【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第75回 インディーゲーム新大陸発見:ゼロから市場を創ってきたPLAYISMの矜持

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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日本インディーゲーム史はPLAYISMから始まったといっても過言ではない。世界でVCとベンチャー企業が新興市場を牽引するように、ゲーム業界もまたインディーパブリッシャーとインディーゲームクリエイターが大手にはない発想で1~5名の小チームで数年かけてゲームを創り上げ、何十万本というヒットを飛ばして1億円の年収を得てしまうような世界がある。そういった世界は2017年ごろ、Steam市場の爆発とともに急激に注目され、近年集英社・講談社といった出版社がPCゲーム開発者育成向けファンドなどを結成するなかで活性化している。今回はそうした「インディーゲーム史」を紐解き、そのゲーム業界にもたらす貢献について考えてみたい。

 

  

■倒産&シェアオフィスの縁で入社した2011年インディーゲーム事業、ゼロ市場からのスタート

――:自己紹介からお願いいたします。

アクティブゲーミングメディア(以下AGM社)でゲームブランド「PLAYISM」を運営しております水谷俊次(みずたに しゅんじ)と申します。

――:水谷さんはもともとゲーム業界のご出身ではないとお聞きしております。

はい、関西の中小広告制作会社でコピーライターをやってました。電通や博報堂さんの仕事を受けていたんですが、2000年代後半でデジタル広告に押されて新聞広告などのマス広告がどんどん仕事がなくなってきて規模が縮小していったんです。その時に、オフィスがもったいないからとシェアオフィスの募集をしたら、申し込まれたのが2008年に設立されたばかりのAGMさんでした(2008年東京設立、09年に大阪本社移転)。社長のイバイ・アメストイさんは7か国語をあやつる外国人で、当時の5人全員が外国人、なんかすごい人たちが入ってきたな、と驚いてました。

広告代理店が最後3人になって事業撤退することになったときに、イバイさん達が「だったら俺たちの会社に入らないか?」と声をかけてくれたんです。ゲームのことをほとんど知らない状態で、「今インディーゲームが熱いから、この事業をやってくれ」と声かけられ、それで入社となったんです。

――:たまたまオフィスシェアで隣にあった会社に誘われて、入ったらインディーゲームをやろうというローカライズの会社だったんですね笑。水谷さんご自身はゲームが好きだったり、ユーザーだったりしたんですか?

まあ個人的には好きでしたよ。ただホント『ファイナルファンタジー』は一通りプレイしてたり、『龍が如く』シリーズが好きだったり、くらいのカジュアルなユーザーでした。よく我々をインディーゲーム事業にアサインしましたよね笑。当時は北米で流行しはじめてましたが、日本ではパブリッシャーも開発会社もほとんどいない状態でした。ひとまず海外のポテンシャルがありそうなゲームを日本に持ってこよう、となって『SpaceChem』、『The Tiny Bang Story』、『Machinarium』という3本の海外タイトルを日本語版でリリースします。

――:PCソフトでいうと、ヤマダ電機とかでパッケージで売ってた時代ですよね。Steamって日本にもあったんですか?インディーズを他のプラットフォーマーも関心もってたりしたんですか?

Steamは米国のサービスで存在はしていましたし、日本からも購入はできたのですがドル決済で、本格的に日本には進出という感じではなくコアユーザーが注目をし始めていた辺りですね。ゲーム会社の方も「インディーって何ですか?」というくらいの時代ですからね。日本ではまだ言葉になじみがなかったくらいで、欧米でプラットフォーマーもインディーの支援をし始めてたくらいの時期でした。「日本でPCの全年齢ゲームをダウンロードで売る手段」がほとんど存在していなかった時代です。そこで、いったん自分たちでゲームをダウンロードできるサイトをつくりました。

――:パブリッシャーを始めたが、プラットフォームがない、開発会社がない。そこでPCゲームのプラットフォームづくりから始めた・・・ということですね。一体なぜ新規参入したんですかね?、という状態ですね笑。このサイトも、フィジカルなソフトを郵送するための購入ECってことじゃないんですよね?

はい、完全にダウンロードモデルで自分のPCゲームをおとすためのECサイトでした。僕もまだ広告制作の仕事も並行でやっていたりで全員兼業で頑張って社内のシステムエンジニアと、ようやく作ったつぎはぎだらけのECサイトでして、それが2011年5月にスタートします。バグだらけの上に、3作品だした初週の売上が20本で数万円。これはもうダメだ、と思いました。

――:普通に考えて、そうなりますよね!?笑。パブリッシャーも開発会社もその作品すら知名度がない状態ですもんね。

AGMという謎のローカライズ会社がパブリッシャーどころかプラットフォーマーをやっている。そこに3本のゲーム、会社名も作品名も内容は素晴らしくとも日本国内の知名度があると言えるものではない状況ですからね。幸いだったのはイバイ社長に先見の明があったのか、「成功するまでやれ!」という方針だけは固まっていた。もう当初は毎月数十万円みたいな売上の事業でしたが最初の4~5年間はずっと赤字のなかで続けてきたんです。

 

 

■日本にごくわずかしかないインディー砂漠市場、メール返信もこないVALVEでSteamデビュー

――:これから家庭用ではなくモバイルだ!と言われてた時代ですが、2011年に日本のPCやインディーズを攻めている企業は、当時僕は聞いたことなかったです。どのくらいの期間、その低空飛行が続くんですか?最初のヒットというのはどの作品でしょうか?

最初のヒットが2012年に出したNIGOROの『LA-MULANA(ラ・ムラーナ)』(遺跡探検考古学アクション、2006年フリーゲームで開始し、2011年Wiiウェア、2012年PLAYISMでリリース、2013年にSteamで発売)です。

彼らのブログをみたらPC版を作ってるけど売る場所がなくて困っていると。それでウチで出しませんかと営業したら、彼らは最初に「我々は死神なんです」というんですよ。いままでゲーム開発で関わったものは、途中でサービスがなくなったりすることばかりで。「一緒に心中する覚悟はありますか?」ととんでもないことを言いだすんですよ。

でも我々も1年やって赤字も堀りつくしていた状態でした。これ以上失うものはないからと、受けてたったんです。この死にかけのパブリッシャーと死にかけのディベロッパーで出したタイトルが、初日に1,000本売れたんです。当時の僕らにとってはもう奇跡みたいな数字でした。

――:なるほど、それで初めて「数百万円売上」みたいな状態になるんですね!?なぜこのタイトルだけ売れたんですか?

『ラ・ムラーナ』自体は以前にフリーゲームで出してそれなりに知名度があったんです。そのファンが海外で生きていて、PC版を待っていた!とアメリカや南米で買われたんです。それで1,000本のヒットです。

――:これ陸地があるかわからないコロンブスが新大陸発見したみたいな感じですよね?

まさにそれです笑。『ラ・ムラーナ』で初めて陸地があることは分かった!みたいな。

――:でもそんなポテンシャルのあるタイトル自体が、日本市場にはほとんどない時代ですよね?

この2012年当時は色々調べたんですが、どうやらコミケの同人ゲームとインディーゲームとはちょっと捉えられ方が違うのかな、とか。それで日本のいわゆるインディーゲームとして認知されているものってどういうのがあるのかと探すと、日本では3本だなと。

それが『ラ・ムラーナ』と、『洞窟物語』(個人開発者が4年かけて創った2004年に出したフリーのオンラインソフト、個人のウェブサイトとVectorでリリースされ、2012年雑誌『タイム』で「歴史上でもっとも偉大なゲーム100」のうちの1タイトルに選出。PLAYISMで2012リリース)、そして『ゆめにっき』(RPGツクール製のフリーゲーム、2004年リリース後Vector2009年度年間総合ランキングでは68位にランクイン。PLAYISMから2018年リリース)だったんです。あとの2本もなんとかリリースしたいと思ってました。結果的にはこの3本ともストアに置かせていただくことができました。

――:そうこうしているうちにSteamがついにオープンになったのが2012年8月ですかね。「Steam Greenlight」といってユーザー投票で人気がついたものは他社のゲームもSteam上でパブリッシュできるようになる。

はい、でもSteamを運営するVALVE社は当時謎多い会社でした。『ラ・ムラーナ』を出したいとメールしても返信はこない。一年くらいかかって初めてやっと連絡が来たと思ったら、Greenlightっていうのをやるからそれを頑張れと。それで申請を出すとファン投票の結果で上から月5本くらいが謎のタイミングで許可がでてリリースをされてました。ただ人気順で言うと次は我々のタイトルのはずなのに、なぜか飛ばされてもっと投票数の少ないタイトルがリリースされていました。

一体どうしたら無事リリースとなるかどうかも全くわからないんですよ。もう悶々とする日々でした(結果的にその作品がインディージョーンズの著作権侵害ではという社内協議があり、PLAYISMとNIGOROを知っていた担当者が後押しをしてくれて無事2013年にリリースされる。ルートがあれば担当者が教えてくれる、その担当者の裁量次第でなんでも出来てしまう、というのがVALVE社の文化でもある)。

――:こうしてみるとSteamのリリース本数は2014年にようやく急増していくんですね。いまや1億人のMAUを超える巨大PCゲームプラットフォームも、10年前は10分の1もなかった印象です。

2014年ごろから基準が緩くなって月数本じゃなくて月数十本通るようになっていき、そのうち「載せたら通る」状態になったあたりでGreenlightも2017年に廃止されています。その後は「Steam Direct」といって直接誰もがアカウントを開いて載せられる状態になりました。タイトル本数の爆発は、VALVEのなかでどこまでタイトルを精査・コントロールしていくかという点を「手放した」ことで広がっていったという結果ですね。

――:Steamはこうやっていち早く?インディーズに注目していきましたが、他のプラットフォーマーはどんなスタンスなのでしょうか?

はい、パブリッシャーとしてのPLAYISMでいうとSteamがプラットフォームをオープンにしてタイトル数を増やすようになってから、ソニーのプレイステーションからも相談を頂くようになりましたね。その後にマイクロソフトのXboxさんともお話ができるようになって、最後に任天堂さんでした。まだSwitchが出る直前の時代でWiiUもあまり売れなくなっていた時代だったので、任天堂の方々も「Switchというものがありまして・・・」と非常に謙虚で、載せてくれたら嬉しい、といったスタンスで驚きました。

  

■2010年代半ば市場の立ち上がり、不安定なインディーゲームの著作&開発&宣伝構造

――:なるほど、2012年Steam、2010年代半ばにPS・Xbox、そしてWiiUやSwitchがインディーズに門戸を開くようになると、売れ行きも変わってくるのでしょうか?

はい、如実に変わりましたね。2013年にSteamにも出していったプチデポットさんの『メゾン・ド・魔王』とかルーカス・ポープさんの『Papers, Please』くらいから、1万本売れる作品が出てきました。まだこの時期は自社サイト経由のほうが大きかったり、日本の売上が多かったりしましたが。

――:2013年でようやく「1作品で数千万円」というサイズになってくるんですね。インディーゲームの祭典「Bitsummit」もこのタイミングあたりでスタートですよね。

彼らも2013年にキュー・ゲームスに在籍していたジェームズ・ミルキーさんが発起人として京都で始まってます。当時お声がけいただき、協力していました。

――:Bitsummitの参加人数も170人(2013)⇒5千人前後(2014~16年)⇒1万人越えてきたのが2017年です(2023年は3年ぶりの開催となり2.3万人を記録している)。PLAYISMさんとしても黒字になってきたのはこのあたりかなと察します。

そうですね、2014~15年ごろまでは赤字が続いていましたが、明確に黒字がでる状態になったのは2017年ごろですね。弊社はまだ数万本で10万本に達しているような大ヒットはありませんでしたが、DLSiteなどではアダルト系作品で10万本売れていた作品はありましたね。弊社としてはジャンルを広げるとだんだんパブリッシャーとして弱くなってしまう、コンセプトこそ中小の生きる道と考えていたのでそちらの方向のタイトルには手を出さなかったですね。

――:PCアダルトゲームのピークは2003年、当時は700億円程度のPCゲーム市場の8割はアダルトだったとも言われます。そこから2010年代前半までには200億円以下に下がってはいましたが、その時代の開発会社やパブリッシャーはインディーのほうにはこなかったんですか?

Fateなんかはもともとアダルトゲームだったりしましたし、商業化していく流れ自体はありました。インディーの中にもアダルト出身業者もいましたし、売れないからエロをつくっていたという開発者も聞くことはありましたが、彼らがインディーゲーム市場の方にくるという感じではなかったです。直接Steam市場が活性化したので、そちらにも移ってきましたね。

――:AGMの東京オフィスのほうでしたけど、2000年代のアダルトPCの作品としては優れていたので、そのエロ部分だけを除いたストーリーパートを新たにローカライズしてSteamで結構売れているという話を聞いていました。ブシロードの関連会社だったフロントウィングもまさにその部分でSteam通した海外売上が成長原資になっていました。

はい、PLAYISMとしてはやっていなかったのですが、そちらは確かにそれなりの売上規模を保っていました。それも2010年代後半のSteam市場の成長と連動していましたね。

――:このころになると他にインディーのパブリッシャーをする企業は出てくるのでしょうか?貴社にとって競合はあるのでしょうか?

プラットフォームでいうとGameLinerさんとかDMMさんとか、あとDLsiteさんも全年齢ゲームを強化したりとインディーの販売プラットフォームのようなものがいくつか出てきました。

パブリッシャーでいうとマーベラスさんやスクウェア・エニックスさんですね。マーベラスさんは米国子会社でXSEED Gamesというブランド名でインディーパブリッシャーをやってきた歴史があります(スクエニUSAメンバーが2004年に立ち上げ、2007年に買収したAQインタラクティブが2011年にマーベラスとなった)。スクエニさんはスクエニコレクティブというブランドで展開しています(2014年にエイドスのIPを使ってインディー開発の支援をするパブリッシュ部門が英国でスタートする)。特徴はどちらも海外が主体で始まっている点ですね。そのくらいインディーゲームというのは北米・欧州が中心となって動いてきた。

あとはUNTIESとかソニーミュージックさんが新規参入(2017年に設立)されたり、Steamの国内決済システム手掛けられてるデジカさんが参入されたり、他にもいろいろあったと思いますが、割とやめられたところも多いですね。

――:確かにインディーレーベルというのはそもそも儲かるのか?という議論がありますよね。

インディーゲームってIP権利って基本すべて開発者のものなんですよね。ヒットして売れても一番儲けがいくのは当然開発者です。だいたいプラットフォームが30%とって、パブリッシャーがそこからいくらか取って、まあ大部分は開発会社になるケースがほとんどだと思います。パブリッシャーのビジネスとしては、当たればですけどいわゆるコンシューマビジネスの方がマージン率ははるかに儲かるでしょうね。

――:たしかにあれだけ開発規模が小さくて知名度もないなかで宣伝しないといけないのに、パブリッシャー取り分って低いんですね?

だから売れたら2作目以降の作品の続編の権利をもらうTeam17(1990年設立の英国インディーゲームグループ)がやっているパターンもありますし、開発費を支援するスキームも当然あります。ただ開発者ってやっぱり独立事業主で儲かるかもと思っているからやっているわけで、受託っぽくなってくるとそもそものモチベーションやクリエイティビティが発揮できないんじゃないかなと。だからやっぱりインディーゲームにおいては「開発者が最もリスクを背負い、一番多く貰う」というモデルは基本的には正しいとは思います。

あとそれ以上にこの事業の難しさは、スケジュールが読めないんです。平気で遅れます。

――:え、でも少人数で作るから早いわけじゃないんですか?

個人開発の方も多いですし、弊社の協力ディベロッパーさんだと多くても5名くらいのチームで作っている作品が多いですね。期間はその人のタイプによってまちまちで、めちゃくちゃ創れる人で1年1本くらい。平均にしちゃうと3年くらいはかかるんじゃないでしょうか。そしてほぼ個人だからこそ、スケジュールが守られにくい。

年20本のポートフォリオを組んでいても、めちゃめちゃスケジュールが動くんです。「すみません、やっぱり今年いっぱい無理です」みたいなことも多いので、3ヵ月まったくタイトルがでなかった翌月にいきなり4~5本まとめて出ちゃったりとか。だからメジャーと違って、スケジュールきっちりきめて半年かけてプロモして、みたいな動きはなかなか難しいところがありますね。

――:あ~それは宣伝・マーケ側としては完全にNGですね。PRプラン考えて投資していても、全部開発都合で飛んでしまう。PLAYISMさんとしてはどのくらいパブリッシュしてほしいという持ち込みがあるものですか?

以前数えたら年間400本くらい依頼が来ていました。ですからもう95%断ってますね。その中から10~20本パブリッシュしますが、それでも1年間で正月とか止まっている期間を除くと20週くらいしかリリースに向けてプロモーションできるタイミングがないので、弊社としてはそれでもいっぱいっぱいなんです。そしてしっかり敷き詰めたプロモーションプランが、平気で遅れるのですぐに崩れます笑。

――:じゃあメジャーからインディーになると、開発金額は10億⇒1億で小さくなるけど、9割失敗するROIの悪さはメジャーと変わらない。さらにスケジュールが平気で変わるのでプロモがしにくい、著作権が開発会社に寄っている分、パブリッシャーとしての収益性も低い。・・・これはなかなか「筋がいい市場」とは言えないですよね?

そうですね、やはりそれなりの覚悟と長い時間かけて作家とつきあっていく根気のいる産業です。そうは言ってもゲームは開発規模の大小と売上が単純に比例するものではなく、一人の人がつくるゲームがすさまじいヒットを出すこともありますし、米国や中国といった海外市場にファンが多く、外で売れるものが多いなどの魅力はありますが。まあ、筋のいいビジネスではないよなあとはよく思います。

 

■「創らないとダメ病」の天才的開発者たち。『アトムの童』でついにTVドラマ化

――:しかし聞けば聞くほど難しい事業ですが、よくココロが折れなかったですね?

いや、やめようとおもってましたよ。でも、そもそも最初のヒット作の『LA-MULANA (ラ・ムラーナ)』の後に、『LA-MULANA 2(ラ・ムラーナ2) 』のクラウドファンディングをやりまして無事お金を集めることができたのでこれが出るまではさすがに面倒見ないといけなかったので、やめられなかったんですよね。本当は2012年の翌年にはという話もあったんですが、ズルズル伸びて、結局2のリリースは2018年になりました笑。なんとかそこまではと思っていたのですが、その間に、この人のこのタイトルのリリースまでは見届けないと人として良くないな、みたいなタイトルがどんどん出てきてなんだかやめられなくなっていました笑。もう3名から始めたPLAYISMも今は20名体制で機能別に部署まで分かれた一大組織になってきました。

――:国内もありますけど、とにかく海外のよくそんなところまでというタイトルを獲得されてますよね。2016年の『Momodora: 月下のレクイエム』はブラジル、『VA-11 Hall-A: Cyberpunk Bartender Action』はベネズエラですよね。あと中国までいってましたよね?

ああ、『Bright Memory』(中国で1人のクリエイターが独学で開発したFPS)ですね。とんでもないのが出てきたな、と思って中国に1週間出張にいって、空港から新幹線で5時間かけた山奥で、英語も中国語も分からない状態で通訳もいれて話しにいったら「わざわざここまで来たのか」と、超巨大パブリッシャーをはじめ多くのトップ企業と競合していたみたいなんですけど、PLAYISMを選んでくれました。あれは会いに行ったから出してくれたタイトルですね。

――:現在も毎年20~30本出されていますが、今までも100本以上のインディータイトルをパブリッシュされています。一番売れたものはどのタイトルなんですか?

数でいうとその『Bright Memory』シリーズですかね。数は特に公表してないんですけど。

――:その中国の山奥のお一人もそうですが、一体どんな人たちがインディーゲームの開発者をやっているものなんですか?

副業しながら……みたいな人がまずは多いですかね。NIGOROなんかも始めはネットで集まった仲間3人が、普通に日中は仕事しながら、夜と休日を使ってインディーゲームを開発してたと聞きました。元ゲーム会社の人もいますけど、鉄工所勤務とか公務員とか様々います。ちょっとWebをやってたのでプログラムかけます、とかちょっと絵だけかけるので作ってみたいです、といった人たちが趣味でゲームを作りだしたりして。男女比でいうと7:3……くらいかな、結構女性もいますね。

――:みなさん、どんなソフトで作ってるんですか?

Unreal EngineとかUnityとかGamemaker Studioとか、RPGツクールとかWOLF RPGエディターを使っている人もいますね。

――:普通のゲーム会社にいた人とか、逆に名前をあげて大手のチームに招かれるということはないんですか?

あまりいないですね。あ、TBSドラマ『アトムの童』 (2022年10~12月日曜劇場枠で放送)のモチーフになったもっぴんはDownwellで受賞してから任天堂に就職してたりしてたみたいですけど。結局退職してしまいましたが(2018年1月~12月のみ在籍)。個人でゲームを作る能力と組織でゲームを作る能力はまた別なのかなと。

――:あ、もっぴんさん!そう、さきほどから聞いていると、インディーって会社名も開発者も作品名も、バンダイナムコやブシロード時代に聞いたことがないものばかりなんです。自分がこんなにインディーゲームを何もしらなかったのかと逆にショックです。僕自身も『Pac-Man256』というモバイルのインディーっぽいゲームに関わって2015年に出したんですが、まさに同じ年にもっぴんさんの『Downwell』がGDCで受賞したのは強く覚えてます。

ホントに市場が違いますからね。もうインディーのゲーム開発者って、創らないといられない人たちなんです。「つくらないとダメ病」って呼んでるんですけど、もう結婚もして土日は子育てして平和な生活をしているはずなんですが、だんだん気持ち悪くなっちゃう人もいるんです。「やっぱり、俺、創らないとダメになります」って感じで、お金をもらうわけでもなく、ただ生きるために、創作に関わっていないとダメな人種がいるんです。

――:ちなみにもっぴんさんのようなインディーゲームがTVドラマのテーマになるのは珍しいですよね?水谷さんも監修で入られてますが、あれはどういった経緯で作られることになったんですか?

TBSでゲーム開発についてのドラマつくりたいとソニーを訪問されたそうで、ソニーの吉田修平さん(ソニーインタラクティブエンタテイメントのインディーズイニシアチブ代表)がインディー系ならこいつとこいつ!って感じでもっぴんと私と『インディーゲーム・サバイバルガイド』の一條貴彰さんを紹介いただいたみたいですね。ドラマの監修は・・・なかなか大変でしたね笑。我々のゲームもこんなドラマな感じでさくっとヒットしてくれると大変ありがたいんですが笑。

――:インディーゲームからジャイアントキリングでトップクリエイターが出てくるようなこともあるのでしょうか?

それこそ『FGO』のType Moonとか、「東方プロジェクト」のZunさんとか、Undertaleのトビーフォックスさんとかはスタークリエイターになられた事例だと思います。

 

■生まれてきた「第三のゲーム市場」としてのインディーゲーム

――:市場全体で語ると、年1500タイトルが3000万本くらい売れている家庭用ゲームは、「1作品平均2万本」くらいが相場で、有名な開発会社の作品で10万本クラス、任天堂などのトップ作品で100万本みたいな世界です。そうしたところと比べると、インディーズは1桁低いくらいのイメージですかね。「平均2千本」で、ヒットが1万本、大ヒットが10万本とか。

平均だともっと低いとは思いますね。PLAYISMとしても最初は100本で嬉しかったものが、だんだん1000本で嬉しいという黎明期に入り、成長期になると1万本で嬉しい時代でした。最近ですと20~30万本でヒット、という感じになってきており、その意味ではインディーゲームもずいぶん市場が育ってきたなと思います。創る人は明確に増えましたね。

――:これは市場成長のタイミングとしてはどの時期が大きかったんでしょうか?

2017年のSteamの中国市場浸透が大きかったのではないかと思います。彼らは、中国だけ価格を下げて普及させにいったんですよね。『GTA(Grand Theft Auto)』の中国語版を本来5-6千円のところを2-3千円まで下げて売って、急激に普及させていきました。違法DL大国だったので廉価にすることでSteamが一気に普及しました。

――:たしかに2.2兆円Steam市場で6割が中国という寡占状態。米国の3倍の市場になっています。もはや世界25兆円のゲーム全体市場の1割がSteamになっていて衝撃ですよね。日本は440億円と格別大きい方ではありませんが、わりと伸びてきています。売れ行きの幅でいうと、地域別・プラットフォーム別にどんな感じで売れるものなのでしょうか?

 

出典)2022年ゲームエイジ総研「Steam市場」

 

例えばで言うと、某タイトルでは全部で30万本ですが、6割がSteamで残りは他PCや家庭用プラットフォームです。そのSteam部分だけですが地域別にいうと4割が米国、2割が中国、1割が日本、あとその他という形で売れています。

――:やはり海外比率9割というところがPCゲームの凄さですね。PLAYISMさんは売上公開されていませんが、AGMさんが30億売上の4億利益という決算を発表されてました。そう考えると消費額ベースでは50~100億円といった市場をその30本+過去の成功作で作っているのではないかと推察しています。

そうですね。消費額でいえばそのくらいだと思います。ただ弊社としては2021年が『Bright Memory』『ごく普通の鹿のゲーム DEEEER Simulator』『ロードス島戦記-ディードリット・イン・ワンダーラビリンス-』など20本弱でヒット作も量産した集大成のような年で過去最高売上、過去最高利益をたたき出しており、その後はそこまでの数字は出せないよという話はイバイにも伝えております笑。

――:日本で1兆円のモバイルゲーム市場や2000億円のコンソール市場に次いで「第三のゲーム市場」を形成している過程ですね。Steamの400億に他もろもろ足して700~800億円みたいな日本PCゲーム市場で、数千人のディベロッパーが年300~400本といったタイトルをリリースしている。結構ヒット作もどんどん出てきてますよね。

えーでるわいす『天穂のサクナヒメ』(2020年)が100万本いきましたし、齋藤大地さんがプロデュースしたにゃるらさんの『NEEDY GIRL OVERDOSE』も100万本ですよね。そうなってくると売上数十億円でもう大手ゲーム会社のIPタイトル並みですよね。

――:でもROIは変わらないという話もあり、儲けも低い、スケジュールも読めない、で逆に大手からするとインディーに張るメリットというのはどこにあるのでしょうか?

投資サイズの小ささですかね。1億円出しても家庭用やモバイルじゃたいしたものできないじゃないですか。でも実は年間1000万だせばそれで個人だと4年食えるしその期間使って1作品作りますというインディーの開発者は10ライン作れるんです。そういうサイズ感の違いは、行き詰まりを抱えている開発会社にとっては魅力ですよね。ただそれでもなかなかヒットさせるのは大変ですからそう簡単な話ではないですけど。

――:そこが出版社がインディーに目をつけた理由だと思うんですよ。集英社や講談社にとっては200~300万で1作品のマンガを作ってきた。そこに1億円はいきなり張れないけど。1000万で半年間で好きなようにつくってもらうのは出版編集のノウハウに近いですよね。

そうですよね。出版社が入ってきてインディー業界が活性化していることは確かです。ただそれが開発環境にも影響はしていて、「1000万円はもらえるくらいの仕事しているんだよな?」というディベロッパーが増えています。あっちは1000万くれるっていうけどオタクはどうなの?ということで他にいくようになってしまった開発者もいます笑。

――:市場原理ですね~。そうやって機会を得た開発者が、まだまだ北米に比べたら少ないんでしょうけど、たくさんいることってどういう社会的意義があるんでしょうか?

クリエイティブって究極的に言えば組織で作るモノではない、と思ってるんです。売るための仕組みとして巨大な組織でお金をかけたアートワークなども大事ですけど、本当に面白いものって1人の天才とひらめきがあればできちゃうと思っていて。リッチなゲームばかりが褒められる市場になると、以前のソシャゲのときのように“ガワ替え"ゲームばかりになると思うのですよね。

そういう1人の天才が、大手の組織やプラットフォームからは排除されていて、会社にも所属できないんだけど、1人で悶々とすごいこと考えているヤツがいて、彼らが日の目をあびるために我々のような存在があるんじゃないかと思ってます。

――:例の「創らないとダメ病」ですね。日本はインディー支援は遅れているんでしょうか?

遅れてますね。アメリカ・カナダ・東欧などは国の支援が入っていて、東京ゲームショウでやたらインディーな外国人がいっぱいくるなと思ったら国のお金で来てますという話で驚きました。スウェーデンもゲームアリーナをつくったり、北欧などはインディーなのに入口から出口まで行政の支援などで育成がされています。日本は比べるとだいぶ個人戦で、総合力で負けてしまっているなと思います。

――:英語力も問題ですよね。もっぴんさんは帰国子女というのもあってGDCなど米国ゲームイベントで呼ばれてもサクッとスピーチするじゃないですか?「インディーで成功するとこうなるよ」という実例を。

それはありますね。皆、どちらかというと社会から切り離された人が多いですし、ホントにヒットして1億円プレーヤーになっても一切生活が変わらないんですよ。テレビ取材があっても「どうせ私なんて・・・放っておいてください」というタイプも多いんです。我々と月1でミーティングしても「久しぶりに他人と話しました。今世界ってどうなってます?」みたいな方も結構な割合でいて。なかなか同業者に夢を売るような人が出てこないのも課題だと思います。

最初から世界で売れると全く思っていない人が多いです。今インディー開発者をGamesConに連れていくツアーをやったりしてますが、現場にいって見せて、自分の作品がどれだけ海外ユーザーに遊ばれているかの実感をもってもらって、もっと世界で勝負するインディーゲームディベロッパーを増やそうと思っています。

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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