MD(マーチャンダイジング)の会社は「版権がとれる強力な営業コネクション」が経営ドライバーだと言われる。『鬼滅の刃』に『チェンソーマン』にと、今当たっているヒット作の商品化に関われれば1商品が数千万、数億円とヒットすることも夢ではない。だがそれは誰もが考えていることで、トップIP企業には毎日数十通といった単位でライセンス商品の企画書が届く。そうした中で、IPを広げるMD企業との提携に積極的になる背景には、各社のもつ「多様な商品ラインナップと価格帯の商品開発」や「圧倒的な流通網」、「新市場の展開」などの特徴が重要になる。ただ人気の絵をはりつけて売っているわけではないのだ。今回取材したアルマビアンカも「デザインとシステム」という独自性で、急成長しているMD企業である。古くからあるMD業界において2010年代半ばに大きな変革ポイントがあった、という話を語っていただいた。
■創業10年、直近3年で3倍増の超成長MD企業アルマビアンカ
――:自己紹介からお願いします。
坂井智成(さかい ともなり)です。2015年にキャラクターグッズの企画・販売を行うアルマビアンカを創業しまして、現在創業10年がたったところです。
――:会社名の由来は?
日本の武器であるアニメ・マンガ・ゲームを主軸に、最前線でビジネスをしていきたいという思いから会社名を検討し始めました。その中で「アルマビアンカ」に行き着くのですが、イタリア語のビアンカ(白)って「女性詞」なんですが、アルマ(道具・手段)と一緒になると「男性詞」になるんですよ。これらのイタリア語の組み合わせで、「アルマビアンカ⇒カッコいい白い武器」みたいな意味で会社名にしました。
ロゴにも反映しておりましてアルマビアンカのAが「刀」「刃」にも見えるようになっています。ビジネスの最前線に立ち、日本の武器であるアニメ・マンガ・ゲームのジャンルで、かっこいいMD(マーチャンダイジング)会社にしていきたいという意味がこもってます。

――:アニメIPなどのMD会社でも貴社はひときわ目立つ成長をされています。アルマビアンカさんはなぜこんなに成功したのでしょうか?
そうですね、これまで一期も売上を落とすことなく成長を継続できています。社員数も160名(2023)⇒250名(2025)と直近大きく伸びています。直近の成長幅が大きいのは、国内のシェアをしっかりと伸ばしているという点と、昨今アジア圏を中心に出てきた海外需要ですね。
――:でも海外需要が膨らんだといっても、いきなりもっていけるものなのでしょうか?
この業界で強い会社というのが「強い版権がとれているか」と「これまでの企画・商品化実績が多いかどうか」がドライバーだと考えています。弊社は国内外に人気の版権商品を多く扱っていて、システム化がきっちり整備できているのもあって、急な需要があっても新商品だけでなく再販商品において対応ができました。もちろん国内の地盤があってこその海外展開の成功、だと考えています。
――:なるほど。中山はこの7月にアメリカでも上海でもイギリスでも大きなアルマビアンカのスペースを拝見しており、「これはすごい!」と思ってインタビューさせていただきました。
海外イベントに直接出始めたのはホントに最近なんです。もともとアジア圏で2022年末から急に雑貨領域での売れゆきがよくなってきたので、一度直接いってみようと2023年は海外のアニメイベントをまわりました。最初は出張ベースで、ちゃんと商品もって出展するようになったのが2024年。だから2025年になって中山さんとお会いしましたが、まだ「海外出展2年目」という状況だったんです。

▲BilibiliWorld2025でも巨大ブースを構えていたアルマビアンカ「AMNIBUS」ブランド
――:ほかのMD会社とここが違う、というポイントはどういうところなのでしょうか?
「システム」と「デザイン性」です。弊社は社内の基幹システムから配送システムまで自前で作っているんですが、おそらく通常のMD会社と比べるとだいぶ珍しいんじゃないかと思います。そのシステムにおける効率化がより多くの商品の開発につながっていると思います。
また、多くの方から評価されるのが「デザイン性」です。もともとが「かっこいいアニメグッズを作りたい」という想いから会社を始めたということもあって、ひときわ強い思い入れがありそれが皆様の印象にもつながっていると思います。
■生まれも育ちも名古屋。中国・東京にインターンしながら200社就活で勝ち取ったエンタメの仕事
――:坂井さんは最初から起業を目指していたんですか?
最初は教師になる予定でした。1988年生まれで、生まれも育ちも愛知。地元では割と偏差値も高い高校・大学と進学していて、普通にそのままいけば地歴公民の高校教師になっているはずでした。実際に教育実習にも行き、免許も取りました。
まわりもほとんどが銀行員・公務員になっていくなかで、大学に入って悩んだんですよ。本当にこのままいって教職に進んでしまっていいのだろうか、と。
それで違う経験を積むためにも、学生時代にインターンしました。まずは数か月上海でコンサル会社です。
――:学校教師からずいぶんな転換ですね!?
そうですね、先輩が上海にいっていたことがあって、紹介されて現地にいってみよう、と。中国語も英語も話せない状態で渡航して、1か月ホームステイしながら現地でアンケート調査なんかをしていました。
実は自分はずっと野球ばかりやってきた人間で、オタク趣味なんてなかったんですよ。はじめてアニメをちゃんと見るようになったのって、実はその中国のインターンが発端なんです。現地で中国人の友達から言われたんですよ、「日本人なのにアニメ見ていないなんておかしい」って。
――:2010年前後ですもんね?たしかに日本のアニメ人気が高まりだしたタイミングですね。
それで中国にいる間におすすめされた「コードギアス」にドハマりしました。日本に戻ってからもその趣味が続いており、オタクの友人に聞きながらアニメをみるようになりました。
日本に帰ってからも今度は1年間ちゃんと働いてから就職活動をしてみようと思い、1年休学しながら上京して出版のダイヤモンド社で働きました。
――:名古屋→中国からの東京ですか!よく動いてますね。
出版社ではホント貧しい生活送ってましたね。深夜まで毎日残業な日々で、そのカツカツのアルバイト代をそのまま生活費にあててましたし、本当に鍛えられました。記事を書いたり編集したりしながら、エンタメ系で働けるといいなというのはそのころから思っていました。
――:就職先はどんなところで探していたんですか?
ありとあらゆるところに応募してましたね。とりあえずそれも社会経験だと思って、だいたい200社くらいですかね、エントリーしたのは。食わず嫌いせず、内定もらったところから考えよう、と。広告代理店、DtoC企業、化粧品…よくもまあここまでというくらい他業種を受けまくって、いったんどんな仕事かを面接を通じて覚えていきました。それで広告代理店X社と、化粧品会社と、っていくつか内定いただいた中で、最後の最後にいただいたのがFuryuでした。
――:それ、よくX社にいかずにFuryuいきましたね!?
アニメグッズ関連の事業部があったからです。Furyuといえばゲームセンターのプリクラ事業なんですが、最初からアニメグッズ関連の事業に配属されたい、と言ってました。「坂井君の就きたい事業部に配属できるように善処するよ」と言っていただいたのもあってFuryuに決めました。
■Furyuの版権営業から「カッコいいアニメグッズ」が作りたくてアルマビアンカ創業
――:Furyu社での最初の配属はどちらだったんですか?
2012~14年の3年間が版権取得部隊ですね。5-6人の獲得担当のなかでは若手でしたけど、本当に色々な経験をさせてもらいました。プライズ(クレーンで獲るぬいぐるみ等)、コンビニくじ、コンシューマーゲームなどの版権を取りに行く部隊で、のびのび働けたし、充実もしてました(前職の出版社は本当に残業続きの職場だったので…笑)。Furyuってめちゃめちゃホワイトなんですよね。
――:それはよく聞きます。Furyuさんといえば00年代に独占的だったプリクラビジネスで収益が安定していて、それを基盤にゲーム開発やプライズ・MD事業などすそ野を広げていきます。
Furyuの中ではそれを「ガールズトレンドビジネス」と呼んでいました。私の時代は「世界観ビジネス」と呼ばれるアニメ・マンガ・ゲーム関連の部署ができはじめて、そちらが成長していく時代でもありました。
Furyuはもともとプリクラがあって、ゲームセンター販路が強かったんです。そんな中で上司が権利取得をした『おさわり探偵 なめこ栽培キット』が大ヒットしました。ほかにも当時だとLINEフレンズやサンリオ系などのファンシーキャラクター商品やアニメ版権を使用したフィギュアで伸ばしていきました。
――:3年後にはアニメ事業部に以前Furyuのアニメ事業部の創造プロセスもインタビューさせていただきました。
はい、まさにこの安藤さんの事業部です。でもアニメ事業部に入ってみると、そこでビジネスサイクルの違いをまざまざと感じるんです。
アニメは数年がかりで1本ずつ作っていくような投資型ビジネス、数か月ごとに数字をおいかけるグッズビジネスとは全然違っていたのもありましたし、なにより3年間で築いた外の会社さんとの関係性が薄くなっていくことに危機感も持ったんです。せっかく版権獲得で3年間好業績出して言っていたのに、ずっと担当させてもらっていた版権会社との関係性もなくなっていくのは・・・と思い、起業をすることにしました。
――:思いきりますね。版権獲得してMD作りますって、参入障壁が低くて結構リスキーにも思えるのですが・・・
でも2015年当時としては「日常で使えるようなカッコいいグッズがない」という点にチャンスがあるんじゃないかと思ってたんです。当時はライトな層にアニメファンが増えており、ローソンなど大手も深夜アニメのタイアップし始めたような時代でした。
僕自身がそう思っていたということもあり「アニメグッズだけどカッコいいもの、持ち歩けるものってほしいんじゃないか」と思ったんです。
それを3年だけの経験でしたがスタートダッシュで会社作ってやってみたらどうだろう、と。ダメだったらまた就職すればいいや、と思って起業しました。
――:「カッコいいアニメグッズ」はFuryuのなかでは実現しづらかったんですか?
そうですね、クレーンゲームの中に商品が置かれるので、「パッと見てわかるビジュアル」が重要な業界だったと思います。商品ラインとしては「ファンシーなぬいぐるみ」か「コア向けのフィギュア」などがメインですね。デザインに凝ったものやさり気なく身につけられるものを作ってみたい、というのがなかなか通りにくかった。
――:実際に「起業」という選択肢はいつから考えてましたか?
起業はチャンスあらばやってみよう、というのは入社してしばらくしてから思ってましたね。でも一か八かやるもんじゃなくて、バックボーンがあってしっかり地盤ができそうなタイミングがあれば、、、くらいなもので。アニメ事業部にうつったあたりでアニメ産業が勃興する機運もあったし、その3年間の経験もあって、なんだかそのときは「やるなら今かな」というのがありました。
仲間もいました。小学校・中学校からの同級生がレッドエンターテイメントのデザイナーと、飲み友達だったシステムエンジニアとその先輩です。デザイナーとエンジニアと4人でMD会社をたちあげた、というのがその後のアルマビアンカの命運を決めた、と思います。
――:MDってテクノロジー的には古い会社が多いですよね?よくエンジニアとデザイナーを最初から起業プロセスに入れてますね?
そう、営業先行なので、とにかく最後はマンパワーで解決すればって会社が多くてシステム化・効率化は二の次ですよね。僕の場合は、もともと自分がめんどくさがりというのがあって同じことを反復するのが嫌なんですよね。毎回やらなければいけない単純作業をこなす手間があるなら営業していたほうがよい、というのでそういうものを全部システムにやらせています。
「システムエンジニアと一緒に効率的な仕組みを作ろう」というのと「デザイン的にかっこいいアニメグッズを作りたい」という2つのスタートラインが、結果的にいまのアルマビアンカになってますね。

■Ani-Artなど「自社オリジナルデザイン」が起爆装置。ラブライブ!からリゼロ・バンドリ!で急拡大
――:このMD領域って雑貨、プライズ、玩具、フィギュアと色々多岐にわたっています。そういう中で今この規模になるアルマビアンカさんは何番目くらいのポジションなのでしょうか?
カテゴリーにもよるんでしょうけど、雑貨だとNo.1はアニメイトの子会社のムービックさんがどうしても強いんですが、その次につける数社の中に入る規模になっているんじゃないかと思います。
――:新しい企業も2010年代に勃興しています。ちょうどBilibili Worldに出ていたコンテンツシードさんやA3さんなど。
コンテンツシードさん(2013年設立)やA3さん(2008年設立)、近いタイミングでMDの部署が生まれた企業でいうと中外鉱業さん(1932年設立、2013年にコンテンツ事業部)ですよね。
MD領域ってとにかく有象無象の企業がみんな新規で参入して入ってくるから難しいといえば難しいです。以前「おそ松さん」バブルがあったときに、入ってきたメーカーさんがたくさんいましたけど、あの当時きた会社はほとんど残ってないですね。
――:何がハードルなのでしょうか?
やっぱり「ライセンスアウトとしてもらう」ことのハードルって結構高いんですよね。人間関係が地盤ではあるのですが、やっぱり版権元様の視点からするとこれまでその会社がやってきたことがあって、総合的に「この会社にライセンスアウトしよう」という判断になると思うので、新しい企業だとそこの競争で負けてしまうのではないかなと思います。
信頼関係があってこその「権利の許諾」なので、その人の人となりやこれまでの積み重ねた実績がないとなかなか難しいですよね。
――:大きな資金調達もされてないんですよね?なぜ競合ひしめく中でアルマビアンカは成長できたのでしょうか?
そうですね、足りないところだらけだったとは思いますが、自分のビジネスモデルを信じてましたし、必要なことがあれば寝る間も惜しんで仕事をしました。その甲斐もあって10年連続でずっと売上増を達成しています。
この業界って究極的には「目的客がほぼ全ての業界」だと思ってます。ふらっとかわいいフィギュアがあったからって買う人はかなり少数だと思っています。最初から自分が好きになったアニメのフィギュアを手に入れるため、ゲーセンにいったりホビーショップに行くんです。
そういう目的客に向けてであればECを基軸にしてもビジネスが成長すると考え、当初は自社ECのみの販路にて、こだわった商品を作っていくぞというところでアパレルを中心にビジネスを開始しました。
――:最初はどの作品で作るんですか?
最初に当たったのは「ラブライブ!」ですね。ちょうどμ's全盛期でしたが、前職の関係地もありライセンスアウトをしていただけました。創業当初はその「ラブライブ!」と「弱虫ペダル」での商品化が大きかったですね。
――:この10年で主流なグッズ自体が入れ替わっているのでしょうか?
2010年代半ば当時のアニメグッズってフィギュアとタペストリーなどが中心だったんですよ。いまでは風物詩になっている痛バックもその時期に発明されて、あれのおかげで「缶バッジ」の需要が急激に喚起されました。
アクスタ(アクリルスタンド)も当時はなかった。このあたりの商品ラインナップが王道商品になったので「低価格MD」が日の目をみることになったと思います。
――:グッズカテゴリーによる差別化ってどうやってやるんですか?
「イラスト」がやはり一番わかりやすいです。小物だと競合がどんどん似たものを出してしまいます。でもユーザーがお金を出しやすいのは、版権絵ではなく他には出ていない描きおろし。それで社内デザイナーを中心に「アルマビアンカにしかできないカッコいいデザイン」を作り販売をするんです。
Ani-Artというオリジナルのデザインブランドも、「イラストを工夫する」という観点から大きな実績を作ってくれました。


――:このシャツ、なんかよく見てましたよ!!ブシロードクリエイティブ立ち上げてMD部門管轄していた成田耕祐さん(現ブシロード取締役)のところですよね?
成田さんとは古い付き合いでFuryu時代からご一緒してました。「Ani-Art」のデザインブランドに注力している話をしたら「じゃあTシャツとか作る?」って言ってくれたんです。
――:同じMD会社といっても「競合」するだけじゃなく、そうやってグッズのカテゴリーやデザインで「協業」することもできるんですね。
そこがMD会社のクリエイティビティですよね。ただ商品を出すだけじゃなく、ユーザーに新しい価値提供をして、それが「グッズによってファンを強くする」ことにもつながります。
2018年ごろからは「王道商品」へ手をひろげていきつつ、POPUPなど自社での催事なども企画・展開していきます。マルイで「ナナシス(Tokyo 7th Sisters)」のPOPUPをやり自ら在庫リスクなどももっての展開していきました
次はPOPUPを進化させるべく、タイアップ事業に手を出しています。「進撃の巨人」に×東武動物公園コラボをやってみたり、×ラウンドワンラボをやってみたり。
――:もうこのサイズになってくると、どの版元さんともお付き合いがあって、商品化では困らない状態ですか?
いやいや、安心できないですよ笑。ライバルの会社さんも魅力的な商品をどんどん出してきますし、いまだVTuber業界など許諾をいただく難易度が高いジャンルもあります。
版権の流行り廃りも激しく、だんだんポートフォリオとしては中華系ゲームが強くなってきているので、そういったところも果敢に挑戦していかないとどこで足元救われるかわからない業界です。

■2割のオリジナリティグッズが重要。「引き出しの多い」MD会社
――:海外出展はいつもどんな感じで決めるんですか?
弊社もいまはグッズの提供だけじゃなくて月間15回ほどイベントもやらせていただいていますし、内容もポップアップからオンリーショップまで運営しているので、アニメイトさんとのパートナーシップを強めています。海外出展していくときにはアニメイト様の意見を聞きながら弊社も展開検討してます。
――:しかし順調すぎる成長です。ここまで一度も経営危機はなかったんですか?
キャッシュ問題はありましたね。一般流通でアニメイトさんなどに商品を卸すようになったとき、先に工場で製造費を払って、問屋からお金が入るのは後になるじゃないですか。その期間の費用はたしかにヤバいヤバいってなって、銀行対応をしたこともありました。
経営自体の厳しさというよりは、隣の芝生は青い、で他社と見比べての劣等感との戦いみたいなもののほうが大きかったかもしれませんね。このジャンルの商品では勝てないなあ、とか。
――:2015~19年と純増されるなか、2020年のコロナの悪影響はなかったですか?
コロナはそこまでダメージなかったですね。弊社もECが強かったので十分売り上げが担保されてましたし、みんなコロナ中でアニメを見まくっていたじゃないですか。その分MD需要はむしろ追い風でした。
――:商品ラインナップはどこまで広がるのでしょうか?工数のかかるAni-Artばかりじゃなく、いまやアルマビアンカさんもかなりフルセットでラインナップもってますよね?
缶バッチ、アクリルって無数のメーカーさんが手掛けてますよね。弊社もたくさんの商品を企画してますけど8割はこういう「コモディティ」ですよ。でも版権元様から許諾をいただくときってこの2割の「自社だけのオリジナリティ」が重要だと考えています。
それで門戸が開いて、コモディティ商品の機会もいただけるようになる。ECがあるので伝統工芸や有名ブランド様とコラボしたり、通常の店舗だと売れないような商品に挑戦できるのも大きいかもしれませんね。アニメ出資もしはじめており、小額なものありますが現在は年間30作品ほどに参画しています。

▲これまでのアルマビアンカ出資作品。直近ではCygamesPicturesの『アポカリプスホテル』も出資している。
――:グッズメーカー業界全体として、今後の課題というのはありますか?
やはりライバルの存在だと思っています。MDメーカーの競合も当然存在しますし版権元様も自社でMDを展開されることも増えています。
それでMDメーカーとしては「いかに引き出しの数を多くするか」が死活問題だと感じます。商材のラインナップもそうですし、POPUPしたりタイアップを企画・運営できたりとそういう引き出しが多ければ、版元ともずっと関わり続けることができます。いままでは小さな企業体のMDメーカーも多かったですが、より多くの取り組みを回し続けるためにもMDメーカー側も規模を追求すべきタイミングでもあるなと思います。
その引き出しの一環でもありますが、「海外」というのは本当に重要だと感じますね。これは経験値がものをいう世界で、実際に出展したりポップアップやったりすることが経験値担っています。
――:その危機感もあって、海外に出展されたんですね。
22年末からAnimeExpoとかBilibiii Worldとかを視察でまわるなかで、あまりの熱量を感じつつ、「これは、海外やらないとヤバいかも」と思ったんですよね。それで2024年以降は大規模なイベントはとりあえず出展してみる、というのをやってきた1年です。
――:海外渡航だけで結構なお金がかかります。商品をもってくるとなるとなおのこと。アニメイベントにでる効果というのはどういう面ですか?
まずは「商談スペース効果」ですよね。まだその市場にパートナーもいない状態ですが、ブースを構えているとそこにこちらがもっている版権商品を一緒に売りたいという企業さんが声かけてくれます。ただ実際に輸送費・関税など含めて持っていっただけ商品が売れるというケースは少ないです。AnimeExpoやBilibiliWorldなどよほど大きなイベントでないと「商品販売で出展料の元をとる」というのは厳しい。だからこそ政府の支援金などの制度が充実してくれると挑戦できる会社も増えていくんじゃないかなと思います。よろしくお願いします笑
こういう高コストな取り組み中で、さらに問題なのはその新市場のリテラシーをあげて経営判断する必要があるため「時給単価が高い幹部層の人間を送らないと問題が解決できない」し「取り組みがスタートすら切れない」ということですね。実は一番重いのはこういう人的リソースの圧迫かもしれません。
――:どの市場であればMD会社として展開できるんでしょうか?
今後も海外展開のメインは中国、韓国、台湾をはじめとしたアジア圏になっていくでしょうね。雑貨領域として出展して採算があうのはこのくらい。米国市場はぬいぐるみ、フィギュアは売れてますが、雑貨領域はまだまだですね。アニメみてもらってグッズうれるまでの時間ってそれなりに時間かかると感じています。
――:成田さんが主導するブシロードのMD部門も48億(2023)→58億(2024)→91億(2025)とひときわ目立った成長しています。アニメMDというのはいまや成長市場で海外にどんどん飛び出しますが、どこまでいけるのでしょうか?
どうなんでしょうね。もちろん挑戦はし続けますが、結局稼ぎどころは日本市場にもどってくる可能性だってあるとは思ってます。そういった観点も持ちながら今後も海外には挑戦し続けていきたいですね。
――:デザインとシステムに強みをもち、海外・POPUP・コラボなど引き出しの数も増やし、盤石なアルマビアンカさんとしては、今後の目標はどんなところにありますか?
目指しているのはシンプルに「年商」の目標値ですね。あえて伏せさせていただきますが、今のままの海外需要が続けば近いうちに達成できる感触はあります。
弊社は経験が浅い若手のうちから活躍できる会社です。2016年(2年目)から新卒採用してますし、最近はずっと毎年20人規模で採用しています。知名度がない時代では中途で優秀な方をなかなか採用できなかったこともあり・・・業界未経験完全にOK、アニメに関わりたい人はウェルカムという感じで採用してきました。
最近は新卒の中ですぐに活躍する子が出てきたり、中途では前職の経験を活かしてコラボ企画をもってきたり、システムだけでなく「人の力」でも成長できる会社になってきていると思います。
――:アニメ雑貨ブームももう10年は続いている状況です。国内も含めて、市況は今後どうなっていくのでしょうか・
痛バッグの缶バッチ需要も一幅してますし、いまはぬいぐるみをぶら下げる方向性になってますよね。こうやって手を変え品を変えしながら、いかに需要を安定させていくか。
業界の観点からすると、我々には一般的に商品を売るだけではなく、ポップアップ、タイアップ、ブランドコラボなどでアニメ周辺産業のすそ野を広げていく役割を任されているという意識もあります。
海外海外といって、国内をないがしろにしていると結局いい企画を作れない。やっぱり国内での成功したデザイン・商品・企画があってそれを海外にもっていこう、となるわけですから。これまでもこれからも「かっこいいアニメグッズをつくりたい」という会社の創業精神だけは、変わらないですね。
