【中央アジア特集】ユーラシア大陸のど真ん中で“世界最後の空白地帯"だったウズベキスタン。日本人がこの国を深く理解しておくべき理由

中山淳雄 エンタメ社会学者&Re entertainment社長
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今回は2025年9月にビジネスモデル学会の仕事の一環で中央アジアのウズベキスタンを訪れた際の出張記録である。そこは「エンタメ未開の地」であったといってもいい。中心都市のなかで3件ショッピングモールをハシゴしてようやくみつけた小さな簡易ポップアップ店舗にはナナメにたてかけられた『原神』やLabubuのフィギュアが並び、欧州経由でロシア語の商品くらいしか入っていない。大半が海賊版で出来の悪いフィギュアが1~2万円の価格帯(現地の感覚だと4~5万円)で売られ、店員すらいない。それでもディズニーや中国POPMARTの製品は正規品が流通しており、ロシア語圏における日本のエンタメ商品がいかにプレゼンスが低いかを痛感する。中国EVがガンガンに走っており、松下・ソニー・トヨタ・ホンダといった日本を代表するプロダクトは現地でなかなか触れる機会が少ない。しかし海賊版が並ぶ商品棚の多くは「日本アニメ」であり、熱心に日本語を学ぶ学生たちが熱狂していたのは「(海賊版で視聴する)NARUTOやONEPIECE」だった。

 

■2017年に「開かれた」ばかりのウズベキスタン、Nextロシアで集まる注目

中央アジアは日本にとって久しく「異界」だった。旧ソ連の一部であったこの地域が、ウズベキスタン(以後ウズベク)・カザフスタン・タジキスタン・トルクメニスタン・キルギスという5か国に分離したのが1991年(スタンは「~の国」という意味)。経済でも観光でもよく出てくるのがカザフとウズベクだが、この2か国は資源国のカザフ(人口2000万、GDP3000億ドル、一人当たりGDP1.5万ドル)と非資源国のウズベク(人口3600万、GDP1100億ドル、一人当たりGDP0.3万ドル)でくっきりと分かれている。ウズベクの主要産品である金、銅、綿、化石燃料などの輸出相手はロシア、中国、トルコなど。日本からみると自動車や繊維機械などを輸出する年660億円という金額は小さなものだし、ウズベクから輸入する野菜や肥料の27億円は本当にごくわずか。

経済のみならず、そもそも関わりのある日本人の数自体も相当に少ない。ウズベクの在留邦人はたったの160人程度、中央アジア5か国全部でも500人足らずという在住者の数は「ラオス」1か国の580人にも満たない。ウズベクにとっても、ここ数年シルクロードの要所としての歴史も手伝って年1000万人以上もの人が訪れるようになった“観光大国"でありながら、半分以上は中央アジア内の観光客。ロシアで70万人、トルコ・中国・インドなどの周辺大国からも年6~10万人、といったなかで日本人でいうと2万人強と全体の3%にも満たない 。 

▲街中にはこのような建築物がいくつも立ち並ぶ。サマルカンドは中央アジアの「京都」のような存在 

▲「青の都」の象徴でもあるレギスタン(砂の場所)広場。15~17世紀にアジア中の一級建築士たちが集めれて建てられた建築物。左が最も古く1417~20年にティムール朝4代目ウルグ・ベクによって建築された建物。ティムール(1336~1405)は唯一の「中央アジア人による中央アジア王朝」を建て、現在もチンギス・ハーン級の英雄(彼自身がチンギスハーンを再現しようとした) 

▲インドでムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンはティムールの6~7代目の直系子孫。中央アジアから追われてインドでムガール朝がたちあがり、その建築手法ごと流入して1632~1653年でタージ・マハルが完成している

 

だがウズベクはたったこの数年の間に「一大観光立国」として注目されるようになったのもまた事実。1991年の建国だが、2016年までは年100~200万人で推移していたところ、2017~19年に急増して700万人、コロナ明けの2021~23年であっというまに1000万人を超えるようになった。急転の理由は2016年に就任した“2代目"大統領のシャフカト・ミルジヨエフ氏だ。1991~2016年と長い間就任してきた前大統領イスラム・カリモフ氏(1938-2016)の後継者となってから、外資誘致とWTO加入、オープンな観光施策などで国を開きはじめた。「まだ開国後10年経っていない」といえば、逆にそのポテンシャルは計り知れない。

経済的にも観光的にも先行していたカザフに対して、2017~19年で観光に開かれるようになったウズベク・タジキスタン・キルギス(トルクメニスタンは現在も政府公認ツアーでないと観光できない状態)。これらの変わり始めていた中央アジアというエリアが「一気に国際的に注目された」のは、2022年のロシアのウクライナ侵攻が大きく関係している。経済制裁も含めてロシアへの資源依存を分散すべく、米国・中国・欧州・アジア各国にとってその近接地帯である中央アジア・東欧(これは以前にポーランド特集した東欧も同様である)への注目が集まり始めたのだ 。

 

■テック人材への投資も始まったばかり。エンタメ未開の地

食はおいしく、安全で、人も親切、そして歴史的建造物が豊富。図1でみるように、この数年のウズベクの観光地としてのプレゼンスはうなぎ上りだ。次にくるのは「経済」だろう。ウズベクが今後力をいれようとしているのがIT、いわゆるSTEM人材である。人口3800万人の6割が30歳未満という若い労働人口を武器として、いかにそこから海外でも稼げる人材を育成していくかに政策資源をかき集め、「ITPark」への投資は賃料を1年間無料にしたうえで、所得税も30→7.5%に減税、住民税も5%まで減税、それ以外はすべてが無税と太っ腹な政策を掲げたのが2019年。誘致を受けて(中小企業が中心だが)外資企業は14社(2020)→529社(2024H1)と増加中、彼らの本国業務に雇用されることでウズベクのSTEM人材を育成する目論見だ。すでに日本企業でも21社参画で100名ほどの雇用を生んでいる。国としてはIT・テック領域の輸出額を1.7億ドル(約250億円、2020)→9億ドル(約1300億円、2024)と伸ばし、これを50億ドル(2030)まで成長させようとしている。

▲サマルカンドのITPark、外資10社で140人が入居しており、2024年には1千万ドルの輸出額になったセンター

 

▲NECの欧州・ロシア駐在員などを経て、その通信・放送インフラ知見を買われてデジタル技術省大臣顧問に就任した桜井明博氏からのプレゼン

 

それでもITエンジニアはインド(493万人)、米国(454万)、中国(350万)、日本(144万)、ロシア(108万)と各国大量の高度人材を養成しており、その日本からしても150万人規模を擁するベトナムが主要なアウトソーシング先。まだまだそこまでの競争力を生むには相当な時間と投資を擁するだろう。(個人的には過ごしやすいウズベクにロシアのエンジニアが流れ込む動きは勝機ありとも感じた)。外資の誘致に必要なのはとにかく「語学」。現状でもロシア語700万人、英語500万人、トルコ語100万人、ドイツ語&スペイン語55万人ずつ、アラビア語10万人などさすがの中継国でバイリンガル・トリリンガルの数は多い。

だが一方でSierなどのIT・テクノロジー教育は一定の「鋳型」があっても、実際に映画・アニメ・ゲームのようなクリエイティブ職になると一段その難易度はあがる。IT Investment Center にミニゲームを開発するゲーム会社があったが欧州企業の受託型、まだ国産のヒットゲームは出てきていない。アニメの協会設立の動きもあるが、最大手でも10名所帯でまだまだ「制作で稼ぐ」という状態にはない。国産の映画プロジェクトは政府をあげて推進されており、2024年に年54作の国産映画を目標とし、そのうち18本を国際合作映画として作っていくことが期待されている。その一例でもあるウズベキスタン×日本合作映画「草原の英雄ジャロロフ ~東京への道~(原題:Yengilmas Tokioga yo'l)」が完成している。まだ単館映画で興行収入としてめぼしい数字がでる種類のものではないが、ボクシングをテーマに作られた秀作である。

▲典型的なウズベキスタンの土産屋。伝統工芸品が中心で、アニメ・ゲーム等の影はない

 

生産者としてのクリエイティブは時間がかかるが、消費者としてのリテラシーはうなぎ上りだ。40年前に「おしん」がヒットして以来ドラマ・映画が入ってくることはほとんどないが、『NARUTO』、『ONE PIECE』、『ドラゴンボール』、『進撃の巨人』、『セーラームーン』はロシア語放送版で視聴しており、ファンの熱量は他国とそん色がない。『ドラえもん』は2000年代に放送で入ってきており、実は国営放送もされた『アンパンマン』が人気だったという声すらあった。

▲海賊版アニメサイト9Anime、多くの学生はこれが最新日本アニメの視聴インフラになっている

 

『呪術廻戦』『ダンダダン』など最近のアニメも十分に視聴されている。だが若者が視聴するのはまだ高額のNetflixよりもYouTubeや9Anime(海賊版サイト)で広告をみながらの無料視聴が中心だ。まだ自覚もない学生が「僕はONE PIECEの字幕を入れるバイトをしているんです!」と誇らしげに報告してきたが、それがこの海賊版サイトだったりする。国産OTTのClick TVは月額2万スム(260円)で比較的廉価だが、アニメ作品がそろっていないという。

配信以外でのコンテンツへのアクセスは悪い。「映画鑑賞」はいまだ“大人の娯楽"で恋人同士ではいくが、家族で視聴する習慣もないし、安心して連れていける映画は少ない。グッズもさんざん探し回って街の最大手デパートの露店コーナーでようやく専門店を1店舗みつけられるレベル。並んでいるのはほとんどが「フィギュア」で、単価は2000~3000円(現地の感覚でいえば1万円近い)。裕福な子供たちが買い集める。当然ながら「公式」なんてものはなく、中国製で不出来なクオリティのものが出回っている。

マンガ本もほとんど見当たらず、基本は英語版(英国)やロシア語版が流れてきた商品であり、直接的に中央アジアの問屋や小売とメーカーがつながっている、ということでもなさそうだ。ニーズがあるのは確かだが、価格もアクセシビリティも含めて、20年前の東南アジアといった感覚だ。

それでも2020年代コロナ禍のなかで動画配信が中央アジアにも日本アニメを広げたことは確かだし、Z世代・α世代でアニメから始まった日本への興味も強い。政府が「ウズベキスタンでもアニメやゲームを」と鼻息荒く主張する背景もわからなくはない。いまだ経済の6割を国営企業が支える部分など、社会主義の残り香が色濃いこの地域で、日本はロシア・インド・中国などの大国市場のすそ野としての中央アジアにどう取り組むべきなのだろうか。

▲サマルカンド唯一の“日本アニメショップ"といわれるNishiyaki、「鬼滅の刃」や「NARUTO」もあるが、ほぼ中国か欧米を通じて流通してくる商品ばかり

▲一番の売れ筋はLabubu、フィギュアも『原神』など中国キャラのほうが多いくらい。台座がとれていたり、原作からかけはなれた手描きの表情・頭身で質が低い完全な海賊版。並行輸入品すら少ない市場

 

▲進撃・・・の?9~12.5万スム(1200~1500円)で現地からすると3-4千円の感覚で手が出しにくい

▲子供向けグッズはDisney、サンリオ、ちいかわなど版権系3割とふわっと名前のないかわいい動物キャラ7割といった印象

▲普通の路面書店で唯一見つけた日本著書は『世界から猫が消えたなら』(川村元気、2013)、『彼女と彼女の猫』(新海誠、2016)。ともにロシア語版

▲日本マンガコーナー。まとめ読みできるようロシア語・英語の重装版が並んでいる(約3千円価格帯)

▲コスプレは世界を一つにする。ウズベキスタンでもNARUTOのコスプレーヤーが存在する。Japan Digital Universityの学生が満面の笑みで見せてくれた

▲タシケントのショッピングモールではクオリティ高めのフィギュア。Sanrioや「呪術廻船」「鬼滅の刃」など。ほぼ海賊版だが欧州経由で流れている正規品もあった。30~100万スム(4000~1.2万円)とかなり高額。

▲ルフィと・・・ゾロ?。130万スム(1.7万円)

▲マンガ本は基本的にロシア語のみ。

▲日本的な化粧品コラボパッケージ。「Future is now(未来は今だ)」

▲斬新な陳列棚。サンリオのリップクリームも置かれている(箱は半壊)。これでもサマルカンドの高級ショッピングモール。

▲2020年に(株)デジタル・ナレッジ社が設立したウズベキスタンの日本式私立大学(場所は無償だが運営費は同社が100%持ち出し)。4年で250~300万円の学費は現地相場の2倍だがそれでも現在750名が熱心に日本語を学ぶ

▲Japan Digital Univeristyの部活「魁!男の南部塾」 

 

■7~10世紀の黄金時代。シルクロード要衝地として中国・トルコ・インド・イスラムに囲まれて。

ウズベクを本当に理解しようとすれば、その長い長い「歴史」を振り返ることは避けられないだろう。ここは東は中国、西は欧州、南はインド・イランに、西はトルコ・アフリカまで、すべて大国に囲まれたユーラシア大陸の「へそ」である。実は絹の取引がされる「シルクロード」の7~10世紀ごろの時代よりもはるか昔、BC3500年ごろから楼蘭(現:新疆ウイグル自治区チャルクリク)が存在し、美しい石としての「玉」が中国に流され、宝石としてのラピスラズリが西に流されるウルやルクソール(エジプト)などに交易される中継地点として活況を呈してきたエリアだ。ウズベクを代表する「サマルカンド」もまたその一つで、この都市は常に大国に囲まれるという地形的“脆弱性"ゆえに、それがアドバンテージとなってその盟主を入れ替えながらも交易の中心だった。

ソグド人が紀元前6世紀から長らく支配してきたが、紀元前3世紀にギリシャのアレキサンダー大王が到達し、その支配はヘレニズム人傘下へと入れ替わる。紀元後3世紀以降はイラン系クシャーナ朝、遊牧国家エフタル、イスラム系サーマーン朝、トルコ系カラハン朝などが入れ替わり立ち代わり、イスラム教の興りとともに安定するイスラム世界は唐と結びついて「7~8世紀のシルクロードは、比類ない繁栄を示した」と語られる。

このシルクロードが停滞を見せるのが13世紀のチンギス・ハンの時代、「チンギス・ハンは破壊し、ティムールは建設した」という諺が示すとおり、サマルカンドやブハラなどはモンゴル勢によって破壊された。だがチンギス・ハンもなにも支配者の享楽として徒らに破壊をしたわけではない。彼自身はサマルカンドを冬の別荘地と見立て、インドやロシア、ヨーロッパを制圧する戦略地点としており、この地を愛していた逸話なども残っている。それよりも7~13世紀の間にイスラム商人たちの利権で凝り固まったコンスタンティノープル→ホルムズ→カシュガル→敦煌→上都(北京)にいたる「砂漠の道(シルクロード)」を解体する必要があり、むしろ(現在はロシアである)自分たちが新たに構築できるタラス→カラコルムに至る「草原の道」を優先するために、こうした交易ルートの変革を図った戦略的な破壊でもあった、と言われる。

モンゴル帝国こそは駅伝制(ジャム)による移動の高速化と安全な東西交易路をつくり、ユーラシアを初めて大々的に東西につなげた帝国であり(同時にペストなどの伝染病が興り、14世紀に黒死病で当時人口の三分の一が死亡するような大惨事も引き起こした)、陸を通じた交易は最後の爛熟期といえるのが13~15世紀だろう。現在、ウズベクには日本人は100人程度だが、実は「高麗人」といわれる朝鮮半島からの移民は50万人に及ぶ。唐の時代からユーラシアはつながっており、現在も中国・韓国のゆかりの人々は日本人にくらべると桁の違う人口が存在している。

近年モンゴルや中央アジア諸国に投資する日系企業も多く、その主要な理由は「ロシア・中国・朝鮮半島に挟まれた地政学的重要性」を挙げる。日本は地理的文化的にかなり独自の“孤立した国"でもある(サミュエル・ハンチントンが第八の文明として称するくらい)。こうした地政学には極めて疎い国民性だが、1000年前から韓国や中国から中央アジアに

 

■「砂漠の道」の終わり。大航海時代で地政学的優位性を失ったウズベキスタン

前述のとおり、ウズベクの英雄といえばティムールである。ティムール帝国(1370~1868)は唯一「中央アジア人による中央アジアの支配」できた黄金時代である。ティムールは直接血のつながりはないものの、バラバラになった帝国の権威を継承し、自分こそがチンギス・ハンの意志をつぐものと明言していた。遊牧民の軍事力とオアシス民の経済力をかけあわせ、西はオスマントルコ、東は明朝の中国にも迫り、彼が早逝していなければ「いまは中国ではウズベキスタン語が話されていたはず」と言われるほどに当時は軍事の天才であり(ティムールは1405年に明朝への遠征中に没した)、帝国は栄華の極みにあった。「青の都」と言われるように、鮮やかなタイル装飾と100メートルを超える巨大なドーム建築はペルシャ・トルコからインドに至るまで多くの技術者をウズベクに集めて当代随一の最高建築を作り上げた。

ウズベクでは救世主といわれるティムールも、インドから見れば真逆だ。インド遠征でデリー・スルタン朝を制圧したときにはヒンドゥー寺院を破壊・略奪し、インド側では「破壊者」とされている。こうしてみると英雄の評価というのはあくまで一地点・一文化の視点にすぎない。現代に残る近世最高建築として、またインドを代表する「タージ・マハル」は、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンによるものだが、彼こそはティムールの玄孫として中央アジアからインドにうつり、覇権を握るとともに技術移転・技術進化をした結果でもある。まさかインドの最高峰建築が、中央アジアを出自とするものであることは私自身もあまりに似通っていて驚いた。

シルクロードが衰退していくのは複合的な要因だ。モンゴル帝国分裂で陸の交易路が安全ではなくなった(マルコ・ポーロはまさにこの最後の時期にヴェネチアから北京まで踏破)、15~16世紀にティムール朝が分裂して不安定になった、オスマン帝国が「シルクロードの出口」であるコンスタンティノープルを支配することになった、などあるが一番にはポルトガル・スペインを中心に海洋交易が中心となり、「陸の道」よりもホルムズ→ゴア→マラッカ→泉州を使った「海の道」が優先されるようになったことだろう。

そこから1991年まではソビエト連邦の一部としてあったウズベクが、2代目大統領の指揮下で再び世界に開かれるようになっていった2017年以降の動きは前述のとおりである。

  

■世界地図上の最大の大空白地帯、21世紀のユーラシアを占う、日本人が知っておくべき場所

ティムール帝国の終焉は1868年にロシアの南下が原因だ。英国にとられまいとした競争から始まった侵攻だが、この19世紀後半に“未開の中央アジア"として忘れ去られた地域が再び注目を浴びはじめる。「世界地図上の最後の大空白地帯」と言われた中央アジア・新疆ウイグル自治区・チベットといった地域はロシア・ドイツ・イギリス、いずれに属すべきかの覇を競いあいの場となり、各国が探検隊を送って“学術的な"分析が行われるようになった。

その一人がスウェーデンのスウェン・ヘディン(1865-1952)であり、彼がタクラマカン砂漠を横断したり、過去のシルクロードの軌跡を分析する様はまるで19世紀末に「大航海時代」が返り咲いたかのようだった。欧州人にとっては13世紀のマルコ・ポーロ以来、はじめて中央アジアが調査対象になったのだ。スウェンが「楼蘭」を“発見"した1901年、『史記』にも記されてはいたが、誰もシルクロードをつないだ古代より続くオアシス都市の存在を信じてはいなかった。「ヒマラヤ山脈」もまたスウェンの手によって“発見"されている。

世界大戦が繰り広げられる20世紀、地理学は国家間の闘争と深く強く結びついていた。歴史と地理的な接続性を主張することは、自国の国益にも直結していたし、海の時代に全世界に植民地をはりめぐらせていた大英帝国に続き、新興国のドイツやロシア、スウェーデンといった国々はいかに自国と結びつく橋頭保を中央アジアにも築いていくかは国家的課題であった。

ウズベクの歴史を知るにつけ、地政学的な「島国の絶対優位性」を実感せざるをえない。日本もイギリスも、さらに言えばアメリカも“島国"であり、気候条件的にロシア、高い山に囲まれた地理条件的にインドといった国も、常に他国からの侵入を拒む要衝としての特性があった。そうした国は独自の言語、民族、文化の体系を備え、またそれをインキュベートする余裕をもってきた。ウズベクを含めた中央アジア諸国はその点では真逆だ。

私自身にとってウズベキスタンは「日本人が学んだ世界史」においてアフリカや南米などと並んで「大空白地帯の一部」であった。隣接しないがゆえに、またロシア/中東/トルコ/中国/インドの中間地帯という遠い話であったがゆえに、ほとんどその実態を知ることはなかった。だがここは韓国や東南アジアにとっては重要な地政学的立地にあり、特に中国が経済的にも政治的にも深く結びつこうとしている点などもほとんど新しく目利きし、学びになることばかりであった。戦時中にはシベリア抑留のなかでウズベキスタンに送られた日本人が存在し、彼らが作ったナヴォイ劇場のような現地を象徴する建築物を残し尊敬も受けており、客死した日本人が手厚く埋葬されていた事実を一切知らなかったことなどに恥ずかしさも覚えた。

▲シベリア抑留の日本人730人が関与して1947年が完成させたナヴォイ劇場。1966年のタシュケント地震で7.8万棟の建物が倒壊するなかで無傷だったおの建物は日本人の技術とプライドを証明する建物となり、いまもウズベキスタンと日本をつなぐ架け橋のような存在

▲タシケントの「日本人抑留者資料館」、1991年にソ連からの独立を機に当時ナヴォイ劇場の日本人に感銘を受けたジャリル・スルタノフ氏が私財を投じて1998年に作られた。手前はジャリル氏の孫娘リソラットさん、日本語で解説してくれる。

▲約60万人の日本人がソ連で捕虜となり、ソ連領の各地に送られた。1945年この地に降り立った日本人たち

▲引き揚げ船で日本の舞鶴に戻った抑留者たち。シベリアの抑留者死亡率は4割と言われるが、このウズベキスタンでは2%と多くの人が生き残り、日本に戻った。温暖な気候とウズベキスタン人のあたたかな対応で救われた抑留者も多かったのではないか。

▲1008名が故郷の桜をみることなく、この地で亡くなっている。その墓を現在も墓守が掃除をし続けてくれている。

 

中央アジアは“日本人の地政学に対する鈍感さ"を象徴する場所であり、今ロシアの新しい動きに世界的情勢が大きく動いており、東欧、中東、中央アジア、インド、モンゴル、朝鮮半島などその隣接地域の相対的重要性があがってきている中で、ぜひとも我々自身も自覚的に理解しにいくべきエリアである、ということを実感した旅であった。

会社情報

会社名
Re entertainment
設立
2021年7月
代表者
中山淳雄
直近業績
エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
上場区分
未上場
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