【連載】ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- 「学校トーク!」 東京工芸大学 『パックマン』生みの親 岩谷徹氏に訊く【前編】


ディー・エヌ・エー(DeNA)<2432>の馬場保仁氏が、ゲーム業界の人材・採用に関して語っていく連載記事「ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN-」。現在同氏は、DeNAのスマホアプリ開発のプロデューサーを担うほか、人事・採用担当も兼任している。開発現場・採用担当、双方の視点からゲーム業界における“人”に対してスポットをあてた連載記事。

今回は趣向を凝らして「人材」に関する対談記事を展開。対談相手は、『パックマン』生みの親でも知られる岩谷徹氏。現在同氏は、東京工芸大学 芸術学部 ゲーム学科 教授として、未来のゲームクリエイターたちに向けて教鞭をふるっている。学校側、ゲームクリエイター側、双方の視点からゲーム業界の「人材」についてコメント。



 

■「もっと遊びなさい」…岩谷徹氏の原体験



東京工芸大学 芸術学部 ゲーム学科 教授 岩谷徹 氏(写真左)
株式会社ディー・エヌ・エー プロデューサー 兼 採用担当 馬場保仁 氏(写真右)


馬場:よろしくお願いします。私は今「活人研」という企画でゲーム業界に入ってくる学生さんやゲーム業界の人たちに向けた話をしています。そうした企画のなか、前回(関連記事)はコロプラの馬場様に会社の社長としての話をお聞きしたのですが、今回は趣向を変えて学校側、もとい岩谷さんはゲームクリエイターでもあるので、その両方の側面からお話を伺えると思いましたので、今回企画しました。

まず、今の若い子たちですと岩谷さんの輝かしいキャリアを知らない人もいるでしょうから、ご経歴を含めたお話として、岩谷さんご自身は学生時代に何を夢見て、どんな仕事をしたいと考えていらしたのか教えていただけますか?

岩谷:今の時代と比べて、そんなに将来のことを真剣に考えている時代ではなかったですね(笑)。とりあえず大学に行くというような形で、僕自身がもともと理系文系かも分からず、とにかく受験といった形で大学に入りました。高校時代も定期試験のない自由な学校でした。いわゆる当時、学生運動が盛んな高校で、最初から授業をボイコット、ヘルメット被るだの……。

馬場:(笑)。高校1年からですか!? すごいですね! エネルギーあるなぁ!

岩谷:もう授業なんか出ない。無いに等しいので、通学途中のパチンコ屋に並んだりして、もうずっと遊んでばかりいましたね(笑)。で、学校ではなにをもとに評価していたのかというと、レポート提出だったんですね。公害問題のテーマだったのですが、当時の自民党本部に行って、「公害問題のレポートを書きたいです」と依頼をすると代議士の秘書さんが対応いただいたので、それでレポートを作って提出していました。

馬場:直接依頼に行って、ご対応も頂けたのですか!? 高校生ですよね? それはすごいバイタリティーですね!

岩谷:大学ではなにをやっていたのかというと、理系だったので毎日実験をしては実験のような、それでレポートを書いての繰り返し。他に何をしていたとか特別な考えもなく、とにかく旅! みたいな事をしていましたね。バイトしてお金が溜まったら旅に出る、の繰り返しでした。

馬場:なるほど。ではゲームとはどこで最初に出会われたのですか?

岩谷:中学生の時までさかのぼります。ボウリング場で待っている人の為に置かれていたゲーム機、いわゆるピンボールなどで遊んでいました。

馬場:ピンボール、お好きなんですか?
 

岩谷:そうですね。実はピンボールが好きで中村製作所(旧ナムコの前身)に入りました(笑)。あとはアナログゲームが昔から好きでした。紙で競馬ゲームのようなものをつくって、サイコロを降って誰が一番かを競う、といったオリジナルのゲームを作っていました。ゲームの出会いというと、当時売っていたゲームを自分なりにアレンジしていくということでしたね。

馬場:当時というとボードゲームですか?

岩谷:そうですね。当時はまだ『人生ゲーム』もなく、銀行をテーマにした『バンカース』とかでしたね。

馬場:その頃のゲームだとシンプルで、ゲーム要素が少なめなのでカスタマイズしがいがありますよね。

岩谷:そうそう(笑)。あとはすごろくとかダービー系の賭けるものとか。

馬場:競馬もお好きだったのですか?

岩谷:競馬っていうのは高校から……好きでしたね(笑)。

馬場:(笑)

岩谷:その当時の様々な経験がゲーム作りのネタになっていたのは確かですよね。

馬場:そうですよね。今の学生さんってそれこそ「ゲームをつくろう」と思って、クリエイターになりたいから学校に行くという選択肢がありますが、僕の頃もそうでしたが、学校にそこは求めてはいませんでしたよね。ゲームを学べる場が、そもそもなかったと言うか…。

岩谷:そうですね。

馬場:なので、原体験を基にして自分たちで培っていったところがあると思います。逆に言うならば、当時は、岩谷さんもわたしも、ゲームを学べなかった訳じゃないですか。でも、今は、ゲームを学べる環境にある子たちがいる。そんななか、彼らに何を提供してあげるのがベースとして良いと思われますか?

岩谷:そうですね。ゲームは、数ある「遊び」のなかの一つでしかないと思います。やっぱりゲームばかりしてきている人の発想は、遊びとしての幅が狭い傾向にあります。なので、それを超えられないと思います。ですから学生には「もっと遊びなさい」「外に出なさい」「旅に出なさい」と夏休み前に必ず言うんですよ。でも、夏休み後に会うと、みんな色が白いんですよね(笑)。

馬場:おお、みんな外に行ってないということですね(笑)。

岩谷:外には行かず、家に居る。今だとインターネットで、どこかのコンサートが何万人集まって凄かったという「情報」は得られるんですね。それで行った気になっている。それだとダメなんですね。コンサート現場に行って、どこで盛り上がって、どこで人が絶叫して倒れたかとか、そういった「体験」が大事なので、足を運べとは言いますね。ただ、彼らは交通費などのお金が問題なんです。

馬場:バイトを頑張ればいい話ですけどね。

岩谷:バイトは生活費の為とかになるんですよ。幕張メッセに行けと言っても、往復何千円とかかるので、行かないんですよ。

馬場:今の子は何して遊んでいるんですかね?

岩谷:四角いもので遊んでいるんじゃないですか?(笑)

馬場:(笑)。スマホゲームやSNSだけで満足しちゃうのか〜。岩谷さんのおっしゃる通り、体験だと思うんですよ。そして、知識を得ることはすごく大事ですけど、知識から体験に昇華しないと人に伝えられないんですよ。しかもインターネットが普及して、スマホも普及しちゃったので、目の前にある手の届く知識ってあまり価値がないんですよね。なぜなら、スマホ持っていれば知識はすぐに検索して仕入れられるので。更にその向こうにあるものが得られないとダメだと思います。

岩谷:話をしても説得力がなくて、ネットの知識だけで私に「○○がすごいんですよ」と言ってくるのですが、続けて「なんでなの?」と聞くとそこから答えられないんですよね。

私は昔からナムコの若いクリエイターとの付き合いがありますが、当時の(アーケードゲームなどの)ロケーションテストとかでは「お客様の顔つきを見ろ」と話して、とにかく現場主義でやっていましたね。「ロケーションテストも見にこないでこの野郎!」とか言っていました。

馬場:そうですよね。僕はコンシューマー畑なのでロケテの経験は少ないですが、ロケテがあると聞くと見に行きましたもの。アーケードはお客様の顔を見られるのは羨ましかったです。しかもそこから直せますからね。スマホはよりありがたく、ベータテストをすれば、何千人以上の様子がわかりますし。まあユーザさんの顔が分かるくらいのデータを拾わないといけないですけどね。それがすごく大事です。

岩谷:売り出した後変えられるのは羨ましいですね。


 

■故きを温ね新しきを知る…ゲーム作りの認識


馬場:そういう意味では、ゲームの最終形やボリューム感をイメージできないクリエイターが増えているのは現状として感じますね。後で直すことができますから。

岩谷:ああ、なるほど。

馬場:デバッグを考えたらそもそもこんな仕様はダメでしょう、とか。データ量が異常に多いものとかをチェックして動作保証するためには、結構工数はかかる訳ですよ。

岩谷:見積もりができないんですよね。

馬場:リソースの計算ができない。結構これはPS2とか3以降の開発者カルチャーではあると思いますけどね。考えたもの、思いついたものが比較的容易に実現できてしまう。昔は簡単には実現できなかったので、頭をひねらないといけなかったじゃないですか。

岩谷:またアーケードの話なのですが、仕様変更するという際に、例えば今だとキャラのスピードを変えたくて3から3.5にして下さいと言うと、はいよ! と企画者でもできるようになっているんですよ。ただ、我々が最初に携わった「ジービー」っていう1号機の開発マシーンはメモリー媒体が紙テープに穴が空いているものだったんですよ。

馬場:マジっすか……!?

岩谷:マジっすよ(笑)。それこそSF映画に出てくるようなもので。ですから、データを変えることは一大事なんですよ。プログラマーに「ちょっとボールのスピードを早くしたいんですけど……」と依頼しても、中々変えられないので、頭のなかで目一杯シミュレーションをしてから変更仕様を出すんです。今の方々は「とりあえずやっちゃえ」なんですよ。念入りにシミュレーションせずに進めるから、一向に進まないというケースがあると思います。
 

馬場:そうですよね。ちょっと話逸れるかもしれませんが、最近ゲームジャムとかハッカソンとかあるじゃないですか。あれはすごくいいことだとは思うんですよ。なぜなら、まずは手触りを確かめて作ることは良いことなので。ただ、永遠にハッカソンやっていてもダメだと思っています。その面白さを知ったら、その次に行って欲しいんですよね。手触り感を試すにプラスしてゲームを作って欲しいんですよ。そこへ進んで行く子たちが中々少なくて。

確かにハッカソンで出てくるものは面白い! ただそれって何回も遊べないよね。だったらちゃんと「ゲーム」にしようよと思うんです。でもそこが今、次のフェーズにみんなが移りたがらないのです。そういう意味では、授業とかだと比較的長く開発に取り組むケースもあるじゃないですか。そういった授業を通じて、感じることはありますか?

岩谷:そうですね。まず最近「これは知ってる?」と聞いてみて、その答えは年々変わっていくんですよね。少なくとも昔のタイトルは知られていなくて「アタリって何?当たり外れの当たり?」っていった感じで(笑)

ただ、そうなるとそこから改めて説明しないといけない。以前だと説明せずとも皆知っていたことなのに、そういったものが増えてくるので、その部分をテキスト化するなりして、教える時間を有効活用しないといけない。なにせゲームは最先端のところなので、そこばかりしていてもしょうがない。

馬場:ただ、そこは知っていないと…ですよね。学校で講演させていただくことも多いのですが、その際に「新しいものを生み出せるのは君たちだよ!」と言うものの、ただ、故(ふる)きを温(たず)ね新しきを知る、じゃないですが、昔も知っていないと最先端には行けないんですよね。なので、ちゃんと興味あることは調べてほしいとは思いますけどね。

岩谷:そうですね。なので当学校では遠藤先生(遠藤雅伸氏)にもゲーム史をやってもらっています。未来っていうのは過去から現在とのベクトルの先にあるわけですから、過去と現在を知らないとベクトルの先の未来は描けないと教えていますね。だから過去を学ぶことは意味があると。あとは、時代背景ですね。そのゲームが出た理由が、それぞれの時代にはあるわけですね。文化とか認識とか技術とか、その辺を学ぶのも大事だと思っています。

馬場:一つ一つの言葉の定義もそうですよね。例えば最近よくあるのが、「僕は◯◯みたいなRPGを作りたいんです!」と言われるのですが、じゃあ「君の言う『RPG』とは何なの?」、というところから入らないといけないんですね。多分みんなが思っているのは『ドラクエ』とか『FF』のことを言っているんでしょうけど、それもシリーズによって面白さに違いはありますし、『ドラクエ』と『FF』はかなり異なる訳ですよ。「どこの何をとって君の言うRPGなの?」という言葉の定義というか深みを掘らない子が多いですね。

岩谷:よくナムコの開発現場で意識合わせという部分でも、100人いれば100の常識があるので、「信頼していたのに」といったことが必ず起きていたんです。確認というのは結局、世代間の認識の違いを合わせるのが大事ですよね。


 

■ゲームの歴史と文化


馬場:ゲームに対しての知見というか、それこそ岩谷さんは常に先端を歩いておられたので、どんなゲームが出てきたのか、ご覧になられてきたと思います。そう考えると、今の子たちが大変なのはそこだと思うんですよ。僕らは歴史を紐解かなくともよかったので。なぜなら僕らは歴史と同時に歩いてこれましたからね(笑)。今の子たちは確かに過去をみて未来を見ないといけないので、ゲームクリエイターになるのは大変。本当に勉強しないといけないところもある時代なんですよね。

岩谷:過去のゲームを遊ぶような施設もないんですよ。映像の勉強をしている映像学科やアニメーション学科とかは過去作品を見られる環境があるのですが、ゲームは「こんなのがあったのか…」という写真だけで、実際には遊べないんですよね。遊んでこそわかる部分もあるはずなんですが。
 

馬場:それはじゃあ岩谷さんが隣の建物とかに集めて施設を作ってもらえると(笑)。でも実際、誰かがミュージアムを作るしかないですよね。海外だとありそうですけど。

岩谷:海外だとありますね。ニューヨーク近代美術館『MoMA』にプレイ可能なパックマンがあるんですよ。

馬場:素晴らしい!

岩谷:なおかつ、プレイできるってことはゲームに対して理解がされているということ。

馬場:そうですね。メンテナンスされている、リスペクトされているからこそだと。日本ではどこかにゲーム対するタブー感ってまだまだ根本にはあるじゃないですか。かつ、本当にリスペクトされているのだろうか? 漫画・アニメのような文化というところまでゲームは昇華されているのか? と思うところはありますね。

岩谷:ようやく漫画・アニメがいわゆる普通の人でも名前がわかる作家や監督、宮崎駿さんのような人物が出てきているのですが、失礼ですけど、宮本茂さんと言うと知らなかったりはしますよね。ゲーム業界の人はもちろん知っていますけど。そういう意味では、アニメと漫画の歴史とのスタートの違いの差、20年くらいはまだかかるかなと思いますね。


 

■「遊びをクリエイトする」…岩谷氏のナムコ時代


馬場:話は変わりますけど、当時ナムコに入られた頃はまだビデオゲームが世にない頃ですよね?
 
岩谷:そうですね。中村製作所の頃だったので。
 
馬場:それでは入社前後では、会社・仕事に対するイメージがだいぶ違ったのではないですか?
 
岩谷:ええ。当時の就職活動というのはネットもPCもない時代でしたので、リクルートブックという会社情報の入った分厚い本を両手で抱えて「どうしよう、どうしよう」とぼんやり見ていましたね。
 
馬場:ネットやPCは、まずなかったですね(笑)。
 
岩谷:通信工学科でしたが、勉強もせず旅ばかりしていたので、有名な電機会社には入れないなと思っていました。
 
馬場:(笑)
 
岩谷:当時はゲーム会社があるとは知らなかったので、トミーやタカラなどの玩具会社も考えていました。「電機会社がダメなら遊びや玩具だったら大丈夫かな」という気持ちで本をパラパラ見ていたら、「遊びをクリエイトする」という言葉が。
 
馬場:はい、ナムコの社是というか企業理念ですね。

岩谷:それを見たときの、何だろう、あの言葉のフックはすごいですよね。
 
馬場:いやぁわかります!
 
岩谷:それで……まあ実家から電車で1本というのもあって受けました(笑)。

馬場:(笑)。同期は何人くらいいらっしゃったのですか?

岩谷:同期は22~23名くらいですね。

馬場:結構たくさん採用されていたのですね。

岩谷:そうですね。開発に来たのは10名くらいですが。

馬場:何年目で実際ビデオゲームを作られたのですか?

岩谷:入ってしばらくは、アタリのゲーム機械をナムコが輸入して日本で販売・営業をしていたこともあり、その修理をしていました。

馬場:なるほど。

岩谷:例えばこれはパックマンのCPU基板ですけど……
 

馬場:おお〜! 貴重ですね!
 
岩谷:こういうコンピュータボードがアタリの基板にあり、映らなくなったものなどを修理していました。当時はサービスセンターがなかったので、開発の人間が修理をするため、このICがいけないのかな、このパレットがいけないのかなと、差し替えたりしていって直していく形でした

直していくにも、この箇所かなというところを急冷という冷やす奴をシューっとかけるんですよ。そして、冷やすと動くようになったりするんですね。それで画面が映ると「この箇所がいけないのか」というバカみたいな対処療法をしていました。(笑)
 

馬場:すごいですね! 超職人な世界じゃないですか(笑)。ある意味勘ですよね。
 
岩谷:そうですね(笑)。それでそのうち、我々もアタリのようなビデオゲームが作りたいと。それでナムコのビデオゲーム1号機「ジービー」を開発しました。
 
馬場:最初から企画に関わっておられたのですか?

岩谷:はい。最初は何でもやっていました。修理とか、特許や商標とかというのも何故か開発が取りまとめていたり……。

馬場:(笑)

岩谷:それから「遊びと人間」とか「ホモルーデンス」といった本をとにかくみんなで読みました。その辺の文化はやっぱり中村雅哉(ナムコ創業者)が作り上げたものですね。

馬場:素晴らしいですね。ちなみに、セガは、「創造は命」が社是でした! 今でも素晴らしい言葉だと思っています。

岩谷:最初からものづくり系に入っていたので、ビデオゲームをつくろうとなった時、そういった本を薦めていた自分に白羽の矢が立って、企画を考えようとなりました。そもそもピンボール作りたくて中村製作所に入って、「ウチでは作ってないよ」と言われてひっくり返っていたのですがね(笑)。それでピンボールをテーマにした、ブレイクアウトのようなものを入れたビデオピンボールブロック崩しみたいなものをジービーで作って。
 
馬場:なるほど。

岩谷:それで大量に作って、売れなくなったんですよ。
 
馬場:(笑)


 

■女性がターゲット…『パックマン』制作時の工夫


岩谷:痛い目にあったんですよ。難しかったんです。
 
馬場:ゲーム難易度ですか?
 
岩谷:ええ。実際面白いと評価してくれる人は多かったのですが、なにせ難易度が高すぎた。すぐに終わってしまう。そこで難易度の重要さっていうのを理解して、それからはお客様の気持ちを考えて難易度を設定していくようにしました。『パックマン』においてはプレイヤーの気持ちに立って、色んな仕様を書いて作りましたね。
 
馬場:『パックマン』ってどこが一番苦労されたとこですか? 今までも語られているとは思うんですけども。

岩谷:まずはパックマンとゴーストの関係性です。(パックマンは)女性をターゲットにしていたので、パックマンが自由に動けすぎると操作しきれない人がでてくるんですね。そこで縦横に操作できるようにしたい為に、壁を作りました。なおかつ、難しそうな迷路ゲームだとパッと目に飛び込ませない為に、壁を中抜きにしてネオン管のように色合いも濃く綺麗に見せて、キャラクターに目がいくようにしました。キャラクターデザイン面では可愛く、敵ながら憎めないといった『トムとジェリー』のような関係性を意識しました。

あと、最初ゲーム性のところでは、逆転要素のパワーアップアイテムがありませんでした。やはり追いかけられてばかりだとストレスが溜まるので、逆転ができるようにしようと取り入れました。これはアニメの『ポパイ』のホウレン草からの発想ですね。

馬場:なるほど〜。
 
岩谷:あとは、パックマンをこの4匹が追いかけてしまうというアルゴリズムだと、数珠つなぎで追従して、前方が安全になりスリルがなくなり面白くありません。そのため、なるべくパックマンの周りに四方八方にいるようにアルゴリズムを変えました。

赤いゴーストはパックマンをまっすぐ追いかけて、ピンクのゴーストは35ドット先を、青いゴーストは点対称のところを目指していき、オレンジのゴーストはランダムに。こうやって四方八方において、ようやくスリルが感じるようになりました。
 

馬場:ワープゾーンはなぜできたんですか?
 
岩谷:これもプレイヤーのストレス解消ですね。追いかけられて「もうヤバイ」という時の措置で、実はワープゾーンはパックマンとゴーストのスピード差がひらくとこなんですよ。ゴーストが遅くなります。
 
馬場:へー。知らなかった!
 
岩谷:ここで引き離すことができるという措置ですね。
 
馬場:セーフティーゾーンとまではいかないけれども、救済措置といった背景なんですね。あと何でフルーツを出されたんですか?

岩谷:えっとですね…実はチェリーを出したかったんですよ。スロットマシーンにもあるじゃないですか。チェリー、カッコイイじゃないですか。
 
馬場:それは岩谷さんの原体験からですね(笑)。

岩谷:それで、カッコイイチェリーを出したくて。しかも食べるゲームなので、チェリーを出そうと。あとはもうシリーズとしてオレンジとかを出すと(笑)
 
馬場:そこは、やっぱりスロットなどから影響を受けているんですね。
 
岩谷:そうですね。影響受けています。


 

■ゲームアイデアの引き出し


馬場:当時のゲームというより遊びというものからインスパイアを受けて作られていたと思うのですが、今の子はゲームからゲームを作っていく訳で、この違いは大きいと思うんですよね。

岩谷:そうですね。デジタルゲームからデジタルゲームを作ろうとしていますからね。我々はどちらかと言うと野山で遊ぶといったアナログの世界でした。デジタルの時計が出たのですら、高校過ぎてからですからね。言って見ればデジタルとアナログの両方を経験している世代なので、色んなこと取り混ぜられるなど、引き出しは多かったのかなと。今はインターネットがあるので、そういった引き出しを増やす機会がなく困ったなぁと思います。

馬場:岩谷さんの元には毎年学生さんがいらっしゃるじゃないですか。最初にいくつか“これは教える”というのはありますか? アナログ体験しろ、というのは中々難しいじゃないですか。遊びに行けとはおっしゃっているでしょうが……。
 

岩谷:そうですねぇ……無理やりピンボールをプレイさせたり、あとはビンゴピンボールとかですね。穴がいくつかあって、玉を打って、揃うか揃わないか……あそこってゲームフィーチャーの塊なんですよ。それをやらせていますね。

馬場:ピンボールとかは学校にあるんですか?

岩谷:いえ、ありません。そして、ゲーム業界上からも消えつつあります。なので、教える教材が世の中からどんどん無くなってきて困ってはいますねぇ。

馬場:それは研究費で買うしかないですね(笑)。結構なお値段でしょうけど。あと、コレ読んでおけとか、こういう遊びをしておけとかありますか?

岩谷:結局は他のエンタメに触れろってことですね。引き出しを増やすためにいろんなことをやってほしいですね。本に関してはホイジンガの本とか「ルールズ・オブ・プレイ」。あと「ゲームの教科書」(著者:馬場保仁氏、山本貴光氏)と。

馬場:あ…、ありがとうございます(笑)。

岩谷:毎年、図書館にそういった本は増やせるんですよ。授業で薦めても「お金がない」と言うので図書館にあるから読みなさいと言っても借りてる形跡がないんですよね……。

馬場:いやぁ、お力になれずすみません(笑)。でも最近本を読む子が減りましたね。今こそ本を読むのは価値があると思うんですよ。本ってリソースが揃っている情報が集まっているじゃないですか。ネットだと調べに行かないといかないので、検索能力が高い人はいいんですけど必ずしも皆高いとは限らない。

先ほども言ったスマホで調べられる第1情報、例えばウィキペディアぐらいまではもうただの情報であって知識ではないんですよね。だったらその先を深堀りしないといけなくて、今こそ本を読むことがすごく意味があるんですよね。しかも本は安いじゃないですか。もちろん高いのもあります、「ルールズ・オブ・プレイ」は高いですけど(笑)
 
岩谷:高いですね(笑)。
 
馬場:いい本なんですけど。今こそちゃんと本を読んでほしいけどなぁ……何やったら本を読みますかね? 本を読ませる何かを作ればいいんですよね。そういう遊びを。
 
岩谷:そうですね。

馬場:考えないとなぁ。ボードゲームとかはやらせないんですか?

岩谷:遠藤先生はやらせていますよね。
 
馬場:何をやったら今一番ゲームの土台がわかるんでしょうかね? もちろんデジタルゲームをやってきているので文法みたいなものはわかるんでしょうけど、ただそれだけだと発想は広がらないですよね。他から借りてきた発想が今は多いので、だったらもっと他から借りてこないと面白くは見えないよとは言えます。

ユニークさがないアイデアというのはすごく今感じます。皆ある程度の範囲に収まっているんですよね。みんなデジタルゲームから持ってくるから。ただ、そのデジタルゲームすら、いまは、好きなものしか遊んでいない、かもしれませんね…。ユーザならそれでいいんですが、プロを目指すならば、ましてや、プロならば、なんですが…
 

と、ここまで岩谷さんのキャリアや学生時代、就職されてからのことをまずはうかがってきました。レジェンドな方で、歩いてこられた後に道ができたような方なので、すべて自身で切り開いてこられた自負と、後進への想いがそこには溢れているように感じました。

前編はここで終了ですが、次回後編では、現在の岩谷さんの関心や、これからのことについて、更にお話をお聞きいたします。お楽しみに! 今回は、これまで!

 


■著者 : 馬場保仁
DeNA プロデューサー 兼 採用担当。過去、セガ(当時 セガ・エンタープライゼス)で『プロ野球チームをつくろう!』『Jリーグプロサッカークラブをつくろう!』など多数のゲーム開発に従事。DeNA入社後は、スマホアプリの開発にプロデューサーとして従事。現在は、プロデューサーとしてゲーム開発を行うと同時に、人事も兼任し、ゲーム業界の人材育成のためにも尽力している。著書に「ゲームの教科書」(ちくまプリマー新書)がある。

■岩谷徹氏の研究『ゲーミング・スーツ』

東京工芸大学ゲームクリエイターズ・フェスタでの発表
(東京工芸大学芸術学部ゲーム学科ブログ)


■ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- バックナンバー

第七回「学生さんにやっていただきたいこと~後編~」

第六回「学生さんにやっていただきたいこと~前編~」

「社長トーク!」第1弾 コロプラ 馬場功淳 社長【後編】(第五回)

「社長トーク!」第1弾 コロプラ 馬場功淳 社長【前編】(第四回)

第三回「若手のチャンスとキャリアパス」

第二回「企業×学校×学生」

第一回「ゲーム業界って本当に人手不足なの?」

 
株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)
https://dena.com/jp/

会社情報

会社名
株式会社ディー・エヌ・エー(DeNA)
設立
1999年3月
代表者
代表取締役会長 南場 智子/代表取締役社長兼CEO 岡村 信悟
決算期
3月
直近業績
売上収益1367億3300万円、営業損益282億7000万円の赤字、税引前損益281億3000万円の赤字、最終損益286億8200万円の赤字(2024年3月期)
上場区分
東証プライム
証券コード
2432
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