【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第41回 日本最大規模の「野球からのまちづくり」:ファイターズ・ファンビジネスの軌跡
北海道日本ハムファイターズ―ファンを創り出すプロ野球球団として、このチームほどその対象にふわさしい球団はほかにないだろう。BIGBOSSこと新庄剛志は選手時代から根っからのお祭り男、ファンサービスに関しては右に出る野球選手がいないほど。「きつねダンス」はYouTubeをきっかけに爆発的に普及した球団のシンボルにもなっている。メジャーリーグに送り出したダルビッシュ有と大谷翔平はいずれもファイターズからデビューした選手たちだ。今回は2023年3月に開業する北海道ボールパークFビレッジにからみ、地域に根付いてファンを生み出すスポーツ団体の秘密について、ファイターズに取材を行った。
■2023年、「北海道ボールパークFビレッジ」を核に広大なまちづくりに乗り出すファイターズ
――:自己紹介からお願いいたします。
大澤朋陸(おおさわともたか)と申します。ファイターズスポーツ&エンターテイメント(FSE)で事業企画部の副部長をしております。現在の役割は、2023年3月に開業する北海道ボールパークFビレッジに関わる業務に携わっております。 32ヘクタール(ディズニーランドの2/3の大きさ)の土地が、老若男女様々な方々に楽しんでいただける場所になるように、スタジアムだけではなく様々な施設やサービスを創出していくことを目指しています。
――:ファイターズは現在の札幌ドームを出て、新球場を作るということが7-8年前から言われておりました。現在佳境だと思いますが、、、そもそも以前は「北海道日本ハムファイターズ(HNF)という企業だったところから、2019 年10月にFSEが切り出されているんですね。これはどういう意味があったのでしょうか?
もともとは、一つの会社だったのですが、新球場を保有・運営する会社として新会社FSEを立ち上げました。野球チームの運営に特化するHNFと、野球興行や新球場・ボールパークの開発(開業後は運営を担う)など事業に特化するFSEにわけることで、新球場・ボールパーク計画がより一層具体化し、プロジェクト推進体制ができました。
――:こちら図1はプロ野球球団の経営数字を並べたものです。この20年ほどを見てみると、如実にファイターズ(17年時点で推定売上4位)が「突出して成功してきた球団」であることが見て取れます(12年はダルビッシュ有の移籍金で売上が急増)。こうしてみると成長してきたのって「福岡ソフトバンクホークス」「横浜DeNAベイスターズ」というIT系買収チームの他ですと、「広島東洋カープ」か「北海道日本ハムファイターズ」だけなんですよね。
はい。ファイターズは2004年に北海道に本拠地を構えて以来、地域の皆様に支えていただき、成長することができました。 ただし、スタジアムと一体経営ではないということで、ビジネス面でもファンサービスという面でもジレンマはありました。
出典)伊藤歩『ドケチな広島、クレバーな日ハム、どこまでも特殊な巨人 球団経営がわかればプロ野球がわかる』(星海社、2017)
――:スポーツチームは大体「入場料収入」「放映権」「スポンサー収入」「商品化・ライセンス」が四大収益源ですが、野球の場合はそこに「(会場内での飲食など含めた)スタジアムビジネス」がからみ、球場自体の所有・営業権の関係で①「(球団が球場の運営・営業権をもつ)自前型」②「(自治体が所有し、球団は使用料を払いながらやっていく)賃貸型」、③「(球団が一部営業権をもつ)折衷型」の3パターンに分類されます。横浜DeNAベイスターズが2016から急激に売上を増やしたのも、②から③へと「スタジアムビジネス」を初めて、自球団のオリジナルビールつくったり、球場でのイベント運営や、座席や売り方など含めて、大きくこの領域に着手してきたから、と聞いてます。
<各球団の球場ビジネス・ステータス>
1 自前:読売ジャイアンツ、福岡ソフトバンクホークス、阪神タイガース、オリックスバファローズ、埼玉西武ライオンズ、中日ドラゴンズ(福岡以外は球団でなくグループ会社が球場所有)横浜DeNAベイスターズ、
2 賃貸:北海道日本ハムファイターズ、東京ヤクルトスワローズ
3 折衷:広島東洋カープ、東北楽天ゴールデンイーグルス、千葉ロッテマリーンズ
スポーツビジネスは、スタジアム自体と連携して、より心地よい観戦体験から、どんな商品・飲食を提供していくか、までファンの体験全体を設計していくべきビジネスなんです
札幌ドーム自体は日韓ワールドカップのときに、サッカーでも野球でも使える多目的スタジアムとして作られ、現在もファイターズと北海道コンサドーレ札幌(J1リーグ)の本拠地となってます。実は様々なスポーツ用に切り替えられる施設なので「コンクリートの上に人工芝」という現状です。これは野球のスパイクだと選手の体への負担が大きいんです。なんでもできるは、何かに対しては不便だったりするもので、こうした点も含めて、野球専用の球場でやりたいという気持ちはありました。
――:2007年にオリックスが「大阪ドーム」、12年にソフトバンクが「福岡ドーム」を買収など賃貸から自前化・折衷化しているのは全体のトレンドかとは思います。それでここ20年間本拠地だった札幌ドーム」(札幌駅から電車13分+徒歩10分、新千歳空港からバス45分)から、新広島市の総合運動公園(札幌駅から電車16分、新千歳空港からバス20分)へ移転が計画されたんですね。
札幌ドームは第3セクターであり、元々の経緯が多目的スタジアムです。ラグビーワールドカップや、東京オリンピックでも使われております。ですので、野球専用にするというのは、難しかったと思います。移転に際してはいくつかの候補地がありましたが、最終的には北広島市に決定しました。
――:北広島市って札幌市に隣接した人口5.8万人の小さな小さな市ですよね??(広島出身者が1884年に入植したことからこの名前)。違和感があるのは、どうして人口や集客的には不利のある北広島市の誘致にのっかったのか、という点です。
私たちは、単に球場をつくりたかったのではなく、野球に興味のない方々にも来ていただけるようなボールパークを検討しておりました。その中で、北広島市に広大な土地があったのは魅力的でした。また、地元の方々の熱意というのも大きかったと思います。市役所の方々は、新しい提案に対して、できないと即答されることがなく、いつもどうやったらできるかを考えるところからスタートしていくマインドを持っています。
――:あーそれは面白いですね。中山もカナダやシンガポール、マレーシアなど企業誘致にのっかって拠点展開した経験ありますが、結局担当者の人個人に紐づきますよね。その個人に組織の姿勢が表れるというか。同じ船に乗れるな、という感じがあったんですね。
■上場企業社長のポジションを捨てて家族総出で北海道移住。倍率1000倍の超人気ポジションに飛び込み面談。
――:今回はスポーツに携わる「ビジネスキャリア」の部分も取材したいです。中山の知る限りでは、上場企業の社長をしていた人間でスポーツクラブチームの一社員として飛び込んだ事例は大澤さん以外に知りません(大澤さんは2018年にマザーズ上場のフォトクリエイト社長から転職)。これまでのキャリアについてお聞きしたいのですが、最初の仕事から伺えますか?
1999年に大学を出て新卒で入ったのがアシックスです。実はアシックスは当時不景気で、それまでの7年間新卒は採用していませんでした。
私はスポーツのもつ魅力にポテンシャルを感じていたので、スポーツビジネスをやりたかった。でも当時スポーツでビジネスするって、あまり選択択肢がありませんでした。直接新卒を募集するようなクラブは野球でもサッカーでも極端に少なかったですし。さらに「モノづくり」にも強く興味あったので、必然的にスポーツ×モノづくりといえば(オニツカタイガーで有名な)アシックスになりました。
それで就職活動の一環で、直接電話してアプローチしました。「新卒採用ないんですか?やりませんか」と。でも電話してやりとりしているうちに、途中で今年は新卒採用を開始することが知らされ、すぐに申し込みました。結果、熱意が通じたのか採用していただき、入社しました。
――:大澤さん自身はどんなスポーツしてきたんですか?
高校まで野球部でしたが、大学から新しい競技をやりたくなり、スキー部に入りノルディック複合競技を始めました。
――:ノルディックってすごい長距離のジャンプのやつですよね。あの冬のオリンピックのアレ。めちゃくちゃ珍しいですね?
そうですね。スキーってアルペン競技とクロスカントリー競技、ジャンプ競技とあって、ジャンプを選ぶ人ってなかなかいないんです。インカレは大学対抗で、それらの種目の合計点で競います。ジャンプをやる選手がいないとそこはゼロ点になってしまいます。私の所属していた大学は当時インカレ3部で、そこの差は大きかったので、チャレンジしました。大学から競技をはじめたのですが、最終的にはキャプテンを任せていただき部員40人ほどをまとめることになりました。
就職活動でも珍しがられて、いつも面接はジャンプの話で始まって、ジャンプの話で終わりました(笑)
――:大学は学習院でしたよね。確かに東京の大学でスキー部、しかもジャンプは相当珍しい笑。あれ、北海道出身なんでしたっけ?
はい、12歳まで北海道に住んでいました。それもあって雪に慣れていたのもありましたし、自分が育った北海道にプロ野球チームが来て、そして新しい挑戦をしようとしているということが、移住につながっています。結局家族で移住しました。
――:最初の就職から次に、ベンチャーだったフォトクリエイト(インターネット写真サービス事業、2002年設立、13年マザーズ上場)に転職するんですね。
5年弱アシックスで営業をやっていました。でも7年ぶりの新卒、上の先輩はいきなり30歳前後という環境で、体育会慣習にぶつかりました(笑)。営業では、数字は残していたのですが、異動希望はなかなか聞き入れていただけませんでした。周りの先輩をみても、同じ部署での10年選手はザラだったので、自分は10年も20年もこれをやるのか…と悩んでいたところ、友人から誘われて地元のお祭りにお神輿を担ぎにいったら、まだ当時サイバーエージェントにいた白砂晃(フォトクリエイト創業者)がいたんですよ。それで会社つくったからこないかと誘われて、2003年に社員番号1番で入社します。
――:まだアイデアだけのエンジェルステージに入社はかなりリスクもありましたね。しかし「写真をネットで売る」というアイデアによく飛び込みましたね。
ネットビジネスが普及すれば、アナログな写真手渡しが全部ネットに置き換わるはずだと思いました。でも・・・若干早すぎましたね(笑)初期はホントたいへんでした。ようやく潮目が変わったのが2007年の東京マラソンで、(すでに海外ではマラソン大会でのフォトサービスが一般的だったので)米国大手を使うか、フォトクリエイトを使うかというコンペまで持っていけました。そこでオフィシャルフォトサービスでフォトクリエイトが入ったところから、伸びていきました。最初の5年くらいは赤字で、社員20人規模でしたが、そこから伸びていって2013年上場時は売上30億円、社員も100名近くまで伸びます。
――:そこで写真サービスとしてスポーツ系にもずっと関わってきてましたよね。しかし、フォトクリエイトも当時は完全にマンションオフィスでしたし、なんか大澤さん、すんごいアパート住んでましたよね?
5畳収納なし、バスタブなしシャワーのみの14m^2で月5.8万円の部屋です。新宿のオフィスの裏手にあって、本当に寝るためだけに帰るだけの部屋で、、、相当居心地がわるかったので「家にいるくらいなら会社にいこう」と思えるのがメリットでしたね(笑)。あのときから付き合っていたのが現在結婚している妻ですが、プロポーズしたときもそこに住んでいました。本当に感謝ですね。
――:何かニッチなところから入って道を切り開く、というのはずっとやられてきてますね。実は大澤さんとは以前から妻同士が友人というのもあってお付き合いさせていただきましたが、ちょうどこれからのキャリアを考えているタイミングで、突然シンガポールに休暇とって来ましたよね?
いやーありましたね(笑)。あのときはいろいろと悩んでました(笑)上場直後の2014年にフォトクリエイトの社長になって、そこからCCC(カルチュア・コンビニエンス・クラブ)グループ入りすることを決断し2016年にはTOBをして株式買い集めて非上場化、後に、同じくグループ入りする「カメラのキタムラ」との連携が進んでいきます。
創業から上場・非上場化、グループ会社の社長までひととおりやってきて。グループ経営になってからは、求められる役割が変わってきました。。。そこで大きな組織をまとめるのが得意な人に引き継いだほうがいいのではないか。自分は、新しく創り出す方がいいのではないかと考えるようになっていました。あのシンガポールへ行ったときは、まさに思考の泥沼に入っていました。その時あたりから、いろいろな人に会うことにしました。そのうちの一人がファイターズの取締役でした。
――:就職するとき「直電でこじあける」ってもはや大澤さんのお家芸ですね!あっちも驚いたんじゃないですか?上場企業社長やってた人間が突然会社にいれてくれっていうような。
私的にはやりたい仕事を探しているという普通なことなんです。フォトクリエイトでつながりのあった方に紹介してもらって会いに行きましたが、「うち、社長の募集してませんよ?」って(笑)。ふさわしいポジションも用意できないし、待遇も維持はとてもできない、とも言われました。もともと次の仕事でも社長がやりたいとかではなかったですし、会社のビジョンや、そこでなにができるかが大事だったので、最終的には役職なしで入社させていただきました。妻も小学生だった2人の子どももつれて、家族全員で北海道移住です。
――:あ、じゃあその後大々的に募集されていたボールパーク構想の募集とは違うタイミングだったんですね。あの時もものすごい応募がきましたよね?
はい、2015年にボールパーク構想はスタートしましたが、私が入社した2018年初頭はまだ移転地すら本決まりではなかった状態です。それが2018年10月に建設地としての北広島市が決定し、2019年10月にFSE設立、その後2019年末にボールパーク構想を手伝ってくれる仲間探しで大々的に中途社員を募集を開始したら、、、なんと5,000名の応募がきましたね。
そのくらい「スポーツを基軸にしたまちづくり」って魅力的なことをやらせていただいているのだと改めて引き締まりました。最終的には、そこから6名ほどが採用されました。
――:競争率1000倍!? 半端ないですね。いずれにせよ、アシックスからフォトクリエイト、フォトクリエイトからファイターズ、スポーツという軸はブラさずに、それでも前職とは全然違う角度で場所も待遇も落としてでても転身していく、毎回ポジションは公募していないところからこじあけてきたという大澤さんのキャリアは非常に面白いです。
■「業界随一の不人気球団」がセ・パあわせて満足度No.1の優良経営企業になるまで
――:ファイターズ自体の歴史も調べました。1973年の日本ハム買収から、81年リーグ優勝、88年東京ドームオープンに伴う特需で、パリーグ球団史上最高の245万という動員数が府20世紀のファイターズのピークでした。そこからはつるべ落としのように94年200万切り、99年には150万切り、順位も常に5位か6位と低迷。「業界随一の不人気球団」とも言われ、2002年は日本ハム本社自体が「牛肉偽装事件」で震撼しているタイミング、まさにどん底の状態だったここで、日韓ワールドカップが6月に終了したタイミングで「札幌ドーム」を本拠地として、拠点を東京から札幌に移すという大きな決断をします。
出典)決算公告
当時の北海道は、テレビで見られるのが巨人戦だけで、巨人ファンばかりでしたので、ファイターズは必ずしも歓迎されるという感じではなかったようです。
※『日本経済新聞 (北海道版)』 2002 年 7 月 16 日朝刊によると巨人ファンが72%のなかで、ファイターズファンはなんと0%。応援しますという声すら25%しかいないという凄惨な状態からのスタート
――:日本ハム二代目社長の大社啓二氏が業績の責任をとって専務に降格しながらも、移転した球団を率いて「ファンサービス・ファースト」を掲げます。愛される球団になるために、米国型の球団経営もわかっているヒルマン監督を就任させ、新庄剛志も招き入れました。
はい、北海道にきて最初のシーズンが2004年ですが、その後2006年に44年ぶりで悲願の日本一を果たします。
――:もはや15年前のストーリーですが、衝撃でした。04年北海道移転後、経営改革の最中でオーナー大社義規氏が05年に逝去されます。06年新庄選手も引退を発表し、まさにそのタイミングに猛攻が始まり、前年5位から突然の躍進を果たし、06年に悲願のリーグ優勝を果たします。スポーツってなんて「気持ち」に左右されるものなのだろうと改めて実感しました。そこから07年、09年、12年も優勝する常勝球団となり、このプロセスはダルビッシュ有が脚光をあびていくタイミングと重なります。ファイターズって何が強みになったんですかね?移転を機会に大きく飛躍します。
個人的な見解ですが、初期から理念・ビジョンを掲げていたことが大きかったんじゃないかと思います。企業にとっては当たり前ですけど、当時プロ野球団で企業理念を 浸透させているところなんてほとんどなかったと思います。
「Sports Community」「Challenge with Dream」「Fan Service 1st」などの理念を明確に打ち出して、ファイターズは存在意義を掲げた。単なる勝ち負けだけを追うわけではなく。
※この2005~11年のファイターズの経営改革を行った様子は藤井純一『監督・選手が変わってもなぜ強い?北海道日本ハムファイターズのチーム戦略』(2012、光文社)に詳細に記載されている。2億円以上を投じたベースボールオペレーションシステム(BOS)で選手の能力を計数化するデータ評価システム)の取り組みなど画期的であった。
――:でもそもそもこの2007年から急激に変貌していったのってなぜなんですかね?
北海道に来るタイミングで一度組織が入れ替わったというのも大きい気がします。実は今のファイターズって職員が圧倒的に若いんですよ。20~30代がメインで、47歳になる自分はかなり上のほうですね。
20年前に北海道日本ハムファイターズが誕生したとき、会社を移転させたのではなく、北海道に会社を創りました。だから職員も北海道でゼロイチで入った人間も多いですし、 北海道で土着してやっていくんだという覚悟もこの成果につながっているのではないでしょうか。
――:なるほど!部署ごとに分断しやすく、異動のすくないスポーツクラブって超属人的で組織内の政治問題生みやすいんですよね。移転が刷新のきっかけになったって、目からうろこです。SNSの展開もかなり積極的ですよね。
Twitter106万、LINE33万、Instagram29万、Facebook28万、YouTube25万、累計で220万です。規模的にはタイガースの300万、ジャイアンツの250万に次いで球界では3位につけてますね。札幌が200万人都市でしかないことを考えると、なかなかの数字ではないでしょうか。
――:ファンクラブも大きいです。この2年、試合ができなかったために減少はあったかとは思いますが、現在12万人超。
ファイターズのファンは女性が多いんです。実際に球場に来ていただいている層でも、女性割合が大きいです。 選手を甥っ子のように、「推して」、成長して育っていくところを見届けていくような雰囲気があって。他球団と比べると、そこが特徴的なところかもしれません。
――:東京だと気づかないんですが、地方だとスポーツってちゃんと放送されていて、実はファイターズは「地方メディアとのつながり」も驚異的で、試合も大半は中継されてますし、視聴率も高いですよね。
そうですね、コロナ前だと年間約100試合 放送していただいていましたし、視聴率も15%近く出ています。こういう点はローカル地域のほうがファンとの距離も近いですし、ローカルの放送局やメディアとの関係性、距離感も近いです。むしろ競合が少ない分、しっかりと組むことで大きな成果につながっていきます。
――:札幌駅のあちこちでファイターズの広告から、エキナカ放送でもしょっちゅう出てきますよね。北海道にきて驚いたんですが「地元がスポーツによって結びついている」というのはエンタメも情報も人も過剰すぎる首都圏にはない傾向だなと感じます。ただ直近ですが、『プロ野球満足度調査』などでみると、ここ5年ほどは苦しんでいる様子もみられます。
なんだかんだいっても大谷選手がいたときは、驚異的でしたよね。人気選手に依存しない体制にするために、試行錯誤しております。ただ、コロナ禍では、メインとなるお客様を集めることができず、苦労しましたが、そんな中でも応援してくださるお客様には、救われました。
■BIGBOSSときつねダンスによる球団人気の活性化、地方こそスポーツが一大エンタメになる
――:ここ数年コロナもあり球団の調子も悪い中で、2022年に突然のブームがきた「きつねダンス」はすごかったですね。今回私もちょうどノルウェーから原曲「The FOX」を歌っているYlvisが来日したタイミングでみさせていただきました。全球場で300人の“フォックスガール"、圧巻でした。この動画ももう300万再生!
きつねダンスは、社員からの提案で始まりました。こういったボトムアップで盛り上がりをつくっていけるというのが、会社の強みですね。
――:でも「祭り」って何が大事かって、何をするかじゃなくて、誰とするかなんですよね。もともとファン度が濃かったファイターズファンがどんどん真似するようになって、、、僕が感動したのは、小学生の女の子がスッと立ち上がってきつねダンスを皆の前で踊りまくっいる。周囲の数百人がそれをみて、すんごい盛り上がっていたんです。
リアルだからこそ、できる一体感ってありますよね。やっとWITHコロナになってきて、日常がもどってきました。来年の開幕戦ですが、実は全球団一斉スタートではなく、ファイターズの試合だけ1日早く開催します。他11球団の理解があって実現しました。
▲3.5万人の会場中に「キョッキョッキョッキョキョー!」ときつねの叫びがこだました9月19日
――:おお、そうなんですね!リーグ全体が見守るような特別な行事という位置づけなんですね。そもそもスタジアム建設ってでも日本中でいろいろ計画はされているものなんじゃないですか?
サッカーやバスケなども含めて、2025年までに90件弱あると言われています。計画段階のものも含めると。とはいえ、日本の建設計画って基本的には小さなサイズが多くて、これだけあっても大型案件は少ないんです。誇張なしに、ここまでの規模のスタジアム、そして周辺も合わせたボールパーク開発は他にはないと思います。
――:ディズニーランドの2/3スペースですもんね!いままでなかった規模の都市開発なんですね。
壮大なチャレンジです。米国の球場なども見てまわって、色々なものを参考にしながら、それでもこの球場ならではのアイデアは自分たちでゼロイチで考えるしかありません。これがうまくいくかどうかで、今後のスポーツビジネスのあり方も変わるんじゃないか、という覚悟で私たちは企画してきました。
野球観戦のお客さんだけではなく、他の目的で来ていただけるお客さんを増やして、クロスさせていく。遊びのスペシャリストであるボーネルンドさんが日本最大級の屋内屋外あそび場をつくったり、クボタさんが最先端の農業学習施設をつくったり、ヤッホーブルーイングさんがセンターバックスクリーンのところにクラフトビールの醸造レストランをつくったり、米国自転車ブランドのスペシャライズドさんがブランド直営店としてはアジア初のエクスペリエンスセンターをつくったりと。他にもレジデンスや認定こども園もあります。まさに街です。多くのパートナーさんと一緒につくっていっており、今や9割超できています。
――:今回の試合でも感じました。どんなに盛り上がっていても2~4時間の試合って子供付きだとずっと座ってられませんよね? 娘さんのトイレタイムにつきあって、階段際で座り込んでモニターで試合をみるパパたちをたくさん見かけました。
いろいろな楽しみ方があっていいと思います。ずっと野球を見たい人もいるし、レストランでの食事がメインの人、サウナがメインの人、多種多様な方々が楽しめるサービスを提供していきます。野球に興味のある方だけではなく、野球に興味がない方々のファンを増やすことも視野にいれながら、様々なコミュニティづくりができる場所にしていきたいと思っております。
――:コロナ過もありましたし、直近の物価高騰・資源高など様々な困難はあったかと思います。それでも、そうしたなかで2023年開設を実現できたこと、これからインバウンドが3年前のようにどんどん入ってくる、そして2030年の札幌オリンピックとなれば、ここがターニングポイントになるのではないかと期待できますね。
ありがとうございます。私も期待してます(笑) 年間200万人のお客様に来ていただいていたファイターズを軸に、北海道の持つポテンシャルを掛け算して、この北海道ボールパークFビレッジが北海道のシンボルになって、ここをハブにして全道各地を活性化できるように、様々な仕掛けをしていきたいと思います。そのためには、多くの方々の協力が必要だと思っております。 ぜひ、一緒に何かやりたい、こういうのができないかなどありましたらお声がけください。私たちだけではなく、みなさんと一緒につくっていくものだと思っております。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場