編集者とは「才能という水源探しを続けるコーチ」だと語る鈴木綾一。なぜ講談社はゲームでも成功できたのか?中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第136回
2020年、講談社がゲーム事業を立ち上げた。マンガ編集者がなぜゲームをという声もあったが、クリエイター達が1~数名で作る小規模インディーゲームをPC・Steamなどに向けて展開する支援を年間最大1000万円/件で行う。第一期の応募作は1200件を超える大盛況となり、選ばれた作品群をもって2022年から4年連続でTGS(東京ゲームショー)にも出展。ついには2026年3月、世界中のゲーム開発者の祭典・米国GDC(Game Developer Conference)で名誉あるオーディエンスアワードを、日本発のインディゲームとして初めて受章。果たして「マンガ編集者」はなぜゲームの編集者としても成功しえたのか、同事業を立ち上げた鈴木綾一氏に話を伺った。
■6年目に掴んだGDCアワード『ダレカレ』-テーマにメカニクスが従属する
――:自己紹介からお願いします
講談社の鈴木綾一(すずき りょういち)です。「クリエイターズラボ」という名の部の部長をしています。
――:『ダレカレ』プレイしたのですが、衝撃でした。「あの症状」の捉え方をまさかゲームで実感できるなんて思わなくて、思わず涙がこぼれるほどの話で…そしてまさかのGDCアワードにてAudience Awardを受賞。一気に世界的作品になりましたね。ベンチマークタイトルはあったのでしょうか?
ありがとうございます。『Florence』(2018、50万本超売れている大ヒット作品)のテイストを継承しつつ、『ダレカレ』はかなり作家性が高いですよね。日本発のインディーゲームがGDCアワードで賞を受賞したのは史上初らしいです。。

東京ゲームショー2025でもAudience Award GrandPrixで最高賞など3冠を受賞、Steamレビューでも「圧倒的に好評」(高評価率95%)を獲得
――:ノミネート自体が前回『Downwell』(2016)以来10年ぶりですからね(僕も『Pacman 256』がノミネートに入れず大変悔しかった…)。そして史上初の受賞がゲーム事業をはじめたばかりの講談社から生まれる、というのが凄いですね。しかしその『ダレカレ』ですが「社内で2回落ちた末に出された企画」と聞いて、驚きました。
作者yonaさんの1本目はリリースしています。やりたいことをそのままやってもらった『In His Time』です。最初だったので彼自身のむき出しのやりたいことが市場にどう受け止められるかも含めて、我々もyonaさんも直視することになった作品です。作家性は発揮されていましたが、セールス的にはうまくいきませんでした。それでも2作目を作りたい、となって提出していただいた企画を2つ「ボツ」にしました。
――:2回目NGだったときはyonaさん自身も、今後続けられるかどうかかなり悩むほどの衝撃だったとチーフの片山さんが言っていました。
はい、その時に出てきた企画内容は、良し悪しではなく、前作と同じ結果になると伝え断腸の思いでNGを出しました。インディゲームは年間数万作でているわけですよ。我々編集者の役割は決して良いか悪いかを判断することじゃない。彼が生活のために必要な収入、クリエイターとして達成したいゴール、そういったものを聞いていたので「これでは足りない」と思ったんです。
――:2本目企画の3案目が『ダレカレ』だったということですよね
10秒でOKを出しました。その時は『病める時も』というタイトルだったと思います。このゲームの場合、最初にあったテーマに従属して後からゲームとしてのメカニクスを入れている。テーマにメカニクスが従属しているのも、うまくいった理由の一つだと思います。
そしてOKを出した瞬間から、結果責任は我々が負うことになります。売れなかったときに責められるべきは企画にのるといった我々のほうですから。
――:それは何が違ったんですか?正直、マンガ編集していた人間でそこまで「売れるゲーム」を判定できるものなのでしょうか?
正直その時点で「売れる!」と思ったわけじゃないんです。インディーゲームとして売れる・売れないは最終的なところはわからない部分も多い。でも、「凄まじいか否か」、ここだけは我々にも分かるんです。ユーザーは「見たことがないもの」を見たい。新しい発明の部分があれば、歴史に残ります。これだけはゲームもマンガも変わらない鉄則で、我々はゲームに必ずしも詳しくないですが、それを感じ取る心はもっているつもりです。
ー講談社クリエイターズラボはではこれまでどのくらいの作品を出してきたのですか?
5年間で30本ほどを支援決定して、これまでにリリースされた作品が15本ほどです。だいたい10人くらいの編集者が1人4~5タイトルを担当するような形です。そのなかで一番売れたものでいうと、ところにょりさんの『違う冬のぼくら』(2023年2月)ですね。後続作品の『違う星のぼくら』もよく売れていて、シリーズ累計140万本にもなりました。PARCOさんではPOPUPショップをやったりサイン会をやったり、かなり立体的な展開にも広がっています。

――:『ダレカレ』も相当に口コミで広がってますよね?これでどのくらいなのですか?
『ダレカレ』はまだ10万本を超えたところです。この世界は10万本売れたらベストセラーなので、15本のなかからこの2作が出せただけでも部署としては「想定よりもスピーディに立ち上がった」といえる状態です。
――:GDCでオーディエンスアワードを受賞しました。受賞は売上に繋がりますか?
『Clair Obscur: Expedition 33』(The Game Award 2025で9部門制覇したゲーム、同賞始まって以来の最多受賞)のときはそうでしたね。
■サブカルを浴び続けた名古屋のモーニング文化。天才塾講師が出版社入り
――:綾一さんは講談社に入るまでは何をされていたのですか?
愛知県瀬戸市の出身で、2000年に大学進学のため上京し2006年に講談社に入社しました。修士まで行ったので、学生の時間がちょっとだけ長いです。
――:専攻は何だったのですか?
国文学です。子どものころから日本語という言葉自体に興味があったんです。将来は金田一京助さん(1882~1871、言語学者)のような日本語のプロフェッショナルになりたいと思っていました。もともと大阪大学文学部の日本語学科を目指していたんですが、それは落ちて慶応に進学しました。研究テーマは韻文や通史的幻想文学で、正直将来食えることが保証されていない領域に利益度外視で飛び込みましたが、最悪地元に帰ればなんとかなるでしょという感じの学生でした。
――:大学院にまで行かれているんですね。
もともと、働きたくなくて笑。経済も知らず新聞も読まず、世の中に疎かったですし、まだ社会に出るのは早いんじゃないかと。それで親を納得させるために大学院に進学したんです。でも入って修士・博士の研究活動をみて、これは自分にはとても無理だと悟って就職活動をすることに決めたんです。
受けたのは小学館と講談社の2社だけです。『月刊IKKI』(2003~14、ビックコミックスピリッツの増刊号として発行された月刊漫画誌。「小学館のアフタヌーン」「小学館のガロ」などと呼ばれる)が本当に好きで、第一志望は小学館だったんですが最終面接で落ちて、講談社に入りました。
――:あれだけ高い倍率の出版社で2社しか受けないとは…相当に素養があったんでしょうね。
文芸志望じゃなかったのが強かったのかもしれません。国文学専攻といいながら、僕は現代のものはほとんど読んでなくて、当時は小説だとギリギリ三島由紀夫くらいまで。竹取物語とか古文は詳しいんですが、恥ずかしながら村上春樹も読んだことがないくらいです苦笑。そんなことやりながら、サブカルの知識は深かったので普通にマンガ部署を志望していました。
――:マンガはどのくらい読んでいたんですか?
親の影響で子供の頃からマンガはだいぶ読んでいました。名古屋って喫茶店文化すごいじゃないですか。漫喫も名古屋発祥なんですが、当時から棚があって漫画が並んでいた。そこで休日は家族全員でモーニング習慣があって、朝ごはんを食べながら黙々と漫画を読むのが当たり前でした。
父親からは手塚治虫、母親からは萩尾望都、妹のりぼん、そして僕はジャンプという感じで家族全員が読むマンガすべてに影響を受けていました。地元にヴィレッジヴァンガードがあったのも大きく、サブカル少年として育ち、高校時代はつげ義春、澁澤龍彦、夢野久作、諸星大二郎などからファッション、音楽含めサブカルチャーにどっぷり浸かっていましたね。漫画は「趣味」というより「素養」として、生まれた時から当たり前にそこにあったものなんです。
――:それがのちの出版社への興味にもなるんですか?
土田世紀先生の『編集王』(1993~97ビックコミックスピリッツ連載)がものすごく好きで、「マンガ編集者という仕事があるんだな」とそれで認識しましたね。でも僕の場合はマンガが好きという以上に、マンガ家という「クリエイター」が好きだったんです。職人やスポーツ選手のような、サラリーマンではない『プロフェッショナル仕事の流儀』に出てくるようなスペシャリスト達への尊敬や憧れがありました。自分は無個性で特技がないから会社員をしているけれど、人生を何かに懸けている人たちはすごいなと。
僕は大学時代、何に力をいれたかと聞かれると「塾講師のバイト」なんですよ。いまでも自分の天職は塾講師だと言えるくらい、向いていました。なにせめちゃくちゃ、受からせますから。別に教える内容が凄いわけじゃないんです。いい授業をするというよりも、結果から逆算して「どうやったらこの子が受かるか」だけを考えるんです。変な言い方をすれば「僕に褒められたら嬉しい」という環境を作って、その1対1の関係性のなかでどんどん成績を伸ばしていった。
――:要点掴むのが上手いんでしょうね。マネジメントもうまそう。
僕は典型的なHackタイプなんだと思います。結論から逆算して一番近い道はなんだろうをいつも考えていましたね。そのやり方も生徒ごとに変える。あと抽象化志向が強くて、講師にとって授業は手段であって目的ではないと考えていました。その経験が後の編集者としての仕事にも直結してますね。

■水源をたどる編集者、心にスカウターを持ち、作家と付き合うつもりで名刺を渡す。
――:2006年に講談社に入社されています。最初はどちらの配属だったんですか?
マガジンとヤンマガ以外ならどこでもいいと言ったら、マガジンになりました笑。実は『週刊少年マガジン』は熱いメジャー誌というイメージがあり、あまり読んだことがなくて自分には向いていないんだろうなと勝手に思っていたんです。でも自分が食わず嫌いしていた所に放り込まれたことが、結果的に良かったです。「数字こそパワー」というドメジャーな環境で8年間過ごしたことが、その後自分の編集者としての基盤を固めてくれました。
――:どんな作品を担当されていたのですか?同期にはどなたが?
『School Rumble』(小林尽、2002~08)や『シバトラ』(安童夕馬・朝基まさし、2007~09)、『さよなら絶望先生』(久米田康治、2005~12)を担当していたり、一から立ち上げた作品で言うと『神さまの言うとおり』(2011~12)ですね。金城宗幸さん(1987~、京都精華大学卒業後2008年マガジン新人漫画賞)の原作デビュー作です。その後『神さま』を一緒にやっていた後輩編集者の土屋が金城さんと立ち上げたのが『ブルーロック』で、世界的なタイトルになりましたね。同期は『進撃の巨人』の立ち上げ編集者で、いまは週刊少年マガジン編集長の川窪です。
――:編集者同士、みなさんライバルの数字はどのくらい気にするんですか?
うーん、ライバルというよりも独立独歩という感じでしたが、同期がメガヒットを出してくれたほうが逆に素直に応援出来ましたね、後輩だったらそれは悔しいかもしれません笑。編集者って、みんな“心にスカウターを持っている"んですよ。ポジションとしての偉い・偉くないではなくて「何本ヒットを打ったか」という数字や実績が、なによりも自分の支えになります。だからお互いにどんな作品を担当してきたかのスカウターをのぞき込んで値踏みしているところがあります。年功序列的なマウンティングがないから好きな環境でしたね。
――:どんな編集者だったんですか?
僕は徹底的に「水源探し」です。15年間の編集者人生で足掛け10年は新人賞の担当をしていました。年間4000本の投稿原稿を読んで、コミティアを回って、地方のマンガ・イラストレーターの専門学校にも足を運んでいました。
大御所や他社からの引き抜きで成功しても、実は業界のパイ自体は拡大しないじゃないですか。そういうコンテンツを生み出す作家たちの大河があるとして、もう下流のほうで「成功した」作家とやるより、どんどん上流にまで駆け上がっていって大きな支流をつくりそうな最初の作家に賭けたい、というタイプだったんです。
――:編集者って大御所を引き継いで編集するパターンのほうが多いのかと思ってました。
向き不向きがあって、誰もが必ずしも新人発掘しているわけじゃないです。発掘は不得意だけどベテランとうまくつながり続ける天才みたいな編集者のことも尊敬しています。
先輩から「こいつは物にならない」と言われた新人でも、塾講師の経験と同じで、才能の芽を潰さずに伴走していくのがものすごくやりがいがあるんです。川窪が目をつけた諫山創さん(1986~、2008年デビュー後『進撃の巨人』で大ブレーク)はダメだろうといっていた先輩もいたけど、僕も絶対にいけると感じてました。金城さんも、後に『五等分の花嫁』を描くことになる春場ねぎさん(1991~、2013年デビュー『五等分』原作や『戦隊大失格』など)も、そういう「水源」からみつけだした才能でした。
――:編集者としてはどのくらい担当していたんですか?
一番多い時だと連載を10本以上持ちながら、40〜50人の新人と連絡を取り続ける、みたいな感じですね。「担当する」というのは、付き合うのと一緒なんです。持ち込みを受ける際には、当時の業界慣習として、最初は名刺を渡さないんですよ。作品を拝見し、雑談で夢や目標を聞く中で「担当したい」と思ったときになって、はじめて名刺を渡す。それはひとつの告白みたいなものですね。そしてお互いにとっての北極星とネクストミッションを確認して、こっちからは急かさず発芽を待つ感じですね。「これが出来たらもってきてね」と。うまくいけば連載にまでつながっていく。
――:そうやって「待ち」のタイミングで他社にもっていかれるリスクはないんですか?
もちろんあります。でもそれも含めて、編集者の器だと思ってます。こっちはこっちでアピールして「俺と付き合っていたほうが得だ」と思わせる何かが必要ですよね。
編集って「がんばって!」と言っているときはつまらないんですよ。むしろ止めどなくやりたいことがあふれている作家を押しとどめているときのほうが、テンションが上がります。『神さまの言うとおり』で金城さんと組んだ作画の藤村緋二さんは16歳のときに月例賞をとって毎月連載をしてました。彼だったり諌山さんだったりは、もう最初からこちらは受け止めるだけでいいんです。自分がやりたいストーリーをぶわーーっと話して、こちらはそれを咀嚼して「つまりこういうこと?」とまとめていく。そういう瞬間が編集者冥利につきますね。
――:企画は自分では提案していかないんですか?マガジンはむしろ編集者が道筋をつける人が多いと聞いていました。
僕の場合は「逆算志向」で、何がゴールで漫画家を目指しているのかを必ず聞きます。面白い作品なのか売れる作品なのか、とか。それにあわせて出てきた企画を射程にあわせて“編集"していきます。だから僕から企画アイデアを出して、ということはあまりやらないですね。アイデアを出し合うより、その「作家固有のエネルギーを受け止めて、目標への道筋を示し続ける」のが編集の仕事だと思っています。
――:もし本人がアート志向が強くてとても売れなさそうな場合は担当します?商業的には成功しないテーマだけど、自分の作家性だけを追い続けるタイプとか。
作家性を追い求め続ける理由に自分が納得がいけば、担当しますね。いずれにせよクリエイターとしてのゴールがどこにあるかなんですよ。例えば初期の作品で大ヒットして、2作目・3作目が作れないマンガ家さんもいるじゃないですか?でもそれって「個人としてのゴールを達成してしまったから」だと思うんですよ。目標に届かないから皆求め続けるし、編集者を必要としつづける。でもいま売れたからと2作目・3作目をねらえ、オリンピックで金メダルを取りつづけろ、みたいな強要は僕らはできないんです。クリエイターそれぞれが自分のゴールをどこに置いているかで、次の動きが決まってきます。
――:逆算志向にしても、ゴールを掘り下げるところも、綾一さんならではのオリジナリティがありますね。
編集という職業はEditor(編集者)の部分だけではなく、スポーツのコーチングといったほうが近いのではないかと私は思うんです。コーチがいないと試合に出場できないわけじゃないじゃないですか?でもトッププレーヤーは必ずと言っていいほど、「いいコーチにめぐりあった」ことが分岐点だったりしますよね。複数コーチがいたっていいんです。そのクリエイターと作品を徹底的に客観視して、ゴールまで導ける人間。それは家族や友達とは違うんです。
――:だから何度も企画をNGにしたり、「ご機嫌取り」にならないようにスタンスをとるんですね。
何かがあってふさぎ込んでいる選手に対して、立ち上がって練習を続けろという家族・友人っていないですよね?でもコーチングをしている立場からすると、最終的なその作家の目的が金メダルである限りは、そこを立ち上がらせなきゃいけないときがあるんです。もちろん怪我してしまったらゴールから遠ざかる。いたずらにスパルタをするわけではない。でもゴールから逆算したら、いまここで無理しなきゃいけないというときがありますよね。私情を殺してでもそれが言えるのが編集者なんです。一番近くにいるのに一番冷たい人間にならなきゃいけない瞬間があります。
■作家が選ぶDAYS NEO事業、作家VS出版社の力関係の民主化で才能のすそ野拡大
――:マンガ編集者から、デジタルやこうした新規事業的な動きに携わるのはいつごろからですか?
マガジンで8年間、その後ヤングマガジンに7年間いることになるのですが(『僕たちがやりました』(荒木光/金城宗幸 2015~2017)『ギャルと恐竜』(トミムラコタ/森もり子、2018~22)などを担当していました)、その間に社内で漫画アプリの立ち上げブームがきて、2015年から、先輩の村松(村松充裕氏、2002年講談社入社後『食糧人類』『1日外出録ハンチョウ』などを担当し、2023年にCyberAgentグループのSTUDIO ZOON参画)と一緒に『コミックDAYS』の立ち上げに携わったんです。
講談社は少年・青年・少女の3部署がそれぞれでアプリを作るということになって。中山さんが以前インタビューされた橋本脩< https://gamebiz.jp/news/368918> がやっていた『マガポケ』(2015~)と、村松の『コミックDAYS』(2018~)と中里の『パルシィ』(2018~)ですね。個人的には会社としてアプリを一本化したほうがいいとずっと主張していましたが、まあいろいろ事情があったんでしょうね。
――:テレビ局個別のOTTがNetflixに押されているのと似た構図ですね。
そうかもしれません。せめて投稿サイトだけはオープンにしようと始めたのがDAYS NEOでした。
――:2018年の漫画アプリとほぼ同時期にクリエイターが編集者を逆指名する『DAYS NEO』というサービスを綾一さんが立ち上げます。こちらはなぜ展開されたのですか?
SNSって匿名性がゆえに、「主語が大きくなりがち」なんです。それをやめたくて。あくまで一担当者が言った話が、「〇〇編集部に言われた」とか「講談社に言われた」になっちゃうじゃないですか。それを防ぐために、個人が主語になり、編集者と漫画家とが個でつながるマッチングサイトを作りたいと思っていたんですよ。
それにマンガ家と編集者の立ち位置を変えたかった。持ち込みしても実はその編集者が何を担当してきて、どんな実力があるのかわからないじゃないですか。裏方だから名刺をもらっても実態がみえない。DAYS NEOは編集側の「名刺(プロフィールだったり実績だったりメッセージだったり)」も透明化したうえでこの編集者とやっていこう、と作家側が決めるサイトなんです。個人的には「マンガ家が楽」(1回で複数編集者・媒体に応募できる)、「編集者が淘汰できる」(編集者側もそれなりに自分の強みをアピールしていく、実力あれば困らない)、「個社に偏っていないことで歪みを生まない」という構想を形にしました。
――:作家側からの応募サービスは他にないのですか?
マンガ投稿サイトとしては「ジャンプルーキー!」が2016年頃からありました(「マガジンデビュー」も2018年に立ち上げたが2023年サービス終了)。でもそれはあくまで「ジャンプ」という一媒体の新人発掘です。こちらは競合含めて多くのマンガ雑誌が一堂に会するサービスですから。
とはいえ、最初は講談社1社の4誌からのスタートでした。そこにまずはグループ会社の一迅社が入って、そこにスクウェア・エニックスさんなども入ってきて、現在は15社50誌が皆でマンガ家さんからの投稿を待つサイトになりました。もう8年目ですよ。いまのところ使っている側の作家さんからも編集者からも不評はもらったことがないので奇跡的にうまく作れたんだと思います。
――:綾一さんは常に「業界のエコシステム」で抽象化して考えるタイプですね。
塾講師やってたり、就職活動で不利な動きをしてたときから実は変わっていないのかもしれません。出版業界として才能が集まる「山のすそ野を広げる」ことに拘ってきて、実は講談社にとってすぐに直接的な利益にならないこともやっています。でもそれは僕の入社動機でもあるんですが「講談社学術文庫や現代新書のように、今すぐ売れなくても、いつか誰かのためになる本を出し続けられる会社にしたい」と今でも思っているからです。

■講談社で立ち上がった「新規事業:クリエイターズラボ」、才能のコーチングはあらゆる分野に通じる
――:こうした中で、なぜゲーム事業部を作ったのでしょうか?
2019年になると投稿サイト事業チームのチーム長とヤンマガの副編集長を兼任するようになっていました。とある機会で大阪のOCAの卒業制作展にいったときに学生たちのゲームをみたら、もうこんなに個人でゲームが作れる時代になっているんだと驚いたんです。Unreal Engineなどのゲーム開発エンジンを使えば、僕でもゲーム作りができる環境になっていました。これなら小説・マンガのように、ゲームも個人クリエイターが活躍する時代になっていくんじゃないかと思ったんです。それなら自分自身がやってきたように、編集者がコーチとして寄り添える時代がくるんじゃないかと。それで最初は社内有志によるワーキンググループとして「1000万円さしあげますから、好きなゲームを作りませんか?」というキャッチコピーで、インディゲームへの出資コンテストをはじめました。
といっても、弊社の場合は「投資」じゃないんですよ。マンガと同じで出版権のための契約で、著作権は作家さん自身がもって、あくまでそのゲームのパブリッシュ権のために1000万円を出しています。需要あるんだろうか・・・と一発目やってみたら1250件応募が集まりました。100件が目標だったので、想像以上でした。
――:その一発目から神引きでしたね。
まさか100万本のタイトルが生まれるなんて、当時は全然想像してなかったですけどね。その1250本の1つが企画書6枚の『違う冬のぼくら』でした。『ひとりぼっち惑星』が2016年にすでにSNSで反響を呼んでいました。星を集めると宇宙にメッセージを送れるんですけど、漂流瓶のようにランダムでメッセージが届くんですよ。「今寝ますね」とか「仕事つらい」とか。これはすごい発想だなという前作も知っていたので、モノが違うなとは思ってましたね。
――:講談社のなかでも「新規事業部」がこうやってゼロイチで始まるってほとんどなくないですか?
そうですね、僕が在籍していたこの20年くらいの間では雑誌レーベルとか出版の一環としての新規はありますけど、新規「事業部」が立ち上がったのはこれが初めてじゃないでしょうか?
最初は投稿サイトDAYS NEOとゲーム事業と(いまは終わってしまった)Kickstarterの3プロジェクトがありました。そこから僕はヤンマガ編集部とのかけもちがいよいよ難しくなっていました。そうした中で2021年6月が正式にクリエイターズラボとして「部署化」して部長になりました。翌年、メタバース事業とIP事業ラボも加わって、そこに新設の映画事業(シネマクリエイターズラボ)も始まって、と陣容はどんどん大きくなりましたね。
――:逆に以前取材したIP開発ラボは2025年に独立したんですね?
ラボは文字どおり実験室ですので、各プロジェクトを事業化して独立させることが目的なんです。。IP開発ラボは『ハンドレッドノート』を引っ提げて、ラボ(研究所)だったこの部署からスピンアウトで第四事業本部(青年・女性向けコミック)に入って「事業部化」されて卒業。万雷の拍手で送りだしました。
――:しかしマンガだけでなく、ゲームにYouTubeに映画に…クリエイターズラボの業務範囲が広すぎますね!?
マンガ編集者はなんでも屋ですが、唯一「マンガを描くこと」だけはしません。それ以外はなんでもやるんですが、我々は我々自身が作り手になりえないということだけは知っている。
だったらゲームの編集をするときにしたって、我々自身がゲームを作ったことがあるかどうかなんて関係ない。結局はクリエイターと伴奏して、彼らのやる気と利益の最大化を画策していく。コーチングのように、そのモチベーションを維持しながら、どんどん連載していって、適切な売り方を提供する。その役割こそが編集者の本分だと思います。
――:ゲームクリエイターとマンガ家の共通点はどこにあるんでしょう。
「世界観を構築し、ユーザーを没頭させる」という点では全く同じです。ただ、ゲームはインタラクティブ(双方向)なので、漫画よりもさらに深い没入感を作れる可能性がある。漫画家が一人でペンを持って戦うように、インディーゲームも少人数で巨大な資本に立ち向かっている。その「ハングリーさ」が面白いんです。
――:でも今このインディーゲーム支援は老舗のPLAYISMさんや集英社の「集英社ゲームズ」や松竹「松竹ゲームズ」、PARCO「PARCO GAMES」など異業種から続々ときています。これはどのくらいクリエイターのリソースは重なるのでしょうか?
弊社だけでも3年で3000件ほどの応募がありますしね。かなり重なっているんじゃないでしょうか。PARCOさんは「場」をもってますし、松竹さんは「配給」がありますよね。我々の場合は「編集者」と「出版流通」の2つが強みとしていますが、後者が必ずしもゲーム業界では効かないので、前者の編集者としての強みがメインですよね。なんでも屋である編集者が伴走しながらクリエイターが創作に集中できる環境を創るというところは弊社のオリジナルの価値になっていると思います。
――:そこは集英社ゲームズ(『都市伝説解体センター』で30万本越えのヒット)も重なるところですよね。
ただ両社で結構色が違ってきているのが面白いところですよね。最初は色々な方向性でやっているうちに、だんだんとヒット作がでてくると、それで雑誌の方向性が決まって「レーベルとしての色」が自然とできあがってくる。やはり弊社はインディーゲームでも「テーマ重視」というところに帰着してきました。
作品のほとんどが赤字の中で、どのくらい才能と向き合って、創り続けてもらえるか。今後もより多くのクリエイターさんに創作をしてもらうべく、インフラ作りや体制の見直しなどを続ける日々です。
■Roblox二次創作の許諾?Individual(個人)クリエイターとの新しい線引き
――:北米を中心に圧倒的な人気を誇るRobloxでは、「ライセンスカタログ」としてルール内での自由な利用を許諾する仕組みが2025年夏に展開され、日本ではいち早くSEGA「龍が如く」と講談社「ブルーロック」「転生したらスライムだった件」が参画しています。
はい、こちらも僕が関わらせていただきました。UGCや二次創作との付き合い方は、機材やAIの普及で世界100億人が総クリエイター化する時代において、非常に重要になってくる。そうした中で現在毎日1.5億人が訪れるこのRobloxという
プラットフォームで、すでに月収何億円みたいなクリエイターたちがひしめきあっている時代に、グレーゾーンにもっと濃淡をつけられる方法がないのか、と思い交渉してきました。2年間くらい交渉してきた結果としてRoblox側が出してきたのがこの「ライセンスカタログ」の仕組みです。
――:これは版権料とれるんですか?
はい。前もってこちらが定めたルールに沿っているということを前提に、自己申告制によって、直接的なやりとりなしでゲーム内にIPを使用してもいい、という仕組みです。

Roblox Developers ConferenceでROBLOX創業者兼CEOのDavid Baszuckiと講談社の野間省伸が提携を発表
――:よく許諾しましたよね?「龍が如く」は自社著作ですけど、講談社ってどちらもマンガ家から借りているIPじゃないですか?
両作品ともに、Robloxで無許可作品が跋扈している状況と、それに対してテイクダウン以外の道筋としてご説明をさしあげ、最終的には作家さんに理解をしていただきました。もともと金城先生は担当であったこともあり「悪い話は持ちかけてこないはず」と思っていただいていたとしたらありがたいことです。
――:最初に聞いたときに想起したのはワンフェスの「当日版権」(イベント当日、会場内限定で制作・販売する許可を主催者が代理で取得してくれる仕組み。通常は許可がおりない個人でも、ウェブ上で容易に申請して許諾が得られやすい)の仕組みでした。
そうなんですよ。まさにワンフェスのような形で、会場とかイベント単位で申請・許諾をして少額でもいいので許諾料を著者に還元する仕組みにしていけるのが理想です。コスプレでも、コスプレイヤーさんは著者に対してリスペクトがあり、何かしらの形で還元したい方もいらっしゃると思います。そういった「原作者に還元する仕組み」をこれからも考え続けていきたいと思っています。
――:これは生成AIも同様の話ですね。
そうですね。何かしらの形で原作者に還元される仕組み作りが必要ですし、それ以前にLLMに対する法整備や啓蒙が急がれますね。業界人として、クリエイターに敬意を持つ者としてあらゆる努力はしていきたいです。
――:DAYS NEOもクリエイターズラボもROBLOXも、よくこうした自社の基盤をゆるがす案件を次々と新しい線引きできてますよね??社内的にはなかなかクリアするには困難な案件ですよね。
僕はレッドオーシャンのなかにあるブルーオーシャンのスポットを見つける性格なのかもしれません。DAYS NEOもゲームクリエイターズラボも。映画はまだこの3年サイクルでIndividualな人たちと短編をつくれる力を養っている途中で、やっぱりまだそれに適したプラットフォームがないんですよね。製作・配給の実績を作っていって、5年計画で事業化していくつもりです。
インディーズとはIndipendent(独立)の略語だと言われますが、個人的にはプロとアマチュアの境界線がなくなった時代においてはIndividual(個人)の略語でもあるのではないかと捉えています。その作家性を信じて賭け続けるものはどんなものも出版社の編集者の支援対象になると思います。ゲームの小島秀夫監督も、アニメの宮崎駿監督も、どちらもIndividualなもののまわりにスタジオができて大規模化しただけで、その発意はほんとうに個人的なものですよね。
――:講談社もかつて写真家やコラムニストなど、「雑誌の裾野」でクリエイターの幅を広げてきました。今の時代におけるその「裾野」がゲームや映画やXRを作ろうとするIndividualだということですね。
おっしゃる通りです。今でこそ出版社と言えばマンガですが、講談社115年の歴史の中で最初からあったわけじゃなく、むしろ最近の出来事です。戦後の混乱期に文学や写真を飲み込んで大きくなったように、この2026年というタイミングでは、ゲームや映像、AIやXRといった新しい領域を「出版社の扱える領域」として捉え直してもいいのではないかと。後から追いかけても間に合わないので、今のうちに広げておかないといけない。
講談社が掲げる「おもしろくてためになる」は本当に正しいと思っているんです。人が時間とお金を費やすモノ、それがエンターテインメントであり、尊いものだと思ってます。時間だけ費やすものも、お金だけ費やすものもありますけど、我々が世に送り出す「コンテンツ」は、消費するために時間もお金もかかることです。そのすそ野の領域を編集者として一緒に作っていって、クリエイターの山のすそ野を広げていきたいです。ゲームから漫画が生まれてもいいし、漫画からゲームが生まれてもいい。入口も出口も、どこでもいいんです。
――:個人的な野望はありますか?
僕はこれからも「まだ誰も見つけていない才能」を探し続けたいです。それが漫画であれゲームであれ、あるいは別の何かであれ。テクノロジーが変わっても、人間が「面白くてためになる」何かを求める欲求は変わらない。
それを生み出そうとする人たちが存在する水源を見つけ、そこに伴走するのが編集者の、そして僕の仕事だと思っています。

会社情報
- 会社名
- 講談社
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場




