【連載】ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- 第三十回「指導者に問われるもの」
■第三十回「指導者に問われるもの」
前回は、企画の仕事の一部について書かせていただきました。
もちろん、現在のようにゲームの規模が大きくなってきている今、企画の仕事はあれだけにとどまりません。ですが、どんなゲームをつくるときも、規模感にかかわらずおさえておかないといけないことに関しては、書かせていただけたと思っています。そんな中、学生さんたちが指導されているのを見たとき、また、わたしが、趣味の乗馬でインストラクターに指導を受けているときに、いろいろと思い浮かんだことがありました。今回は、
そもそも、指導する、というのはどういうことで、どんな資質が求められるか?
について書きたいと思います。
これは、プロになってもなかなか難しいことです。
このコラムでも、何度もいってきていますが、ゲームは正解のないものです。もちろん、技術に関しては、いくつかの正解があるでしょうし、開発者が面白くないな、と思っているものを世に出すのは不誠実でNGである、というような正解というよりは、不文律もあると思っています。ですが、面白さ1つとってもそうですし、ましてや、感情を動かす手法やその感情の種類や組み合わせも1つではありません。それどころか、日々、ゲームに関係する技術が進歩することにより、新たな遊びがどんどん生まれてきているというのが実情です。
なので、先取りして、どんどん、面白いことを考えないといけないですし、且つ、これまで生み出されてきたフレームに関しても研究して、うまく取り入れるべきところは取り入れないといけません。
過去に事例があるものは、その取り入れ方などで示唆をうけることもできますし、且つ、その整合性なども、比較的ロジカルに議論することができるでしょう。つまり、裏を返せば、自身で振り返り謙虚に見直すことである程度は、確認→修正できることがあるということです。
ですが、新たに考えたものや、既存のものを新たに組み合わせたときなどは、その事例自体が初物になるため、誰も成否を簡単にいうことはできません。それ以上に自身はそれに向けて客観的に評価する視座をもつことがなかなか難しくなります。なぜなら、比較する事例がないからです。(もしくは、あるのですけど、この面白さにからむところは、案外、みな調べが甘いことが多いです。自身で考えた!という自負を持ちたいからだと思いますけどね)こうなってくると、その是非まで行かなくても、指摘をもらう必要があります。そのために、必要なのが、第三者の目です。
指導者に求められる第一の条件は、現状をみて、視座を定めたうえでの評価をすることだと思います。指導者側が、あれもあるし、これもある、では受け止める側が、なにを聞いていいのか?わからなくなってしまいます。もちろん、あらかじめ「可能性をいくつかあげる」と言ったうえで、経験に基づいた事象をいくつかあげて可能性を示すことは、良いことだと思います。ただ、その異なる事象が、ことなる軸からのものであった場合、ちゃんと整理して伝えてあげないと受け止める側に混乱を与える可能性があります。
ゲームにおいては、なにをおいてもコンセプトを定めるところからスタートです。で、このコンセプトを設定するためにも、「点」でよいので、このゲームにおける面白いシーン、かっこいいシーン、感情が動くシーンを洗い出さなくてはいけません。中心軸にすえるべきものと、末端の現象でしかないものが玉石混交するのがこのタイミングでのイメージです。
特に、つくっている・考えている側はここが同時に頭にいくつも浮かぶために、整理が完全についていません。であるがゆえに、第三者がそこを整理して、「これは、こういう観点から考えているの?」というように、そのもの自体がその発想、アイデアにおいてどの位置にあるのか?を対話しつつ確認していかないといけません。フラッシュアイデアをおもいつき、それを1つ1つ作っていってもゲームにはなりません。
たいていの場合、そこを横串通すために、無理やり「ありがちなゲームに実装されている項目」をいれてつなごうとすることが多いのです。ただ、そうではないのです。(こうして、活人研、逆三種の神器が入ってくるわけです)コンセプトと紐づく、もっとも感情が動かされる情景が定まらない限りはなにをいくつつくったところで、点が線になることはありえません。ですが、繰り返しになりますが、考えている本人は比較的この1つ1つのアイデアの軽重や位置づけを整理するのが得意ではありません。なぜならば、それこそ作り手としての感情が入っているからです。自身の想いとそのゲームの事象の大切な部分がイコールとは限らないからですね。ですからこそ、客観的な第三者の目が必要になります。そして、その位置づけを把握、確認したうえで、指摘をしたいです。
つまり、表層をなでただけの指摘は、受け手側にかなり危険な情報を提供している可能性がある、ということです。これは、ふだんから接しておられる学校の先生に関しては、そこまでの経緯もご存じであることが多いと思うのでリスクは比較的少ないと思いますが、わたしをはじめ業界のプロがゲストで招かれて指摘、指導をするときがちょっとリスクがあります。経緯を知らないのはもちろんですが、伝える努力をかなり神経使ってしないといけないからです。
ゲームを作る能力と、指導する能力は異なります。また、プロから見た基準と学生がそのタームでクリアしなくてはいけない基準も異なります。なので、単なる自分の水準から、「単なるダメだし」をするだけで終わるのは非常に問題が多いと思います。
また、答えを教えてはいけない、自分で考えさせないと…とヒントはいうが、いろんな可能性をたくさん提示するというのもたまにみかけますし、わたしもそういうところがありますが、これも気を付けないと聞き手をラビリンスに招き入れることになります(笑)。
結局、どうすればいいのか?わからないで終わってしまいかねないからです。これは、相手の聞いているときの態度や雰囲気で、1つ1つの立ち位置を明確にして説明しないといけないな…などを察する必要があるということです。
プロと同じレベルの情報と言語が語られるだけで学生の全員が理解することは難しいでしょう。なぜなら経験がありませんから。ですが、ともすれば、プロ側は自分の水準でものを話してしまうことがあります。ゲーム同様に、ここも「伝えること」が大事ですのでユーザ(受け手の学生)の状況・反応には事細かに気にする必要があるでしょう。
●未体験のことを教わるとき、教わる側には語彙がない
教える側にもっとも必要なこと、つまり、プロとアマチュアの最大の違いは何か?ということを考えたときに一番の差は、「語彙」だと思います。
特定の状況が起きたとき、それを説明するための能力、語彙がまずそれにあたります。これは、プロとユーザの違いでもあります。よく、ゲームを開発中やリリース後に、ユーザテストをおこなうことがあります。
ただ、この時にユーザからの感想(直接の言葉や、アンケート用紙にかかれたテキスト)のみから判断しようとする人がいます。わたしはこれはかなり危険だと思います。(もちろん、評価をスコア化して、定量的にみるような場合はまた少し異なりますので、ここでのアンケートは、あくまでも自由記入のアンケートであるとします)なぜならば、ユーザはプロと違い語彙を持たないことが多いからです。また、プレイしているときの直感と少し時間が経過したあとのアンケートでは漏れることも多ければ、優先度が変わることも多いです。
また、学生さんであれば、友人たちにプレイしてもらうことも多いでしょう。そうなると、心の中では「あまり面白くないな」と思っても、人間関係を思い「ああ、まあまあだったよ」という無難な回答をすることもあるかもしれませんし、歯に衣着せぬ辛辣な意見をくれることもあるかもしれません。
しかし、いずれにせよ、その人の言葉、語彙にゆだねることになります。それよりは、リアルタイムにその人がプレイしているところを見ていて、なにかおかしなところはないか?なぜその行動をとるのか?などを観察することが一番良いと思います。つまり、体験を正確な言葉にして、他者に伝える能力というのはかなり高度なものであり、そこに人間関係も絡んでくると更に情報が摩耗する可能性があるということですね。なので、自身の目を信じ、わずかでも疑問に思うことがあったら、リアルタイムで止めて本人に確認する、聞くことだと思います。
さて、ユーザテストの話はこのあたりまでにして、指導者と学ぶ側にも似たようなことが言えると思います。指導者と学生にはゲームの開発に大きな経験の開きがあり、且つ、学生は、ほとんどの人がゲーム開発の経験がない、初体験のことだらけだということです。つまりは、指導者がある事象を伝え、説明し、指導しようとするときに、相手にイメージが伝わらないということがあると思うのです。また、語彙の違いは、指導者と学生の間だけにあるのではなく、指導者によっても異なることが多いと思うのです。
異なるバックボーンをもった人間(たとえば、会社の違いや、職種の違い、作ってきたゲームのカテゴリーの違いなど)であれば、ことの本質は同じでも、その表現が異なることは、ままありそうに思います。なので、ますますもってして用語の使い方は慎重にならねばなりませんし、言葉を発したときの受け手の反応もよく確かめながら伝えないといけません。
ただ、逆に「同じことを異なる表現で説明されたからわかる」というものもあります。
これは、ゲームではありませんが、わたしが趣味の乗馬のレッスンで体験したことです。わたしが通う乗馬クラブではインストラクターが何人もいます。レッスンも毎回同じインストラクターとは限りません。また、馬術用語は言葉としてやや古く、且つ専門用語が多いです。でも、基本的なところもあまり説明されることなく、レッスンの中で学んでいかねばなりません。わたしは、わからないこと、疑問に感じることは基本的に言葉に発して聞くので、あまり問題はありませんが、一緒の時間にレッスンをしているほかの方を見ていて、いや、いまのたぶんあの人には通じてないな、と思うこともあります。やはり、ユーザは基本的にはモノを言わないのです(笑)。
それはさておき、このインストラクターたちも、同じ境遇で成長してきておらず、得手不得手が異なります。なので、「同じことを指摘しているのに、異なる例示や言葉で説明する」ことが、しばしば発生します。乗馬は、自身が乗っている様子を自分が見ることができないので、どこまでいっても、このインストラクターの言葉が非常に感覚をつかむために大切なファクターとなります。だからこそ、「イメージできる言葉」で話されないとわからないことが多いわけです。
ただ、これが複数のインストラクターがいることで、混乱するリスクはありますが、と同時に、複数の表現で1つのことを伝えてもらえるので、その中のどれかは自身がイメージできる語彙にヒットすることがあるのです。これは、面白い現象です。ゲームにおいても、実は似たようなことがあると思っています。さすがに作っているものを自分の目で見ることも遊ぶこともできますが、やはり、それが正解に向かっているか?や、プロアマの経験・知識の差はあまりにも大きいために、やはり、自分では、イメージできないことがあり、誰かの助けを必要としていることが多いです。
「なんとなくしっくりきてないけど、明確な理由まではわからない」といったモヤモヤした状況です。これを1人の指導者の言葉で解決できたらラッキーですが、なかなか難しいと思います。なので、ゲスト指導者や講師の言葉は、わからなければ聞き返すことは大事ですが、それ以上に、同じことでも異なる言葉で言われたら、理解できる可能性があることを学生自身が意識して聞くことも重要になります。また、他人の言葉から、別の言葉をひらめくことができ、その結果イメージできるということもあります。対話はひらめきの宝庫でもありますので。
ただ、やはり混乱しないように聞きたいですし、指導する側は、伝えたいです。ですので、やはり、言葉はメモをしながら聞いたほうがいいですし、伝える側も、実は書きながら説明するとよいのではないでしょうか?可視化されることで言葉だけで説明するよりも、もっと詳細に伝えることができるでしょうし、自身も意識することができるからです。
●説明を努力することを放棄してはいけない…
指導者の中には、伝わらないことで、
いいからやれ!
がんばれ!
と言ったような精神論のみを頼りとするところにいくことはできるだけ避けたいところです。それで、できるなら、学生たちはとうにできているからです。確かに、グダグダ御託や言い訳をする前に、まず行動してみよう!と思うことは、往々にしてあります(笑)。
でも、わからないから、方向が定められないと思っている学生に、いいからやれ、では指導になっていないわけです。プロの指導者ならば、授業料を受け取って講義をしているわけです。で、あれば、
「どうにかして、成長・上達させてあげよう」
という気持ちはとても大切ですし、また、たとえわずかでも変化や成長が見られたら、うれしいという気持ちになれる人が指導者はやるべきだと思います。経験がないからわからない。わからないから教えてもらうのです。さすがに何度も同じことを言ってるのに相手がわからない…というのは、どちらにも課題はあると思いますが、そこで嘆いているだけでも解決はしないわけです。
であれば、手を変え品を変え、イメージできるように、理解できるところにまで導いていきたいところです。そのためには、まず、指導する側が、
・語彙を増やす
・自身が体験をすることで、自分なりの言葉を持つ
・最後まであきらめずに、成長させる喜びを感じよう
というところを忘れずに精進することも、非常に大切なことではないでしょうか?
今回は以上です。
もちろん、現在のようにゲームの規模が大きくなってきている今、企画の仕事はあれだけにとどまりません。ですが、どんなゲームをつくるときも、規模感にかかわらずおさえておかないといけないことに関しては、書かせていただけたと思っています。そんな中、学生さんたちが指導されているのを見たとき、また、わたしが、趣味の乗馬でインストラクターに指導を受けているときに、いろいろと思い浮かんだことがありました。今回は、
そもそも、指導する、というのはどういうことで、どんな資質が求められるか?
について書きたいと思います。
●自身で評価できない
これは、プロになってもなかなか難しいことです。
このコラムでも、何度もいってきていますが、ゲームは正解のないものです。もちろん、技術に関しては、いくつかの正解があるでしょうし、開発者が面白くないな、と思っているものを世に出すのは不誠実でNGである、というような正解というよりは、不文律もあると思っています。ですが、面白さ1つとってもそうですし、ましてや、感情を動かす手法やその感情の種類や組み合わせも1つではありません。それどころか、日々、ゲームに関係する技術が進歩することにより、新たな遊びがどんどん生まれてきているというのが実情です。
なので、先取りして、どんどん、面白いことを考えないといけないですし、且つ、これまで生み出されてきたフレームに関しても研究して、うまく取り入れるべきところは取り入れないといけません。
過去に事例があるものは、その取り入れ方などで示唆をうけることもできますし、且つ、その整合性なども、比較的ロジカルに議論することができるでしょう。つまり、裏を返せば、自身で振り返り謙虚に見直すことである程度は、確認→修正できることがあるということです。
ですが、新たに考えたものや、既存のものを新たに組み合わせたときなどは、その事例自体が初物になるため、誰も成否を簡単にいうことはできません。それ以上に自身はそれに向けて客観的に評価する視座をもつことがなかなか難しくなります。なぜなら、比較する事例がないからです。(もしくは、あるのですけど、この面白さにからむところは、案外、みな調べが甘いことが多いです。自身で考えた!という自負を持ちたいからだと思いますけどね)こうなってくると、その是非まで行かなくても、指摘をもらう必要があります。そのために、必要なのが、第三者の目です。
指導者に求められる第一の条件は、現状をみて、視座を定めたうえでの評価をすることだと思います。指導者側が、あれもあるし、これもある、では受け止める側が、なにを聞いていいのか?わからなくなってしまいます。もちろん、あらかじめ「可能性をいくつかあげる」と言ったうえで、経験に基づいた事象をいくつかあげて可能性を示すことは、良いことだと思います。ただ、その異なる事象が、ことなる軸からのものであった場合、ちゃんと整理して伝えてあげないと受け止める側に混乱を与える可能性があります。
ゲームにおいては、なにをおいてもコンセプトを定めるところからスタートです。で、このコンセプトを設定するためにも、「点」でよいので、このゲームにおける面白いシーン、かっこいいシーン、感情が動くシーンを洗い出さなくてはいけません。中心軸にすえるべきものと、末端の現象でしかないものが玉石混交するのがこのタイミングでのイメージです。
特に、つくっている・考えている側はここが同時に頭にいくつも浮かぶために、整理が完全についていません。であるがゆえに、第三者がそこを整理して、「これは、こういう観点から考えているの?」というように、そのもの自体がその発想、アイデアにおいてどの位置にあるのか?を対話しつつ確認していかないといけません。フラッシュアイデアをおもいつき、それを1つ1つ作っていってもゲームにはなりません。
たいていの場合、そこを横串通すために、無理やり「ありがちなゲームに実装されている項目」をいれてつなごうとすることが多いのです。ただ、そうではないのです。(こうして、活人研、逆三種の神器が入ってくるわけです)コンセプトと紐づく、もっとも感情が動かされる情景が定まらない限りはなにをいくつつくったところで、点が線になることはありえません。ですが、繰り返しになりますが、考えている本人は比較的この1つ1つのアイデアの軽重や位置づけを整理するのが得意ではありません。なぜならば、それこそ作り手としての感情が入っているからです。自身の想いとそのゲームの事象の大切な部分がイコールとは限らないからですね。ですからこそ、客観的な第三者の目が必要になります。そして、その位置づけを把握、確認したうえで、指摘をしたいです。
つまり、表層をなでただけの指摘は、受け手側にかなり危険な情報を提供している可能性がある、ということです。これは、ふだんから接しておられる学校の先生に関しては、そこまでの経緯もご存じであることが多いと思うのでリスクは比較的少ないと思いますが、わたしをはじめ業界のプロがゲストで招かれて指摘、指導をするときがちょっとリスクがあります。経緯を知らないのはもちろんですが、伝える努力をかなり神経使ってしないといけないからです。
ゲームを作る能力と、指導する能力は異なります。また、プロから見た基準と学生がそのタームでクリアしなくてはいけない基準も異なります。なので、単なる自分の水準から、「単なるダメだし」をするだけで終わるのは非常に問題が多いと思います。
また、答えを教えてはいけない、自分で考えさせないと…とヒントはいうが、いろんな可能性をたくさん提示するというのもたまにみかけますし、わたしもそういうところがありますが、これも気を付けないと聞き手をラビリンスに招き入れることになります(笑)。
結局、どうすればいいのか?わからないで終わってしまいかねないからです。これは、相手の聞いているときの態度や雰囲気で、1つ1つの立ち位置を明確にして説明しないといけないな…などを察する必要があるということです。
プロと同じレベルの情報と言語が語られるだけで学生の全員が理解することは難しいでしょう。なぜなら経験がありませんから。ですが、ともすれば、プロ側は自分の水準でものを話してしまうことがあります。ゲーム同様に、ここも「伝えること」が大事ですのでユーザ(受け手の学生)の状況・反応には事細かに気にする必要があるでしょう。
●未体験のことを教わるとき、教わる側には語彙がない
教える側にもっとも必要なこと、つまり、プロとアマチュアの最大の違いは何か?ということを考えたときに一番の差は、「語彙」だと思います。
特定の状況が起きたとき、それを説明するための能力、語彙がまずそれにあたります。これは、プロとユーザの違いでもあります。よく、ゲームを開発中やリリース後に、ユーザテストをおこなうことがあります。
ただ、この時にユーザからの感想(直接の言葉や、アンケート用紙にかかれたテキスト)のみから判断しようとする人がいます。わたしはこれはかなり危険だと思います。(もちろん、評価をスコア化して、定量的にみるような場合はまた少し異なりますので、ここでのアンケートは、あくまでも自由記入のアンケートであるとします)なぜならば、ユーザはプロと違い語彙を持たないことが多いからです。また、プレイしているときの直感と少し時間が経過したあとのアンケートでは漏れることも多ければ、優先度が変わることも多いです。
また、学生さんであれば、友人たちにプレイしてもらうことも多いでしょう。そうなると、心の中では「あまり面白くないな」と思っても、人間関係を思い「ああ、まあまあだったよ」という無難な回答をすることもあるかもしれませんし、歯に衣着せぬ辛辣な意見をくれることもあるかもしれません。
しかし、いずれにせよ、その人の言葉、語彙にゆだねることになります。それよりは、リアルタイムにその人がプレイしているところを見ていて、なにかおかしなところはないか?なぜその行動をとるのか?などを観察することが一番良いと思います。つまり、体験を正確な言葉にして、他者に伝える能力というのはかなり高度なものであり、そこに人間関係も絡んでくると更に情報が摩耗する可能性があるということですね。なので、自身の目を信じ、わずかでも疑問に思うことがあったら、リアルタイムで止めて本人に確認する、聞くことだと思います。
さて、ユーザテストの話はこのあたりまでにして、指導者と学ぶ側にも似たようなことが言えると思います。指導者と学生にはゲームの開発に大きな経験の開きがあり、且つ、学生は、ほとんどの人がゲーム開発の経験がない、初体験のことだらけだということです。つまりは、指導者がある事象を伝え、説明し、指導しようとするときに、相手にイメージが伝わらないということがあると思うのです。また、語彙の違いは、指導者と学生の間だけにあるのではなく、指導者によっても異なることが多いと思うのです。
異なるバックボーンをもった人間(たとえば、会社の違いや、職種の違い、作ってきたゲームのカテゴリーの違いなど)であれば、ことの本質は同じでも、その表現が異なることは、ままありそうに思います。なので、ますますもってして用語の使い方は慎重にならねばなりませんし、言葉を発したときの受け手の反応もよく確かめながら伝えないといけません。
ただ、逆に「同じことを異なる表現で説明されたからわかる」というものもあります。
これは、ゲームではありませんが、わたしが趣味の乗馬のレッスンで体験したことです。わたしが通う乗馬クラブではインストラクターが何人もいます。レッスンも毎回同じインストラクターとは限りません。また、馬術用語は言葉としてやや古く、且つ専門用語が多いです。でも、基本的なところもあまり説明されることなく、レッスンの中で学んでいかねばなりません。わたしは、わからないこと、疑問に感じることは基本的に言葉に発して聞くので、あまり問題はありませんが、一緒の時間にレッスンをしているほかの方を見ていて、いや、いまのたぶんあの人には通じてないな、と思うこともあります。やはり、ユーザは基本的にはモノを言わないのです(笑)。
それはさておき、このインストラクターたちも、同じ境遇で成長してきておらず、得手不得手が異なります。なので、「同じことを指摘しているのに、異なる例示や言葉で説明する」ことが、しばしば発生します。乗馬は、自身が乗っている様子を自分が見ることができないので、どこまでいっても、このインストラクターの言葉が非常に感覚をつかむために大切なファクターとなります。だからこそ、「イメージできる言葉」で話されないとわからないことが多いわけです。
ただ、これが複数のインストラクターがいることで、混乱するリスクはありますが、と同時に、複数の表現で1つのことを伝えてもらえるので、その中のどれかは自身がイメージできる語彙にヒットすることがあるのです。これは、面白い現象です。ゲームにおいても、実は似たようなことがあると思っています。さすがに作っているものを自分の目で見ることも遊ぶこともできますが、やはり、それが正解に向かっているか?や、プロアマの経験・知識の差はあまりにも大きいために、やはり、自分では、イメージできないことがあり、誰かの助けを必要としていることが多いです。
「なんとなくしっくりきてないけど、明確な理由まではわからない」といったモヤモヤした状況です。これを1人の指導者の言葉で解決できたらラッキーですが、なかなか難しいと思います。なので、ゲスト指導者や講師の言葉は、わからなければ聞き返すことは大事ですが、それ以上に、同じことでも異なる言葉で言われたら、理解できる可能性があることを学生自身が意識して聞くことも重要になります。また、他人の言葉から、別の言葉をひらめくことができ、その結果イメージできるということもあります。対話はひらめきの宝庫でもありますので。
ただ、やはり混乱しないように聞きたいですし、指導する側は、伝えたいです。ですので、やはり、言葉はメモをしながら聞いたほうがいいですし、伝える側も、実は書きながら説明するとよいのではないでしょうか?可視化されることで言葉だけで説明するよりも、もっと詳細に伝えることができるでしょうし、自身も意識することができるからです。
●説明を努力することを放棄してはいけない…
指導者の中には、伝わらないことで、
いいからやれ!
がんばれ!
と言ったような精神論のみを頼りとするところにいくことはできるだけ避けたいところです。それで、できるなら、学生たちはとうにできているからです。確かに、グダグダ御託や言い訳をする前に、まず行動してみよう!と思うことは、往々にしてあります(笑)。
でも、わからないから、方向が定められないと思っている学生に、いいからやれ、では指導になっていないわけです。プロの指導者ならば、授業料を受け取って講義をしているわけです。で、あれば、
「どうにかして、成長・上達させてあげよう」
という気持ちはとても大切ですし、また、たとえわずかでも変化や成長が見られたら、うれしいという気持ちになれる人が指導者はやるべきだと思います。経験がないからわからない。わからないから教えてもらうのです。さすがに何度も同じことを言ってるのに相手がわからない…というのは、どちらにも課題はあると思いますが、そこで嘆いているだけでも解決はしないわけです。
であれば、手を変え品を変え、イメージできるように、理解できるところにまで導いていきたいところです。そのためには、まず、指導する側が、
・語彙を増やす
・自身が体験をすることで、自分なりの言葉を持つ
・最後まであきらめずに、成長させる喜びを感じよう
というところを忘れずに精進することも、非常に大切なことではないでしょうか?
今回は以上です。
■著者 : 馬場保仁
株式会社ファリアー 代表取締役社長。過去、セガ(当時 セガ・エンタープライゼス)で『プロ野球チームをつくろう!』『Jリーグプロサッカークラブをつくろう!』など多数のゲーム開発に従事。その後DeNAにてスマホアプリ開発のプロデューサーを担うほか、人事・採用担当も兼任。現在は、ファリアー社を創業し、“人は人に活かされる”をモットーにゲーム開発、人材発掘・育成にこれまで以上に尽力している。著書に「ゲームの教科書」(ちくまプリマー新書)がある。
■ゲーム業界 -活人研 KATSUNINKEN- バックナンバー
■第二十九回「そもそも、企画の仕事って…」
■第二十八回「転職〜中級編・自分の価値を知る〜」
■第二十七回「転職〜入門編〜」
■第二十六回「リーダーシップとは」
■第二十五回「思考のスタミナ」
■第二十四回「出て行く勇気」
■第二十三回「個人でつくる・集団でつくる」
■第二十二回「指摘される勇気、指摘する気遣い」
■第二十一回「どこを見るか? どう採るか?」
■第二十回「100%の力を発揮するために……」
■第十九回「まずは、”伝える”ことから始めよう!」
■第十八回「カード少なく勝負に挑まない」
■第二回「学校トーク!!」…三者鼎談【後編】(第十七回)
■第二回「学校トーク!!」…三者鼎談【前編】(第十七回)
■第十六回「新人事始」
■第十五回「就職活動にみられる地方格差」
■第十四回「【思いやり】の向こう側」
■第十三回「仕事選び 〜成長・夢・時間〜」
■第十二回「本当にそれは、ゲームに必要か?」
■第十一回「ハッカソンの功罪」
■第十回「会社選びと成長(プロ、アマ問わず)」
■「学校トーク!」 東京工芸大学 『パックマン』生みの親 岩谷徹氏に訊く【後編】(第九回)
■「学校トーク!」 東京工芸大学 『パックマン』生みの親 岩谷徹氏に訊く【前編】(第八回)
■第七回「学生さんにやっていただきたいこと~前編~」
■第六回「学生さんにやっていただきたいこと~前編~」
■「社長トーク!」第1弾 コロプラ 馬場功淳 社長【後編】(第五回)
■「社長トーク!」第1弾 コロプラ 馬場功淳 社長【前編】(第四回)
■第三回「若手のチャンスとキャリアパス」
■第二回「企業×学校×学生」
■第一回「ゲーム業界って本当に人手不足なの?」