契約終了になります。3か月この状態で高評価を取り続けて残れるのが1/3くらい、そこから実際に採用にまで至るのは全体の1-2割くらいなんです。このインターンの募集に毎回250名みたいな応募者が殺到するので、そこから厳選されて今CAPSULEで社員化しているスタッフは必然的に皆優秀なんですよ。
――:しかしこれだけ台湾人材ばかりなのに、日本のコンテンツ理解は十分なものなのでしょうか?
VTuber事業にしてももう日本人の僕より全然詳しいんですよ。「儒烏風亭らでん、これから伸びると思いますよ」って台湾のスタッフが最初に出してきて、そこから日本でカバランというウィスキーとタイアップしてのコラボが福岡で始まったりしますからね。「らでんが昔福岡の川端商店街でバイトしてたらしいんですよ」って、なんでそんなことまでキャッチアップしているの!?と僕が驚きますよ。
■日本アニメの海外商品化数No.1の台湾市場から見えること
――:日本アニメの商品化でこれだけ契約数の多い台湾で、逆に「海外に商品を広げていくコツ」ってありますか?
アニメの人気は追えると思うんですが、商品の需給バランスを見るということかもしれませんね。2023~24年って中国も台湾も「ちいかわ」が大ブームだったんですが、これだけ供給されていると商品としての差別化が難しかったりするんですよね。「おぱんちゅうさぎ」とか「スキップとローファー」とか、知名度はあるけど流通していないものをうまく発掘していくのが大事かと思います。
――:CAPSULEさんは軽快に新規市場に展開されています。慎重すぎて一歩目が踏み出しにくい日本企業の海外展開に、何かアドバイスありますか?
2024年はタイ、アメリカ、韓国などでポップアップストアをやってみて、あまり儲からなかったからここは次かな、とかどんどんトライ&エラーしています。調査に時間リソースをかけるより、提携先みつけて1人送り込んでみて、結果を見て支社設立を決める、みたいな「3ストロークくらいで新規市場に展開する」みたいな形で弊社はやってますね。
とりあえず行ってやってみる、というのが日本企業は大事ですよね。ほかのアジアの企業に比べると慎重すぎるところがありますよね。
――:確かに!2023年末に明星和楽@台湾のイベントでお会いして「この『エンタメビジネス全史』面白いから社員に中国語で読ませたいんですよ」って、埴渕さん出版やったことないのにサクッと手をだして、1年で本当に出版までもっていきました。これも「3ストロークで出版業やってみた」感じですよね。
今回、中山さんとも弊社で繁体字版の出版をする話からつながったんですよね。そうそう、出版のプロモーションも難しさありましたけど、こうやってクロスボーダーで経験値積むことがCAPSULEを強くすることだと思ってます。
――:そうした中で台湾市場とそれ以外の海外市場をどう見られてますか?
台湾は岩盤ですね。台湾市場だけでも売上100億規模にはもっていける手ごたえがありますし、あとは台湾以外の国でどのくらい広げていけるかで成長幅が変わってくると思います。
さっきの日本コンテンツ理解のところでもちょっと出てますけど、台湾の人材は本質的にボーダーレスなんですよ。今アメリカでもパリでも韓国でも、台湾支社で育った人材が現地のマネジャーとして活躍してくれています。こういう人材って日本で集めるの、本当に大変なんですけど台湾は「そもそも海外で働く」がデフォルトになっている人材も多いので、その供給市場としても魅力ありますよね。今後は日本人材やアメリカ人材なども増やしていこうと思ってます。
――:今後はインフルエンサーマーケ、コマース以外にもどんな事業展開を考えられてますか?
CAPSULEの名前は出さずにホワイトレーベルとして、展開したい企業さんのOEMでその製造・流通から店舗販売のマネジメントまで一括で請け負う事業も始めています。在庫余ったら弊社で引き取ることもできるので、中国での製造・流通・在庫管理を受けおって、もっと外に出ていく日本企業さんと提携していきたいと思ってます。あとはもっとデジタル寄りのソリューションも増やしたいですね。オンラインくじとかECとか。東証での上場準備を進めているんですが、上場前により多くの日本のコンテンツ関連企業さんと資本も含めた業務提携をもっと進めていきたいと思います。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場