【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第65回 「インナー」に入りこむ勇気-投資家&ゲーマー&ギルドオーナーでWeb3に賭けるシンガポール在住日本人弁護士
医者・弁護士・会計士といえば「資格で食っていける」三大職業だ。だがその課題は国別の資格であるがゆえにドメスティックであり、かつ“先生商売"ゆえになかなか事業との距離がある。外部アドバイザーとしては有能ではありながら、どこか一線を引いたコメントの中に「同じ船に乗っていない」感覚にもなる。そうした経験のある経営者は多いのではないか。だがシンガポールで出会った森和孝氏は違った。顧問弁護士でありながら、顧客のゲームを率先してプレイし世界ランク一位をとったかと思えば、フィリピン・インドネシアのゲーマーを束ねた自らのゲームギルドを結成し100人のゲームユーザーを束ねる。ベンチャーへのエンジェル出資も行い、Web3にプレーヤーとしても事業者としてもコミットする“進化型弁護士"である。今回Web3弁護士としてシンガポールで有名な森氏のインタビューを通して「専門家として事業に寄り添うあり方」について話を聞いた。
■Web3:市場が2年で10倍、半年で1/5になったりもしたが、支える投資家たちは離れていない
■憧れのマンションに住む夢がくじかれた高校時代。父親の失敗から志した弁護士
■鬱症状、自転車で7時間逃げ続けた新卒1年目。ヤメ弁護士も覚悟した瞬間
■英語苦手な弁護士がシンガポールで開花、憧れの裏返しへの決着点
■サラリーマンが投資家になるために。インナーに入り込んで当事者となることを恐れない
■Web3の新天地ドバイ進出、カフェも家賃も仮想通貨払い。「弁護士最前線」の行きつく先
■Web3:市場が2年で10倍、半年で1/5になったりもしたが、支える投資家たちは離れていない
――:自己紹介からお願いいたします。
One Asia Lawyers /Focus Law Asia LLCの森和孝(もり かずたか)と申します。
――:森さんとは中山もシンガポール時代にお会いしていて、「シンガポールでWeb3弁護士といえば森さん!」という感じでこの4~5年で一躍注目の弁護士になりました。
ありがとうございます、中山さんがブシロードにいた最初にお会いした時は、2017年でいわゆる“普通の弁護士"だった時代かと思います。
――:ちょっとシンガポールいる方じゃないと知らないかとは思いますが、森さんは自分でもエンジェル投資もするし、何より僕が驚いたのは「Mori Guild」というゲームギルドまでつくって、Job Tribes(以前中山も取材した山田耕三氏が吉田直人氏と展開する日本発シンガポール企業DEA社のゲーム)を攻略されている。
僕自身もブロックチェーンゲーム(BCG)で一度だけですが世界一になったこともあります笑。あのときはホント物理的に24時間ぶっ続けでゲームしました、、、司法試験より頑張ったかもしれない笑。ギルドは今、Discord登録で2500人、スカラー(ゲーム内有償アイテムを借りている「店子」の状態)は80人くらい、それにスカラー卒業後もギルドを手伝ってくれているメンバーやスタッフも合わせると約100名ですね。
※ゲームギルド:「Axie Infinity」「STEPN」などで有名になったBCGは初期数万~数十万円のアイテムを買う必要があり、それをスカラーとして初期費用なしで借りて、稼いだお金の配分を返す形が一般化した。企業化するなかでゲーム集団であるだけでなく、自身で通貨発行したり、ゲームごとにトークン出資して巨大化していき、例えばAxieの大ヒットに大きく貢献したYGG(Yield Guild Games)は44のゲームに投資し数十万人のユーザーを束ねるが、2021年2月に26億円調達した際には時価総額で3.3億ドルとも言われた。
――:いや、マジで聞いたことないですよ笑。弁護士でゲーム世界一になって、しかもゲームギルドもっているって!本業って何なんですか?も含めて、その“普通の弁護士"が“Web3弁護士"に進化する過程をお聞きしていきたいと思います。
ぜひよろしくお願いします笑。
――:とはいえ、昨年夏から「クリプトの冬」。状況はどんな感じでしょうか?
ブロックチェーンゲーム(BCG)でいえば、最近はSTEPNのようなメガヒットが出ていないので、全体的な資金流入は鈍化し、ユーザー数も少し減少したと言われています。ただ、個人的な印象としては投機筋を中心に抜けただけで、実はアクティビティは依然として堅調だと思います。つまり儲けへの過度な期待は正常化して、皆プレイ自体は続けている。
――:なるほど!投機筋の人々が市場を過熱させて去ったけど、BCGを支えようというユーザーが残っていることは期待できますね。100人くらいのゲームギルドだと、どのくらい稼ぐものなのでしょう?
今はスカラーの中で稼ぐ人で月5万円(月50万円という時期もありました)。今だとギルド全体で月に250万円くらいの収益でそのうち約40%がスカラーさんに配る報酬です。以前に比べて個々のメンバーの報酬は減っているのですが、私のギルドのメンバーは「誰も辞めていない」というのが「稼ぎ」とはまた別の結びつきを感じる点です。もちろん、物価の点で、フィリピン、インドネシアのメンバーが多いので、彼らは月5万円でも十分な稼ぎになる場合が多いというのはありますね。
▲森弁護士が組織するJob Tribesのゲームギルド「Mori Guild」、参加者数はランクごとに積みあがっているのがわかる。
――:森さんご自身も「クリプトの冬」で損はしたんですか?
「損」の捉え方にはよりますが、実は損はしていません。トークンだけでも数千万円以上投資してきましたが、あるトークンが上場等のタイミングで一時10倍以上になって数億円相当になりました。ただそのトークンのプロジェクトや企業を応援するつもりでお金を入れているので、当然そのタイミングでは売ってなくて。株で言うと「売り逃がした」という状況なんだと思いますが、もともとそこで稼ぐつもりで投資したわけじゃないので問題なしです。
――:典型的な「支える投資家」ですね!
みんな短期的な変動価格の価値だけで評価しがちですけど、違うと思うんですよね。BCGの世界で言えば、トークンは入り口に過ぎません。フィアットの世界で言えば、日本で生まれて日本円をゲットしただけという状況です。それを活用して何をするかが大切です。
例えば、インフレ率が高い国の人は現金を稼ぐとすぐ不動産とかに変えますよね。運用の次元を超えて、何か実現したい未来があれば事業投資をしたり、寄付をしたり。BCGの世界では、それが、NFTなどゲームアイテムの購入やスカラーへのNFTの貸出し、さらにはギルドの運営と広がっていきます。BCGに限らないですが、そのコミュニティが好きで今後も広がっていく。広げていきたいと思えば、そのコミュニティの成長に貢献できる形で資産を運用できるのがWeb3の世界の面白さの一つだと思います。
――:ご自身でのBCG出資、ギルドという観点では「急騰して、元に戻ったが辞めるほどダメージはない」だと思いますが、他のNFTやトークン発行だったり、Web3の会社さんたちの経営状況はいかがでしょうか?弁護士としての顧問先でもどのくらいの割合でWeb3からの撤退がありましたか?
ここ3~4年で顧問先はすごく増えたんです。Web3関連に縛っても50社以上増えました。いわゆる「冬の時代」でも増えてはいますが、この半年で廃業したり撤退されたクライアントも5社くらいありました。応援したいと思うプロジェクトに限定してご依頼を引き受けているので、撤退のご報告を受ける際には胸が締め付けられます。
――:それは今の日系企業のシンガポール展開の全体像を表してますね。50社というのは想定よりも多かったですし、まだ辞めたのが1割、というのもまた想像してたより良い数字です。
■憧れのマンションに住む夢がくじかれた高校時代。父親の失敗から志した弁護士
――:改めて最初からお聞きしたいのですが、森さんはどういうご家庭で育ったんですか?
大阪生まれ大阪育ちで、母親が美容師、父親がシャンプーなどの頭髪化粧品の卸販売の自営業でした。
――:勉強はできるほうだったんですか?
いや、全然笑。小学校はちょっと成績いいくらい、中学校ではそこそこ上位だったけど中2の頃から勉強が嫌いになって、いわゆる「保健室登校組」でした。高校のときは年間100日以上保健室登校だったんじゃないかな。特に英語がホントにできなくて、今シンガポールにいるのが不思議でしょうがないですよ。
――:ええ!よく弁護士目指すところまでいきましたね!意外です。
なんか変なところでこだわり屋で、あえて周りにとけこんで行かないタイプだったんですよ。あと、結構コンプレックスをこじらすタイプで、自分の髪がくせ毛なのが嫌で、きれいにまとまらない日は学校いかない、みたいな笑。浪人して大学に合格したときも、アメフト部とかに胴上げされている皆を横目でみて、自分は「第一志望じゃないんで」と胴上げを断るみたいな嫌なやつでした汗。
――:弁護士になりたい、というのはいつごろから思っていたんですか?
高校くらいですかね。実家がバブルの影響を受けやすい美容系のビジネスだったこともあって、物心ついた頃から段々家が貧しくなって、それでも自分が高校のときに父親がなんとか新築のマンションを買うための頭金の借入をゲットしてきたんです。それまで狭いマンションに家族5人で借家暮らしだったので、家族は大喜びでした。家族皆で色々な家を内覧した時の嬉しさは今でも覚えています。
なのに、父は、その頭金を少し増やそうと欲を出してしまって大豆の先物取引にそのお金を突っ込みました。今思えば典型的な詐欺だったと思うのですが、結果、膨らんだ借金だけが残りました。その後、数年は家の雰囲気は最悪でしたね。我が家はずっと長いこと消費者金融からの借金生活になりました。そんな苦しい中でも妹と弟を大学に通わせてくれた今は亡き父には今でもすごく感謝しています。
――:なんと。しかもマンション内覧までしていた高校生がその夢がなくなったときの絶望は想像を絶するものがありますね。
返しても返しても金利が高くて元本は減らず、実はもっと早く債権整理してたらあんなに苦しむこともなかった。今の僕だったらあの時の親父を簡単に助けられるんですけど。その経験もあって母親の中で「子供達を堅実な職業に就かせないと」という気持ちが強固になった気がします。結果、妹は銀行員、弟は教員と立派な社会人になりました。
私も、母の期待に応えたいという気持ちと、詐欺被害や借金で不幸になる人を減らしたいという気持ちが芽生えて「弁護士になりたい」と思うようになっていきました。もともと、自分が半分不登校みたいな生活だったときに観た「家栽の人」に感銘を受けて少年事件に携わる裁判官にも憧れを持っていたので、司法試験を自ずと意識するようになっていきました。
――:じゃあ、そこから勉強も頑張りますよね。
中高は、それなりの進学校だったんですけど、かなり成績は悪かったです。高3の時点で学年120人中119位とか笑。アルバイト頑張って予備校に通って一浪してなんとか神戸大法学部に滑り込みました。大学に入ってからは学費や生活費のためにバイト三昧で、司法試験のこともさっぱり忘れてました。周りの皆が就活を始める頃に自分には就職という選択肢はないなと思って、貯めたアルバイト代を握りしめて司法試験の予備校に通い始めました。といっても正規講座を受けるお金はなかったので、模試だけ受けて、勉強は本を買って独学でした。
――:独学でキャッチアップしたんですか。ホントに苦労されてますね。年代的にはちょうどロースクール始まった時期ですよね。
2005年に大学を卒業したんですが、ちょうどロースクール制度はじまって2年目の年でした。ただ、金銭的な問題もさることながら、なんとなく一発勝負の旧司法支援で受かりたいという気持ちが強くて、大学卒業後も司法浪人して旧司法試験に拘り続けたんです。変なこだわり病の再発ですね。最初に司法試験を受けた大学4年のときは、結果は酷かった。択一試験でマークシートで60点満点なのに確か12点とか確率論を凌駕するほどボロボロでした。
――:すぐにはロースクール行かないんですね?それはそれでキツイ選択されましたね。
はい、そこから2年間は世界で一番勉強したと思えるぐらい頑張りました。司法浪人1年目の2回目は択一試験受かったんですが、今度は論文がボロボロ。浪人2年目になって今度は択一で落ちちゃって、気持ちが折れました。もうその時には司法試験での合格者が1500人⇒500人⇒200人って感じで一気に減っていったので、仕方なく2007年からロースクールに入ります。
――:なんか色々苦しい学生時代でしたねえ・・・。うまくいかないことも多くて。
そうですね。ロースクール入ってからも諦めきれずに旧司法試験は受け続けて、択一試験で10位くらい、論文で200位くらいでしたが、合格者がたった140人だったので落ちました。ある意味そのおかげで自信はついて、ロースクール卒業後の新司法試験では、余裕の一発合格でした。嬉しい気持ちよりほっとした気持ちが大きかったですね。
■鬱症状、自転車で7時間逃げ続けた新卒1年目。ヤメ弁護士も覚悟した瞬間
――:試験合格したら、晴れて弁護士!という感じなのでしょうか?
実は揺らいでいる時期もありまして、司法試験合格後は約1年間修習期間があって、裁判所から検察、弁護士まで色々体験します。その時に成果を出して検察の上司にすごい気に入ってもらって、検察もいいなあとか。裁判官にやっぱりなりたいなあ、とか。
――:あ、検察っていわゆる犯罪者対応ですよね。でもそんな1年目で「成果」が出せるものなんですか?
修習内容については守秘義務が課せられているので詳細はお話できないんですが、実際の証拠収集から取調べまでやります。もちろん担当検事の監督の元です。今はどうかはわかりませんが、我々のときは、事件現場の聞き込み、監視カメラの確認、担当刑事への追加指示、検死への立ち合いも含まれます。最初に担当の事件をいくつか割り振られて、捜査を進めて、起訴するかどうかを自分なりに論理立てて結論を出して、担当検事の決裁をとりにいきます。
私は、早々に割り振られた事件の決裁が取れたので追加で案件を担当しました。ここからは「難しめの案件」が割り振られます。取調べの相手もちょっと緊張感が違ってきます。私たちはどう見ても新人なので、完全に舐められます。
――:あっちも慣れてる感じですね笑
その案件は結構苦戦しましたが、いろいろ工夫をして最後はなんとか決裁が取れました。話して大丈夫な範囲で話すと、出頭の時間差を利用して家族の供述を貰って供述の矛盾をついた方法が担当検事に評価されて、検察官を志望しないかと軽く誘われたりもしました。やっぱりちょっと揺らぎますよね。好奇心旺盛なので進路については色々悩みました。
――:今の投資家やゲームギルド型弁護士に進化した素養がちょっと感じられますね笑。裁判官、検察、弁護士とありますが、この順になるのが難しい。特に裁判官はよほどトップ成績でないと厳しいとも聞きます。タイプ的にはどういう違いがあるんですか?
裁判官は独立しているとはいえ、公務員的な色合いも強いです。自由奔放なタイプの人は稀で、温和で真面目な人が多かったです。検察は一言で言うと体育会系な感じがあります。悪事は許さないと言う正義感が強いタイプ。結果的にはもっとも多面的で自由でいろんなタイプの人が多い弁護士が、僕には一番合っていたと思います。
――:弁護士事務所は大阪でしたよね?
はい、いわゆる「町弁」といわれる小規模事務所でした。大阪の町弁なんで、ご想像の通り、離婚、相続などの家事事件から労働事件、中小企業の顧問など幅広い事件を扱えました。大阪という土地柄か、ドロドロした事件も多かったです。ただその事務所は1年足らずでやめてしまいます。
――:なぜですか?
私の経験不足と相性ですかね。ボスの弁護士と自分だけの事務所で、同期の仲間に相談とかもできなかったので、とにかく何でも時間がかかりました。弁護士は事務所に所属していても基本的には個人事業主なので、事務所の案件を処理しながら、自己研鑽を続けないといけません。弁護士会の研修や将来の営業を見据えた異業種交流会への参加などもあります。
なので、毎日3時間寝られたら御の字のスケジュールが続きました。体調も良くない時期が続いたり、ちょうど東日本大震災があった年で気持ちが落ち込んでいたのもありますが、実は、一度、物理的に逃げ出したこともありました。
――:逃げた!というのは・・・?
今考えると、完全に鬱症状みたいになってしまっていたんですが、まだ妻も1人目の子がお腹にいて大事な時期だったにもかかわらず、ある朝、どうしても職場に行きたくなくて、でも妻を不安にさせるわけにもいかず、とりあえず家を出て、いつも通り自転車に乗った後、職場が近づくと吐き気がして、気がついたら、ひたすら西に自転車を漕いでいました。我に返ったのは家を出てから7時間後くらいでした。
――:えええ!もう限界ギリギリですね。どこまでいったんですか?
大阪の南森町のほうから・・・加古川あたり(兵庫県明石市より西寄り。70~80kmこぎ続けたと想定される)までいきましたね。汗だくで携帯も切っていたので、勤務先からも妻からも連絡がつながらないでだいぶ“騒ぎ"になっていました。無我夢中で自転車こぎつづけて、最終的に夕方近くになったところで「我に返って連絡して謝った」という顛末です。
――:大学教授も近いところあるんですが、ブラックな体制になりがちですよね。人間関係も狭いですし、クライアントワークだから本来的に業務量も多くなりますよね。皆さん、あんなに苦労して弁護士になるけど、どのくらいの人数が続けられるものなんですか?
弁護士としての同じ期には約2000人いて、同クラスが70人、班だと40人。僕が知っている同期は100人くらいの範囲なんですが、残念ながら亡くなってしまった方も数名います。理由はまちまちですが、弁護士を廃業された方も複数います。不祥事を起こしてしまった方も何名かいます。最近では弁護士を続けるのも簡単ではないと言われていますが、一定範囲でそれは事実だと思います。
――:そっか。あれだけ苦労する資格だけど、とってからも安泰ではないんですね。2社目の事務所はどうでしたか?
はい、最初は独立も考えたのですが、まだまだ経験不足だったので、移籍先を探しました。誰かの下で働くのが向いてないなと思ったので、移籍先は、パートナーシップに近い形をとってもらえるところを探しました。
幸い移籍先の皆さんとはとても相性も合って、すごく救われました。毎日楽しかったです。積極的に外に出て行く余裕もできて、知り合いも飛躍的に増えて、企業法務の依頼も増え、海外案件なども経験するようになっていきました。
■英語苦手な弁護士がシンガポールで開花、憧れの裏返しへの決着点
――:徐々に、シンガポールと近づいてきましたね。2社目で企業法務になって、海外案件も出てくる。英語苦手とおっしゃってますが、確かに最初お会いした時も言っていた気が。
もう中高時代からの因縁でしたから。本当に英語が大嫌いでした。お金なかったから留学経験も全くなかったですし。でもそれって逆に憧れの裏返しだったんですよね。英語の企業案件がきたりするようになって、でも自信なくて友人の弁護士に流したりしながら、そのこと自体にもちょっとしたモヤモヤがありました。
そのとき、ちょうどFacebookで発言したんですよ。「シンガポールか香港に留学でもして、ちょっと海外にいってみたい」と。そしたら中山さんもご存じの弁護士法人マーキュリー・ジェネラルの坂元英峰弁護士が(高校の先輩で元から繋がっていて)コメントを返してくれて、それがきっかけで、マーキュリーのシンガポールオフィスに駐在することになりました。
――:スーパーなオファーですね!英語留学するところがいきなりシンガポールで仕事しながら移住、それはチャンス掴みましたね。坂元さん、海外コミットが強い大阪の弁護士事務所立ち上げられましたよね。
ちょうど坂元先生もシンガポール移住のタイミングで。今も坂元先生には本当に感謝してます。あと、実は、大阪での移籍先での仕事が絶好調で、それを捨てて海外挑戦=収入激減からのスタートだったので、シンガポール移住を快諾してくれた家族にもとても感謝しています。
――:大手4大の弁護士事務所だと1-2年海外の提携事務所に赴任、みたいな制度もありますけど、やっぱり海外赴任ってだいぶ珍しい動きなんですか?
まだまだ珍しいです。我々のように永住する気で出てくる弁護士は特に珍しい。実は、同期の友達が1人マーキュリーでインドに赴任した人がいるんですよ。10年くらい前で、当時は周りも「大変そう」という印象でした。ところがどっこい、今となっては、皆の憧れの渉外弁護士、しかも、成長著しい巨大国家インド法務の第一人者ですからね。2010年代日系メーカーがアジア中心にどんどん海外進出しましたが、弁護士も同じですよね。
――:2017年にシンガポール赴任されて、最初にどんなことされてたんですか?
基本的に「ジャパンデスク」として、ローカルの提携先事務所『Harry Elias』の日系法人のクライアントを増やすのがミッションでした。私が入った年にグローバルのEvershedsグループが『Harry Elias』を合併し、急にグローバルローファームの一員になりました笑当時は英語力の課題もありましたが、「まずは営業」と割り切って、最初の半年でシンガポールの日系企業200社くらいを訪問しました。
――:たしかによく色んなところでお名前聞きました。200社ってリクルートもビックリの営業力ですよ笑。
セミナーを開いたりとか、色々な人と繋がったり、繋いだりするのが面白かったんですよね。若手時代に制約された反動ですかね。ただ、グローバルな大規模事務所で日本人1人で活動することのやりがいを感じると同時に、限界も感じ始めました。やっぱり営業と通訳だけではなくて、国際法務の実務をやりたいと。そこで、悩みに悩んだ末、2018年に今のONE ASIAに移籍を決めました。
――:なるほど、それでONE ASIAに転職されたんですね。
はい、ちなみに、ONE ASIA Lawyersというのは会社名でなくブランド名で、その下に世界17カ国の現地の法律事務所が加盟しています。「Focus Law Asia」という法人はシンガポールの法律事務所で、シンガポール人弁護士と日本人弁護士で運営しています。今そのONE ASIAのブランドにUAE(ドバイ、アブダビ、アジュマン)のAlsuwaidi(アルスワイディ)という老舗のローカル法律事務所が加わったところです。なので、私も今年からはシンガポールとドバイの2拠点生活になりました。
――:ONE ASIAの弁護士からWeb3弁護士にはどうやって“確変"するんですか?
それこそ中山さんが取材されたDEA社さんが大きなきっかけの一つです。2018年にシンガポール法人を設立された頃にお会いしました。僕が暗号資産に触れ始めたのはもっと前の2016年頃からで、2017年には多くのICOをサポートしました。ただ、プロジェクトに感銘を受けて、リーガル面を超えてサポートして、エンジェル投資までするというのは、DEA社が最初でした。そこで今の原型が出来上がった感じです。
――:なるほど!ここでつながるんですね。でも2018~19年なんていう“怪しい"クリプト時代になぜカタい弁護士として入りこめたのかが不思議です。
いや、怪しかったですよね~笑。ただ、個人的には、2017年のICOバブルの前から、ビットコインがドルを凌駕するか、その前に米国が本気で潰しにかかるか、デジタル人民元とデジタルドルでセイバー戦争が勃発するか、その結果最も分散化されたビットコインが生き残るのか、と注視してました。ブロックチェーンの発明は、人類史上最大規模のインパクトを与えるものだという確信があったので、「日本も怪しんでばかりいたら取り残されますよ」という気持ちで2018年頃は、日本で頻繁にセミナー登壇して周っていました。それに当時シンガポールは、まさにクリプトのハブになろうと、国をあげて推進しているような状況でした。ですので、シンガポールで世界の最先端に関われたことで、それを日本にフィードバックする気持ちも強かったです。
2019年頃から日本の企業もこの業界にどんどん飛び込んでくるようになりました。特にその外野からは怪しいと言われる業界の本質を見抜いて入ってくるプロジェクトは、ビジネスモデルも面白いし、でてくる経営者も面白い。100年後評価されるかもしれないし、例えばそこから生み出された作品によっては1000年後の紫式部になるかもしれない。そういった礎を築くことに自分も加担できるかも、と思うとワクワクしたんです。日本で業界自体が怪しいと思われていた時代、毎日のように日本の大企業からスタートアップまで幅広い企業の経営者の方から連絡がきて、プロジェクト実現の可能性を揉んでいました。今、その多くが実際にビジネスを展開していて、ずっと応援し続けています。
■サラリーマンが投資家になるために。インナーに入り込んで当事者となることを恐れない
――:“インナー"になっていく瞬間ですね。編集者の箕輪厚介さんのWeb3×シンガポール版ですね、、、!そして実際に投資なんかもされるわけですよね。
最初に出資したのが、web3とは関係ないのですが、NuZeeという会社です。東田さんという日本の方が経営しているドリップ式コーヒーの米国企業で、東田さんがシンガポールにきたときに友達も交えて飲んでて皆で一緒に「これは面白い!」と出資しました。当時は僕もサラリーマン的な立場だったので、経済的にあまり余裕もないなかでの最初の投資、かきあつめた100万円弱をドキドキしながら振り込みましたね。そうしたら2018年に見事ナスダックに上場。経済的な面ももちろんありますが、応援の気持ちがきっかけになるというのが性に合っていて、それからエンジェル投資家としても活動しています。
――:色んな資金調達のニュースがある中で森さんの「個人名」が目立ちますよね。YGG JapanやBunzzなど、よく國光さんと森さんのお名前をセットで拝見します。どのくらいエンジェル投資もされてるんですか?
この4年間で、Web3系では13社いれて、それ以外も含めると20社くらい合計1.5億円くらいですかね。Web3系だとEquity(株式)だけというのはあまりなくて、Tokenなどでも入れてます。Tokenのほうが回収までの期間が比較的短いという特性もありますし。とはいえ、応援していて、いろいろな形でつながり続けているプロジェクトが多いので、実際にはほとんどガチホです笑
たしかに、Web3関連に個人でエンジェル投資している人は結構同じ顔ぶれだったりしますね。先ほど中山さんが触れられた國光宏尚さん(gumi創業者、日本有数のWeb3論客として有名)や村口和孝さん(日本テクノロジーベンチャーパートナーズ代表)、シンガポールで公私でお付き合いのある田村耕太郎さん(元参議院議員、リー・クアンユー公共政策大学院兼任教授の地政学者)や本田圭佑さん(元サッカー日本代表選手、投資家としても有名)と超アーリーステージの投資家として名前が連なっていると勝手にテンション上がっています。
――:こういうのは弁護士業界のなかでは嫌われたりしないんですか?弁護士なのに弁護士らしくない、とか。
日本の弁護士の知り合いが多くはないのではっきりとは知らないですが、よく思われないこともあると思います。ただ、個別に海外に興味がある弁護士の方から話を聞きたいと連絡をもらうことはあります。職域拡大という意味でも弁護士会とかから呼ばれたら喜んで講演するんですが、残念ながら声はかかりません笑。
弁護士らしくないというのはよく言われます。褒め言葉だと勝手に捉えていますが、確かに、細かな作業は同僚に手伝ってもらうことが多く、ビジネスモデルやストラクチャー構築の部分に注力することが多いので、一般的な企業法務の弁護士の働き方とは違いますね。
――:得意不得意ありますよね。コンサルでも「案件獲得が得意な人」と「丁寧にソリューションを提案できる人」は違ったりします。
そうですね、僕の場合、似た分野の顧問先を増やしながら専門性を高めつつ、広く複数の国で事業展開したり投資したり新しい分野を開拓して、それをクライアントにフィードバックしてサービスの質を高めていくというのが性にあっているんだと思います。
――:ただアドバイザーという客観的立場なのに利害関係者になってしまってよいのか、みたいなものってあったりするんでしょうか?
確かにあります。顧問先に株式出資してしまうと、株主の権利に関するアドバイスは利益相反になり得ますので避ける必要があります。ですので、そういう出資形態はごく少数です。Web3なので、トークン出資が多いというのもやりやすい点です。
個人的には、アドバイザーやりながら、実際に自分もそこにリスクをとって出資しているわけだからよりコミットできるよね、というのがあります。アドバイザーしてゲームもやってトークンももって、そこまでコミットするから顧客の事業を芯から理解できるというのもあります。だから個人的には一貫したことをやっているつもりです。
――:なるほど!ちょっと答えられたらでいいんですけど、弁護士って言ってもサラリーマンじゃないですか?給与式の森さんがなぜ投資したり、こういう活動ができるようになったんですか?
そうですね。たぶん中山さんのコンサル時代も「パートナー」ってあるじゃないですか。だんだん職位があがると定給型から売上連動ベースになっていくので、たぶん弁護士の一般的な給与体系よりは「定給は抑えつつ、がんばったときに跳ね返る」仕組みなのかなと。あと、僕の場合は、貯蓄に興味がなくて、買いたい物も特にないので、余剰金をエンジェル投資にまわしている、というだけなんです。
――:キャピタルゲインに税金のないシンガポールだからの優位性もありますけど、それでも個人でしかもIPOなどで「あがった」わけじゃない人がこうやってどんどん投資しているのをみると、勇気をもらいます。
でも正直、タイミングによってはホントにキャッシュがないんですけどね笑。自分自身がWeb3にだいぶ恩恵を受けたのでそれを恩返ししている気持ちもあります。普通だったら貯金したり不動産にまわしたりするんでしょうけど、僕の場合稼いだ分は全部こういうのにまわしてしまうので。それに、あえて「渇望感」を作り出すことで、仕事を本気で頑張り続けられるので、これはこれで良いサイクルなんだと思ってます。
■Web3の新天地ドバイ進出、カフェも家賃も仮想通貨払い。「弁護士最前線」の行きつく先
――:弁護士の入り方としては特異なんだと思いますが、弁護士業界からみてWeb3領域にコミットする方って他にもいらっしゃるんですか?
勝手に同志と思っている古参のWeb3弁護士は、日本にも数名いらっしゃいますし、最近特に増えてきました。金融、IT、ゲーム様々なバックグランドからWeb3を専門にする弁護士が出てきています。
――:基本的に判例や意見書などを参考にするんだと思うんですが「実例がない」時点でICOやWeb3の考え方などにどうやって弁護士としては判断をしていくんですか?
判例もないですし、実際にきている案件ベースで、当局とディスカッションしていきながらでしかないですよね。ただこういう場合の強みって、「グローバルなネットワーク」なんです。シンガポールやUAEはもちろん、BVI、セイシェル島とかキュラソーとか、オフショアも組み合わせながら、実例ベースで昔から議論してきているので、仮に、彼らがコンサバな意見出してきても、「いや、この条文使えばいけるでしょ」とかいって、深く突っ込んだ判断に導くこともできるようになります。
――:なるほど、じゃあこちらもこちらで「シンガポールの森弁護士は詳しいから」みたいに認識されるようにならなきゃいけないわけですね。森さん、よく呼ばれて講演とかしてますが、どういうところが多いですか?
実は、最近はパブリックな講演はあまりやっていません。昔は業界団体、コンサル会社や会計事務所から呼ばれることが多かったです。ここ数年は、光栄なことにシンガポール国立大学のリークアンユースクールで客員教授として、Web3とDXとAIを地域行政の観点から講義させてもらっているので、その準備と授業でお腹いっぱいな感じです。ただ、今年からUAEの拠点が活動開始なので、UAEに関する講演はたくさんやる予定です。他方で、そうなると「シンガポールの森」の印象が薄れてしまうので、シンガポールの情報発信も気合いを入れ直してやっていく予定です。
――:なるほど。起業家もタイミングとポジショニングが大事ですが、専門職も同じですね。2017年という時代に森さんがシンガポールにきたのは抜群のタイミングだったんだと思います。いまドバイによくいっているのも、Web3文脈なんですか?
シンガポールはある程度までやってきたなというのがあって、新天地を探して自分のコンサル会社を昨年ドバイに作っていたんです。ドバイだと日系の弁護士事務所が1つしかなくて、Web3企業も20~30社と増えてきている。Web3に対応できる弁護士が必要だという現地の声をよく聞いていました。
それと、ちょうどONE ASIAとしても中東からアフリカにも展開していこうというタイミングだったので、提携先を探し始めて、無事、とても良い提携先が見つかったという流れです。ちなみに、ドバイってシンガポール以上に仮想通貨が身近なんですよ。実はカフェでもクリプトで支払いができる店が結構あって、日本のクレジットカードはリジェクトされるのにUSDT(ステーブルコインのテザー)だと払えたり。今ドバイの家賃、USDTで払ってますからね笑
――:えええ!ドバイそんな状況なんですか!?今後どういう領域をやりたい、とかあったりします?
地理的には実はサウジアラビアやアフリカにも展開してみたいというものがあったり、Web3じゃないんですけどサッカーも熱いんですよ。ロナウドに次いでメッシもサウジにいくかもという話があったり(アメリカに決まりましたね)、ちょっとサッカーまわりもやってみたいな、と思います。息子がサッカー頑張ってるのもありますが、個人的に、昔から海外(シンガポールとベルギー)のサッカーチームのスポンサーもやっていて、そういうのも将来繋がっていけば良いなと妄想してます。やりたいことは挙げるとキリがないです。
――:なるほど、そうやって「弁護士最前線」を開拓し続けるの、いいですね~!!ギルドのほうも順調なんですか?
はい、先ほどお話ししたようにギルドの規模はゆっくりですが順調に拡大しています。また、今、いろんな実験もしていて。メンバー100人を360度評価して、貢献度投票で報酬の%を変えたり。Charity Scholarといって、スカラー報酬の6割をスカラーに渡して残り4割をチャリティに出す仕組みとか、一般のスカラーでもチャリティーに寄付してくれたら、同じ額をギルドから出して2倍寄付する仕組みとかで、毎月国連の難民給食プログラムに寄付していたりします。
それと、つい最近ですが、Webワーク特化型の障害者就労支援事業を手がけているWAVE3という企業と提携を発表して、MGG(Mori Game Guildの略称)のNFTを彼らに継続的に貸し出してゲームで稼ぐという新しい就労体験をしてもらうと同時に、ギルドの運営スキル習得や、MGGの広報活動の業務委託などの形で連携していくことになりました。
▲Mori GuildでDEP(DEA社が発行するコイン)でのEarning(稼ぎ)と連動してCharity(チャリティ)の金額も積みあがっている
――:Mori Game Guildも普通に「企業」ですね。Web3もWeb3で応援し続けているんですね。
Web3も一時の流行にしたくないですよね。例えば、やっぱり日本の野球が強いのは野球人口がそもそも多いところが根本にありますし、まずはゲームをテコに日本のWeb3ユーザーを増やしたいです。
最初はきっとロマンで皆クリプトなりWeb3に突っ込みましたけど、今が日本にとって絶好のチャンスだと思います。今も日本の超優秀なゲームメーカーたちが寝る間を惜しんでWeb3ゲームの開発に勤しんでいます。ゲーム以外でも超意外な企業がびっくりするようなプロジェクトを企んでいたりします。
守秘義務だらけで話せないことが多いですが、Web3はむしろこれからです。AIが出てきてそれがより加速していると思います。他方で、日本の法律も会計も税務も全然追いついてないので、引き続き外圧をかけ続けていければと思います。今後もWeb3のトレンドを育て続けるところにコミットしていくつもりです。
▲JR東日本が出資するシンガポールのコワーキングスペースOne&Coにて
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場