【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第5回 ファンコミュニティの極致―野球ファンから新たな書き手が生まれる「文春野球学校」
文藝春秋といえば、政治問題から芸能スキャンダルまで世間を騒がすスクープ記事でおなじみの出版社である。文春の記事は時に賛否両論の嵐を巻き起こすが、それは読者が読みたいギリギリのラインに圧倒的に寄り添っているからに他ならない。敗戦後に再建された文春は岩波と双璧をなす、ベンチャー出版社の雄であった。岩波が権威とイデオロギーに近づいて、アカデミックな方向で人々の知識欲を満たしたのに対して、文藝春秋はいかに大衆の好奇心に寄り添うか、いかにファクトを追求するか、という徹底的なジャーナリズムのもとに再興した出版社である。その文藝春秋が、実は野球コラムのライター講座を中心としたファンベース事業を運営している話を聞きつけ、インタビューをしてきた。
(インタビュアー:Re entertainment 中山淳雄)
■勢いで出来た文春野球学校、東進ハイスクールみたいなCMを作りたかった
――:はじめまして。自己紹介からお願いしてよろしいでしょうか?
竹田直弘氏(以下、竹田氏):初めまして。1999年に文藝春秋に入社し、『週刊文春』『Sports Graphic Number』『CREA』などの雑誌編集を経験し、2016年から『文春オンライン』初代編集長をやってます。21年8月に月間6億ページビューを達成し、日本の出版社系ニュースサイトとしては最大の数字となりました。その文春オンラインの一コーナーとして立ち上がったのが「文春野球コラム」で、そこから派生したライター講座的なコミュニティが「文春野球学校」です。私はその運営責任者をしております。
村瀬秀信氏(以下、村瀬氏):僕はライターとして野球コラムなんかを書いてきたフリーランスです。竹田編集長とのご縁で、「文春野球コラム ペナントレース」という企画を立ち上げ、現在はコミッショナーとして運営に携わっております。その延長線上で文春野球学校をはじめるときに、成り行きで校長としての指名を受け、気がつけば、「コミッショナー兼校長」というものすごい怪しい肩書きを持つ状態になっております。(著書「止めたバットでツーベース」「4522敗の記録」「ドラフト最下位」「気が付けばチェーン店ばかりでメシを食べている」)
――:そもそも文春野球学校をはじめることになった経緯をお伺いできますか?
竹田氏:ウェブメディアって数字だけを狙っているとつらくなってくるんですよ。文春オンラインは2017年に始めたのですが、他社に比べると後発で、ノウハウもほとんどなかった。そこで他のニュースサイトの編集長に会えるだけ会ってサイト運営のコツを教えてもらったのですが、その中で当時の東洋経済オンライン編集長のアドバイスが妙に印象に残ったんです。「編集部員が好きでやっている趣味のカテゴリーを作ったほうがおもしろいサイトになりますよ」と。東洋経済オンラインには「鉄道」というカテゴリーがあって、鉄道ファンを中心に人気を集めている。それじゃあ自分が好きなことは何だろう、「野球」かもしれないと。
――:すごく分かります。デジタルって成果が見えすぎる割にはその成功失敗に理由がなかったりするので、過度に原因究明や改善ばかりしてしまって自分が苦しくなる、というのはゲーム運営でも同じでした。
竹田氏:それで「文春野球コラム」というコーナーを作って、運営しはじめたのです。1日2本の原稿を同時にアップして、読者が24時間以内にHITボタン(いいね!のようなもの)を押した数で勝敗を決めていく。実際の野球には勝敗があるのだから、野球コラムにも勝敗をつけてみようという試みです。書き手の条件は「野球が好き」ということだけ。野球専門のライターだけではなく、他ジャンルの書き手や、他業種の方にも入っていただきました。Numberにもスポーツ新聞にも載らない、ファン目線の野球コラムという位置づけでした。
この文春野球コラムが徐々に野球ファンに認知されてきたあたりで、自分も書いてみたいという読者の声が聞こえてきました。ファン目線のコラムなので、自分にも書けそうと思っていただけたんでしょうね。ちょうどそのころ、「OSIRO」というファンコミュニティの運営サービスを紹介されたんです。OSIROはシンプルな仕組みで使い勝手もよかったので、ここに野球コラムについて学ぶ場を作ったらおもしろいんじゃないかと、2019年8月9日(野球の日)に「文春野球学校」を開校したんです。初代「校長」がこちらの…
村瀬氏:村瀬です。俗にいう「オンラインサロン」にはしたくなかったので、あえて「学校」と名付け、自分も「校長」と名乗りました。ビジネスの色を強くするつもりもなかったので、あくまで目の届く範囲で少しずつ「生徒」を増やすようにしてきました。
――:文藝春秋さんでこうしたユーザーさんと直接触れ合うファン事業みたいなものって今までされたことあるのでしょうか?
竹田氏:事業としてのコミュニティ運営は多分ないと思います。そもそも文春野球学校も「儲ける」より「おもしろそう」を優先しているので、「事業」と言ってよいのかどうか。野球コラムを書いてみたいという方々に一度試しに文章講座を開催してみたら、思ったより多くの方々が来てくれたんです。それで勢いで「みんなで学校を作っちゃおう。ついでにCMも作ろう。東進ハイスクールみたいなCMを」と盛り上がってしまって…。
村瀬氏:「いつコラム書くの?今でしょ?」とか名物講師が叫んでいる動画ですね。竹田さんひとりで盛り上がってましたが結局撮っていません(笑)。ただ最初は勢いだったのかもしれないですけど、生徒の方の想いに触れると、だんだんこっちも本気になってきてしまって…。「やるなら今しかねぇ!」とか普通に言ってます。
竹田氏:自分たちは文章を仕事にしてきたので、その軸はブラさないようにしようと。コミュニティを作って話をするだけでお金をいただくような仕組みにはしたくなくて。「野球コラムの書き方を学ぶ」という軸を守りつつ、みなさんが何を求めているのか、日々考えながら運営しています。
■男女半々の「野球コラム」コミュニティ、「学ぶ場」として圧倒的な定着率
――:ウェブメディアの「遊び」として生まれたコラムの、さらに「遊びの遊び」としての学校運営で、あくまで「書くことを学ぶ場」としての事業なのですね。規模はお伺いできますか?
竹田氏:会費は月5千円で、現在80名ほどの「生徒」がいます。男女比はほぼ半々で、40代が約4割、30代と50代が2割ずつくらいで、20代も1割くらいはいます。最初は「講座の後にみんなで飲みに行けるくらいの人数」ということで30-40名を1期生としてお迎えしました。コロナになってからは飲みに行けていませんが。そのあと随時追加募集で約20名ずつ追加していって、今は4期生までいます。
――:本当に学校のような入学形態をとられてますね。退会率もかなり低いとお聞きしました。
竹田氏:累積で2割くらいでしょうか。OSIROの担当者も低いほうと言ってました。
――:すごい数字だと思います。基本オンラインでの会員サービスで2年半やって累積2割しかやめていない、というのは。
村瀬氏:「退会」とは言ってないですね。弊校の場合は「卒業」です。学校ですから。
――:具体的にはどんな活動をされているのでしょうか?
竹田氏:基本的には月1回、プロのライターや実況アナウンサーなどゲスト講師をお呼びして、文章に関する講座をやります(現在はオンライン)。他には生徒だけが見られる文春野球学校のサイト内で、みなさんそれぞれ自主的にブログを書いたり、あとはコミュニティ内で観戦部/読書部/音楽部など部活動ごとに分かれて活動しています。プロ野球の試合が終わると何人かの生徒がブログを書いてくれるのですが、正直プロのライターよりも早いんじゃないかというスピード感でアップしてきます(笑)。
――:こういうとき、だいたい課題にあがるのはファン同士のリテラシーの差ですよね。「マニアがジャンルを壊す」というブシロード木谷さんの言葉通り…
竹田氏:僕らは「マニア」より「にわかファン」くらいの方々を大事にしています。せっかく野球を好きになったのに、ベテランファンから「君は1990年のあの試合観た?おれは現地で観たんだけどさ…」とか、“知識マウンティング”をされてつらい思いをしている方々はたくさんいますしね。マニアじゃなくても安心して野球を語れて、野球コラムを書ける場所になればと。実際、文春野球学校ではファン歴の浅い方も楽しんでくれてます。
村瀬氏:そこは僕もすごくびっくりしました。こちらで提供する講義も、凄いプロの技術の話だけがウケるわけじゃないんですよ。「教える」型のプロ講師もよいですが、「話を聞く」くらいのスタンスの講師も人気です。大事なのは教わってプロのライターを目指すよりも、居場所としての文春野球学校があって、そこで「自由に安心して表現できる」というところなのかと思います。
――:ではプロライターを目指すという気持ちがあるわけではないんですね?あくまで部活動のような。
竹田氏:もちろんプロのライターを目指す人もいます。年に一度の公募企画「文春野球フレッシュオールスター」では、予選を勝ち抜いた優秀作品がプロライターと同じ文春野球コラムの枠に掲載されます。最近のフレッシュオールスターは学校の生徒の作品が強くて、本戦出場はほとんど生徒の作品という時もありますね。
――:公開もされるんですね。まさに二軍から一軍にあがるような瞬間ですね。
竹田氏:二軍から一軍という上下関係ではなくて、アマチュア歌手がのど自慢大会に出場したら、プロの歌手よりもお客さんの胸を打ってしまった、みたいな感じでしょうか。そういうスポットライトを浴びる機会もあって、もっと本格的に書きたいという人も増えている印象です。そのため昨年から「ホームランコース」という本格的な講座も用意しました。講師とマンツーマンに近い形で企画会議、執筆、修正アドバイスまで行って、優秀作品は文春野球コラムの枠に掲載されます。ホームランコースには20名ほど応募してくれて、みなさんが仕上げた原稿はいずれもかなりレベル高かったです。
村瀬氏:通常の講座だと生徒数が多いのでなかなかコラムを添削しきることができません。「この原稿こうしたらもっとよくなるのに!」とアドバイスしきれずに歯がゆい思いをしてきたところで、このホームランコースはたっぷり生徒と向き合えるので、提供側としても本格的なコースができたことは嬉しかったです。
▲文春野球学校校長の村瀬秀信氏
■安全安心のコミュニティが新興野球ファンの表現欲に応える
――:なぜマニアが入らずに、レベル感のあったコミュニティが出来たんでしょうか。
竹田氏:入学希望の方に「トライアウト」という名の選考はしています。そこまで厳しいものではなく、野球が大好きでみんなと仲良くやってくれそう、くらいの基準ですが。
村瀬氏:はっきり決めているのは入学式でみなさんに伝える注意事項ですかね。「知識でマウントとるのはやめましょう」「みんなの原稿のいいところを見つけましょう」の2点。プロ養成学校ではないので、あくまで野球好きが交流する場であることはお伝えしています。
――:仲たがいしたり、仲裁したりといったこともありますか?
竹田氏:みなさん大人ですから、基本は生徒たちの自治に任せてます。ただサイト上で議論が生まれることはあって、運営が間に入ったこともありまして…
村瀬氏:緊急シンポジウム「セクシー問題を考える」のときですね。
竹田氏:そうそう、今年の初めごろ、野球選手に対して「セクシー」という言葉を使うことに関して、肯定派と否定派が議論になりまして。緊急シンポジウムを開いて皆で話し合うことにしました。西澤千央さんという女性ライターを招いて、活発な意見交換があり、かなり盛り上がりましたね。これは今の時代に原稿を書くとしたら、ジャンル問わず意識しなくてはいけないテーマですし、野球だって社会とつながっている。しかも我々は「文春」+「野球」なわけだから、このコミュニティでグラウンド内の話だけではなくて、社会問題まで語り合えるというのもいいなと思いました。
――:球団ファンごとに派閥ができたりとか、コラムのレベル感で差がでたりとか。
竹田氏:そういうことはあまりないですね。ちょうどよく12球団それぞれにファンがいるし、チームごとに固まっている感じでもない。やっぱり「野球が好き」で「野球を表現したい」という方が多い印象です。
村瀬氏:表現欲なんですよね。知識欲もあるけど、みなさん最終的にはおもしろい原稿を書きたいし、読んでもらいたいと。
竹田氏:あと、ファンが安心して楽しめる空間が意外と少ないとも思っています。文春野球学校の生徒でも、職場などで野球ファンであることをカミングアウトしていない人も多いみたいなんですよ。ほかに野球好きを見つけても、好きのレベルが合わないことも多い。年配の人に知識マウントされる可能性もあるし、逆に自分がマニアックすぎて引かれる可能性もある。
村瀬氏:文春野球学校では、原稿を書くこと自体はまだまだ初心者の方も、好き勝手に話をして、意見もらって、どんどん趣味の野球に没頭できる。そういうコミュニティが、日常生活のなかでは作りにくくなってきているなか、文春野球学校が代替したのかなと思います。
竹田氏:ここでは炎上しない、というのもポイントかもしれません。Twitterでもnoteでもオープンな場で原稿を書くと、いろいろな人が読むので批判されることもある。でも文春野球学校の中では、思ったことを気兼ねなく書ける。そして他の生徒さんから感想ももらえる。しかもその感想はだいたいあたたかい。自由に表現できる安全安心な場所というのがよかったのかもしれません。
――:生徒さんたちとはどういったお付き合いになるのでしょうか?
竹田氏:コロナの前は文藝春秋本社に来ていただき、講座を聞いてもらって、そのあと打ち上げでよく飲みに行ってました。今はほとんどZoomですね。ただ僕らがぼんやりしていても、生徒さんたちの間で自然発生的に部活動ができたり、みんなで野球観戦に行ってたり、生徒たちだけでも自主的に楽しんでくれています。村瀬さんも完全に最近「校長」ですもんね?
村瀬氏:教育者として生徒愛に目覚めつつあります(笑)。さきほど出した部活動もそうですが、企画も生徒たちだけでまわせるようにしています。「偏愛選手名鑑」という企画もやりました。よくある選手名鑑ではなくて、生徒たちが選手のおもしろいエピソードやマニアックなこぼれ話を集めて勝手に選手名鑑を作ってしまおうという企画です。これも生徒たちでチームを作って自主的に進めています。
▲左から村瀬秀信氏、文春オンライン編集長竹田直弘氏
■表現者をつくることが、ファンをつくること
――:こうして新たな書き手が生まれることは文藝春秋さんやひいては野球やスポーツメディアにとってもメリットがあることなのでしょうか?
村瀬氏:正直専業のライターっていまや絶滅危惧種ですからね。モノ書きだけで食べていくのは難しい時代です。
竹田氏:プロライターを目指す人は確かに減っているのかもしれませんが、書いてみたい、文章で表現したいという人はかなりいると思います。SNSやnoteなどで文字を書く機会はむしろ増えてますし、話すのは苦手でも書くことは苦じゃないという人もいる。書くことを副業にしたいと思う人も今後増えてくる気がします。
――:会社という事業体も副業を支援したり、こうした動きが活発化しているような気もします。
竹田氏:そうですね。考えてみれば文春野球学校自体もそういう位置づけです。「会社に損はさせないけど、おもしろいことやらせてもらいます」というスタンスで。「文春オンライン」というメインの事業をやりながら、副業的に楽しんでますね。
――:副業ライターならぬ、副業社員ですね。20%を業務外に費やしてもよいGoogleルールじゃないですが、そうした活動のなかに自社本業の次のタネが生まれてくるといったシナジーも期待出てきそうですね。
竹田氏:そうですね。今まで紙の本や雑誌で商売してきた出版社が、コミュニティでは何ができるか。そのモデルケースの一つになればなと思っています。「学校」と掲げてはいますが、僕ら運営と生徒のみなさんは、教える/教わるの関係性ではなくて、一緒に楽しみ方を探すような関係です。その意味では生徒のみなさんから学ぶことは本当に多いですね。本格的に書きたい人もそこまで書きたくない人も、みんながゆるく楽しめる、ちょうどよい湯加減の場所を目指したいなと思っています。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場