【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」第58回_クラシック音楽のブルーオーシャン戦略:もしテレビマンとMBA教授が本気でマーケティングやったら①~前編:テレビマン指揮者編~
クラシック音楽は、能・狂言・歌舞伎・邦楽・落語といった伝統芸能にも近く、「公演フォーマット」が厳密に守られるジャンルである。約2時間、今まで何万回と繰り返されるモーツアルトやベートーベンといった大作曲家の曲を、70-80人もの大人数で弾きこなし、"音色"や“解釈の違い"を楽しんでもらう。だがそれを聞き分け、楽しむことができる観客もまた限られる。50歳以上の中高年で50%以上を占めると言われるこの伝統芸能ジャンルにおいて、シルク・ドゥ・ソレイユやボディビルダー、YouTuberらとコラボをする異色の管弦楽団がある。そしてそれを率いるのは“兼業指揮者"で日テレに勤務する鯵坂氏と、プロデューサーを行うのは早稲田ビジネススクール教授の川上智子氏。今回この2者が、いかにしてこの伝統芸能に革新をもたらそうとしているかについてインタビューを行った。
【目次】
■目指すはクラシック音楽のブルーオーシャン戦略。サントリーホールで“筋肉演出"
■音楽の神童「一人舞台」時代から、日テレ報道局でオウム事件に巻き込まれ・・・
■35歳で返り咲いた「指揮者の夢」、報道で培われたリサーチ×ゴリ押し力でロシア留学
■桐朋学園で学び直した指揮学、エール管弦楽団の結成と「座席を埋める」ために早稲田に飛び込み営業
■“色モノ"企画に団員激怒。9割が辞め、80人をサシ面談で1人ずつ口説く。指揮者は起業家の如く。
■邪道だからこそ辿り着いた夢のまた夢。サントリーホールで1000人の前で振った指揮の重み
■目指すはクラシック音楽のブルーオーシャン戦略。サントリーホールで“筋肉演出"
――:自己紹介からお願いいたします。
鯵坂圭司と申します。現在日テレで働きながら、エール管弦楽団というオーケストラを率いて、コンダクター(指揮者)をしております。
――:「MBA生徒がマーケティングで参画するクラシックコンサート」という新しいビジネスモデルがある、と早稲田大学の川上教授にお誘い受けて、この3月5日にサントリーホールでの「新感覚コンサート」拝見しました!『筋肉協奏曲』って・・・いや素直に驚きました。
はい、ありがとうございます。ご覧頂いたように「筋肉協奏曲」という曲が存在するのではなく、「筋肉をテーマにクラシック音楽と"協奏した"コンサート」なんです。シルク・ドゥ・ソレイユのパフォーマーに筋肉紳士集団、タヒチアンダンスのマノヒバ・ジャパンと117万人登録のトレーニング系YouTuberオガトレさんなど、かなりバラエティ豊かな方々にも参加頂いて、ちょっと驚かれたかと思います。
――:はい、公演中にクラシックをバックミュージックにこれだけ「観る」に特化した演目って初めての経験で、途中でYouTuberと体を動かす実践コーナーなんかもあって、よくぞまあサントリーホールのような大舞台でこんなアクロバティックな構想が実現したなと驚きました。
クラシックの世界ではかなり権威ある場所ですからね。ホールにも企画の趣旨をご理解いただけたのだと思います。エール管弦楽団は2015年に結成以来では8回目、2018年に早稲田MBAクラスと一緒にオーケストラを展開するというのは2018年からなので、こういった斬新な企画によるコンサートは今回で6回目となりました。毎回コンセプトが違うんですよ。
▲筋肉紳士集団オールアウト登場時のワンシーン
<エール管弦楽団×早稲田大学ビジネススクールの取り組み>
第一回(2018):リラクシーモ@ミューザ川崎―五感とデジタル掛け軸(プロジェクションマッピング)
第二回(2019):クロスロード@東京オペラシティ―空手とSONY Motion sonic
第三回(2020):エールマジック@第一生命ホール―マジックとAIと新体感ライブ
第四回(2021):宙シドエール@第一生命ホール―宇宙と謎解き、コシノジュンコ衣装
第五回(2022):旅するエール@ミューザ川崎―海洋資源保護と阿波踊り
第六回(2023):筋肉協奏曲@サントリーホール―筋肉
――:マジック、宇宙、阿波踊りときて、今回が「筋肉」というわけだったんですね。
第3・4回がコロナで人数も企画も制限されてしまいましたからね。今回は私個人としては念願のサントリーホールでの指揮ということでかなり緊張していましたが、ハコのサイズとして2000席の過去最大の場所で、結果的には集客もうまくいって万々歳でした。
――:実は中山も高校時代にオーケストラでバイオリンをやっていたんです。でもクラシックって「選曲も100~200年前のもの」「演奏の仕方から演者の入りまで全てフォーマット化」されている“超保守的"な業界の印象でした。演奏内容以外はあまりに代わり映えしませんし・・・という中でこんな斬新な企画を、なぜやっているのですか?
オーケストラのコンサートは「フォーマット」がしっかりあってその分だけ新規のユーザーにはとても敷居が高いと思われがちです。今のクラシックのお客様は「中高年の方々」が中心です。また「業界内で互いに演奏会に行き合う」ケースも多いのが実情です。
――:「手売り」ですよね。ボクシングや格闘技などでも小さい団体は当然のような仕組みですが、やっぱりビジネスとして成り立たないのもありますけど、「お客さんを増やす」ことができないという点で、演者としてはかなりつらいものがありますよね。
クラシック音楽の対象客って1000人いたら1人、ぐらいの感覚です。でも僕は999の今までクラシックを聴いたことのないような若い人や子供にこそクラシックを聴いてほしかったんですよ。それで早稲田の川上教授って「ブルーオーシャン理論」で有名な先生ですし、じゃあ“クラシック音楽のブルーオーシャンを作りましょう"と一緒にプロジェクトをやらせていただくことになりました。
出典)コンサートプロモーターズ協会「ライブ市場調査」より
――:確かにこうして調べてみると、クラシック音楽はコンサート市場の1%、しかも「国産」が多い他のジャンルに比べると「海外からくるクラシックコンサート楽団」が3~5割を占めることもあり、日本では30~50万人しかファンが存在しない、という世界になりますね。ポップスやロックの百分の一という世界です。またほかのポップス系に比べるとライブの演出など工夫がない分だけ、この2010年代の成長期も増え方は限定的でした。
早稲田MBAとの共同プロジェクトになることで、毎回とんでもない“お題"が来るんですよ。それこそ「筋肉」とクラシックって、一度も発想したことのないような話でした。
実際あれだけの子供がきていて、皆で一緒に体操しながらクラシックを聴くって凄いことだと思ってます。
――:やっぱり、これだけ工夫をこらしてやる価値はあるのでしょうか?客層の変化とか。
明確にあります。今回SS席1万円なんですけど、正直僕の短い音楽キャリアの中ですが、チケットショップ経由で「SS席、あと2枚です」みたいな売れ行きだったことって一度もないんです。早稲田MBAと一緒にやって阿波踊りから空手から筋肉までやるようになって、明確にユーザー層が変わってきた実感はあります。
■音楽の神童「一人舞台」時代から、日テレ報道局でオウム事件に巻き込まれ・・・
――:鯵坂さんと音楽とのつながりはいつごろから始まるのでしょうか?あと指揮者も昔からされてたんですか?
3歳からピアノを始めて、小学校・中学校はピアノに加えてフルートを演奏しておりました。高校は合唱部です。指揮自体は中学のときもやってましたし、高校では部長だったのでいわゆる学生指揮者として自分も歌うし、指揮もやる、という感じです。
他のみなさんもそうだと思うですが、指揮者って学校だと音楽が一番上手い人が見よう見まねでやることが多いんですよ。だけど、本当は指揮者は楽器を続けてその先にポジションがあるわけです。
――:映画の演出・監督、ゲームのディレクターに近いですよね。各セクションで成長していった先に、キャリアのゴールとして指揮者がある、と。ずっと音楽系の部活で最先端にいらっしゃった感じですか?
学生時代は、もう音楽の授業や部活で「鯵坂一人舞台」みたいな感じでしたよ笑。音楽は自分のフィールドだみたいなところがあって。
――:それは相当練習もしていたんですよね?
1日7時間くらいは普通に練習してましたからね。「いい加減に勉強しろ!」と言われるくらいで、親からは「音大はダメだからね」と言われてました。
――:大学は早稲田に入られるんですね。
高校まではずっと鹿児島で、大学が早稲田大学の法学部です。親に止められなかったら音大を考えていたかもしれません。でも、指揮者って、そう簡単になれるものではない。あのまま普通に音大を受験していても、指揮者には絶対なれなかったと思います。
大学時代は栗友会という全国トップクラスの社会人合唱団に入っていて、そこまでは音楽を続けていました。ただ就職で日本テレビに入った段階で、クラシック音楽のキャリアはいったん終わっています。
――:逆にそれが音楽を続けてきた人たちの「普通のキャリア」ですよね。市民オーケストラなどでちょっとだけ続ける人なんかもいますけど。
学生だから音楽を続けられたんですよね。もう仕事が始まってしまうと、一切そんな時間が無くなってしまって。日テレの報道局というところからスタートしたので、若い頃は寝る間も惜しんで働いていました。ほとんどプライベートもなくて、土日も働くことは多かったです。もちろん今の日本テレビはそんなことはないと思いますけど(笑)
――:報道ではどんなお仕事を?
実は、新入社員の1995年ある事件に巻き込まれたんですよ。ちょうど築地で銀行の取材で道行く人を捕まえての取材だったんですが、地下鉄の出口あたりでなんだかバタバタと人が倒れているんです。いつのまにか20~30人という人が折り重なっていて、え、ええ?これ何?何なの??ともうパニック状態でした。会社に連絡すると、いきなり電話で生中継をしろと言われて。
――:え、何なんですか?それ。何が起こってたんですか?
僕も全く情報がないんです。なんだか爆発が起きたかどうか、みたいな。そんな中、いきなり『それでは今現場の報道記者とつながってます。鯵坂さん、どうぞ!』と。え、これ今生中継でつながってるの!?となって。それが新人1年目のデビュー戦でした。
――:そんな感じでいきなりつながれちゃうんですね!?でもそれ、何が起こってるか鯵坂さんも全くわかってないんですよね?
報道は現場にいる人が集めた情報や感じたことが一番大事なんです。まず自分の見える範囲の情報を集めてとにかくレポートする。それで1回目終わると、「5分後、もう一回やって!」って言われて中継終了。その間にまわりに聞き込んで、何があったか情報を集める。それでテレビを音声で聞いてたら途中で「サリンです!サリンです!」と。
――:ニュースもニュースで知るんですね!
ホント偶然居合わせました。その日はそのまま1日14~15回くらい中継しました。
――:大変な仕事ですね・・・
でも、常に情報の最前線にいられることはとても学びの多い日々でした。日本で初めての脳死移植、日本で初めてのBSE(狂牛病)東日本大震災、新型コロナ・・・番組の演出も経験しましたが、多くの人に受け入れられる「見せ方」を学んだことは後に指揮者やクラシカエールでの活動に大いに活かされました。
■35歳で返り咲いた「指揮者の夢」、報道で培われたリサーチ×ゴリ押し力でロシア留学
――:10年以上日テレで報道記者として怒涛の日々を過ごされました。いつごろ再び「指揮者」という選択肢がでてくるのですか?
30代半ばに入ってちょっと時間ができたタイミングに、ふと色々考えちゃったんですよ。「そういえば、俺、指揮者になりたかったなあ・・・」と。それで指揮者になるにはどうすればいいか、というのを探し始めて、ロシアのサンクトペテルブルグで3週間指揮の勉強ができるマスタークラスがある、と聞いて。
――:ええ!いきなりロシアって、、、ロシア語はできたんですか?
いえ、全く話せなかったです。ただ、テレビの仕事をやっていると「リサーチ力」と「ゴリ押し力」が異常に伸びるんですよ笑
――:分かります笑。ただ30歳半ばって、もうご結婚されて、お子さんもいらっしゃる時期ですよね?よく「突然の狂い咲き」みたいな状態に奥様が協力してくれましたね?
実は、運悪くそこが子供の小学校入学式と重なってしまって。でも「今行かないと一生いけないから!」と、そこは留学を優先させました。今でも家族には「あの時入学式出なかったよね」と言われます(苦笑)
――:いきなりのロシアへの指揮者留学。不安はなかったんですか?
その当時はスコア(楽譜)も読めるし、四拍子も振れるし、いけるぞと、根拠のない自信があって笑。
しかし、・・・実際にオーケストラの前で振ってみると、オーケストラがまったく動かないんですよ。音がバラバラで全然合わない。最後までぐっちゃぐちゃで、もう演者からはバカにされまくって、最後トランペットが「ぴろりろぴろりろ」とかいって茶化したり。根拠ない自信は粉々に打ち砕かれて、自分は指揮者としては全く何もわかってなかったし、何もできなかった。死ぬほど恥ずかしかったです。
――:ああーーそれは非常に分かります。僕も最初のMBA留学は、自分だけが英語話せなくて、自己紹介の最中にも泣きそうな状態になっちゃって・・・。
そうそう、まさにそんな感じの状態です笑。指揮クラスの6-7人は皆20代くらいの若手ばかり。そこに1人だけ40近いおじさんが、しかも一番指揮が下手という。失意のなかでマックでご飯食べてると、横の20歳そこそこのイタリア人に元気づけられるんですよ、「鯵坂、テクニックなんて関係ないよ!要は気持ちだから・・・」とか。もう1人にしておいてくれーー!って感じですよ。
――:いやー共感しかない!自己嫌悪でどんどん自分の殻に閉じこもりますよね。でもそんな経験をすると、普通に失望して指揮者はやめよう、とならなかったんですか?
トレーニングの最後に、マスタークラスで修了コンサートの機会があるんですよ。さすが音楽の街ですよね。短期留学の学生でも指揮をふる機会を与えられて、実際観客も700~800人くらい集まるんですよ。
オーケストラはプロでしたから、指揮者を見なくても勝手に素晴らしい演奏してくれるんです。そうして指揮を振り終わったあとに、ものすごい喝采がきたんです。「ブラボー!」とかいって。
――:補欠選手がワールドカップで端っこのポジションで最後だけ登場して、しかも勝っちゃうみたいな感じですかね笑
本当に複雑な気持ちでした。屈辱的でその場から離れたい自分と、同時に素晴らしい音楽に対して拍手をいただいたうれしさと。で、最後にサインまで求められたんです。50―60人の人たちから。
――:サイン!それは凄いですね。それなりにうまく振れてたんですか?
全然笑。当時のサンクトペテルブルクには、街をあげて音楽家を応援しようという空気があって、どの人にも「将来マエストロになるかもしれない」という期待を込めてサインをもらってくれたんだと思います。
――:そうやって才能が育っていくんですね。勘違いも含めて、ロシアがなぜ音楽大国なのか、分かったような気がします。
■桐朋学園で学び直した指揮学、エール管弦楽団の結成と「座席を埋める」ために早稲田に飛び込み営業
――:帰国してからも音楽活動は続けるんですか?
はい、そこでイチからちゃんと指揮を学ぼうと思って、桐朋学園大学で社会人が学べる指揮のコースに入って、黒岩英臣先生に4年間師事します。仕事はもう普通に戻っていたので徹夜明けの日にそのまま学校で授業を受けたりしたこともありました。とにかく時間を捻出して、勉強勉強勉強という感じでした。
――:なかなかハードな道ですね。テレビ局員でMBAダブルスクールされている方も大変苦労されてました。
はい、大変でしたね。同時に、指揮者を学ぶっていっても、なかなかオーケストラ自体を振る機会って多くないんですよ。練習のために毎回80人集まってもらうわけにいきませんからね。ピアノ2台に対して指揮をふるのが普段の練習なんですけど「どうしてもオーケストラでレッスンを受けたい」というのがあって。それで、学生時代の仲間に協力してもらって、レッスンのために1日だけのオーケストラを作りました。それが後にエール管弦楽団につながるんですよ。
――:どのようにつながるんですか?
大学には4年間通ったんですが、その後もっと学びの場所が必要だと感じて、それで楽団を立ち上げました。
――:すごいゴリ押し力とリーダーシップですね。実際に40近くの指揮者のために、50人以上の演者が集まってくれるわけですもんね。
本当によく集まってくれたと思います。とても感謝しています。
――:それでエールは結成しますけど、どうやって早稲田とのつながりができたんですか?
エールでやりはじめてから、大学時代に所属していた栗友会から誘いがきたんですよ。「お前まだ音楽やってたの!?今度NHK交響楽団と一緒にマーラーやるから歌いにこないか?」って。それで歌ってみたら、僕がいた頃よりも合唱団はさらにパワーアップしていました。指揮者としていつかこの合唱団と共演してみたいなと、公演が終わった後に、栗友会に手紙を出したんです。いつか僕は栗友会とベートーベン第九をやってみたいです、って。
※栗友会:合唱指揮者の栗山文昭が音楽監督を務める、5つの混声合唱団、6つの女声合唱団、2つの男声合唱団より構成される合唱団。1993年出場した7団体すべてが全国大会で金賞受賞というほど日本でもトップクラスの合唱団でカーネギーホールなどでも実績をもつ。
――:そしたら?
そしたらOKだって。すぐやりましょうとなりまして笑。いきなりのOKでびっくりしました。と同時に困りました。今までの演奏会は500席くらいの会場でやっていたんですが小さな会場だと合唱団は入らない。彼らとやれる場所は・・・と探していたら、ミューザ川崎(約2,000席)がとれちゃったんです。でも今度は、ええーーーそんな大きい所、お客様が埋まりっこないよ!と。友人に相談していたら、「大学に相談してみろよ」とアドバイスをもらって、で、早稲田に電話してみました。
――:なるほど!そこでつながるわけですよね。そうはいっても鯵坂さん、もう卒業して20年以上たってますよね?
はい、卒業してからすでに何十万人の卒業生がいるでしょうから、そのなかの一人が突然電話かけてきても困惑しますよね(笑)でも、そこは何とかごり押しして、紹介されたのが「商学部のビジネススクールにブルーオーシャンの研究している川上先生がいるから、企画書書いてみたら?」と。
――:相手にしてくれただけ奇跡ですね笑。卒業生っていってもそもそも法学部出身で商学部卒業生ですらないですし笑。
本当におっしゃる通りです笑。でも企画書かいて持っていったら、川上先生も「お手伝いしましょう」といってくれて、それで2018年の初回公演になんとかこぎつけた形です。
■“色モノ"企画に団員激怒。9割が辞め、80人をサシ面談で1人ずつ口説く。指揮者は起業家の如く。
――:個人的には「クラシック演奏者」って自分の音楽にプライドもある方々ですし、こういった企画を受け入れるには色々な対立があったんじゃないかと思います。
2018年から色んな企画をやり始めるんですが、一度早稲田の学生たちと演者で飲み会しよう、となったんです。でも80人いるのに、奏者側の参加者はたったの2人だけ。しかも川上教授の目の前に座って、「私たち、こんなことやっていただかなくても、十分にやっていけるんですけど」と直言したんです。場が凍りました。。。
――:ひええ!!MBA教授で結構偉い人ですけど、よく言いましたね、ソレ!じゃあオケ側も納得しての動きではなかったんですね。
音楽で勝負してきた奏者にとって、そう思うのは当然かもしれませんし、今考えると、その気持ちもよくわかります。「邪道」に頼らなくても、自分たちが誇りをもって今まで技術磨いてきて、それを聴いてもらいたいという気持ち。ただ、当時の僕にはそうした声を受け止める度量もなかったです。当時の団員で今残っている団員はほとんどいません。
――:結局納得は得られなかったんですね。
その公演後、楽団に残った奏者は1割もいなかったと思います。これじゃマズいと。で、2年目一度全部やり直すことにしたんです。
――:やり直す、というのは?
団員80人全員と直接会って話しました。1人2~3時間かけて。僕がなぜ音楽をやり、指揮者を志したのか、ロシア留学のこととか、1対999の話とか、どうして早稲田MBAとやろうと思ったのか、など。その思いに共感してくれる人だけを集めようと思って。技術も大事だけどクラシカエールを成功させるためには、同じ志に共感してくれる人でオーケストラを構成することが必要だと思ったんです。
――:これ、会社作りと全く同じです。優秀な人間をとるのではなく、DNAに共感できる人間をとるべき、というのはよく言われます。
そうしていくうちに、団員の定着率が確実に上がっていきました。楽団でともにするのはリハーサルから本番まで5日ほど。もちろん学校の卒業などもあって自然と2-3割は入れ替わるんですけど。今年の団員も7割ぐらいは2022年の時のままなんです。
――:9割辞めた初年度とはえらい違いですね。でもこれって5日間でチーム組んでプログラムつくるハッカソンとかに似てますね。プロ同士で技量があえばあとは「目的と文化」だけですよね。
今ももちろん色々課題はありますよ。楽団の運営だけでなく、僕の能力についても疑問視する声もあると思います。でも、そんな時に、コンサートミストレスの橋森ゆう希さんが全員に団結を呼びかけるラインを送って頂いたりして。何より皆、音楽が大好きで、色んな人にクラシック音楽を楽しんでもらいたいと心から思っている。だから、最後のゴールに向けてぐぐっとまとまっていき、一気に演奏のクオリティが上がっていくんです。
――:指揮者も究極の監督業ですね。中野雄『指揮者の役割』2011新潮社によると、指揮者に必要なのは「強烈な集団統率力」「継続的な学習能力」「巧みな経営能力」「天職と人生に対する執念」の4つだと。これ、指揮者じゃなくて、経営者でもプロデューサーでも成り立つ話です。
僕の場合は音大の指揮科を卒業したわけでもありません。それに普段仕事が中心にまわっている限り、勉強時間に限りもあります。だからオケの現場ではプロの奏者や仲間の団員の意見を大切にしています、同時に、テレビ屋として、どうしたら多くのお客様が喜ぶか、必死で考えます。
■邪道だからこそ辿り着いた夢のまた夢。サントリーホールで1000人の前で振った指揮の重み
――:今回は最初の60分が第一部で「筋肉」のアーティストたちとの共演、第二部でブラームスの交響曲第一番を弾きとおしました。後半は普通かな?と思ってたら、楽章ごとに指揮者の鯵坂さんが、司会者で日テレアナウンサーのラルフ鈴木さんと掛け合いしながら曲の解説。アンコールで行ったり来たりするプロセスも仰々しさがなしで、ほぼ走って移動で「素人目には余計にみえるプロセスを短縮化」させたり、結構後半もずいぶんいじっていたな、と。
序曲10分、協奏曲30分、そこに交響曲50分、通常のクラシックの一般的な“フォーマット"でも今までその“フォーマット"はある一定の層にしか届かなかったのも現実です。音大を卒業しても音楽を職業にするのは難しいし、職業にできたとしても、豊かな生活を送れる収入を得られる人は本当に限られています。
確かにスポーツも野球・サッカーは例外としても、ほぼ「その夢の先」が見れないです。同期で日本一にうまかったあいつが、30目前でJ2で当確ギリギリでなんとかサッカーは続けているみたいな状態が普通ですもんね。
だから産業として違うやり方をして、999の「ファンじゃない層」を取り込んで、なんとかこの状況を変えられないかと。奏者は本当に素晴らしい演奏をしますし、クラシック音楽は何百年と受け継がれるほどすばらしい文化です。一度ライブに足を運んでいただければ、きっと好きになってくれると信じています。
――:こういうエールのような取り組みをしているオケって他にもあるんでしょうか?
あまり聞かないですね笑。ただクラシカエールの事例は成功も失敗も含めて、他の団体でも賛同してもらえるところあれば取り入れてほしいし、何よりもっと子供にクラシックに触れてほしいんです。
ヨーロッパでは小学校の初めての芸術鑑賞で、まず超一流を体感してもらうと聞いたことがあります。そこで心を掴めば一生顧客になってくれる、と。ロシア留学でもそうでしたけど、観客を育てる文化はとても大事だと思います。
――:鯵坂さんはもし音大に行っていたら、サントリーホールの舞台に指揮者として立てていたと思いますか?
僕だけの力では絶対に立てていないと思います。川上先生との奇跡的な出会いがなければあり得ません。本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
――:会社としてはどういうスタンスなんですか?
ありがたいことに背中を押してもらってます。サントリーホールでの公演には会社や所属していた日テレ経済部からお花もいただきましたし、同僚も何十人もきてくれました。
――:今後、鯵坂さんとしての目標はあるのでしょうか?
来年は、僕の故郷の鹿児島で開催することになりました。まずは、鹿児島を音楽の力で元気にしたいと、思っています。
会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場