【カンヌ映画祭編①】世界中の映画人が羨望するカンヌ映画祭、ブランドはいかにして作られるのか 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」
2026年5月12~23日、12日間にもわたって開催されるカンヌ映画祭に参加した。これは「世界映画祭の頂点」である。オスカー(アカデミー賞)は米国映画を中心にしており、厳密には世界の映画祭の要件を満たしてはいない。映画もアートもスポーツも「ブランドは欧州、市場はアメリカ」である。いかにブランドというものが作られるのか、を学ぶには、このカンヌ映画祭ほどふさわしいものはないだろう。映画は市場としてはテレビ・放送の1/10程度、フランスの映画市場も全世界のシェアは4%に過ぎない。それなのに、だ。いまだに映像の世界における「映画」のブランド地位は盤石で、かつ米どころか英独仏のなかでもフランスの「カンヌ映画祭」だけは格別な地位にある。一体その「価値」の源泉はどこにあるのか、を今回の出張で解き明かしたい。
■世界7千作の新作映画、頂点を目指して選出された日本10作
第79回カンヌ映画祭が2026年5月に開かれた。今年の目玉は「COH(Country Of Honor:名誉ある国)」として、イベントのメインテーマとなる国に日本がはじめて選出されたということ。会場中にCOH:Japanの旗がたち、初日の公式パーティや基調講演などを日本が主催、しかも『箱の中の羊』『ナギダイアリー』『急に具合が悪くなる』と3作品もパルムドールのコンペティション作品に選ばれた。
カンヌの構造は複雑極まりないが、まるでアートやワインの世界のように奥深く、その歴史と階層を知ることは「この文化世界の頂点を極めるための登攀ルート」として必須なのである。世界に数千もある映画祭の中で、「国際A級映画祭」として認められるのはわずか15個(アカデミー賞(オスカー)はアメリカ映画が中心で、映画祭というより授賞式なので入っていない)、格式ある「カンヌ・ヴェネツイア・ベルリン」のトップ3のうち、間違いなく頂点にあるのがカンヌだ。映画を志す人間にとって、誰もが羨望し、ここに招かれることを希求している。
気候は20度前後に終日快晴、6~21時ごろまで明るく、映画祭のストリートは海沿いに面しており、横浜・湘南のようなさわやかさ。違うのはハーバーに並んだヨットや巨大船の数々で、高級船を横付けできる港があるかどうか、ヘリポートなど空からのアクセスも容易かどうかなのでゃ富豪が集まる映画祭には必要不可欠な条件だ。

▲ストリートはこの1週間とんでもない混雑でホテルの部屋も爆上がりに高騰、高級車からスラリと俳優が立ち現れる光景みたさに全世界から観光客が訪れる

▲ホテルの部屋は貸し切られ、商談用に使われている。2026年は近年稀にみるほど“旗が少ない"景観で、映画市場の不況振りを物語っている

▲ストリートに並ぶホテルはすべてセキュリティでロックされ、映画祭関係者のバッヂがないと入場も許されない。そこらかしこでセレブな俳優たちと思しきタレントたちが、豪奢な格好で撮影されており、そうした場面場面を切り取るだけでも、とにかく「絵になる街」だ。

7707本―――これが2025年に全世界で製作された上映映画の総本数だが、そこに入らない短編・インディーズも含めてカンヌには年6-7千作、長編で2.5千ほどの応募作が集まる。この中でノミネート作(カンヌで上映できる権利)となれるのは2-3%の100数十作品にすぎない。今年は「パルムドール」という頂点に手をかけるコンペティション部門のTop約20作に日本から3作も入った、というところから話は始まる。
これ以外にもカンヌの歴史のなかで徐々に増えてきた8部門があり、2番目に古い「ある視点部門」でも『すべて真夜中の恋人たち』『タイタニック・オーシャン』の2作がノミネート 、「カンヌ・クラシックス部門」で『姿三四郎』『新幹線大爆破』の2作。8部門以外の独立並行部門の監督週間でも『我々は宇宙人』『エリ』2作品、アニメーション部門で『HIDARI』『WASTED SHEF』など数えると10作品、日本から関係者で100名単位で来ることになった。
知らない作品ばかり?当然だ。クラシックス部門以外はカンヌは「一般公開されていない未上映作品(新作)だけ」の祭典で、ここで選出されたことで世界のメディアから注目され、作品としての箔がつくからだ(配信専門で劇場公開をされない映画は対象外ということになる)。
カンヌにはカンヌの「攻め方」がある。商業作品とはちがって、あくまで「アートとしての映画」で、カンヌで賞をとるにはそれなりの文法がある。それに審査員たちとの関係性も(表向きは影響しないといいながらも)重要である。明らかに選ばれやすい監督とそうでない者がいる。なによりカンヌは「新人の登竜門」で、とにかくまだ作品をつくって2-3作目という駆け出しの作品が選ばれる傾向にあり、彼らもそれこそが映画産業を活性化するための未来をつくるものだと信じている。熟練の監督があとから返り咲いて表彰を受けるというのはむしろ「狭き門」でもある。
表彰を受けた作品が今続々と日本でも興行を開始してる。5月末から興行スタートした『箱の中の羊』は3週間で5.9億円、6月19日からは『急に具合が悪くなる』、9月25日に『ナギダイアリー』が公開になる予定だ。ノミネート作品だからといって「バカ売れ」するわけでもないのがカンヌだ。それでもノミネート自体は映画人のなかの誉となり、その後の監督・原作としての関係者たちのキャリアはきらびやかなものになる。「それまでは毎年あっても2-3本だったものが、パルムドール候補3作あわせて10作品近く選ばれたのは稀。実は2025年も同規模で、いま日本映画ブームがきている」というのは、TIFCOMディレクター長谷川敏行氏の言葉だ。
■世界全体3割減、そのなかでは「恵まれ過ぎている」日本の映画環境
そんな映画産業も市場トレンドだけでいえば「不況真っただ中」だ。2017-19年平均で70億人、361億€だった映画市場は、2025年50億人、295億€と3割減。動画配信が映画に優先されるようになり、ハリウッドのストライキなどがあり、世界の映画市場が大きく混乱しているところに、作品数も減少傾向にある。
「アメリカは地政学的にもビジネス的にもすべてが壊れた。SXSWやサンダンスで、米国インディペンデント映画がやってきたことがことごとく機能しなくなっている」というのはVanishing AngleのBenjamin Wiessner氏の言葉だ。米国映画は特に「バッファー(緩衝装置)」が存在しない。公的助成、国家支援基金、公共放送局による買い付けといったものがないために、「HBOとShowtime(2023年にParamountに吸収)がOTTに吸収されて以降、米国には映画の権利を買う放送局が文字通り一つも存在しない(HuluもDisney+に吸収)」状態で、中小のインディー映画にとってはいま米国は“壊滅的な状況"だ。日本や欧州と比較してもさらに危機的な状況にある。
米国メジャーはすべからく「若いユーザーとの接続」に困難を抱えている。ここにキラーコンテンツになっているのが「日本アニメ」というわけだ。
そうした中で、ほとんど唯一といっていいほど「市況が真逆」の国がある。日本だ。なんと「映画史上最高売上」としての2744億円は2019年の2611億を大きく上回る。『鬼滅の刃無限城編』と『国宝』の大ヒット2作もあり、“例外的に"映画興行が2019年水準を上回っている。韓国は特にダメージが大きく、“半減して"6.5億€にまで下がっている。興行を支えるファンダムの強さも、日本映画が相対的にそのポジションを高めている特有の理由ではある。
不況だからといって、全世界的に作られる作品数は減っていない(米国はそれも大きく減少している)。3割減の市場のなかで配信・放送なども駆使しながら、厳しいはずのインディー映画が今回もカンヌでブレークスルーを起こしている。

出典)Statistaより著者作成
2025年の年間製作本数はインド(768本)、日本(694本)、3位米(544本)、韓(539本)、中国(511本)。スクリーン数は(3700Sc)世界9位なのに製作本数は2位という制作大国ニッポン、しかも700本のうちの250本はインディーの監督がデビューしている作品であり、新人監督が生まれ続ける環境という点では他のどの国よりも(決して恵まれているとはそれでも言い切れないのかもしれないが)「うまくやれている」国ではある。
国内で成り立たせる、には国内のスクリーン数が(人口の割には)少ない、大型作品が作れるほど助成金も少ない。だからこうしたインディーズ作品はカンヌにベルリンにヴェネツイアにと映画祭に出品し海外で稼ぐ方法を模索するのだ。
なぜここまでしてカンヌを目指すのか。いわゆる「商業映画」で大ヒットをさせるには大資本が入り、ガンガンに宣伝される必要がある。だがカンヌが提供しているのは「金ではどうにもならない文化的価値」である。宣伝費をいかに積んでも、豪奢なロビー活動をどれほど行おうと、カンヌの賞はとれない。そこは『我々は宇宙人』や『HIDARI』のように、たった数名で世界を獲ろうという野心あるクリエイターの創作を、「文化映画」として世界に届かせることができるミラクルなステージなのだ。
■めくるめくパーティと業界コネクションづくり
1.5万人が映画を売買するMarche de Canne(日本がCOHに選ばれたのはこのイベント)ばかりではない。公式バッヂをもつ業界関係者が4万人、さらには12日間の期間に20万人超もの人が「7万人しかいないこの小さな都市」に集まっている。「映画そのものをやってなくても、カンヌ映画祭という空気に惹かれてくる人々」が10万人以上もいるのだ。この2週間だけ旅費もホテル代も急高騰する(ホテルは年間の利益の2割をこの期間だけで稼ぎ切るという)。選ぶ/選ばれるというだけの行為に、ここまでの文化価値を高め、その周辺も含めて3億ユーロの経済規模のイベントと世界の視線を集めるということ自体がこの約80年かけた、米国アカデミー賞とは違うフランスならではの営みなのだろう。
この点は2026年、Country of Honorに日本が選出されたことは画期的な事例だろう。5/13のOpening Nightには1000人もの来客が訪れた。Marche de Canne(カンヌ商談マーケット)との共催でこうした場に日本に関心度の高い各国の配給会社関係者なども集い、日本風にお寿司やおにぎり、どら焼きなどがふるまわれる。「ホスト国」ということで否が応でもこうした接点が拡がり、来年以降の商売の開拓には絶好の機会だったといえるだろう。

▲Marche de Canne(カンヌ商談マーケット)Executive Directorギヨーム・エスミオル(Guillaume Esmiol)が挨拶したOpening Partyには昨年ブラジルの3倍サイズで1000名もの映画人が集まった

2日目となる5/14夜のJapan Film Nightでは各ノミネート作品の監督たちが集まり、酒樽での鏡開きも行われた。200~300人のノミネーション作品関係者ばかりが集められ、有名な監督・俳優が参列する豪華な場にもなった。


5/15(金)と3日目に映画プロデューサーMEGUMI氏が開いている「JAPANESE NIGHT」もその一つだ。コロナ前までは00~10年代にギャガが主催してのJAPAN NIGHTという集まりがあったが、それがなくなってしまっていた。2022年にカンヌ映画祭に初参加した彼女は、日本人が映画人のみならず関係者がプレゼンスをあげていくための場が必要と2024年にホテルを貸し切って実施した。初年度500名を見込んでいたら1000名を超えた。「なんでMEGUMIが?と私自身も何度も考えた」< https://gendai.media/articles/-/152192> という彼女は、映画を軸にビジネスや文化、政治のリーダーが集まる場でもあると実感し、これは一過性でなく続けていくことが重要と翌年以降も続けることを決意した。協賛費用もあるが、それでも足がでる部分で彼女も「投資」と割り切って開催をしている。2025年は1400名、3年目となる2026年は1500名を超えて、入場だけで数十分待つような大盛況であった。

来るのは映画関係者ばかりではない。河村真木子氏・MEGUMI氏が主宰するオンラインサロンからも80名ほどの人々が集い、全員がばっちりと着物にオフィシャルコードを着飾り、参加する。こうやって「日本人にとってのカンヌ映画祭」のすそ野を広げることもまた一つのプロモーションといえる。
カンヌ自体もまた、それを推奨する。この約2週間、毎日数十を数えるPartyが開かれる。ビーチクラブ(Plages Privees)はその代表で、Air Franceなどの航空会社、JPモルガンなどの金融機関、KeringやChopardなどのラグジュアリーブランドはここぞとばかりに将来の顧客開拓にと海岸沿いに巨額の協賛費を払って招待チケットが配れるだけのスペースを用意し、毎晩セレブを招いている(急遽レッドカーペットに出席することになったお客さんに向けて、タキシードから革靴まで高級ブランド店舗がストリートに立ち並ぶのもこの2週間のため、だろう)。高級ホテルも豪華客船・ヨットのデッキも、離れにある丘の上のプライベートヴィラも、すべてがパーティを主催する。このすそ野の広さがカンヌ映画祭の「格」でもあり、映画と無関係な人々、特に若者達にはどんどんこの機会にカンヌにきてほしいと要請する。
コロナで一時期退潮を感じる中で、日本人の若者達にもカンヌに来てほしいとカンヌ関係者からアプローチがあり、日本人が主催するCannes Gala Partyが5/16-17にも開催されていた。今年はなんと社交ダンスの場となっており、200名の招待客は映画関係者というより日本の起業家から企業人(サイバーエージェントやリクルートの社員などもいた)も参加しており、はしごするパーティーごとに違う客層がいることにも驚いた。こうした主催費用は売り込みたい日本酒やラグジュアリーグッズなどの企業協賛費用で賄われている。

また別のパーティでの一コマ。「あんたちょっとコレ撮ってくんない?」とフォトブースで話しかけられた女性の姿は、まさに六本木に回遊する港区女子。お金持ちの友人に誘われてカンヌに行けると渡航してきたようだ。“カンヌ映画祭"の会場にはバッヂがなくて入れない、映画も1本も見ない、それでも周辺で行われる非公式パーティがあり、そのために超豪華なドレスをもちこみ、半日かけて化粧と着こなしをしてしゃなりしゃなりと高級ホテルのパーティーにでかけるのだ。なんとか角度を調整して撮影した社員、シャッ、シャッとスワイプして…「なんか盛れてなくなーい?」の一言で去っていく。
なぜ世界の映画祭の祭典に港区女子が!?とやや混乱するが、文化的価値を極めれば港区女子すらをも惹きつけるのだ。そしてカンヌのような場だからこそ、港区女子は活躍できる。日本人離れしたメンタリティが、世界に近づく一つのヒントだ、ともいえる。さながら「セレブコスプレ」である。しかしアニメがそうであるように、コスプレしてでもその世界に没入したいというほどにブランドバリューがあり、多くの「無関係な人を惹きつける」こと自体がものすごいパワーなのだ。

■レッドカーペットの「政治学」、1回100万円の視聴チケットがそれでも売れるワケ
この世界映画界の頂点をきめる約20作が毎日昼・夜で上映される2300席ものグランド・ルミエール劇場が、カンヌ映画祭のそ「中心」である。これがいわゆる「レッドカーペット」がひかれた会場で、是枝監督・監督・監督を代表に女優綾瀬はるかなどセレブリティが世界中から集まる。現場では夕方~夜に向けて数十台のカメラが並び、赤街道を練り歩く俳優・業界関係者にメディアがフラッシュを浴びせかけ、沿道ではチャンスあらばサインをもらおうとファンが待ち伏せする。
セレブもそのブランドも、「階層を分ける」ところからスタートする。前述のパーティも「選ばれた人にだけの招待状」というところから稀少性が生まれ、選別によってその場の「格」を決めるのだ。世界のブランドの頂点というのは、最も差別的な場所でもある。ジャーナリストだけで4500人も集まるが、そうしたメディア関係者にすら5階層(バッヂでメディアのランクが目視できる)ものランク分けがある。その頂点にいるメディアがScreenやVariety、日本では毎日新聞や朝日新聞のような「紙・新聞メディア」だ。ちなみに私のような一介のWebメディア記者ともなると5段階目、ということになる。
映画祭の期間、毎日のように宿泊先のホテルですべての部屋に届けられるのが、「雑誌」である。前々日のレッドカーペットのセレブ達の写真とCompetition作品を批評家によるスコアが掲載されている。この無料のカラーグラビア印刷の雑誌は、否が応でもこの映画祭がどれほどの賞賛をもって迎えられるべきものかという「格」を象徴する。格を維持するためには、服装は何よりも大事だ。タキシードと革靴など、「正装」していないともしチケットをもっていたとしても、もれなく入口で入場拒否される。

「Ticket Please」で看板をもった人たちが何百人というレベルで周辺に滞在して声をかけている。実はオンラインサイトを調べてみると、このレッドカーペットの入場チケットが売買されているのだ。もちろん禁止されている行為ではあるが、なにせチケットに記名があるわけではない。相場は驚くことに5千€(100万円)、レッドカーペットを歩いて、2時間映画をみる“だけの"チケットでこの価格がつくのだ。(もしくは“正しい"服装で3-4時間一般列で待っていると稀に欠場席があったときに入れてもらえるケースもある)


▲4/15、グランド・ルミエール上映「Karma」主演女優Marion Cotillardとハイタッチする『イッテQ』出川哲郎と谷まりあの様子が会場内モニターにも大写しとなった
レッドカーペットに横付けされる車からはまさに華麗なるセレブが登場する。一斉にフラッシュを浴びるその瞬間のために、多くの“無名の参加者"は動き出す。私が関係者枠で練り歩いていると、目の前にいる180cmはあろうかというドレス姿の女性が立ちはだかる。彼女は一向に動かない。なぜならばまだ「その時」ではないからだ。後ろからガードマンが私の背中を押し、前にいけ前にいけと促す。一般来場者はとにかく迅速にカーペットを歩かせ、早く2000名超をさばきたいのが本音だろう。当然ながら私が歩くと、カメラマンたちはスンッとカメラを止める。

だが…「その時」は来たッ!ジョン・トラボルタが入ってくるとなると、ドレス姿の彼女はにわかに一歩ずつ歩を進める。そう、いかにセレブ達とともにこの20~30mしかない距離を、わずか時速0.3キロメートルでの速度で練り練り練り歩く。まるでその速度でしか歩けないかのようなドレスもまた、説得力しかない。なぜならば、最長時間でカメラにおさまることが彼ら彼女たちからするとより多くのメディア掲載時間になるからだ。


一歩踏み出すと、そこは「戦場」だった。誰もが、にじりにじりと牛歩のごとく動く。時速0.3キロの豪奢なドレス姿の女性たちを、最大限に留まろうとする私のような時速0.6キロの人間は易々と追い越してしまう。携帯でカメラを構えると、ガードマンが静止させる。レッドカーペッドの上では写真をとってはいけないのだ。知り合いがいれば儲けもの、俳優仲間で会話をしながらなぜかレッドカーペッドの上で「談笑」する人々もいる。フィーチャーされている監督とその妻はそのままカメラ陣の前で社交ダンスを踊りだし、それをまたメディアのフラッシュが捉える。この30mの中は、まるでプレミアリーグのピッチのように意図と野望と思惑が交錯する、バトルグラウンドなのだ。脇役の私は滞在時間は3分も与えられず、あえなく階段上から写真を撮る以外に方法はなかった。


■ブランドの源泉とは何か
文化の頂点は、それが忌避する資本の頂点と重なる。このイベントはとにかく「お金」を強く意識せざるをえない。セレブが泊まるCarltonの前には朝から晩まで物見客が集まり、1泊の値段は100万円もくだらない。しかも「最低保証」として7泊以上が必要になるため、宿泊費だけで1000万円といった資産家たちがごまんといる。驚くべきことにそのホテルは(それでも業界関係者しか入れないのだが)、1階のカフェで過ごそうとすると「非宿泊客は1時間の滞在ごとに1人50ユーロの席料」を求められる。驚くほどの値段だ。
逆に招待でもない限り、1泊100万円のRegent Carlton 、Hôtel Martinez、Majesticなんて泊まれない。ノミネートに輝いたクリエイター達は、タクシーで30分はかかるはなれにAirBnBの大部屋にに1泊10万で宿泊し、なんとか7-8人で出費を分け合うといったことすらしている。夜は夜でタキシードにドレスでばっちりと着こなし、コネクションを作らなくてはならない。


▲有名ホテルの前は常にこうした人だかりが待ち構えている
しかしそうした資本家たちも渇望しても手に入らないものがある。それが「創造性」であり、文化であり、クリエイターだ。映画祭の中心はいわずもがな、クリエイターである。若手新人監督たちやプロデューサーがレッドカーペットの中心におかれ、かれらを支える立場としての資本家たちが脇を固める。この祭典はクリエイター・映画陣を頂点とし、そこを資本家たちが支え・伴奏し、オールドメディアからニューメディアが世界にその視聴をばらまきながら、少しでも関わろうとするセレブコスプレ層もまた集客し、20万人超を集める一大文化祭典をしたてるシステムがまわっている。
カンヌは何が特別なのか。それはひとえに「フォーマットへの強制力」である。あらゆる人間がそこに敬意を払い、あえて持ち運びも難しく、手間もかかり、暑すぎる最上位のフォーマルな格好で映画祭に向かう。全員が、そのフォーマットに則っている。どれほどのトップクリエイターやセレブリティであっても。その「リスペクトの集合体」が全体を美しく飾り、力となって「格」をつくり、誰もが手間をおしんではならないという空気を作り出す。しかも欺瞞にも思えるこの祭典の唯一無二の素晴らしさは、ここで「持たざるもの」としてのクリエイターが最大の栄誉を浴びる機会にもなる。次回そのチャンスを掴んだ話をインタビューしていきたい。

▲毎晩人々が「映画を愛する」この光景をみるためだけに、カンヌにきても惜しくはないと思える静謐な雰囲気
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場




