昭和最後のインディーゲーム編集者:アナクロ雄弁家斉藤大地がみせる“Legitimacyの極致" 中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第104回

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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本当にここは令和だろうか。昭和62年生まれの斉藤大地氏と話していると、いまも昭和99年は終わっていないと思えてくるほど、戦後日本の教養主義を背負い、その高い知性と誇りある社会意識のままに令和におりたったかのよう。そんなエリートが「ガチでゲームをつくってみた」とでもいうかのように教養とサブカルの結節点へ挑戦し、実際に世界で170万本を超える大ヒットゲームを作ってしまった。彼の人生を見るに、生きるとはそのままアートであり、誰かと出会い、対話の末に作品を残すことは、ジャンルを問わず「編集」なのだろう。元来編集者とはこういうものだったのではないか、という気持ちにさせられた。何十億とかけた巨大なゲームにも世界的にヒットするIPにも興味なく、目の前に天才か狂人かを見紛う才能を養いながら、社会に唯一無二の作品をオリジナルを生み出す。編集の対象は「テキスト」に限らず、「ゲーム」でも十分に文学を生みうるのだ。

 

【主な内容】
『Needy Girl Overdose』-4人でつくったゲームが世界190万本の大ヒット。企画のにおいとLegitimacyに数千万円投資
リアル男塾:花巻応援団から早稲田雄弁会・和敬塾・政治ゼミでアナクロ教養主義に漬け込まれた教養主義
ドワンゴにやとわれた新卒1年目の“食客"、社内失業スタートでZUNビール作って終わった1年目
新卒7年目でバカー独立。庵野秀明氏・川上量生氏の庇護のもとで生まれた新規メディアミックス作『殺戮の天使』

 

■『Needy Girl Overdose』-4人でつくったゲームが世界190万本の大ヒット。企画のにおいとLegitimacyに数千万円投資

――:自己紹介からお願いいたします。

斉藤大地です。ドワンゴ出身で、その社内ベンチャー的な形でカラーとドワンゴから出資を受け「バカー」というゲーム会社を立ち上げまして、2019年10月に新たにワイソーシリアス(Why so serious?)という会社を起業しております。最近はPCのSteam向けにインディーゲームの“編集者"をしております。

――:斉藤さんとはバカー時代からのお付き合いですね。

中山さんもブシロードにいらっしゃったときですよね。あのときは大変お世話になりました。お互いずいぶんステータスも変わりましたね。

――:2022年1月リリースの『NEEDY GIRL OVERDOSE』本当に凄かったです。23年12月に中山も上海のWePlayで拝見して、もう大ブームすぎて衝撃でした。インディーゲームショーとはいえ40~50社が立ち並ぶブースで、そもそも会場の一番おおきいスペースに日本人がたった数人でつくったゲームがデカデカと並んでいました。バンダイナムコや集英社グループのIPでも、中国であんな扱いをされることってほぼないですよ。

あれは主催者が『NEEDY GIRL OVERDOSE』に惚れ込んでくれて、いろいろやってくれたんですよね。

現在は全世界で累計190万本の売上になりましたね。最初から日英中で3か国語で出して、日本は1割くらい。半分以上は中国ユーザーで、海外がほとんどというのが現状ですが、さすがにここまで売れるのは予想外でした。

 

▲中国のインディーゲームイベントWeplayの入り口の一番大きな場所に掲げられた看板

 

▲開場開始直後から何人もの超てんちゃんのコスプレーヤー達

 

▲空港で行方不明になったNeedy Girl Overdoseの原作者「にゃるら」、SNSで救済しようというユーザーが集まり、イイね4.3万人、コメント1600もの反響

 

――:彗星のごとく現れた「にゃるら」さんが、はじめてゲームをつくってみたら突然100万本越えの大ヒットで、どんなドリームストーリーかと今回インタビューお願いしました。

企画書をみた段階で100万本はいけるかなという確信はありましたね。にゃるらは沖縄出身で大学を中退ライターをやっていた人間です。とにかくTwitter(X)の扱いが上手く、初期のブログもVtuberのムーブメントの火付け役の一端をになっていました。「ねこます」(四天皇と言われる「バーチャルのじゃロリ狐娘」)を、ほぼ最初に発見したのも彼です。(参考1参考2)

――:にゃるらさんの本は幾つか読んでます。『バーチャルYouTuber名鑑2018』(三才ブックス、2018年7月)とか『承認欲求女子図鑑 ~SNSで出会ったヤバい女子たち~』(三才ブックス、2020年11月)とか。“アングラ系インフルエンサー"とも言われますが、一体どういう出会いなんですか?

にゃるらは2010年代中盤くらいに彼が初期ブロガー時代のときに友人からなぜかスーパー銭湯で紹介されて、すごい面白いやつだなと思って、そこから年1くらいで情報交換していたんですよ。若手ライターでネットでサブカルなら「にゃるら」みたいなポジションを獲得していたんですが「斉藤さん、実は最近ゲームつくりたいとおもって」と企画書出してきたんですよ。そこに僕は“王朝の気配"を感じたんです。

――:王朝!?とは・・・

Legitimacyというんですかね。まだキャラクターも多すぎるし、ギャルゲーすぎる内容でしたが、日本ネットカルチャーに王朝があるとしたらにゃるらはまだそれを継いではいないが、その最後の王子であろうと感じていたんです。その後継者である彼が、「インターネットの女の子」を題材にしたゲームを作りたいとやってきた。この企画はLegitimacy(正統性)があると思ったんですよね。にゃるらがこれをやるのならば、100万本の匂いがするということでプロデュースをすることに決めました。

――:よくそういう発想になりますね!?僕だったら「ゲーム作ったことがないライターが企画書もってきたときには開発サイズとかマーケットとか色々考えてしまいます。

たしかにこいつしかこのゲームは作れない、そう感じたんです。そこに、この企画やるんだったらあいつだなみたいな感じで思いついたプログラマーを連れてきて、ドット絵はにゃるらの希望するねんないさんをお呼びして開発自体は全部で4人でやりました。ドット絵のねんないさん以外はゲームつくった経験のない、未経験の集まりです。

 

 

――:チャレンジングすぎます!だって斉藤さんのワイソーシリアスもほぼ1人の個人企業ですよね?たった2人から初めて、未経験者で片手だけの人数で始めたゲームが世界で170万本ってちょっとびっくりすぎます。

蛮勇も蛮勇ですよね笑。開発費はインディー規模でしたが、この勢いなので広告費は相当突っ込んで、。合わせて自腹で数千万はかけました。

企画がキャッチーだったので発表当初最初からウィッシュリストがすごく伸びていって、半年後に出した主題歌「インターネットオーバードーズ」(現在798万回再生、関連)がバズり、発売後はあっというまに100万本を突破してきました。Aiobahnくんももともとにゃるらのオタク友だちで、頼んでみたらマジで天才でした。こんな感じで才能同士が引き合うんだな、と。2023年3月にMV第二弾で出した<「INTERNET YAMERO(インターネットやめろ)」 (現在967万再生、関連)も反響がよくてそれでもう一度加速しています。本当はSwitch版(2022年10月27日)にあわせてつくっていたのに間に合わなくて、なんでもないところで出したら逆にその戦略性のなさから「超てんちゃん(超絶最かわてんしちゃんという本作の主人公)」が本当に生きているんじゃないか、と話題になって逆に良かったです笑。

――:なぜ中国で一番流行ったんですかね?

ネットカルチャーは00年代には日本が最先端で当時中国に“輸出"されたものでしたが、日本ではニコニコ動画がだんだん中高年齢向けのものになるなかで、世代がズレて接種された中国ではBilibili動画がいまも生きていて、「中国のネットカルチャーの最盛期は今!」という感じだったですよ。いまも続いているかもしれない。日本のお家芸のミステリーやSFが今中国で流行しているのと同じですよね。だから今の中国を一番反映したものとして同時代的に消費されています。日本ですと10年以上前を懐かしむノスタルジー的な消費のされ方ですよね。

あと純粋に中国語へのローカライズの質がめちゃくちゃよかったのもありますね。

――:中国語のローカライズですか。わりと1文字10-20円でさらっと安いところにお願いしちゃいますよね、そういうの。

はい、中山さんも取材されていたPLAYISMさんに(関連) 、お金はかかっていいから一番レベルの高い翻訳者つけてくれ、と依頼しました。Dragonbabyという会社で1文字(ピー)円でした。しかしクオリティは最高でした。20万文字ある本作を、ネットカルチャーに造形が深いローカライズに仕上げてくれたことで中国にもフィットしたんだと思います。

――:高い!相場の倍くらいですね。よくまだ売り出していない段階でそんなに「賭ける」気になりましたね!?思ってみたら1人企業がほぼ未経験の4人と作ったゲームに開発費以上のプロモと、1000万近いローカライズ費かけてゲームを売り出していく、という“蛮勇"そのものが壮絶なストーリーだと改めて気づきます。

こういうものに賭けるのが編集者のスキルなんだと思います。僕の場合はその企画のもつ“企画のにおい"と“Legitimacy"、この2つをいつも気にしながら作っています。

――:もうインターネットがノスタルジーとかそういう対象になって一世代超えて振り返る対象になったんだなと。にゃるらさん、なんかカリスマありますよね。写真見たらすごいイケメンでビビりました。

大変男前ですよ。おしゃれへの感度が高くて、並んでいる僕もじゃないとはずかしいので、ちょっと僕も適当な恰好ができなくなってきました笑。彼はネットカルチャーの最後の王子みたいなもので、冗談抜きで本気で「令和の太宰治」的な作家だと僕は思っています。

 

 

■リアル男塾:花巻応援団から早稲田雄弁会・和敬塾・政治ゼミでアナクロ教養主義に漬け込まれた教養主義

――:斉藤さんは生まれ育ちはどちらなんですか?

1987年福井県生まれで、小中学校は転勤族でしたね。福井から北海道にいって、小学校の6年間だけでも5回くらい学校が変わって、中学校2年で北海道から岩手にいってそれで大学受験まではずっと岩手県花巻市です。

――:どんな部活に入っていたんですか?

高校は応援団でした。岩手県の応援団なのでもう時代復古も甚だしくて、21世紀に入っていた当時ですら“破れ学帽"ですよ。あとは文芸部の部長で、短歌なんかも作ってましたね。その後からは全く想像できないと思いますが、mixiとかSNSっぽいものはほとんど触ってなかったです。フリーゲームでRPGツクール作品とかはずっとプレイしていましたが、まだAmazonも始まりたてでようやくECで本を買い始めたくらいのレベルでした。

 

▲左から2番目が斉藤大地氏

 

――:応援団に文芸部・・・なんかアナクロですね。

文学青年だったんですよ。だからそういう時代そのものに憧れがあったんでしょうね。三島由紀夫、司馬遼太郎、沢木耕太郎なんかをよく読んでいて、田中角栄にもあこがれていました。

勉強はそんなにできるほうじゃなかったです。わりと小中学はよかったんだと思いますが、高校に入って偏差値70から35くらいまで下がってしまって。国語だけはできたんですが勉強がダルくなってしまってとにかく暗記系が大の苦手。高3でAO入試で入れるだろうと思っていた早稲田に落ちてしまって、そこから急激にまくりに入るんですよ。一般受験に切り替えて、受験科目を絞り込んで早稲田の政経学部1本。無事受かって早稲田に入ります。

――:それ絶対地頭いいやつですよ。なんと危険な受験方法を・・・早稲田ではどんなことをされてたんですか?

雄弁会に入りました。めちゃくちゃ教養主義で、勉強していないと先輩からすごい批判が浴びせられるんですよ。そもそも最初の合宿で「君の持論を弁論で書け」と課題が出されて。その内容を囲まれて片っ端から批判されるんです。「また始まりましたか、官僚批判!キミは官僚よりも勉強してるんですか!?その論旨ならこの本とこの本はすでにんでますか!?」とか「また愚民論ですか。キミこそが愚民ではないのですか!?」みたいな感じで。先輩からよってたかったヤジられる部活でした。

――:え、それ、本当に2000年代後半の話ですか!?雄弁会に入ったことって政治家にならなくても、何か人生の役にたつものなのでしょうか。

役に立ちます。常に「お前じゃないとできないことは何か?」を問われ続けるんです。僕も基本的に弁論のトータルパッケージを常に意識していて、最初にどんな社会認識なのかと。そこにどんな問題意識をもっていて、それは君がどんな人生を歩んでここに至ったのか。「自分のオリジナリティ」を問われて、徹底的に社会に対して自分にできることは何か、を考え詰める手法なんです。

――:なるほど、よく就職活動でも使えそうですし、よい仕事人ってそういうのはっきりしてますよね。

すごい訓練になりますね。その後僕はネット企業に入って、その後はゲームを作るわけですが、自分にしかできないこと、そのクリエイターだからこそ作れるもの、といった思考回路そのものは、実は雄弁会で学んだパッケージがそのまま役に立っているんですよ。

――:バカーの時にも斉藤さんからそこは感じてました。とかく上位にある問題意識やコンテクストから「なぜ自分たちはこれをやっているのか」の説明がうまいな、と。それは雄弁会のようなアナクロなものが実は役にたっていたんですね。

僕も、もともと雄弁なほうではあるんですが、「学問と教養と心意気」ですよね。ただ、アナクロと言われるレベルの厳しさですから気質なので半分以上辞めましたねw。雄弁会は全体で20人くらいだったんですが、僕の代が8人入って半分も残らないです。実は僕も1年でやめています。

1年やった結果、僕は政治に向いていないと思ったんですよ。最終的に判断をミスると人が死ぬような重い責任を伴う政治を背負う覚悟がなかった、人が死なないエンタメがやりたいなと道を変えました。でもそのエンタメがまさにインターネットを通じて社会運動化していった時代だったので(前の世代におけるコミケは本当に社会運動だと信じてましたしね)、エンタメに殉じようと思ったんです。

――:それが今につながるんですね。普通は卒業生はどういうルートなんですか?今もそんな“昭和"が残っていたことに驚きです。

将来的には政治家とか官僚とか新聞記者、社会的起業NPOに進んでいく人が多いですね。僕の同期も官僚と新聞社が多かったですね。ただその昭和の雰囲気が許された最後の世代だったかもしれません。2010年代の世代になってくると、どんどん大人しくはなっていたようです。

――:早稲田での勉強もちゃんとしているほうだったんですか?

大学2年目からは早稲田の政治・経済学部でも一番厳しいといわれたT教授のゼミに所属していました。当時口説いていたけど振られた女の子がそのゼミの所属だったので、ちょっと繊細な青春を味わいたいなとあえて机ならべて顔見ながら勉強ができるそのゼミに申し込んだんですよ・・・そしたら、そこも雄弁会みたいなところで笑。

最初に提出したレポートがクソミソに批判されるんですよ。「こんな知性の低い文章しか書けないお前は、とりあえず退学届けを出せ」と言われて。「貴様のようなやつは、学問を諦め、労働者とともに野に下れ」と。もうゴリッゴリで、「俺はいまだ転向していないぞ!」と公言するような先生で、一通り批判されまくった挙句に「鍛えなおしてやる」とゼミに入れてくれました。

――:ちょっと信じられないですね。正直斉藤さんレベルの教養でもそんな言われ方をするんですか?

その時はコピペで文章書く意識低い学生でした。でもコピペのレポートで怒鳴られるのがあまりにつらくて結果、自分で書くようになりました。しかもゼミ生に合わせて課題図書を代えてくるのですが。やれ次は網野善彦だとか次は小熊英二だとか。「斉藤には日本の近代というものを教えてやる」とのことでした。留年もしたので結局大学2年から5年まではたっぷりその先生の薫陶を受けて、育ちましたね。

――:応援団に雄弁会、鬼ゼミ・・・なんか学生寮にも入ってましたよね?

和敬塾ですよね。縦社会で有名なところで「声が小さいっ!!」といっていつも挨拶の声出しで怒られたり。最後は委員長(寮長みたいなもの)もやってましたよ。

――:僕も親に入れられそうになって全面拒否した学生寮です笑。斉藤さん、いまだ昭和99年の権化のように思えます。

先輩から試される行動、みたいなのが好きでしたね笑。先輩にご馳走になって腹いっぱい食わされたあとに2人目の先輩がそれを知りながら「ラーメンを食いに行こう!」と誘われる。それで僕は何も言わずついていって、全部食べ切ってからピューっと吐いてしまって。「お前は最初は生意気なやつだと思ったがなかなかどうして根性があるじゃないか。気に入った、可愛がってやる」といわれて、認められるんです。そんな文化的体育会系な気風なところでずっと育ってきました。

 

▲和敬塾寮長時代の斉藤大地氏

 

■ドワンゴにやとわれた新卒1年目の“食客"、社内失業スタートでZUNビール作って終わった1年目

――:ザ・早稲田の最右翼のような育ちをした斉藤さんですが、どうやって真逆な雰囲気のドワンゴに入社することになったんですか?

実はかなり偶然が重なっての入社なんです。ドワンゴという社名自体も知らなかった。でもコミケと同様ニコニコ動画も“社会運動"と思っていた。大学5年の就職活動の時に「ニコニコ動画の会社って新卒採用やってるらしいぜ」って寮でゲームしてたらたまたま教えてくれたやつがいてか。それがエントリー締め切り3時間前!その場でみんなでエントリーシート書きましたね。倍率1000倍あったらしいんですがなぜか受かったんです。

あとから知ることになるんですが、ドワンゴって基本的にはエンジニア主体の会社で、新卒で文系・企画職の採用絞っていたんですね。偶然副社長が新しいことをやらせたいからと「企画職」を数人とった最後の年でした。

――:まあ社風もだいぶ変わった会社なんですよね?

当時は本当にニコ動のまんまでしたよ。社会に適応できない感じの優秀なエンジニアが多くて、突然オフィスで「俺の書いたコードが消えた!バージョン管理システムは嫌いなんだ!!」とディスプレイを殴りはじめるんですが、周りが動じないんです。

ただ新入社員ながら僕は当時、人生の一番のウツ期にありました。3.11の東日本大震災の直後で、もう働く気がなくなっていました。

――:2011年4月入社ですもんね。

それまで僕が信じていたものがガラガラと崩れた気がしました。ただドワンゴもドワンゴで、入社直後にオタク系の案件をだいたいやっていた部長の下につくんですが、「斉藤君・・・実は仕事はないんだよね~資料でも作ってて」呑気に言われてしまいそれで僕もこれは好都合とばかりに、どうやって働かないかを考え続けた新卒1年目です。

副社長から企画書を作れと言われたら「その企画は作りたくないです」と断り、資料を作ってくれと言われて「来週くらいまでかな」と言われたらこれは適当にひっぱれるなと思って1カ月出さなかったり。そういうのがバレていて、川上量生さんには「働かない新卒」としてXで晒されたりしてました。

――:不良社員ですね笑。逆によく不安になりませんね?新卒のときってまず何かの役にたたないと、と焦りますよね。

普通そうですよね笑。全社員で400人くらいの会社で、その時の新卒同期が4人の企画職で、その中でも一番の不良社員であったという自負はあります。

ちゃんと仕事をしたのは1年目の終わりごろ、東方プロジェクトのZUNさんとニコニコ超会議で出すビール造りの仕事です。“ZUNビール"をビール会社さんと交渉したり調整したり。部長が「斉藤に仕事ができるか心配だーー!」といっていたくらいなので、よほど不安ななかで仕事をふったんでしょうね。

――:無事ZUNビールは出せたんですね。

はい、部長には「斉藤君は働けないんじゃなくて、働かなかったんだね」と言われました。

基本的にはインプットばかりしていた新卒時代で、その暇で仕方がなかった期間にいまの編集者としての肥やしができてますね。「小説家になろう」を1日4時間くらい読むのが日課で、あとはテニプリ(テニスの王子様)のPIXIV小説を100本読むだけで1日が終わったり、TIGER&BUNNYの2ちゃん風小説とかハリーポッターの夢小説を片っ端から読んでいたり。

一応アウトプットもしていて「ねとぽよ」という文化人類学の同人誌をつくったり、ソーシャルゲーム後期の時代だったのでDeNAの田中翔太さんとかに話を伺ったり、とネットのARG文化を調べていったり。しょうもないこともやっていて、食べログで「ラーメン二郎」全店に女の子を連れていく企画とか。そうやってできた同人誌とか批評本を、同人誌仲間が仲の良かった川上さんに見せていたので「働かないけど面白いやつ」くらいの認知はしていただいてたと思います。

――:ねとぽよ“象徴編集長"の斉藤大地さんのお名前は2013年ごろからネット界隈を席巻していました。新卒3年目、のわりに目立ってましたよね。東浩紀さんと同じ領域の人なのかなと思ってました。

ネットで批評をやっていたわけですから、当然東浩紀ファンですよ。当時から東浩紀さんや宇野常寛さんの事務所などにちょっとだけ出入りしてましたし、「東浩紀さん」そのもの同人誌である「男性向一般同人誌<<評論・考察・解説系>> はじめてのあずまん ω / 斉藤大地 / 小林勝平 / はじめてのあずまん製作委員会」(2011) って同人誌も出しているくらいです(関連)。

――:00年代は本当に活動的だった「ネット論壇」も、10年代って分散されてしまった印象です。あれはなぜなんですかね?

ネットで議論すること自体が、東日本大震災でリセットされてしまった感じはありますね。ネットで議論することは良いことだ!と半分クローズな中でやっていた時代に、震災後Twitterもネットもかなりマスのものになって、本当の意味でオープンになったとたん、議論が単純化してむしろ盛り上がらなくなった。半分Openで半分Closeで参入障壁があった時代だったからこそ、同質性が高く盛り上がったんだと思いますが、2010年代に「インターネットカルチャー」の論壇が崩れていく感覚がありました。

 

■新卒7年目でバカー独立。庵野秀明氏・川上量生氏の庇護のもとで生まれた新規メディアミックス作『殺戮の天使』

――:2010年代前半、新卒“不良社員"としてネット論壇などをにぎやかす存在だった斉藤さんが、その後インディーゲームに入っていくのはどういう文脈ですか?2016年『殺戮の天使(さつてん)』※が最初のヒット作ですよね。

自作ゲームのコンテストの担当になっていましたね。当時はドワンゴとしてはまだゲーム実況がグレーな時代で「ゲーム実況フリーのゲームがもっと必要である」ということで、

応募してきたものは実況フリーという規約でしてみんなで自由に実況できるゲームコンテストでした。当時は賞を取るとゲーム実況されて、すごいPVがあったのでクリエイターにもWINWINだった側面が強かったですね。

その担当になったので、ネットカルチャー探訪の一環でインディーゲームの歴史を取り上げて、中村光一さんにもインタビューしたりしながら、これはゲームにルネサンスを起きるのではないかと思うようになりました。

※『殺戮の天使(さつてん)』星屑KRNKRN(真田まこと)による日本の探索型ホラーゲーム。「電ファミニコゲームマガジン」で2015年8月~16年2月まで連載型ゲームとして展開され、漫画(2015~23年)、小説(2016~18年)、アニメ(2018 年7-9月)とメディアミックスされていった。関連書籍で累計260万部を突破している。

――:UUUMもあのころHIKAKINさんが『青鬼』でかなり配信してましたよね。

はい、まさに『青鬼』がゲーム実況で非常にすごいことになっていましたね。そのコンテストの受賞者や他にもネットでスカウトしてくるなどして、はじめたのが「ゲームマガジン」で、ゲーム実況されることで作品のIP化を狙う企画でした。『殺戮の天使』が最大のヒットでしたね。

見出したのは同期の稲葉ほたてで、彼がディレクター、僕がプロデューサーみたいな分業で彼がやりたいことを実現していくという立ち位置でした。

――:稲葉ほたてさんも変わった経歴でしたよね。京都大学出身で学生ライターやっていて、推理研とかも入っていたり。大学も長くいてからの入社でしたよね。

僕の3つ上でしたね。ドワンゴに2011年入社です。ねとぽよもバカーも彼と僕で立ち上げたものですし、正直同期というよりは僕の師匠の1人でもありました。「編集」としての心構えなどは彼から学んだものです。

――:『電ファミニコゲーマー』が展開媒体だったと思いますが、ここの関係性もなかなか不思議な感じがありました。

平信一さん(TAITAI)が作ったメディアですよね。実は斉藤は企画ごと持て余されていてドワンゴとして所属していた部署は普通にサービスとかの部署だったのもあり、「コミックスで100万部売れましたよ!」といってもそれはKADOKAWAの売上でしょ?だったら部署目標に貢献してないから評価は……となってしまっていました。

ドワンゴの中ではもう予算がつかなくなるし、あくまで出版社のKADOKAWAとしてもこの事業への投資をいただくような座組は作れず。それでプロジェクト中止になりそうなときに、平さんの部署というか、子会社だけ独立遊軍のようになっていたからそこで予算を出してもらって継続してもらったりしていました。「部署が切り替わると予算は切りなおしになる」みたいなサラリーマンの裏技ということなどを勉強しながら、組織のバグをついてなんとか自分たちのプロジェクトを継続させる方法などを考案したり、といったことに長けていきましたね笑。

※平信一:デジタルハーツの子会社Aetasが運営する4Gamer.netの副編集長など20年以上にわたってゲームメディアでTAITAIの名前で活躍する編集者。2014年にドワンゴ、KADOKAWA、ハーツユナイテッドが共同出資でゲームに関する情報メディア会社「リインフォース」を立ち上げ、その社長に就任。2016年2月にスタートしたゲーム情報サイト「電ファミニコゲーマー」は「niconico」「電撃」「ファミ通」「4Gamer」から情報提供を受けるキュレーションサイトという位置づけで、16年8月にドワンゴのニュース事業部門に統合。著名クリエイターをゲストに迎えた「ゲームの企画書」など独自の“深堀り記事"を掲載し、コアなファンを獲得していたが、その後KADOKAWAグループの事業統廃合により2019年に平氏の株式会社マレに事業譲渡されている。

――:そうか、2014年10月が角川・ドワンゴの経営統合ですもんね。ちょうど2015~16年ごろは経営主体の切り替わりの中で、いろいろプロジェクトが再構築されていたからかなり危うい状態だったんですね。

そうなんです。個人的には「殺戮の天使」こそ角川とドワンゴの統合を象徴するメディアミックスプロジェクトだと思っていたんですけどね。『カゲロウプロジェクト』※のように才能がどんどん生まれてくる気配もありましたし、このままインディーゲームの才能を発掘をしていることは僕にはよいことにしか思えなかった。でもそれぞれの会社どちらにも属さずに、ボカロと謳ってみたとかゲーム実況をやってみたとか、当時は市場としてもよくわかっていなかったSteam向けのゲームという意味でも海賊のような動きばかりしているのはよくわからなかった部分はあったと思います。

ゲームとしては浜村さんの管掌領域でしたけど、ネットとしては川上さんに聞いてみて、みたいなかんじで、ごちゃごちゃしてました。

※カゲロウプロジェクト

――:それがどうしてバカーを創業することになったんですか?カラー51%、ドワンゴ49%という不思議な資本構成も含めて。

2017年、川上量生さんにプレゼンしにいったんですよね。このままだと予算の決済もやりづらいし、シナジーのないドワンゴにいる意味もない。だから会社を作らせてくれ、と。そうしたら同じKADOKAWAグループの子会社にしてしまうとやりづらさは変わらないから外の資本がはいっていたほうがいいだろう、と。川上さんが考え込んだあと、なぜかそこでたまたまいらっしゃって話を横で聞いていた庵野さんに「カラーでも面倒みてくださいよ?」って感じで話が転がるんですよ。それで庵野さんも行きがかり上断れなかったのか(その時が初対面でした笑)、カラーとドワンゴのほぼ半々の出資の会社としてバカーが2018年2月に設立されました。

――:いやあ、すごい話ですね。思ってみたら川上さんはバンタンの買収と『テクテクテクテク』の失敗があったので(関連)、2019年2月にKADOKAWA社長を引責辞任されてます。タイミングとしてはこの判断はかなり正しかった気がします。

はい、川上さんにはこのタイミングでこれ以上ないほどに良くしていただけました。それで社長が僕で、稲葉ほたてと中山さんもよくご存じの佐藤譲(スタジオジブリ入社で日本テレビ出向、現在は京都で人形師)も“ねとぽよマフィア"の一員でバカーの船出が始まりました。

正直僕らは本当に滅茶苦茶なことをやっていたので、別会社という名目でなければ不可能でしたし、僕自身はKADOKAWAには出禁になっていてもおかしくないほどご迷惑をおかけしましたね。『さつてん』は真田先生×稲葉ほたてのプロジェクトで、「編集」や「プロデューサー」というのはプロダクトのために無理なことでも全部押し通して実現することを目指すものだ、と当時は思っていました。例えば進んでいたアニメも原作サイドとしては12話ではとても表現しきれない、と脚本の段階で課題になり。それで追加稟議して伸ばしてくれという交渉をしたのが放送数か月前です。

――:え、それって18年7月アニメを18年2月にできたばかりのバカーで交渉してたときの話ですよね?数か月前に話数増加?それって放映先ってどうなるんですか?

いや、無理な話ですよね?キレて当然だと思います。アニメ会社もラインがパンパンじゃないですか。会議してもそんな無茶な!?と会議膠着状態で、「結論が出ないなら話しても無駄ですね、また今度話しましょう」って感じで僕が仕切らざるを得ない。関係者一同みんなが困って、憎まれ、とんでもないヤツだとみられていたと思いますが、最終的には「編集とは作家に奉仕するものだ」の一点で無茶を押し通し続けたんです。

そうやってできてきたのがアニメ『殺戮の天使』で、当然放映枠を12→16話になんてできないので、それは配信という形にした。それは配信じゃなくて劇場でやりたいという話にもなったんですが、さすがにそれは僕でも無理すぎる交渉で実現しませんでしたが。そうした悪戦苦闘の結果として関連書籍は200万部突破、関連消費総額でも20億円突破するような新規IPとしての『殺戮の天使』が出来上がっていきました。当時はそれを存続させることにとにかく必死でした。

――:それはカルマが溜まってますね・・・そうか、バカーはそんな所業を繰り返しながらなんとか作品をつくっていったんですね。事業は『さつてん』だけではなかったですよね?

斉藤としてはサイドビジネスで「ロードス島戦記」とか「東方プロジェクト」のIPを借りてのゲーム開発などもやっていました。これはいまの斉藤のしごとにつながっていますね。もちろん開発したIPマネジメントもやっていたし、そうしたインディーゲームを開発するツール・プラットフォーム構築なども構想にありました。

でも我々は時期を逸しましたね。あの頃、ネットを使って仕掛けることが弱者の武器ではなくなったタイミングでした。大手資本が強者の論理でネットを剛腕で使い倒すようになってしまって、それが差別化の道具ではなくなってしまうんです。分岐点でいうと『ヒプノシスマイク』あたりだと思います(2017年9月に始動し、YouTubeが急伸したのが2018年半ば以降。2020年のゲーム化とアニメ化でマスコンテンツとして広がっていった)。

 

  

■才能はコミュニティを焼いて現れる。才能を育てる編集者を増やす試み

――:その後、バカーは2019年にKADOKAWAグループの経営再構築のさなかに2019年10月にMBO。稲葉ほたてさんが新たに社長として引き取り、『殺戮の天使』は現在もそのままに彼が動かすプロジェクトになっています。これは逆にKADOKAWAが引き取って、という話にはならないものなのでしょうか?

漫画であればまだ編集者も複数人いるけれど、「ゲームの編集」ということになるとほとんど人材が存在しないので、もう編集と作家が一蓮托生なんですよ。『さつてん』は真田さんとほたてが離れたらもう作れなくなるし、運用も次回作も無理でしょう。同じことは僕が引き取った東方プロジェクトやロードス島戦記などのゲームの作者にも言えます。IPとの関係も属人的なものでしたし、作者とごく個人的な信頼関係によって成り立っているので、その作家が一番作りやすい環境で作るのが一番なんです。

――:斉藤さんもバカーを退任、2019年10月にワイソーシリアスを起業しました。こちらの社名はどういうところからつけられたんですか?

映画「ダークナイト」のジョーカーのセリフなんですよ。「マジになるなよ」的な意味がですが、実際に映画のプロモーションで1,000万人がプレイしたARG(代替現実ゲーム)があって、それに感動したんですよね。その名前が「WHY SO SERIOUS」なんですよ。

――:斉藤さんの人生を振り返ると「批評」と「コミュニティ」という印象があります。ひとまず「批評」について、僕は批評というのはエリートなポジションの印象があったんです。

いや、批評を知って「アングルをつけること」は弱者の武器なんです。権力としてのパワーがない人間にとってはびっくりするようなアングルで奇襲をするしかない。だから僕がずっと批評をやったり議論をやってきたことはのはインディーをやるうえではとても強みになっていますね。

――:にゃるらさんを「令和の太宰治」と語りました。いまのクールジャパン再起動でもクリエイター支援は一大テーマですが、こうした“天才との邂逅"をもっと生んでいくにはどうしていったらよいでしょうか?斉藤さんはこうして付き合っている「まだ名もない天才」はどのくらいいるのでしょうか。

10人くらいですかね。彼らには別にお金をどっさり渡したり海外に留学させればいいわけじゃないんです。むしろ健康になるように促したり寝具や椅子の面倒見たり、飯を食わせたり、本人の才能が開花するまで生活の面倒をみてあげたり、本人の刺激になるようなものを準備することが必要なんです。

クリエイターの梁山泊をつくる。それはマンガにおいてはできていても、インディーゲームやほかの業界では実現できていない。マンガ雑誌のように才能同士が戦いあい、編集でそれを引き上げていくようなシステムを作らないといけないと思います。

――:ニコニコ動画も多くの才能を生み、そこからボカロPやVTuber達が育っていきました。ドワンゴというのはそういう意味では才能を育てるマンガの編集プラットフォームのような仕組みがあったのではないでしょうか?

伊豫田旭彦さん(ドワンゴ会長室ゲーム戦略グループ)ですね。日本で一番UGC(ユーザージェネレイテッドコンテンツ)を理解している人の一人で、さまざまなニコニコの危機対応含めて、あの人がある意味でMr.ドワンゴですよ。僕も彼からゲーム実況を教わりましたし、フリーゲーム投稿サイト『ゲームアツマール』は彼の発案ですよ。

ただよくケンカにもなりましたね。コンテンツとコミュニティって両雄立たずでどちらかが妥協しなければならない時がある。一つのコンテンツがそのコミュニティをがらり変えてしまうことも珍しくない。例えば「カゲロウプロジェクト」1作品のメディアミックス結果がボーカロイドというジャンルに極めて強い影響を与えたことえて、有意にPVなどに変化があったことを今でも覚えています。そのくらい1つの作品、一人の作家を生み出すことの資源は膨大に必要です。そういうバランスは伊豫田さんとよく議論にもなりましたね。

――:ある意味「焼いて育つ」ためのコミュニティが必要ということですね。

コミュニティがないとそもそも育たないんですよ。ただ一方で、今の日本ではもう目にみえる範囲で才能がある人間って皆が触りつくしているんです。先日韓国にいったら、僕らの思っている以上に、彼らは昔の日本のようにキャラクターやストーリーテリングができる人材がいま出てきていると肌で感じました。

率直にいって中国ゲームはキャラクターデザインが優れ、韓国ゲームはストーリーが強くなってきている。欧米にはゲームデザインが優れたものが多い。そうした中で日本のゲームが没個性に見えるようになってきていて、何で勝負するかといったときに僕は日本には「作家性」しか残らないと思っているんです。個人としての作家性が高く、その扱いのむずかしさも含めて日本でしかできないものが生み出し続けられると。

――:作家性の強い分野で今後期待しているジャンルなどありますか?

いまいまでは「少女漫画」のゲーム版のようなものが成立するのかが興味ありますね。「24年組」はいまゲームでこそ可能なんじゃないか、といえばわかりやすいでしょうか。でも僕ももうそろそろ40歳が見えてきていますすし、後進を育てていかないといけない。特にインディーに今必要なのは女性プロデューサーだと思ってます。

――:お話聞いていて、想像した以上に作家の後ろには編集者の存在が不可欠なんだなと思いました。太宰治に斎藤十一がいたように、にゃるらには斉藤大地がいたのですね。

にゃるらは本当に「令和の太宰治」ですよ。才能を見出すとはこういうことなんだと思います。僕が同じ名字の編集者ほど優秀かはともかく……w。僕自身ではもう不足ですから、今後は同じように作家を見出そう、育てようというプロデューサー・編集を育てていかないといけないフェーズなんだと思ってます。

 

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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