これまで過去7回にわたってインド特集を行ってきた。第1~4回は2025年5月のインド政府がバックアップしたWavesでの出来事をサマリーし、第5~7回は2025年9月のMMAJ(Mela! Mela! Anime Japan)を中心に日本アニメの展開をレポートしてきた。エンタメ業界でも「2025年はインドの年」というほどに、多くの耳目を集めてきた同国だが、結論から言えば「まだまだこれから」である。だが、実はこの「まだまだこれから」というセリフは10年前からすでに語られ続けていた。今回はその10年前からインド市場に取り組み続けている平澤直氏(アーチ株式会社代表取締役・創業者)と三原龍太郎氏(慶應義塾大学経済学部准教授)にお話を伺う。配信インフラが整う以前のケーブルテレビの時代から日本アニメがインドに展開されてきた歴史的経緯を振り返り、我々が今現在この新興市場に取り組むことの意味をいま一度見直したい。
■2013~14年から取り組まれていた日本アニメのインド展開
――:自己紹介をお願いします。
平澤:平澤直(ひらさわ なお)と申します。アニメの企画・プロデュース会社のアーチ株式会社を創業し、現在はそこの代表取締役です。またそのほか、アニメ制作スタジオのグラフィニカやYAMATOWORKS、ゆめ太カンパニーなどの役員をつとめております
三原:文化人類学者の三原龍太郎(みはら りょうたろう)です。今は慶應義塾大学経済学部で教員をしております。研究分野はアニメを中心とした創造産業の海外展開で、現在は日本とアジア地域との間のアニメ作品の国際共同製作の現場をフィールドワークしております。アーチ株式会社の国際事業顧問もやらせていただいております。
――:前回こちらの記事 で私が書いた「日本アニメのインド展開は実質2019年9月の『天気の子』に始まった、と言ってよい」という記述をきっかけに三原さんからお声かけてもらいました。
三原:これからお話しする通り、平澤さんや私は2014年頃から日本アニメのインド展開に取り組んでおり、私自身もその当時から関連する記事や論文を書いていました。またそのときの経験から、2014年よりもさらに前の時代から日本アニメのインド展開に挑戦していた先駆者の方々がいらっしゃることも知っていたので、中山さんの「2019年から始まった」という趣旨の記述を拝読したときに、それらの取り組みが「なかったことにされちゃった!」と思ってしまいました(笑)。
もちろん何をもって「初」とするかは基準によりますし、『天気の子』を「実質初」とすることも不可能ではないのかもしれません。ただ、現在のアニメのインド展開を語るときに、平澤さんをはじめとしたその道の「先人」たちの経験や知見をきちんと踏まえないままそうしてしまうと、アニメのインド展開を今後効果的に進めていくうえでもいろいろと大事な点を見落としてしまうのではないかという危惧を覚えたのも事実です。そのような問題意識から、今回こうした場を設けていただきました。ありがとうございます。
――:今日は2010年代とそれ以前からの日本アニメのインド展開の歴史的経緯をお伺いしたいと思います。インタビューに先立っていくつか資料もいただきました。
三原:私が関わっていた当時の空気感でいうと、2014年に親ビジネスのナレンドラ・モディ氏がインドの首相になって積極的に外資誘致活動を開始したのが大きかったように思います。それと呼応するようにして日本でもインドビジネスブームのようなものが盛り上がったことを覚えています。モディ首相は就任後間もなく来日して日本企業向けのビジネスセミナーで演説もしており、私もそれに出席して彼のスピーチを聞きました。ただ当時は製造業やITなどが議論の中心で、アニメをはじめとしたエンタメはほとんど話題に上りませんでした。中山さんのレポートによるとWAVESはモディ首相のイニシアチブで開催されたイベントだったとのことですが、2014年当時の空気感を知る人間からするとある意味で隔世の感がありますね。
――:いただいた資料などをもとに中山が改めて調べみた限りという限定付きではありますが、インドにおける日本アニメ展開の時系列は下記のような形となるのかなと思います。
<2000年代以前>
(1)1993年:『ラーマーヤナ ラーマ王子伝説』ヒンドゥー教の二大叙事詩のひとつである「ラーマーヤナ」を日本アニメのルックで劇場アニメ化した日印国際共同製作作品(135分)。元NHKの酒向雄豪氏が企画し、製作費としておよそ8億円が投じられた。インド側監督として「インドアニメーションの父」と呼ばれるラーム・モハン氏を迎え、また日本側監督としては元トップクラフト(『風の谷のナウシカ』の制作スタジオ)の佐々木皓一氏を起用した。
(2)2005年:テレビ朝日がTVアニメ『ドラえもん』をケーブルチャンネルHungamaで放送開始。『クレヨンしんちゃん』『忍者ハットリくん』などもその後展開される。
<2010年代>
(3)2012年12月~2013年6月:『スーラジ ザ・ライジングスター』全26話のTVアニメ作品。『巨人の星』の野球をクリケットに変えてインド向けに翻案した。ケーブルチャンネルColoursで放送。アニメーションはトムス・エンターテインメントとハイデラバードに本拠を置くインドのアニメスタジオであるDQ Entertainmentが共同で制作した。
(4)2012年10月~2013年3月:「ジャパコン・キッズTV事業」BSフジと電通が中心となり、クール・ジャパン戦略推進事業の支援を受けつつ日本アニメのインド展開の可能性を模索した。DisneyやCartoon Network India(CNI)で『ハクション大魔王』『パブ―&モジーズ』『琉神マブヤー』などの番組を放送しながら、Hamleysなど現地マーチャンダイジング商流とも連携して放送と商品を連動させる展開を実証実験。
(5)2013年4月:『バトゥ外伝』CNIで放送されたクリケットと神話をモチーフにしたアニメ作品(73分)。京都の自動車ITS事業ゼロ・サム社が、十文字、レベル10、ポリゴンマジック、サンクスラボ等と共同で制作した。主題歌にはJAM Projectを起用。
(6)2014年7~11月:『スシニンジャ』アニメの企画・プロデュース会社であるジェンコが手がけたCGアニメーション作品。インドやマレーシア等でのマーチャンダイジング展開を模索。
(7)2014年10月~2018年頃:国際ベンチャー企業のJIスタイル社がアニメグッズの卸業をインドで展開。インドでは Anime Pop Mall(APM)のブランドでフィギュアなどのアニメ関連グッズを現地で展開した。
――:(3)の『スーラジ』についてはこれを中心になって推進された講談社の古賀氏と先日対談してきました 。古賀氏自身がこのときの経験を書籍化 もされていますよね。三原さんはこの中ではどれに関わられていたのでしょうか?またその当時、各プレイヤー間の関係性はどのような感じでしたか?
三原:私自身が一番がっつりフィールドワークさせていただいたのは(7)のJIスタイルですね。当時私はオックスフォード大学の博士課程の大学院生だったのですが、そこでの研究の一環として調査させていただきました。JIスタイルは起業家の安部啓史氏が立ち上げられた事業なのですが、私は彼がこの事業を立ち上げたほぼその瞬間から2015年の半ばくらいまで彼と一緒に日本とインドを行ったり来たりしていました。そして私がこの事業に関わるきっかけを作っていただいたのが本日ご一緒している平澤さんでした。また同時期には(3)の『スーラジ』についてももう一人の立役者である博報堂の宇都宮毅氏の実務経験 に詳しく接する機会をいただきました。古賀氏には私も当時インタビューをしましたね。JIスタイルについてはNewsPicksで連載記事 を書かせていただいたり、『デジタルコンテンツ白書2015』 に寄稿させていただいたりしました。さらに(6)の『スシニンジャ』についても同じNewsPicks連載の中でジェンコの真木太郎氏に対するインタビュー記事 を書かせていただきました。
――:こうしてみると三原さんは2010年代のインド展開の動きのほとんどに関わってますね?
当時はあまり意識していませんでしたが、いま振り返ってみるとそういうことになるのかも知れないですね。最近は(1)の『ラーマーヤナ』に携わられた関係者の方々を取材する研究プロジェクトに従事しており、その一環として今年3月の新潟国際アニメーション映画祭で佐々木皓一監督と一緒にトークイベント をやらせていただきました。またその取材の成果を『アニメと場所の社会学』という本 に寄稿いたしました。
私がアニメのインド展開に本格的に関わるようになったのは2010年代からですが、そのときにはすでに『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』、『忍者ハットリくん』のインドでの知名度は圧倒的でした。いわば(2)のテレビ朝日さんの先駆的な取り組みが2010年代の各種取り組みの下地となっていたと言うこともできるかと思います。2010年代の(3)から(7)はほぼ同時期に進行していたので、やはりこの時期にはアニメに関してもある種の「インドブーム」のようなものがあったのかも知れないと今になって思います。
――:この多くのプロジェクトはそれぞれに“一緒に"やっている感があるものだったのですか?
三原:当時はプロジェクト間の横の連携があったという印象はあまりなく、それぞれが個別にインド市場に取り組んでいた感じでした。先ほど2010年代の知見が現在に継承されていないと申し上げましたが、2010年代当時の同時代プロジェクト間の知見の共有もあまりなされていなかったと言えるのかもしれません。新興市場は先行者利益が大きいので、競合と協調するというインセンティブがあまり働かなかったということなんでしょうか…?
中山さんの各種レポートを拝読して興味深かったのは「日本アニメにとってインド市場はまだまだこれから」という趣旨のことを述べられていたことです。実は私がアニメのインド展開に関わっていた2010年代当時も同じように「まだまだこれから」と言われていました。つまりインド市場は当時から今まで10年もの間ずっと「来るぞ」「来るぞ」と言われて続けていたわけですが、一体いつ本当に「来る」のかと(笑)。インドという新興市場について、日本で「時期尚早」というテーゼが10年間継続しているという現象は興味深いなあと思いました。

▲左から三原龍太郎氏、平澤直氏(当時のインドでの苦労を思い出しているところ)
■2013年インドアニメイベントでの散々な体験から始まった
――:(7)のJIスタイルに三原さんが関わるきっかけにもなったのがアーチの平澤さんなんですよね。
平澤:2013年、私がプロダクションIG時代にホームページ経由でコンタクトがあったんです。「インドにアニメイベント(AnimeCon India2013)があるので来てくれませんか?」と。それが、AnimeConを現地で取り仕切るインド人のN氏でした。あとから知ったら現地のコミュニティでも「ある意味」有名な方で、なかなか苦労しましたが・・・笑。ゲストとしてクリエイターを送ってほしいということだったんですが、なかなか行ける人がいない。途中で話が変わってプロデューサーでもいいということだったので、お前がいってみるか?となったのが最初でした。
――:お一人で行かれたんですか!?新興国のアニメイベントって危うい感じですよね…
平澤:IGからも、そしてイベントとしても、日本人ゲストは私一人でした。トータルで数千人しかこないようなイベントでしたし。おっしゃるとおり、最初から最後まで本当に大変でした。まず「空港の迎え」です。夜中に空港についていたんですが約束された場所に誰もいない。それまでコンタクトとっていた担当者に連絡するも、電話も通じない。警察になんとか聞いて安全そうなタクシーを捕まえ、「お、おれは空手やってるんだ。黒帯なんだぞ」とイキって威嚇しながら、ほうほうのていでホテルに着きます。そしてホテルの予約もない、と笑。
――:それは僕も一回ありましたね笑。その間、Organizerからは連絡はなかったんですか?ゲキオコ案件ですよね。
平澤:ゼロです。幸い空きがあって自分でお金出したら泊まれました。朝起きるとスタッフがホテルに来ているぞと言われ、「君のためにホテルとっているから、そっちに移ってくれ」と。ついていくと2泊目からはグレードの低いホテルに。こちらとのやりとりをしたメールは一体なんだったのか。
もうインドでの初アニメイベントという時点で、私は「なにがあっても怒らない」と決めていた旅でした。覚悟はしていたんですが…まあ想像を上回りましたね。
――:2013年10月ということで、ちょうど『進撃の巨人』1期(2013年4~9月)で世界的に配信で広がっていた最中じゃないですか?
平澤:そうです、そうです。IGとしては『進撃の巨人』がまさに海外で大ブームになっていくタイミングでした。私の登壇では担当作品である『翠星のガルガンティア』(2013年4-6月)の話がメインでしたが。イベントは映画学校を借り切った“学園祭的"なイベントだったのですが、呼ばれていたパネル登壇の段になります。日本語通訳をつけるから、といっていたはずが、通訳が日本語を話せませんでした。そして、対談相手の学校長が来ませんでした。その対談相手って、開催場所である映画学校の校長なんですよ!?
――:いやーそれは想像を上回りますね笑。
平澤:それで適当に「インドのアニメの未来」みたいな話をしました。肝心の通訳も、そこに別のゲストでよばれていたRyan Holmberg氏が手塚治研究で有名なアメリカ人で、彼が見るに見かねて通訳を引き受けてくれたんです。その後も突然コスプレ大会の審査員を頼まれたり(『進撃の巨人』のコスプレが流行ってました!)、まあ色々と印象深い思いはしましたが、N氏は「来年はもっと大きなイベントにするぞ」と息巻いてましたね。
――:『スーラジ』とか『バトゥ外伝』が放映された直後で、参加のタイミングとしては普通に運営されているイベントだったら良かったと思うのですが…
平澤:どちらも現地から見るとそれほどの勢いはなかったですね。むしろ『ドラえもん』や『クレヨンしんちゃん』が人気なのに驚いて、え、そうなの!?という感じでした。インドローカルのアニメだと『CHOOTA BHEEM』(2008~、11分シリーズでGreen Gold Animationが制作、Pogo TVで放送されているTVアニメ。600話以上)も人気でしたね。アニメのコミュニティはどのくらいできていたかその時は判断できず、現地ソニーコンピューターの方に「すでにゲームのコミュニティはインドでいくつも立ち上がっている」と聞いて、さすがゲームは先をいっているなと感じたり、でしたね。

▲インドローカルで人気No.1の「チョタビーム」
――:『ガルガンティア』もインドに番組販売したり放送されたり「商売になっている」わけじゃないですよね?平澤さん、よくそういう状態でも現地に足運びますよね。
平澤:そうですね、売っていたわけではないですが、こういう出会いから商売が始まったりしますので。中山さんもご存じのようにその後も中東にいったり、アニメとしての新興国に私はよく足を運びます。「アニメ業界のマインスイーパー」を自称してますので笑。その時にもよせばいいのに、そのN氏の友達の家にもいって「インド人の普通の生活空間」まで足を運んでました。
――:それは面白そうですね!
平澤:インド市場に可能性があると感じたのは、その時に見た「子供部屋がある団地」だったんですよ。1970年代の日本の新興団地のような間取りで、子供が一人で遊べる空間が用意されている。それは子供を中心とした文化がのちのちオタク文化として育つ素地になると感じたんです。いわゆるアッパーマスで中流家庭のなかでも富裕なほうだとは思うんですが、それだけでインドには何千万世帯もあるわけです。
――:なるほど、確かにその通りですね。IGとしては番組販売マーケットとしてはどの地域がメインだったんですか?インドは、入ってないですよね?
平澤:北米、欧州、そして東南アジアが市場、という時代ですよ。中国からはアニメを作ってほしいと話もありましたが途中でとまることが多かった。「中国向けにアニメ作ってくれ、半年以内に30分アニメ100話ほしい」などこちらの事情も一切理解しないようなあらっぽい依頼も多かった時代です。
■2014年末~2018年、「どぶ板営業」でインドでアニメグッズ展開を行ったJIスタイル
――:そんな経験をした平澤さんが、翌年もう一度参加するわけですよね?笑
平澤:N氏から2014も来てほしいと依頼があって、もう一度いってしまいました笑。2014年段階では私はステータスが変わっていて、7月にウルトラスーパーピクチャーズに転職していて、『フブキ・ブランキ』(2016年1-3月)に関わっていた方々が提供できる知見の話をベースにパネルに出ました。こちらの写真は監督の小松田さんや脚本のイシイジロウさん、サンジゲン代表の松浦さんたちとAnimeCon 2014に参加するために渡印したときのものです。そのちょっと前に三原さんからも「日本アニメのインド展開を調査したいのですが、何か良いプロジェクトを知りませんか?」と聞かれていたので飛んで火にいるなんとやらで(笑)三原さんにも入っていただきました。

▲左からイシイジロウ氏(ゲームクリエイター・シナリオライター)、平澤直氏(ウルトラスーパーピクチャーズプロデューサー)、小松田大全氏(演出・アニメーター)、松浦裕暁氏(サンジゲン代表取締役)、安倍啓史氏(JIスタイル代表取締役)、三原龍太郎氏(肩書は当時のもの)(三原氏提供)
三原:先ほど申し上げた通り、JIスタイルの安部氏を紹介していただいたのも平澤さんなのです。時系列順に言うと、まず私が平澤さんのご紹介で安部氏のJIスタイルをフィールドワークさせていただくことになり、その後に平澤さんやイシイさんたちとAnimeCon 2014に参加した、という流れですね。JIスタイルがインドで展開するアニメグッズを日本から仕入れるためには日本のアニメビジネス関係者と信頼関係を構築する必要がありました。インドは当時から日本のアニメビジネス関係者にとって未知の市場だったので、そのような市場に向けて自社商品を預ける相手としてJIスタイルが信頼に値する相手であることを示す必要があったのです。その一環として日本のアニメビジネス関係者をインドのアニメイベントにお連れして、JIスタイルがそのアテンドをする、という話が持ち上がりました。
――:なるほど、それでこの写真ですね!
三原:そのような経緯もあってみんなでAnimeCon India2014に行くことになりました。N氏の側も日本のアニメビジネス関係者とのネットワークがなく、AnimeCon 2014に招待できるゲストを紹介してほしいと以前から平澤さんや安部氏に相談していたので渡りに船でもありました。イシイさん、小松田さん、松浦さん、平澤さんはAnimeCon 2014のゲストとしての待遇でした。

▲AnimeCon India 2014で松浦氏(壇上左)とともにパネルを行う平澤氏(同右)(三原氏提供)

▲AnimeCon India 2014でアニメを通じた日印関係の未来について講演を行う三原氏(三原氏提供)
――:安部啓史氏とはどんな方だったんですか?
平澤:野村証券でヘッジファンド担当をされていた方です。当時からインド市場の魅力を感じていらっしゃったようで、退職後にJIスタイルを起業されました。非常にユニークな経路でアニメビジネスに参入された方で、三原さんからインド関係のアニメビジネスの照会を受けていたこともあったので、良いご縁になるかもと思ってお二人をお引き合わせしました。
三原:紹介して頂いたタイミングもとてもタイムリーでした。私が日本アニメのインド展開の調査を開始したのは2014年の春頃からでしたが、それはちょうど安部氏がJIスタイルを起業したタイミングと重なっていたのです。ですので、日本アニメのインド展開ビジネスがゼロイチで立ち上がるまさにその瞬間からそのプロセスをつぶさに見せていただくことができました。安部さんと一緒に国内のグッズメーカーを回ったり、インドにサンプルを運んだり、インド各地(デリー、ムンバイ、ベンガルール)のビジネスパートナーとのミーティングに同席させてもらったり、デリー市内の小売店への営業をご一緒させてもらったりしました。
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▲安部氏が営業をかけたデリー市内の小売店の一部(三原氏提供)
――:まったくゼロイチのタイミングからフィールドワーカーが同行するというのはなかなか珍しいケースですよね。
三原:はい、立ち上げのフェーズからご一緒させていただけたのはフィールドワーカーとしてとても幸運だったと思います。JIスタイルは今思えばいわゆる国際ベンチャーの一種だったのかもしれないですね。大変貴重な経験をさせていただきました。
――:JIスタイルがビジネスを開始された時期はまさに2010年代の「インドブーム」の時期だったわけですね。
三原:はい。先ほども申し上げた通り、インドでは当時から「『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』『忍者ハットリくん』を知らないインド人はいない」と言われていましたね。パナソニックさんが『忍者ハットリくん』とコラボしたCMを手がけられていたりもしていました。ただ当時もインドでアニメビジネスがお金になっていたということはあまりなかったのではないかと思います。上の時系列に従って言うと、2010年代の(3)から(6)は結果としてすべてワンショットのプロジェクトで終わっており、決して長続きしたわけではありません。当時のアニメビジネスにとってのアジアは、中国を除けばようやく東南アジアで利益が出るようになったと言われ始めていたくらいの段階で、そのさらに外側にあるインドはまさに海のものとも山のものとも分からないという印象だったのではないかと思います。
その中で当時私が個人的にとても感銘を受けたのがテレビ朝日さんのインド市場に対する長期に渡るコミットメントでした。時系列でいうと(2)になりますが、実はテレビ朝日さんはその後、インドの視聴者を対象にした『忍者ハットリくん』の新シリーズ『NINJAハットリくんリターンズ』を新たに立ち上げて2012年からインドのニコロデオン(Nick India)で放送を開始されています。2014年にはそのDVDボックスが日本に「逆輸入」販売されたので私も購入して視聴したのですが、言語選択が日本語とヒンディー語の二択になっていたり(しかもこの場合は日本語が「外国語吹き替え」扱い)、「クリケットに挑戦でござるの巻」というエピソードがあってハットリくんたちが近所に引っ越してきたインド人のアーナンド君に教えてもらいながらクリケットをする回があったりと、インドとともに真摯にアニメづくりをされている姿勢が伝わってきました。
――:以前のインタビューで「20年以上も先輩方が努力してきた成果がここに結実」とテレビ朝日の稲葉さんがおっしゃっていたとおりですね
三原:テレビ朝日さんは「2010年代以前」から「2010年代」にまたがってインドでアニメビジネスを続けられてきたのだと思いますが、2020年代の現在でもインドを舞台としたクレヨンしんちゃんの劇場版『クレヨンしんちゃん 超華麗!灼熱のカスカベダンサーズ』を製作してインドでも公開されたり、インド版の『おぼっちゃまくん』の制作をアナウンスされたりしていますよね。インドでのアニメプロジェクトは短命に終わりがちなものが多い中で、ここまで長期に渡ってインド市場にコミットされている姿勢には本当に頭が下がります。また、そのような長期に渡ってインドにコミットし続けられる原動力がどこにあるのだろうかという点については、研究者としてとても興味を惹かれますね。
――:話をJIスタイルに戻しますと、JIスタイルのビジネスはその後インドでどのように展開されたのでしょうか?
三原:JIスタイルがインドでのアニメ卸売業を着実に推進するためにはやはり現地に常駐して安部さんと連携できるパートナーが必要だということで、当初はそのパートナー探しが重要アジェンダの一つでした。紆余曲折の末、金子雅也さん(現:松竹株式会社海外事業部グローバル営業室)にJIスタイルの現地子会社のマネジャーとしてデリーに常駐してもらうことになりました。金子さんは当時、起業のために渡印したばかりで、その準備の傍ら、当時話題になった『恋するフォーチュンクッキー』のデリー版 の制作など日印文化交流活動に携わっておられました。そのような活動を通じて、インドにおけるアニメ市場のポテンシャルと課題を認識するに至り、共通の知り合いである一橋大学の松井剛先生(現・経営管理研究科経営管理専攻教授)を通じて私につながり、JIスタイルにジョインしていただいたという次第です。
平澤:草の根レベルでの日印ポップカルチャー交流における金子さんの功績は非常に大きいですよね。世界コスプレサミットにインド代表を送るうえで大きく貢献されていました。インド各地のアニメファンたちとのネットワークも広く、彼らとの信頼関係も非常に厚いものがありましたね。
三原:そのような金子さんはJIスタイルの現地パートナーとしてまさに適任でした。お二人の連携の下、インドでアニメ関連グッズを展開する現地プラットフォームとしてAnime Pop Mall(APM)というブランドをつくりました。安部さんが中心となって日本でアニメグッズを仕入れてインドに送り、インドでは金子さんが中心となってそれらを受け取って、APMの名前でインド国内で展開する、という役割分担でした。
――:APM社がインドでアニメグッズを展開するうえでどういうハードルがあったんでしょうか?
三原:マクロレベルで一番大きかったのはインドの小売規制ですね。インドは国内に零細小売事業者を多く抱えているためか、外資がインドの小売業に参入するハードルが非常に高いのです。少なくとも当時の規制のレベルはJIスタイル・APMのような小規模ベンチャー企業にとっては事実上「禁止」と同義の厳しさでした。JIスタイル・APMがインドでアニメグッズの「卸売業者」というポジションを取っていた(取らざるを得なかった)のもこの小売規制に依るところが大きかったです。「君たち外国人はインドの消費者に直接モノを売ってはいけない」と言われている気分でしたね(笑)。

▲インドの街中でよく見かける小規模小売店舗(三原氏提供)
あとアニメグッズはやはりモノ(有形物)なので、光ファイバーを通せば一瞬で世界中に配信できる映像としてのアニメ作品とは異なり、物理的にある場所(日本)から別の場所(インド)に運ぶ必要があります。リアル世界で国境をまたいでモノを動かそうとすると、輸送費、関税、通関手続き、インド国内での在庫管理(倉庫の確保)といったリアル世界のハードルがいろいろと立ちはだかってくるので、それらを一つ一つすべてクリアしていく必要がありました。
そしてそういったハードルを一つクリアするごとにコスト(と時間)がそのつど積みあがっていくと…。最終的に、日本で仕入れたグッズがインドの小売店の棚に並ぶ頃には、その小売価格が日本での仕入れ価格の2倍近くになっているということも決して珍しくありませんでした。インドの中間層がいかに購買力をつけてきていると言っても、さすがに仕入れ価格の2倍では厳しいのでは、と思ったことを覚えています。
――:本当に大変なプロセスだったんですね。
三原:この種の「大変さ」にまつわるエピソードは枚挙にいとまがありません(笑)。インド現地でビジネスをするわけですから、インド国内に銀行口座を開設することも必要でした。ただ銀行口座を開くというただそれだけのことでもとんでもなく大変でした。口座を開設するべく安部氏と一緒にデリー市内の銀行をいくつか訪問したのですが、銀行によって言うことが全然違っていたり、支店や部署をたらいまわしにされたり、行く先々で長時間の交渉を強いられたりと散々でした。そしてようやく口座開設手続きが済んだと思ったら、その口座にまずお金を入金しろ、窓口はあっちだと言われて指さされた先にはさらに長蛇の列が…。結局口座を開くだけでまる1日かかってしまったのですが、そのことをインド人の取引先に話したら「たった1日で口座を作ることができたのか!おめでとう!」と言われるという(笑)。
――:実は安部さん・金子さんとは、中山がブシロードInternationalに勤めていた2017年初頭にシンガポールでお会いしています。『ヴァンガード!!』のカートンを仕入れてインドで流通させるというような試みをされていました。ただ中山の知る限り、JIスタイルは2018年頃にアニメグッズの卸売事業からは撤退されているようです。
三原:中山さんもお二人にお会いしていたのですね。私がJIスタイルのフィールドワークをさせていただいていたのは2015年の半ば頃くらいまでだったので、その後の展開は詳しくは追えていなかったのですが、私も2018年の年末頃に金子さんからJIスタイル・APMがアニメグッズの取り扱いからは撤退する予定であるというお話を伺いました。
安部さんはインドの小売店を大小問わず、それこそ大規模ショッピングモールから街中の個人商店まで「どぶ板営業」的に回って取引先を開拓しようとされていました。また金子さんも現地のファンコミュニティとのコミュニケーションを丁寧に取りながら、普通の日本の事業者であれば行かないような地域(例えばインド北東部のミゾラム州アイゾールなど)のアニメイベントにまで出張してブースを開設されたりしていました。ただ、やはり先ほど申し上げた「モノをインドに物理的に持ってくることのリアル世界の各種ハードル」がクリティカルだったようです。現在APMは活動を休止しているそうですが、金子さんご本人はその後日本に戻って松竹に入られ、そこでの本業の傍ら引き続きインドにおけるアニメ関連のマーケティングのコンサルティングなどに従事されています。
――:なるほど。2014年の創業時から2015年の半ばにかけて、フィールドワーカーとしてJIスタイルのこの濃密なインド展開をずっと一緒についてまわっていたということなんですね。
三原:フィールドワーカーとしてJIスタイルさんの事業におよそ1年間参加させていただいたことで、「日本のアニメビジネスをインドに展開させようとすると何が起こるか?」ということを現場感・肌感覚のレベルで知ることができ、JIスタイル・APMには大変感謝しています。私自身はその後、(1)の『ラーマーヤナ ラーマ王子伝説』の調査という歴史的な文脈の研究(実はこれも金子さんに関係者の方々を紹介して頂きました)や、日本とアジアのアニメ国際共同製作というプロダクションの側面の研究にシフトしているため、インドにおけるアニメマーチャンダイジングの分野については最新の事情を必ずしも追えてはおりません。中山さんの各種レポートを拝読する限り、グッズ商流にはその後一定の進捗が見られるようですが、逆に彼らは我々が10年前に体感したあのリアル世界の各種ハードルをどのようにして乗り越えているのだろうか?という点は気になりますね。
■国際共同製作の成功事例、ナショナルストーリーに対する「原作理解」が肝
――:日本企業のインド熱は2010年代後半には一度さがっていったのでしょうか?
平澤:私も2013~14年とアニメイベントに参加し、阿部さん・金子さん・三原さんたちのプロセスもみながら、2015年時点では「まだインド市場に手を出すのは早い」ということで2017年にアーチを創業するまではノータッチでした。その時点でも20年は過ぎている『ラーマーヤナ ラーマ王子伝説』に続く案件が出てきておりません。この作品は「インドアニメ業界のオーパーツ」ですよ。当時トップクラフトの関係者たちが8億円かけて創って、インドでも高く評価される良質なアニメーションです。
――:お二人はその後、『ジャーニー』(2021、Manga Productionと東映アニメーションの共同制作劇場版アニメとしてサウジアラビアでも日本でも上映)を通じて、改めて一緒にプロジェクトをされています。
平澤:はい、アーチとして東映アニメーションさんと一緒に共同制作しました。サウジアラビアのManga Productions社(ムハンマド直下Misk財団子会社の非営利団体、世界に通じるコンテンツ制作・コンテンツ産業の育成を行う)とともに『ジャーニー』(サウジ初の劇場版2時間アニメ映画)を出しました。
IRみていただくとちゃんと東アニさんも儲かったと記述があるプロジェクトで、新興国の共同制作はこうして成功実績さえあれば、あとからついてくると思います。中東は政府系マネーがあるのでちょっと例外的ですが、それ以外の国でも財閥系の会社の2代目などがファミリービジネスの延長で投資するケースが多い。以前であれば「ハリウッド映画化を!」みたいなことをいっていた人たちが「日本アニメ化を!」といってもらえるようにもなってきています。
――:インドネシアあたりでよく似た話を聞きます。
平澤:だいたいが「親父は国を豊かにした。俺は心を豊かにしたい」とアニメで育った、あるいはアメリカ留学中にアニメに出会った財閥2代目、3代目が情熱で取り組んで進むパターンが多いです笑。そういうときにも大事なのは、やっぱり「ナショナルストーリー」なんです。
双方学ぶ点はありました。日本のアニメ制作現場はわかっている話ですが、こういう「技術移転」って1作品で出来るもんじゃないんです。それを向こうからすると留学させて共同製作をすればすぐに自前で作れるようになる、と思っている傾向があります。期待値が結構違うので「思ってたんと違う」になりがちですよね。
――:サウジはサウジアラビア政府公共投資基金(PIF)で任天堂、カプコン、コーエーテクモ、ネクソンなどゲーム会社の株も買い集め、SNKも保有。かなり積極的ですよね。そういう意味では『ジャーニー』は金字塔だったわけですね。
平澤:やっぱり歴史に対するリスペクトや細かい描写のところで評価が分かれてくるところです。『ジャーニー』はそこらへんが本当にうまくマッチしたと思ってます。時代考証に現地の学者の先生もいれて行っていきました。6世紀のアラビア半島のメッカ周辺だとこういう服装だったね、所作が正しいねといったところがサウジアラビアを中心とするアラブ地域の人々にも高評価でした。
――:「原作理解」ですよね。
平澤:サウジはも毎年建国記念日に3分程度のショートアニメを出しています。そういう意味で国威発揚型のアニメへの投資は続いていますし、サウジやインドで日本スタイルのアニメを作ろうとしているクリエーターもちょっとずつは育ってきています。
■「温故知新」で見えてくるインドと世界におけるアニメの未来
――:インドの総括もしたいのですが、2010年代半ばの動きからみえるものは何なのでしょうか?
三原:(1)から(7)までの案件を見ていただけると分かる通り、インドにおけるアニメビジネスというのはずっと前から先人たちが連綿と取り組まれているのですよね。現在中山さんが発表されているレポートを拝読すると、それがいま現在新たな盛り上がりを見せていることが分かって大変勇気づけられるのですが、他方で現在のこの盛り上がりも、これまでの取り組みの蓄積・連続性の中に位置づけて理解することが大切なのではないかと思います。そうでないと「車輪を最発明」したり、過去と同じ失敗を繰り返したりといったことが起こってしまうのではないかという点を自分は危惧しています。
例えば先ほども触れた通り、中山さんのレポートの中では「インドはまだまだこれからの市場」という趣旨の指摘がありますが、実は10年前も全く同じ「まだまだこれから」という議論がなされていたということが分かれば、インド市場に対してまた違った見方ができるようになるのではないかと思います。「温故知新」という言葉がありますが、インドにおけるアニメビジネスの分野でもこの言葉は有効なのではないでしょうか。
平澤:AnimeConも2015年以降は開催もされていなかったと噂をきいたような…
――:逆にインド展開において、当時と今で違うのはどういうところなのでしょうか。
平澤:配信かもしれませんね。いまはNetflix、CrunchyrollやAnimeTimesなど配信がアニメを広げようと定着しています。ただ当時のインドでは2017年にケーブル局のAnimax Indiaが撤退したのが響いたんです。皆が「アニマックスでアニメ見ているよ」という状況のなかで、見る手段がなくなってしまった。とって変わったのがNetflixなどの動画配信で、こうしたインフラがある限りはファンは保たれ続けるのではと思います
※1998年に設立されたAnimaxは、その後1999年に日本の衛星・ケーブル向けチャンネルとしては初めての海外展開。2004年からAnimax Asiaで東アジア・東南アジア・南アジアなどへも展開していたが2017年4月にIndiaは撤退。ソニーピクチャーズは2017年には三井物産のKidsStationと経営統合しながら、2024年にノジマのAXNグループに売却している。
――:今は現地製造比率が一定割合をこえたものはインド法人がある外資でも売れます。伊藤忠商事さんが「すずめの戸締り」のTシャツやグッスマさんのフィギュアを売ってました。
三原:そうなんですか!総合商社が海外のアニメビジネスに参入してくるというのは隔世の感がありますね。2010年代当時は海外アニメビジネスはロットが小さすぎるので総合商社は興味を持たないと言われていたと記憶しています。またアニメイベントにしても、これまで申し上げてきた通り、2010年代にインドでアニメイベントが行われていなかったなどということは全くなく、それこそN氏のような現地の方々の主導で各地でアニメイベントが行われていたのですが、そこに日本のアニメビジネス関係者が参加することは、平澤さんなどごく一部の方々を除いてほとんどなかったというのが自分の理解です。それが以前の中山さんの記事 のように、2020年代になるとインドのアニメイベントに日本のアニメ関連企業から100人単位で人が押し寄せるようになったというのは確かに時代の変化を感じますね。私も機会があれば久しぶりにインドのアニメイベントに行ってみたいと思いました。

▲MMAJで三菱商事がコミックス・ウェーブ・フィルムから版権を受けて販売されていたTシャツ(中山撮影)
――:お二人からみて、インド展開で最後に伝えたいメッセージはありますか?
平澤:「商習慣の距離があるインドでは印僑をねらえ」というところ。インド市場をねらっていこうとしてもいきなりド・ローカルの企業と出合い頭でやってしまって失敗する事例も多いんです。中国展開も昔は香港・台湾経由で、というところがあったじゃないですか?そういうもので、インドのパートナーにしても、米国や日本などに留学して「とりあえず契約は守る」など基礎的なところで共通基盤がある人たちとやるべきだと思うんです。
三原:インドのアニメビジネスをスムーズに進めるうえでは彼我の商慣習のギャップが非常に大きなファクターとなっているということでしょうか。文化人類学の徒として非常に興味深かったのは、例えば安部氏とインドの取引相手との間の交渉を横に座って見ていると、ビジネスの話であるはずなのに実際にはそのほとんどが「文化」の話になっているということが結構ありました。
――:というと?
三原:お互いが取引を行ううえでどういったふるまいが「無礼」か、みたいな話に最終的に収束していったりするのです。例えば日本側がグッズをインド側に卸すとした場合、価格交渉のやり方(値段を高めに吹っかけてもいいのか?上限はどの程度か?)や納品・支払いのやり方(必ず期日までに行うべきなのか?遅延が許容される範囲はどの程度か?)などは各国それぞれで「こうするのがよい」という相場観があるわけですが、日印間だとえてしてその違いが非常に大きかったりします。そうなると相手のふるまいを「無礼だ」と受け取ってしまいがちになるのかなと思いました。契約上の支払期日までに所定の額を入金せず期限の延長を延々と交渉してくるような商売相手は日本の観点からすると「無礼」極まりないのかもしれませんが、もしかしたらインドではさほど「無礼」とは思われていないのかもしれない。
――:なるほど。そういった「寛容度の限界点」みたいなのは結構文化的に構築された価値観みたいなものがありますよね。
三原:そうですね。ほかには例えば、事業環境が安定している日本では「ロードマップ」を作ることがきちんと仕事を進めるうえで重要なのかもしれないが、前提条件が毎日変わるインドでは、日本では忌避されている「泥縄式対応」(インドでは「ジュガード」と呼ばれたりします)こそが正義で、ロードマップ作成のごときは無駄作業以外のなにものでもないのかもしれません。日本側のやり方もインド側のやり方もそれ自体としては良いも悪いもない価値中立的なものであるはずなのに、自分のやり方と異なる相手のやり方を「無礼だ」と価値判断的に解釈してしまう結果、単なるやり方の違いが感情的な行き違いになってしまって日印間のトランザクションがうまくいかなくなる、といったケースを見聞きすることがよくあって、これはビジネスのガワを被った文化の話なのではないか、と。
私は主に安部氏の側から日印アニメビジネスを見ていたので、日本側からみてインド側がいかに「無礼」であるかみたいな話を聞くことが多かったのですが、もしかしたら我々日本側の振る舞いも知らないうちにインド側から「無礼」と映っていたかもしれないと今になって思うことがあります。
――:イベントなんかでもそういうことはあったんじゃないでしょうか?
三原:はい。たとえばこんなことがありました。AnimeCon India 2014に参加したときに、N氏はイベントのホストとしてイシイ氏をはじめとしたアニメ業界からのゲストのために控室を用意してくれていました。日本の感覚からすると、海外イベントは日本での忙しいスケジュールの合間を縫って参加して頂くものでもあるので、日本からのゲストには自分たちの出番の時間帯以外は控室で日本の仕事をして頂こうという感じになります。リエゾン役の安部氏や我々も当然その相場観を踏まえて「日本からのゲストについてはオフィシャルな出番以外はあまり邪魔しないで欲しい」というようなリクエストをN氏側に対して出して実際そのようにしてもらったのですが、どうやらN氏をはじめとしたインド側はこれをある種の「無礼」と受け取ったようなのです。後日人づてに聞いたのですが、N氏は我々のAnimeCon India 2014でのこのような振る舞いを「インドのイベントに来ているのに日本人だけで固まって控室から出てこず、本来もっとやってしかるべきインドのファンとの交流を満足にしてくれなかった」と評していたそうなのです。
――:ああーそれは日本側からすると「普通」ですよね。
三原:はい。私自身はAnimeCon India 2014でのゲストのアテンドを(日本側のプロトコルの観点からはおおむねつつがなく遂行することができたため)うまくやれたと思っていたため、N氏のその話を聞いたときにはっとしました。日本からのゲストとの関係で「無礼にならないように」と行動したことがインド側から「無礼」に映ることもあるのかと。人類学の徒として非常に考えさせられるエピソードでした。
――:言われてみれば、N氏の言い分も分かるような気がします。
三原:この辺は本当に難しいですよね。自覚のないまま知らないうちにやらかしてしまっていることも多いと思われるのでなおさら難しい。かといってこちらが相手の価値観に合わせまくればいいのかというとそういうことでもない。この点に関して興味深いのは、「インド人はタフネゴシエーターだから舐められてはいけない」と日本側が過度な戦闘モードで交渉に臨んでしまって無理してアグレッシブな要求をしたら、逆にインド側から「無礼」だとキレられてしまったみたいな話もあったことです。確かにインド側は交渉の際にアグレッシブにふるまうことが多いですが、その中でも暗黙のうちに超えないようにしている一線というのがあるようなのです。ただ日本側はアグレッシブな交渉に慣れていないためその辺のさじ加減が分からず、無理にアグレッシブにふるまおうとして知らないうちにその一線を越えてしまう、のみならず一体いつその一線を越えたのかすら分からない、みたいな逆説的なことも起きるようです。
――:「海外事業」に対して、必要以上に構えすぎてしまう。欧米向き合いだとそんなことないのに、「アジア」に対しては逆に殿様視点になったり、過度に防衛的になったりします。
三原:そういう傾向はあるような気がします。私は現在はインドだけでなく中国や中東(サウジ)のアニメビジネスも追いかけているのですが、日本のアニメビジネス関係者は中国に対してもインドに対しても中東に対してもみんな判で押したように「彼らはタフネゴシエーターだ」っていうんですよね(笑)。そんなにアジアのどこもかしこも一様に「タフネゴシエーター」であることなんてあるのだろうかという素朴な疑問はあります。逆に日本側もそんなに言うほど「弱い」ネゴシエーターなのだろうかとも。
あと、日本のアニメビジネス関係者が海外特にアジアと向き合うときに微妙に醸し出している(ように自分からは見える)「自民族中心主義」も少しだけ気になっています。すなわち、彼我の商習慣が衝突したときに「アニメは日本の文化なのだから日本のやり方に従うべき(自分たちはそれを「指導」するために来た)」という態度が時折垣間見えることがあるのです。アニメが日本発の文化であることは事実なのでしょうが、そのことと、日本アニメのやり方をアジア(や世界)のどこでも押し通していいかどうかということとは別問題であるように思います。少なくともインドの事例を見る限り、私にはそのような行き方が日本アニメ自身にとってあまりいい結果をもたらすようには思えないのですよね…。先ほどの平澤さんのアジアとの国際共同製作の話にみられるように、日本アニメに関する日本とアジアとの関係はこれまでよりもずっと「対等」なものになっているようにも思います。アニメが「日本の文化」から「日本発のグローバルな文化」となっていく中で、日本側の「自民族中心主義」的なマインドセットを転換しなければならなくなるタイミングがどこかで来るような気がしています。この辺りのことは最近平澤さんともよく話すのですが…
平澤:アニメのグローバル化の今後を展望するうえで、柔道のグローバル化のプロセスが参考になるのではないか、というブレストをしていますね。2024年のパリオリンピックで柔道の日本代表が混合団体決勝でフランス代表に敗れて多くの方が悔しい思いをしたことが記憶に新しいですが、自分はむしろこのことを誇りに思うべきなのではないかと思うのです。柔道という「日本発」の競技のルールの上で世界中の個人・団体があれほど必死になって勝とうとしているということそれ自体が柔道の「勝利」なのではないか、と。
先ほど申し上げた通り、いま世界では、誰かが自らの表現を切実に追求したいと思ったときに、日本発のアニメというフォーマットがその手段として選択肢に入ってきつつあります。アニメの世界におけるあり方の今後を考えるうえで、柔道のグローバル化のこのような「勝利」には学ぶべき点が数多くあるような気がしています。「日本代表が勝てなくて悔しい」というレベルの話から脱却する必要があると言いますか…。フットボールやテニスの世界でその発祥国たるイギリスが全然勝てなくなっている一方で、どちらの競技も世界中のプレイヤーがその舞台上で切磋琢磨するグローバルな存在になっていることともパラレルなのかもしれません。
アニメが今後「日本発のグローバルな文化」となっていくのであれば、「アニメは日本人にしか作れない」といった類いの「自民族中心主義」に閉じこもるのではなく、世界中の表現者が「アニメ」を使って自らの作品を制作しつつあること、そしてその中から日本人が作る「アニメ」を超える「アニメ」が登場しつつあること、そのようなあり方自体を「誇り」とするようなマインドが必要になってくるような予感がしています。
――:まさに「温故知新」ですね。10年前からインド市場に取り組まれているお二人の知見を改めて伺うことで、これまでよりも広い視点からインドと世界における日本アニメの今後を展望できたように思います。本日はありがとうございました。

会社情報
- 会社名
- Re entertainment
- 設立
- 2021年7月
- 代表者
- 中山淳雄
- 直近業績
- エンタメ社会学者の中山淳雄氏が海外&事業家&研究者として追求してきた経験をもとに“エンターテイメントの再現性追求”を支援するコンサルティング事業を展開している。
- 上場区分
- 未上場