【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第38回 音楽は「聴く」から「使う」時代に。アーティスト個人でエンパワーメントされるストリーミング新元年
TuneCore Japan(以下 TuneCore)というサービスを知っている人は多くはないだろう。本でいえばトーハン・ニッパン、電子マンガで言えばMediaDoのようなサービスで、「DSP(SpotifyやApple Musicなどのユーザーに直接音楽を配信するDigital Service Provider)」とアーティストを直接結び付ける、デジタル音楽の「卸」サービスである。従来、音楽とはレコード店に並ぶまでに、(タレントを育成する)「事務所」と(音楽収録してレコードメーカーとなる)「音楽レーベル」を経由し、「テレビ・雑誌」などのメディアを通じて人気を確保しながら、「レコード店」に流れるまで、大変な労力と長い仲介を要してきた。だが日本で2010年代後半に始まった音楽ストリーミングの波は、個人がほとんど手数料なくDSPでビジネスを行う土壌を築き上げた。今回はその波を生み出した音楽ベンチャーWano創業者にインタビューを行った。
■世界三大大手に食い込むアーティスト個人の配信サービスTuneCore。急激なインディーブーム
――:自己紹介からお願いいたします。
Wano(ワノ)株式会社の野田威一郎(のだ いいちろう)と申します。2008年に創業して、音楽サービスのTuneCore Japanを運営しております。
――:TuneCoreは以前シンガーソングライターの山崎あおいさんの取材のときにも直接使われているという話が出てきました。ミュージシャンが事務所・レーベルの力を借りることなく、自分が権利をもつ楽曲で商売できる、新しいサービスですね。
弊社は2012年からTuneCoreを運営してきましたが、日本でストリーミングがサービスとして始まってきたのが2015~16年くらい、定額でお金を払ってサービスに加入する人数が急激に増えたのがコロナ後の2020年以降ということで、長い長い啓蒙活動の末にここ数年になってようやく目立った数字がでてきた、という感じです。
――:昔から作曲家も作詞家もシンガーも、自分たちの曲はソニーミュージックとかエイベックスなどの音楽レーベルから「メジャーデビュー」というのが王道でした。1ユーザーである僕としてはむしろそういう歌手しか見ていなかった、という経験もあります。昔はインディーズの人たちはどのようにサバイバルしてきたのですか?
もちろん昔からインディーズはありました。ライブハウスなどで演奏しながらファンを増やし、自分たちでCDを焼いて、仲良くなったレコード店舗に並べてもらったり、と地道にやってきました。でもレコード店でずらーっと何百枚のレコード・CDが並んでいるなかでただ置いてあっても、ほぼ選ばれることはないんです。
だからインディーズとはいっても、最後は「メジャー」という出口を探していて、人気が出てきたところで音楽レーベルからライブハウスなどで声をかけてもらって「メジャーデビュー」となってきたんです。当然音楽の権利は事務所やレーベルに属します。
※音楽の権利は大まかに「楽曲著作権(作曲・作詞の著作権)」と「原盤権(楽曲を録音する権利)」に分かれ、CD1枚1,000円で売った時に、楽曲6%(作詞1.4%、作曲1.4%、音楽出版社2.8%、JASRAC0.36%)と原盤権94%(事務所11.8%、レーベル52.6%、販売店28.2%)に分かれていく。アーティスト個人が作詞・作曲・出版権・原盤権(販売含)など権利を保有すればするほど高い料率で還元される
――:でもデジタルの時代でそれは変わる。「メジャーデビューしなくても人気になるインディーアーティストが生まれる時代」「アーティストが自分で権利保有できる時代」になってきたということですね。
ネットが普及してきて、2010年ごろからアプリも出てきましたし、直接アーティストがユーザーに音楽を届けられるインフラ自体は出来てきていたんです。私自身もずっとIT系の企業にいたので、ゲームもサービスも自分たちでアプリにしてユーザーと直接ビジネスをしてるのに、なぜアーティストは今も組織に所属して、自分で権利運用ができないのだろうか? という素朴な疑問があり、身近なアーティストたちにヒアリング調査して、TuneCoreのサービスに出会い、TuneCore Japanという形になりました。
――:普通にインディーズの個人がSpotifyやApple Music、Tencent MusicやAWAなどと契約して曲を載せたりできないものなのでしょうか?本来のCDショップなどフィジカルなパッケージと違って、音楽配信なら直接の契約もできちゃうのかなとも思うんですが・・・
個人では、最近はDSP側が受け付けないでしょう。事務所やインディーレーベルであればやってやれないことはないんですけど、すごい面倒なんですよ。50も100もたくさんの音楽DSPがあるなかで、それ1つ1つと自分が契約して視聴されたボリュームに応じて収益をもらうというやりとり自体が大変です。
それでTuneCoreは「収益100%還元(ユーザーの視聴量に応じたDSPの配分金はすべて権利者還元で手数料とらない)」「シンプルな料金プラン(売れる売れない関係なく曲数ベースの定額委託料)」「原盤権譲渡不要(弊社に権利は一切属さない)」という前提で「簡単・最速(登録後に最短2日で配信ストアに一括配信、PC・スマホでレポートが常に見れる)」なサービスを展開しました。料金プランは1曲1410円/年、アルバムは1枚4750円/年で委託料を頂く代わりに、我々で50以上のDSPに、185か国でほぼ全世界に展開し、視聴された回数ごとに(約0.6円/回が相場)本人に100%バックするサービスです。
――:音楽系サービスで「レベニューシェアをとらない」というのはすごいですよね。TuneCore経由で有名になったのでいうと2019年の瑛人「香水」ですよね。
2017年からサービス開始していたTikTokをきっかけに、2018~20年ごろがバイラルブームが起こってきていたんです。ストリーミングで発見されたインディーズのいい曲が、口コミでどんどん広がる。瑛人、yama、TaniYuki、BloomVaseなどは、Tiktokで聞かれ始めて、すごい勢いでシェアされていきました。
そしてコロナの影響も追い風でした。2012~20年のオリコントップ50チャート(CDパッケージ売上メイン)を以前調べたんですけど、この8年間でTopに入った400名・組のアーティストって「アイドル(ジャニーズ、坂道系)」、「LDH」、「K-POP」が95%独占しているんですよ。CDランキングはずっと同じ顔触れ。この3つ以外だとミスチルとかサザンとか米津玄師とかで18名、個人は5%にも満たないんです。オリコンチャートだけみると、過去50年以上のなかでこの2010年代って異常に「インディペンデントが既存のチャートに存在しない」時代だったんです。でもそれらに入っていないストリーミング再生数でいうと、ここ2年は爆発的に伸びています。2020年3月から、実はインディペンデントが3割シェアなんですよ。
――:(データ見ながら)これ、CDランキングと全然地違いますね!?「CD買われる」音楽と、「聞かれる」「動画で使われる」音楽は全然違う、しかもインディペンデントが2-3割って、すごい新時代感ありますね。ずっと疑問だったんですが、コロナになって香水もそうだし、YOASOBI・ヨルシカ・ずとまよなど「真夜中系」を僕も聞くようになりましたし、なぜいままでこういうアーティストが出てこなかったのか?というくらいに大きく転換しました。
2016年がSpotifyの日本サービスが始まったところで、ストリーミング自体は徐々に浸透してきていました。同時にYouTubeでも「歌ってみた」やMV(ミュージックビデオ)が見られるようになりましたよね。そこにTiktokからのバイラルブームと、2020~21年にClubhouseなどオーディオ革命もおこった。この6~7年で革命的変化が連鎖的に起こったことで、人々の音楽視聴スタイルが変わったんです。音楽は「聞かれる」だけではなく、皆が動画で何かを表現したりするときに「使われる」ものになってきたんです。その意味では、音楽業界にとってものすごいチャンスがきているとも言えます。
――:「使われる音楽」時代になってインディペンデントが活性化したんですね。下図が日本の音楽市場の推移と、TuneCore米国(日本以外の英語圏に展開)とTuneCore日本でそれぞれのアーティスト累積還元額です。日本の10年かけて2022年の268億円というのは米国の2012年時点と同額です。まだまだ、とはいえますが、パッケージが2000億円・ストリーミングがまだ744億しかない日本で年100億がTuneCoreということは・・・市場の15%がTuneCore経由ということで、なかなかのシェアですよね。
はい、まさにStreaming市場においてはTuneCoreのプレゼンスが格段にあがってきています。日本ではソニーミュージック、ユニバーサルに次いで3位、アーティスト個人が稼ぐスタイルが3位に食い込むようになっているのです。
そうした実績もあるので、各DSPやSNSとの楽曲提供契約が早くできてますし、AppleやGoogle本社とも直接交渉できる関係にあります。その分、日本のTuneCoreアーティストに還元できるサービスの幅も、金額も広がるということになります。
――:音楽業界はほぼ半世紀以上の老舗が牛耳る業界であることを考えると、ここ10年くらいの間にものすごい業界再編が起こっているんですね!しかもそれが「レーベル」ではなく「アーティスト個人が直接」というのは、Noteからなろう系からYouTubeまで「クリエイターエコノミー」と同じトレンドにありますね。
■香港育ち、中学浪人1年、飛び級1年、大学2年留年、ベンチャー入社のぶっとびキャリア
――:そもそも野田さんは、どうして音楽事業をやろうと思ったんですか?
僕は父の仕事の関係で小学校6年生から高校3年生まで香港にいたんです。ちょうど1990年代に入ったところで、イギリス領だった香港ならではの環境でMTVなどを見て育ち、ギターを中学時代に始めたのがきっかけで、そのころからずっと色々なジャンルの音楽を聞いています。1998年の慶応大学への入学にあわせて帰国し、渋谷円山町の「クラブエイジア」※でバイトを始めたことが現在の仕事に至っている最初の動機ですね。
※クラブエイジア:1996年オープンの老舗クラブ、スタンディング300人のスペースで98年に向かい側にVUENOS(ヴエノス)もオープンしている。
――:6年も海外にいらっしゃったんですね。香港だと(だいたい僕の知り合いも行ってますが)現地の日本人学校に入ったんですか?
転校が9月だったので、小学校の半年だけは日本人小学校に行きました。中学は、何もわからない中で「日本人中学校とインターナショナルスクールどっちがいい?」って親に聞かれて、何も考えずに後者を選んでしまったんです(笑)。英語もできないのに。それで英語の勉強のために「中学生浪人」にして1年半遅れて、でも算数の成績がよかったせいか中2からの編入。まわりは日本人はほとんどいない環境だったので、中学生にして突然生活が激変した感じでした。
――:いきなりのハードモードですね!中学生で浪人&飛び級って、めちゃくちゃすぎます(笑)そのまま高校卒業後は海外の大学とはならなかったんですか?
米国の美大にいきたいなと思ったんですが、経済的な理由で、日本の大学を選びました。当時はそうでもなかったですが、Chinese Internationalというのですが、今では香港では結構な進学校なので、まわりの友人はオックスフォード、ハーバード、コロンビアなど有名どころにいきましたね。
――:インターだと普通は土曜に補習校いって日本語環境に慣れたり、みたいなスタイルになると思いますが、日本語はそんなに使ってなかったんですか?
サッカーばっかりやってましたからね。途中から音楽もありましたし。遊ぶ時間しかなくて、補習校にも通っていなかったですね。かなり自由な両親だったので、、、今も日本語のレベルはちょっと自信なくなるときがあります。中学、高校は英語と、第二外国語が中国語で、日本語は家と大学に入ってからちゃんと使うようになりました。
――:かなり珍しいパターンですね!ちなみにこれは公表されているので、大丈夫な話題かと思いますが、叔父さんがあの有名な劇作家の野田秀樹さんですよね。音楽や海外の道(野田さんは1993年に独立してから英語劇に挑戦し「Newsweek:世界に挑戦する日本人20」にも選ばれている)などは野田さんの影響も大きいのでしょうか?
文化やエンターテイメントへの興味関心や、向き合い方という点では影響はあるかもしれないですね笑。彼の舞台は小学4年生くらいからずっと見ており、野外でやった公演などは2回も見て、1回は雨が降っていたのですが、多分ほぼ全員が大人のなか、僕一人小学生が雨の中見ているということもありました。今思うとそんな小学生あんまいないですよね。
――:帰国子女からの慶応大学の入学、そしてClub Asiaで働き始めるんですね。
大学に入って2年目くらいから、そのクラブでの仕事が楽しくて、学校には全然行ってなくて・・・2年留年してるんです。日吉は3回留年したら退学だったのでギリギリでした。結構自由にイベントの企画やブッキングなども任せてもらえたので、クラブで仕事することにハマっちゃってたんです。就職までずっと5年間くらい働いてました。今はなきVUENOSやGradなど他のライブハウスの立ち上げなどにも関わっています。
――:キャリアがぶっ飛びまくってますね(笑)1年中学浪人、1年中学飛び級、2年大学留年、、、行ったり来たり。
クラブで働きながら、イベントのオーガナイザーやって成功報酬もらったり、個人事業主となってイベントのフライヤーのデザイン・印刷代行みたいなことをやりはじめていて、それなりに収入も得られるようになってたんです。
クラブイベントがもっと多様で、元気な時代で、1,000人以上集まるイベントなんかも多く、とにかく、エネルギーに満ちあふれている感じを肌で感じていましたし、そこで出会った人達がみんな個性的でした。そこで、メジャーデビュー前のケツメイシ(99~00年はインディーズ、01年にトイズファクトリーからメジャーデビュー)、AI(植村愛カリーナ、2002年ユニバーサルからメジャーデビュー)など、その後国民的な人気を誇るようなアーティストのステージを見た気がします。こうやってインディーの歌手がどんどん大きいステージにあがっていくのをみて、今のTuneCoreをやりたいという動機にそのままつながっています。
――:もう半分起業しているみたいな感じですね!野田さんは自分でも演奏とかライブしたり、ミュージシャンになりたい気持ちはあったんですか?
中3くらいからギターはやっていましたが、大学のときは、もうそんなに演奏はしてなかったです。才能ある人たちに囲まれている中で、作家・演奏者としての自分、という役割は見出せなくなっていて、逆にそういった人たちを支援してビジネスをしていくということに俄然興味が強くなっていました。
――:大学卒業後に音楽レーベルではなく、ベンチャーに入られるのはなぜなのでしょうか?
実はクラブ時代(大学時代)に騙されて自分が大きな損失を被った事件があって、早くビジネスを学ばないと、と思うようになっていたんです。ZeppTokyoでの大きめのダンスイベントの印刷物を「野田君に全部のロットお願いするから」みたいな大型の依頼を受けて、張り切って何百万という身銭を先に切って、印刷物すべてフライヤーやデザインなどを持ち出しで作っていたんです。でもライブがうまくいかなかったのか、そのままお金払わずに逃げられてしまいました。300万の損失を抱えました。
――:え!300万って大学時代にはかなりの借金ですよね??いい大人が学生を騙したりするんですね。ライブが水物ってのはよく言われますけど、仕事を受注した側が先にそのリスクかぶるってなかなかヒドイ話ですね。。。
信用しすぎましたね。大学の助教授もやっているような人だったんですが、、、契約書も巻いてはいたんですけど、入出金の支払いサイトをきっちり確認すべきでしたし、今思うと自分が甘ちゃんだったんだと思います。貯めてたお金を捻出してキャッシュフローもまわらなくなって、自宅兼オフィスの家賃も払えないので、そのまま実家に帰ったり、同時期に親が倒れるわ、当たり前ですが留年するわで、、、まあ、大変な時期でした。
そんな体験をした後だったので、自分はもっとベンチャーでがっつりビジネス経験を学ばないといけないのではないか? と思い始めていて、ビジネスを勉強できるITベンチャーか、もともと好きな音楽系かで迷ってました。両方受けたのですが、最終的には縁があったアドウェイズにそのまま入社しました。
――:アドウェイズは2001年設立の広告代理店で、2006年に26歳で上場させた岡村社長は当時最年少上場企業記録でした(2011年にリブセンスの村上太一社長が25歳上場で塗り替え)。野田さん入った2004年って上場前でしたけど、ド・ベンチャーな感じですよね。
入社時は、社員2,30人くらいでしたね。岡村陽久社長は中卒(高校中退)で起業し、それを支える副社長が京都大学出身のエンジニアでその組み合わせ、というチームの面白さも含めて、何かすごい経験ができそうだとワクワクしましたね。
■創業5年目で展開したTuneCore、既存音楽市場と食い合うことのないブルーオーシャン
――:アドウェイズは2004年度の売上5億から、野田さんが退職される08年度には50億で10倍規模まで急成長していたタイミングです。どんなお仕事をされてたんですか?
当初はモバイルチームに所属し、いまでいう「成果報酬広告」の販売の手伝いをしたり、2年目には新規自社メディアを立ち上げる部署を立ち上げそこで、ガラケーの勝手サイト向けにモバイルサービスを作っていて、懸賞サイト、Flashゲームや着メロサイト、実名性のSNS(現eightのようなサービス)とかをつくっていました。2008年はもう300人くらいの大きな組織になっていて上場前2年間、上場後3年間と、貴重なタイミングで経験させてもらいました。
――:Wanoの創業のやりかたも珍しいですよね。5人で創業って、ちょっと珍しい人数だな、と。また広告代理店で独立するならわかりますけど、まったく異業種の「音楽」に挑戦するというのも、あまり経験シナジーは効いてませんよね。
業務中もスピーカー並べて音楽ばっかり聴いていた僕と、同じ趣味で共感していた当時別のIT代理店で働いていた谷本啓。あと中山さんにも以前取材いただいた田村鷹正、そこにもともとアドウェイズでシステム開発していた加藤と、僕の幼馴染でYamaha発動機で経理をしていた境も誘って、合計5人で会社をはじめました。「日本の文化を世界に」ということでWanoという会社名にしました。
――:資金調達はどうしたんですか?
外部調達してないんです。上場した企業にいたのでベンチャーキャピタルの知り合いもいましたし、調達できる環境ではあったんですが、みんな営業もできるしサービスも作れるしという最強メンバーだったので、全員が持ち寄ったお金で運営して、それぞれ仕事とってきたりしていて、2年目からはずっと黒字を続けてます。2009年ごろから人も採用するようになり、徐々に会社のサイズも大きくなっていきました。
――:それはきれいな資本構成ですね~。Wanoの初期はどんなサービスを作っていたんですか?
現EDOCODE※の前身のオンラインのモールサービスとかiphoneアプリなどの受託案件をやってましたね。初期に自社サービスとして立ち上げたものでいうと「BTN」という日本中のクラブ・ライブ情報を一覧できて自分がいくかもなどのシェアできるMixiアプリをだしていましたが、収益化難しく他SNSが台頭したこともあって、2年でクローズしてます。
「TERMINAL FM」というアーティスト個々人ごとの楽曲を月額聞き放題できる、いまでいう音楽オンラインサロンのようなサービスも作りました。ただ2014年でストリーミングが日本ではじまる前でちょっと早すぎましたね。
※EDOCODE:Wanoの展開するサービスの1つで、Webブラウザでもアプリのようにプッシュ通知ができる「Webプッシュ通知」を展開している。
――:そして2012年にTuneCore Japanを米国本社とのジョイントベンチャーで設立します。TuneCoreとの提携アイデアはどのように生まれてきたのですか?そもそも野田さんが帰国子女だったというのを差し引いても、10~20人の会社が突然ニューヨークの音楽サービスの会社と組むという発想自体が凄いですよね?
今となってはそこそこな規模の会社ですが、行ってからびっくりしたのですが2005年にできたばかりの米国TuneCoreも当時だいたい30人くらい、うちよりちょっと大きいくらいの中小企業だったんですよ。
2010年頃にWanoとしてもまた音楽関連でなにか作ろうというところから、そもそもクラブ時代からインディペンデントなアーティストを支援したいと思っていたので、身近なアーティストにヒアリングしたんです。デジタル配信したいけどどうなの?って聞かれて、それで調査してみると意外と日本では手段がなかった。それを可能にする音楽配信サービスがあったらいいよね、ということで競合を調べはじめてみると、日本にはないけどアメリカに2社ほどサービスがあると。それがTuneCoreとCD Babyです。そこで、とにかく色んな人にTuneCoreの中の人知っている?と聞きまくって、知人の紹介でTuneCoreの弁護士につないでもらって話す機会を得た感じですね。今考えると、30人しかいないし、日本では無名なサービスだったので、よく繋がれたなと思います。
――:どちらも現在のCtoCサービスでいうと代表的ですよね。どうしてTuneCoreとの提携を選択したんですか?
CD Babyはレベニューシェアモデルだったんです。年$10とかで委託料はとるんだけど、ちゃんと「手数料」で、アーティストが配信で儲かった部分の9%も持っていく。でもTuneCoreは固定委託料のみ、配信収益は100%クリエイターに還元される。
安全策としては確かに9%でもレベニューシェア型だと当てたときに大きく儲けられるんです。でも、アーティストファーストで、これから「クリエイターエコノミー」を普及させていくことを考えると、手数料をとるよりもわかりやすいほうがいいだろう、と。そこで固定額だけをもらうTuneCoreとの提携に進みました。
――:2012年当時、TuneCore米国自体は成長していたのでしょうか?
はい、サービス自体は成長していたと思います。当時の米国TuneCoreの利用アーティストで代表的なのは、ナイン・インチ・ネイルズのトレント・レズナーや、ローリングストーンズのキース・リチャーズ、ジェイ・Z ですね。レジェンダリーなアーティストが自身で権利をもつ音楽をTuneCoreに乗せ換えて配信しはじめていましたし、SXSWなどのカンファレンスではTuneCore創業者のJeffがインディペンデントアーティストの革命児的な扱いだったと聞いています。その後2017年に、CDを販売せず米国グラミーにて「最優秀新人賞」などの3部門を受賞したことで話題になった、チャンス・ザ・ラッパーなどがTuneCoreを利用して活躍するなど、常に時代の最先端なアーティストが利用しているイメージでした。
※トレント・レズナーTrent Rezner(1965~)2020年に『ロックの殿堂』入りも果たしたロックバンドNine Inch Nailsを1989年に結成
※キース・リチャーズKeith Richards(1943~)1962年にローリングストーンズにギタリストとして参加したロックミュージシャン
※ジェイ・Z Jay Z(1969~)史上最も高く評価されているラッパーの1人、総資産約10億ドルで「アメリカ音楽史上最も裕福なミュージシャン」でForbsにも掲載されたJayZことショーン・コーリー・カーターはビヨンセの夫としても有名。
※チャンス・ザ・ラッパーChance The Rapper(1993~):カニエ・ウェストに影響をうけ、2012年に制作したミックステープ『10DAY』が20万回以上ものDLがされ、個人で音楽活動を続ける。2016年に3作目『Coloring Book』は全米チャート8位、Billboard200にストリーミングのみのアルバムがランクインしたのは史上初。
――:それでジョイントベンチャーで「TuneCore Japan」を作るんですね。システムを提供してもらったりするんですか?そして黒字化するのはどのくらいかかったのでしょうか?
あっちもベンチャーだったので、結局サービス名だけのれん分けして、システムは全部こちらで作ってますね笑。そして先述のように、日本だとそもそもストリーミングの浸透が思いのほか進まず、最初の3年くらいは赤字でした。
多くの人が、ずっと言ってました。日本ではストリーミングなんて流行らないよ、と。アーティストを説得して少しずつ利用してもらって、本当に地道に地道に啓蒙活動をやっていた感じです。2015年に年間4億くらいの還元額になったタイミングで、ようやく黒字化しています。2015年は「音楽ストリーミング元年」とか言われてましたが、まだまだそんなに儲かる時代じゃなかったですね。
――:そして2018年になってから30→50→70→100とぐんぐんと年間還元額が増えていったのは先ほどのTiktokから始まるバイラルブームですね。こうやってTuneCoreが伸びてくると、実際レーベルからCD・アルバムで商売していたアーティストたちは数も収益も減ってくる状況なのでしょうか?
いや、これが面白いところで、TuneCoreがあることで他の市場を食っているというデータにはなっていませんでした。CDで買うファンはCDでさらに買っていたし、DL・ストリーミングだけで聞く人はスマホで聞くといった棲み分けがされていましたし、そもそもインディペンデントアーティストのCDは店舗に売られていなかったケースが大半ですので。これからはわからないですが、少なくともストリーミング登場当初に関しては「いままでの仕組みであれば出てこなかったアーティストたちが新しいビジネスをできている」状態だったと思います。だからTuneCoreのアーティスト還元額分だけ市場が「増えた」と言えますね。
■日本ストリーミング「新」元年、「音楽を使う」時代において権利を武器にできるアーティストが羽ばたく
――:中山はいつも音楽業界を「コンテンツ業界のカナリア」と呼んできました。蓄音機・レコード・ラジオができたときにピアノ市場が9割減になった、テレビが普及した時も、CDが普及した時も、ネットでNapstarができた時も、1年で業界がひっくりかえるような大騒ぎで「テクノロジーの影響をモロに受ける」デメリットはありますが、裏を返すと一番最初に音楽業界がテクノロジーを取り入れます。
同意です。またこれだけ個人で完結して生み出してユーザーを惹きつけられるものって少ないと思うんです。映画もゲームも集団のクリエーションですから。これだけ個人が多くの人に影響を与えられるのって、スポーツと音楽くらいなんじゃないかと思うんです。
――:でもテクノロジーに機敏であるはずの音楽が、日本だと米国に10年遅れた理由って、CDやダウンロードが強かった以外にどういったものがあるんですかね?
CD市場がうまくいっていたなど、さまざまな理由の複合だとは思いますが、育てる文化の裏返しとも言えるかもしれません。米国は事務所もエージェントとして割り切って使っていて、部分的に機能しなければ所属を変えるのも日常茶飯事。でも日本は若いアーティストをゆりかごから墓場まで面倒をみる。だからこそ、権利や収益はレーベルや事務所が管理して、個人はあまりよくわかっていないというケースが多かったのです。
――:以前ブシロードミュージック社長の森川さんが指摘されていたポイントと同じですね 。あと、これってまさにスポーツのアスリートの歴史にもいえますよね。90年代に野茂がメジャーにいったときはドラフト制も機能しておらず、そのキャリアパスがなかった。「裏切者」みたいに言われましたが、イチローそして大谷翔平時代は普通に受け入れられるオプションみたいになってますもんね。
はい、その通りで、音楽においてもアーティストが個人として権利を運用したり、「オプションになっていく」ことを我々が支援したいポイントでもあります。瑛人さんもインディーズでTuneCoreからデビューしましたけど、その後事務所に所属し、メジャーデビューしているんですよ。
――:え、そうなんですか??せっかくあんなに個人で売れたのに、その後メジャーに入ったりもするのですね。
メジャーデビューこそがゴール、という考え方は今もあります。実際に事務所、メジャーになったからこそ、2020年に紅白で歌えたとはいえるかもしれません。
ただその場合も、今までの曲をそのまま事務所やレーベルに預けてよいのか?古いものは自分の保有にしたまま、新しい曲だけはレーベルに原盤費用出してもらって預けていく、などオプションだってあります。彼の曲は全部あわせると年で数億円規模のストリーミング収益になります。それを過去の成果を全部事務所、レーベルにあずけるだけのリターンを交渉できたかどうか。我々としてはTuneCoreでの実績をもって、メジャーにいったとしてもその交渉の武器にしてほしいなという思いはありますが、まあそれでもアーティストが最終的にハッピーなれるならそれ以上には望むべくもないです。
――:ああ、TuneCoreだと100%還元だから、売れた曲がレーベル預かりになったとしても1500円/年・曲がなくなるだけですもんね。それでいうと従来のレーベル・事務所とのコンフリクトのない、相互補完的なビジネスともいえますね。実際にTuneCoreを通してどのくらいアーティストが豊かになってきたんですかね?YouTuberのDJ社長が月1千万、という発表をして驚きました。
アーティストに2021年の段階で還元したのは累計268億円、1年間で98億円。ちょっと年1億円の収入が入ったアーティストの数を数えてみました。2021年ですと10アーティスト、過去累計だと30はいますね。あくまで、我々からのデジタル配信の収益だけですからね、これにライブ、グッズなども加わるはずです。この数年で「音楽で年収1億円」というアーティストがこれだけ増えているということになります。しかも「プロの音楽家」だけでなく、YouTuberだったり、音楽を「使っている」周辺にいるアーティストたちも入ってきてるんですよね。。
――:なんと、もう10人以上の方がストリーミングからの配分だけで年収1億越えの世界なんですね。もはや億越えが数人のBリーグから30名程度いるJリーグに近づいてますね。めざすは億越え100人のプロ野球、といった感じでしょうか。それでもアーティストにとっては必ずしも幸せな環境とは言えないんでしょうか?「探されにくくなった」とも言われますし、「聞かれているわりには収入がほとんど入らない」とも。先日川本真琴さんのこのツイートも話題になりました。
川本真琴のサブスクに対するヘイトTweet(22年9月20日)
そうですね、プラットフォーム/レーベル/事務所/アーティスト(作詞・作曲・歌唱)といまだに多くのプレーヤーが関わっていますし、その役割ごとに配分も変わります。各所との契約内容や、ビジネススキームによってはアーティストが全く儲かっていないという状態もあると聞いています。
川本真琴さんの事例に自社宣伝するわけじゃないですが、計算するとストリーミング+TuneCoreでだいぶ収益は変わりますよ。1アーティストがCD3000円で売ってた時代にアーティスト還元は123円、事務所・レーベルに属したときのストリーミングが3000円(3000回くらい聞かれた前提で)だと還元は89円。確かにこれで「少なくなった」といってるのかもしれません。でも事務所・レーベルに属さない純粋な自分の曲でTuneCoreだとストリーミング3000円で還元は1,493円、遥かに大きな額になってます。
もちろんたくさんの人に聞かれないとやはり儲かるというところまではいかないというのはCD時代と同じ大前提ではありますが。
――:なるほど、レーベル・事務所・小売など全部なくなるとこんなになるんですね。今までのアーティストは権利を分割保有とか預けたりしているから僅かなシェアですが、こうやって「権利の保有」に拘れば、ストリーミング時代でも全然儲かるのですね。
この数年でユーザーは間違いなく増えましたし、正直音楽ストリーミングのみならず、Tiktokからメタバースまで今後デジタルで「音楽を使う」場面は増える一方だと思うんです。そして、使われたことによる分の楽曲報酬も、まだ少しではありますが我々は還元可能になっています。DJ社長のようにうまく仕組みに乗っかれたアーティストは、儲かるようになっていっているという事実はあります。
――:なるほど、アーティスト支援もありますが、そうやってDSP、SNSなどとの交渉、彼らの使い勝手を改善していくという役割も担っているわけですね!TuneCoreとしての今後の課題や展望はどういったところを考えてますか?
「海外」と「付加価値」ですね。先ほどの年98億といっても海外からの収益は1割ちょっとの、10億円なんです。誰もがストリーミングでアクセスできるといっても、やっぱり日本人の曲に手をつけるユーザーが少ない。また、音楽は音楽そのままだとやっぱりアニメやゲームの「一部」ですし、まだまだ儲かり方も限定的です。YOASOBIのように小説と音楽が一体化していったり、Adoとワンピースのようにミュージシャンが違う産業に入り込んでいく事例もでてきました。
アーティストが生み出した「楽曲」を軸に、関係するクリエイターや取り巻く環境(セカイ)をより深くつなぐ役割をすることで、「音楽を生み出す人々の付加価値を高める」ことになり、本当のアーティストの支援になると思っています。おかげさまで10月1日に無事に10周年を迎え、アーティストへの今までの感謝とともに、これからの我々の思いが新たなビジョン「あなたの音楽でセカイを紡ぐ」に込められております。
TuneCore Japanブランド動画
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場