AIバーチャルヒューマンimmaを生み出す守屋貴行-“物魂電才"で映像づくり職人が世界トップNvidiaと提携 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第101回

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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バーチャルヒューマンというものを知っているだろうか?コンピュータで生成されたデジタルキャラクターであり、高い3DCG技術によって精巧に造りこまれた図像と、AI技術の進化によって可能になった自然な対話技術の組み合わせで、今後発展が期待されている領域である。デジタル図像で裏側は本物の人間が対話するVTuberと、デジタル図像にAIボットを入れるAIアバターとも違い、そのいずれをも凌駕する「圧倒的な3DCG技術」が特徴である。接客スタッフとして、ゲーム内キャラクターとして、商品・ブランドのモデルとして活用されることが期待される領域だが、その技術的ハードルからか手掛ける企業は非常に限られる。米国や中国が市場を圧倒するのでは、と予測される中で20余名の日本ベンチャー企業が、TEDに呼ばれ、NVidiaと提携し、といったことを繰り返している。バーチャルヒューマン「imma」を生み出すAwwである。今回このビジネスがどう成り立っていくのかを取材した。

 

【主な内容】
時価総額世界一NVidiaと事業提携した20人のAIベンチャー。カルチャーパンクの時代に日本文化が北米浸透
デザイン好きの大学2年生が張り込みで勝ち取った制作会社インターンの仕事。メディアスイッチに備えて「モノづくり」できる現場へ
新卒1年目からプロデューサーを“自称"。パチンコ『七人の侍』疲労困憊で福島の夜に舞い散った300万円の紙吹雪
ROBOT阿部秀司との邂逅。モノづくりの魂を継承し、自ら起業したAww社
物魂電才、モノづくりの魂で電脳の世界でビジネスをつくっていく

 

■時価総額世界一NVidiaと事業提携した20人のAIベンチャー。カルチャーパンクの時代に日本文化が北米浸透

――:自己紹介からお願いいたします。

守屋貴行(もりや たかゆき)です。2019年5月にAww(アウ)を立ち上げて6年目になります。弊社がプロデュースするバーチャルヒューマン「imma」がCoach、Porsche、SK-II、IKEA、Salvatorre Ferragamo、Valentino、Amazon Fashionなど著名なグローバルブランドのキャンペーンに起用されています。

――:日本全体が2DアニメルックのVTuberに全振りしている中、Awwは割と唯一性の高い動きをしていて気になっておりました。

そうですね、元々ゲームCGとかを制作していたチームだったため、フォトリアルが得意だったので、誰もやっていない領域をやりたいなとは思っていました。Unrealエンジンを自社用にカスタマイズしてCGでVirtual Humanをつくり、それをSNSで生きているかのような投稿を続けながらアイコン化していき、インフルエンサーとして活動させています。immaばかり目立ちますが、弟のplusticboy(Zinn)とか合計15体ほどバーチャルヒューマンを展開しています。

日本のファンは独特で現在のVTuberのようにある程度グループで押していかないと広がらない特徴があるのですが、北米になると違います。immaようにある程度カリスマやタレント性をもった“ピンのアーティスト"という売り方のほうがフィーチャーされやすい傾向はまだまだあります。弊社はテックとエンタメの間のような位置づけでCGを使ってこのバーチャルタレントをつくって、世界に広げていくということをしています。

――:Awwはなぜこんなに技術力が高いんですか?Unreal自体は特別なツールではないですが、ベンチャーのAwwだけがどうしてバーチャルヒューマン事業を独走しているのでしょうか?

技術に関してはやはりゲームのモデリングとかに特化してたスタジオ出身というものあると思います。逆にEpic Games(Unrealを提供するゲームディベロッパー、「Fortnite」の開発会社でも有名)がウチにどうやって使って作っているか教えてくれって聞きに来るくらいですからね笑。UnrealとMayaを連動させて作ったり、意外に人数をかけたりというよりはセンスあるエンジニア・デザイナーが集中的に組み上げるすりあわせ力が大事なのかもしれませんね。

特にアジア人のバーチャルヒューマンって難しいんですよ。Epicも他社もたいがいデジタルだと「皺の多い黒人男性」でモデルつくることがおおいんですよ。フォトリアルにみせるのに使いやすいんでしょうね。そうした中でアジア人女性の肌質でそれを再現できるという技術力は弊社もベンチャーとはいえ高く評価されているんだと思います。

――:ユーザーでいうと、やはり海外のほうが多いのでしょうか?

そうですね。日本は3割もいないと思います。広がっているのは東南アジア、東インド、東アジア、南米、北米といったところです。2023-24年はまだいろんなテストをしている段階で、immaもフォロワーとしては200万人(Instagaram40万、Tiktok48万にXなど他SNSを含めた数字)ですが、まだライブや物販をして積極的にマネタイズする段階には至っていないのでこれからだと思います。

――:現在社員ってどのくらいいらっしゃるんですか?NVidiaとの提携(2024年6月17日記事)はだいぶ驚きました。なぜ日本のこの規模のベンチャー企業がついにAppleをこえた時価総額世界一の企業と提携しているのかと笑。ギャップありすぎて逆に笑えました。

社員は20名くらいですね。関係している人はもっといますが、確かに提携はそうですよね笑。日本の20そこそこのベンチャーが世界一の時価総額になったNvidiaと技術提携、というお話ですもんね、、。彼らのOmniverseやACEの技術やNIM(NVIDIA InferenceManager)を活用して、immaのAI駆動性をあげていくための提携になります。

――:AwwといえばTED conferencesでもお話されてましたよね?

2024 年4月19日ですね。弊社のimmaのプロデューサーをやっているジューストー沙羅が講演してきました。日本版TEDもありますが、本場のバンクーバーのものだと日本人・日本企業だとまだMITの伊藤穣一さんとか3人しか登壇したことのないスペシャルな場なんですよね。ただ今回は一気に3人が呼ばれたんですよ。ニューヨークで高品質イチゴを生産している古賀さん、オスネズミのIPS細胞から卵子を作って子供を誕生させることに成功した大阪大学の林教授、そして弊社の沙羅でした。今、一気に日本の波がきている、ということを感じさせるTEDでもありました。

 

――:これはアニメ・ゲームの文脈でも来ている波でもあるんですよね。今北米での日本文化がホットになっているのってなぜなんですかね?

僕はパンクの時代に似ているのだと思ってます。シド・ウィシャスを中心に既存のフレームがぶっ壊れて、新しい価値観としての「パンク」がうまれた。彼らは自身のカルチャーを聖域として捉えて、他のものを排除し続けた。これはアニメをここまで成長させた所謂オタクカルチャーを背負ったファンたちが常に聖域を守り続けていたことに近く感じます。オタク的なもの、日本の"カワイイ"を北米ハイカルチャーがとりいれようとしている胎動を感じます。キッド・カディがAKIRAを着用したり、GUCCIがドラえもん、ロエベがジブリとコラボしたり、スティーブ青木がドラゴンボールZの主題歌をリミックスしたり、日本文化そのものが北米カルチャーに溶け込んでいく胎動を感じてますね。

たぶん100年後に今を振り返ると、「2020年代はストリートとアニメの時代だったよね」と振り返られるようなエポックメイキングなタイミングなんじゃないかと思うんです。

※Sid Vicious(1957-79):セックス・ピストルズの2代目ベーシストでたった数年の音楽活動のなかで無数の伝説を残した“パンクの象徴"。レザー・ジャケットとスパイキー・へあ、破けたジーンズはパンクの象徴になり、ドラック中毒のなかで「赤信号を知らず常に青信号の男」といわれるように危険な事件を繰り返し起こし続けた
※Kid Cudi(1984-):2009年デビューシングル「Day 'n' Nite」でBillboard Hot100で最高3位のヒットを生んだヒップホップとエレクトロニカ・サウンドを融合させたラッパ

――:個人的に守屋さんの動きが大変気になっております。日本のエンタメ×ベンチャーともいろいろお付き合いしてますが、これだけサービスも資本政策も海外を中心にまわしているのは中山知る限りAnotherBallの大湯さんかAwwの守屋さんかってくらいです。

VCは大きかったと思いますね。シード期にCoral Capitalが入り、2年前にプレシリーズAで出資してくれたのがKindred Ventures、Dawn Capital、Kanousei、そしてCoral Capitalです。彼らは色々とつないでくれるんです。ただ僕らのチームは日本ではかなり珍しいくらいに海外のセレブリティや、カルチャー人たちと繋がりまくっているんです。それも大きいかもしれません。

このあいだもシリコンバレーの人里離れた森の中でKindredVenturesと合宿みたいのをしたんです。来ていたのがスゴイ面子で、NvidiaのEric(AI責任者)、X創業者のJack Dorsey、Google AIやStability AIのトップ、ほかにもExtropic(Aiの負荷力をさげるサービス展開)やWhisper(伝道航空機メーカー)なんかも集まる中に、ただポツンと日本からAwwが呼ばれたりもするんですよね。そうした「北米AIコミュニティーの村の中」に入れているのは投資家のお陰もあります。

※Kindred Venture:2014年に設立されたシードステージ投資を行うサンフランシスコのVC。Jangは2023/24年とForbesの「ミダス・リスト」で投資家トップ50に入り、Uber、Humane、ブルーボトルコーヒー、コインベース、Poshmark、Postamatesなどに投資してきた経験がある

――:今、Awwにものすごい引き合いがあるんじゃないでしょうか?

Marc Cubanから直接メールきたときもありましたよ。さすがに偽物だろうと思ってほっぽいていたらウチの副社長から「どうやら本物のMarc Cubanでした・・・」と。放置していて申し訳なかったですね笑。

※Mark Cuban(1958-):コンピューターやインターネットラジオ事業のシリアル起業家で総資産23億ドルの投資家で、NBAダラス・マーベリックスのオーナー(2000年に2.8億ドルで自腹で買い取った)でもある。格闘技好きでWWEの番組ホストも務め、彼が所有するケーブルテレビAXSは「新日本プロレスリング」の北米放映権も購入している。

――:Cubanはプロレス界・スポーツ界でも伝説の人ですよ・・!!このバーチャルヒューマン業界そのものはどうなっているのでしょうか?韓国もaespaとか先行して作っていましたよね。

アジアで最初に打ち出したのは弊社ですね。技術的には韓国もすごいです。弊社もNAVERとかHYBEと仲良くしていて、一緒に映像プロジェクトを計画はしてます。

最近はコロナ禍で調子が良かった彼らも「韓国発コンテンツの消費スピードが速すぎる」点を課題としていて、(今までも日本エンタメに倣って業界をつくってきましたが)もう一度日本のエンタメから学びたいと思っていて、それって「粘り強いファンダムづくり」なんですよ。少女時代やKARAのファンダムってもうあまり残ってないじゃないですか?でも日本だといまだにジャニーズもXジャパンもいっぱいファンがいるんですよね。彼らとしてはIP化としてもっと長く続くもの、歴史に残るものを作りたがっている。そういう点では日本企業とまだまだ組みたいと思っています。

――:実際にバーチャルヒューマン事業というのは韓国だけでなく、米国や中国でも動きは出ているのでしょうか?

最初に話題になったのはLilMiquelaでした。NFTゲームスタジオのダッパーラボが買収することになって、1.2億ドルのバリュエーションがつきました。

中国関しては弊社も慎重に検討中ですね。陳暁夏代さん(博報堂からCHOCOLATE執行役員を経て日中を橋渡しするクリエイティブディレクター)から中国のことをいつも勉強しているんですが、今一番中国でウケているのってなんだか知ってます?中島美香さんらしいんですよ。

――:そうなんですか!?完全にノーマークでした

ロジックがわからないですよね?そのくらい市場が読めないんですよ。パッとimmaをもっていって広げられる市場でもないですし、中国で伸ばすにはHello Kittyやミッフィーのようにストーリーテリングを何か載せられるようなキャラクター媒体でないとちょっと難しいような気がしていますね。

  

■デザイン好きの大学2年生が張り込みで勝ち取った制作会社インターンの仕事。メディアスイッチに備えて「モノづくり」できる現場へ

――:ザ・デジタルクリエイティブディレクターといえるような守屋さんですが、どんな幼少時代を過ごしたのでしょうか?

いや、フツーですよ。法政二校(法政大学第二中・高等学校)に入って中高一貫で大学までそのまま進学しましたね。特にネットやデジタルでの特別な経験があったわけではないんです。

――:クリエイティブの才能への目覚めみたいなものはあったのでしょうか?

もともと絵はうまかったですね、親が茶道・書道の先生をやっていたことも多少影響あったのでしょうけど。中学時代に美大にいったら?と薦められるくらいのレベルではあったんですが、そこまで覚悟が決まらなかったですね。

当時って美大出た後のキャリアモデルが少なすぎたんです。「画家になるか、アートディレクターになるか。それ以外は仕事にあぶれる」と偏見もっていたので、なかなか絵を仕事にしようとは思えなかったですね。今ならネットがあって、色々なキャリア情報があるので違っていたかもしれませんが。そういった経緯もあって昔からデザイン性が高いものは好きでした。

――:勉強できるほうだったんですか?

末っ子で上2人のほうが勉強家でしたね。サッカーをずっとやっていて高校でもゴールキーパーをやってました。団体競技を続けてきましたが、いま思うと協調性はないタイプですね・・・笑。先輩に反発して、こんな部活やってられねえとゴールポスト蹴って帰っちゃったりと割と尖ったタイプだったと思います。ややヤンチャめなグループに入っているほうでした汗笑。

――:サッカーは強かったんですか?

いや、ずっとCチームで下っ端でしたよ。中学時代は選抜に出ていたりしたんですが、法政二校って実は結構な強豪校でゴールキーパーだけで8人もいるような学校でしたからね。神奈川は人口比でいってスポーツが厳しすぎるんですよね。国立選手権は出られないけど、ほかの県代表には練習試合で勝ったりしてましたからね。

――:大学時代はどんな学生だったんですか?

マーケティングと会計の勉強をしながら、博報堂C&D(博報堂プロダクツ)とドリームデザインという制作会社の2つで学生時代からインターンをしていました。マスコミ業界に行きたかったんですが、大学2年のときに自主マスコミ講座というゼミに面接で落ちてしまったのが当時ショックで落ち込みました。法政だとそのゼミに入れるかでマスコミにいけるかが決まる、というくらい有名なところだったんです。だったら先に働き始めてやろうとおもって、その2社のインターンを始めるんです。

博報堂は知り合いのツテでコピーライターとして入って、ドリームデザインは「ブレーン」という雑誌でその会社のページがめちゃくちゃオシャレだったので、電話でお願いしたら断られて1Fのロビーで張り込んで社長さんに売り込んだところからのスタートでした。

――:大学2年にして、めちゃくちゃ行動的ですね。

最初はダメだって言われたんですよ。でも社長さんが京都精華大学で非常勤講師していて、あちらも軽い気持ちで「授業でも来てみたら?」と誘ってくれて。翌日だったし京都までまさかこないだろうと思っていたら、僕が直接姿を現したのであちらも驚いていて。その縁で働かせてもらえるようになりました。

――:こじ開けましたね。その後の守屋さんの動き方を象徴するような入り方ですね。インターンはどうでしたか?

面白かったですね。当時から僕はビジネスモデルとか儲け方に興味があって、一度代理店からみた構造がみえたのは大きかったですね。その上で「実際にモノを作っていないのであれば、いくべき方向はこっちじゃない」と思ったんですよね。

当時は2000年代半ば、テレビからのメディアスイッチが起こると思っていた。だからどんなメディアに向けても自分自身でモノをつくれるようになろうと思って、制作会社のROBOTに就職したんです。

――:ROBOTのあとに起業参画する赤坂さんともこのタイミングでご一緒だったんですよね?

赤坂優とは高校時代からの親友です。お互い大学4年の時に藤田晋さんの『渋谷で働く社長の告白』(2005)に衝撃を受けたんですよね。とにかく未来はこっちに向いている、ネットとデジタルだ!と。

ただ赤坂が「最初はアパレル会社に入りたい」っていうんですよね。お前最初の3年間はショップ店員からだぞ、意味があるのか!?そういうお前だって映像制作なんかいまさら・・・みたいな話もあるなかで、最初はそれぞれの会社に就職します。

※赤坂優:1983年生まれ、2005年イマージュ・ネットを経て、2008年にエウレカを起業。「Pairs」が会員数1000万人の日本最大級のマッチングサービスに成長し、2015年に「Match」「Tinder」を運営するIAC(InterActiveCorp)に売却(売却当時で社員80名、月商2億サイズだった)。ベンチャー投資をしながら、2018年からストリートファッションブランド「WIND AND SEA」などをスタートしている。

  

■新卒1年目からプロデューサーを“自称"。パチンコ『七人の侍』疲労困憊で福島の夜に舞い散った300万円の紙吹雪

――:だんだんホワイトになる傾向はありますが、当時の映像制作の現場というのはなかなか大変だったのではないでしょうか。

いや、当然のようにブラックですよ笑。一週間寝れないのは当たり前でしたし、なかなか激しい職場環境でした。精神的にタフであることに加えて、人に気に入ってもらって仕事をとってくる力も必要でした。

僕は根拠ないけどセンスだけは誰にも負けないと思っていたので、1年目から勝手に企画書を作ってクライアントにもっていってしまうような新人でした。いまだからいうのですが、名刺も“偽造"してたんです笑。

――:え、偽造ですか!?

“プロダクションアシスタント"じゃ、ナメられて仕事はとれないんですよね。「世界一のプロデューサーになる」と思っていたので、まず社内の要所要所の部署と仲良くなって名刺データを入手するところから始まり、それを修正して“プロデューサー"の肩書にかえて夜の街を飲み歩いてたんです。

朝出社して夜12時くらいまで働くと、そこから六本木とか新宿に飲みに行って、企業家とかクリエイターにプロデューサー名刺で会いまくるんです。幸い髭ヅラでロン毛にしていたら23歳でもプロデューサーに見えたんでしょうね笑。仲良くなりながら、企画書でプレゼンしたりしてました。

――:めちゃくちゃ意識高い新人ですね。僕が上司だったらそれは野望込みで相当目をかけちゃいます。

それが勝手に代理店はさまずに直接とってきた案件で、上司が激怒するんですよ。まだ当時は電通か博報堂を通さないと仕事とってくるなんてありえない、なんならその2社のまわりに支社をつくっていつでも伺える体制をつくるような制作業界でしたからね。利益200万円の映像制作の仕事を獲得したら「何もしらない新人が勝手なことしてんじゃねえ!」って。

――:普通にいくと映像会社でプロデューサーになるのってどのくらいの年齢ですか?

30代半ばくらいでしょうね。10年たってようやく一人前の世界に、新卒1年目から背伸びしまくってゲリラ的にやっていたんです。ただそうやって何件かとってきているうちに、4年目のときに「まあ本人がプロデューサーっていってとってきたんだから、そのままでいいんじゃないですか?」といってくれる上の人がいて。そのお陰で20代半ばからは正式に「プロデューサー」名乗れるようになりました。

――:僕はテレビ局や代理店のプロデューサー(P)とのお付き合いが多いのですが、Production Manager(PM)だとやることは違うんですか?

全然違うんですよ。日本のCM業界ってみんな制作会社にはPMでしかないんですけど、それってビジネスを生むPとは違うんですよね。結局PMやAD(Assistant Director)からD(ディレクター)になって映像づくりの統括はしていても、お金集めたりスポンサーと調整したりビジネスしたりといったところには手が入れられない。僕はそれがやりたかったんですよ。

――:ROBOTには6年間在籍でしたよね。一皮むける経験はどういうものがありましたか?

僕の場合は3年目で経験させてもらったフィールズさんの案件ですね。当時山本会長の鶴の一声で『CR七人の侍』のパチンコ映像づくりの仕事があって、なんと1本5-6億円ですよ。

――:どんな作り方をするんですか?

もうそのまんま映画づくりですね。監督は中野裕之監督(『IRON』でカンヌ国際映画祭ヤング批評家賞)、キャストは麻生久美子に千葉真一、永瀬正敏、田口トモロヲ。衣装にはワダエミ、音楽はローリングストーンズの「Satisfaction」など2曲使って、もう音楽だけで3,000万円とかかかるわけですよ。とにかくクオリティファーストでという依頼があるので徹底してました。

大雨のシーンをいれようとしても撮影は冬、近くに温泉があって温まれる場所でとロケ場所をさがして、監督と福島までいって撮影中貸切れる宿を探してくる。芦ノ牧温泉で8棟貸切れる場所を決めてくる。『鬼滅の刃』の無限城のモデルにもなった大川荘です。

――:パチンコの映像ってそこまでお金かけるんですか!?

フィールズにとっても勝負の案件なんですよね。演出映像のコストって普通は数千万、かかっても1億円がいいところですよ。相場の5倍以上かけて「フィールズはここまでやるんだぞ」とクオリティの限界点をみせるような仕事の仕方をして、そのパチンコ台を買ってくれる顧客となるパチンコホールに向けてのブランディングの意味もあったので、本当に破格の仕事でしたね。

――:守屋さんはどういうポジションなんですか?

もう裏方全部ですよ。『七人の侍』はもう100回じゃ聞かないほど見まくって、この土壌の土だとあの雰囲気は作れない!となったら今度は岩手から3トンの黒土を調達して運び込む。そんなこんなしているうちに5億円予算の半分がもう溶けているんです。そんな中でも有名キャストがコンパニオン15人を勝手に“お持ち込み"しちゃって、そういうのもちゃっかりこちらの「払い」の費用に入るわけです。

途中から金銭感覚もおかしくなってるんですよね。僕の年収みたいな300万円の束をコンビニの銀行から降ろしたあと、真冬の星のもとで徹夜と疲労のあまりに僕はボンネットの上があまりにあたたかくて、その余熱で300万掴んだまま眠ってしまうんですよ。車の中に入ればいいのに笑。「なにやってんだ、このバカヤロー!?」と後ろ頭を先輩からどつかれた瞬間、気づくと手にもっていた万札の束が強風に吹かれて周囲にぶわーーーっと散らばっていることに気づくんですよ。必死でかき集めたけど5万円だけ無くなっちゃっていたり笑。もうそんな限界状態のなかで、撮影当日にやらかすんでよ。

――:やらかした、というと・・・?

撮影本番の初日寝坊です。叩き割るかのような音が鳴り響いて起きたらすでに撮影時間はオーバーしている。もう東京からきたスタッフも有名俳優も有名監督もみんなそろっているわけですよ。「ああ、俺のキャリア、これで終わったわ」と思いました。ちいさーくなって入っていくと、監督がポンと頭をたたいて「まあ、みんなでやってる仕事だかんな」と一言。その瞬間に号泣でした。

――:いろんな意味で限界をみてますね。たしかにそれは壮絶な仕事ですね。

その時からですね。どんな仕事も怖くなくなりました。もうあれだけの重圧のなかで、あらゆるものを集中させて作ったということがなかったので、どんな仕事にも対応できるようになりました。

そういうのを何作もしながら「パチンコからみるメディアミックス」にどんどん詳しくなっていくんです。映画ビジネスって最初からこんなレベルまで決まっちゃってるんだ、とか映画版権からの派生のさせ方など。

プロダクションってあくまでテレビ局の下で決められた予算枠で映像をつくることだけに集中しちゃいがちなんですよね。でもROBOTは映像会社としては野心的にプロジェクト全体にも手を突っ込んでいった。『ALWAYS三丁目』でテレビ朝日と組んだり、TYOやフィールズと組んでいく案件もそういう観点でも革新的だった。僕もコンテンツビジネスってこうなっているんだ、と興味をかきてられる日々でした。

  

■ROBOT阿部秀司との邂逅。モノづくりの魂を継承し、自ら起業したAww社

――:映像の仕事から転機を感じるのはいつごろですか?

2011年ごろですからね、TwitterやFacebookが日本で大きく広がり始めて日本のなかで個人のクリエイティブへの注目度があがってくるだろうと思ったんです。ただROBOTの社内新規事業でもさすがにアプリ企画書を出しても通らない。それでBtoBではなくBtoCビジネスを作れる仕事をしようと赤坂が代表をしていたエウレカに2011年に参画します。当時はできたばかりでブログ事業や、広告ビジネスがメインでしたが、その後マッチングの「Pairs」を生み出した会社ですね。

――:僕もDeNAにいたからわかりますがネットでUI/UXやKPIから入る人々と、コンテンツの面白さから入る人とはもう遺伝子レベルで違いますよね。

やっぱり血にはROBOTの映像づくりが流れてるんですよね。僕自身がずっと影響を受けてきた人ってROBOTの阿部秀司社長と、岩井俊二監督、そしてKITERETSUの日下部さんだったんです。

――:あれ、Zookeeperの日下部雅謹さんですよね?僕つながりありますよ

おお、そうなんですか!?日下部さんもROBOT出身で2007年に起業しZookeeperというゲームや、映画館に毎度出てくる「紙ウサギロペ」を作ったりしてるんですよ。あの「No More 映画泥棒」でバズらせたのもたしか日下部さんですよ。尊敬すべき先輩です。

――:阿部社長も当時から関係性が近かったんですか?

いや、僕なんてペーペーだったので当時は名前も覚えてもらえなかったと思います。実はずいぶん後になってから再び接点ができたんですよ。阿部さんは2023年12月にゴジラマイナスワンの日本での大成功を見届けてから亡くなるんですが、「なんかROBOT辞めてから活躍しているヤツというので、電博の社長や役員らと会食したときと、息子から同時にお前の名前を聞いた」とその数年前から突然呼ばれるようになって。

最初いきなり電話がきたときは「阿部です」っていうから「どちらの阿部さんですか?」って返したら、「ROBOTの阿部だよ!お前、働いてただろ!!」って笑。そのくらい辞めてしばらくしてからお電話くださったんです。

※阿部秀司:(1949-2023):ADKクリエイティブディレクターから1986年に独立しROBOTを創業。1995年『Love Letter』から映画事業に携わり、2003年『踊る大捜査線 THE MOVIE 2』では実写日本映画史で興行収入1位。2006年『ALWAYS 三丁目の夕日』では第30回日本アカデミー賞で13部門中12部門で最優秀賞。2008年『つみきのいえ』は米国アカデミー賞短編賞、2015年『STAND BY ME ドラえもん』で藤本賞を受賞している。『ゴジラ-1.0』では制作総指揮に名を連ね、11月3日の公開後の成功を見届け、米国アカデミー賞受賞を見る前に12月11月に死去している。

――:面白いですね。退職してからのほうが、距離が縮まったんですね。

Awwでの活動が耳に入り始めたんだと思いますが、逆に辞めて10年してから接点ができて。バーチャルヒューマンの事業の説明したら、とても興味持って聞いていただいてました。ガンになったという告白も、身内の近しい人と限られた人にだけ打ち明けてくれていたんです。たぶん会社の遺伝子を継いで活躍していきそうなタイプということで目をかけてくれていたんだと思います。ほかにゴジラマイナスワンの白組の山崎監督なども呼ばれていたと聞いています。

――:その後もROBOTはすごい成果を残し続けた映像会社ですが、独立後も守屋さんとしてはある意味そのDNAは継承し続けていたんですね。

まだまだそんなレベルには到達していませんが、最後の時期にお会いする機会をいただいて残されたものはしっかり心に残ってます。いまはもう一つのROBOTをつくるような気持ちでAwwもやっています。

でも僕自身はROBOTのなかにいたらずっとくすぶっていたと思います。全然違う形でやってきたので、逆に認めていただける成果も残せたのかなと思っています。

  

■物魂電才、モノづくりの魂で電脳の世界でビジネスをつくっていく

――:Pairsは2年くらいですかね。その後はどうなっていくんですか?

エウレカを退職し、2013年Brutoという自分の会社を立ち上げウェブメディア・自社アプリを制作しました。TikTokみたいなアプリも開発していたんですが、それは失敗しましたね。

2016年からNIONという(これは現在もAwwと並行で続けているんですが)会社で映像づくりをしています。数々の受賞歴を誇るIan Pons Jewell、関根光才、Mackenzie Sheppard、ショウダユキヒロといった4人の世界的な監督と一緒に、プロデューサー高橋聡、守屋貴行という布陣で映像プロデュースしようと立ち上げました。こちらは現在では僕は社長業のみで、そこまでクリエイティブに入るポジションではないです。

――:ちょっとimmaにも通じるような、超常現象でDeep日本みたいな映像とテクノとDJが混入したような、引き込まれる映像です。海外向けが多いですが、日本の映像制作や広告代理店でこういう仕事しているところってほかにあるんですか?

これは担当プロデューサーが高橋で、監督がianですね。Valentino KhanというアメリカDJのビデオづくりですね。Donny the Droneというドローンに人格をもたせ、主役にした映像です。。

いや、ほかにほとんどないですよ。これだけ日本発で海外向けに映像特化した会社って当時はウチくらいじゃないかと思います。

――:“名刺偽造"時代のプロデューサー営業みたいなことは、その後も続けているんですか?

アシスタント時代のような名刺偽造はさすがにもうやっていませんが、僕はビジネスモデルマニアみたいなところがあって、外にいって色々な人に会う癖づけはこの頃も変わっていなかったですね。この時代にもチームラボの猪子さんや、Pixivの片桐さん、いまのARやVRをやっている有名なクリエイターとも会いに行ったり仕事したりしています。

当時CG制作会社の外部役員もやっていたんですが、5年くらいヒューマンプロジェクトというCGでどれだけ精巧に人間がつくれるかという研究開発を続けていた岸本浩一と出会うんですよ。Donny the Droneそれで最初は遊び半分で「こういうのがあったらおもしろいよね」で作ったimmaをきっかけに、2018年VTuberが流行しはじめたタイミングにあわせて2人でプロジェクトとしてAwwを起業しました。

――:ビジュアルが斬新ですよね、imma。

顔、髪型、髪色などはアニメっぽさをとりいれましたね。いまだにこれが「バーチャルだ」と気づかない人も多いくらい。そのくらい精巧に作れたことがよかったんだと思います。

バーチャルだからだまされたってなることはないですよね。基本的にPRでも売れるためにはそれがリアルかバーチャルかじゃなくてストーリーがですよね。

――:「メディアスイッチ」という言葉がよく出てきます。守屋さんがNIONやAwwでつくる映像というのは、どのメディアに向けたものなんでしょうか?

YouTubeの変化が大きいですよね。例えばAvexがあの90年代にあんなに大きくなれたのか、と考えた時に、『うたばん』(1996-2010、TBS系列)とか『HEY!HEY!HEY!』(1994-2012、フジテレビ系列)とか歌番組が広がっていった時代にMV映像に力を入れればバーでもどこでも映像が流れた、ということが勝因だったと思うんです。だから今は一番ここにお金をかけるべきだと当時のMV相場の一桁増しでかなり制作費をかけていってアーティストをプロデュースしていったのがAvexなんですよ。

それは今の時代に置き換えるならYouTubeなんです。今皆が一番見ている出面で最高のクオリティの映像を届けることが重要なんです。

――:今後はImmaはどうなっていくのでしょうか?

実はここまでは2019年に設計した5年計画どおりに進んできたんですよ。この先は確実なるAIとの融合です。弊社でもまもなくAIと融合して自立して話すバーチャルヒューマンに進化します。それも計画通りにきています。そして弊社ではそれらを量産化することが可能になってきましたので、いろんなストーリーテラーやIPの構築をしめしていこうと思っています。

バーチャルヒューマンはまだまだで2023-24年は我々も色々な実験をしていた段階に過ぎないんです。ただAIとファンダムとの相性はよくて、いまのままで技術革新がつみあがってくれば2025-26年くらいにスターを生める市場になっていくと思います。現在この5年分ストーリーを蓄積してきたバーチャルヒューマンというのは業界でもimma以外いないんです。

MayaやUnrealなどのツールも安くなり、Blender(映像編集ソフト)もタダになったりしています。ミシェル・オバマのフォトリアルCGが有名になったように、今後は簡単に自分のアバターが作れる時代になるでしょう。2003年のセカンドライフのときに夢見たような世界が、今度は“道具"もともなって現れてくると思います。

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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