【インタビュー】PS VRはここから始まった、ソニーからSCEへの事業化までの道のり、嘘みたいな本当の話…SIE WWS プレジデント吉田修平氏に聞く(1/5)
VR業界の最前線に立つキーマンにVRに携わる前と、VRに携わった後の話を伺うインタビュー企画の第1回。
本企画の第1回目は、ソニー・インタラクティブエンタテインメント(以下、SIE)傘下のSIEワールドワイド・スタジオ プレジデント吉田修平氏(写真)に、インタビューを実施した。今回はソニーに入社、その後留学を経て、ソニー・コンピュータエンタテインメント(以下SCE/現SIE)に至るまでを、振り返っていただいた。
■ソニーに入社した理由、嘘みたいな本当の話、SCEの事業化までを振り返る
大学卒業後の1986年にソニーに入社しました。ソニーにはその頃留学サポートの制度があり、技術系が中心でしたが、MBA取得のために文系の若手社員も制度の対象としてサポートを受けることができました。
私はそれに応募して、1990年から2年間アメリカのカリフォルニア大学ロサンゼルス校に在籍していました。
1992年に日本に戻り、Appleの「Macintosh PowerBook 100」というノートブック型PCを製造しているチームに入りました。「Macintosh PowerBook 100」は、Appleのブランドでソニーが設計・製造をして納めていました。
その頃から私がゲームに詳しいというのはよく知られていました。実現には至りませんでしたが、スーパーファミコン用のCD-ROMドライブを担当していた同僚がいて、アドバイスもしていました。
新卒時代の上司はそういった話をしていたのを覚えてくれていたようで、"久夛良木健"っていう人がいるから会いに行けと言われまして、そこで初めてお会いしたのです。
久夛良木さんは、「シリコングラフィックスの1000万円くらいするワークステーションの性能の機械を5万円で出す」と言っていまして、僕は凄いですねと言いながら「この人嘘つきだなー」とも思いました(笑)
その後、久夛良木さんに「ぜひチームに入れてください」とお話したのが、1993年の2月の事です。
当時のチームは、まだ30人ぐらいで全員が初代PlayStationの開発エンジニア。私は非エンジニアとして初めてのメンバーで社員番号は32番でした。
また、すぐに新卒時代の上司も移ってきました。つまり事業化するSCEを作る準備として、自分の知っているメンバーを集めていたんですね。私はそれを当時全く知らず、「会社とはこういう風に動くのか」と気がついた瞬間でもあります。
余談ですが、ソニーに入った一番の理由は、ゲーム機はコンピューターなので、ソニーは将来ゲーム機も作るだろうと思っていたからです。私はゲームが好きで、ゲーム機を作る時には、それを是非やりたいと胸に秘め入社したのです。
今、それが全くその通りになったという、嘘みたいな本当の話なのですが、非常にラッキーでした。
<続く>
4月25日掲載
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(取材・文・撮影 : 編集部 和田 和也)
会社情報
- 会社名
- 株式会社ソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)
- 設立
- 1993年11月
- 代表者
- 暫定CEO 十時 裕樹